Sightsong

自縄自縛日記

ラリー・コリエル『American Odyssey』

2017-03-31 08:02:29 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラリー・コリエル『American Odyssey』(NEC Avenue、1989年)を聴く。

Larry Coryell (g)
Wayne Shorter (ts, ss) (track 7, 8)

嗜好的にも時代的にもラリー・コリエルに注目したことはない。しかし中古棚で手に取って驚いた。クラシック・ギターを使い、アーロン・コープランドなどの20世紀アメリカン・クラシックを演奏している。

これが悪くない。ジャズ以前からのアメリカ音楽を取り込み再生させる活動については、同じ頃からのビル・フリゼールが目立っているが、コリエルにも目を向けるべきだった。(わたしが無知なだけで、既に常識なのかもしれない。)

そしてウェイン・ショーターのソプラノが実に繊細。この人は人を困惑させるような謎めいたフレージングが得意で、たとえばハービー・ハンコックとのデュオ作なんて辛気臭くてもう二度と聴かねえよと思った代物だったのだが、またいちど「東京ジャズ」で観たライヴでも興奮するでも聴き惚れるでもなかったのだが、文脈を選ぶならいくらでも聴いていられる。


ジム・ホール(feat. トム・ハレル)『These Rooms』

2017-03-30 23:08:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジム・ホール(feat. トム・ハレル)『These Rooms』(DENON、1988年)を聴く。

Jim Hall (g)
Steve LaSpina (b)
Joey Barron (ds)
Tom Harrell (flh, tp)

こんな隠れた佳作があった。

芯が固く、それでいて実に柔らかな音のレイヤーを積み重ねるジム・ホール。そして細やかな動きをする分子を呼び寄せて凝集させたような、トム・ハレルのフリューゲルホーンとトランペット。よく考えたら、ふたりの相性が良いのは当然だ。 

自然体で、かつ、特別な音楽。こんなものはなかなかない。

●ジム・ホール
マイケル・ラドフォード『情熱のピアニズム』 ミシェル・ペトルチアーニのドキュメンタリー(2011年) 
ジョン・アバークロンビー+アンディ・ラヴァーン『Timeline』(2002年)
チャーリー・ヘイデン+ジム・ホール(1990年)
ミシェル・ペトルチアーニの映像『Power of Three』(1986年)
ジム・ホール『The Complete "Jazz Guitar"』(1956-60年)

●トム・ハレル
トム・ハレル『Something Gold, Something Blue』(2015年)
トム・ハレル@Cotton Club(2015年)
トム・ハレル@Village Vanguard(2015年)
ジョン・イラバゴン『Behind the Sky』(2014年)
トム・ハレル『Trip』(2014年)
トム・ハレル『Colors of a Dream』(2013年)
デイヴィッド・バークマン『Live at Smalls』(2013年)


スペラッツァ+カマグチ+サックス『Play Dameron』

2017-03-30 07:19:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヴィニー・スペラッツァ+マサ・カマグチ+ジェイコブ・サックス『Play Dameron』(Fresh Sound Records、2015年)を聴く。

Vinnie Sperrazza (ds)
Jacob Sacks (p)
Masa Kamaguchi (b) 

こうしてタッド・ダメロンの曲をあらためて並べられると、「On a Misty Night」、「If You Could See Me Now」、「Soultrane」、「Our Delight」、「Hot House」など名曲揃いである。

バリー・ハリスがピアノトリオで吹き込んだダメロン集『Plays Tadd Dameron』(1975年)は、演奏者としても、時代的にも、渋いバップの文脈で音楽を提示していた。当然であり、ハリスにはどうしてもそれを求める。

一方の本盤。ジェイコブ・サックスのピアノは旋律を鮮やかに解体再構築。マサ・カマグチの重く香り立つようなベースも聴き応えがある。現代のダメロン集である。しかしどうしても耳の中でおさまりが悪いというか、この音楽の座席を探してしまう。もちろん先祖返りなんかしなくてもいいのだが(後ろ向きのピアノトリオなんて聴きたくない)、ではもっと過激にやってほしいと内心思っているからかな。

●ジェイコブ・サックス
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas V』(JazzTokyo)
(2016年)
デイヴィッド・ビニー『The Time Verses』(2016年)
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas IV』(2011年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas III』(2007年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas II』(2004年)

●マサ・カマグチ
蓮見令麻@新宿ピットイン(2016年)

●タッド・ダメロン
バリー・ハリス『Plays Tadd Dameron』
(1975年)


エスペランサ・スポルディング@ブルーノート東京

2017-03-29 07:02:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブルーノート東京でエスペランサ・スポルディング(2017/3/28、1st)。大人気だけあって、慌てて取ったのだが、そのとき既に3日間ともセカンドステージの自由席が売り切れていた。

Esperanza Spaulding (b, vo)
Matthew Stevens (g)
Justin Tyson (ds) 

2曲目、エルメート・パスコアールの曲において、あの複雑な旋律をウッドベースで悠々と弾き、それとは別のラインで楽し気に唄う。それはエルメート・テイストでもエスペランサ・テイストでもあり、いきなり後頭部が熱くなってしまう。

エレベに持ち替え、「Cinamon Tree」やファンク風の曲で、マシュー・スティーヴンスとまるでアクロバティックな空中戦のように延々と弾きまくる。まばたきする暇がない。いやこれはジャコ・パストリアス以上なのではなかろうか。

5曲目はチック・コリアの曲とアレサ・フランクリンの曲のミクスチャーだという。ソウル的でも「新主流派」ジャズ的でもある。ここではウッドベース、コード内で考えうる最大の自由を表現した。エレベがジャコ超えだとすれば、アコベはスコット・ラファロ超えである(本当)。

6曲目、またエレベで『Emily's D+Evolution』においてヒットした「Unconditional Love」。アンコールではひとりウッドベース、と思っていたら、アンコール2曲目にスティーヴンスとタイラーが登場し客席は大喝采。「Forbidden Fruit」を観客に歌わせながら盛り上げた。

それにしても凄いものを観てしまった。いまやスーパースターなのに、音楽が名前のはるか先を疾走している。

●参照
エスペランサ・スポルディング@Zepp Diversity(2016年)
エスペランサ・スポルディング『Emily's D+Evolution』(2016年)
ドン・チードル『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間』(2015年)
トム・ハレル『Colors of a Dream』(2013年)
エスペランサ・スポルディングの映像『2009 Live Compilation』(2009年)


照内央晴+松本ちはや、VOBトリオ@なってるハウス

2017-03-28 21:53:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』のレコ発ライヴが続いている。船橋きららホールでの演奏(2017/2/12)はホールでのインプロというなかなかない機会で面白かった。小さなハコでの演奏も観ようと思い、入谷のなってるハウスに足を運んだ(2017/3/27)。

この日は来日中のVOBトリオとの対バン。

Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p) 
Chihaya Matsumoto 松本ちはや (perc)

VOB Trio:
Jaka Berger (ds)
Antti Virtarnta (b)
Rieko Okuda (viola) 

ファースト・セット、照内+松本デュオ。CDの記録とも先日のライヴともまた違う一期一会、大変な緊張感が漲っている。

プリペアド・ピアノ、パーカッション、両者とも最初は抑制気味であり、それが次第に強さを増していく。照内さんはやはりフレーズを手探りし、ペダルにより地響きも創り出している。ピアノによるクリスタルの煌き、空気をかまいたちのように裂くパーカッション。

音を出すことが怖ろしいほどの静寂を、音により創り出すという感覚がある。

セカンド・セット、VOBトリオ。ドラムスのヤカさんだけスロヴェニア、他のふたりはベルリン在住だという。

奥田さんのヴィオラがぎこぎこという音を立ててゆく。ベースの表現力は刮目すべきものであり、微かな音、ガラスの表面を濡れた指で擦るような音、胴を高い音で擦る音、指で弾きながら弓で弦を受けとめる音。ドラムスが叩きから擦りに移行すると、ヴィオラが打楽器と化したりもする。そして3人による「擦れ」の重ね合わせ。奥田さんは森の中の鳥を思わせるヴォイスも発する。

やがて全域に分散していた周波数が収斂してきて、得も言われぬカタルシスを覚えた。

サード・セット。照内・奥田連弾から全員でのセッション。

VOBトリオのことは何の予備知識も持たず観たのだが、素晴らしいグループだった。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●参照
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)


キム・ソンス『アシュラ』

2017-03-26 23:51:02 | 韓国・朝鮮

エドワード・ヤン『クーリンチェ少年殺人事件』を目当てに出かけたのだが、1時間前なのに早々と満員御礼。どうでもよくなって、同じ新宿武蔵野館にて、キム・ソンス『アシュラ』(2016年)を観る。

不正まみれの市長一派と、かれの悪事を暴こうとする検事一派との激しい抗争物語。暴力描写がひどすぎてもうウンザリだ。

それはそれとして、俳優陣はなかなか。主役の暴力刑事チョン・ウソンは、『グッド・バッド・ウィアード』や『レイン・オブ・アサシン』のイケメンよりもこのくらいの汚れ役のほうがスクリーンに映える。検事役のクァク・ドウォンは『弁護人』の軍人と同様にひたすら憎たらしい。

よく考えたらバイオレンス物は苦手なのだった。


ヨハネス・バウアー+ペーター・ブロッツマン『Blue City』

2017-03-26 09:27:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヨハネス・バウアー+ペーター・ブロッツマン『Blue City』(Trost、1997年)を聴く。

Peter Brotzmann (tarogato, as, ts, b-flat cl)
Johannes Bauer (tb)

1997年、大阪でのライヴ録音。同じ年の来日時に、御茶ノ水のディスクユニオンの売り場の上、たぶん4階でのインストアライヴを観た。(いまのJazz Tokyoとは違い、駿河台下に通じる坂の途中・明大の向かい側にあった。ロリンズの『Saxophone Colossus』が大きな看板になっていた。)

当時は「ブレッツマン」表記も多く(Brotzmannの「o」にウムラウトが付いているため)、チラシもそうだったような気がする。

ブロッツマンのCDを聴いてはいたがナマで観るのははじめて、ヨハネス・バウアーにいたっては名前も初耳という状況。よくわからずそこに行き、ヨーロッパのエネルギー・ミュージックに圧倒されてしまった。実は地獄の一丁目だったのかもしれぬ。

本盤を聴きながら、20年前の記録であってもその魅力はまったく失われていないと感じる。バウアーは顔を真っ赤にしてひたすら愉しそうにトロンボーンを吹き、かれを動だとすれば、静のブロッツマンはわけのわからないカオティックな辻説法。何が驚いたかと言えば、かたちの整備への拘泥や、感情の吐露に対するバリアといったものを、かれらが、ものの見事に棄て去っていることなのだった。

ところで、本盤の音源テープは、ブロッツマンの「カオス・ボックス」から、日付と場所とが付された形で偶然見つかったそうである。ディスクユニオンの演奏も、誰かがヴィデオカメラで撮っていた記憶がある。それも「カオス・ボックス」にはないか。

●ヨハネス・バウアー
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』
(2008年)

●ペーター・ブロッツマン
ブロッツ&サブ@新宿ピットイン(2015年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
『Vier Tiere』(1994年)
ペーター・ブロッツマン+羽野昌二+山内テツ+郷津晴彦『Dare Devil』(1991年)
ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』(1991年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
『BROTZM/FMPのレコードジャケット 1969-1989』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年) 


ポール・ボウルズ『孤独の洗礼/無の近傍』

2017-03-26 08:37:44 | 中東・アフリカ

ポール・ボウルズ『孤独の洗礼/無の近傍』(白水社、原著1957、63、72、81年)を読む。

これはボウルズが中東・北アフリカを旅し、移り住んだときに書かれたエッセイである。スリランカの記録もある。

当時(1950年代)、ボウルズはアメリカで予算を得て、モロッコ音楽の録音収集を行うという仕事を遂行していた。実はそれは簡単なことではなかったことがわかる。目当ての村にたどり着いてみても交流の電気がない。モロッコ政府の許可が得られない。すさまじくひどい宿。民族音楽を近代化の敵のように扱う官僚。ボウルズの活動の成果は『Music of Morocco』という4枚組CD・解説という立派な形となっているのだが、その価値は思った以上に大きなものだった。

サハラ砂漠という孤絶の地について、詩的とも言える文章で綴った「孤独の洗礼」は特に素晴らしい。

「ほかのどんな環境も、絶対的なものの真ん中にいるという最高の満足感を与えてはくれない。どんなに安楽な暮らしと金を失っても、旅行者はどうしてもここに戻ってくる。絶対には値段がないのだから。」

●参照
ポール・ボウルズが採集したモロッコ音楽集『Music of Morocco』
(1959年)


川下直広カルテット@なってるハウス

2017-03-26 08:00:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウスにて、川下直広カルテット(2017/3/26)。

Naohiro Kawashita 川下直広 (ts, harmonica)
Daisuke Fuwa 不破大輔 (b)
Futoshi Okamura 岡村太 (ds)
Koichi Yamaguchi 山口コーイチ (p)

「What a Wonderful World」からはじまる発酵食品のような2ステージ。チャーリー・ヘイデンの「First Song」での悠然としたブロウに聴き惚れてしまった。「The End of the World」のテナーも、「生活の柄」のハーモニカも素晴らしかった。

この日はJOEさんzu-jaさんとジャズ馬鹿話で盛り上がりながら一緒に観たのだが、皆口をそろえて、山口コーイチさんのピアノが異色でひたすら面白い、と。確かに4ビートのリズムで並走するというよりも、大きな円環を描きながらスピルアウトし、要所要所で合流してくるような・・・。石垣の仲宗根“サンデー”哲の太鼓を観て、山下洋輔がまるでエルヴィン・ジョーンズだと仰天したという話を思い出した。

●川下直広
川下直広@ナベサン(2016年)
川下直広カルテット@なってるハウス(2016年)
渡辺勝+川下直広@なってるハウス(2015年)
川下直広『漂浪者の肖像』(2005年)
『RAdIO』(1996, 99年)
『RAdIO』カセットテープ版(1994年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』(1988年) 


リー・コニッツ『Frescalalto』

2017-03-25 14:52:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

リー・コニッツ『Frescalalto』(Impulse!、2015年)を聴く。

Lee Konitz (as, vo)
Kenny Barron (p)
Peter Washington (b)
Kenny Washington (ds) 

いまになってインパルス移籍。コニッツとインパルスとはどうもイメージが重ならない。聴いてみると、何のことはない、レーベルが何であろうとコニッツはコニッツである。

ケニー・バロンをはじめとするサイドメンのプレイは申し分ない。しかしとにかくコニッツだ。ベンドして音色がよれまくり、エアを豊かに含んで浮遊感があり、そして、年齢のせいか、ときに弱弱しい。それらがすべてリー・コニッツという偉大な音楽家の音となっている。まったく特別な盤でもないのに、聴いていると不思議な感慨で涙腺がゆるんでしまう。

●リー・コニッツ
リー・コニッツ+ケニー・ホイーラー『Olden Times - Live at Birdland Neuburg』(1999年)
今井和雄トリオ@なってるハウス、徹の部屋@ポレポレ坐(リー・コニッツ『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』、1999年)
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』(1996年) 
リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』(1995年)
アルバート・マンゲルスドルフ『A Jazz Tune I Hope』、リー・コニッツとの『Art of the Duo』 (1978、83年) 
アート・ファーマー+リー・コニッツ『Live in Genoa 1981』(1981年)
ギル・エヴァンス+リー・コニッツ『Heroes & Anti-Heroes』(1980年) 
リー・コニッツ『Spirits』(1971年)
リー・コニッツ『Jazz at Storyville』、『In Harvard Square』(1954、55年)


渡辺香津美+谷川公子(Castle in the Air)@本八幡cooljojo

2017-03-25 09:06:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoに大スター・渡辺香津美が来るという。しかも響きのいいハコ。これは行かねばならぬと駆けつけた(2017/3/24)。

Kazumi Watanabe 渡辺香津美 (g)
Koko Tanikawa 谷川公子 (p)

パートナーとの谷川公子とのデュオ「Castle in the Air」。よく考えたら、カズミのライヴを観るのは、『おやつ』(1994年)リリース後の新宿ピットイン以来のような気がする(記憶が曖昧)。何でも、谷川公子の曲もその盤から演奏しているようである(「Mission St. Xavier」)。

カズミはギターを4本持ち込んだ。シンセのようなヘンな音が出るものなどもあったが、半分はガットギターによる演奏。それにしても冗談のように巧い。まるで刺激があるサウンドではないが、ともかくもリラックスする。

曲は、ラルフ・タウナーの「Icarus」、「G線上のいるか」(実は「On Green Dolphin Street」)、ラリー・コリエルの「Zimbabwe」(カズミはコリエル、ジョンスコ、ジョー・ベックの演奏をコピーしており、初対面のコリエルに驚かれたという)、ジャンゴ・ラインハルトの「Nuage」~「Minor Swing」、エグベルト・ジスモンチの「Infancia」、映画音楽「New Cinema Paradise」、そして、「Light & Shadow」、『おやつ』でラリー・コリエルと共演した「Nekovitan X」、「Mission in the Sand」、「Mother Land」、「Eagle's Eye」、「Beautiful Village」、「Sea Dream」といったかれらのオリジナル。

カズミがここで演奏したのは千葉県在住ということもあるが、かつて師事した高柳昌行のアルバム名を冠しているからでもある。中牟礼貞則に師事し、レコードも出したあとになって高柳塾に入ったとき、さぞ怖い人かと思いきや、塾生にスイカを振る舞って「このスイカ、イカスだろ!」とベタなダジャレを言ったのだとか。高柳塾では作文も書かされ、また、アドルノなども読まされたのだという(全然何が書いてあるかわからなかったと笑っていた)。


.es『曖昧の海』

2017-03-24 01:13:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

.es『曖昧の海』(Nomart Editions、2015年)を聴く。

Takayuki Hashimoto 橋本孝之 (as, alto bamboo sax, harmonica)
sara (p) 

先日聴いたUH(内田静男+橋本孝之)が、ふたりともともかくも同じ時空間を共有していたのに対し、.esの雰囲気は明らかに異なっている。saraさんのピアノは同じ場所にいながら別の相にあって(一周まわると別の相に移る複素平面のようなイメージ)、橋本さんを鳥瞰する存在として音を響かせている。

橋本孝之のサックスはやはり非有機生命体でありながら、自らの発する苛烈な音の中に自らを晒すことによって、有機生命体との間を往還する。ときに強く感じられる哀しみは情なのであって、情は生命体にのみ向けられる。その一期一会のプロセスが素晴らしい。身体が滅びながらにして立ちあがる暗黒舞踏と共通するものがある。

一方でハーモニカの発散する雰囲気はまたサックスとずいぶんと異なる。すべてが砂と風とで一掃されたあとの荒廃した場になお残る、非生命体でもなく生命体でもなく、実体を持たない霊か情か。

●橋本孝之
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)
グンジョーガクレヨン、INCAPACITANTS、.es@スーパーデラックス(2016年)
鳥の会議#4~riunione dell'uccello~@西麻布BULLET'S(2015年)
橋本孝之『Colourful』、.es『Senses Complex』、sara+『Tinctura』(2013-15年)


『山崎幹夫撮影による浅川マキ文芸座ル・ピリエ大晦日ライヴ映像セレクション』

2017-03-20 23:28:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

下北沢のラ・カメラにおいて、『山崎幹夫撮影による浅川マキ文芸座ル・ピリエ大晦日ライヴ映像セレクション』という魅惑の企画(2017/3/20)。

85分ほどの映像は、1987年から92年までの間に池袋の文芸座ル・ピリエにおいて繰り広げられた、浅川マキのライヴステージの記録である。

文芸座ル・ピリエは1997年3月に閉館した場であり、わたしは96年末にここで浅川マキのライヴを観たのみだ(それ以外はすべて新宿ピットイン)。従って、今回の上映とは重なっていない。確か地下にあり、階段や客席が妙な構造になっていた記憶がある。浅川マキのアルバム『黒い空間』も、92年にここで録られている。

ところで、この映像において、マキさんはほとんどサングラスをかけずトレードマーク的な長い付け睫。わたしがライヴで観始めたときには逆にほとんどサングラスだった。視力がこの頃に悪化したのだろうか。

それにしても凄い記録であり、ほとんど感涙ものだ。アカペラでの「ロング・グッドバイ」。ヒノテルとの「あなたに~You Don't Know What Love Is」。「今夜はオーライ」。「ワルツに抱かれて」。「ちっちゃな時から」。「前科者のクリスマス」。「こぼれる黄金の砂」。セシル・モンローとの「夜が明けたら」。下山淳との「Just Another Honky」。渋谷毅、下山淳、川端民生、セシル・モンロー、植松孝夫が入って「ロンサム・ロード」。下山淳が抜けて「あなたに」。バラを片手に持って「セント・ジェームス医院」。川端民生のベースによるイントロが「ナイロン・カバーリング」のような「都会に雨が降る頃」(実際に映像でも、イントロ部で、観客が「ナイロン!」と呟いている)。

そして渋谷毅のオルガン、向井滋春、植松孝夫、南正人、川端民生、セシル・モンローによる「暗い目をした女優」がまた素晴らしい。暗闇に浮かぶ浅川マキの恍惚の表情をここまで追った映像とはなんなのか。

ちょうど一昨日(2017/3/19)、マキさんと共演する姿を観て以来およそ20年ぶりくらいに、植松孝夫さんのテナーを観た。植松さんにそのことを言ったところ、植松さんは懐かしそうに語った。マキさんがピットインで貧血になり、植松さんが誰かを呼ぶため出ようとしたところ、「植松さん戻ってきて~」と、あの口調で言ったんだよ、と。

セシル・モンローのシンプルで鋭いドラミングも懐かしい。マキさんのライヴのはじまりは、いつもセシルとのデュオだった。山崎さんによれば、『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』のタイトルにある「ブートレグ」は以前マキさんが発案したもので、その綴りを聴くためにセシルに電話したところ、最後に「g」を重ねるとカッコいいよと教えてくれたのだという。そのセシルも海難事故で亡くなった。わたしが通っていたスクールでドラムスを教えていて、わたしの靴をふざけて履いて、「ぼくのと同じ~」と、剽軽に笑っていた記憶がある。

●参照
浅川マキ『Maki Asakawa』
浅川マキの新旧オフィシャル本
『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』
『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』
浅川マキが亡くなった(2010年)
浅川マキ DARKNESS完結
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演、2002年)
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』(1998年)
浅川マキ『アメリカの夜』(1986年)
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』(1985年)
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
浅川マキ『スキャンダル京大西部講堂1982』(1982年)
浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏家たちのOKをもらった』(1980年)
オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』、1980年)
浅川マキ『灯ともし頃』(1975年)
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ(1973年)
宮澤昭『野百合』(浅川マキのゼロアワー・シリーズ)
トリスタン・ホンジンガー『From the Broken World』(浅川マキのゼロアワー・シリーズ)


ほったらかし温泉

2017-03-20 00:05:04 | 東北・中部

そんなわけで(どんなわけだ)、友人のクルマに便乗して、山梨県の「ほったらかし温泉」に行ってきた。

甲府盆地を眺めながらの露天風呂。おっさんたちの誠にしょうもない話を聞くともなく聞きながら、しばらく脱力。雑念を取り払って思索にふけった。というのは嘘で、何も考えていない。長風呂が苦手なこともあり、のぼせそうになってしまった。しかし、身体の芯から暖まったような気がしたのだった。

わたしの実家は片田舎の温泉宿で(もう廃業した)、温泉というものに誰よりも浸かってきたし、それゆえに温泉好きがあちこちに足を延ばす行動にいまひとつ共感できなかったのだが、いや、いいものですね。


あっちの湯


甲府盆地


ワイナリー



ほうとう


ローズゼラニウム

Fuji X-E2、XF35mmF1.4


ハービー・ハンコック『VSOP II TOKYO 1983』

2017-03-18 16:31:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

ハービー・ハンコック『VSOP II TOKYO 1983』(Hi Hat、1983年)を聴く。

Herbie Hancock (p)
Wynton Marsalis (tp)
Branford Marsalis (ts, ss)
Ron Carter (b)
Tony Williams (ds)

綺羅星のごとき豪華ゲストを集めて話題作を作るいまのハービー・ハンコックにはもう接近しないのだが、こういうのを聴くと、曲作りもピアノのセンスも良いなあと思わざるを得ない。

とは言え、1970年代後半のVSOPの看板を使い、当時ライジング・サンであったマルサリス兄弟を起用したこの企画も、話題先行型かもしれない。しかも80年代に入ってからの東京での興業(NHKラジオで放送されたという)。しかし良いものは良い。

何しろウィントン・マルサリスである。トニー・ウィリアムスの唯一無二の強力極まりないビートが煽っているはずなのに、冗談のように余裕しゃくしゃくである。しかも超つややかな音色にて、まるで考え抜かれたようなフレーズの即興を繰り出している。ハンコックの「The Sorcerer」ではスピーディに、ファッツ・ウォーラーの「Jitterbag Waltz」では(あとで考えれば)得意分野だとばかりに、1981年の『Herbie Hancock Quartet』でも素晴らしいソロを吹いていたセロニアス・モンクの「Well, You Needn't」ではまたまるで違う展開を、自身の『Wynton Maralis』(1981年)でも吹いていたトニー・ウィリアムスの「Sister Cheryl」では綺麗なロングトーンを。光輝くトランペットとはこのことだ。

「Sister Cheryl」は、トニー・ウィリアムス自身の新生ブルーノートでのアルバム『Foreign Intrigue』(1985年)でも印象的だった曲だ。トランぺッターはウォレス・ルーニー。かれの音がしばらく続くグループの持ち味のひとつではあったのだが、トニーはウィントンを使いたくはなかったのだろうか。

●参照
ネイト・ウーリー『(Dance to) The Early Music』(2015年)
及部恭子+クリス・スピード@Body & Soul(2015年)
ドン・チードル『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間』(2015年)
エリック・レヴィス『In Memory of Things Yet Seen』(2014年)
ハリー・コニック・ジュニア+ブランフォード・マルサリス『Occasion』(2005年)
アリ・ジャクソン『Big Brown Getdown』(2003年)
トニー・ウィリアムスのメモ(1996年)
ウィントン・マルサリス『スピリチュアル組曲』(1994年)
『A Tribute to Miles Davis』(1992年)
ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』(1991年)
デイヴィッド・サンボーンの映像『Best of NIGHT MUSIC』(1988-90年)
ベルトラン・タヴェルニエ『ラウンド・ミッドナイト』(1986年)
トニー・ウィリアムス・ライフタイムの映像『Montreux Jazz Festival 1971』(1971年)
ジャッキー・マクリーン『The Complete Blue Note 1964-66 Jackie McLean Sessions』(1964-66年)
マイルス・デイヴィスの1964年日本ライヴと魔人(1964年)