Sightsong

自縄自縛日記

シドニー・ルメット『狼たちの午後』

2014-12-31 20:11:52 | 北米

シドニー・ルメット『狼たちの午後』(1975年)を観る。

1972年、ニューヨーク・ブルックリン。ソニー(アル・パチーノ)は、仲間ふたりとともに銀行強盗を行う。しかし、そのひとりは怖気づいて早々に逃げ出し、さらに、もたもたしているうちに、銀行が大勢の警官に包囲されてしまう。交渉役の警部はまったく警官たちを統率できず、テレビ局や野次馬たちがやってくると、お互いにドツボにはまってゆく。ソニーは「アッティカ!」と叫び、1971年のアッティカ刑務所暴行事件の記憶が生々しい状況で、警官への反感を引き起こし、群衆を味方につける。ソニーの目的は、ゲイの恋人の性転換手術費を捻出することにあって、それもまた群衆の共感を呼ぶ。

さすがルメット、固くてテンポがよい。奇妙なコメディだと思って観ていたら、次第に社会の矛盾がそこかしこに噴出してきて、目が離せない。

アル・パチーノの「アッティカ!」で思い出したので、アーチ―・シェップの『アッティカ・ブルース』連作を引っ張り出して聴くことにする。

●参照
E・L・ドクトロウ『ダニエル書』、シドニー・ルメット『Daniel』


オーソン・ウェルズ『フェイク』

2014-12-31 14:54:17 | アート・映画

オーソン・ウェルズによる最後の監督作品『フェイク』(1972年)を観る。

この短いフィルムには、何人もの胡散臭い者が登場する。

贋作画家エルミア・デ・ホーリー。かれはいとも簡単に、マティスやピカソやモディリアーニの作品を偽造する。模写ではなく、天才たちの癖をみずからのものとして、新たに作品を描くのである。魔術そのものであり、かれはそれで大金持ちにもなったし、投獄もされた。

エルミアの名声を世界中に知らしめたのは、伝記作家クリフォード・アーヴィングである。しかし、かれ自身も、富豪ハワード・ヒューズの偽の伝記を書いて有名になった人間であり、そのヒューズの素顔はほとんど隠されている。そのような者が語る贋作画家とは何者なのか。

そして語り部役として登場する、巨体のオーソン・ウェルズ。かれの出世作は、いうまでもなく、アメリカの一般市民を騙したラジオ・ドラマ「火星人襲来」であり、傑作『市民ケーン』は、ヒューズの孤独な生をモデルとしている。さらにまた、オーソンの恋人だったオヤ・コダールが、晩年のピカソのもとで濃密な時間を過ごし、オヤを描いたものなど22点の絵を持ち出して金持ちになったという逸話。しかしその絵はエルミアによる贋作だったという。

もはや、何が何だかわからない。どこまで本当なのかも相当に怪しい。この映画が傑作かどうかはさらに怪しい。

ところで、映画には、エルミアらを取材するカメラとしてペンタコン・シックスのアイレベルファイダー付きが登場する。カール・ツァイス・イエナのレンズはゼブラ仕様ゆえ、古いタイプだろう。主にフランスでの場面だと思うが、当時、このような東ドイツのカメラが使われていたのだろうか。

●参照
オーソン・ウェルズ『オセロ』
佐藤信介『万能鑑定士Q ―モナ・リザの瞳―』


浅川マキ『アメリカの夜』

2014-12-31 10:54:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

年末。この数日間、浅川マキ『アメリカの夜』(東芝EMI、1986年)を聴いている。

浅川マキ (vo)
本多俊之 (music producer, ss, as, p, syn)
山木秀夫 (ds, perc)
富倉安生 (b)
土方隆行 (g)
鳥山敬治 (syn programmer)
Derek Jackson (vo; 4)
野力奏一 (p, org)
植松孝夫 (ts; 1)

ベスト集『DARKNESS III』にも収録されており、何も単品で聴くことはないのだろうが、やはりいちいち特別な思いを抱く。マキさんが急逝してからもう5年が経とうとしている。

これは本多俊之の手腕によるものだろうと思うが、全体に不思議なサウンドが充満している。ただ、重力があって無いような存在感、土着的であってそうでも無いようなブルースは、明らかにマキさんの個性なのである。

そして、これもやはり奇妙な明るさがあって(とくに「ふたりは風景」)、近づきにくいようなアウラを身にまといつつも、マキさんには人を信じる業のようなものがあったに違いないと思ってしまうのだった。わたしだってマキさんのいちファンであったから、聴いていると泣きそうになってしまう。


浅川マキ+山内テツ(2002年5月) Canon IVSb改、Canon 50mmF1.8、スペリア1600

●参照
浅川マキの新旧オフィシャル本
『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』
宮澤昭『野百合』
『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ
浅川マキが亡くなった
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』
オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』)
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演)
浅川マキ DARKNESS完結


石井裕也『バンクーバーの朝日』

2014-12-31 09:50:41 | スポーツ

石井裕也『バンクーバーの朝日』(2014年)を観る。

実際の「バンクーバー朝日軍」の歴史をもとにした映画である。

1900年代初頭、出稼ぎのためカナダに渡った日本人は、「バンクーバー朝日軍」という野球チームを結成する。かれらは、厳しい労働と生活の合間に練習に明け暮れた。地元のリーグでの試合は、身体の大きな白人に圧倒されていたが、やがて、バント、相手打者の癖の分析と細かな配球、盗塁などによって、次第に屈指の実力チームへと成長する。朝日軍のきめ細かな野球は「Brain Baseball」と呼ばれた。しかし、戦争が激化すると、日本人移民は適性国民と位置付けられ、収容所に強制的に入れられることになる。移民たちが自由を取り戻すのは、1949年になってからのことであった。

主演の妻夫木聡の演技には味わいがある。亀梨和也の出演は、明らかに野球の腕前を買われてのことだろうけど、裡に想いをためるような演技もまた良い。観る前に心配していたのは、ヘンに憎しみをたぎらせた者が出てきたり、過度に悲惨な目に遭う者が出てきたりするナショナリズム高揚映画になってはいないかということだったが(要は、漫画化された『バンクーバー朝日軍』を描く原秀則の作風がそうだということ)、それは杞憂だった。

ところで、映画では、朝日軍はあまりにも非力でヒット1本すら打てないため、バントを多用したことになっている。パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』によると、確かにバントも積極的に使い、いまの「スモール・ベースボール」的であったが、ここまで非力ではなかったようだ。普通にゲームに勝ち、たまにはホームランを打つこともあったようだ。

パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』には、次のような新聞記事が紹介されている。地元の興奮ぶりが想像できる。

「(略)其間に北川又二塁へ走り何のことはない球が人間より遅い為め朝日は安打なくして三、二塁を奪ひ得たのである、次にバツトを握つたは中村兄二回目のバントが成功して山村本塁に突進、ホ軍は大狼狽を始めて中村を一塁に生かし二塁をお留守にして盗まれて了ふ、・・・・・・」

遠征に来た巨人軍と試合をしたこともあったようだ。2試合とも完敗してはいるものの、それだけの実力があったということだ。なお、試合には、あのスタルヒンが投げてもいる。また、帯同していた沢村栄治はこの2試合には登板していないが、練習で朝日軍の選手相手に投げ、球の速さを印象付けている。

上の本によれば、強制収容所においても、朝日軍の面々は野球場をつくって試合をしたという。また、解放後チームは二度と結成されなかったが、あちこちで野球を続けたともある。巨人軍との試合はともかく、このあたりは映画でも描いてほしかったところ。

現在では、野球は労働移民のシステムを構築している(石原豊一『ベースボール労働移民』)。バンクーバー朝日軍の活動は、その前史のひとつでもある。


選手たちの写真と署名(パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』)

●参照
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集


植村昌弘+ナスノミツル+坂口光央@千駄木Bar Isshee

2014-12-31 00:14:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

千駄木のBar Issheeに足を運び、植村昌弘+ナスノミツル+坂口光央のトリオを観る(2014/12/30)。

ところで、ここに来たのははじめてだが、地下1階にあり、その上にはラーメン屋がある。わたしが千駄木に住んでいた学生時代、このラーメン屋は「大島ラーメン」だった。好みの味で(大根おろしと辛子で食べる餃子が絶品だった)、テレカをもらうほど通った。一時期は上野、錦糸町、銀座などにも店舗を展開していたが、数年前に経営破綻とのニュースを読んだ。もうどこにも残っていないのだろうか。
※Bar Issheeのご主人によると、西日暮里にまだあるとのこと。

植村昌弘 (ds)
ナスノミツル (b)
坂口光央 (key) 

ナスノ氏のベースを聴くのは実に久しぶりで、1997年頃、アルタードステーツでのプレイ以来ではないか(わたしのペースなんてそんなものだ)。グループの違いか時間が経ったせいか、以前のミニマルな印象ではなく、もっといろいろな音を繰り出してくる感じ。頭に浮かぶのは「鉛の蛍光ペン」である。
※そんなことはない、2014年1月に、本田珠也SESSION@新宿ピットインでのプレイに接していた。

これに、シンプルで一音一音の圧が強いドラムス、電子音のきらびやかなキーボードとが絡み、休憩を挟んで45分ほどの長い即興演奏を2回。でかい音での繰り返しと発展に耳を任せているとウットリしてくる。もやもやと心の底に鬱積していたストレスがどこかに飛んで行った。


マイケル・ホイ『Mr.Boo! ギャンブル大将』

2014-12-30 08:53:49 | 香港

マイケル・ホイ『Mr.Boo! ギャンブル大将』(1974年)を観る。

ギャンブルがテーマであり、主題歌でも「勝ったら笑え 負けてもムキになるな」と歌っている。つまり、登場人物はみんなムキになっている。しかし、筋も工夫も何もあったものではない。ああ、しょうもない。

相変わらずくだらぬ「Mr.Boo!」シリーズ。惰性での作品かと思いきや、日本での初上映作『ミスター・ブー』(コンクリート塀を吸盤でよじのぼろうとする場面が有名)や、傑作『アヒルの警備保障』(警察の手入れを2人で装うがバレバレの場面が印象的)よりも前に作られた作品なんだな。つまり、最初から緊張感もなにもなかったということか。

主役はマイケル・ホイとサミュエル・ホイであり、リッキー・ホイは一場面にのみ登場する。何でも、もともとはサモ・ハン・キンポーの役だったが、ホイ三兄弟の人気が高まったために差し替えられたという。わたしは、このリッキーを見るたびに、赤塚不二夫の顔を思い出す。どうでもいいことだが。


中川右介『松田聖子と中森明菜』

2014-12-29 23:03:06 | ポップス

中川右介『松田聖子と中森明菜 1980年代の革命』(朝日文庫、2014年)を読む。

山口百恵の引退が1980年。それと入れ替わるように、1980年代の怪物ふたりが前後して登場してきた。本書は、同じ著者の『山口百恵』の続編として書かれている。

著者によれば、松田聖子は、徹底的に「どう見えるか」だけを戦略的に選択し行動できる天才であり、中森明菜は、逆に内面を痛々しいほどに見せつける天才であった。ふたりとも、物凄い歌唱力を持っていた。対照的な自己プロデュースの能力と歌の実力こそが、80年代の歌謡曲に革命を起こした源泉なのだった。そして、その過剰性のために、かたや「幸福」や「自立」を、かたや「不幸」や「孤独」を、私生活にまで侵入させてしまった。

本書は、この天才ふたりの芸能人生を、やや距離を置きつつ、同時にエンタテインメントとして描く。『ザ・ベストテン』を楽しみに観ていたことがある者(おもに40代以降?)にとっては、自分史の一部を「歴史」として見せてくれるわけであり、これはたまらない。ああ、懐かしいな。

違う個性や立ち位置のゆえに軋轢はなかったように思いこんでしまうが、そうでもなかったようだ。作詞・作曲ともにニューミュージックの才能を如何に取り込むかが勝負であり、松田聖子はユーミンが、中森明菜は井上陽水が「認めた」から、その実力が認識された。その陽水が中森明菜に提供した「飾りじゃないのよ涙は」には、「ダイヤと違うの涙は」という歌詞がある。これは、松田聖子が歌った「瞳はダイアモンド」(松本隆・ユーミン)への一刺しであったという。知らなかった。

●参照
中川右介『山口百恵』


シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見

2014-12-29 10:02:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

シャーリー・クラークオーネット・コールマンを撮った異色作『Ornette: Made in America』(1985年)が、ついにDVD化された。

わたしはVHSの汚いダビングものしか持っておらず、また、オリジナルのVHSソフトも高騰して長年とても入手できる代物ではなかった。このDVDは、画質も綺麗になっており、さらに、英語字幕まで入っている(オーネットの英語はわかりにくかったのだ)。巷で大騒ぎになっているのかどうか知らないが、嬉しい大事件である。

ここには、貴重な映像がたくさん収録されている。

○ 1983年9月29日、オーネットが生まれたテキサス州フォートワース市からの表彰式。
○ フォートワースでの「アメリカの空」演奏。周囲での「caravan of Dreams」のパフォーマンス。イカレポンチが踊りまくるディスコでのヴァイオリンやアルトサックスの演奏。
○ 1968年、12歳の息子デナードとオーネットとの奇妙な会話、チャーリー・ヘイデンを加えたセッション(デナードはもう自由にドラムスを叩いている)。
○ 1984年、線路の横にあるオーネットの生家において、デナードに昔話をするオーネット。
○ 1968年、5年前のキング牧師によるワシントン大行進の意義を掲げた場での演奏。
○ 1969年、サンフランシスコでの「Sun Suite」演奏。オーネットが吹いている民族楽器は何だろう。
○ 1980年、ミラノでのプライムタイムによる演奏のテレビ放送。
○ 1972年、ニューヨークのArtists' Houseにおけるクインテット(たぶん)の演奏。ドン・チェリー、エド・ブラックウェル、デューイ・レッドマンが見える。ヘイデンの姿は見えない。
○ 1972年、ナイジェリアでの地元音楽家たちとの共演。その後、モロッコ・ジャジューカ村での演奏。
○ ウィリアム・バロウズ、ブライオン・ガイシン、ジョージ・ラッセル、ジェイン・コルテス(妻)らの登場。
○ オーネット自身やジョージ・ラッセルによる、バックミンスター・フラーからの影響についての言及。フォートワースでは、ヴァイオリン3人、チェロ、デナードのドラムスによるフラーに捧げた演奏。
○ オーネットの思い出話。同じフォートワース出身のサックス奏者キング・カーティスは、オーネットがニューヨークに出てきたとき、既にロールス・ロイスに乗っていた。
○ ニューヨーク、ワールド・トレード・センター前での演奏。オーネットはアルトを、デナードは電子ドラムス。

さらに、かつて、NASAからオーネットに対して「宇宙でアーティストとして活動すること」の打診があったとの話をきっかけに、宇宙で自転車を漕ぐオーネットのコラージュなど、映像はサイケデリックで(昔の)電子インターフェースびかびかのものになっていく。しかも、性的な話にまで踏み込んだりして。どうかしている。

夜中に観ると朦朧としてしまうこと間違いなし。オーネットよ永遠に。

●参照
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像
オーネット・コールマンの映像『David, Moffett and Ornette』と、ローランド・カークの映像『Sound?』
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』
オーネット・コールマン『Waiting for You』
オーネット・コールマン『White Church』、『Sound Grammar』
オーネット・コールマンの最初期ライヴ
オーネット・コールマン集2枚


森まゆみ+太田順一『大阪不案内』

2014-12-29 09:04:01 | 関西

森まゆみ(文章)、太田順一(写真)による『大阪不案内』(ちくま文庫、2009年)を読む。

もとは雑誌の連載なのだろうか、大阪のあちこちが紹介されている。蘊蓄を傾けていたりもするが、大概は、地元の人たちとの会話だとか、海老フライを食べただとか。もとより、タイトルにも「不案内」とあり、「不案内」な著者が大阪を歩いての印象は、結果として「案内」にはなっていない。それでも、たまに仕事でのみ、それもほとんどは日帰りで行くわたしのような人間には面白い。

これを読んで。

○ 東京の「京橋」と大阪の「京橋」とは、アクセントの位置が違うんだな。
○ 坂が多い空堀商店街(万城目学『プリンセス・トヨトミ』に登場)で、お好み焼きを食べたい。
○ 古くからの洋食屋を目指すべし。
○ たれを刷毛で塗る伝統的な大阪の寿司屋を目指すべし。(わたしは布施の「すし富」に2回ほど行っただけだが、安くて感動的に旨かった。)

旧・猪飼野の写真集を出している太田順一の写真も優しくてとても良い。そういえば、2台のライカM6にズミルックス35mmF1.4を付けたものの、レンズの性能がひどかったという記事を読んだことがあるが、これもズミルックスによるものだろうか。

●参照
北井一夫『新世界物語』


デューク・エリントン『Hi-Fi Ellington Uptown』

2014-12-28 21:30:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

デューク・エリントン『Hi-Fi Ellington Uptown』(CBS、1951-52年)を聴く。

Clark Terry, Willie Cook, Shorty Baker, Ray Nance, Francis Williams、Cat Anderson (tp)
Juan Tizol, Quentine Jackson, Britt Woodman (tb)
Jimmy Hamilton (cl, ts)
Willie Smith (as)
Hilton Jefferson (as)
Russell Procope (as, cl)
Paul Gonsalves (ts)
Harry Carney (bs, bcl)
Duke Ellington, Billy Strayhorn (p)
Wendell Marshall (b)
Louie Bellson (ds)
Betty Roche (vo)

普段あまりエリントンのビッグバンドには縁がないのだが、たまに聴くと芸達者な面々のプレイとぶあついサウンドに痺れる。

すでにモダンジャズ勃興期ではあっても、当然、スイングの尻尾(というか本体?)も見え隠れする。ルイ・ベルソンの前のめりなイケイケのスイング・ドラムスなんて燃えるじゃないか。クラリネットやトランペットのアンサンブルもドヤ顔が見えるようでとても良い(なかでもクラーク・テリーはスカしている)。

そしてエリントン楽団の顔のひとり、ポール・ゴンザルヴェス(よく居眠りしていたそうだ)。この塩っ辛いテナーの音は、コールマン・ホーキンスに共通というより、メローなソフトフォーカスの歌謡曲。イガイガして亀の子たわしのようだ。

「Take the "A" Train」でのみ歌っているベティ・ロシェのスモーキーな声も良い。なんでも、美空ひばりはこの録音を聴きこんで自分のものにしたのだそうである。そういえば、美空ひばりのジャズもしばらくご無沙汰している。また聴いてみようかな。

●参照
デューク・エリントンとテリ・リン・キャリントンの『Money Jungle』
デューク・エリントン『Live at the Whitney』


アンジェイ・ワイダ『カティンの森』

2014-12-28 17:31:28 | ヨーロッパ

アンジェイ・ワイダ『カティンの森』(2007年)を観る。

1941年、独ソ戦争勃発。ポーランドにはこの2国が侵攻した。ソ連が捕虜としたポーランド軍将校たちは、1943年、「カティンの森」において、ソ連軍に虐殺された。当初はドイツによって国際的に喧伝されるが、ソ連は、戦争に勝利すると、このことをドイツの犯罪だとする物語を構築しようとする。ポーランド政府は、その嘘に加担し、異を唱える者を弾圧した。

友人や家族を誰が殺したのか嘘を付けない者たちや、強権政治と密告社会を恐れる者たちへに対する、ワイダの淡々とした視線が印象的だ。ことさらに告発し、あるいはヒロイックな物語にしたとすれば、この迫真性は得られなかったに違いない。

そしてまた、仮に日本において、史実を自虐史観だと攻撃する者と、それに怯える者とを映画化したと想像してみれば、この映画の凄さが実感できようというものだ。

●参照
アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』


映像『ユーラシアンエコーズII』

2014-12-28 10:32:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

2013年8月に、「ユーラシアンエコーズ第2章」のコンサートに感銘を受けてから1年以上。今年DVDを出したというので早々に入手したのだが、やはり、こういうものは身体と心の調子を整えてかからなければならない。そんなわけで、時間に追われない年末になってようやく観た。

元一(ウォン・イル)(ピリ・打楽器)
姜垠一(カン・ウニル)(ヘーグム)
許胤晶(ホ・ユンジョン)(アジェン・コムンゴ)
沢井一恵(17弦箏)
螺鈿隊(箏4重奏、市川慎、梶ヶ野亜生、小林真由子、山野安珠美)
姜泰煥(カン・テファン)(サックス)
喜多直毅(ヴァイオリン)
齋藤徹(コントラバス)
南貞鎬(ナム・ジョンホ)(ダンス)
ジャン・サスポータス(ダンス)

やはりと言うべきか、また、涙が出そうなほどの感情の高まりが襲ってくる。

演奏される組曲「Stone Out」は、その名前の通り、韓国の偉大なシャーマンにして音楽家の故・金石出(キム・ソクチュル)に捧げられたものだ。そして演奏家の半分は韓国の伝統音楽家であり、同時にアヴァンギャルドである。もちろん姜泰煥や齋藤徹などフリージャズのフィールドにも立っている。ジャズとはいえ、ポジティブな足し算タイプのジャズとはまったく異なり、ここに現出している音楽は、コミュニケーションやアンサンブルのあり方も含め、まぎれもなく東アジアのものであるように感じられる。「アジア」や「異種音楽」といった大きな物語が、決して看板やこけおどしでなく現出していることに感激するのである。

ひとりひとりの音楽に加え、元一と姜泰煥とが隣で出し合う異なった音色・声や、齋藤徹・喜多直毅・姜垠一の音の交換(「なぐさめ」などにおいて)など、交感する音楽も素晴らしい。コンサートに行けなかった人も必見。

もう二度と実現できないという謳い文句ではあったが、また、形を変えた「ユーラシアンエコーズ第3章」が観たい。トゥヴァのサインホ・ナムチラックをメンバーに加えてはどうだろう(姜泰煥とのデュオ盤もあることだし)。


齋藤徹(コンサートにて)

●参照
ユーラシアンエコーズ第2章
ユーラシアン・エコーズ、金石出
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』
齋藤徹、2009年5月、東中野
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』
パンソリのぺ・イルドン
金石出『East Wind』、『Final Say』
『人はなぜ歌い、人はなぜ奏でるのか』 金石出に出会う旅
姜泰煥・高橋悠治・田中泯
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)(姜さんの写真をチラシ・DVDのライナーに使っていただいた)


ミシェル・フーコー『言説の領界』

2014-12-28 01:21:07 | 思想・文学

ミシェル・フーコー『言説の領界』(河出文庫、原著1971年)を読む。フーコーによる1970年の講義録である。

フーコーは、言説には3つの大きな抑制のシステムが課されているとする。第一に、タブー。第二に、狂気を「そのもの」ではなく分割すること。第三に、真理への意志。

特に異質かつ重要視されている第三のシステム。それは脚注というあり方にあらわれているように、相互引用的であり、繰り返しである。すなわち、言説自体は既にオリジナルなものではありえず、当然、誰が語ったのかということは大きな問題ではなくなっている。

ただしそれは、統一的で連続的な大きな母集団に還元されるわけではない。そうではなく、あくまで言説のバウンダリはその言説のレベルにとどまる。言説というお互いに不連続な平行世界があるのだということ、それは、講義前年の『知の考古学』でも提示したことに近いのだろうと思える。

こういった抑制のシステムが発達した背後には、言説の共有やロゴスに対する人々の恐怖があるという指摘がある。なるほど、独占することまでは不可能であっても、言説の使い手を一部の者に制約したいという大きな意思があるわけだ。(フーコーは、抑制のシステムを回避しおおせようとするという点で、ニーチェ、アルトー、バタイユらを評価している。)

確かに、この議論に、70年代以降の権力論につながるリンクを見出すことができるのだと言われれば納得する。相変わらず騙されているような気がするのだが。

●参照
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(1961年)
ミシェル・フーコー『知の考古学』(1969年)
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975年)
ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(1970年代)
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
重田園江『ミシェル・フーコー』
桜井哲夫『フーコー 知と権力』
ジル・ドゥルーズ『フーコー』
ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』
廣瀬純トークショー「革命と現代思想」
廣瀬純『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』


ウィリアム・クライン『TOKYO 1961』、ウィリアム・ゴッドリーブ+ジャン・ピエール・ルロア『JAZZ』

2014-12-27 20:27:28 | 写真

銀座に出たついでに、写真展をハシゴ。

■ ウィリアム・クライン『TOKYO 1961』(AKIO NAGASAWA Gallery)

巨匠による東京覗き見。バラック、路地、映画の看板、銭湯、花街、皇居前、パチンコ。どうしても異邦人の眼による東京になってしまうのが面白い。

■ ウィリアム・ゴッドリーブ+ジャン・ピエール・ルロア『JAZZ』(リコーイメージングスクエア銀座)

こちらも巨匠。見たことがある写真も多い。困ったことに、キャプションの人名が少なからず間違っている。

ゴッドリーブの写真はライティングもピントもばっちり、それに対して、ルロアの写真はそうではない。どちらも良いものは良い。

もっとも印象に残った写真は、立派な歯のサラ・ヴォーン(ゴッドリーブ)と、チャールス・ロイドのグループ在籍中のお茶目なキース・ジャレット(ルロア)。


ウォン・カーウァイ『花様年華』

2014-12-27 10:41:42 | 香港

ウォン・カーウァイ『花様年華』(2000年)を観る。

1962年、香港。同じ日に隣に越してきた男(トニー・レオン)と女(マギー・チャン)は、お互いの結婚相手が浮気をしているのではないかと気付きはじめる。寂寞の中、ふたりは惹かれてゆく。しかし、一緒になることができないまま、男はシンガポールへと逃げ、女も心を固めることができない。60年代後半にそれぞれは香港に戻ってくるが、すれ違い、遭うことはない。男はカンボジアに出向き、アンコールワットの古い遺跡に、記憶の残滓を共有するように、額を押し付ける。

ウォンにとって、薄暗い部屋の壁や、花の影や、佇む人の影や、汚れたガラスや、苔むした石壁といったものは、心が吸い付けられてやまない「記憶」なのだろう。それらは不可逆的に触れないところへと去っていく。映画も、その哀切の念を断ち切るように、突然終わりを迎える。見事。

●参照
ウォン・カーウァイ『恋する惑星』(1994年)
ウォン・カーウァイ『楽園の疵 終極版』(1994/2009年)
ウォン・カーウァイ『グランド・マスター』(2013年)