Sightsong

自縄自縛日記

ポール・オースター『最後の物たちの国で』

2011-09-30 01:27:52 | 北米

ポール・オースター『最後の物たちの国で』(白水社、原著1987年)を読む。昔友人に借りていい加減に読んだものなので、あまり内容を覚えていなかったのだ。ブックオフで105円、良い買い物だった。

この小説はオースター初期の作品であり、『ガラスの街』、『幽霊たち』、『鍵のかかった部屋』という<ニューヨーク三部作>の直後に書かれている。そのためか、とてもシンプルな構成だ。何しろ、最初から最後まで、ある女性の書く手紙による語りだけで成立させている。

兄を追ってある国に入り込んだ女性。そこでは、すべてのものが次々と消えていき、ほどなく人びとは<それがあった>という記憶さえ完全に失くしてしまう。絶望と諦念が支配し、感情を失った者たちによる暴力を回避し、何も考えずただ目の前のことだけを淡々と処理し、生きつないでいくだけの世界。この喪失感たるや読んでいて怖ろしいものがある。

「私としては懸命に努力したのですが、なぜかいつもすべては失われてしまったのです。結局唯一思い出せるのは、自分がいかに懸命に努力したかということだけでした。物たち自体はあまりにも速く過ぎていき、私の目に止まると同時にもう頭のなかから飛び出してしまい、別のものがそれに取って代わるのですが、それらの物もまたたく間に消えてしまうのでした。いまの私に残っているのは、一個のかすみだけです。」

ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』では「虚無」が襲ってくるものの、物語の底流には大きな希望があった。小説世界から文字がひとつずつ無くなっていく筒井康隆『残像に口紅を』は、日常世界=言語世界の喪失を赤裸々に見せつけた作品だったが(何しろ、筒井康隆はワープロのキーボードに順次画鋲を貼り付けていったというのだ)、それは畏怖であり寂しさではなかった。むしろ、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』において、アルバイト先でジョバンニが活字をひとつひとつ拾っていくという茫漠な寂しさ、世界が活字でフィクショナルに出来ていていつでも活字の入った箱をひっくり返すだけで滅びてしまうような危うさ、その世界と共通するような印象を覚えた。

もちろんそれは読み手の勝手な気持ちではあるのだが、実際にこの後も、オースターは「綴られたノート」という物語をアンバランスに積みかさねていくメタフィクション(『オラクル・ナイト』や『Invisible』)を構築していく。さらには、それがひとつの小説のなかだけでなく、オースター自身の他の小説ともチャネルが作られていくことになる。その極致が、主人公のもとに次々にオースターの小説の登場人物たちが訪れるという怪作『Travels in the Scriptorium』だった。この『最後の物たちの国で』では、『ガラスの街』に登場する男・クインのパスポートが出てくるだけで、そのような自己言及はほとんど見られない。シンプルだというのはそのような意味でもある。

喪失感は後悔をも伴って現れる。たまらないな。

「私は思うのですが、人生には、誰も強いられるべきでない決断があります。とにかく精神に対してあまりに大きな重荷を課してしまう選択がこの世にはあると思うのです。どの道を選ぶにせよ、結局絶対に後悔することになるのであり、生きているかぎりずっと後悔しつづけるしかないのです。」

●参照
ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
ポール・オースター『Invisible』(2009年)
ポール・オースター『Travels in the Scriptorium』(2007年)
ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)

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大田昌秀『沖縄の帝王 高等弁務官』

2011-09-28 23:23:09 | 沖縄

大田昌秀『沖縄の帝王 高等弁務官』(朝日文庫、1996年)を読む。

日本敗戦から施政権返還(1972年)までの米軍政下の後半、沖縄に帝王として君臨したのは高等弁務官であった。本書は6代にわたる高等弁務官の施政とその歴史的な位置について、丁寧に追ったものになっている。

琉球列島米国民政府米国防長官の下に置かれ、高等弁務官はそのトップである。米国民政府の下に琉球政府が位置づけられ、従って、琉球政府の行政主席(施政権返還後、知事)の権限はかなり限定されていた。また、歴代高等弁務官の人柄や性格によって政策が変わるような印象が強く、すなわち「法による政治」ではなく「人による政治」と受け取られがちであった。その背景には、米軍において「沖縄人はナイーブで、まったく自治能力がない」とみる風潮があった。実際に、当時、「軍政府は猫であり、沖縄民政府は鼠である」とする「猫と鼠」論があったという。

著者は、米軍政のパターナリズム(俺たちはお前たちの保護者であり、俺たちのお陰で食っている)も、「基地産業論」も、その延長として考えることができるとする。興味深い観点である。

また、本書によれば、米国の戦時中の沖縄研究はかなり進んでいた。沖縄人が日本人から受けた蔑視と差別的処遇を前提として、それを沖縄戦の遂行に際して心理作戦としていかに活用できるか、といった点にまで論久していたというのである。さらには、1945年5月3日の米軍司令のなかには、次のようなものがある。それは日本軍内部と比較などできない(現在に至るまでの米軍の実態については置いておくとしても)。

「軍政要員は、住民にたいし厳正確固たる態度で対処しなければならない。しかし、残酷・無慈悲に振る舞ってみずからを日本軍のレベルに引きおろしてはならない。」

■ムーア(1957-)
軍用地強制接取に関して、土地料の一括払いに住民から猛反対が起きた。ムーアは住民の土地への愛着を理解せず、安易に共産主義と結びつけてしまった。挙句、正当に選出された那覇市長・瀬長亀次郎を追放した。ムーアと地元指導者の間にはもたれ合いがあった。

■ブース(1958-)
土地料の一括払いを全廃。しかしそれは、沖縄側が対共産圏としての基地利用を承認した見返りに、国務省が国防省を制したからであったともいう(高価につきすぎた代償)。また、ドルへの切り替えは、米国資本ではなく、実は日本本土の資本投下が狙いだった可能性があるという。すなわち、岸とアイゼンハワーは沖縄に関しても結託をはじめていた。

■キャラウェイ(1961-)
厳格な政策により「キャラウェイ旋風」を起こした。このときケネディ政権は、沖縄が日本の一部であり、同時に沖縄の米軍基地の重要性についても確認していた。キャラウェイは、琉球政府には責任も能力もなく、権力だけを求める自治などあり得ないとする「自治神話」を論じた。

■ワトソン(1964-)
ベトナム戦争の勃発もあり、沖縄基地の重要性が強調された。このとき、日本政府からはじめて「基地と施政権の分離返還論」が出ている。米国民政府の支配の構図は変わらず、反対されても主席任命が続けられた。

■アンガー(1966-)
日本と沖縄との一体化が進められ、佐藤とジョンソンとの間で施政権返還の協議が行われた。はじめての主席公選が導入され、屋良朝苗が選出された。

■ランパート(1969-)
米軍基地の毒ガス漏れ問題と移送問題、佐藤・ニクソンによる沖縄返還の共同声明、コザ暴動など、あまりにも多くの事件や事故が噴出した。また、「復帰」の中身が住民の希望とあまりにも違うことが露呈してきた。

以上の6人である。歴史として見れば短いようだが、きっと、住民にとってはひたすらに長い期間だったのだろう。

本書「付章」には、日本の敗戦前になされていた沖縄の処遇について整理してあり、これが興味深いものだ。米国にも中国にも、沖縄が日本による他国侵略の足場になったとの認識が共有されていたのだという。そして、1943年のカイロ会談においては、ルーズベルトは蒋介石に対し、沖縄を中国に割譲する意向を示している(蒋介石は、米中共同での占領と国際機関による信託統治による共同管理が望ましいと回答)。丸川哲史『台湾ナショナリズム』により、この蒋介石の回答は当時の中国の一般的な沖縄認識を示したものだと思っていたのだが、事はそう簡単でもなかったようだ。

●参照
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』 

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根本敬『因果鉄道の旅』

2011-09-25 21:30:50 | 思想・文学

根本敬のあまりに下品な絵が嫌いではないこともあり、神保町の古本屋で『因果鉄道の旅』(KKベストセラーズ、1993年)を入手。

気が滅入ったときにちょいちょい読んだが、余計に気が滅入る。真底どうしようもなく下らなく下品で、しかも神がかっている。蛭子能収、奥崎謙三、勝新太郎。「"男の夢"が叶う島」ことM県W島(ググってしまったぞ)。自分なぞまだまだ、生れ変ってもこの域に達することは不可能だ。

ところで、本書は幻冬舎アウトロー文庫版としても出ているが、肝心のイラストがほとんど削られている(何か事情があったのだろう)。読まなくてもいいが、読むならKKベストセラーズ版である。そう言えば、『定本ディープ・コリア』もウンザリしてその辺に放っといている。

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黒木和雄『わが愛北海道』、戦前の道庁製作映画

2011-09-25 19:54:35 | 北海道

明日所用で北海道に行くしなあ、と、気分を盛り上げるために、北海道の広報宣伝映画を2本観る。

『わが愛北海道』(1962年)は、黒木和雄が岩波映画時代に撮った出世作。小樽のニシン御殿、釧路から出る北洋のサンマ漁、泥炭地、石狩川、根室、函館、苫小牧の王子製紙、札幌の大通公園などが次々とあらわれる・・・のだが、並の広報映画ではない。何しろ黒木和雄であり、しかも助監督に東陽一小川紳介(!)。

何だかよくわからない七三分け男が仕事の関係で北海道に赴き、キョウコという長靴作りの仕事をする女性に恋をし、訪れる土地ごとに解説をし、いやそれ以上に心象風景を語るという怪作なのだ。「私は地面を踏みしめて歩く。まるで漁港の女性たちの熱気がどうのこうの」などと意味不明でナルシスティックな独白の羅列、笑うよりも段々と眠くなってしまった。こんな奴が横でぶつぶつ呟いていたら張り倒したくなるだろう。いまとなっては怪作に近いと思えてならない。アラン・レネの影響って何がだ。

それよりも、科学映像館で配信している戦前の北海道関係映画(1936年)のほうが潔く、爽やかに笑うことができる。少なくともナルシスティックではない。ユーモアもある。

なかでも「北海道拓殖実習」は実習生の朝から晩までを描いた小品が面白い。起床・就寝の合図をする和太鼓の映像で挟まれる。起床のときなどは、横に「暁の眠りは破らるる」などと字幕が入るところで吹きだしてしまうし、さらに、実習生皆で、牛の横で「デンマーク体操」なるものを行うのである。映画『めがね』のメルシー体操のようなノリで見ていたら、実は今も立派な体操のメソッドとして存在するものなのだった。

>> 戦前の北海道関係映画(ダイジェスト版)

●黒木和雄
黒木和雄『日本の悪霊』
黒木和雄『原子力戦争』
井上光晴『明日』と黒木和雄『TOMORROW 明日』
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ(黒木和雄)

●岩波映画
瀬川順一『新しい製鉄所』
高村武次『佐久間ダム 総集編』
土本典昭『ある機関助士』
羽仁進『教室の子供たち』、『絵を描く子供たち』

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)
『雪舟』
『廣重』
『小島駅』(徳島本線の駅、8ミリ)
『黎明』、『福島の原子力』(福島原発) 
『原子力発電の夜明け』(東海第一原発)

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鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』

2011-09-25 09:30:54 | 沖縄

鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』(岩波書店、2011年)を読む。法政大学沖縄文化研究所における講座を基にしたものであり、主に沖縄の論客たちによる思想の変遷についての良いガイドブックになっている。これらを少し撫でただけの自分にとっても、次に触れて考えるべき論考の指針になる。表紙は首里の大アカギである。

著者は「沖縄の戦後思想史は、沖縄戦記として現れた、いや現れざるをえなかった」という。その通り、戦後(もし沖縄にそれがあるとすれば)の思想は、沖縄戦の実態の直視からはじまり、そしてそれは、戦争拒否の根源的な力、ヤマトゥや米国という「帝国」の絶えざる捉えなおしへとつながってゆく。

思想史のアウトラインは次のようなものになっている。

■出発期 沖縄タイムス『鉄の暴風』、仲宗根政善『沖縄の悲劇』、大田昌秀・外間守善『沖縄健児隊』
■占領を撃つ 『琉大文学』、阿波根昌鴻(伊江島での闘い)
■復帰の葛藤 中屋幸吉
■日本を問い返す 大城立裕(ヤマトへの距離感)、大田昌秀(本土への不信)
■反復帰の思想 新川明(「異族」の意識)、川満信一(「共和社会」構想)
■根としての沖縄の意識化 『沖縄県史』、岡本恵徳(水平軸の発想)、沖縄タイムス『新沖縄文学』、新崎盛暉(近現代史)、広津和郎・久志富佐子(差別思想の見直し)、東峰夫(ウチナー口)、謝花昇(情況との関わり)
■新しいアイデンティティの構築 比屋根照夫・我部政男・岡本恵徳・仲程昌徳・比嘉実・三木健・高良倉吉・池宮正治(沖縄学の復活)、伊波普猷(指針としての復活)、知念正真『人類館』(演劇界での衝撃)、沖縄タイムス『沖縄大百科事典』(沖縄学の結晶)、米須興文(沖縄とアイルランド)
■習俗への挑戦 金城芳子(女としての"痛覚")、琉球新報(トートーメーの問題化)、福地曠昭(人権問題)
■琉球圏という視野 島尾敏雄・岡本恵徳・儀間進・高良勉(ヤポネシア・琉球弧)、高良倉吉(琉球王国論)、琉球新報(移民)
■あらたな「調教」 江口圭一・家永三郎・金城重明(「集団自決」)、知花昌一・ノーマ・フィールド(踏み絵としての「日の丸」「君が代」)、新川明・川満信一・目取真俊(天皇制)
■「自立」をめざして  新崎盛暉・川満信一・比嘉良彦・原田誠治(自立の課題化)、安里清信・山内徳信(住民の「根」)、琉球銀行・松島泰勝(経済的な自立)
■沖縄戦の反芻 新崎盛暉・大田昌秀・高里鈴代(95年事件)、沖縄女性史を考える会・各市町村・大田昌秀(戦争記録)
■沖縄戦認識への逆風 沖縄平和祈念資料館(隠蔽)、高良倉吉・大城常夫・真栄城守定(沖縄戦の排斥と本土への求愛)、大江健三郎・岩波書店・宮城晴美(「集団自決」裁判)
■沖縄戦の思想化 屋嘉比収
■米軍基地の現実と復帰への問い 大田昌秀(知事として)、新崎盛暉(反戦地主、『けーし風』)、目取真俊、新城郁夫

こうして見ると、沖縄が沖縄であったために豊かな思想を進化させてきたのだという印象を持たざるを得ない。著者は、芸能や美術・映像の分野、教育関係、沖縄島以外の島々の思想に踏み込めなかったと述べているが、それは講座の制約上やむを得ないことだっただろう(2回の講演)。とは言え、私としては、「沖縄と中国」についての示唆も欲しかったところである。 

ここで紹介されている論客たちのうち、特に、同時代の人として、まだ触れていない新城郁夫の著作に興味がある。いずれ読んでみようと思う。

「「回収」という言葉に新城さんは、「安易な括り」が横行することへの怒りを突き出します。括られることによって、対象化へと押しつけられ、一方的に他者に規定される存在となりおわることを、「知の植民地主義」とし、それゆえに「回収」されない沖縄への希望を込めて、知の"攪乱者"であろうとしています。」

●参照
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」
大城立裕『沖縄 「風土とこころ」への旅』
川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』
岡本恵徳批評集『「沖縄」に生きる思想』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
新崎盛暉『沖縄からの問い』
新崎盛暉氏の講演
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
伊波普猷『古琉球』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
大隈講堂での『人類館』
森口カフェ 沖縄の十八歳(『人類館』)
大江健三郎『沖縄ノート』
沖縄「集団自決」問題(記事多数)
『けーし風』(記事多数)

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『タリバンに売られた娘』

2011-09-24 10:37:19 | 中東・アフリカ

NHKの「BS世界のドキュメンタリー」枠で放送されたドキュメンタリー、『タリバンに売られた娘』(2010年)を観る。

原題は『I Was Worth 50 Sheep』、つまり、娘は10歳かそこらで50頭の羊と交換されたりする(※sheepは単複同形。仮に野球チームができても、広島カープと同様に江戸川シープなどとなる)。勿論羊だけではない。このドキュでは、土地やオカネ(例えば、5万アフガニ=10万円)などと交換されてきた実態が紹介される。ある女性が自虐的に言う「女性は犬以下、男性の所有物」を示すように。

ここに登場する女性サベレは、やはり売り渡された先で夫・ゴルムハンマドの暴力に耐えかねて脱出、支援組織の「女性シェルター」で生活している。そこに、妹ファルザネ、母とその再婚相手がサベレを引き取りに現れる。ゴルムハンマドに知られたら殺されてしまうため、誰にも住所を教えないという約束で引っ越し、その一方で、離婚を実現させるため訴訟する。凶悪犯でもあり警察が行方を追っているゴルムハンマドは法廷に現れない。義父は彼を騙して警察に逮捕させる。

それから1年、ファルザネは羊と引き換えにタリバンの男に引き渡され、行方が知れない。サベレの離婚協議は続く。

「女性シェルター」のスタッフが、またタリバン政権に戻るようなことがあったら・・・と恐怖を口にする。女性の扱いがタリバンの意図により酷くなった実状はよくわかる。しかし、すべての原因がタリバンにあるようにつくるドキュメンタリー作りには、違和感を覚える。

●参照 アフガニスタン
『タリバンに売られた娘』番組サイト
セディク・バルマク『アフガン零年/OSAMA』
モフセン・マフマルバフ『カンダハール』
モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』
中東の今と日本 私たちに何ができるか(2010/11/23)
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
『復興資金はどこに消えた』 アフガンの闇
イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』
ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』(アフガンロケ)

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ジュリアン・バーンズ『Pulse』

2011-09-23 12:54:27 | ヨーロッパ

ジュリアン・バーンズの短編集『Pulse』(2011年)を読む。この小説家の作品を読むのは『10 1/2章で書かれた世界の歴史』(白水社、原著1989年)以来だ。それも短編集(10 1/2章)であって、奇天烈なホラ話に妙に感動した記憶がある。しかし、本書は随分雰囲気が異なり、いかにも英国の、小声の笑いや皮肉を効かせた小話が集められている。

心にすり傷を残すような小説はいくつもあった。

「East Wind」は、離婚してロンドンに来た男がウェイトレスと恋仲になる話。相手の素性がまったくわからず、男は彼女の部屋を無断で物色する。そこには水泳大会で表彰を受ける彼女の写真があった。鎌を掛けるつもりで「スイマーだからね」と言ったところ、彼女は姿を消す。ググってみたところ、ドイツ語の記事があった。東ドイツ時代、ドーピングでの強化をしていた咎で罰せられた過去があったのだ。

「Gardener's World」は、ミニマルな園芸生活が趣味の若い夫婦の話。何だか落とし穴に落ちて鬱々としてしまうようだ。

「Marriage Lines」は、小さな飛行機しか飛ばない英国沖の小島に通う夫婦の話。彼らは微妙に排他的で、微妙に独善的で、しかしその世界しか受け入れることができない(「Gardener's ・・・」と同じだね)。やがて大きなジェットが飛ぶようになる。もうこの島に来ることはないだろう。そんな喪失の寂しさがある。(ところで、飛行機から見る雲の形を表現するのに「brainscape」という言葉を使っていて膝を打った。今度から飛行機に乗るたびに脳味噌を思い出すに違いない。)

「Harmony」は、原因不明の視力喪失の女の子を、磁力を使って治癒しようとする18世紀の話。おそらくは精神的な原因であり、奇跡的に見え始めるものの、それまで天才的であったピアノの演奏が鍵盤を見ることによってうまくいかなくなってしまう。父親は激怒、母親は娘がいかさま師にたぶらかされているという噂にヒステリックになり、娘の治療をやめさせる。娘は音楽家として大成、盲目のまま一生を過ごす。

「Pulse」は結婚の話。自分は相手と性格が合わず、離婚に至る。両親の仲は、大昔からそうであったように自然に睦まじい。ある時、父親が「妻の匂いがわからなくなった」と訴える。それだけでなく、強烈なもの以外の嗅覚がなくなってしまい、靴を磨いていても実感がない。夫に自身はじめての針治療を行う妻だが、その妻が脳疾患が原因で倒れ、死に向かってゆく。男は、自然に隣にいる父親と、離婚した自分とを見つめる。

「At Phil & Joanna's」という、ハチャメチャな会話シリーズもある。誰と寝たか忘れただとか、マーマレードとナショナリズムの関係だとか、アホな地球温暖化懐疑論だとか、話があちこちに飛びまくる。

と書くと面白かったようだが、実はさほど愉しめなかった。何だか陰鬱で、こそこそ笑っていて、秘かに抒情的であったりもして、気分は雨続きのロンドンなのだ。(別にロンドンが嫌いなわけではないのだけど。)

思い出した。去年、仕事相手の英国人とフランスを移動していて、どこかの店のカウンター越しに野獣のように怒鳴り合っているフランス人たちがいた。それを観察して彼が言った。

「フランスではよくああいう光景を見るんだけど、英国ではありえないんだよね。」
「じゃあ英国人は怒ったときどうするの。」
静かに苛々している(爆笑)。」

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東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』

2011-09-23 09:25:44 | 環境・自然

科学映像館では、福島原発の宣伝映画『黎明』『福島の原子力』に加え、東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』(森田実、1966年)を配信している。

>> 『原子力発電の夜明け』

東海第一原発は、商用発電を行う日本初の原発として、日本原子力発電(原電)が建設したものであり、1965年11月に発電に成功している。1998年には営業運転を停止、現在は廃炉が進められている(原子炉解体は2014年開始予定。原発の廃炉はとにかく時間がかかる)。今後続々と出てくるはずの廃炉第一号でもある。

なお、与謝野馨(みんなの党)は中曽根康弘の口利きにより1963年に原電に入社しており、この時期と重なっている。彼は福島原発事故の直後、自分たちの進めてきた原子力政策は間違っていなかったと早々に発言している。歴史に立ち会った者としての矜持こそあれ、歴史を真っ当に振り返ることができるほどのビジョンは持ち合わせていない政治家だと言わざるを得ない。

映画は、「原子力の平和利用」、科学の力、永遠に続くかのような経済成長を信じることによって成り立っている。1953年のアイゼンハワー演説から始まったこの「平和利用」神話は、1954年の第五福竜丸事故や原水禁運動の盛り上がりにも関わらず、奇妙なことに、まるでそれとは無関係に、まるでアンチテーゼであるかのように、受容された。

茨城県東海村で日本初の研究炉として初めて臨界に達したのは1957年、日本原子力研究所(原研)が米国から導入したものであった。しかし、東海第一原発は米国製ではなく英国が開発したコールダーホール型と呼ばれる炉であった。これに続いて、福島第一原発、美浜原発と米国製の時代が来ることになる。日本ではコールダーホール型はこの一基が建設されただけに終わった。映画ではその建設映像を次々に紹介しており、歴史上の特異点としても、また「平和利用」神話受容の一コマとしても、非常に貴重なものだ。

英国コールダーホール型は現在主流の軽水炉とはタイプが全く異なる。減速材(中性子の速度を落とす)は軽水(普通の水)ではなく黒鉛。形式は違うがチェルノブイリ原発も黒鉛を用いていた。また冷却材は軽水でなく炭酸ガス。出力の割に炉心が大型、高コストであるなど軽水炉に比べて欠点が多い。NHK・ETV特集『シリーズ原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論』(2011/9/18)によると、地震の少ない英国にあって黒鉛の塊は積み上げてあるだけで、導入前には耐震構造を高めるための工夫がなされた。この映画でも、黒鉛の部品ひとつひとつを断面が六角形の柱とし、相互に噛みあうような形となったことが紹介されている。

なぜ東海村に、米国製でなく英国製の原発が導入されたのか。有馬哲夫『原発・正力・CIA』(新潮選書、2008年)によると―――

政界での権力欲とメディアビジネスのため、正力松太郎は、CIAとのコネクションを強化していた。原研の敷地候補として、群馬県高崎(中曽根康弘の地元)や神奈川県武山(社会党・志村茂治の地元)が候補地として挙げられたが、原子力委員長である正力の一声によって東海村に決まってしまった。理由はいろいろあって、そのひとつは、原研だけでなくできるだけ早く原発を建設したいという意向があり、広い敷地を持つ東海村がよかったからであった。

最初の原発建設にあたって、英国のアプローチに対して、CIAは決定を5年先送りするよう正力に求めた。早く業績をあげたい正力には呑めない条件であった。豹変した正力は、パートナーを米国から英国に換える決断をし、「読売新聞」を使って米国攻撃も繰り広げている(怖ろしいことに、CIAはそれらの記事を書いた記者名まで突き止めている)。コールダーホール型が本当に良いものかどうかの検討をしている時間はなかったのである。

しかし、ここまでのなりふり構わぬ行動にも関わらず、正力は政界での大成功を得ることはなかった。その代わりに正力が得た地位は、カラーテレビ王であった。

英国製導入の副産物は、原子力の賠償方法であった。英国側は突然「免責条項」、つまり事故があっても責任を取らないという内容を協定に入れるよう申し入れてきた。河野一郎(河野洋平の父、河野太郎の祖父)と対立し、原子力事業を民間主体にしたのは正力である。しかし、何か大事故があったときには民間企業は巨額の賠償責任を負うことができない。この矛盾は、「原子力損害賠償法」(1961年)という形に落ち着いた。すなわち、事業者に義務付けられたのは最高50億円までの賠償責任までであり、それ以上は実質的に国が補償する。この二重構造が福島原発事故でも問題になっているわけである。 

●参照(原子力)
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)
『雪舟』
『廣重』
『小島駅』(徳島本線の駅、8ミリ)
『黎明』、『福島の原子力』(福島原子力) 

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ヤン・シュヴァンクマイエル『サヴァイヴィングライフ』

2011-09-20 00:24:49 | ヨーロッパ

イメージフォーラムで、ヤン・シュヴァンクマイエル『サヴァイヴィングライフ』(2010年)を観る。

シュヴァンクマイエルの映画を観るのは、『悦楽共犯者』(1996年)以来だ。それは、「ここまではしないだろう」というボーダーをばりばり乗り越えた映画であった。それから14年、随分丸くなったのだなという印象が強い。アニメ技術はもはや突飛なものではなく、話もわかりやすすぎて、やや肩透かしされた気分である。

勿論、シュヴァンクマイエルによる夢の話、ラブ・サスペンスとあっては、面白くないわけがない。ほとんど埋まった客席から笑い声が聞こえてこなかったのはなぜだろう。イマージュと想像力の飛翔に引いてしまったのか、それとも自分と同様に肩透かしを覚えていたためか。

いまさらフロイトユングでもないだろうと思うが、やはりこのふたりの精神分析の巨人ネタは愉快だ。主人公が診察を受ける女医の診察室の壁には、彼らふたりの肖像写真が飾られている。診察のなかで、エディプス・コンプレックスや超自我の話が出れば額の中のフロイトが喜び、アニマや元型の話が出れば額の中のユングが喜ぶ。そして旗色が悪いと額から手や足を出し、相手を攻撃するのだ。これがわかりにくかったのか?

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イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』

2011-09-19 23:50:58 | 中東・アフリカ

渋谷のHERZに鞄の修繕を出したついでに、イメージフォーラムでイエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』(2010年)を観る。

アフガニスタンで米兵を殺した男ムハンマドは、捕えられ、拷問を受ける。しかし、東欧での搬送の途中にその車が事故に遭い、ムハンマドは走って逃げだす。そこから先は、蟻や樹皮を喰い、授乳中の女性の乳を吸い、猟犬や人を殺し、ただひたすらに雪の中を逃げる。本人のセリフはない。それだけの映画である。

観終わった直後、あまりの唐突さとドラマツルギーのなさに期待外れだったと思った。しかし、映画館を出て歩くうちに、もう既に、そのインパクトが身体の中で反響している。

生木を裂いたような生きた棘を提示する、「手法の映画」かも知れない。それでも、これは傑作かも知れない。敢えて言えば、この2倍の長さでもよかった。

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福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』

2011-09-19 09:05:08 | 環境・自然

昨夜(2011/9/18)、NHKでETV特集として放送された『シリーズ原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論』(>> リンク)を観た。もともと期待などしていなかったのではあるが、発見はいくつかあった。しかし、やはり、原子力の安全対策が置き去りにされて事業化ばかりが進んだ原因を「過去の国策」と「雰囲気」に押し込めてしまっている印象が強い。まるで「仕方がなかったのだ」と言わんばかりであり、ましてや、その一端を担ったメディア自身としての反省など欠片も見られない。所詮はこんなものである。

この番組の中で紹介された福島原発の宣伝映画が、科学映像館により配信されている。現在のオブラート(免罪符的なNHKの番組)はタチが悪く、当時のオブラート(これらの宣伝映画)は今となっては製作企図が見えてくるという大きな違いがある。とても貴重な映像記録であり、現在の批判的な視線で観られるべき作品である。

■ 『黎明』(企画:東京電力、1967年) >> リンク

1971年3月に運転開始した(私と同じ!)福島第一原子力発電所の建設準備について描いている。

ここで注目すべきは、確かに、30m超の断崖が紹介され、さらに、そこから10m以上も掘り下げられて原発建設の地盤となされたことも紹介されている点である。これを当時不可解に感じた者がどれだけいたのだろう。上記NHKのドキュが、その解を示していた。

軽水炉建設にあたって国からの補助が軽減され、経済性を追求せんがため、電力会社は「ターン・キー方式」に注目した。メーカーが運転開始(ターン・キー)まで全てのリスクとコストを追う方式であり、このパッケージであれば安価となった。福島原発の設備を製造したGE社もその方式を提示し、契約した。しかしその設計では、30mの高台まで冷却水を持ちあげることができない。ポンプを取り変えることはパッケージでなくなることを意味し、非常に多額の追加額を必要としたのだ、という。

この映画では、地盤や潮流などについて「徹底的」「丹念」な調査が四季を通じて行われたことがアピールされ、地震や津波は過去に見られないことはさらりとしか触れられていない。東海の原発が通常運転に苦労しただけに、「いつもの自然条件」への対応が最大のポイントであったのだろう。しかし、原子力技術と自然の怖さを軽視し過ぎていたのである。

また、農業や漁業の盛んな土地であることにも触れられている。長いホースの両端を持って農薬を散布する光景(イヤな記憶!)が農業を紹介する映像になっているのは現在との大きな違いだ。それはともかく、原発導入の結果、農業・漁業をはじめとする地域社会が無残にも破壊されたことは、意図せずして映画の皮肉的な側面になっている。(たとえば、黒木和雄『原子力戦争』を観るとよい。)

■ 『福島の原子力』(企画:東京電力、1985年) >> リンク

すでに福島第二原子力発電所の運転が開始した後(一号機:1982年)の記録である。ここでは、如何に安全な設計がなされ、また安全な従業員の労務管理がなされているかを示すことに重点が置かれている。

今となっては、核燃料のエネルギーの大きさを示す一方で、圧力容器や格納容器、その周りのコンクリートの厚さを子どもの手を使ってアピールすることは矛盾に他ならないことが見えてくる。

高レベル核廃棄物が処理によって減容され、中間貯蔵されることが示されるが、その後の処理(核サイクル、最終処分)については触れられることはない。また、労務者の衣服など低レベル核廃棄物が如何に除染され、その排水などの出口対策がしっかりなされているかについても示されるが、労務者の格差構造については、当然ながら、示されることはない。

●参照(原子力)
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)
『雪舟』
『廣重』
『小島駅』(徳島本線の駅、8ミリ)

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スリランカの映像(8) レスター・ジェームス・ピーリス『ジャングルの村』

2011-09-18 19:02:20 | 南アジア

スリランカのシンハラ映画においてはレスター・ジェームス・ピーリスが最も高名である。しかし、これまで限られた映画祭などでしか観る機会がなく、1本も観ることができないでいた。Youtubeでもごくわずかのフッテージだけしか配信していない状況だったのだが、最近、映画全編がアップされていた。そのひとつが『ジャングルの村』(Baddegama - Village in the Jungle)(1980年)である。


佐藤忠男『映画で世界を愛せるか』(岩波新書)より


杉本良男編『もっと知りたいスリランカ』(弘文堂)より

スリランカ南部のジャングルに位置する村。ジャングルで狩猟をして暮らしてきた男、その妹、ふたりの娘。彼の亡くなった妻は村長の妹であり、男の子を産まないがために虐待したと村長には恨まれている。その村長と一緒に暮らす甥が、男の娘に恋をして結婚する。もうひとりの娘は、近くの邪悪な老人の求婚を拒み、そのために老人により悪魔憑きとのデマを流され、その挙句、殺されてしまう。ある日金持ちの男が越してきて、村長と結託し、男の土地も娘も奪おうとする。裁判にも負けた男は銃を手に、村長と金持ちのもとに向かう。

ジャングルの自然、登場人物たちの人間くささ、精霊信仰と悪魔の仮面、都市と農村の格差などが描かれていて、熟練さえも感じさせる。やはりピーリスは匠であることを確認できた。

ところで、金持ちの男はフェルナンドという。ポルトガル統治時代から続いてきた混血の名残であるといい、その彼がオカネと都市を体現しているように描写されているのは面白い(ジャケットに下はサロン、髪をなでつけており、いかにも、である)。彼は男たちを騙そうとして、「コロンボは美しい街だった。蛇も、象も、虎も、熊もいない。道路にはヨーロッパの女性がいる。」などと嘯くのである。

映画の冒頭と後半の裁判のシーンには、裁判官として、故アーサー・C・クラークが登場する。コロンボ7に住み、スリランカでは知らぬ者のないほどの存在であったが、鬼籍に入ってしばらく経った今、どうなっているだろう。

ピーリスのシンハラ映画史における功績は、『運命の糸』(1956年)において、撮影をスタジオから屋外(しかも村)に追い出し、大袈裟な演技を排し、素人の村人も登場させるといった自然主義リアリズムを導入したことにあるという。そしてこの『ジャングルの村』は、1982年に日本でも公開されている(杉本良男編『もっと知りたいスリランカ』)。もう92歳だが、2007年にも新作を撮っているらしい。

>> レスター・ジェームス・ピーリス『ジャングルの村』

●参照
スリランカの映像(1) スリランカの自爆テロ
スリランカの映像(2) リゾートの島へ
スリランカの映像(3) テレビ番組いくつか
スリランカの映像(4) 木下恵介『スリランカの愛と別れ』
スリランカの映像(5) プラサンナ・ヴィターナゲー『満月の日の死』
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』
スリランカの映像(7) 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』、『シーギリヤのカッサパ』

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アラン・レネ『去年マリエンバートで』、『夜と霧』

2011-09-18 13:24:27 | ヨーロッパ

アラン・レネ『去年マリエンバートで』(1961年)を観る。有名な作品ながら初見である。

ヨーロッパの古いホテル。感情を可能な限り押し殺した人びと。囁きと舐めるようなカメラとによって、過去の記憶と現在の挙動が交錯する。確かにメソドロジーで言えば明快なのかもしれない。少なくとも、今や公開当時とは違って、難解だと騒ぐほどの映画でもない。(要はあまり好みではないのです。ああ!マルグリッド・デュラス『インディア・ソング』を思い出した)

併せて、もっと前にレネが撮った短編ドキュメンタリー『夜と霧』(1955年)を観る。学生時代に、荻窪だったかどこだったか、中央線沿線の小屋のような「シネマシオン」で観て以来だ。言うまでもなく、ナチスのホロコーストについての映画である。

改めて『去年・・・』と続けて観ると、感情を押し隠して舐めるように撮るカメラ、やはり能う限り静かに語ろうとする声、過去と現在との往還など、全く異なる映画のようでいて実は共通する側面があることに気付く。戦争は終わっていない、近くの叫び声に耳を傾けようとしないだけだ、との最後のメッセージが作品の価値を高めている。良いドキュメンタリーだ。

●参照
『縞模様のパジャマの少年』
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ

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2011年9月、デカン高原北部のユーカリとかレンガ工場とか

2011-09-18 08:46:30 | 南アジア

故あってヴァーラーナシー(ベナレス)から車で片道5-6時間の移動をした(というか、それが目的でヴァーラーナシーに立ち寄ったのだが)。デカン高原北部ウッタル・プラデーシュ州の南東部である。

6年前に来たときには、道の真ん中にクレーターのような大穴があると驚いたものだが、状況はさほど変わってはいない。悪路また悪路、人と犬と牛、そして途中に大きなセメント工場があるためにトラックが行列をなしてゆっくり進んでいる。居眠りをすると頭を打ち付けてしまう。従って、いかに悪路でないところでスピードを出し、どれだけのトラックを追い越すかによって、移動の速さが決まってくる。発展にインフラ整備が追いついていない印象が強い。勿論、大都市の域内だけでなく道路がきっちり整備されているところはあって、去年はデカン高原南部を7時間以上移動しても苦にならなかった。

ガンガーに架けられた大きな橋を渡り、ごみごみしたエリアを脱出してしばらくすると、いろいろな風景が現れる。広い水田の中に赤や橙の鮮やかなサリー姿の女性がいる。ユーカリばかりの地域。レンガ工場が林立する地域では、ツチノコが立ちあがったようなずんぐりした煙突がそこかしこに見える。山道からの眺望。

去年デカン高原南部で見た風景は、巨大な岩が積み上がった奇怪な山々やひまわり畑だった。やはりこれだけ広いと、どこを見て語っても「群盲象を評す」を体現する結果になってしまう。これもインド発祥の言葉であるらしい。


デカン高原北部のユーカリと小屋と牛 Pentax LX、AM TOPCOR 55mmF1.7、FUJI PRO 400

道路のあちこちには、当然、食べ物の屋台や小屋がある。

オリッサ州。同行者がサモサを食おうと言って停まったところにはサモサはなく、バラという名前の豆や芋の揚げ物をつまんだ。別の場所には、やたらと甘い菓子のセナガチャというものがあった。


バラ (コンデジで撮影)


セナガチャ (コンデジで撮影)

この時期はちょうどムンバイでガネーシャ祭をやっていたばかりで、その影響が北部や東部にもあるのか、あちこちで大きなガネーシャを担ぎだし、スピーカーから大音量の音楽を流し、夜になろうというのに大勢が騒いでいた。

>> オリッサ州、車窓から(動画) 

参照
2011年9月、ヴァーラーナシーの雑踏
2011年9月、ヴァーラーナシー、ガンガーと狭い路地
2011年9月、ベンガル湾とプリーのガネーシャ
2011年9月、コナーラクのスーリヤ寺院
2011年9月、ブバネーシュワル
2010年10月、デカン高原
2010年10月、バンガロール
ジャマー・マスジッドの子ども
2010年10月、デリー
2010年9月、ムンバイ、デリー
2010年9月、アフマダーバード
PENTAX FA 50mm/f1.4でジャムシェドプール、デリー、バンコク
荒松雄『インドとまじわる』

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2011年9月、ヴァーラーナシーの雑踏

2011-09-17 22:27:25 | 南アジア

ヴァーラーナシーの雑踏でスナップ。奇妙な建築物が多く愉しい。


四方山話


柘榴と林檎とバナナ


ムスリム女性


出窓とバルコニー


奇妙建築


トランプ遊び


雑踏


奇妙なコンプレックス


奇妙な塔


衣服屋


衣服屋


風車屋


バナナ屋


うがいをする男


何の神か?


女性たち

※すべてペンタックスLX、AM TOPCOR 55mmF1.7、FUJI PRO 400で撮影

●参照
荒松雄『インドとまじわる』
2011年9月、ヴァーラーナシー、ガンガーと狭い路地
2011年9月、ベンガル湾とプリーのガネーシャ
2011年9月、コナーラクのスーリヤ寺院
2011年9月、ブバネーシュワル
2010年10月、デカン高原
2010年10月、バンガロール
ジャマー・マスジッドの子ども
2010年10月、デリー
2010年9月、ムンバイ、デリー
2010年9月、アフマダーバード
PENTAX FA 50mm/f1.4でジャムシェドプール、デリー、バンコク

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