Sightsong

自縄自縛日記

アレホ・カルペンティエル『バロック協奏曲』

2013-09-29 19:23:34 | 中南米

アレホ・カルペンティエル『バロック協奏曲』(サンリオSF文庫、原著1974年)を読む。

メキシコの鉱山主が、ヨーロッパへの旅行を行う。途中のキューバで召使が死に、そこで気にいった黒人の若者を新たな召使にしながら。

しかし、粋で華やかなメキシコに比べ、スペインはぱっとしないところだった。主は早々にスペインに見切りをつけ、ヴェネチアへと移動する。そこで繰り広げられる饗宴、狂宴。主はアステカ滅亡時の王・モクテスマの格好をするが、その小道具は、征服者コルテスやモクテスマ王の物語をネタとしたオペラに使われてしまう。

音楽は、ヴィヴァルディからストラヴィンスキーまで時代を猛烈に進めてゆく。召使は、その中で、独自のリズムを繰り出して音楽の場を支配、「ジャム・セッション」などと呟く。そして、召使は、それらの音楽を根底から覆すようなルイ・アームストロングの出現を目撃するのだった。

時間を操り、体液とともに噴出してくる人間という怪物のエネルギーには、くらくらと眩暈を感じてしまう。短いながらも濃密極まる巨匠の世界に、やはり呑まれてしまうのだ。

もう1篇の「選ばれた人々」は、ノアのみならず、さまざまな世界においてそれぞれの神を戴く者たちが、巨大な船に多くの動物を載せ、同じ場所に漂着するという物語。このブラックユーモアは、デリダのいう宗教の「秘儀」を茶化しているようである。

近々、この『バロック協奏曲』が水声社から復刊されるようだが、改訳がなされるようなら、また手にとってみようと思う。

●参照
アレホ・カルペンティエル『時との戦い』(1956年)
ミゲル・リティンが戒厳令下チリに持ち込んだアレホ・カルペンティエル『失われた足跡』(1953年)


仲里効『悲しき亜言語帯』

2013-09-29 00:06:46 | 沖縄

仲里効『悲しき亜言語帯 沖縄・交差する植民地主義』(未来社、2012年)を読む。

沖縄口、ウチナーグチ。この言語は、国家の国家としての欲望によって、抑圧され、変貌させられてきた。

一方向の権力によってのみではない。著者が示すように、1903年の「人類館事件」をもとにした知念正真の戯曲『人類館』において戯画的に描かれた、沖縄内での権力転換。また、戦後の沖縄教育界における、過剰なまでの「方言」蔑視と「共通語」獲得に向けた圧力。すなわち、滅ぼす者と滅ぼされる者が存在するといった単純な図式ではなく、その関係の中には生政治が創出され、擬制という形があった。

本書が沖縄文学をもとに説いてみせるのは、そのような言語間の関係、さらには闘争のなかで、自ら表現し、発語する言語を創りだしていこうとした模索の姿である。また、祖国を追われ、在日コリアンとしての詩を記してきた金時鐘の存在も、そこに重ね合わせている。

山之口貘、川満信一、中里友豪、高良勉、目取真俊、東峰夫らの文学活動についてもそれぞれ興味深いが、なかでも面白く読んだのは、崎山多美の作品世界についての分析だった。

日本語とウチナーグチとの狭間、また沖縄内でも本島と先島との狭間、そのような領域において、崎山多美は「違和感、屈辱感、しらじらしさ、ぎこちなさ、空虚さ」を覚え、そこでの揺らぎの中で「声」を出し聴くという脅迫感に近いイメージを言語化する。著者は、そのことを、「所属を決定されることを拒まれ、意味に還元されない、それそのものの力を生きる<声>のマチエール」だとする。崎山多美の作品を読んで覚える、内奥から衝き動かされるような感覚のことを表現してもらったようだ。

●参照
仲里効『フォトネシア』
仲里効『オキナワ、イメージの縁』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
山之口貘のドキュメンタリー
山之口獏の石碑
川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』
川満信一『カオスの貌』
高良勉『魂振り』
崎山多美『ムイアニ由来記』、『コトバの生まれる場所』
崎山多美『月や、あらん』
大隈講堂での『人類館』
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


『あまちゃん』完結、少し違和感

2013-09-28 09:09:38 | 東北・中部

今朝、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』が完結した。

もちろん待ち切れず、7時半からの早い回を観た。テレビドラマがあまり好きでない自分が、毎朝こんなに熱心に観てしまうなんて、小学生のときの『おしん』以来ではなかろうか(たぶん)。出張中も録画していた。

80年代のアイドル全盛期を通過した者に刺さった要因は、小泉今日子や薬師丸ひろ子が、半身をその幻想界に置きつつ、こちらに開かれた世界としてドラマを展開してくれたことだろうね、などと思ってみる。開かれ方はそれだけでなく、突っ込み所満載。過ぎ去った後のテレビは、「こちら側」の記憶なのである。

一方、ぬぐい去ることができない違和感があった。

ひとつは震災の描き方。ドラマには、放射性物質の飛散を恐れる人も、津波で亡くなる人も登場しない。むしろ、それらを徹底して回避していたと言うことができる。そのことの賛否は分かれるかもしれないが、それでは、ドラマ終盤になって、さまざまな週刊誌が「あの人が死ぬ」といった話題で盛り上げていたのは何だったのか。ただの野次馬記事ではないだろう。(※)

もうひとつは、田舎に対する美しすぎる幻想。アキちゃんやユイちゃんの地元では、皆がおのおのの存在を認めつつ、親密なコミュニティを形成している。しかし、自分はどうしても、その集団から排除される者のことを考えてしまう。村八分にされた揚句の悲惨な事件のことを、このドラマと考え合わせてみた人はどれほどいるだろう。

(※) その後、ドラマの舞台になった場所では死者・行方不明者が比較的少なく、ドラマにおいて死者が出るほうがむしろ違和感があるとの指摘をいただいた。確かに、その通りであり、穿ちすぎて乱暴な議論をしてしまったようである。しかし、死の影があまりにも希薄という点は否定できない。
ここではむしろ、津波被害の展開に関するメディアの言説をこそ問題とすべきかもしれない。


細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』

2013-09-24 23:30:32 | 韓国・朝鮮

細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』(岩波書店、2011年)を読む。

詩人・金時鐘は、日本占領下の朝鮮半島で生まれ、済州島で皇国少年として育った。日本語しか話せなかった。ところが1945年8月15日、突然の敗戦と、人ごとのような解放を迎える。以来、「壁に爪を立てるように」朝鮮語を学び、済州島蜂起に参加。1948年の「四・三事件」により、虐殺をまぬがれ、日本に密航。

詩を書くことは、おそらくは氏の生存証明であるとともに、受苦のプロセスでもあった。なぜならば、突然ことばを奪われ、自己のことばをゼロから覚えている矢先に、暴力的に祖国を追われ、かつての支配者の国で、支配者のことばをもって、自己をふたたび築き上げなければならなかったからだ。そして、総連という組織に同調しなかったがために、その国において、同胞からさえことばを封じられてきた、詩人。

本書は、金時鐘という詩人が、そのような苛烈な生のなかでこそ、観念と抽象による詩が到達しえない領域として、唯一無二のことばを生みだしていったのだということを示している。ここにいたり、自在に操り、微妙なニュアンスを使い分けることができる母語とは何だろうか、と疑問に思わざるを得ない。金時鐘のことばは、そことは対極に位置するのである。

ここに、ドゥルーズ/ガタリによる「マイナー文学」の指標が引用されている。すなわち、「脱領域化された言語」、「すべてが政治的であること」、「すべてが集団的価値を持つこと」。まさに「マイナー文学」であり、同時に普遍性を持つ金時鐘の詩だという本書の指摘には、納得させられるものがある。

最近のコリアンタウンにおけるレイシストたちの愚かな攻撃と、それに対抗するものとしての反差別の運動。もちろん後者を否定するものではない。だが、根源的に、われわれは何をまもり、何を欲望しているのかという点において、あやうく、逆方向の同調圧力がありうることは否定できないのではないか。金時鐘のいのちを賭けた生存証明の姿を垣間見るとき、そのことを感じてしまう。

「・・・自分は差別と無縁だと思っている「日本人」によって「在日朝鮮人」にたいしてしばしば発せられてきた、「日本人か朝鮮人かというまえに同じ人間ではないか」という語り方は、実際は自明のごとく「日本人」への「同化」を迫るものでしかなかった。」

●参照
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
文京洙『済州島四・三事件』
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『新編「在日」の思想』
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(鶴橋のコリアンタウン形成史)
鶴橋でホルモン 
野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
『けーし風』沖縄戦教育特集(金東柱による済州島のルポ)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」(李静和は済州島出身)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(練塀のルーツは済州島にある)
梁石日『魂の流れゆく果て』


『男たちの挽歌』3部作

2013-09-24 00:09:39 | 香港

何をいまさら、『男たちの挽歌』の3部作をまとめて観る。シリーズの原題は『英雄本色/A Better Tomorrow』。邦題は同じでも、4作目からは全く無関係の作品のようである。

■ ジョン・ウー『男たちの挽歌』(1986年)

偽札作りの組織に属するマーク(チョウ・ユンファ)とホー(ティ・ロン)。ホーの弟キット(レスリー・チャン)が刑事になったのを機に、ホーは足を洗おうとする。しかしそれは思うようにいかず、キットは出世できない。そして、組織の後輩の裏切りにより、マークは命を落とし、ホーは敢えてキットに逮捕される。

■ ジョン・ウー『男たちの挽歌 II』(1987年)

服役するホーは、警察から偽札作りの組織摘発に協力するよう要求され、弟のためにと一肌脱ぐ。ホーの前に現れたのは、マークの双子の兄弟ケン。またも裏切りに次ぐ裏切りに、脈絡のなさすぎる物語。今度はキットが命を落とす。

出鱈目な話も、続編にありがちな緊張感のなさも置いておくとしても、とにかくカッコいい場面ばかりを詰め込んだアクションは凄まじい。端正な音楽を混ぜてのコントラストは、さすがのジョン・ウーの個性。前作を上回る傑作。

■ ツイ・ハーク『アゲイン/明日への誓い 男たちの挽歌 III』(1989年)

前2作は製作を担当していたツイ・ハークが、本作では監督。第1作の前、1974年の陥落直前のサイゴンが舞台であり、マークがまた登場する。相方はレオン・カーフェイ、敵役が時任三郎。もう何がなんだかわからず、無理やり感動のクライマックスを押し付けられる。

ところで、サイゴンから香港に脱出する薬屋のお爺さん役、ぜったいにあいつだろうと思っていたが、やはりそうだった。『燃えよドラゴン』において、最後に熊の爪なんかを使ってブルース・リーと闘い、挙句の果てに鏡の間で絶命するハンである。突然いい人ぶって何、という気持ちをぬぐい去ることができない。

そんなわけで、特に第2作にジョニー・トーにつながる香港ノワールの形を見出すことができるのは嬉しかった。チョウ・ユンファはどの作品でも馬鹿丸出しで、まったく魅力的でないのだが。

●参照
ジョン・ウー『レッドクリフ』
ジョン・ウー『ミッション:インポッシブル2』


田村隆一『自伝からはじまる70章』に歌舞伎町ナルシスのことが書かれていた

2013-09-23 10:46:33 | 思想・文学

田村隆一『自伝からはじまる70章 大切なことはすべて酒場から学んだ』(詩の森文庫、2005年)を読む。

1992年から、1998年に亡くなる直前まで連載された短いエッセイをまとめたものである。

古本屋で見つけ、気分転換にと読み始めた本だが、なんと、歌舞伎町のジャズ喫茶ナルシスのことが何度も書かれている。もっとも、ナルシスの壁には、「いまは/どこにも/住んでいないの/隆一」と記された色紙が飾ってあり(川島ママによると田村氏が風呂敷に包んでもってきたのだという)、常連だったことは知っているから、不思議ではない。

何でも、1940年あたりに現在の新宿二丁目に店があったころから、「洋風居酒屋」ナルシスに入りびたっていたという。そして、エッセイには、先代ママ(故人)もときどき登場する。しかも、娘さん(現ママ)、孫娘さんを伴って。詩人が亡くなったのは1998年、先代ママが亡くなったのは2001年だというから、まだまだ健在だったわけだ。

ナルシスのマッチのイラストは、辻潤と伊藤野枝の息子・辻まことの手による。これがなぜなのか。酔っ払い詩人は、山本夏彦『夢想庵物語』を読んでいたらナルシスのことが出てきたといって、辻まことと、結婚相手のイヴォンヌと、ナルシスのことを解説するのだが、何だかよくわからない。

今度ナルシスに行ったら、川島ママにいろいろ訊いてみよう。


先代ママの追悼記事(朝日新聞2001/8/27)


辻まことのマッチ

●参照
バール・フィリップス@歌舞伎町ナルシス
堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』(かつてのナルシスが舞台であり、田村隆一が「冬の皇帝」のモデルとなっている)
新宿という街 「どん底」と「ナルシス」
歌舞伎町の「ナルシス」、「いまはどこにも住んでいないの」


デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』、『Rendezvous Suite』

2013-09-22 23:00:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴィッド・マレイの先日のライヴがまだ生々しい記憶として残っている。メンバーはビッグバンドゆえ多かったが、コンセプトが同じ『Be My Monster Love』(Motema、2012年録音)は、より少ない面々で演奏している。

何しろ、メイシー・グレイである。ライヴでは予想よりも遥かに堂々たる姿に圧倒されてしまったのだったが、声は、こすれるようなハスキーな感じで、しかも可愛いときている。それなのに歌う曲は「Be My Monster Love」というイシュメール・リード作詞の凄い歌。もうアケスケというか何というか。「窓を半分開けておいたから/よじ登ってきて、私の首はあなたのもの/貧血になるまで吸って/ベッドから出られなくなるまで」などと続くのである。 

もちろん、マレイのテナーサックスは絶好調で、バンド全体ももの凄くエネルギーに満ちている。これもメイシー・グレイ効果なのかな。ぜひこの路線を続けてほしいところ。

David Murray (ts)
Marc Cary (p, org)
Nasheet Waits (ds)
Jaribu Shahid (b)
Bobby Bradford (tp) (7)
Macy Gray (vo) (2)
Gregory Porter (vo) (4, 6, 8, 9)

それに比べると、やはり最近の『Rendezvous Suite』(Jazzwerkstatt、2009年録音)はどうも物足りない。ジャマラディーン・タクマとの双頭作なのだが、タクマのベースギターに乗って、マレイが得意のフレーズを吹くだけ。息子のミンガス・マレイにも花を持たせたりしていて、それはそれでカッチョいいのだが、ただのセッションを聴いているだけ。

マレイは多作ゆえ、いろいろあるということだ。悪くはないのだけど。 

Jamaaladeen Tacuma (bass g)
David Murray (ts, bcl)
Paul Urbanek (key)
Mingus Murray (g)
Ranzell Merrit (ds)

●参照
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京
デイヴィッド・マレイ『Live in Berlin』
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』
デイヴィッド・マレイのグレイトフル・デッド集
マル・ウォルドロン最後の録音 デイヴィッド・マレイとのデュオ『Silence』
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット(デイヴィッド・マレイ『Special Quartet』)
ワールド・サキソフォン・カルテット『Yes We Can』
スティーヴィー・ワンダーとメイシー・グレイの『Talking Book』


天児慧『中華人民共和国史 新版』

2013-09-22 08:46:43 | 中国・台湾

天児慧『中華人民共和国史 新版』(岩波新書、2013年)を読む。

本書は、抗日戦争や国共内戦を前史として、1949年の中華人民共和国成立から現在の習近平・李克強体制までを追っている。

通史書は歴史を猛スピードで見ていくものであり、中国という歴史上の試行錯誤のあり様に、ある種の感慨を抱く。そして、歴史に「たら、れば」はないが、どうしても、他の歴史があり得たのだと思ってしまう。

毛沢東というカリスマの指導力が少しでも小さいものであったなら、ここまで上意下達の巨大国家ではなかったかもしれない。米国の帝国主義的な介入が少しでも遅れていれば、台湾という独自国家はなかったかもしれない。80年代に、鄧小平が岐路に立たされたとき、ストロングマンの主導する国家でなく民主主義を尊重する国家という道を選択していれば、まったく別の形の国家になっていたかもしれない。

このように数十年単位でのダイナミクスを見ていくと、将来、中国という国家を現在の延長として捉えることが如何に短絡的かと考えざるをえない。将来から振り返ってみれば、既に、必然の種は播かれているかもしれないが、どの種がどのように成長するかわかったものではない。一方、日本の政治は将来のヴィジョンすら共有せず、形の上でのストロングマンを希求するありさまだ。

●参照
天児慧『巨龍の胎動』
天児慧『中国・アジア・日本』
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
加々美光行『中国の民族問題』
加々美光行『裸の共和国』
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
L・ヤーコブソン+D・ノックス『中国の新しい対外政策』
豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』
孫崎享・編『検証 尖閣問題』
堀江則雄『ユーラシア胎動』
『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」
『情況』の、「現代中国論」特集
国分良成編『中国は、いま』
ダイヤモンドと東洋経済の中国特集
白石隆、ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』
竹内実『中国という世界』
加藤千洋『胡同の記憶』
沙柚『憤青 中国の若者たちの本音』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』


牛腸茂雄『見慣れた街の中で』、森山大道『記録23号/パリ+』、渡辺眸『天竺』

2013-09-21 23:33:25 | 写真

気になっていた写真展をハシゴ。

■ 牛腸茂雄『見慣れた街の中で』(Nadiff)

牛腸茂雄の写真は昔から好きで、愚直なほどストレートなまなざしに魅かれていた。

彼の写真の多くはモノクロによるものだが、この『見慣れた街の中で』(1981年)はカラーリバーサルによる作品群である。わたしが牛腸の作品を意識しはじめてからしばらくは、これに接することができなかった。はじめてまとまって観たのは、たぶん、『牛腸茂雄作品集成』(2004年)が刊行されたときだ。オリジナルプリントはどこかで断片的に観た程度。今回の写真展にはぜひ足を運びたかった。

この作品群は、すべて、銀座や上野や渋谷や横浜といった街の雑踏でのスナップである。写真に焼き付けられている人びととの距離感を、どのように表現すればよいだろう。写真家が存在を消しているわけでも、馴れあっているわけでもない。突き放すわけでも抱き合うわけでもない。

おそらくは、牛腸茂雄は「ひと」が好きだったのだろうと思う。印画紙から漂うその気持がいつまでもこちらの中に残る。

それにしても、撮影に使われたカメラとレンズは何だろう。汚い後ボケや色が、時代を物語っているようだ。国産に違いないと思うがどうか。

■ 森山大道『記録23号/パリ』(Nadiff)

森山スタイルによるパリのスナップ。

これは最近撮られたものだろうか。ゼラチンシルバープリントによる平面性の高いプリントゆえ、最近のプリントであることは間違いないところだと思うが、露骨な焼き込みは写真家自らによるものだろうか。

森山大道は物語の写真家である。勿論、その物語が曖昧ならば写真世界が成り立たない、ということはまったくない。これまでの森山写真には、のっぴきならぬ物語がへばりついていた。しかし、この作品群からは何かを感じることができなかった。なぜだろう。

■ 渡辺眸『天竺』(ZEIT-FOTO SALON)

渡辺眸は全共闘の写真で有名であり、何年か前には、全共闘時代のことをまったく話さないはずの山本義隆の序文を収録した写真集『東大全共闘1968-1969』が話題になった。

先日、友人の研究者Tさんから、『カメラ毎日』の「写真にとって全共闘とは何だったのか?」と題したバックナンバー(1984年10月号)のコピーをいただき、その中でも、渡辺眸の写真に惹きつけられたところだった。その中に収録されたインタビュー記事によると、写真家は全共闘の撮影で疲れ果て、その後、インドに旅に出たというのだった。そして、Tさんが、最近の『アサヒカメラ』に、その頃の写真群『天竺』が掲載されていると教えてくれた。そんなわけで、写真展に足を運んだ。

展示されているモノクロ写真は、70年代に、ネパールやインドで撮られたものだ。ネパールのカトマンズやポカラの写真には山の空気が漂い、空が低く、石造りの家や布を巻き付けた服が独特である。一方、インドのヴァーラーナシーやムンバイやゴアの写真を観ると、むっとした濃密な空気が詰まっているようだ。

カラー写真もある。モノクロよりもちょっと後で、これらもやはりネパールやインド。ネパールのチトワンにおいて、細い舟で自転車や人が川を渡っている様子が懐かしく、嬉しかった。コダクローム64の渋い色がたまらない。

後で『アサヒカメラ』で確認してみると、モノクロはキヤノンVILに28mmF2.8、カラーはミノルタCLEに40mmF2.0で撮られているようだった。

渡辺さんが在廊されていたので、いろいろな話をした。インドのこと、山本義隆氏のこと、西葛西のインド人コミュニティのこと、東銀座のナイルレストランのこと。随分とモノクロ写真の粒子が目立ちコントラストが強いと感じ、印画紙について訊いてみると、意外にも2-3号程度だということだった。

折角なので、写真集『天竺』(1983年)を購入し、サインをいただいた。


ヴァーラーナシーの狭い路地

●参照
佐藤真、小田実、新宿御苑と最後のコダクローム
森山大道『1965~』
森山大道『NAGISA』
森山大道『Light & Shadow 光と影』
森山大道『レトロスペクティヴ1965-2005』、『ハワイ
森山大道『SOLITUDE DE L'OEIL 眼の孤独』
2011年9月、ヴァーラーナシーの雑踏
2011年9月、ヴァーラーナシー、ガンガーと狭い路地


新城郁夫『沖縄を聞く』

2013-09-21 07:29:00 | 沖縄

新城郁夫『沖縄を聞く』(みすず書房、2010年)を読む。

沖縄とは何か。沖縄という存在から発せられる声はどのようなものか。タイトルから想像するイメージはそのようなものだ。

しかし、本書が論じる点はそこではない。むしろ、男性中心主義の言説によって覆い隠されてきた視点は何かということだ。その観点を批判する言説さえ、男性中心主義の欲望に絡めとられ、回収され、強化されている。「沖縄問題」という呼称も、すでにその非対称な暴力のもとでのものにすぎない。

本書は、その無限ループに亀裂を入れるため、執拗に、「ホモエロティック」、「ホモソーシャル」な視線を、沖縄に、 植民地主義に、軍事主義に向け続ける。問い直しによってこそ可視化の糸口が見えてくる。

●参照
大城立裕『朝、上海に立ちつくす』
大江健三郎『沖縄ノート』


2013年9月、マンダレーの北

2013-09-20 07:34:01 | 東南アジア

ヤンゴン、ネピドーから、ミャンマー第2の都市マンダレーに移動し、さらに山道を6時間ほどかけて北上する。

途中からは外国人立入禁止地域となっている。治安ではなく、宝石の産地ゆえ、市場を荒らされないためである。勿論許可を得て入るのだが、その町に日本人が来ることは極めて少ないらしく、少数民族・リス族の女性たちによるダンスやカラオケ大会など、たいへんな歓迎を受けてしまった。

空いた時間に宝石市場に足を運んでみた。小さいルビーが数十万円もする。何しろ相場も良し悪しもわからず、買うわけもない。


山道は自動車で


トラック


売店


売店



厨房


ルビー


宝石市場の落書き


宝石市場のビリヤード台


炭鉱町のような宝石市場


ミャンマー独自の外壁


宝石町


帰路、売店


ダゴンやチャーンのほかにあやしいドリンクも


売店

※写真はすべてペンタックスLX、M40mmF2.8、Fuji Pro 400による。

●参照
2013年9月、シュエダゴン・パゴダ
2013年9月、チャウタッジー・パゴダ
2013年9月、ヤンゴンの湖畔
2013年9月、ネピドー


2013年9月、ネピドー

2013-09-19 08:02:50 | 東南アジア

ネピドーは、2006年にヤンゴンから遷都された首都である。

ただ行政の中心機能を移転させただけであり、その印象は極めて不自然だ。不便な場所にあり、近くに大きな産業が立地しているわけでもない。空港から市街まではだだっ広い水田地帯の中に立派な道路だけがあり、多くの人が道路脇で整備をしている。もしかしたら、このインフラ整備こそが主要産業なのではないかとさえ思えてしまう。

違和感は、2日間の滞在中まったく払拭されないどころか、どんどん増幅していく。

ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダを模して建造されたウッパタサンティ・パゴダは、配慮したのか、本家よりごくわずか低いだけの巨大なものであり、夜遠くから眺めると、闇の中に奇妙に浮かび上がってみえる。そして、訪れてみると、仰天してしまうほどの近代建築だ。明らかに、権威付けの象徴である。

街の中にも、滑走路ではないかというほどの広い道路があり、走っている自動車は少ない。また、価格を抑えたと思しき同じ形の住宅が、見渡す限り広がっている様は異様でさえあった。しかし、おそらくはさほど入居が進んでいない。それにも関らず、無数のホテルが建設中であった。受け皿ばかりを造って、はたして、都市として機能するようになるのだろうか。


ウッパタサンティ・パゴダを遠くから眺める


道端の牛


ウッパタサンティ・パゴダ


ウッパタサンティ・パゴダ


トウモロコシの収穫


トウモロコシの収穫


トウモロコシの収穫と広い道路


通りすがりの人


住宅群と子どもたち

※写真はすべてペンタックスLX、M40mmF2.8、Fuji Pro 400による。

●参照
2013年9月、シュエダゴン・パゴダ
2013年9月、チャウタッジー・パゴダ
2013年9月、ヤンゴンの湖畔


2013年9月、チャウタッジー・パゴダ

2013-09-18 06:45:08 | 東南アジア

ヤンゴンには無数のパゴダがあって、チャウタッジー・パゴダはその中でも巨大な涅槃仏によって目立っている。何だか、いちいち大きさに驚いているような気がする。

涅槃仏と書いたが、この仏陀の足は左右揃っていない。この場合にはDying BuddaではなくSleeping Buddaなのだそうで、その意味では、スリランカ・ポロンナルワのガル・ヴィハーラにおける仏陀もSleeping、タイ・バンコクのワット・ポーにおける仏陀はDyingということになる。しかし、必ずしもそう見えるわけでもない。

写真はすべてペンタックスLX、M40mmF2.8、Fuji Pro 400による。

●参照
2013年9月、シュエダゴン・パゴダ


2013年9月、シュエダゴン・パゴダ

2013-09-17 23:34:27 | 東南アジア

ミャンマー・ヤンゴンの中心部に位置する、巨大なシュエダゴン・パゴダ

まずはその大きさと金色の持つ迫力に驚く。人びとは、スリランカの寺院でのような激しさとは異なり、穏やかに祈っていた。

記念にと、土産物屋で、パゴタの形をしたお香立てを買った。どの店も、あまり商売気がなかった。ヤンゴンでしつこいのは、空港の勝手な荷物運びだけだった。ただ、あるルポによると、夜の歓楽街は、これまでとは別世界になってきているのだという。

写真はすべてペンタックスLX、M40mmF2.8、Fuji Pro 400による。