新宿にサムライという奇妙なバーがあって、そこで長野の茶会記クリフサイドの主人・福地史人さんが指名した10人がそれぞれ10枚を選び、福地さんが流すという企画を続けている。僕の回は12月6日。以下の盤を氏に託した。
●沖至トリオ+1、藤川義明『Live at Jazz Spot Combo, Fukuoka, 1975』(1975年)
フランスに渡っていた沖至が一時帰国したときの記録。沖さんのトランペットは蝶のようにファンタジックで、広い空間をイメージさせる。サックスの藤川義明さんはいま藤堂勉として活動しており、このときすでに激烈なブロウをみせている。翠川敬基さんのチェロにはなまめかしいほどの色気があり、いまもライヴに行くとそれを体感できる。去年発掘されてCD化され、ライナーノーツを書いた。
●ホッパーズ・ダック(林栄一、川端民生、古澤良治郎)『Far Out』(1996年)
たぶん気心が知れたメンバーでためらうことなく躍動。林栄一さんのきゅわわと伸びるアルトも聴きものだがここは故・川端民生さん。「あの」アナーキーなベースが聴けるだけで嬉しい。林さんの名曲<Brother>は必聴。
●デイヴィッド・ブライアント『Higher Intelligence』(2022年)
ピアノトリオ。デイヴィッドはヘンリー・スレッギル、デイヴィッド・マレイ、ルイ・ヘイズらアメリカのレジェンドのバンドにも参加しており、繊細に変わりゆく和音を日本で聴けることは実はたいへんなこと。マレイの<Murray’s Steps>なんてオリジナルとまったく異なるデイヴィッド色でぐっとくる。
●神田綾子『Antigravity Vacation』(2016年)
日本のシーンにおさまりきらずNYで活動をはじめたヴォイスの表現者。誰をフォローしたわけでもなくこの独創性はどこから来たのだろうと驚かされる。このアルバムもNYの腕利きミュージシャンたちと即興ユニットを組んだものであり、現在の活動につながっている。12月10日(土)には渋谷のバー・サブテラニアンズで、柳川芳命さん(若松孝二の映画『エンドレス・ワルツ』で阿部薫の音を吹いたが現在はさらに進化している)、内田静男さん(地下音楽シーンで不穏に脈動している)と共演。ぜひ。
●柳川芳命+直江実樹『SAXORADIO』(2022年)
その柳川芳命さんが、ラジオを両腕で抱えて受信する電波で演奏する直江実樹さんと即興演奏。ラジオは外気を取り入れ抽出する装置だが、直江さんはアンビエントな音だけでなく、サックスのブロウに憑依したかのような音も出す局面があり、おもしろい。
●関根敏行『I Love Music』(2021年)
奇をてらうことのないソロピアノ。先日、行徳のホットハウスではじめて観て魅了されてしまった。明確なフレーズから、レイ・ブライアントやジョン・ヒックスといった名手に通じるブルース感覚があふれ出している。
●松本ちはや『縄文太鼓いにしえ Jomon Fantasy』(2022年)
チンドン屋の太鼓も即興演奏も演るし、縄文時代の太鼓を想像して自分で焼いて作り、演奏するという唯一無二の人。縄文太鼓からさまざまな響きを引き出しつつ、オーボエ・イングリッシュホルンやアラブ琴とともに聴きやすいサウンドを作るなんて、やはり只者でない。
●白石かずこ『ジョン・コルトレーンに捧ぐ』(1977年)
日本のポエトリーリーディングのパイオニアにして今なお現役。『砂族』、『現れるものたちをして』、『浮遊する母、都市』など彼女の詩集を開いてもそうだが、ことばを通じた宇宙空間への飛翔感が半端ない。サックスのサム・リヴァースはマイルス・デイヴィスと演っても白石かずこと演っても突き抜けている。
●金石出『Final Say』(1997年)
故・金石出(キム・ソクチュル)は韓国シャーマン音楽の中でも傑出した存在であり、サックスの梅津和時さんやコントラバスの故・齋藤徹さんなど日本の即興演奏家たちもとりこにした。かれが吹くダブルリードのホジョクは大蛇のようにうねり暴れる。このアルバムでも梅津さんや李廷植(イ・ジョンシク)やヴォルフガング・ プシュニクといったくせものサックス奏者たちと共演しながらも存在感は圧倒的。最後の5曲目はなんと多重録音で金石出vs. 金石出。とんでもなくわけがわからない。
●齋藤徹『Travessia』(2016年)
齋藤徹さんの還暦記念ソロリサイタルの記録。僕はCDのオビに次のように書いた。
「バッハが軋む。タンゴが軋む。韓国が、黒潮が、軋む。有象無象の雑音と倍音のなかから、その都度、齋藤徹の音楽が立ちのぼってくる。さまざまな地下水脈がある。ジャズ。アルゼンチンタンゴ。韓国のシャーマン音楽。ブラジルのショーロ。それらが齋藤徹の身体を通過し、コントラバスを通過し、弦の軋みやホールの響きとともに、いちど限りの、ただひとつの音楽として創出されている。このリサイタルは、齋藤徹という音楽家のひとつの集大成であり、かつ、通過点でもあった。聴く者は、そこに、精製され純化される前の、音のざわめきを見出すことだろう。」
僕もこのリサイタルを観た。バッハの途中で徹さんが「破綻した!」と突然叫び、即興演奏に移行した。その破綻さえも齋藤徹の音楽にしてしまう強靭さ。CDでは<霧の中の風景>に続き、そのときの即興が収録されている。続けて聴くと身動きが取れなくなる。