Sightsong

自縄自縛日記

佐喜眞美術館の屋上からまた普天間基地を視る

2013-07-31 22:32:16 | 沖縄

久しぶりに訪れた、佐喜眞美術館。那覇から90番のバスに乗って、すぐに着く。

普天間基地の一部を取り戻して作られた美術館であり、隣は普天間基地との境界を示すフェンスである。

風景は変わっていない。屋上の真下、米軍側には墓がある。滑走路は向こうの方に視える。炎天下でしばらく佇んでいると、オスプレイではなかったが、米軍機が離陸していった。


普天間基地


さらに目を凝らす


米軍機

そして視線を右側に移すと、北谷の出っ張りと、その向こうに残波岬。1945年4月1日、そこから米軍が上陸した。

少し階段を上り、さらに、慰霊の日(6月23日)を示す6段と23段。たったそれだけで、視える風景が異なる。


あの向こうから米軍が上陸した


「違反者は日本の法律に依って罰せられる」

●参照
<フェンス>という風景
基地景と「まーみなー」
宮城康博・屋良朝博『普天間を封鎖した4日間』


Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-

2013-07-31 08:26:18 | 中国・台湾

3年ぶりの沖縄。さっそく桜坂劇場に足を運び、「Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-」(>> リンク)の当日券を買った。

この「アサイラム」(避難所)という音楽イヴェントのことは今回まで知らなかったのだが、実は、2008年から、さまざまなミュージシャンを集めて行っている「街フェス」なのだった。今回は、台湾をフィーチャーしたというわけである。

■ 南王姐妹花(Nanwan Sisters)

台湾の「プユマ南王」の女性3人組。

宣伝に誇張はなく、よく通る美しい声だった。もちろん言葉はわからない。しかし、歌手曰く、「台湾でもわからないことが多いのです」。少数民族の村だからである。

■ マルチーズロック

那覇の栄町市場を拠点に活動しているグループである。

リーダーのもりとは栄町で「生活の柄」という居酒屋を開いており、いちど食事したことがある(>> リンク)。実はその前、2007年に、栄町市場で彼らのライヴを聴いたことがあるのだが(>> リンク)、そのときはあまり気にとめていなかった。

今回改めて聴いてみて、東ヨーロッパの旅芸人的なサウンドが印象的だった。もの哀しいメロディーと地面を踏み締めるようなリズムなのである。ヴォーカルのシャウトにはビビってしまうが、サックス、トランペット、チンドンのような太鼓、ベース、二胡という編成がまた効果的。

■ 巴奈 & Message

巴奈(Panai)は台湾のシンガーソングライター。

その声は深く響き、時に囁くようでもあり、本当に素晴らしい。ちょっと口を開けて聴いてしまった。土地を奪われた先住民の唄になると、彼女は感極まって目を潤ませた。

最後には、沖縄の島唄とエイサーを意識した曲だった。会場からは太鼓の奇妙さに笑いが起きていたが、その歩み寄りはなかなか感動的なのだった。

■ ハシケン

奄美在住。元ちとせにも詩・曲を提供しているそうだが、どの唄かな。

薄暗い「SMOKE」というバーでのライヴで、噛みしめるようなバラードも、ノリノリのロックも良かった。このバーは味卵が旨いそうで、今度は飲みに入ってみたいものだ。

■ 石原岳

沖縄県東村・高江在住。

別館セルロイド」というバー。床には無数のエフェクターを置き、彼はそれらを絶えず手や足で操作しながら、ギターを弾く。アンビエントなノイズサウンド、こういうものは大好きなのだ。高江、やんばるだからというわけでもないだろうが、無数の生き物が蠢く森と、そこに暴力的に介入する人為とを想像してしまう。

それにしても、桜坂劇場やその周辺はとても心地いい空間だった。那覇の人が羨ましい限りだ。

時間がかぶって、ちえみジョーンズの唄を聴くことができなかったのは残念。


『neoneo』の原発と小川紳介特集

2013-07-27 08:19:56 | アート・映画

『neoneo』誌(#2、2013年春季号)が「原発とドキュメンタリー」、さらに「21年目の不在 小川紳介トライアングル」と題した特集を組んでいる。

原発特集は読んでいて苦しくなってくる。もちろん受苦の当事者ではない、しかし他人事でもない。変に総括などすべきではない。

その意味で、原発に関係する映画のリストアップは大変ありがたい。どのような立場に(たまたま)いたとしても、個々の状況や問題を視ていくしかないからである。

たとえば
『佐久間ダム』
土本典昭『ある機関助士』
『原子力発電の夜明け』(東海第一原発)
『黎明』(福島原発) 
黒木和雄『原子力戦争』
森崎東『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』
纐纈あや『祝の島』

まだ観ぬ原発映画のいくつかは、You Tube上にもあるようだ。

小川紳介特集も興味深い。

虚言癖や大言壮語癖があり、しかもそれが人びとを魅了した人。オカネの問題を人にまかせ、自身は逃げていた人。「生きること=映画」を体現した人。

この10月からの、日本映画専門チャンネルでの全作品放送が楽しみだ。大作も、またじっくりと観直してみたい。

●参照
小川紳介『三里塚の夏』
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』


アンドルー・ショーン・グリア『The Impossible Lives of Greta Wells』

2013-07-26 08:13:58 | 北米

アンドルー・ショーン・グリア『The Impossible Lives of Greta Wells』(2013年)を読む。「グレタ・ウェルズのありえない人生」といったところか。

1985年、ニューヨーク、マンハッタン。主人公グレタは、双子の兄フェリックスを亡くし、また恋人のネイサンも去ってしまい、絶望のどん底にいる。精神科医に勧められて電気ショック療法を試したところ、異変が起きる。朝目覚めてみると、1918年、1941年、そして元の1985年のどこかの時点にタイムスリップしてしまっていた。単なる時間移動ではなく、それぞれの世界では、状況が微妙に異なっていた。ネイサンと結婚していたり、若い恋人とつきあっていたり、フェリックスが同性愛の咎で逮捕されていたり。しかも、自分がいない間に、別時点のグレタがやってきて、異なるアイデンティティのもと行動しているようなのだった。

気分転換のために読んだエンタテインメントではあるが、実はかなりひどい。物語には大した工夫がなく、表現はステレオタイプで、しつこく、ベタベタに甘い。

後半になるともう半ばイヤになってきて、さすがにそろそろ驚かすような展開があるだろうと念じて読み続けたが、最後までそれはなかった。しかも、最後にまとめるように、グレタの下らぬ独白。いい加減にしてほしい。アホくさ~。

この作家の小説など、二度と読まない。


デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京

2013-07-23 08:40:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

久しぶりにデイヴィッド・マレイを聴きに、もっと久しぶりのブルーノート東京に足を運んだ(2013/7/22、セカンドセット)。

いつ以来だろう。1998年末に現在の場所に移転してからは、親しみやすさが急になくなった。トミー・フラナガン(ドラムスがルイス・ナッシュ、ゲストがジョニー・グリフィン、エルヴィン・ジョーンズが客席にいた)、ディー・ディー・ブリッジウォーターとミルト・ジャクソン。ああ、マッコイ・タイナーと一緒に来たチコ・フリーマンも観た。それでも、もう10年以上は来ていない筈である。

何しろマレイ、それにメイシー・グレイというのだから、仕方がない。

David Murray (ts)
Macy Gray (vo)
Lakecia Benjamin (as), Roman Filiu (as, fl)
Abdoulaye Ndiaye (ts), James Stewart (ts, fl)
Alex Harding (bs)
Alvin Walker (tb), Terry Greene (tb), Darius Jones (tb)
Shareef Clayton (tp), James Zollar (tp), Ravi Best(tp)
Mingus Murray (g)
Jaribu Shahid (b)
Thornton Hudson (p, Hammond B3)
Nasheet Waits (ds)

ぞろぞろとビッグバンドを率いたマレイは、最初の3曲ほどは指揮に専念する。ソロイストはそれぞれ悪くない。

ロマン・フィリウのアルトサックスは練達な印象、女性のラケシア・ベンジャミンのアルトサックスには勢いがある。アブドゥライエ・ンディアイエのテナーサックスは低音を生かしたブルースで、これも悪くない。アレックス・ハーディングは、けれん味たっぷりの無伴奏ソロ客席を沸かせた。

金管陣はといえば、ジェイムス・ゾラーの工夫したトランペットのソロがよかった。隣のトランペットふたりが敬意を込めたような目で視ていた。また、シャリーフ・クレイトンの鋭いトランペットも素晴らしかった。トロンボーン陣は少し冴えなかったか、見せ場が少なかったか。

マレイの息子ミンガス・マレイは弱気そうな顔で立っていたが、ノッてきたときのギタープレイはさすが。

しかし、何といっても、目玉はメイシー・グレイである。2曲目、マレイの「ディーヴァ!」との紹介とともに、ラメ衣装で入ってきた。もっと小柄な女性を想像していたが、とんでもない迫力である。ハスキーヴォイスも、可愛いばかりでなく客席にビンビンと響く大迫力なのだった。幸運にもかぶりつきの席で、嬉しさに震えてしまう。

一方、マレイは、4曲目からようやくテナーサックスを吹いた。やはり、違うのである。得意の高音のフラジオからブルースに戻ってくるときなどは「待ってました」と言いたくなるマレイの音世界。ソロの間、身体中を、浮き立つようなぞわぞわした感覚が駆け抜ける。バスクラも吹いてほしかったな。

セットの白眉は、ノリノリの曲よりも、スタンダード「Solitude」。ジャリブ・シャヒドのベースとマレイとのデュオではじめ、やがてグレイが歌い出す。「・・・ filled with despair / Nobody could be so sad」なんて繰り返されるとどうかなってしまうぞ。そして歌伴のマレイもいい。

終盤、グレイは「Wake Up」で客を立たせ、「Red Car」では大声で歌わせた。こういう盛り上げ方はあまり好きでもないのだが、楽しかった。大満足である。最後は「I Try」で締めた。

グレイはいちどの化粧直しのあと、真っ赤な長い羽根を首や手に巻きつけて歌った。何枚か、ステージ上にひらひらと舞った。グレイが立ち去った通路にも1枚落ちていて、つい拾ってしまった。馬鹿みたいだが永久保存版。

早速、原田和典氏によるこの日のライヴレポートがアップされていた。>> リンク

●参照
デイヴィッド・マレイ『Live in Berlin』
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』
デイヴィッド・マレイのグレイトフル・デッド集
マル・ウォルドロン最後の録音 デイヴィッド・マレイとのデュオ『Silence』
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット(デイヴィッド・マレイ『Special Quartet』)
ワールド・サキソフォン・カルテット『Yes We Can』
スティーヴィー・ワンダーとメイシー・グレイの『Talking Book』


参院選

2013-07-22 07:21:30 | 政治

またしても情けない日、ツイッター再録。https://twitter.com/Sightsongs

田村理 『国家は僕らをまもらない』(朝日新書、2007年)は、日本国憲法の位置づけを、「ほっておくとろくなことをしない」国家権力に対して制約を加えるものだと明言している。このストッパーを外そうとしているのが改憲勢力。

日本国憲法は、国家が規定した法ではなく、国家権力に規範を与えるために存在する。(柄谷行人『政治と思想 1960-2011』)

「リアリズムのない 「現実主義」という滑稽な姿は勿論維新の精神とは無縁である。」藤田省三
 

勿論、政権与党が喧伝する「現実主義」はリアリズムを欠いている。もっと言えば、地獄への道である。

スタジオジブリ『熱風』の2013年7月号特集「憲法改正」: 投票前に、ぜひこれを読んでください。宮崎駿、鈴木敏夫、中川李枝子、高畑勲の各氏による警鐘です。>> 小冊子『熱風』7月号特集 緊急PDF配信のお知らせ
http://pub.ne.jp/Sightsong/?entry_id=4976355

投票完了。

夕方まで、全国では3人に1人、千葉では4人に1人しか投票していないということか。無力感?厭世感? なんにしても、これまでの愚民化政策と白痴化政策が奏功していることは間違いない。

確かに同僚たちでも、「何か制度がよくわからないんですよ~」(調べろって)とか、「白票を入れようと思っているんですよ」(愚かなことして威張るなって)とか、「まあ手堅くいくかな」(何がだ)とか、まともな発言がない。

あほくさ・・・って、半分の有権者はあほくさとも何とも考えないわけである。着実に滅びていく国家だと認めて、そこからの復活を画策したほうがよい。

多くの人は、政治的談合・社会的談合に加わることができないのに。

沖縄選挙区どうかな。糸数さんどうかな。

比例の山シロ博治さんもまだ。

千葉も決まったか。うーん。
http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2013/kaihyo/B12.html

改憲がそう簡単ではないことが見えたことが、今回の朗報。

糸数けいこさん当確。山シロ博治さんはどうだろう。
http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2013/kaihyo/B47.html

テレ東、首相。「右傾化?」との質問に対し、「民主化していない国がそう言うのは違う」と回答。論点のすり替えである。

当選の糸数慶子氏「辺野古の海を守る」 沖縄選挙区 - 朝日新聞デジタル

民主・藤井元財務相、安倍政権について「熱狂のあと崩壊」

山シロ博治さん落選か、残念。

参院選の投票率は52.61%だった。千葉は49.22%と低い。1985年には74.54%、そこから低下傾向が続き、1995年には最低の44.52%にまで落ち込んでいる。これでも「まだ最低でない」ということか。

衆院選(2012年12月)


ストローブ=ユイレ『アメリカ(階級関係)』

2013-07-21 21:23:22 | ヨーロッパ

ストローブ=ユイレ『アメリカ(階級関係)』(1984年)を観る。(>> リンク

フランツ・カフカの同名小説の映画化であり、昔読んだとき、ずいぶんこの映画を観たかったものだ。今ではDVDも販売されているが、それにしても、Youtubeで観ることができるとは隔世の感がある。

ドイツから米国に渡る少年。船の中でも、上陸した米国でも、他人と心を通じ合わせることなどできず、理不尽な時空間を蠢くことになる。

ストローブ=ユイレらしいエキセントリックな演出はさほどみられない。それでも、コミュニケーションなど端から想定していないように、登場人物のそれぞれを丸太のように、木偶の坊のように描く手腕はさすがだ。そしてラストに至り、劇団に拾ってもらった少年は、何かを見つめながら列車の座席に座り続ける。この、自身の『歴史の授業』(1972年)や、マノエル・ド・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』(1997年)を思わせる、長い移動場面が放つ力といったら!


ラストの移動場面


小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』

2013-07-21 09:04:03 | 東北・中部

オーディトリウム渋谷にて、小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)を観ることができた。

三里塚から山形県・牧野村に移住して13年。その間に撮りためたものを4時間に詰め込んだ作品である。

まとめた、という類のものではない。必ずしも記録ばかりでもない。

小川プロ自らがコメを育てる。田んぼの中で、収量が良いところと悪いところがある。どうやら、水はけが悪いために中干しができず、嫌気性となる構造が問題なのらしい。改善のために、溝を掘ったり、地下水位を調べたりする。そのプロセスを、饒舌に喋りながらパネルで示していく。面白いが、あまりにも異色である。この、映画としてのハチャメチャさ。しかし、幼穂が育っていき、成熟していくマクロ映像は、奇妙に感動的でさえある。

狂った男の話、社に祀られている男根型の道祖神を掘り当てた話、かつての百姓一揆の話は、劇映画の挿入である。土方巽なども登場するが、ほとんどは村人たちによる演技だ。自分の父親を演じたり、20年前の自分自身を演じたりする様子は、ドキュメンタリーという世界の垣根をなし崩しにしていくばかりでなく、現実なるものの概念すら曖昧にしていく力を発揮している。

脈絡なく、小川プロが、農地を掘って縄文期の土器や土偶、炉の痕を発見していくくだりもある。大学の先生を呼んできたり、農地の主がおでんを持ってきたり、また埋めるにあたって神主を呼んでお祓いをしたり。歴史の深層へと掘り進めるプロセスが、すなわち、牧野村という宇宙を掘り進めるプロセスにもなっているわけである。

映画の終盤に、移住以来の友人だというお婆さんが、延々と憑かれたように祟りの話を続ける場面がある。字幕が出ても正直言って何の話なのかわからないのだが、これが宇宙の一端だということは饒舌に示される。映画が終わったあとに登壇した山本政志氏によると、あれが小川紳介なのだという。映画という魔物に憑依され、饒舌に、宇宙を取り込み、宇宙を創出していった存在だということか。

何なんだと思わせられつつ、脳内に確実に巣食う映画であり、怪作と言うべきだ。確かに、ここには、映画とは生きることだという命題が顕れている。

音楽は富樫雅彦による。最後に、富樫自身によるパーカッション演奏の場面があり、感動してしまう。

ところで、超弩級のニュース。

●参照
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』
小川紳介『三里塚の夏』
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』
富樫雅彦が亡くなった


吉田康子『夜漁火(いじゃいび)』

2013-07-18 23:46:01 | 沖縄

吉田康子『夜漁火(いじゃいび)』(マルフクレコード、1997年録音)を、今頃手に入れて聴いている。こけおどしや奇をてらったところがなく、何度聴いても飽きない良さがある。

しっとりと落ち着いた雰囲気、大人の余裕、大人の色気、伸びやかで角が丸い声。

この人の歌声には本当にやられてしまう。

どの唄も良いのだが、師匠格の知名定男とのかけあいの唄「嘆きの渡り鳥」なんか、特に嬉しい。那覇で、また吉田康子の生の声に接したいものだ。


吉田康子(2009年) Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TRI-X (+2)、イルフォードMG IV RC、2号

●参照
鳩間可奈子+吉田康子
知名定男芸能生活50周年のコンサート


『Number』のホームラン特集

2013-07-17 08:00:55 | スポーツ

『Number』誌(文藝春秋)が、「やっぱりホームランが見たい。」と題した特集を組んでいる。ところで、ずいぶん前に、ラルフ・ブライアントが表紙のホームラン特集があったような記憶があるが、棚から引っぱりだすのが面倒で確認していない。

多くの名選手が取り上げられている。松井秀喜、落合博満、清原和博、門田博光、秋山幸二、王貞治。現役では中田翔、トニ・ブランコ、ウラディミール・バレンティン、井口資仁、阿部慎之助、山崎武司、中村紀洋、アンドリュー・ジョーンズ、中村剛也。その他たくさん。

ホームランには選手の個性があらわれる。旧西武球場で目撃した「AK砲」はそれを確認するものだった。清原のホームランは「ぶわっ」と空中で弧を描いてなかなか落ちてこず、秋山のホームランは「ぐちゃ」と潰す感じのライナーで外野席に突き刺さった。

個人的にもっとも印象深い記憶は、門田博光のスイングである。ホークスの身売りに伴い博多に行くことを選ばず、オリックス・ブレーブス(1989-90年の2年間だけこの名前)に在籍した時のこと。幸運なことに、東京ドームのバックネット裏のいい席から「ブルーサンダー打線」をみることができた。

門田のフルスイングは冗談みたいに豪快で、空振りするたびに球場がどよめいた、のだった(いや、本当に)。その試合では、ホームランは打たなかった。

●参照
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集 
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集


多田隆治『気候変動を理学する』

2013-07-16 08:00:00 | 環境・自然

多田隆治『気候変動を理学する 古気候学が変える地球環境観』(みすず書房、2013年)を読む。

一般向けの「環境サイエンスカフェ」における講演をもとにしているだけに、みすず書房には珍しくやわらかい作り。しかし、内容は「ガチンコ」である。それも当然のこと、何しろ相手は地球なのだから。

ここで示されるのは、気候という極めて複雑なシステムが、深堀していくと実に面白いメカニズムを持っていることだ。太陽との関係、ミランコビッチ・サイクル、海という巨大なバッファーの挙動、氷期と間氷期、プレートテクトニクスと気候との関係、正と負のフィードバック。かつて、全地球凍結(スノーボール・アース)という時期もあった。

太陽活動の変動や紫外線によるオゾン量の変化についても適切に評価されている。しかし、気候変動の大きな媒体となっていたのは、やはりCO2であった。

もちろん、気候変動は一様ではありえず、局所的な異常気象を含めてシステムの変動を考えなければならない。言うまでもないことだが、ここのところ異常に暑いだの寒いだのといった理由で地球温暖化を云々するものではないということだ。そうではなく、もっとも重要な機能を担ってきた媒体たるCO2が、かつてとは比べ物にならないほどの勢いで増加しているのだから、異常を引き起こさないわけがない。これはドグマではなく、まさに「理学」的な判断である。

かたや、温暖化は原子力ロビーの陰謀であるとか、氷が溶けても海面上昇は起こらないだとか、森林保全を行ってもCO2は減らないだとか、そのような陰謀論や言いがかりとでもいうべき言説に左右される日本社会の現状は情けない限りだ(テレビに出る人のいいおじさん風の「学者」や、「巨悪」を攻撃してきた「評論家」が言うことだからといって、鵜呑みにしてはならない)。

「・・・問題を極端に単純化して、断片的観察を拡大解釈して巧みに二者択一の問題にすり替えるような議論です。政治や巨額の研究費などが絡むと、こうしたエセ科学的議論が出てきて人心を惑わせます。そして、こうしたエセ科学が人類の地球環境問題への対応を大きく誤らせる危険性さえ含んでいるのです。これからの時代は、一般市民も、こうしたエセ科学的議論を見分ける目を養う必要があると私は考えています」

米国では様相が異なり、長年、温暖化に対する懐疑論が巣食っている。たとえば、それを告発するノーム・チョムスキーのテキストを読み、まずはそれらの言説の相対化を図ってみるべきだろう。

下らぬ陰謀論などは置いておくとして、本当に面白い良書。大推薦。 

●参照
小嶋稔+是永淳+チン-ズウ・イン『地球進化概論』
米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』
ダニエル・ヤーギン『探求』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
自著
『カーボン・ラッシュ』
『カーター大統領の“ソーラーパネル”を追って』 30年以上前の「選ばれなかった道」
粟屋かよ子『破局 人類は生き残れるか』


徐浩峰『倭寇的踪迹/The Sword Identity』

2013-07-15 23:31:15 | 中国・台湾

徐浩峰『倭寇的踪迹/The Sword Identity』(2011年)を観る。広州の書店で、30元だった。

なお、2012年の大阪アジア映画祭では、『刀のアイデンティティ』という邦題がつけられている(>> リンク)。確かに英語の副題を訳したらそうなるが、中国語の「倭寇の後継者」とでもしたほうが面白い。

中国、明時代。もはや倭寇は過去の存在と化している。武術の四家は、倭寇を倒すというさしたる功績をあげることもできず、ヒマな日々を送っている。そんな時に、奇妙な長い棍棒と刀を使う二人組が現れ、武家に闘いを挑んだ。すわ倭寇だと喜ぶ者あり、よくわからず右往左往する者あり。実は彼らは、倭寇の武術を継承していたのだった。やがて、その武術は認められ、中国武術の系譜に連なっていくことになる。

まるで舞台劇のようなカメラワークで、観始めたときには戸惑ってしまう。さらに、奇妙に悠然と流れる時間と、どこで笑っていいのかわからないギャグ。何なんだ、これは。自分も悠然と振る舞いたくなったりして。

決してよくできた映画ではないが、それなりに面白くはある。それはそれとして、倭寇を描いた映画はあるのだろうか。

●参照
ウォン・カーウァイ『グランド・マスター』
張芸謀『LOVERS』
張芸謀『HERO』
陳凱歌『PROMISE/無極』
ロバート・クローズ『燃えよドラゴン』


『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』

2013-07-15 16:35:00 | 韓国・朝鮮

2007年にNHKで放送されたドキュメンタリー、『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』を観た(>> リンク)。

詩人・金時鐘。「詩を書くことは、自分の中に棲みついた日本語に報復することだ」と言う。なぜか。

植民地朝鮮にあって、「骨の髄まで皇国少年であった」。1945年8月15日、ラジオの玉音放送で敗戦を知り、泣き、十日ほど食事が喉を通らぬほどのショックを受ける。やがて、農村に入り、植民地支配の実態を知る。そして、「アカの島」とみなされていた済州島で、朝鮮分断につながる南側の単独選挙に反対して蜂起に加わる。指名手配され、病院、おじの家、無人島に潜伏を続け、1949年、密航船に乗り込み、大阪の猪飼野(現、生野)にたどり着く。すでに、この町は、何万人もの在日コリアンの多くが済州島出身であった。済州島の多くの人びとは、韓国の軍、警察、右翼によって虐殺された。

1950年、朝鮮戦争。大阪のこの町でも、特需にわき、ナパーム弾や親子爆弾(クラスター爆弾の原型)などに使う部品を製造していた。祖国を攻撃する行動が許せず、「祖国防衛隊」とともに、製造をやめるよう説得してまわった。それができないとわかると、ハンマーで機械を壊した。工場の人たちは、「朝鮮やめやー!この人でなしが!」と泣き叫んだ。

1952年、吹田事件。伊丹米軍基地に弾薬を搬送する列車の運行を阻止した。仮に逮捕されて韓国に送還されたら、命はない。捕まらずにすんだものの、彼は、親に向けて遺書を書いていた。

現在の大阪城公園には、かつて、日本陸軍の造兵廠があり、軍事物資を製造していた。おカネに変えるため、在日コリアンの彼らは、跡地から鉄の残骸を盗んだ。「アパッチ族」と呼ばれた。そのときの仲間だった作家・梁石日が登場する。警官が来ると、見張り役の女性が、ソプラノの歌手のように、韓国語で「犬が来たー!」と叫んだ。逃げて金玉を打ちながらも、冬の水の中で、何時間も隠れていたという。開高健も、そのことを取材し、『日本三文オペラ』としてまとめている。

次に、友人の作家・金石範が登場する。母親のルーツを済州島に持つが、本人は猪飼野生まれである。まったく反対の立場にあって、金石範も、済州島を文学のテーマとしてきた。その彼は、金時鐘を評し、「彼の日本語への取り組みは、皇国臣民であったことへの復讐」なのだとする。

1957年、『ヂンダレ』誌に寄稿。それは自らの日本語に対する疑問を表したものであると同時に、北朝鮮の体制を嫌悪するものでもあった。そのため、組織に嫌われ、詩の発表場所を奪われてしまう。当時、大阪でも、朝鮮同様に、北朝鮮帰国事業(1959年~)を巡り、民団と総連とが対立していた。

1973年から、神戸の湊川高校において朝鮮語を教える。多くの在日コリアン、奄美出身者、沖縄出身者、被差別居住者などが生徒におり、朝鮮語が必修科目となっていた(いまも正規科目だという)。自己紹介のために登壇したとき、被差別の子どもが駆け寄ってきて、「朝鮮帰れ!」と叫ぶ。その子は、在日コリアンでもあり、トラック運転手をしながら、9年間かけて卒業する。彼もぼちぼち授業を覗くようになり、卒業式の答辞では、「本名を隠して生きることは、酒を飲んでも酔えぬことと同じだ」と述べたという。

自らの半生を振り返り、金時鐘は、次のように言う。

1945年8月、自分が何から解放されたのか、未だに引きずっている。何ひとつ清算せずに新しい国家を掲げることなどあってはならないことだ。自分は言葉だ。だから、その言葉は、日本人たちが気にも留めずに使っている日本語であってはならない。堪能な、流麗な日本語であってはならない。これは死ぬまでの宿命だ―――と。

なんという凄絶な覚悟だろう。 

●参照
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
文京洙『済州島四・三事件』
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『新編「在日」の思想』
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(鶴橋のコリアンタウン形成史)
鶴橋でホルモン 
野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(沖縄と済州島)
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ミシェル・ンデゲオチェロの映像『Holland 1996』

2013-07-14 23:48:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミシェル・ンデゲオチェロによるライヴ映像、『Holland 1996』(1996年)を観る。オランダ・ハーグでの「North Sea Jazz Festival」に出演した際の記録である。

なかなか言葉が解りにくいから、歌詞を探して、片手に持った。わずか4曲ではあるが、相手をドアの外から想う愛の唄、黒人としてのプロテストの唄など。おそらくはさまざまな隠語が散りばめられているのだろうが、わたしにとっては距離の遠い異文化、それを感知する能力はない。

それにしても、ンデゲオチェロは囁くような声で聴かせる。ファンクの繰り返しとビート、その中で、彼女は歌い、キーボードを弾き、ベースを弾く。もう、ひたすらにカッチョいいグルーヴなのだ。なお、ンデゲオチェロとは、スワヒリ語で「鳥のように自由に」を意味する。

1996年といえば、ちょうど、『Peace Beyond Passion』が公表された年だ。もう手元にはないが、普段は線が細くて敬遠していたジョシュア・レッドマンのサックスがぴたりとはまり、唸った録音だった。同時期に、インパルス・レーベルの企画で、ハービー・ハンコックと共演したCDと映像があって、これもずいぶん好きだった。

実は、その後のンデゲオチェロをまったく追いかけていない。二ーナ・シモン集なんて聴いてみたいのではあるが。推薦乞う。