Sightsong

自縄自縛日記

関門海峡と唐戸市場

2011-03-31 01:30:20 | 中国・四国

山口県下関市と福岡県門司市を隔てる関門海峡、つなぐ関門大橋関門トンネル。トンネルは青函トンネルに抜かれるまで日本一の長さだった。懐かしい風景である。東から向かうと、壇ノ浦を左手に見ながら関門大橋のたもとを過ぎ、やがて唐戸市場に至る。


関門大橋 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP

築地も浦安も愉しいが、唐戸も独特だ。何しろふぐである。午前中、遅めの時間になると、ふぐ雑炊やふぐコロッケやふぐ汁などを食べさせてくれる店が開き、突然一般客で賑わう。もちろんふぐ刺は朝早くから売っている。さざえも目立つ。この界隈で売っているどら焼き、「巌流島」(白餡)と「おそいぞ武蔵」(黒餡)は旨い。


魚市場は愉しい Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP


一休み Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP


いかをさばいてもらう Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP

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佐々木信夫『都知事』

2011-03-30 00:13:44 | 関東

佐々木信夫『都知事 権力と都政』(中公新書、2011年)を読む。都民でなくなって長いが、何しろ都知事選である。数々の人権侵害発言を繰り返してきた石原知事に都民がどのような答えを出すのか、じっくりと見届けなければならない。

言動と独裁者然としたキャラクターばかりが目立つ石原知事だが、逆に言えば、私たちには東京都の政策があまり視えていないことを意味するのかもしれない(五輪招致などのイベントを除いて)。本書は、日本の自治制度に起因する都の権力構造、通常業務の姿、そして社会が求める政策と知事とがシンクロする流れなどを見せてくれる。

日本の自治制度は「二元代表制」を採用している。これは国会議員だけを選挙で選び、国会が内閣総理大臣を指名する「一元代表制」とは根本的に異なっている。住民は議員と首長とを別々に選ぶが、予算の提出権や議会解散権が首長にあるなど、首長の権限がかなり強い。そのため、国政とは異なり、知事も4年の任期を全うすることができる構造となっている。

都には独特の構造があり、弊害も多いという。4人いる副知事の権力増大、実務に特化した組織(政策マンが育たず官僚制の欠点である「待ちの行政」風土が蔓延)、競争原理の欠如といった問題点が指摘されている。また、都議会には(二元代表制であるから)知事と同等の立場として政策立案(立法)が求められているにも関わらず、実際にはそれは極めて少なく、知事サイドか否かによる勢力争いの場となっていると厳しい指摘がなされている。

大きな政治の流れとしては、東、美濃部、鈴木、青島、石原と、ハード重点・経済重視ソフト重点・生活重視との間を振り子のように揺れ動いていると分析している。経済にも生活にも多くの問題が顕在化しているいま、石原再選なのか、新たな権力者が選ばれるのか、いまの段階ではよくわからないところだ。

著者は強い大都市形成論者のようだ。東京の税収は東京のために使い、港湾や羽田空港などのインフラ設備を行い、それにより国際競争力を付け、その駆動力が日本全体への利益を生むのだとする考えである。返す刀で、「農村国家の体系のまま国が地方の面倒をみるというパターナリズム(父親的温情主義)を続ける限り、地方の活力は生まれない」と断じる。経済には大きな駆動力が必要であることはよくわかるが、ここでいう地方分権とは大都市のみを視ての表現である。疲弊し続ける地方への目線は、そのような新自由主義的なトリクルダウンでは不十分ではないかと思えてならない。

「平等主義から「選択と集中」により日本再生をめざす時代だ。日本は「夢のない国」と言われる。しかし、「夢はつくるもの」である。東京一極集中の弊害を取り除くためにも、他の地域圏を道州に再編し強化していくことが望ましい。これまでのような東京富裕論を何度繰り返しても、そこには何も生まれない。
 大都市圏は大都市圏の役割をしっかり果たせるように、地方圏は地方圏の持ち味を生かせるように国のかたちを変えていく。」

「平等主義」を棄て、「選択」されなかった地方は、オカネの還流も消え、さてどうなるというのだろうか。ここから先は、「道州制」の制度設計のなかで処方箋を見出すのだとでもいうのだろうか。

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巌流島

2011-03-28 23:45:22 | 中国・四国

2011年3月、山口県下関市の巌流島。小さな船が数十分おきに唐戸の港から出ている。宮本武蔵佐々木小次郎の決闘(1612年)、アントニオ猪木マサ斉藤の決闘(1987年)という闘いの歴史を刻んでいる島だ。前者の像はあるが猪木の像はないのは残念。

本当の名前は船島という。現在は無人島であり、埋め立てられて元の何倍もの面積になっている。1955年に30軒(または50軒)の家があったが、1973年、最後の老人が島を去ったのだという。対岸には三菱重工の下関造船所が見える。島の中も、公園以外の藪地は重工の土地である。

重そうな椿が綺麗に咲いていた。黄色い花粉が恥も外聞もなく存在をアピールしていた。椿の分厚い葉が小さいころから好きである。


椿 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、何かのカラーネガ


下関の造船所 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、何かのカラーネガ


重工の土地 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、何かのカラーネガ


小船の窓から Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、何かのカラーネガ

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藤岡靖洋『コルトレーン』、ジョン・コルトレーン『Ascension』

2011-03-27 10:24:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』(岩波新書、2011年)を読む。著者はジョン・コルトレーンの研究家として昔から有名な存在であり、よく『スイングジャーナル』誌において名を目にしていた。

私はコルトレーンのテナーサックスの音色が好きではなく、勿論独特であることは認めるものの、テナーらしくもないと思っている。そんなわけだから、著者がコルトレーンのテナーサックスを「独特の野太い音」と表現することには甚だ違和感がある。バップでのアドリブのセンスもあるとは思わない。ソニー・ロリンズ『Tenor Madness』でのロリンズとの対決を聴けばそれは明らかだ。また、マイルス・デイヴィス『Someday My Prince Will Come』においても、ハンク・モブレーのソロの方が表題曲にマッチしている。

本書にあるように、日本でのインタビューで「聖者になりたい」と答えたコルトレーンには、バップの文脈ではなく、唯我独尊、ただ己の文脈こそが求められていたのだと思える。その意味で、私がいまだ手放さないコルトレーンの盤は、(リラックスしている『Lush Life』を除いて)後期のものばかりだ。

児山紀芳「あなたは、いまから10年、20年後、どのような人間になりたいですか?」
コルトレーン「I would like to be a saint. (laugh)」
児山「聖者になりたい?」
コルトレーン「Definitely!」
(亡くなる前年の1966年)

それにしても、このような研究者による真っ当な評伝を読むのは面白い。チャーリー・パーカー+ディジー・ガレスピー『Bird & Diz』の有名なジャケット写真の横に実はコルトレーンが立っていたこと、よく教えを乞いに訪れていたイリノイ・ジャケーのことを(ホンカーとしてではなく)フリー・ジャズの先達として評価していること、コルトレーン直筆の「Circle of 5th」(コード変更の図)があったこと、1960年代半ばからのロフト・ジャズ・シーンにコルトレーンが並々ならぬ興味を寄せて「スラッグス」に足繁く通っていたことなど、もっと心を白紙にしてコルトレーンを聴きなおしてみようかと思わせてくれる。

問題作とされてきた『Ascension』(Impulse!、1965年)録音時のエピソードも面白い。40分一本勝負、集団即興の合間にはその後重要となるプレイヤーたちがソロを繰り出す記録である。ソロは、コルトレーン(テナーサックス)、デューイ・ジョンソン(トランペット)、割れた音で叫び続けるファラオ・サンダース(テナーサックス)、いつものフレディ・ハバード(トランペット)、突然抒情的になるマリオン・ブラウン(アルトサックス)、ブルージーなアーチー・シェップ(テナーサックス)、塩っ辛いジョン・チカイ(アルトサックス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソンアート・デイヴィス(ベース)(どっちがアルコでどっちがピチカートだろう?)という順に渡される。エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)は、ずっとあのタイコを叩きまくっている。みんなの個性が出ていて飽きない盤だ。

本書によると、さらにテッド・カーソン(トランペット)やジュゼッピ・ローガン(サックス)にも声をかけていたのだという。数年前にホームレス姿を発見され、酷いとしか言いようのないヨレヨレのサックスを改めて録音しているジュゼッピが、『Ascension』に参加していたとしたら!(とは言っても、当時のESP盤は好きなのだが)。

このあたりを機に、マッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズはコルトレーンのもとを離れる。

「・・・これまでと違うのは、カルテットのメンバーも聴衆と同じ思いを抱いていたことである。マッコイとエルヴィンの二人は、完全に嫌気がさしていた。曲全体に宗教的潜在意識が込められ、いつ終わるとも知れない混沌とした演奏をさせられるのは、もはや難行以外の何者でもなかった。」
「ファーストテイクが終わるや否や、エルヴィンは「やってらんないよ!」と叫んでスネア・ドラムを放り投げ、裏庭へ出て行ってしまった。」

コルトレーンの死後、マッコイもエルヴィンもコルトレーンの曲を採りあげ続けてきた。エルヴィンに至っては宗教のようであった。そんな彼らにとって、離脱前後のコルトレーンをどう捉えてきたのか、とても興味がある。

●参照
ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ(コルトレーンとの『Interstellar Space』)
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット
エルヴィン・ジョーンズ(1)
エルヴィン・ジョーンズ(2) 
アーチー・シェップの映像『I am Jazz ... It's My Life』
マリオン・ブラウンが亡くなった
マリオン・ブラウン『November Cotton Flower
イマジン・ザ・サウンド
ジャズメンの切手

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『香月泰男・追憶のシベリア』展

2011-03-26 10:24:56 | 中国・四国

山口県立美術館『香月泰男・追憶のシベリア』展を観た。中学生のころから何度も足を運んだ美術館だが、本当に久しぶりだ。山口市が県庁所在地なのに寂しいのも相変わらず。ここには行くたびに香月泰男の「シベリア・シリーズ」を観ていた。私の父も、かつて大津高校で香月に美術の授業を受けている。

今回は生誕100年の特別展であり、まとまった量が展示されている。なお、同じ山口県の三隅町には香月泰男美術館があるが、「シベリア・シリーズ」を展示することはできないようで、小品が中心である。10年以上前に足を運び、それも良いものだった。

「シベリア・シリーズ」は全て、何かのマテリアルを練り込んだ絵具により、つや消しの黄土色と黒色の世界を形成している。奉天で終戦を迎えた香月は、そのままマイナス35度の極寒のシベリアに収容され、1947年にようやく故郷に帰っている。しかし、厳しく、仲間たちが次々に死んでいく「シベリア」を描くことができるようになったのは、帰ってから10年以上を経てからのことだった。苦しむ男たちの顔、亡骸の顔が骸骨のように彫り込まれ、あるいは浮き出ているイマージュを観ると、それも仕方のないことだったかと思わされる。

人々の顔以外にも印象的な作品がいくつも心に残った。「伐」は伐り株の断面。「荊」は有刺鉄線、冷え切った身体に刺さるようだ。「黒い太陽」、香月はこのような心象で真っ黒な太陽を視ていたのか。そしてたまに黄土色と黒色以外の世界が登場する。「雪山」は白と黒の雪景色、極寒が迫ってくる。「青の太陽」は、黄土色と黒色の世界に現れた青い空、太陽ではなく夜の星々だろうか。

久しぶりに接することができ、本当によかった。立花隆が頻繁にとりあげてはいるが、山口県以外の人たちにもこの世界を見せてほしい。

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ジョン・フォード『黄色いリボン』、ロバート・クローズ『燃えよドラゴン』

2011-03-26 09:06:59 | 北米

山口の生家に疎開した際、ヒマな夜に棚にあったDVDを観た。古典ゆえ過去に観たものだが、何度観ても面白い。

■ ジョン・フォード『黄色いリボン』(1949年)

19世紀、退役が迫った騎兵隊長がジョン・ウェイン。「インディアン」たちが攻撃してくる中、女性ふたりを安全な場所に逃がすべく、駅馬車まで送り届ける最後の任務を与えられる。『荒野の決闘(いとしのクレメンタイン)』(1946年)において香水を付けて照れる男を描いたように、ここでも、三角関係がいい感じのユーモアになっている。朝や夕刻の風景描写も素晴らしい。

そんなわけで、さすがジョン・フォード・・・ではあるのだが、いま観ると、先住民(「インディアン」)を征服して国家を確立していった歴史が全面的に肯定されており、現在に至るまで数限りなく作られている「米国賛美」映画のひとつとして捉えざるを得ない(ジョン・ウェインがそのような存在でもあった)。女性の扱いだって典型的なそれである。

■ ロバート・クローズ『燃えよドラゴン』(1973年)

ちょうどこの間、ジョニー・トー+ワイ・カーファイ『MAD探偵』(2007年)(>> リンク)において登場する鏡の対決シーンにより、この映画のことを思い出していたところだった。改めて観ると、本家の鏡のシーンが数段上である。このメカニックなダイナミズムは、絵画ならばマルセル・デュシャン『階段を降りる裸体 No.2』(1912年)、小説ならば筒井康隆『バブリング創世記』(1978年)と共通する迫力を持つ。

それにしてもブルース・リー最高である。忍び歩きやヌンチャクのデモンストレーションだけでなく、格闘シーンでも、凄い速度で相手の足の甲を攻撃するなど、何でもありなのだ。タワーをどんどん登っていく『死亡遊戯』(1978年)もまた観なければ。

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平出隆『ベースボールの詩学』、愛甲猛『球界の野良犬』

2011-03-25 01:27:41 | スポーツ

地震と原発事故が起きてからというもの気もそぞろ、忙しいこともあって、何かをまともに読もうという気が起きない。そんなわけで、快楽中枢を刺激するものはプロ野球であるから(それさえも開幕延期)、平出隆『ベースボールの詩学』(講談社学術文庫、原著1989年)を読む。

同じ著者の『白球礼讃』(岩波新書、1989年)は出た当時読んだが、これは知らなかった。『白球礼讃』は、米国において野球発祥の地とされるクーパースタウンから名前を取った草野球チームをやっているという話だった。確か、ロッテ・オリオンズを引退した後のレロン・リーを助っ人として呼び、試合の最後に代打として登場させるエピソードがあった。彼の打球は内野フライ、しかしひたすらに高い高い打球であった、というのだった(なんて良い話だろう)。同じころにリーの妻が『リー、思いっきり愛』という本を出し、渋谷の紀伊国屋書店でサイン会があったことを覚えている。本を買いもせず横で眺めていただけだが、リーの迫力は凄いものがあった。

この『ベースボールの詩学』では、クーパースタウン神話が歴史の捏造であったことに触れている。スポーツ用品業としても大成功したスポルディングという男は、ボストン・レッドストッキングス(レッドソックスではない)に所属し、はじめて200勝をあげた大投手である。しかし彼は、いわゆる<アメリカ>であった。国技としての神話を創るため、英国からのルーツを故意に抹消したというのだ。野球の<アメリカ>神話化は今でも生きているから、その始点を示されたような気がした。日本野球をコケにしたボブ・ホーナー、ビル・マドロック、ケビン・ミッチェルといった奴らもいたし、第1回WBCでの日米戦では西岡剛のタッチアップについて明らかに米国寄りの采配があったし、パイレーツに入った桑田真澄を吹っ飛ばした巨漢の審判だってそうかもしれない。

米国内だけではない。スポルディングは野球の伝道師として、1888年、はじめての世界遠征を企画実行している。ニュージーランド、オーストラリア、スリランカというクリケットの国を経て、エジプトではピラミッドをバックネット代りにして、フランスではエッフェル塔の下で試合を行っている。滅茶苦茶だ。それでも、やはりクリケット王国の英国ではそれなりに受けたようだ。いまだに私にはクリケットのルールがわからないのだが、スリランカのマータラという町でクリケットをテレビ観戦していると、隣りのオヤジが「彼はこの町の出身で、打って良し、守って良し、走って良しの三拍子揃った選手だ」と話していたことを思い出す。まあ野球と同じ、原初の欲望においては同じなのである。

1845年に結成されたニッカーボッカーズのルールには、「走者にボールを投げつけることの禁止」が入っていた。著者はこれが、硬くて反発力のあるボールを使うことにつながり、近代野球の扉を開いたものと評価している。歴史的にも、このころからベース間の距離はまったく変わっていない。盗塁や内野安打のぎりぎり感を思えば、その絶妙な距離の不思議さを感じざるを得ない。ああ面白いな。

ついでに、空港の売店で目についた、愛甲猛『球界の野良犬』(宝島社、原著2009年)を読む。野球で野良犬というと、長嶋茂雄の立教大学時代のエピソードを思い出してしまう。

「おい、映画を観に行くぞ!」
「長嶋さん、何の映画ですか?」
「ノヨシケンっていうんだ!」

それはともかく、愛甲先生、いかにも悪そうだったが、本当に悪かったんだな。あのバットを垂直に立てたフォームが好きだった。「テレビじゃ見れない川崎劇場」の川崎球場で一度見た。千葉マリンスタジアムの売店には、愛甲とマイク・ディアズのオリオンズ時代のユニフォームが飾ってあったが、まだあるのかな。

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東北・関東大地震 福島原子力の情報源(2)

2011-03-16 09:17:39 | 環境・自然

この災害の終息が見えてから将来のために読むべきものかもしれないが、重要な指摘・論考。

今回改めてTwitterの有効性が明らかになったことは強調すべきだ。これらもTwitterでの口コミによるものであり、テレビや新聞経由では目に触れることがない。なお、急速に反響を呼んでいる広瀬論文に関しては、池田信夫氏が「これは悪質なデマ」だと断じているがどう判断するか。

ところで、「××での放射能測定値は××の何倍」という報道は、その意味を軽んじてただセンセーショナルにしているという点で問題だと思うがどうか。

●広瀬隆『破局は避けられるか――福島原発事故の真相』(2011/3/16) >> リンク

「テレビでは、コメンテーターも政府もみな、微量、微量と言い続けた。ここまでくれば、みな、おそるべき犯罪者たちである。さらに2号機では、格納容器の破損が起こり、4号機では建屋内の使用済み核燃料のプールが沸騰を始めたという。ここには、原子炉より多くの放射性物質が入っている。作業者が近づけない場所であるから処理はおそらく不能であろうと、15日の午後5時時点で、私は推測するが、この推測が間違ってくれるよう祈っている。福島第一原発の6基のうち、1基がメルトダウンすれば、そこには職員がいられなくなる。すべてを放棄して逃げ出すだろう。あとは連鎖的に事故が起こる
 この発電所には、全部合わせて、事故を起こしたチェルノブイリ原発の10倍を超える放射能があると思われる。あとは、この放射能が無害であると、政府と原子力安全・保安院と電力会社とテレビの御用学者たちは言い続けるはずだ。もし日本の国民が愚かであればそれを信じて、汚染野菜を食べることだろう。明日、すぐには死なないからだ。しかしかなりの高い確率で発癌することが分っている。子供たちを守れるのは、事実を知っているあなただけである。」

反論 → ●池田信夫『デマにご注意』(2011/3/16) >> リンク

「たしかに核廃棄物の放射能は多く、それがコントロールできなくなったことは深刻な事態である。大量の核廃棄物が大気にさらされた可能性があるが、これはチェルノブイリのような「メルトダウン」とは違う。チェルノブイリの場合は核燃料が暴走したまま原子炉が崩壊したので、高温の噴煙が上空まで上がって欧州全域に飛んだが、今回は放射能汚染は基本的には原発の周囲にとどまる
 「連鎖的に事故が起こる」とは何をいおうとしているのかわからないが、1~3号機の連鎖反応は止まっている。4号機の事故は「核の燃えかす」によるものなので、再臨界(核燃料の連鎖反応が再開される)を起こすことは考えられない。崩壊熱による火災は今後も考えられるが、これは連鎖反応とは違う。」

●塩谷喜雄『未曾有の震災が暴いた未曾有の「原発無責任体制」』(2011/3/15、フォーサイト) >> リンク

「実は、東電の福島第一は津波に弱く、炉心溶融の危険性があることは、5年前から指摘されていた。想定外などではない。福島第一で想定されている津波、チリ地震津波クラスに遭遇すると、大きな引き波によって冷却用の海水を取水できなくなるといわれる。この引き波による取水停止が、炉心溶融に発展する可能性を、2006年に国会で共産党の吉井英勝議員が質問している。」

●大前健一『福島第一原発で何が起きているのか――米スリーマイル島原発事故より状況は悪い』(2011/3/15) >> リンク

「今回の反省から全ての原発を再点検し、必要な施設の付加をして生かせるものは生かす。しかし、新たな炉の建設や今回のような恐れのある炉は廃炉とするしかない。国民はその不便を「電気の節約」という行動で積極的に甘受するしかないだろう。」
※なぜか再生可能エネルギーに触れられていないが・・・。

以下、過去すでになされていた指摘

●チリ地震が警鐘 原発冷却水確保できぬ恐れ対策求める地元住民(2010/3/1、しんぶん赤旗) >> リンク

「原発の津波対策をめぐっては、2006年に日本共産党の吉井英勝衆院議員が国会質問で不備を指摘しています。5メートルの津波(引き波)によって、日本の原発の約8割にあたる43基の原発で、冷却水が海から取水できなくなることを明らかにしました。また、原発ごとに想定されている引き波でも、12原発が、取水不能になるうえ貯水槽もないことがわかっています。」

●石橋克彦『迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である』(2005/2/23、衆院予算委員会) >> リンク >>リンク(原文)

「・・・普通、原発の事故というのは単一要因故障といって、どこか一つが壊れる。
 で、その場合は多重防護システム、あるいはバックアップシステム、安全装置が働いて、大丈夫なようになるというふうに作られているわけですけども、地震の場合は複数の要因の故障といって、いろんなところが振動でやられるわけですから、それらが複合して、多重防護システムが働かなくなるとか、安全装置が働かなくなるとかで、それが最悪の場合にはいわゆるシビアアクシデント、過酷事故という炉心溶融とか核暴走とかいうことにつながりかねない訳であります。」

●谷口雅春『浜岡原発2号は東海地震に耐えられない 設計者が語る』(2005/7/13) >> リンク

「ところが1972年5月頃、驚くべき事態が起こりました。部門ごとの設計者の代表が集まった会議で、計算担当者が「いろいろと計算したが無理だった。この数値では地震がくると浜岡原発はもたない」と発言したのです。」
「私は、それを聞いて「やばいな」と思い、しばらく悩んだ末に上司に会社を辞める旨を伝えました。自分の席に戻ったところ、耐震計算結果が入った三冊のバインダーが無くなっていました。そのため、証拠となるものは何も持っておりません。」

参考

●本ブログ『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』 >> リンク

●本ブログ『『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)』 >> リンク

●本ブログ『既視感のある暴力 山口県、上関町』 >> リンク

●本ブログ『眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』』 >> リンク

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東北・関東大地震 福島原子力の情報源

2011-03-13 10:59:56 | 環境・自然

地震発生後に冷却装置がストップしてからずっと注視しているが、情報公開の透明性は低く隔靴掻痒。パニックを防ぐために詮索せずにNHKや政府などの大本営発表だけを見るべきだという意見さえ出る始末だ(これが問題であることがなぜわからないのだろう)。信頼でき、求められているのは科学的・即時的な情報であった。

●早野龍五氏(東京大学)のtwitter >> リンク

リアルタイムでの科学的な判断。信頼できる。昔プログラミングの授業を受けたこともあり勝手に好感。

●原発に関するQ&Aまとめ >> リンク >> リンク

上記早野氏のtwitterのまとめ。つながらないこともある。

●原子力資料情報室 USTREAMでの記者会見(2011/3/12 午後8:00-) >> リンク

東芝の元技術者が問題を技術的に解説。政府やメディアにおける情報の隠蔽体質に憤りを覚えての登場。わかりやすく、なぜヘンな学者でなくこのような方をテレビに出さないのかという声が圧倒的であった。リアルタイムで5万人が視ていた。

●松浦晋也氏(ライター)のtwitter >> リンク

上の記者会見を逐一まとめている(私は全部は確認していない)。

●東大地震研のこの地震に関するサイト >> リンク

地震から1日遅れで設置された。今までの地震に関する思い込みはアテにならない。修士のときに在籍した。

●宣伝映画『福島の原子力』(1960年) >> リンク

科学映像館による配信。運転開始前の宣伝映画のようだが、なぜかパソコンのリアルプレイヤーがうまく動かなくなった(これまで科学映像館の映像をよく視ていたのに)。内容を誰かまとめてください。

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西銘圭蔵『沖縄をめぐる百年の思想』

2011-03-12 12:34:22 | 沖縄

西銘圭蔵『沖縄をめぐる百年の思想』(ボーダーインク、2010年)を読む。小林よしのり批判を中心とした書であり、著者の修士論文が基になっている。

私などは小林よしのりの破廉恥な漫画利用(決して漫画的ではなく、願望を登場人物のあられもない表情に投影させるというどうしようもない手法)が大嫌いで、『ゴーマニズム宣言』も何も読む気にならないのだが、本書を読むと、低次元なイデオロギー漫画であっても批判的に読む強さがあってもいいのかななどと思ってしまう。

著者の小林よしのり批判は、次のようなポイントにある。

○沖縄県民が米軍基地撤廃を望むのは、「愛国心」ゆえの国家主権侵害に反対してではなく、戦争体験をもとに人権侵害に反対してのことである。
○沖縄側から出た「沖縄イニシアティブ」を批判する小林の主張は「鋭い」。
○ネーションや国体のために国民が存在するのではない。
○日本の原型を沖縄に見出すのは歴史的には虚妄であり、「沖縄人が喜んて靖国に祀られる」側面とあわせて、新たな国家動員に役立つと嗅ぎとっているに違いない。
○日本文化の原型を沖縄に見出した柳田國男は、皇道文化のひとつとしての日本文学を外部に広めようとした「日本文学報国会」の理事であった。この、既に否定さるべき妄想が、小林の発信する漫画とも共通している。小林はそのために沖縄人をくすぐっている。
○伊勢であろうと靖国であろうと、ヤマトゥというネーションのために確立されたものだ。
○小林が希う共同体やその延長としての国家は、ヤマトゥにおいては崩壊している。そのために、『ちゅらさん』はヤマトゥで共感をもって迎えられた。しかし、『ちゅらさん』には、共同体による個人への抑圧は描かれていない。

●参照
村井紀『南島イデオロギーの発生』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
伊波普猷『古琉球』
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾ミホさんの「アンマー」
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
由井晶子「今につながる沖縄民衆の歴史意識―名護市長選挙が示した沖縄の民意」(琉球支配に関する研究の経緯)
上里隆史『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』

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東北・関東大地震

2011-03-12 08:08:10 | 環境・自然

東京丸の内のオフィス。はじめて体験する規模の揺れ、はじめて訓練以外でヘルメットをかぶり机の下にもぐる。指示によりオフィスに缶詰、夜になって近くのコンビニに出てみたが、ドリンク以外はほぼ売り切れ。地下鉄が動き出し、深夜12時をまわってからオフィスを出た。東京駅はテレビの前に集まる人々、座り込む人々。帰宅してみると自分の部屋は本が散乱し、ドアがつっかえて開かなかった。

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ジョン・ゾーン『Interzone』 ウィリアム・バロウズへのトリビュートなんて恥かしい

2011-03-10 23:20:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョン・ゾーン『Interzone』(Tzadik、2010年)を聴く。ジョン・ゾーンの作品を買うのは久しぶりだが、ウィリアム・バロウズへのトリビュート作だと知って堪らなくなったのだ。メンバーは豪華で、ジョン・ゾーン(サックス)、マーク・リボー(ギター)、シロ・バチスタ(パーカッション)、イクエ・モリ(エレクトロニクス)、ジョン・メデスキ(キーボード)などが顔を揃えている。

なるほど、バロウズのテキストにおけるカットアップ的な音のコラージュである。電子音のノイズ、アナログノイズ、ゾーンの相変わらず巧いサックスソロ、メデスキの美しいピアノとキーボードのソロ、モロッコの雑踏音、リボーのかっちょいいギターソロ、そんなものが次から次へと脈絡なく移り変わっていく。

しかしである。聴く私には、ああ、「らしい」なという印象しか浮かんでこない。ハチャメチャさもダイバーシティも既存のジョン・ゾーン再生産、突き破る何かが見いだせないのだ。例えば『Spillane』でも、『Naked City』でも、『News for Lulu』でも、『Duras : Duchamp』でも、あるいは『Masada』のシリーズでもよい、これまで人を驚かせ喜ばせてくれたジョン・ゾーンと比較してみるならば、答えは明らかだ。もはやジョン・ゾーンの時代ではないのである。

●参照
ミッキー・スピレイン、ジョン・ゾーン
『Treasures IV / Avant Garde 1947-1986』(ゾーンの音楽と実験映像)
コンラッド・ルークス『チャパクァ』(バロウズ出演)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(バロウズ出演)

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浅川マキの新旧オフィシャル本

2011-03-10 01:53:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

浅川マキが亡くなったあと、「最初にして最後の浅川マキ・オフィシャル本」という触れ込みで、『ロング・グッドバイ 浅川マキの世界』(白夜書房、2011年)が出ていた。確かに、田村仁の写真、昔持っていた『筒井康隆の世界』に収録されていたエッセイ、奥成達柄谷行人との対談、渋谷毅へのインタビュー、ディスコグラフィー、コンサート・リストなど充実している。

奥成達との対談では、浅川マキが渋谷毅の凄さを語っている。速弾きでもなく、トリッキーでもない渋谷毅のピアノの魅力を語るのは難しいが、それは浅川マキにとってもそうだった。とても共感する語り口である。

「渋谷さんという人は「ナントカ、カントカでした」なんて、絶対アドリブが終わらないんですよ。非常に結論なく終わっちゃうんです。それが、あまりに突然のことなので、客が拍手なんかできない状態になっちゃうんです。でも、その渋谷さんのバイブレーションが、次の日になっても観客のなかにつづいている、そう思えることがありますね。」
「渋谷さんのピアノは、どこへ行くかまったくわからないし。簡単にいっちゃえば、とにかく非凡なわけですね。それから、それをすごいと思うのは、思う人のキャパシティもあると思うんです。」

面白いことに、渋谷毅も浅川マキの魅力について同様のことを口にしている。

「普通にしゃべるのも、まったく普通にしゃべるのと普通にしゃべるようにしゃべるというのがあるじゃない。そういうのがいつも行ったりきたりしている、そんな感じなんだよね。聴いていると、どこが作ったものでどこが作ってないものなのかわからないんだよね。なんか、他の歌い手とは別の次元の人だね。」

もうひとつの発見。これまで「ナイロン・カバーリング」はストッキングのことだと思っていたが(そう思う人は多かったようだが)、実はコンドームのことだった。「薄物を見ると/息もつまり熱くなるの」なんて凄い歌詞だったんだな。そんな指摘をされて浅川マキ自身が照れて逃げているのが意外といえば意外だ。

オフィシャル本が最初だというのは半分誤りで、『新譜ジャーナル別冊・浅川マキの世界』(自由国民社、1974年)というムック本がある。写真以外には、新しいオフィシャル本にも収録されていない。ラリってるとしか思えない野坂昭如との対談、27曲の楽譜、それに「ちっちゃな時から」を挿入歌にした真崎守の劇画があって脱力する。

ところで、浅川マキの本名「森本悦子」は、両オフィシャル本には書いておらず、『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』(実業之日本社、2010年)にしか記載がなかった。明田川荘之『ああ良心様、ポン!』(情報センター出版局)には本名「虎野まき」だとあった。やはり冗談だった。

参照
『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』
『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ
浅川マキが亡くなった
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』
浅川マキ DARKNESS完結
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演)
オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』)
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』
宮澤昭『野百合』
渋谷毅のソロピアノ2枚
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ

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ジョニー・トー(11) 『MAD探偵』

2011-03-07 00:56:55 | 香港

新宿のK's Cinemaで、ジョニー・トーワイ・カーファイによる共同監督作品、『MAD探偵』(2007年)を観る。いまやこの人ならば何を置いても駆けつけるという映画監督は、私には、ジョニー・トーしかいない。(というと言いすぎで、きっとヴィム・ヴェンダースもジョナス・メカスもそうである。)

借金を抱えた悪徳警官が、『エグザイル/絆』、『エレクション』、『スリ』でいちいち印象が強いラム・カートン。彼の中には7人の人格がいて、そのひとり、臆病な食いしん坊がやはりトー作品常連のラム・シュー。主役は宮沢和史にえらく似ている(つまり暑苦しい)ラウ・チンワン

主役の探偵は、被害者や加害者になりきることによって、犯人を想起する異能を持つ。目の前にいる人物の内面に巣食う者たちを幻視することもできる。トー作品において料理は特別な位置を与えられているが、ここでも、悪徳警官の一人格であるラム・シューが「フカヒレ、魚の蒸しもの、鶏の姿揚げ、それにご飯」を食べるのを観察し、自ら同じセットを3回立て続けに食べ、吐きながら幻視する。一方、やはりお決まりのクラシックカメラは本作では登場しなかった(見つけるのが楽しみだったのだが)。

7人の人格との対決は鏡の間においてなされ、当然のように『燃えよドラゴン』を彷彿とさせるところだが、これを敢えて言わなくても毒々しい挑発はそこかしこにばら撒かれている。ラム・シューが用を足している横の便器から、探偵は彼めがけて小便をかけたりもする。そのラム・シューは悪徳警官の別人格の女性に替わり、スカートをまくって立ち小便をしながら探偵を睨みつける。もう滅茶苦茶、抱腹絶倒、何考えてるのか。

『エグザイル/絆』や『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』ほどのスタイリッシュさは見られず、コメディとアクションとの間で微妙な位置にあるようではあるが、紛れもなく傑作だ。暗闇に身を潜ませてジョニー・トーを観る快楽・・・。

●ジョニー・トー作品
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(2009)
『文雀』(邦題『スリ』)(2008)
『僕は君のために蝶になる』(2008)
『エグザイル/絆』(2006)
『エレクション 死の報復』(2006)
『エレクション』(2005)
『ブレイキング・ニュース』(2004)
『PTU』(2003)
『ターンレフト・ターンライト』(2003)
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』(2003)※製作
『フルタイム・キラー』(2001)
『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)

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バンコクの「めまい」というバー

2011-03-06 01:39:40 | 東南アジア

今年に入ってバンコクに3回、あわせて3週間くらい滞在した。仕事であるから昼間はあまり街中をうろうろできず、夕食を取る場所ばかりいびつに詳しくなっていく。最後にぜひにと薦められて昇ったのが、サートーン通りBanyan Treeという高層ホテルの屋上にあるバー「Vertigo」。ヒッチコックの『めまい』だ。


G. Byrne Bracken『A Walking Tour BANGKOK』にあるBanyan Treeのイラスト

この高級ホテルに幾らで宿泊できるか知らないし、一度この中のタイ料理店に入ろうとしてメニューを見て値段に驚愕、すごすごと戻った。そんなわけで、また入るとは思わなかった。

エレベーターで最上階まで昇り、さらに階段でオープンエアの屋上に出る。そこがバーになっている。夜の曇り空の下に大都市バンコクが広がっている。これは凄まじい。ついでに言えば、高所恐怖症の自分には少し微妙である。試しにホテル真下のテニスコートを撮ろうと眺めてみたが、もうそんな無意味なことはやめようと思った。


バーテン


西側のサートーン通り、何度も渡った歩道橋が見える


北側にルンピニ公園が見える


テニスコートでは豆粒がプレイしている

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