Sightsong

自縄自縛日記

篠田正浩『処刑の島』

2008-01-30 23:59:16 | 関東

武田泰淳『流人島にて』を読んでより気になっていた映画化作品『処刑の島』(1966年、篠田正浩)を観る。現在は無人島の八丈小島を舞台にしており、岩山が海から飛び出ているありさまの映像は、武田泰淳の描写と遜色ない出来に思えた。

段々状のかんも(甘藷)畠は、荒々しくはびこる野草と、灰黒色の岩に挟まれ、雨後の土の色をやっとせり上げている。登りつめて、畑地が切れて、左折すると、島の中腹の輪郭に沿って、危険な細路をたどる。丈高い草は崩れた路の左側に、ときどき海の断片を覗かせる。崖ふちに出はずれるたび、海面の遠さ、海面の低さ、海面の広さがいきなり足もとから噴きあがる。地球の表面にへばりついた海水の、太古からのうめきときしみが、聴こえそうな気がする。かなり高いはずの波濤は、小さな小さな岩根に小さな小さな花を、音もなく開くにすぎない。あとは銀灰色の小皺のかがやきを刻んで、青い皮革のように動かない海の皮膚である。」武田泰淳『流人島にて』より(『ひかりごけ』、新潮文庫、所収)

篠田正浩の妻となる岩下志麻、佐藤慶、小松方正、殿山泰司など濃すぎる俳優もいい。そして主役は、大島渚『儀式』や『少年』と同様に、妖怪的な近代日本を顕在化させる戸田重昌のビビッドな美術セットである。(スチールは森山大道だそうだ。観たい!)

「感化院」から島流しにあい、奴隷のように働かされたあげくに、主人に海に投げ込まれて「神隠し」にあったとされた少年が、20年後、復讐に戻ってくるという話だ。復讐の対象となる主人(三国連太郎)、実は少年のアナーキストであった父と母を惨殺した者でもあったとしている。

このような物語を、映画にまとまりきらないほど独自な脚本に仕立て上げたのが、石原慎太郎であったことを知り、複雑な気分になる。歪んだ近代日本への批判ではなかったのか、ということだ。


日の丸やリンカーンの肖像画などを配置した戸田重昌の美術セットが凄い




ベローズを使って仏像の指紋を接写するシーンに、1964年に発売されたばかりのアサヒペンタックスSPが登場する

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与太話(ヤンバルクイナ、パスチャライズド牛乳、二千円札)

2008-01-29 23:59:10 | 沖縄

NHKスペシャル『日本とアメリカ 第1回・深まる日米同盟』(2008/1/27)を観た。日米軍事同盟の追認のためのひどい番組、見返す気にもならない。期待するほうが間違っていたのかもしれないが。

●高江のドキュ

日テレ『NNNドキュメント'08  音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008/1/28)は、それに比べれば何万倍もまともな出来。ただ、米軍という存在の矛盾を示しながらも、それが風景と化していたきらいがあった。

ヤンバルクイナの鳴き声は、高江でもほとんど耳にしないということだ。番組では、国頭村まで北上して録音と録画に成功している。国頭村奥の民宿「海山木」に宿泊したときには、外で宴会をしながら、ヤンバルクイナの鳴き声を幾度となく耳にした。あれは貴重な体験だったのだなと思った。

●沖縄のパスチャライズド牛乳

那覇のコンビニでは、「宮平牛乳」というパスチャライズド牛乳(低温殺菌牛乳)を売っていた。東京近辺では、置いているコンビニはほとんどない。パス乳ファンとしては嬉しくなった。ただ、米国文化のガロン計量の名残らしく、273 ml とか、473 ml とか、中途半端な量になっている。

○参考 低温殺菌のノンホモ牛乳と環境

●二千円札を使っていない矛盾

二千円札の流通量が極めて少なく、今年も刷らないことが話題になっている。自分の財布にも1枚あって、何となく使っていない。浦安魚市場で数年前に使ったら、「縁起物だ」と喜んでもらえた(笑)。

これは本土流通量を増やすために使うことにするとして、手元にはきっと珍しいに違いない、沖縄海洋万博(1975年)の記念100円玉がある。以前沖縄でおつりにもらったとき、てっきりおもちゃコインかと思ったが、全然珍しくないよとのことだった。しかし、本土では珍しいので、使わずに取ってある。

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眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』

2008-01-26 23:59:31 | 中国・四国

先日、『けーし風』読者の集いに出席したら、一坪反戦のYさんにいきなりこの写真集を頂いた。『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』(那須圭子、創史社、2007年)である。(いつもいろいろとありがとうございます。)

上関町はわりと郷里に近いこともあって、原子力誘致をめぐって様々な軋轢があったことは知っていた。しかし、それ以上に見ようと思わなければ、見えないものだ。その眼を向けると、この写真集はこれまで積極的に知ろうとしない態度をとっつかまえようと待ち構えているようだ。那須氏の先達である写真家・福島菊次郎は、「あのねえ、那須さん。無知であることは罪なの。僕がそうだったからよくわかる。」と語っている。

上関町の事情については、鎌田慧『原発列島を行く』(集英社新書、2001年)に良く整理されている。半島の先っぽに原発予定地の長島がある。しかし、そこは長島に住む人たちの眼に触れることは少なく、むしろその先に浮かぶ祝島と眼と鼻の先という関係になっている。そして、これまで繰り広げられてきた世界は、接待攻撃、カネ=麻薬による患者の増加、それによる地域社会における人間関係の崩壊、不十分な環境影響評価、地方行政の日和り、醜い脅し、強制的な事業着工。どこかで聴いたようなプロセスがここでも行われている。(ところで、『原発列島を行く』には、現厚労大臣がこれまでに行ってきた行動も書かれており興味深い。)

そのようななかで、自分たちの生活権を守るために抵抗し続けている方々の姿が、写真にうつし出されている。取材を通じて得られた「生の声」も、なるほどと思わせることが多い。町長選や町議会選挙では、ずっと賛成6:反対4程度の集票のようだ。しかし、それは個人の声を反映したものではない、と主張している。小さい町なので、賛成とする地域では、反対するとばれてしまい、住んでいけなくなるのだ。それどころか、反対する議員や候補と話をするところを見られただけで、「反対派」と見なされてしまうという。これも、間接民主制の欠陥だろうか。

するとお婆さんは私の腕を引き寄せて耳打ちした。「わたしら心から賛成しとるわけじゃないんよ。下の者は上の者に何も言えんでしょ。じゃけえ仕方なしにね。」「じゃ、本当は私たちといっしょ?」そう聞くと、お婆さんは黙って大きくうなずいた。そのうえ1年分もあろうかと思える大量の干しワカメまで持たせてくれたのだった。
 これは第4章で触れた、あの推進派の元町長のお膝元の白井田での話だ。

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『夜顔』と『昼顔』、オリヴェイラとブニュエル

2008-01-26 10:23:26 | ヨーロッパ

ルイス・ブニュエルが1967年に撮った『昼顔』をもういちど観てから、その40年近く後の話として作られたマノエル・ド・オリヴェイラ『夜顔』(2007年)を観に行こうと思っていたが、結局ぎりぎりになってしまい、ようやく銀座テアトルシネマで『夜顔』を観た帰りに『昼顔』を借りて帰った。

それにしても、なぜオリヴェイラがブニュエルを。これまでのオリヴェイラの発言でも、過去の映画作家に関してブニュエルのことを言及したものをみたことがない。ブニュエルが遺作『欲望のあいまいな対象』(1977年)を撮ったのは76歳で、それは逆にオリヴェイラが急に多作になり年1回のペースで映画を撮り始めた年齢にあたる(ジョアン・ベナール・ダ・コスタ『マノエル・デ・オリヴェイラ 映画の魔力』、『マノエル・デ・オリヴェイラと現代ポルトガル映画』(エスクァイア・マガジン・ジャパン、2003年)所収)。今年でオリヴェイラは100歳になる。

それではオリヴェイラが晩年のブニュエルの意志を受け継ぐのかといえば、それは全く異なる。画面に横溢する「妙な力」、ほのめかし、悪意など、言葉で言えば共通しているものの、映画から受ける印象が全く異なるのだ。何が違うのだろう―――オリヴェイラの記者会見(2006年)では、このような発言があった。「ブニュエルは人間を信じてはいなかったが、謎というものへの敬意は持っていた。」「ブニュエルにとって神は謎で、謎だからこそ神が好きだった。謎を知ることは不可能だから、彼は謎に対して敬意を持っていた。そういう意味において、ブニュエルは神への敬意を持つ倫理的な人間だった。他者への敬意がなければ、自由はないのだ。」(『夜顔』パンフより)

『昼顔』では、貞淑な妻が、夫を愛するが受け容れることができず、夫の命令で召使に鞭で叩かれたり、襲われたり、縛られて泥を投げつけられたりとマゾヒスティックな妄想を抱く。そして、遊び人でもある夫の友人に、娼館の存在を教えてもらい、本能的に昼間の娼婦として働くようになる。それにより倒錯した欲望が昇華され、夫を真っ当に受け容れることができるようになる。しかし、娼館で夫の友人に見つかり、さらには嫉妬に狂った客が夫を銃で撃つ。動くことも話すこともできなくなった夫を見舞いにきた友人は、その秘密を夫に告げることによって、こんどは夫が妻を受け容れることができるようになるのだ、と言って部屋に入っていく。秘密を告げたかどうか、妻は見届けられなかった。―――と書いても問題がある話だが、実際に再見して、こんなにインモラルで「人間を信じていない」表情が恐ろしい映画だったかと感じる。

『夜顔』では、40年後、その妻を、夫の友人が、コンサート会場で見つけるところから始まる。逃げる女を執拗に追い、ディナーで過去と秘密について話し始める。夫の友人は前作と同じミシェル・ピコリだが、妻は前作のカトリーヌ・ドヌーヴからビュル・オジェに変わっている。

オリヴェイラらしい、脇腹が痙攣しそうに面白くうっとりするシーンが多発する。ピコリが過去の話をバーテンにするシーンの、鏡を使った視線の交錯。幾度も挿入される、ドヴォルザークをバックにしたパリ市街の鳥瞰の奇妙さ。ホテル前の柱越しにピコリが眺める彫像の「視線」の持つ意思。ディナーシーンでの、ただ笑顔で飲み食いをしつづけるピコリの息遣いと口の音。大傑作だ!

オジェ(ドヌーヴ)はピコリに対し、「本当に40年前に夫に秘密を告げたのか教えてくれ」と迫る。それに対し、ピコリはにやにやして「どう思うのか」と問い返す。オジェは激昂して立ち去る。謎は謎のまま残されてしまい、観ているこちらにも、しこりや欲求不満ではなく、謎が残る。他にも、仕掛けがいくつもありたまらない。

それにしても、何故これまでのように日比谷シャンテ・シネで上映しなかったのだろう。箱はなんでもいいが、パンフにシナリオの採録もなく執筆者が貧弱すぎる。

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『魯迅』、丸木位里・丸木俊二人展

2008-01-24 21:58:28 | 中国・台湾

神保町すずらん通りにある内山書店のワゴンで見つけた、丸山昇『魯迅 その文学と革命』(平凡社東洋文庫、1965年)が思いもよらず面白かった。

魯迅作品の持つ暗黒や絶望、怒りはどこから来るのか、それを魯迅の生涯の追体験によって実感できるものになっている。竹内好の一方的な魯迅世界に馴染めない自分には、こちらの方が望ましい。魯迅は、よく中国社会を背景にしているため、日本人には理解しがたいと言われる。それはそれとして、社会の暗黒も革命も心の裡に抱え込んで、そのエネルギーを暴発させた魯迅の「個人的」な文学世界を考えるなら、その指摘は半分のことしか想定していないことに気がつく。

その、社会や人間=俗物に対する絶望は、幼少時から、革命を巡る激動まで、さまざまなパスで蓄積され、熟成されていったことを、本書から読み取ることができる。民衆を救おうとした革命家の処刑を民衆が無上の見世物として見物するという図式。落ちぶれた旧家の息子に冷たいあざけりを浴びせる民衆。盗賊に家を占領されながら感激する奴隷根性。そして辛亥革命を経ても全く関係のないその本質。一方では神話・伝説に見られる民の生命力・バイタリティ。

このような側面を、政治と文学との関係、政治と民衆とのつながり、人間の愚弱さ、因襲の持つ負の面、「個」としての強靭なあり方など、さまざまな視点から考えうることが、魯迅作品の魅力であることが改めてわかるわけだ。

また、本書では、魯迅が生きた時代の社会革新を巡る雰囲気も感じさせてくれる。たとえば、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本が清国政府打倒の楽屋になっていたこと。孫文も魯迅も、そのような中にいた。山中峯太郎が書き大島渚がドラマ化した『アジアの曙』は、そのような空気のさなかにあってこその物語だったわけである。

そして後年、魯迅が極端な共産主義者たちから「プロレタリアート性が希薄」だとして攻撃される背後には、辛亥革命や運動の経験がなく、皮相な理論のみがもてはやされていたことが明らかにされる。皮相さのもとになったものは、実は、中国インテリが日本留学時に触れた福本イズムだったとされている。その福本イズムにしても、ソビエトでブハーリンに否定されてあっさりと日本での受け止められ方が逆転したペラペラさ(桶谷秀昭『昭和精神史』、文芸春秋、1992年)を考えると、腰の据わっていないペラペラさの連鎖ということになってしまう。

そのような見かけの革新や、政治への過度な依拠とは、魯迅世界は、勿論対極にある。凍えるような強風に晒されながらも立ち続ける精神性、これである。

【参考】
魯迅の家(1) 北京魯迅博物館
魯迅の家(2) 虎の尾
魯迅グッズ

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今日、徹夜明けでもう帰ろうと神保町をふらふらしていたら、その内山書店近くの「檜画廊」で、「丸木位里・丸木俊二人展」をやっていた。昨年末に沖縄県宜野湾市の「佐喜真美術館」で観た『沖縄戦の図』シリーズや、原爆のシリーズなどしか知らないので、力を抜いた旅先での絵を観ることができたのは良かった。

丸木俊はぴょんぴょんと飛び跳ねてうきうきするような作品が多い。それに対し、丸木位里の作品は、枯木とも違う、骨太の線でアバウトに形成されたマッスと、その上の渋い色が印象的だった。

佐喜真美術館館長が言っていた、丸木位里は、墨があれば絵が生まれてこなければ画家ではないとしていたという。その湧き出るインプロヴィゼーションが小品にもやどっているようにおもえた。

【参考】
佐喜真美術館

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高江クリッピング

2008-01-23 11:47:54 | 沖縄

ヘリパッド増設が強行されている沖縄県東村の高江について、番組と集会とがある。

●NNNドキュメント'08 「音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地」(→リンク

日本テレビ 1月28日(月)0:50~1:20 (※1月27日(日)の深夜)

沖縄本島北部のヤンバルの森に日の出を告げる絶滅危惧種ヤンバルクイナ。小鳥のハミング、木の葉の触れあう音、せせらぎ…今、ヤンバルの森のシンフォニーが脅かされている。米軍演習場の一部返還が決定した一方、07年7月、東村高江にヘリコプター着陸帯の移設が決まったのだ。座り込みで抵抗する住民。番組ではヤンバルの森の音と軍事訓練を5.1chサラウンドで収録、再現。米軍基地移設問題を臨場感ある「音」から考える。(番組ウェブサイトより転載)

●ヘリパッドいらない東京集会 (→リンク

2月7日(木) 18:30~21:00 @全水道会館(水道橋駅の近く) 4階大会議室

政府・防衛省は高江の住民の反対を無視して、昨年7 月2 日に米軍ヘリパッド予定地へ進入するゲート前に柵を取り付け、建設工事に着手しました。高江の住民や支援者は阻止しようと座り込みを始め、未明にも侵入してきたことから、24 時間の座り込みもしてきました。同年12 月25 日には、突如、沖縄防衛局と建設業者が警備員を引き連れ、トラックの侵入を強行してきました。2 台のトラックに入られた一方で、トラックに体を押されながらも阻止しました。そして今年1 月11 日には、突如、柵を撤去してきました。これで、どこからでもいつでも侵入しやすい事態となり、座り込みも一段と緊迫しています。ぜひかけつけて下さい!(「「ヘリパッドいらない」住民の会」および「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」のチラシより転載)


高江の「カフェ山甕」の猫(2006年) Pentax LX、77mmF1.8、TMAX400、GEKKO(2号)

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東寺、胡散臭さ爆発

2008-01-22 23:59:43 | 関西

京都に所用で行ったついでに、東寺を見物してきた。たぶん5、6年ぶりだ。桓武天皇が平安京を開いたときに西寺(現在では跡が残るのみ)と並んで置いた官寺だが、重要なのはこれが創建後まもなく空海に下賜され、独自の進化を遂げたことだ。


講堂から五重塔(ケータイで撮影)

前回も五重塔の内部を公開していたが、今回も運良く公開期間中だった。面白いのは、密教の中心である大日如来が真ん中の柱そのものとされていること。それから、柱の周りが収縮した結果、柱だけが50センチほど余計に突き出てしまったため、最下部を鋸で切って、達磨落としの要領で短くしたことである。久しぶりに、柱の絵が下にずれているのを覗き込んで、そんなことよく出来たね、と感心してしまう。


拝観時にもらったパンフより

仏教美術としての圧巻は、講堂のなかに展開されている仏像群である。大日如来(こっちは勿論、柱ではなく坐像)を中心とする五如来、不動明王を中心とする五明王、さらに五菩薩。守護神は四天。インド系では梵天(ブラフマー)と帝釈天(インドラ)。五如来などを除けば空海期の国宝であり、その「何でもあり」に眼を奪われる。インドラは穏やかに変な象に乗っている。ブラフマーは4つの顔に4本の手、つくりは日本風に肉感的であり、水鳥ハンサに乗っている。大威徳明王はもっと凄く、6つの顔、6本の手、6本の足で水牛に乗っている。大威徳もインド系だが、サブ的な役割に過ぎなかった明王を中心的存在に据えたのは、空海のオリジナルだったようだ。

※脱線するが、キヤノンの1号機「ハンザキヤノン」(1936年)は、ハンザ(当時、近江屋写真用品)に販売権を与えたため付けられたものだ。キヤノンが「観音」であることは知っていたが、いまも写真用品を製造しているHANSAの名前はブラフマーの乗る水鳥から取ったのではないか・・・と思ったが、キヤノンのサイト(→リンク)を確認すると、ドイツのハンザ同盟から取ったと書いてある。考えすぎだった。

このような「何でもあり」のカオス的密教を独自に発展させた空海については、多分に出世欲の強い政治的な存在であり、そのためもあって中国から持ち帰ったノウハウを拡大再生産していったと評価されるのだろう。梅原猛は、世俗的才能を持ったあまりにも巨大な存在だった空海について、次のように書いている。

最澄は「最も澄む」と書くが、彼は澄みきった深い淵のような孤独と誇りに生きてきた僧であるかにみえる。それに対して空海というのは空と海である。それは果てしなく巨大な空であり海である。その巨大なもののなかには、いささかいかがわしいもの、汚いものもないわけではないが、それらのいかがわしいもの、汚いものも、空のような海のような、はてしない巨大な世界のなかではいつの間にか浄化されてしまうのである。」(梅原猛『空海は空であり、海である』、「芸術新潮」1995年7月)

神仏習合の最たる世界が繰り広げられている東寺だが、明治期の廃仏毀釈の爪痕も残している。先の五重塔の内部にある柱には、もともと仏画が描かれていたとのことだが、それがすべて剥ぎ取られているのだ。「共存」を破壊しようとした偏狭なナショナリズムという歴史があったことの証である。

【参考】
仏になりたがる理由(義江彰夫『神仏習合』について)


5年位前の券(上)と今回の券(下) 微妙に写真が違うことに気が付いた(笑)

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『アース』と『ホワイト・プラネット』

2008-01-20 23:55:37 | アート・映画

『アース』(アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド、2007年)の鑑賞券がエコバッグ付きで当ったので、家族そろって観てきた。

話は北極での冬眠明けのホッキョクグマ親子からはじまり、ツンドラ、熱帯林、砂漠などを経て南極に到達し、最後にまた北極でホッキョクグマの行く末を眺めて終わる。評判通り映像がもの凄く、空撮(シネフレックス・ヘリジンバルという制御装置付きの新型カメラを使用)、海中撮影、赤外線撮影、長期の定点観測などやりたい放題である。かけたオカネは桁外れだろうと思うが、ひとつひとつの映像が記録として素晴らしいので批判する気にはならない。

カラハリ砂漠のアフリカ象は、飲み水なしでやせ衰えながら延々と歩き続ける。昼はライオンも手を出せないが、暗くなってから眼が見えるライオンに襲われる様子は、真っ暗な中で赤外線カメラで撮ったものだ(ライオンと1人のカメラマン以外にとっては真っ暗で何が起きているのかわからない)。歌う鯨として知られるザトウクジラの泳ぐ様子にも眼を奪われる。ゴクラクチョウが雌の気を引こうとして奇抜なダンスを踊るシーンなどは笑いが起きていた。ツルがヒマラヤ山脈を超える空撮シーンも凄い。

帰宅してから、録画しておいた『ホワイト・プラネット』(ティエリー・ラコベール他、2006年)を観た。地域も対象もてんこ盛りな『アース』と比べて、こちらは地域を北極周辺に絞っている。わりに同じものを撮っているのだが、映画としての性格は随分違う。『ホワイト・プラネット』では、その世界と生物たちに感情移入しようと試みていて、典型的なモンタージュ手法が使われている。当然、詩的にもなっている。

たとえばオーロラについては、『アース』が、冬の寒さを暖めるものではないと簡単に触れているのに対し、『ホワイト・プラネット』では、イヌイットの伝説を引用している。狐は闇を好み、烏は光を夢見た。それで、精霊が昼と夜を交互に訪れるようにして、「ホワイト・プラネット」ができた、というわけだ。

『アース』では、衰えたホッキョクグマは最後にセイウチを襲うという賭けに出て失敗し、死を待つのみとなる。『ホワイト・プラネット』では、はなから闘いを回避し、セイウチの様子も温かく観察している。ここでは、観察とドラマ化の対象を手広くしないことが奏功している。

さらに、ホッキョクグマの冬眠は、『アース』では、穴から出てくるところから捉えているが、『ホワイト・プラネット』では、穴にもぐり、穴のなかで子どもたちと眠りについているシーンもあり、楽しい。

ひとつ気になることは、『アース』が、動物たちの食物連鎖を示しつつも、最後に口を血だらけにして食べるところまでは見せないことだ。これをもって、ショッキングでないから子どもと観ても大丈夫、というわけではないだろう。また、それぞれの映像が撮られた地域がはっきりと示されないことも引っかかる点だ。科学番組のように驚異的な映像を見せながら、「どこか別の世界で起きていること」のようになっている気がする。

それでも、身銭を切って家族連れで観に行く価値はある。いつかまた観たい。

『アース』のサイト(映像が沢山あって楽しめる)

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「けーし風」読者の集い(4) ここからすすめる民主主義

2008-01-19 23:35:25 | 沖縄

「けーし風」読者の集い(2008/1/19、神保町区民館)に行ってきた。参加者は9名。特集のテーマは「ここからすすめる民主主義―名護市民投票10年」だ。

話題として提起されたのは、辺野古をめぐる市民運動の変遷や、当時の大田知事の功罪など。自分が気になっていたことは、10年前の名護市民投票が82.45%という極めて高い投票率であり、しかも基地への反対票が過半数という結果が出たにも関わらず、まだ問題が解決していない現状にあって、その意識が風化していないのだろうか、ということだ。それに対してはっきりしたものはない。しかし、名護市民投票があったことが、あからさまな政府(守屋次官!)の集票戦略を上回る効果をあげるという前例ができたこと、そしてその後の日本各地での住民投票につながっている、ということが重要なのだろうとおもった。その意味で、今後の岩国に注目すべきだろう。

辺野古のえせ環境アセスに関しては、沖縄県条例に基づくもの(2007年12月)に続き、国のアセス法に基づく知事意見が2008年1月21日に出される。方法書を出しなおすべきとした「画期的な」(沖縄大学・桜井国俊氏)沖縄県環境影響評価審査会の意見を、県知事が真摯に受け止めたものになるのか、それとも前回同様に日和ったものになるのか、これが知事の評価につながりうるポイントになるのだろう。

話のあと、全員で飲みに行く。台湾や、スピヴァクや、チョムスキーや、閉鎖的な運動のことや、芭蕉布のことなんかの話題があったが、何しろ飲み食いなのでよく覚えていない。

【参考】

『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄

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仙台の「火星の庭」、大島渚『夏の妹』

2008-01-17 23:59:28 | 東北・中部

所用で仙台に行ったついでに、古本屋「火星の庭」に立ち寄った。強烈に寒かったので、併設されているカフェでなにか飲んでから帰ろうと思っていたのだが、本の物色で新幹線の時間になってしまった。とてもいい感じのお店で、今度新宿の「模索舎」のペーパーでも紹介されるそうだ。

ここで、『映画批評』1972年10月号を買った。ちょうど大島渚の『夏の妹』が公開されたばかりで、竹中労による大島批判や、原正孝(『初国知所之天皇』を撮った)による『夏の妹』の技術的な解説と批判、が含まれていたからだ。独特の竹中節はともかく、原論文はとても面白い。印象批評が幅をきかせている映画にあって、このようなテクニカルな見方はいまなお新鮮だと感じる。帰宅してから、ヴィデオを参照しながら再読した。

○『夏の妹』は、16ミリによる撮影を35ミリにブローアップした(当時)珍しい手法である。
○フィルムはおそらくフジのネガ。そのために粒子が粗すぎるものになっていることが失敗だ。逆にシャドーが青みがかるフジの特色が活かされるシーンもある。
○ピンボケを多発することが未熟、移動撮影が下手。カメラマンの吉岡康弘はスチール写真が本業であり、アリフレックスの扱いに習熟していない。
○バスや車のなかに露出をオーバー目にあわせ、外を白くとばすシーンが秀逸。
○主演の栗田ひろみを、レフ板を単純に使って捉えた映像が秀逸。
○全般に、(完成された従来型の映画と違い)映画へのフェティッシュ性をあえて排除している。しかし、排除したはずの残滓をあえてそこかしこに残しているのが、映画的世界にどっぷり浸からない大島渚のいやらしさである(否定的に)。

といった論旨だ。

しかし、いま観ると、粗粒子もピンボケも手持ちカメラのゆれも全く気にならないどころか、なお生々しさの魅力を放っているように、自分には感じられる(70年代の写真ムーブメントである「プロヴォーク」がなお新鮮であることとも共通する)。そして、「映画へのフェティッシュ性」は、職人的な技術によるものよりも、こちらのほうにこそ感じてしまう。

じつは、ヤマトゥに接近し、見かけ上安定化し、観光的視線にさらされる沖縄という大島渚のバックキャスティング的な捉え方は、この論文でも、もちろん竹中労にも受け入れ難かったのではないか。もちろん、それが公開当時から先に顕現する事実の一面であっても、あっけらかんと示してしまった大島渚が批判されたことは当然とも思える。そして、挑発的であったとも言える。要は、いまなお存在する、「誤解と錯覚から生まれるメロドラマ」(仲里効『オキナワ、イメージの縁』、未来社、2007年、による)としての沖縄のことだ。

これを、『ナギサ・オオシマ』(ルイ・ダンヴェール、シャルル・タトムJr.、風媒社、1995年)では、軽妙さを装いつつ日本というアイデンティティを問いかけようとした失敗作だとしている。そして『大島渚のすべて』(樋口尚文、キネマ旬報、2002年)では、「死人が歩いている」ように見える、現在から未来へのビジョンを描いたものだと位置づけている。未来へのビジョンだったかもしれない『夏の妹』が、実は、いまでは死人たちがうごめく「現在のパラレルワールド」になっているとみれば、いまでこそ傑作性が顕著になってくるということかもしれないと思う。

その意味で、仲里効も含めて指摘する映画の裂け目は、栗田ひろみが「畜生!沖縄なんか日本に帰ってこなければよかったんだ!」と叫ぶシーン(ここでは、武満徹の音楽も止まる)が大きなものだろう。「死人たちのパラレルワールド」の虚構性や欺瞞性がいきなり提示されるわけである。私としては、映画の裂け目に、殿山泰司が南部の戦跡でビールを飲みながら暗黒舞踏のようによろめく「ひき」のシーンを加えたいところだ。


原論文で秀逸とするシーン① グラビア的に撮影された栗田ひろみ


原論文で秀逸とするシーン② シャドーのような色温度が高いところで青みがかるフジの特質と鮮やかな赤色との対比


原論文で秀逸とするシーン③ スチール写真家ならではの、上から捉える新鮮さ 「シルバー仮面」を歌いながら歩く栗田ひろみと石橋正次(『シルバー仮面』でも、『夏の妹』脚本の佐々木守がやはり脚本を手がけていた)


「畜生!沖縄なんか日本に帰ってこなければよかったんだ!」 すき間っ歯


暗黒舞踏のようによろめくタイちゃん

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『科学の眼 ニコン』

2008-01-15 23:59:37 | 写真

科学映像館」の配信映像に、『科学の眼 ニコン』(1966年)が加わっていた(>> リンク)。何日も前から観ようと思っていたのだが、今日、帰宅時の電車で隣に立ったおじさんが、バライタ紙の技術的な解説などの本を読んでいた(何というタイトルだろう?)ので、なぜか気分が盛り上がり、さっき観た。

これが本当に面白い。小倉磐夫『国産カメラ開発物語』(朝日選書、2001年)で読んだことがあるだけの姿を、映像としてみることができた。

まず、昔の「坩堝(るつぼ)法」による光学レンズの製造からはじまる。巨大な湯飲み茶碗のようなこの坩堝は粘土で作られていて、成型から焼き上げまでに数ヶ月を要したものだ。それが炉の中に入れられ、スコップのようなものでレンズ材料が投入され、出来て冷えたレンズ塊は坩堝ごと豪快に壊される(!)。もうニコンにも、坩堝は残されていないそうだ。白金坩堝といえばフジノンレンズが有名だったようだが・・・。

その大きな破片から、まともな箇所だけを切りとり、サクマドロップのような形にし、研磨し、精度をチェックする。これらの作業も、ニコンFの製造も、多くの工員が淡々と作っている。40年以上を経てネット経由で観ているこちらは一々興奮する。

映画では、医学用カメラ、顕微鏡、双眼鏡などいろいろな製品を紹介しているのだが、なかでも、ミリあたり1260本もの解像力を達成した(普通のカメラ用レンズは1桁落ちる)、ウルトラマイクロニッコール29.5mmF1.2の映像もばっちり登場する。

私はニコンにはそれほど縁がなくて、使ったことがある8ミリカメラ(ニコンR8)やフィルムスキャナなどもう手元にない。唯一、引き伸ばし用レンズのスタンダードともいえるEL-Nikkor 50mmF2.8だけは定期的に使っている。それでも面白いのだから、ニコンファンにはたまらないだろう。博物館に行った気分だ。


小倉磐夫『国産カメラ開発物語』(朝日選書、2001年)


関係ないが、ニコン大井町工場の前は「光学通り」。去年所用で訪問した際に忘れず撮影した(笑)。

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いちご大福、久しぶりの8ミリ、チャウ・シンチー、キヨシロー

2008-01-14 22:19:32 | 小型映画

レトロ通販」から8ミリの現像があがったとの連絡があったので、受け取りに錦糸町まで行ってきた。2年くらい撮っていなかったから、レトロに行くのもそれ位振りということになる。その間に、コダクロームがなくなり、エクタクロームもトライXもプラスXも新型に変わってしまった。しかし、レトロ通販の周りは町工場や安売りの洋服屋なんかが多く、雰囲気はまったく変わっていない。

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錦糸町の駅前では、新日本婦人の会(平塚らいてう、いわさきちひろなどの呼びかけで結成された会だそうだ)、それから民青同盟の人たちが署名やアンケートをしていた。自分は、政治への意思表明のスタンスは、政策の中身や議員の考えによってそのたびに考えるので、特定の政党を応援したりということはない。しかし、平和憲法、反戦、大きな政府といった考えについて、共感するところは多い。

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おやつは、息子が作った「いちご大福」(ツマ監修)。手作りに勝るものはないとしみじみ思う。

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久しぶりに箱から取り出した映写機(エルモST-800)はまったく元気だった。部屋を暗くして、サイレントでたった3分を2本、スクリーンに上映する。それだけでヴィデオよりもうきうきする。赤ん坊はぽかんとして観ていた。この、小型映画をスナップとして使う方法は、もっと復活してもいいと思う。

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連休はわりとヒマだったので、チャウ・シンチーの出る映画『0061北京より愛をこめて!?』(1994年)、『ハッスル・キング』(1997年)、『ラッキー・ガイ』(1998年)の3本をまとめて観た。香港だけあって、このバカバカしさは昔大好きだった『Mr. Boo』シリーズのノリと共通している(『アヒルの警備保障』はDVDも持っているぞ)。

『少林サッカー』に登場する変な俳優たちがそろって出てきていて、顔を見るだけで笑いそうになる。

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「スペースシャワーTV」で、忌野清志郎が復帰する記念に、これまでの映像をまとめた番組をやっていた。「君が代」を凄い顔で歌う姿に爆笑。ホーンズとして、テナーサックスの片山広明やアルトサックスの梅津和時がぶりぶり吹いていた。

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旨い水炊き

2008-01-12 23:59:15 | 食べ物飲み物

このあいだ、たまたまNHKの『ためしてガッテン』という番組で紹介していた水炊きの作り方に目を奪われ、作ろうと決意してから楽しみだった週末を迎えた。ここでの水炊きのポイントは、

●ゼラチン質のあるスープで鶏肉を煮れば、肉の繊維の間にゼラチン質が入り込み、煮込んでも固くならず「ほろほろ」になる。
●博多では、そのため、従来は鶏がらを使っている。
●しかし、手羽先を使っても短時間でいいゼラチン質が出る。

ということだった。

レシピは番組のサイト(→リンク)にあったが、実に簡単だ。

●手羽先30分。ひたすらアクを取る。
●さらに、もも肉を入れて30分。
●30分放っておく(余熱を利用する)。
●鶏スープ完成。
●野菜を投入。あとでご飯や麺を投入。

本当は鶏団子も作ることになっているが、食べすぎなので省略した。

実際に白濁したスープができて、肉も本当に柔らかく旨いのだった。大満足。また作ろう。


手羽先と、一口大に切ったもも肉


ひたすらアクを取る。30分+30分+30分で鶏スープ完成。


大量のキャベツ、大根、湯がいた蒟蒻を投入。別に、醤油2+酢1+柚子でタレを作る。


完成。もも肉は柔らかく、手羽先は骨から取れ、キャベツは甘い。


マルちゃんの「鍋用ラーメン」(ちびまる子の絵)を投入。

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『安原製作所 回顧録』、中国の「華夏」

2008-01-12 14:11:54 | 写真

安原伸『安原製作所 回顧録』(えい文庫、2008年)がとても面白い。

安原氏は、京セラを退社後、ひとりのカメラメーカー安原製作所を立ち上げた人である。カメラメーカーとしての活動を突然停止するまで、カメラ「安原一式」、「秋月」、それからライカ用レンズ「Yasuhara 50mmF2.8」を世に送り出した。私自身は、その公表過程を、面白いなと思い傍観していたにすぎない(レンズだけは、さよならセールで購入したが、所詮テッサー型レンズの写りにすぎずすぐ手放してしまった)。

当初「二式」として予告されていた「秋月」は、70年代頃に日本で数多く作られたコンパクトカメラを近代化したようなものだった。そのコンセプトには大いに共感しつつも、7万円台という値段は、「70年代のコンパクトカメラ同等」と考えると高すぎるものだった。しかし、本書では、数がさばけない工業製品がなぜ高くなってしまうのか、そして「秋月」のアバンギャルド性について書かれており、あらためて納得できるものだ。いま買えるなら、そしてレンズがF2.8ではなく昔あったようなF2とかF1.8とかの明るさであれば、真剣に購入を検討するだろう。

安原製作所の特色となったインターネット直販だが、そのサイトでは、「二式」発表前に中身を予想させるクイズとそれに対する回答を公表していた。特にユニークだったのが、キヤノンのシングル8カメラ「518sv」のようなものでしょう、という回答だった。安原氏は、実は自分も「518sv」を愛用しているとコメントを付していたように記憶している。本書では、実は、安原氏が自主映画制作において並々ならぬ経験をつんでいたこともわかる。

もともと直接的で癖のある安原氏の言動には、突然の活動停止とサポート放棄も含めて批判がなされることが多かった。しかし、それだけに、本書において、起業の事情、カメラ業界や中国ビジネス(製品は中国のメーカー「鳳凰光学」で委託生産されていた)に関して書かれた内容は、実感を伴っていて面白すぎるものだ。勿論、同意できないところもあるのは確かだ。(特に、歴史上あまりにも異色なカメラ「コンタックスAX」は安原氏が京セラ時代に開発に参加していた機種であり、このカメラのユーザーは読まないほうがよいかもしれない。)

中国のメーカーがなぜ良いものを作ることができないのか―――勿論これは安原氏の語る一般論だが、その原因を、生産や技術開発のインセンティブにつながらない政治的・社会的状況にみているようだ。ただ、こういったものを遊び心で使うのも悪くない。私のもっているカメラ「華夏823」は、河南省の「華夏光学電子儀器」が80年代に作ったレンジファインダーカメラであり、40mmF2というレンズが付いている。いまのコンパクトカメラ(デジカメを含む)からは消えてしまった「明るさ」という無視できない性能である。当然、日本の「キヤノネット」や「ミノルタハイマチック」や「ヤシカエレクトロ」なんかのコピーに違いない。当時の日本製品との違いは、目に見えない使いにくさや操作感触の悪さである。しかし、描写は悪くない。


華夏823


水準点 華夏823、フジ・Venus 400、西友で同時プリント


工場萌え(下に派手なゴーストが出た) 華夏823、フジ・Venus 400、西友で同時プリント

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『けーし風』 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館

2008-01-09 23:59:04 | 沖縄

『けーし風』第57号(新沖縄フォーラム刊行会議、2007/12)は、辺野古基地反対が過半数を占めた名護市民投票から10年が経つことを境に、民主主義のあり方を特集している。ところで、定期購読せず毎回本屋で買っているのだが、神保町の「書肆アクセス」がお店をたたんでしまったので、東京で置いているところが新宿の「模索舎」のみになってしまった。せめて三省堂の地方出版コーナーで取り扱ってもらえないものだろうか。(ついでに色々な本を物色するのが目的でもあるから、まあいいのだが。)

住民投票という方法は、地方自治のなかに位置を占めているが、その結果は拘束力のない「民意」となってしまっているようだ。

沖縄県名護市においても、辺野古基地反対という「民意」が示されたにも関わらず、その後すぐに名護市長は政府のプッシュにより、基地受け入れを表明して辞任するという考えられないことを行っている。それ以前に、住民投票直前に、防衛庁(現、防衛省)と那覇防衛施設局(現、沖縄防衛局)が、職員を動員して賛成票を集めるという露骨な策に出ている。つまり、政府自らが住民投票という手段を否定してかかっていたわけだ。

山口県岩国市でも、米軍機の岩国基地への移転に関して住民投票を行い(2006年)、やはり反対票が圧倒的多数という結果になっている。それにも関わらず、市議会では、容認を求める議員たちの圧力により、つい先日、市長が辞任に追い込まれている。これには、「米軍機移転に容認しないなら補助金を出さない」という政府の策が直接的に効いている。これも、住民投票による「民意」と議会とのねじれがある。民意を反映しない議会制民主主義とはなんなのか。

沖縄の北部振興策と同様、多額の補助金は基地受け入れとセットということが前提になっているわけである。ロジックとしては、「基地負担をしてもらっているのでそれに見合う補助金を渡す」ではなく、カネ依存体質にしておいて「受け入れないならもう麻薬(=カネ)は渡さない」ということになる。

故・小田実が繰り返し指摘していたように、民主主義イコール多数決主義ではなく、市民はさまざまな形で自らの意思を表明していき(集会も意見書もデモもあり、住民投票もそのひとつだろう)、それらをなるべく反映させていくというカオスが、そこにはなければならない。この、当たり前の話が、多くの場所で成立していないのだろう。これを許してしまう社会は何か。

『けーし風』の座談会では、真喜志好一氏(建築家・ジュゴン環境アセスメント監視団)、新城和博氏(ボーダーインク・編集者)、平良識子氏(那覇市議)、内海正三氏(沖縄環境ネットワーク)が、その点について多くの指摘をしている。

○少数者(辺野古近くで直接被害を被る市民)の意見が、多数決という手段で否定される。
○戦後教育では、徹底的に話し合うことや少数者の権利を無視してはいけないことが欠落している。その結果、アイヌ、沖縄、在日朝鮮人、ニューカマーの人々の意見が軽視されている。
○その構図は、少数者(沖縄、名護市、辺野古)の意思を多数(政府の方針)が抑圧しているという現状にもそのまま当てはまる。
○住民投票は、市民の自己決定権としてもっと然るべき位置を与えられるべきではないか。
○情報を市民に隠すという手法も、その精神からかけ離れている。(辺野古について言えば、公明正大にアセスを行わないこと、陸上を飛行すること、配備するのは危険性の指摘されているヘリ・オスプレイであること、など)
○多数決という最大多数の最大幸福ではなく、切り捨てられた少数者に思いを馳せる共生の思想こそが大事にされるべきだ。

辺野古での本来成立しえない環境アセスのプロセスについては、桜井国俊氏(沖縄大学学長)が、これまでの問題点を整理している。そのなかで、今回のような環境アセス法破壊がまかり通ってしまっては、恐るべき前例になってしまうことへの危機感をアピールしているのが印象的だ。また、「方法書」を再作成せよとした沖縄県環境影響評価審査会の意見が、極めて真っ当であることも明言されている。(それにも関わらず、沖縄県知事が、トーンダウンした意見を出すにとどまったことは、記憶に残しておくべきことだろう。)

連載の「佐喜真美術館だより」では、普天間基地から一部返還された土地に建てたという意義のあるこの美術館の目玉である、丸木夫妻の『沖縄戦の図』に関する記事を書いている。恐るべき訴求力をもつこの絵をもってさえ、過去の体験を内部化できない人が増えていることを嘆いている。

この年末に、佐喜真美術館(設計は上述の真喜志氏)をはじめて訪れ、『沖縄戦の図』の連作を鑑賞した。館長のご説明も聴くことができた。極限状況に追いやられ、爆弾が雨あられとふって死体が肉片と化した中、自分の家族に手をかけるという悲劇、いわゆる「集団自決」。じっと観ていて、ごくごく一部でもその事実が自分のなかに入ってくるとたまらない気持ちになる。

絵の左下には、「沖縄戦の図/恥ずかしめを受けぬ前に死ね/手りゅうだんを下さい/鎌や鍬やカミソリでやれ/親は子を 夫は妻を/若者はとしよりを/エメラルドの海は紅に/集団自決とは/手を下さない虐殺である」という丸木夫妻の言葉がある。

 


丸木位里・丸木俊・水上勉『鎮魂の道 原爆・水俣・沖縄』(岩波書店、1984年)より、丸木夫妻『沖縄戦の図』

●『けーし風』読者の集い(関東) 2008/1/19(土)14時~@神保町区民館

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