Sightsong

自縄自縛日記

テッサ・モーリス=スズキ『北朝鮮へのエクソダス』

2014-02-28 07:53:23 | 韓国・朝鮮

テッサ・モーリス=スズキ『北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる』(朝日文庫、原著2007年)を読む。

在日コリアンの「大量帰国事業」は、1959年に始まった。もっと正確には、93,340人(うち86,603人の朝鮮人と、その親戚縁者である日本人6,730人と中国人7人)が、高度経済成長期に入ろうとしていた時期に、「自発的な移住」として、北朝鮮へと渡った。その97パーセントは朝鮮半島南半分の出身であり、行き先は故郷でもなんでもなかった。

すなわち、祖国への帰国という表現は一面的なものに過ぎない。ほとんどの人が、長く暮らした土地を去り、新たな生活を希求したのだった。

強い牽引力として、金日成の意向による北朝鮮側からのキャンペーンがあった。情報がほとんど入手できない時代にあって、宣伝において展開される世界は夢の生活でもあった。菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業 「壮大な拉致」か「追放」か』(中公新書、2009年)においても、最大の原因を、送り出した日本側にではなく、呼んだ北朝鮮側に見ている。

しかし、著者が赤十字に残された資料を丹念に読み解いた結果は、1955年頃からの、日本赤十字社と日本政府との緊密な連携による「追い出し活動」こそが実を結んだというものであった。

植民地朝鮮から移住した(あるいは実質的に強制連行された)人びとは、解放を迎えたところで、そう簡単に生活を棄て、住む土地を離れることができるわけもない。やがて済州島四・三事件(1948年)があり、朝鮮戦争(1950年-)があり、少なくない者にとって韓国への渡航は死を意味した。そして日本の再独立(1952年-)に伴い、日本政府は、一方的に在日コリアンの国籍を剥奪した。かれらは「国民」に与えられる権利を持たず、また社会からの差別もあって、貧困に苦しむこととなった。その結果、政府の生活保護費がふくれあがった。

すなわち、「大量帰国事業」とは、日本側の経済的負担と、不満から予想された政治的不安とを解決するための、「排除」に他ならなかった―――「慈善」という衣をまとっての。メディアもこれに加担した。さまざまな側面において、現在のレイシズム的な言説と地続きの歴史であるということができる。 

一方、北朝鮮側は、この事業を通じて、日米韓の間に楔を打ち込みたかった。また、朝鮮戦争において出兵してきた中国軍が撤退して、不安を抱えていたという事情もあった。そして、「帰国」後、キャンペーンに展開されていた豊かな生活を送ることができたのはごく一部の者だけで、ある者はスパイとして処され、ある者は鉱山など厳しい労働に就くことを余儀なくされた。何という皮肉であったのか。 

●参照
菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業』、50年近く前のピースの空箱と色褪せた写真
和田春樹『北朝鮮現代史』
近藤大介さん講演「急展開する中国と北朝鮮」
高崎宗司『検証 日朝検証』 猿芝居の防衛、政府の御用広報機関となったメディア
支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(本書で紹介)


デューイ・レッドマン『Live』

2014-02-24 22:57:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

ずっとamazon.comで売っていて気になっていた、デューイ・レッドマン『Live』(Nirvana Productions、1986年録音)。

Dewey Redman (ts, musette, voice)
David Bond (as)
Mark Helias (b)
Ed Blackwell (ds)

届いてみると、インクジェットプリンタで印刷されたとおぼしきジャケットは、へなへなと波うっており、インクむらまである。1986年のライヴ盤だが、2012年に出されたものである。こんな作りで、果たして正規録音かどうか疑わしい。

演奏内容は、別に大して特筆すべきものでもない。録音も悪く、突然ベースの音が大きくなったりして仰天する。折角のエド・ブラックウェルのお祭り太鼓があまり聴こえないのもよくない。

しかし、それでも、独特のレッドマンの音が聴こえるだけで嬉しいものだ。エッジが妙に丸く、もこもこしている、とでもいうのか。吹きながら叫ぶ得意技も「待ってました」。

別に、何と言うことはないのだけど。

●参照
エド・ブラックウェル『Walls-Bridges』 旧盤と新盤(デューイ・レッドマン参加)
キース・ジャレットのインパルス盤(デューイ・レッドマン参加)
カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』
マル・ウォルドロンの映像『Live at the Village Vanguard』(エド・ブラックウェル参加)
エリック・ドルフィー『At the Five Spot』の第2集(エド・ブラックウェル参加)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(エド・ブラックウェル参加)
鈴木志郎康『隠喩の手』(キース・ジャレットのアメリカン・カルテットを流している)


貝塚爽平『富士山の自然史』

2014-02-23 13:04:02 | 関東

貝塚爽平『富士山の自然史』(講談社学術文庫、原著1990年)を読む。

本書は富士山そのものについての本ではない。原題は『富士山はなぜそこにあるのか』であり、そのような問いかけが、自然の成り立ちについての疑問と、それに対する研究成果の提示という本書の性格をよくあらわしている。本書の中心は、むしろ東京の自然史についてであり、同じ著者による名著『東京の自然史』が1979年に出されたことを考えれば、その続編、またはより軽いエッセイのようなものとして捉えるべきだろう。その意味で、文庫化に際しての改題は改悪である(わたしも勘違いして買った)。

もっとも、本書は、間接的には富士山についての本でもある。なぜならば、富士山からの火山灰がなければ、関東ローム層は形成されず、東京は現在より5メートルか10メートルは低く、また、台地や谷があまり無い「のっぺりした地形」になっていたであろうからだ。

本書によると、富士山の現在の体積の半分相当くらいは、過去6万年間に東側の関東平野や太平洋に降りそそいだ。東京においては、1万年に1メートル(100年に1センチメートル)くらいの速度で土地をかさ上げしていった。もしこの現象がなければ、そして、江戸城がこの地に築城されることもなく、日本の歴史はずいぶん異なったものになっていただろう。

このようなマテリアルの流入と、気候変動と、海や川による土地の侵食が、現在の東京の姿を生み出した。十数万年前の間氷期は現在より暖かく、関東平野は海の底にあった。最後の氷河期であるヴィルム氷期(約2万年前)には、逆に海が後退し、関東に沢山の谷が刻まれた。そして、その後の海進による侵食と台地の形成、また海が引いて下町などの沖積地の形成があった。『東京の自然史』と同様に、とても面白い。

もちろん、地形の形成プロセスは、同じ東京のなかで場所によって大きく異なる。たとえば、神田川の勾配は、井の頭池から高田馬場西側あたりまでは比較的フラットであり、この部分が関東ローム層の侵食ではなく、関東ローム層が都度洗い流されたことによって出来たことを意味する。このことは『東京の自然史』(1979年)にはなく、榧根勇『地下水と地形の科学』(1992年)によれば、1988年頃に明らかになったことだという。ミクロとマクロの両方の視点が交錯することが、地域の自然史の魅力なのかもしれない。

●参照
貝塚爽平『東京の自然史』
榧根勇『地下水と地形の科学』
中沢新一『アースダイバー』


2014年2月15日、安部公房邸

2014-02-22 22:13:20 | 思想・文学

この冬に、故・安部公房の家が取り壊される。その前に一目見ようと思い、雪が積もってはいたが、足を運んだ(2014年2月15日)。

家は、京王線仙川駅近くの住宅地にある。安部公房が35歳のときに建て、20年ほど住んだのだという。ここで、『砂の女』、『他人の顔』、『密会』などの作品が執筆された。

玄関には、道路から階段で昇る。その脇にはガレージがあり、きっとジープなどを停めていたのだろう。玄関の扉には、いかにも安部らしいが、モダンに、「ABE」の文字が貼り付けられていた。裏側に回ると、一部ガラス窓が割れていた。また、広い庭の木が切り倒されていた。

あれから1週間。もう工事は始まったのだろうか。

なお、『考える人』2014年冬号(新潮社)には、この家の中の様子が紹介されている。また、薈田純一写真展『書棚』(2014/3/11-16、ギャラリーSPACEKIDS)では、安部公房の書棚を撮った写真も展示されるという(>> リンク)。『考える人』誌の特集によると、書棚の書籍は当時とは大幅に入れ替わっているというのだが、さて、どのようなものだろう。

※写真はすべて、Fuji GA645i Professional (60mmF4.0)、Fuji Pro 400H による。 

●参照
安部公房『(霊媒の話より)題未定』
安部公房『方舟さくら丸』再読
安部公房『密会』再読
安部公房の写真集
安部ヨリミ『スフィンクスは笑う』
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
勅使河原宏『おとし穴』(安部公房原作)
勅使河原宏『燃えつきた地図』(安部公房原作)
山口果林『安部公房とわたし』


ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』

2014-02-22 11:08:09 | 北米

ジャカルタへの行き帰りに、ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye: Four Novellas of Love Gone Wrong』(The Mysterious Press、2013年)を読む。

サブタイトルにあるように、歪んでしまった愛を描く4つの短編が収められている。

第一の表題作は、ずいぶん年上の男と結婚した人の話。男は四回目の結婚であり、しかも早々に、一番目の妻を自宅に呼ぶ。それは老女で、片眼が無かった。深夜、老女は新妻に対し、男の怖さを警告する。男には、別れた妻の片眼が無いことすら、何故か、見えていなかった。

第二の作品は、16歳の少女に近づくストーカー男の話。突然激昂する彼は、少女に、かつて自分が殺した妹の姿を見ていた。

第三の作品は、父親を斧で殺し、かつ、母親をも襲う男の話。母親は、自分たちを襲った息子の姿を目撃したにも関わらず、そのことを否定する。そして、あろうことか、釈放された息子と、大怪我を負った母親は、一緒に暮らすことになる。

第四の作品は、セックス恐怖症の女の話。原因たるトラウマを追求するうちに、恋人の男は、殺人まで犯してしまう。

すべてシンプルな筋立てと語り口であり、さほど怖くはない。それだけに、普段視えているものの垣根がどこかに溶けてなくなってしまい、淡々と狂気が侵入してくることの不安感は大きい。ことばの間からなんとも言えぬアウラが発散されている。あるいは、狂気というアウラが、ことばの間に逆侵入している。そして、後味の悪さがずっと尾を引く。

今朝読み終わり、実はまだ気持ちが悪い。そういえば、半分読んだ往路でも、ジャカルタに到着するころにはひどい頭痛に苦しめられたのだが、この所為か。


旨いジャカルタ その4

2014-02-22 10:52:00 | 東南アジア

■ Social House

巨大ショッピングモール「Grand Indonesia」にある小奇麗な店。それなりにいい値段。

「カレーラーメン」を注文したら、ヘンなものが出てきた。麺はインスタント風(というか、乾麵なのだろう)。まさにカップのカレーヌードル風の味で、悪くない。

■ 鼎泰豐(ディンタイフォン)

台湾に本店がある小籠包の名店。ジャカルタ店に足を運ぶのは二度目である。

ここの料理は、イスラム国だけあって、豚肉を使っていない。小籠包の中身も鳥肉である。そのためか、上海店で食べた小籠包の味には及ばない。旨いのではあるが。

奇妙なことに、北京ダックには薄餅が付いてこず、訊いても無いという。皮だけでなく肉もしっかり食べる北京ダックか。そんなものがあるのか。

■ 永源海鮮酒家

これも「Grand Indonesia」内にある。中華圏で中華料理を食って旨くないわけがない。パンにカニのタレを吸わせるとまた旨い。

●参照
旨いジャカルタ
旨いジャカルタ その2
旨いジャカルタ その3
カフェ・バダヴィア 


2014年2月、ジャカルタ

2014-02-22 08:47:08 | 東南アジア

ジョグジャカルタに行くはずが、予定が変わってずっとジャカルタに滞在した。あまり散歩しやすい街ではないため苦手なのだが、もちろん、横道はある。

フィルムカメラを持参しながら忙しくて1コマも撮れず、手持ちのミラーレスでスナップ。写り過ぎて、楽すぎて、つまらない。



流し


駄弁り


老人の招待




トマソン


隣の誕生会

※写真はすべて、Nikon V1 + 1 Nikkor 10mmF2.8(28mm相当) により撮影。

●参照
2013年2月、ジャカルタ
2012年9月、ジャカルタ


増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』

2014-02-16 19:57:36 | スポーツ

増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社、2011年)を電子書籍で読む。

戦前の柔道は、いまのものとは比べ物にならないほど苛烈な武術であった。スポーツではなく、戦闘体系である。

その歴史のなかに屹立する木村政彦という柔道家は、文字通り最強であったという。あらゆる格闘技を貪欲に取り込み、敵う者は内外にひとりとしていなかった。しかし、その存在は、大日本帝国時代の社会と切っても切り離せぬものでもあり、そして、木村政彦は、無思想かつ無邪気であった。このふたつの相容れぬ歪みが、木村の人生をねじ曲げてゆく。

戦後、柔道家としてだけでは食っていけぬ木村は、プロ柔道とプロレスを開拓する。また、植民地時代の朝鮮に生まれ、日本人になりきろうとした力道山も、その流れに交錯する。そして、筋書きが決まっていたはずのプロレス勝負において、木村は、力道山の底知れぬ謀略の前に敗れてしまう。

プロ興業を是としない柔道界は、その後、弱体化を続けた。一方、木村がブラジルにおいてエリオ・グレイシーとの闘いによって撒いた種は、ブラジリアン柔術や、ヴァーリ・トゥードや、総合格闘技へと育つことになる。

もし、日本の柔道が格闘技の諸要素を切り捨てる道を選ばなかったなら、私たちはオリンピックで何を観ていただろうか、あるいは観なかっただろうか。木村にもう少し悪知恵があって、実力差通りに力道山を破っていたら、日本のショープロレスは別のかたちになっていたのだろうか。木村が海外巡業に出なかったとすれば、総合格闘技の世界地図も変わっていただろうか。歴史に「れば、たら」はないが、そんなことを思ってしまう。

執念というのだろうか、著者のしつこいほどの追求と思いが、本当に胸をつく。

本書は、まもなく新潮文庫から、写真を追加して出されるようだ。大推薦。

●映像記録
木村政彦 vs. エリオ・グレイシー(1951年)
木村政彦 vs. 力道山(1)(1954年)
木村政彦 vs. 力道山(2)(1954年)

●参照
柳澤健『完本 1976年のアントニオ猪木』


トム・ハレル『Colors of a Dream』

2014-02-16 11:16:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

トム・ハレル『Colors of a Dream』(High Note、2013年)を聴く。

 

Tom Harrell (tp, flh)
Jaleel Shaw (as)
Wayne Escoffery (ts)
Esperanza Spalding (b, voice)
Ugonna Okegwo (b)
Johnathan Blake (ds)

トム・ハレルの演奏を聴くのは随分久しぶりなのだが、もともと目を引くような奇抜な演奏をする人ではないという印象がある。

ここでも、抑制された音でトランペットとフリューゲルホーンを吹いている。しかし、決して地味ではない。彼の「美学」というようなものがあるとすれば、強い力で届いてくるのはそれだろうと感じる。

全体のサウンドは、聴きやすく、かつ鮮烈。ベース2人とサックス2人によるアンサンブルに、エスペランサ・スポルディングがベースと同時に発するヴォイスのユニゾンが重ねあわされる。これはもはや快感というべきだ。その中に、ハレルの音が入ってくる。


田村彰英写真展『仙川の変遷 1995~2012』

2014-02-15 22:45:37 | 関東

調布市の仙川まで足を運び、東京アートミュージアムで、田村彰英写真展『仙川の変遷 1995~2012』を観る。

本来の目的は、まもなく取り壊されるという故・安部公房邸を一目見ることだったが、それはまたあらためて。

東京アートミュージアムというところは、ずいぶん細長いハコだった。実は、このことと、本写真展のなりたちとは密接に関係している。

1980年代後半からのバブル景気。このあたりに広大な農地を持っていた地主は、土地の売却や相続税の支払いに悩む。さらに、土地を貫く道路建設計画が浮上。結果として、中途半端な細長い敷地の利用を含め、新道路周辺の設計が、安藤忠雄氏に依頼される。また、田村彰英氏には、変わりゆく土地の撮影が依頼される。

以上のようなことが、おそらくは美術館と写真群の意義である。

撮影はタチハラの8×10を使ってなされたようであり、そのため、大きなプリントも精密で見応えがなくはない。しかし、どうも面白くない。ざっくりいえば、当事者に意味のある都市開発の歴史と、その定点観測という依頼仕事に過ぎない。しかも、肝心の写真が、はるか上の天井近くに展示されていたり、狭い階段からしか観ることができなかったりと、妙なコンセプトである。

これまで、わたしはこの写真家の作品に、ぞくりとするような色気を感じていた。それだけに残念である。

(ところで、SNSでも、おかしな陰謀論が展開されていることに気がついた。)

●参照
田村彰英、李禹煥、『哲学者クロサキの写真論』 バウハウスからバスハウスへ


湯島の「岩手屋」

2014-02-15 10:29:13 | 関東

先週に続き、東京はまた大雪。とはいえ、地下鉄が止まるほどでもなさそうで、記者のDさんに誘われて、湯島で呑んだ。

大通りからちょっと入ったところにある「岩手屋」。盛岡の料理を売りにしているようで、ホヤとコノワタを和えた「ばくらい」、ふきのとうの味噌和えなど、じつに旨い。そうだ、めかぶも食べるべきだった!

カウンターの向こうには、なぜか中古カメラが並ぶ棚があった。ペンタックスSP、マミヤプレス、ミノルタオートコード、キヤノンPに50mmf1.2、トリガー付きのキヤノンVT、ミノルタV2、オリンパストリップ35、ニコンF2、コニカビッグミニ、ヤシカ35、京セラのAF一眼レフ、ペンタックス110、その他いろいろ。つまり昭和の国産機ばかりである。じろじろ見ていると緊張感がゆるみ、また一品を注文してしまいそうだ。

浦安に戻ると、先週よりももっと雪が積もっていた。鞄の中にも雪が積もった。

 


ルイス・モホロ+ラリー・スタビンス+キース・ティペット『TERN』

2014-02-14 07:07:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

先月、歌舞伎町のナルシスに立ち寄ったところ、川島ママが「ちょっとエヴァン・パーカーみたいでしょ!」と嬉しそうにかけてくれたレコードがあった。確かに微分的な繰り返しのフレーズを吹き続けるサックスで、しかも英国盤。

あとで調べてみると、Ashbury Stabbins Duo 『Fire without Bricks』(Bead Records、1977年)という盤であり、サックス奏者はラリー・スタビンスだった。どうやら簡単には入手できないようでもあり、スタビンスが参加する別のCDを聴くことにした。

ルイス・モホロ+ラリー・スタビンス+キース・ティペット『TERN』(FMP、1982年)

Louis Moholo (ds)
Larry Stabbins (ss, ts)
Keith Tippett (p)

ルイス・モホロは南アフリカ出身ではあるがロンドンを拠点に欧州で活動してきたドラマーであり(現在では、アフリカ式にルイス・モホロ-モホロと名乗っている)、またラリー・スタビンスキース・ティペットも英国人。調べてみると、スタビンスはキース・ティペットと随分行動を共にしていたのであり、もっと熱心にティペットを聴いていたならその存在に気づいてもよかったのだった。

演奏は、20分前後のフリー・インプロヴィゼーションが3曲と、短めの演奏が1曲。そのためにFMPの原盤ではLP2枚となっている。

モホロはビートを刻むのではなく、絶えず波のような脈動音をシンバルで創り出し、ここぞというところでパンチを繰り出している。ティペットも、いつもの彼のスタイル通りに、地響きのような低音のピアノで音楽全体のエネルギーを励起し、ときに高音に駆け上がる。このあたりは個性爆発、すばらしい。

スタビンスのサックスは、ここでも確かにエヴァン・パーカーを思わせる。それでもやはり違う個性なのであり、微分音の繰り返しフレーズにしても、パーカーの音を重厚な樹皮のクヌギの樹だとすれば、スタビンスのそれはもっとスマートな樹皮のユーカリの樹ほどの印象の違いがある。

そして、そのスマートな音のまま、やや長い音でのフレーズを吹く。それはむしろスティーヴ・レイシーを彷彿とさせる。スタビンスがパーカーとレイシーのふたりから影響を受けたという事実はあるのだろうか。だからといって、中途半端なエピゴーネンというわけでは全くないのであって、面白い。

●参照
キース・ティペット+アンディ・シェパード『66 Shades of Lipstick』、アンディ・シェパード『Trio Libero』
キース・ティペット@新宿ピットイン
キース・ティペットのソロピアノ
キース・ティペット『Ovary Lodge』
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)(ルイス・モホロ参加)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)(ルイス・モホロ参加)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(ルイス・モホロ参加)


園池公毅『光合成とはなにか』

2014-02-13 23:21:27 | 環境・自然

電子書籍で、園池公毅『光合成とはなにか 生命システムを支える力』(講談社ブルーバックス、2008年)を読む。

著者によれば、光合成の説明として、「植物が光によってデンプンなどを作る働き」とするのは小中学生レベルの答え、「植物が光によって水を分解して酸素を発生し、二酸化炭素を有機物に固定する反応」となれば高校生レベル、さらに「光によって環境中の物質から還元力を取り出し、その還元力とエネルギーによって二酸化炭素を有機物に固定する反応」が大学生レベル、そしてまたさらに先がある。実に奥深い世界なのである。

太陽光エネルギーを得る方法も、エネルギーやマテリアルのフローも、種や環境によってまったく異なり、一筋縄では捉えることができない。また、植物は単なる受け手ではなく、環境に応じて能動的に光合成のあり方を変えてみせる。もう不思議と言うほかはない。

そもそも、この世界の多様な植物はどのように進化してきたのか。27億年ほど前、好気性のシアノバクテリアが登場した。それは1回限りの出来事であったとしても、結果として生まれた光合成生物は、他の生物との共生を繰り返した。つまり、葉緑素をもつ生物が、他の生物と合体していったわけである。へええと簡単に済ませる話ではない。

また、地球環境と光合成は切っても切り離せない関係にあるわけだが、著者は、最近の気候変動についても、実に真っ当な見方を提供する。

しかし、今では、どうしようもない陰謀論や一見わかりやすい科学が、その低水準(たとえばこのようなもの)にも関わらず、社会に一定の影響力を持ち続けている。バカバカしい限りなのだが、どうすればいいのだろう。このような言説は、歴史修正主義のように、論破されても、論理とは関係ない隙間からまた生えてくる。

●参照
只木良也『新版・森と人間の文化史』
上田信『森と緑の中国史』
そこにいるべき樹木(宮脇昭の著作)
東京の樹木
小田ひで次『ミヨリの森』3部作
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
森林=炭素の蓄積、伐採=?
宮崎の照葉樹林
佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』
多田隆治『気候変動を理学する』
小嶋稔+是永淳+チン-ズウ・イン『地球進化概論』
米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』
ダニエル・ヤーギン『探求』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
自著
『カーボン・ラッシュ』


テオ・アンゲロプロス『エレニの帰郷』

2014-02-12 23:03:40 | ヨーロッパ

新宿バルト9にて、テオ・アンゲロプロスの遺作『エレニの帰郷』(2008年)を観る。

以前に待ちきれなくてDVDを入手して観たのだが、英語がよくわからない箇所があったこと、それから、アンゲロプロスの作品を大画面で受けとめることが、急逝した巨匠への敬意というものだろう、と、大袈裟に思ってみたことが、わざわざ足を運んだ理由である。(何しろ、はじめて観た作品『霧の中の風景』に呑み込まれ、当時入れ替え制でなかった日比谷シャンテ・シネで2回続けて観たのだ。)

やはり、いくつか勘違いをしていたことに気づき、また、発見もあった。

ギリシャでの共産運動によって祖国を逃れ、ソ連に拠点を見出す者たち。そこでの男女の再会。奇しくもスターリン逝去(1953年)と重なることにより、またも愛しあう男女は引き離される。時は過ぎ、スターリン批判があり、東欧革命があり、米国やドイツで、再び男女は互いの時空間を縒り合せる。そして、もうひとりの同志と、息子と、孫娘もいた。

映画には、アンゲロプロスのトレードマークであった長回しはみられない。世界も心の内奥も分断していた国境は、『こうのとり、たちずさんで』のように触れることさえためらわれるようなものではなく、超えてきたという過去に属している。

長回しや断絶の提示によって、アンゲロプロスが体現していたものは、現在進行形の歴史ではなかったか。それはアンゲロプロス自身についての個人史でもあったがために、もはや、アンゲロプロスは、語られてしまった歴史や、超えてしまった国境を、そのような形で、苦しみながら映画に焼き付ける他はなかったのではないか。

それでも、アンゲロプロスが抱えた歴史以外の現在進行形の歴史は続く。<歴史の終わり>や、<イデオロギーの終わり>といった鋳型に、この映画をはめてはならない。

<時の埃>(原題)を抱える苦しみと、個人史としての別離を受けとめる苦しみ、そして居場所を見出せない苦しみが迫りくる映画である。

●参照
テオ・アンゲロプロスの遺作『The Dust of Time』
エレニ・カラインドルー『Elegy of the Uprooting』


鈴木勲セッション@新宿ピットイン

2014-02-12 01:20:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインに足を運び、「鈴木勲セッション」を観る(2014/2/11)。

鈴木勲さん(「オマさん」)の演奏に接するのは久しぶりだ。前回は、たぶん2010年に、原田依幸、トリスタン・ホンジンガー、ルイス・モホロ、セルゲイ・レートフら怪人プレイヤーたちの中で存在感を示した姿を観た。富樫雅彦や山下洋輔らとのセッションも印象に強く残っている。

ちなみに、氏は故・富樫雅彦よりも7歳上の81歳であり、今回のMCでも「富樫くん」と呼んでいた。何しろ日本ジャズ史に名前を刻んでいる人である。

鈴木 勲(b)
纐纈雅代(as, ss)
大西由希子(as)
加藤一平(g)
本田珠也(ds)

ふたりの若い女性サックス奏者が競演するためなのか、ほぼ満席。いや別に皮肉ではなく、それだけ面白いということである。実際に、奇態なる格好に身をつつんで登場し、サックスをぶりぶり吹き喝采を浴びるなんてのは、得ようとしてもなかなか得られない芸の姿に違いない。「秘宝感」にも負けていない。

主役はと言えば、中音域でのアクロバティックなベースソロを見せつけていた。この人ならではの独自性に他ならないと思った。

セッション全体としては、がっちり組みあげた演奏ではなく、ややとっ散らかった感があった。ただ、それも愉快。

ところで、鈴木さんの服が凄い。サテン状の黒いシャツ、肩に光りモノ。さらに下は、二色のスカートなのだろうか? しかも、休憩中に客席を練り歩き、自ら観客ひとりひとりと握手をしている!(ぼんやり本を読んでいたら、斜め後ろから手が伸びてきて仰天した。) すべてステキな人なのだった。

なお、このセッションはテレビ収録されていた。日テレプラスの「Mint Jazz」という番組で、4月最終週に放送される予定だそうだ(入ったっけ?)。

●参照
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)(鈴木勲)
纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン(2013年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)(纐纈雅代)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)(纐纈雅代)
本田珠也SESSION@新宿ピットイン(2014年)
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン(2012年)(本田珠也)
石田幹雄トリオ『ターキッシュ・マンボ』(本田珠也)