Sightsong

自縄自縛日記

田中克彦『モンゴル―民族と自由』

2016-05-25 21:48:32 | 北アジア・中央アジア

田中克彦『モンゴル―民族と自由』(岩波同時代ライブラリー、1992年)を読む。

本書は、主にペレストロイカ後の激動期において、モンゴルがソ連~ロシアという主から離脱したプロセスを、ルポのような形で描いている。

モンゴル革命を経て社会主義国となったモンゴルだが(1924年)、実態として、すべてソ連の権力に強くしばられることになった。革命の英雄スフバートルも、何人もの首相も、ソ連にとって都合が悪くなると殺された。その一方で、スターリンにすり寄ったチョイバルサンのような為政者もいた。

このあたりの高圧的なソ連化は、政治体制だけではなかった。ブリヤートやトゥヴァは無理やりソ連の領土に入れられ、言語も奪われ、文化は塗りなおされた。著者によれば、トゥヴァとモンゴルとの間の国境線に不自然なところがあり、それは、塩が取れる場所をソ連が奪ったからだという(その結果、遊牧民はたいへんな犠牲をこうむった)。もちろん塩だけではなく、モンゴルの資源はソ連が収奪するためにあった。だからこそ、ペレストロイカ後、政党によらず、モンゴルはソ連~ロシアから離れることを強く望んだのである。現在モンゴル南部の資源開発が進められており(ちょっと足踏みしてはいるものの)、これが経済発展の目玉とされているのだが、この状態も歪められた歴史の結果としてあるのかもしれない。

民主化の時期に、自国の歴史を正当に再評価しようという動きもあったようだ。そのひとつがノモンハン事件(1939年)である。重要な視点として、関東軍の暴走であった、あるいは辻政信のような特異な人物の動きによるところ大であった、とする日本人の多くの見方は、天皇と日本帝国を免罪するはたらきを持っているのだ、という指摘がある。ノモンハン事件によらず、そのような力学が働いていることも少なくないのかなと思う。

それから、日本~満州に対して、ソ連~モンゴルという関係を対置してみるという視点もある。

●参照
田中克彦『草原の革命家たち』
小林英夫『ノモンハン事件』
木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』

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杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』

2016-05-13 22:16:06 | 北アジア・中央アジア

杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』(講談社学術文庫、原著2008年)を読む。

モンゴル帝国は「帝国」とは言え、近現代から想像するようなものではなかった。血縁を重視し、簡単に裏切ることのない統制の取れたかたまりである「ウルス」がゆるやかに連携しながら並び立ち、ユーラシアを席捲した。その歴史的なインパクトはあまりにも大きく、ヨーロッパからみた歴史でもなく、また「元朝」と称するような中国からみた歴史でも、視線としては偏っている。この「杉山史観」はとても魅力的で、従来の歴史に対する視線を「本当に本当か」と詰める。

史観がどうあれ、13世紀を中心に、東アジアの大元ウルス、中東のフレグ・ウルス、ロシア~東欧のジョチ・ウルス、中央アジアのチャガタイ・ウルスがそれぞれ支配域を確立し、凄まじい広さをモンゴルの息がかかった地域とした。そして、一時代のあだ花ではなく、たとえば、インドのムガール帝国も、ティムールを介したモンゴル後継国家とみなすなど(モンゴル→ムガール)、その影響を非常に大きなものとしている。

面白いのはそれにとどまらない。資本主義の源流を銀による大元ウルスの経済システムに見出すこと、大元ウルスにとってかわった明朝が内向きの支配体制を取ったために、海からの世界支配がアジアでなくヨーロッパによるものになったことなど、とても興味深い。このような俯瞰する視線であれば、アメリカの世紀も未来永劫に続くわけでないと捉えるべきであるように思えてくる。

●参照
杉山正明『クビライの挑戦』
白石典之『チンギス・カン』
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
岡田英弘『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』
田中克彦『草原の革命家たち』
木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』
今西錦司『遊牧論そのほか』

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今西錦司『遊牧論そのほか』

2016-04-13 21:53:04 | 北アジア・中央アジア

今西錦司『遊牧論そのほか』(平凡社ライブラリー、原著1947年)を読む。

今西錦司は、戦中・戦後に、内モンゴルの調査旅行を行った。本書は、その際に、この生態学者が書きつけた思索の記録である。

もっとも、海外踏査が困難であった時代であるから、判断材料は極めて限定されたものだったに違いない(たとえば、著者は、外モンゴルのゴビ砂漠には植生がほとんど無いと書いているが、実際にはそうではない)。社会や文化も含めて、実際に身を置いて思索を重ねた上で出されてきた「理論」である。したがって、正しいかそうでないかというよりも、今西錦司という人の思索過程に付き合うことの味わいに価値がある。

遊牧ということについては、内モンゴルの植生分布や、牛、羊などの家畜の特性から検討を進めている。その結論として、ヒト中心の事情によって、狩猟文化から農耕・定住文化を経たあとに行いはじめたのではなく、動物の群れとしての動きにヒトが合わせていったのだと考えている。このことも単純な「正解」というわけではないようだ。

著者は、大陸において日本の敗戦を経験した。同年の10月に北京で書かれた文章は、さすがである。

「けっきょく敗走である。敗走でしかない。この数年来日本人は何万と進出してきたが、軍はもとより、一般居留民も、日本人は日本人だけの社会をつくろうとした。その社会と現地民の社会とは遊離していた。日本人は安くで配給物をうけとり、日本人はいわゆる治外法権の特権階級として、現地民の社会にまで根をおろす必要を、ほとんど感じないで暮らしていた。この日本人の社会が風に吹かれて動揺するとき、これをとどめる力は、現地民の社会からでてこなければならないということを忘れていた。」
「敗走はけっきょく日本人のつくった、浮き草のような日本人社会そのものの敗走である。」

●参照
2014年8月、ゴビ砂漠
2014年8月、ゴビ砂漠(2)

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ギオルギ・シェンゲラヤ『放浪の画家ピロスマニ』

2015-12-13 00:33:16 | 北アジア・中央アジア

岩波ホールに足を運び、ギオルギ・シェンゲラヤ『放浪の画家ピロスマニ』(1969年)を観る。

19世紀後半から20世紀初頭までを生きたグルジアの画家、ニコ・ピロスマニの伝記映画である(慣れないのでジョージアとは呼びたくない)。

衝動で幼馴染に接吻したために家を出て、まったく商売に不向きで乳製品の店はうまくいかず、ちょっとしたことで傷ついて結婚を破談にして、絵ばかりを本能のように描いていた男。外からの毀誉褒貶でさらに傷つき、内にこもって世捨て人のようになってしまう。本当に聖人のような人だったのだろうね。

それにしても、グルジアの石や木でできた家、狭い坂道、広場での宴会、そして何よりもピロスマニの絵に魅せられる。いつかこの国に行くこともあるだろうか。

●参照
はらだたけひで『放浪の聖画家 ピロスマニ』
フィローノフ、マレーヴィチ、ピロスマニ 『青春のロシア・アヴァンギャルド』
ニキータ・ミハルコフ版『12人の怒れる男』

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旨いウランバートル その3

2015-06-24 16:37:10 | 北アジア・中央アジア

5回目のウランバートル。

■ イフ・モンゴリア(ビアガーデン)

結構暑く、みんな外のテラスに出ている。しかも1リットルのジョッキ(それをストローで飲む女性もいる)。わたしは根性がないので500ミリリットル。もう夏至前夜、ようやく夜10時半ころになって薄暗くなってきた。

■ レインボウ(フローズンヨーグルト)

ソウル通りに新しい店ができていた。夜遅くまで開いていて、つい食べてしまう。シーバックソーン味はとても旨かった。

■ オリエンタル・トレジャー(台湾料理)

旨いタイ料理店があると聞いて行ってみるとなんだか様子がヘン。タイではなく台湾だった。味はふつう。

なお、隣には、実に旨いインド料理店デリー・ダルバールがある。

■ ナーダム(全般)

ウランバートルにシャングリラ・ホテルができたばかりで、高くて泊まれないので、中のレストランで宴会をした。

ナーダムとはモンゴルを代表するお祭りで、今年は7月10日から。人によっては田舎に戻って1か月近く休みを取る。この店の名前の下には「1年中」と書いてあり笑ってしまう。

気が向いてラム肉のハンバーガーを食べた。

■ 京泰飯店(中華料理)

再訪、ふつうの中華料理。太刀魚の揚げ物があったのでつい食べてしまった。ところで、太刀魚食い文化の広がりはずっと気になっている。韓国では一般的な魚だが、日本では西だけだと思う。

■ ピョンヤン(北朝鮮料理)

料理とサービスとパフォーマンスのあまりのハイクオリティぶりに感動して、ついに3回目。大喜びで観ていたら、手を引っ張られて踊る羽目になってしまった。ああ恥ずかしい。

参鶏湯に似ているが汁で煮込むのではなく蒸す料理があって、見るからに滋養の塊。体調がよくなるに違いない。

●参照
旨いウランバートル
旨いウランバートル その2

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2015年6月、ウランバートルの綿毛

2015-06-23 06:55:12 | 北アジア・中央アジア

4か月ぶりのウランバートル。2月はマイナス25度くらいまで下がり強烈な寒さだったのだが、もうすっかり暑くなっている。

この時期には、街中で、綿毛が冗談のように飛んでいる。以前、春の中国で驚いたことがあったが、それ以上のインパクトがある。これはヤナギ科のポプラであり、英語ではCotton Treeなどと呼ぶこともあるらしい。

綿毛は路上の隅っコに吹き溜っていて、風が吹くとものすごい勢いで巻き上がる。フェデリコ・フェリーニ『アマルコルド』において街を舞う綿毛もポプラである。

●参照
2014年10月、ウランバートル郊外のチンギス像
2014年8月、ゴビ砂漠
2014年8月、ゴビ砂漠(2)
2014年8月、ウランバートル
2013年11月、ウランバートル

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旨いウランバートル その2

2015-02-06 00:52:47 | 北アジア・中央アジア

4回目のウランバートル。マイナス20度を下回る中をうろうろするわけにはいかないため、あまり探索はできない。


チンギス広場(スフバートル広場)にはスケートリンク


足跡が見える


ヘンな霜

■ Jade Palace (広東料理)

Blue Sky Hotelの中にある。広東料理と言っても、「Hot Pot」のビュッフェだけである。スープの種類と肉を2種類指定したら、固形燃料で加熱する個人用の鍋が出てきて、そこに野菜を大量に投入。乾燥カニカマがあって吃驚した。

■ Irish Pub

何料理の店かよくわからないが、とりあえず夜はパブ風の飲み屋になり、昼はモンゴル料理のランチが食べられる。

典型的な山羊のミートパイも、シーバックソーンの温かいジュースも旨い。

■ ウクラインスカ (ウクライナ料理)

前回あまりにも旨かったので再訪。ただし、最初に頼まずとも出てくる「サーロ」(豚肉の脂肪の塩漬け)は苦手すぎて食べられない。

やたらとサワークリームを使っていて、餃子にもかけているが、これがまた旨い。そして、目当てのキエフカツレツ(チキンとチーズ)は、切ると肉汁が飛び出してきてたまらなく旨い。

こんなに口にあうウクライナ料理、東京にもあるだろうか。


サーロ


餃子


キエフカツレツ

■ 京泰飯店 (中華料理)

普通の中華料理。

■ Silk Road (オシャレモンゴル料理)

仕事仲間が開いてくれた飲み会。チンギスビールとか、何とかいう濁りビールとかを飲みすぎて泥酔、翌朝ハングオーバー。モンゴルで酔いやすいのは、標高が高いせいもあるが、どうもビールが回りやすく残りやすいせいもある、ようなのだ。


ラムステーキ

■ Sorabol (韓国料理)

2週間前に開いたばかりだという新しい店。テールスープを飲んだら、二日酔いがかなり治った。韓国料理は偉大である。

■ Zen (日本料理)

Blue Sky Hotelにある日本料理店。Meat Combo Bentoというものを食べたのだが、やたらと味気のないトンカツが多く・・・。う~ん。

■ Pyongyang Baekhwa restaurant (北朝鮮料理)

ここも前回感激して再訪。極寒のなかを30分くらいさまよい歩いてたどり着いた(よくわからないマンションの中にあって発見しにくいのだ)。着く頃には足が冷え、頭がキンキンとしていた。

相変わらず料理はハイレベル。ここなら何度でも通いたい。残念ながらランチタイムには歌や踊りはなかったのだが、申し訳ないと言ってアイスをサービスしてくれた。


ユリ根?


骨付き豚肉の甘辛煮


キンパ


黒い餃子


カルビタン


パフォーマンスはお休み

●参照
旨いウランバートル

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はらだたけひで『放浪の聖画家 ピロスマニ』

2015-01-04 22:08:21 | 北アジア・中央アジア

はらだたけひで『放浪の聖画家 ピロスマニ』(集英社新書、2014年)を読む。

ニコ・ピロスマニ。19世紀後半から20世紀初頭までを生きたグルジアの画家である。

その素朴かつ透徹した画風は、一度観ると魅せられ忘れられない。わたしももちろん以前から知っていたものの、なかなか実物に接する機会がなかった。そんなわけで、2008年に渋谷Bunkamuraで開かれた『青春のロシア・アヴァンギャルド』展において何点も目の当たりにできたことは嬉しかった。

本書の著者は、まさにピロスマニの絵に魅了され、グルジアにも足を運び、研究し続けてきた人である。美術の専門家ではなく、愛情を向けてきた人なのだ。それゆえに、作品のひとつひとつに入り込み、それらが描かれた背景やピロスマニの心情に思いを馳せることができるのだろう。これが滅法面白く、また興味深い。

絵だけに執着したピロスマニは、プライドが非常に高く、決して周囲とうまくやっていたわけではなかった。そのため、終生不遇であった。その一方で、生活圏内のひとびとに愛された存在でもあったようだ。そして、自民族の生活文化や歴史や宗教をとても重んじた(というより、それがかれの世界であったというべきか)。

中世グルジアの詩人ショタ・ルスタヴェリも敬愛の対象であったというのだが、ここで思い出すのは、ニキータ・ミハルコフ版『12人の怒れる男』だ。オリジナルのアメリカ映画とは異なり、映画で冤罪を着せられるのはチェチェンの少年。陪審員のひとりは、少年の属性(チェチェン、貧困)に起因する偏見から自由になれない他の陪審員の発言に対し、「それではカフカス出身だからといって、ショタ・ルスタヴェリも、セルゲイ・パラジャーノフも、ニコ・ピロスマニも、能無しだったというのか!」と怒ってみせる台詞がある。ピロスマニ、ルスタヴェリ、パラジャーノフといった名前は、どのくらい民衆のものなのだろうか、知りたいところだ。

●参照
ニキータ・ミハルコフ版『12人の怒れる男』
フィローノフ、マレーヴィチ、ピロスマニ 『青春のロシア・アヴァンギャルド』

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2014年10月、ウランバートル郊外のチンギス像

2014-11-03 22:56:36 | 北アジア・中央アジア

ウランバートル市内から東へ1時間半くらい走ると、巨大なチンギス・ハーン像がある。

高さ40m。表面は金属ゆえか造形がポリゴンのようで、その存在感は冗談のように大きい。いや冗談のはずはないが、それでも作るときに少しくらいはニヤニヤしたに違いない。まあ、それくらいチンギスが偉大視されているということである。

台座の中に入ると、また冗談のように巨大な靴。これは手作りのものとして世界最大で、ギネスブックにも登録してあるとのこと。エレベーターと階段で、チンギスが乗る馬の頭の上に出ることができる。振り返ってみると大きなチンギスの顔。もうすべてが過剰。

周囲にはゲルのキャンプ場なんかも整備される予定だそうで、完成したらぜひ宿泊してみたいものだ。夢でもチンギスを見たりして。


鷹匠


冗談靴


口琴


チンギスの手

※すべてMinolta TC-1、Fuji 400Hで撮影

●参照
2014年8月、ゴビ砂漠
2014年8月、ゴビ砂漠(2)
2014年8月、ウランバートル
2013年11月、ウランバートル
モンゴルの口琴
旨いウランバートル

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モンゴルの口琴

2014-10-28 23:36:25 | 北アジア・中央アジア

ウランバートル郊外に巨大なチンギス・ハーン像があって、その中には当然のように土産物屋がある。

モンゴルで見る土産物といえば、ゲルのおもちゃ、馬頭琴のミニチュア、手袋、毛皮の帽子、Tシャツや絵葉書などの「いやげ物」、馬の置き物など。どうせ琴線に触れるようなものもないだろうと近づいてみると、びよ~んびよ~んという音が聞こえる。口琴を弾いている人がいる!

誰の手作りかわからないが、紛れもなくモンゴルの口琴である。早速ためしてみて、塩梅の良いものを買った。3万5千トゥグルグ、約2千円。

金属製の口琴は、指で弾く弦が飛び出ていて、危ないし保管が不便である。この口琴は、それがすっぽりと収まるよう溝が彫られた木の箱に、うまく紐で結えてある。よく考えられていて感心する。

音はというと、軽快で気持が良い。調子に乗って、ウランバートルの日本料理屋で仕事仲間に披露し、「顔が怖い」と評価された。

帰って手持ちの口琴と比較してみると、ハンガリーの匠ことゾルタン・シラギー氏作成の「ロココ」とは、また違った軽やかさだ。なお、アメリカ製の武骨な口琴は、文字通りぐぉ~~んと頭蓋骨が揺れておかしくなる。北海道で買ったアイヌのムックリは竹の音。

びよ~んびよ~ん。

手前左から、モンゴル製、ハンガリー製、アメリカ製。奥、アイヌのムックリ。

●参照
酔い醒ましには口琴
『沖縄・43年目のクラス会』、『OKINAWA 1948-49』、『南北の塔 沖縄のアイヌ兵士』(宮良瑛子の口琴の絵)
ハカス民族の音楽『チャトハンとハイ』(ハカスの口琴)
チャートリーチャルーム・ユコン『象つかい』(タイの口琴)
"カライママニ" カドリ・ゴパルナス『Gem Tones』(インドの口琴)
マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』(アメリカの口琴)

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旨いウランバートル

2014-10-26 00:57:01 | 北アジア・中央アジア

3回目のウランバートル。何となく慣れてきて、旨い店にもいくつか。

■ Modern Nomads (モンゴル料理)

割と最近、何店舗も展開しているようで、評判が良い。とりあえず、「ステップの白さ」なる羊肉メニューを注文してみたところ、どどんと大きな肉が出てきた。ビールと一緒に夢中になって食う。ところで、店内のモニターでは『ひつじのショーン』を流している。羊を食べているのに、何の冗談か。


ステップの白さ

■ The Square Grill Pub (モンゴル料理)

チンギス広場横のCentral Tower内にある。「ビジネスランチ」の焼き肉饅頭。上にはサワークリーム。


焼き肉饅頭

■ ウクラインスカ (ウクライナ料理)

仕事仲間のモンゴル人に「旨いロシア料理がある」と聞いて、迷いながらなんとか辿り着いた。ロシア料理ではなくウクライナ料理だった。

かなり地元の人たちでにぎわっていて、家族連れも女子会も。特に「キエフのカツレツ」(チキン)が絶品で、ナイフを入れたとたんに肉汁が1メートル飛んだ。これはかなり高得点。次に行くときにも絶対に食べようと決意した。


キエフのカツレツ


ピロシキ

■ Mirrage (モンゴル料理)

少しはずれたところにあって、有名なカシミヤショップ「ゴビ」の隣。


牛レバー


羊スペアリブ

■ Asiana (アジア料理全般)

街の南側に最近出来たという、小奇麗なところ。内装が凝っていて、個室に「京都」だの「北京」だのといった名前がつけられている。ゲルまでもある。

「上海」で、主に中華料理を食べた。とても旨かったのだが、勢いにのってウォトカを痛飲し、久々に泥酔、翌朝大後悔。何でもモンゴルは標高が高いこともあって、酔いがまわりやすいのだそうだ。


上海の絵


ウォトカと中華

■ チンギス巨像のレストラン (モンゴル料理)

ウランバートルから自動車で1時間半くらい走ったところに、冗談みたいに大きなチンギス・ハーンの像がある。その下にレストランがあって、注文して待つ間にも展望台に行くことができる(チンギスの馬の上)。ウォトカのせいで午後になってもつらく、ビーフジャーキーの麺(Tsuivanという小麦粉の麺)を食べた。かなり二日酔いが治った。


ビーフジャーキーのTsuivan

■ 石庭 (日本料理)

つい興奮して、写真を撮らなかった。


入口でヘンなオヤジが「ご苦労様です」などと呟いている

■ Biwon (韓国料理)

これもCentral Tower内にあって、ランチでも結構いい値段。カルビタンで汗をかいたら、気のせいか体調が良くなった。


カルビタン

■ Pyongyang Baekhwa restaurant (北朝鮮料理)

今年の8月にモンゴルに来たときに、空港でチラシを配っていて、大事に取っておいた。もちろん国交があるから、このような店がある。

しかし、場所はわかりにくく、ホテルの人に確認してもらい、タクシーを手配してもらって行った。ビルの入口には何も示されておらず、奥の暗いエレベーターで4階に昇るときには不安が爆発する。適当にネット情報だけで辿り着くのはまず不可能である。

ただ、店の入り口から綺麗で、店員のサービスもかなり丁寧(何しろ、必ず後ろにまわって料理を出す)。山菜の炒め物、葱のチヂミ、黒い餃子(ジャガイモを凍らせてすりおろし、皮にする過程で黒くなるのだとか)、黒い冷麺など、どれもこれもお世辞抜きで本当に旨い。

8時になると、パフォーマンスがはじまった。歌って踊って、楽器演奏まで。上手いだけではなく、民族衣装を着た女性がドラムスを叩いたりと目を奪われる愉しさ。これは凄い。次にウランバートルに行くときにも必ず足をのばさなければ。


山菜


チヂミ


黒い餃子


冷麺

■ Delhi Darbar (インド料理)

ウランバートルのインド料理がハイレベルであることには定評があるようで、確かに、ナンもカレーもラッシーも旨い。


カレーいろいろ

■ さくら (日本料理)

他国の日本料理店で、この名前を付けているところは数限りないのではないか。それはともかく、わたしはすぐ日本料理が恋しくなるほうなので、結局食べてしまった。

「鮭とチーズの生春巻」という変わった料理があったが、かなりいける。カツ丼は普通の味。普通がいちばん。おコメがいまひとつかな。

日本以外でのカツ丼ランキングを付けるとすれば(3箇所でしか食べていないけど)、ミャンマー>モンゴル>>サウジアラビア


カツ丼


鮭とチーズの生春巻

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ナターリヤ・ソコローワ『旅に出る時ほほえみを』

2014-09-28 21:44:21 | 北アジア・中央アジア

ナターリヤ・ソコローワ『旅に出る時ほほえみを』(サンリオSF文庫、原著1965年)を読む。

ヨーロッパのある国。主人公の「人間」は、優秀な科学者として国家予算を与えられ、「怪獣」を開発していた。その「怪獣」は、地底を自在に移動でき、人工知能を有していた。それだけでなく、威力の大きな爆弾が装備されているのだった。当然、政府はそれを軍事兵器として使おうと画策する。エリート主義の権力者は、独裁を強めていく。権力者にとって「人間」もエリート仲間であったが、知的に権力の横暴を許すことができない「人間」は、権力に背く。「人間」はとらえられるが、その前に、「怪獣」の軍事利用の芽を摘むことに成功する。

かれは「忘却の刑」に処される。死刑にでもすれば、かれが権力に抗う者たちの英雄として記憶されてしまう。それを嫌った権力は、すべての記録から名前と存在を抹消する。「人間」が、本当に名前を持たない人間と化してしまうのだった。かれは国外に追放され、権力が嫌う東方、すなわち、ソ連の方へと歩いてゆく。

これは、ソ連においてヨーロッパ資本主義を批判した作品の形を取っている。しかし、本質的には、個人の声を封殺する全体主義の恐ろしさを描いたものとなっており、すなわち、批判はソ連自体に向けられたもののように読むことができる。

その意味で、作品としての深さや成熟度はさほどではないものの、イスマイル・カダレ『夢宮殿』(アルバニア、1981年)、ストルガツキー兄弟『滅びの都』(ソ連、1975年)、ミラン・クンデラ『冗談』(チェコ、1967年)などを想起させられる。あるいは、卑劣な小人物の独裁者を描いたものという点で、テンギズ・アブラゼ『懺悔』(グルジア、1984年)という映画をも思い出してしまう。もっと言うと、いまの日本と比べざるを得ない。

●参照
イスマイル・カダレ『夢宮殿』
テンギズ・アブラゼ『懺悔』

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小林英夫『ノモンハン事件』

2014-08-24 00:36:39 | 北アジア・中央アジア

小林英夫『ノモンハン事件 機密文書「検閲月報」が明かす虚実』(平凡社新書、2009年)を読む。

ノモンハンは、モンゴルと旧満州国との国境に位置する。ここでは、国境線の引き方を巡り、日本側とソ連側との間で頻繁に紛争が起きていたのだが、1939年、ついに大規模な衝突に至った。外モンゴルは、革命を経て1924年に独立していたが、事実上、ソ連の傀儡国家であった。なお、日本では「事件」と呼ぶが、モンゴルでは「戦争」と呼ぶという。実態はもちろん後者である。

この戦争において、日本軍は大敗を喫した。特に、戦闘の中心を担った第23師団の死傷・生死不明・捕虜を含めた損害率は7割近くにものぼり、全滅に近い結果であった。しかし、無惨な結果とは正反対に、日本や満州においては、まるで勝ったかのような報道が繰り広げられた。

著者は、関東軍による検閲記録をもとに、隠蔽の実態に迫っている。通常はこのような記録は出てこないが、戦後、吉林省での工事中に、地下から発見されたのである。関東軍司令官は、敗走時に記録を残さないため機密文書を焼却処分することを命じたが、この場合は、間に合わずに地中に埋めたケースであった。

検閲ぶりは想像を超えるほど徹底的なものだ。本書に挙げられている件数でいえば、戦争が本格化した1939年8月において、75万件の電報を検閲して1000件を処置、また69万件の郵便物を検閲して900件を処置。その中には、当然、ソ連軍が質量ともに日本軍を圧倒したことが、外部の相手に向けて綴られたものが多数含まれていた。また、撤退したり、捕虜交換によって帰還した将校には、自決勧告がなされ、このことも実態を消し去ることに貢献したという。

仮に、実態が外部に伝わっており、肉弾戦で戦車を多数破壊したとか、空中戦では日本が圧倒的に強かったといった虚像(実際には、戦争初期のみの話)が拡大再生産するようなことがなければ、さらなる日本軍の暴走が、多少なりとも食い止められたのではないかと思えてならない。 

●参照
小林英夫『<満洲>の歴史』
島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
小林英夫『日中戦争』
田中克彦『草原の革命家たち』

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2014年8月、ゴビ砂漠(2)

2014-08-12 00:01:08 | 北アジア・中央アジア

ミノルタTC-1は不思議なカメラで、正直言って使いやすいとは言えないのだが、あがりを見ると、そのドラマチックな色に驚く。

モンゴル南部のゴビ砂漠にて。

※撮影はすべて、Minolta TC-1、Fuji Pro 400 / Super Premium 400

●参照
2014年8月、ゴビ砂漠
2014年8月、ウランバートル
2013年11月、ウランバートル

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田中克彦『草原の革命家たち』

2014-08-10 00:13:46 | 北アジア・中央アジア

モンゴルへの行き帰りに、田中克彦『草原の革命家たち モンゴル独立への道 増補改訂版』(中公新書、1973/90年)を読む。

モンゴル帝国(元王朝)は、草原の遊牧騎馬民族によって構築された世界であり、中国王朝の系譜に収まるものではない。しかし、この世界帝国は崩壊し、近代にいたり、モンゴルは清国と帝政ロシアとの間においてかろうじて成立していた。辛亥革命(1911年)後、清の支配から脱することを企図するが、依然、中華民国と帝政ロシアとの間で頭越しに国のかたちが決められた。それが、外モンゴルだけの自治権であった。

ロシア革命(1917年)によりソ連が成立し、こkでもモンゴル革命が起きる(1921年)。結果として、ソ連が崩壊するまでの間、モンゴルはソ連の傀儡国家であった。しかし、本書によれば、それははじめからのことではなかった。ソ連のコントロールのもと社会主義国家を成立させたのではなく、逆に、モンゴルがソ連を引き寄せ、独立を勝ち取ったのであった。

当時の英雄たちは「最初の七人」と呼ばれた。そのうちチョイバルサンを除く6人は革命後相次いで処刑され、チョイバルサンはスターリンにすり寄っての独裁者と化した。

―――しかし、歴史はそれほど単純ではなかっただろうと、本書には書かれている。チョイバルサンは曲がりなりにも独立国家モンゴルを維持し、日本軍を破ってもいる(ノモンハン事件)。今回モンゴル人とこの話題をしていて(飲みながらだが)、彼は、今では、スフバートルやボドーら英雄の死も、チョイバルサンも動きも、すべてソ連の意図あってのことだったと評価されているのだと言った。また、ノモンハン事件も、「ノモンハン戦争」と教わるのだと言った。

パワーポリティクスによって国のかたちが変えられたのは、何も内モンゴルと外モンゴルとの分断だけではない。本書によれば、ロシア国内のブリヤートは独立の中に入ることができず、トゥヴァはソ連に併合されたままとなってしまった。そして、独立に際しては、内モンゴルやブリヤートの者たちも歴史に名を刻んでいる。

モンゴルを見る目が変わる名著だと思う。現在も、モンゴルは日本、アメリカ、中国、ロシアによって押されたり引かれたりしているだけに、読んでおいて損はない。

●参照
木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』
開高健『モンゴル大紀行』

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