Sightsong

自縄自縛日記

ケヴィン・マクドナルド『消されたヘッドライン』、アンドリュー・ラウ『Look for a Star』

2009-09-30 23:59:53 | 北米

5日間ほど所用で中国に飛んだ。飛行機の楽しみは映画に尽きるのだが、今回はどうもラインナップが今ひとつで・・・・・・、まあ贅沢は言わない。

ケヴィン・マクドナルド『消されたヘッドライン』(2009年)

この手の米国映画をわざわざ映画館で観ることはほとんどないこともあり、今年上映されたことすら知らなかった。ラッセル・クロウが「いかにも」な感じの癖のある新聞記者を演じている。ちょっとアウトローな勤め人の演技を観ると、自分も仕事ができる奴のような錯覚を覚えるのだから便利である。

退役軍人を抱え、軍事兵器、宣伝広告、傭兵などの総合軍事ビジネスで政治に喰い込んでいる企業。ざっくり言えば、自国の恥部を映画に描いて、浄化された気にさせる米国製「社会派」映画は無数にあるから、観ていてデジャヴ感にとらわれる。ただ、常に戦争状態でなければ成立しえない米国の姿を描いたものとして、それなりに面白いものだった。他に軍産複合体を取り上げた映画にはどんなものがあるかな。

アンドリュー・ラウ『Look for a Star』(2009年)

アンディ・ラウスー・チー主演。富豪のビジネスマンと貧乏のダンサーとの恋愛ものであり、映画としてはまったく何ということもない。スー・チーは、これまで、チャウ・シンチーと共演した『ラッキー・ガイ』や、ジョニー・トーが製作した『スー・チー in ミスター・パーフェクト』などの演技から、能天気で理性のない女優にすぎないと思っていたが、実は動きにも表情にも魅力と色気があることを発見した。最近では侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『百年恋歌』などにも出演しているようだ。観たい。

●参照
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』


井上ひさし『シャンハイムーン』 魯迅と内山書店

2009-09-24 22:00:00 | 中国・台湾

上海魯迅の家や記念館に足を運びたいとかねがね思っているのだが、毎回上海では時間がない。魯迅の家は、戦前の日本人街近くにあり(他の国とは違って、租界と自ら名乗っていただけ)、魯迅を世話した内山書店跡もやはりその近くにあるらしい。いまは神保町のすずらん通りにあり、その上は「アジア文庫」というアジア専門の書店になっている。私にとってはオアシスのような場所だが、やはり最近では覗く時間が取れない。

井上ひさしの戯曲『シャンハイムーン』(集英社、1991年)は、国民党から魯迅をかくまったころの内山書店が舞台になっている。全集か何かに収録されている、と演劇の仕事をしている人に聞いたが、 単体では古本を探すしかない。

晩年の魯迅は歯も身体もぼろぼろだったが、これは罪悪感によるものだった。北京の母を押し付けた妻への罪悪感。革命を唱えながら生き残ってしまっていることの罪悪感。仙台で学んだ藤野先生に嘘をついてしまったことの罪悪感。自分の作品のために死んでしまった青年に対する罪悪感。

ところが、歯の治療がきっかけで、魯迅は、周りの人々が贖罪の対象に見えるようになってしまう。そこから見えてきたのは、魯迅の自殺願望であった。

―――といった話だ。

井上ひさしらしく、説教くさく、正論の演説が違和感なく溶け込んでいるような側面が目立つ。しかし、暗い部屋の座卓で不健康そうに座っていそうな魯迅が、ここでは人間くさい存在として現れてくるのは愉快だ。読後の充実感のまま、さて何が書いてあったのだっけと思い返すと、何ということはない。まったく大した腕前である。

●参照
魯迅の家(1) 北京魯迅博物館
魯迅の家(2) 虎の尾
魯迅グッズ
丸山昇『魯迅』
魯迅『朝花夕拾』、イワン・ポポフ『こねこ』


往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』

2009-09-23 21:58:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

齋藤徹による、じわじわと発展・成長させていたプロジェクト「オンバク・ヒタム」(マレー語で黒潮の意)の完成版が、先週披露された。足を運ぶつもりだったのだが、仕事で忙殺されて結局行けず仕舞。最近そういうことが多くて、ちょっと悲しい。

そんなわけで、「オンバク・ヒタム」の一部、「琉球弧編」が演奏されたCDを悔し紛れに聴いている。実は、齋藤徹(ベース)、林栄一(アルトサックス)、小山彰太(ドラムス)による「往来トリオ」が2枚目に発表した『雲は行く』(おーらいレコード、2000年)に収録されているのを知ったのは最近のことで、中古CD屋ではじめて手に取って見つけたのだった。さっさと買っておけばよかった。

オンバク・ヒタム/琉球弧編」は、ゆったりとした雰囲気で始まり、琉球旋律も使いつつ、大きな流れになっていく。熱帯の海から、人びとの生活やリズムを乗せて、琉球弧を経て、北上していくイメージがそのまま重なる。何となく元気が湧いてくる演奏なのだ。

次の「インヴィテイション」は、沖縄県読谷村の城跡で上演予定であったという(座喜味城か)。夜たいまつを持つ男子小学生のコーラスを想定して作ったという、そのイメージとともに聴くと、暖かい風が吹いてくるようで楽しい。

前年に発表された往来トリオの第1作、『往来』(おーらいレコード、1999年)はちょっと衝撃的だった。このメンバーで、スタンダードを演奏するということが、である。

最初の「往来」は、大勢の声明とともに曲が盛り上がる。そこから、齋藤徹と林栄一とのデュオ「Lotus Blossom」、林栄一のサックスソロ「My One And Only Love」、齋藤徹のベースソロ「Goodbye Pork Pie Hat」などが、演奏される。誰でも聴いたことのある「インディオのわらべうた」はトリオの演奏だが、この感覚は明らかにアジアの祝祭だ。それがなぜなのかよくわからない。また、一風変わったベースのイントロから入り、小山彰太の珍しいハーモニカとのデュオになる「エドガーの日常」は、一転ブルージーで嬉しい。最後は「Amazing Grace」で締められる。

このCDは発売直後から持っているが、何度聴いても聴き所が出てくる、完成度の高い盤だと思う。『往来』、『雲は行く』以来、たぶん作品は出ていない。何かまたやってほしいところだ。

(追記1)・・・・・・と思っていたら、おーらいレコードから、もう1枚『櫻』というCDが出ていて、既に廃盤になっている(>> リンク)。しかも、『雲は行く』と曲が重なっており、録音場所(アケタの店)も録音日も同じだが、一部『雲は行く』に含まれない新宿ピットインでのセッションが入っている模様だ。どういうことだろう。

(追記2)齋藤徹さんによると、やはりジャズのサックス・トリオという形態での発表は、今後は難しいようだ。私信ゆえ詳しくは書かないが、往来トリオは「ジャズの実験」であった。とにかく今は、「オンバク・ヒタム」の公演記録のDVD化に期待するのみである。

●参照
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』
ユーラシアン・エコーズ、金石出
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm
ジョゼフ・ジャーマン『ポエム・ソング』


白川静『孔子伝』

2009-09-21 23:35:02 | 中国・台湾

白川静『孔子伝』(中公文庫、原著1972年)を読む。最近は松岡正剛による評論が出るなど再注目を集めている故・白川静、呪術的な漢字の生起など魅力はかり知れない感がある。

本書にのぞむ白川氏の態度は、次のことばにあらわれている。

「孔子を大聖として書くことは、むしろやさしい。それは、孔子の伝記的事実のなかに、美しい語録である『論語』のことばを、適当に加えれば、構成できるからである。(略) しかし事実の意味を解くことは、実は容易ではない。意識の底によどむあるものにも、照明を当てなければならぬからである。 」

本書によるならば―――。

孔子は巫女の子、父の名も知られぬ庶生子であった。巫祝とは下層の者、なかでも雨乞いに犠牲となる人身御供を儒といった。儒は雨に頭頂を示す而、刑を受けて結髪のない男が雨乞いをする意味だと解く。もとより殷周の時代、巫祝は聖職者であったが、のち祝系の伝統が衰えて、祈祷や喪葬などの賤職に従うものとなった。

時代はすでに春秋時代、しかし孔子は古代の周に思いを馳せ、古代・周時代の神巫に代わる聖職者の生き方を理想とした。殷時代にあった人格神としての帝の観念はすてられて、非人格的・理性的な天の観念がこれに代わった。天の思想はイデアであり、これがノモスとなるなら、それは堕落である。

孔子の思想はイデアであった。しかしそれは、最初からイデアであったのではない。放逐され、亡命の漂泊彷徨を延々と続け、それでなお思想を語り続けたからこそイデアたる姿を形作ったのであり、はじめからの諦観者は犬儒派に過ぎない。

もと巫祝集団から発展した亡命者たちは、反乱者であり、組織と行動力を持つ集団であった。敗北者であった。思想は本来、敗北者のものである。孔子はつねに敗北者であったからこそ、イデアに近づくことができた。そして、孔子はもっとも狂者を愛した。狂気こそが変革の原動力であり、ノモス的なものに対抗しうるものは、この「狂」のほかにはない

―――この過激なる孔子伝を、白川静は、大学紛争のさなか黙々と書いていたという。本書が刊行された1972年は、文化大革命の真っ只中であり、孔子は奴隷制度の擁護者として非難されていた。のちに文革の誤謬が認められると同時に孔子も再評価される。しかし、間接的に、二千年もの間、仁や礼が中国でも日本でも、ノモス的なものを支えてきたのは事実である。その意味では、本書もイデアである。


ヴェトナム・ハノイの孔子 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


市川崑(3) 『野火』、『トッポ・ジージョのボタン戦争』

2009-09-20 22:58:58 | アート・映画

何だか数日前から喉が痛いにも関わらず、週末徹夜で飲んだりしたので体調がすぐれない(これを自業自得という)。そんなわけで、連休だが家で映画を観る。

市川崑『野火』(1959年)

大岡昌平の原作は読んでいないのだが、和田夏十(市川崑の妻)の脚本はずいぶんそこから変貌しているらしい。太平洋戦争末期、フィリピン・レイテ島での飢餓地獄を描いている。

おそらく映画化当時は、この人肉食というテーマは衝撃的であっただろう。しかし、原一男『ゆきゆきて、神軍』(1987年)などを観た眼には、そのテーマを扱う演出の作為ばかりが眼についてしまう。そして、主演の船越英二は、どうしても市川崑『黒い十人の女』(1961年)のようなとぼけたイメージが強いため、まったく感情移入できない。

もちろん市川崑であるから映画は優れている。しかし、彼独自の小気味良い演出のセンスは、このような重いテーマには根本的に向いていない気がしてならない。


神保町シアターのプログラムより

市川崑『トッポ・ジージョのボタン戦争』(1967年)

日本とイタリアとの合作で、トッポ・ジージョ人形の操作はイタリア側の技術のようだ。やはりこの、アクションあり、歌あり、笑いあり、涙あり、のハイセンスな演出こそが市川崑だ。

ボタンというのは核戦争を起こすことができるスイッチで、常に銀行の金庫に保管されている。これを悪人が強盗の手下を使い、盗もうとするが、たまたま出くわしたジージョに妨害される。この強盗団の靴下の色が鮮やかで全員異なる見せ方、悪の親玉が司令を出すマイクがバナナやセロリであるような何とも言えないギャグ。痙攣するような笑いを引き起こすビートは、最後の銃撃戦でピークに達する。強盗団が構える銃によじ登って悪戯を執拗に続け、足の裏をくすぐり・・・・・・。

永六輔・作詞、中村八大・作曲、中村メイコ・歌による挿入歌は楽しく哀しい。このころ映画の撮影を手がけていた写真家・長野重一によるソフトで渋い映像も完璧。

全てのシーンが、真っ暗な地下や真夜中の路上であり、昼間テレビ画面で観るのがちょっと惜しい。5年ほど前にリバイバル上映されたときに、映画館で観たかった。


『エスクァイア』2004年9月号より

●参照
市川崑(1) 新旧の『犬神家の一族』
市川崑(2) 市川崑の『こころ』と新藤兼人の『心』


前原×泡瀬干潟、前原×辺野古

2009-09-18 01:14:10 | 沖縄

「泡瀬干潟を守る連絡会」からの配信メールによると、前原国交大臣・沖縄担当大臣が、泡瀬干潟埋立の「1期中断、2期中止」を表明したということである。

http://saveawasehigata.ti-da.net/e2561252.html

前原大臣は既に、八ッ場ダム、川辺川ダムの建設中止を表明している。もとより「自民党以上のタカ派」という評価が定着していた前原大臣だが、この方向は歓迎である。

本当ならば―――。

なお、氏は2009年3月の『琉球新報』でのインタビューにおいて、以下のように述べている。最近ではトーンダウンしているようだが、さて今後どう出るか。

グアム協定(在沖米海兵隊のグアム移転)に関しては反対。罪を犯すのはほとんど実働部隊であり、司令部機能だけをグアムに移転させるのはおかしい。
●政権を取ったら、グアム協定を見直せばよい。
普天間基地の海外・県外移設については党の方針であり、米国と交渉する。
辺野古基地建設は時間もお金もかかり、普天間の早期返還にはつながらない。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-141346-storytopic-3.html

●泡瀬干潟
泡瀬干潟の埋立に関する報道
泡瀬干潟の埋め立てを止めさせるための署名
泡瀬干潟における犯罪的な蛮行は続く 小屋敷琢己『<干潟の思想>という可能性』を読む
またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展 


八ッ場ダムのオカネ

2009-09-16 00:10:23 | 環境・自然

民主党政権には、無駄な血税を使い、水循環や生態系や海辺への土砂流出や景観を破壊し、偏ったところにのみオカネを流し、住民の生活を一方通行で破壊し、オカネで人を狂わせてきた、そんな事業を本当に止めて欲しいと思っている。(もちろんこれは、基地についてもそのまま当てはまる。)

ダム事業について言えば、大きな争点のひとつが、群馬県に建設される計画の八ッ場ダムである。『東京新聞』(2009/9/11)によれば、総事業費4600億円のうち、既に3210億円を投じている。用地取得、家の移転、代替地の造成、鉄道や道路の付け替えといった周辺事業であり、群馬・千葉・埼玉・茨城・栃木・東京の下流6都県が支払った(支払わされた)額がその6割以上を占めている。なお、ダム本体を含む残りの費用は1390億円。

記事の主旨は、仮に残りの無駄なオカネを払い、ダムを運用し続けたとしても、無駄なオカネを払ってしまった自治体にそれを返還するよりも安くつく、というものだ。どうやら無駄遣いの返還義務は、一部は法律で定められているらしい。

しかしこれは、ダムを作るか作らないかという側面でのみ、しかも実際に支払われるオカネでのみ評価している点で、極めて未熟な記事だと言える。

仮にダムを作ったならば、生活遺産、温泉という文化遺産、自然環境や生態系が破壊され、逆に災害のリスクを抱えるという負の外部コストがかかってくるわけである(あくまでオカネに換算すれば、の話)。逆に本来評価されるべきベネフィットとしては、利水と治水とが掲げられてはいるが、今ではこれらは必要ないものだと評価されている(よくある話!)。あえて言えば、水力発電が増加することによるCO2の削減、をベネフィットに含められなくはないが。

このあたりの、「ベネフィットの虚妄」については、『八ッ場ダムは止まるか』(八ッ場ダムを考える会・編、岩波ブックレット、2005年)に詳しい。

利水については、渇水時にほとんど役に立たない。また水需要は伸びておらず、あえて作る必要はない。また、土砂がたまって、せいぜい50年くらいで駄目になる。
治水については、現実性のない巨大な洪水流量を想定しており、意味がない。
●ここの吾妻川には、草津温泉の強酸性の水が流れ込んでいるため、中和剤として石灰が投入されている。これがダムに流れ込むと、もの凄い汚濁になるだろう。
●上流の浅間山が噴火したら、ダムは砂防ダムになるのではなく、決壊して大災害を引き起こす可能性がある。

ここの周辺は地すべり多発地帯であり、無理に建設しようとするなら、本来は4600億円ではなくもっとオカネがかかるという。2003年に2110億円から5160億円に増額したが、地すべり対策のオカネも含めて予算を削り、4600億円になった経緯がある。

そうすると、今後払うオカネを考えてみると、

【ダムを作る】

ダム本体工事 620億円
生活再建関連 770億円
維持管理    8.36億円/年

【ダムを作らない】

自治体への無駄遣い返還(義務)  1460億円
自治体への無駄遣い返還(義務外) 525億円
生活再建関連(止められない部分)  770億円の一部

ではなく、外部コストを含めて、

【ダムを作る】

ダム本体工事 620億円
ダムの安全化 560億円の一部
生活再建関連 770億円
維持管理    8.36億円/年
環境破壊、生態系破壊  莫大(計上困難)
浅間山噴火による被害  莫大(計上困難)
危険な場所への住民移転 莫大(計上困難)
社会的不公平・不条理の野放し 莫大(計上困難) 

【ダムを作らない】

自治体への無駄遣い返還(義務)  1460億円
自治体への無駄遣い返還(義務外) 0円(無駄遣いに加担したため)
        ~525億円(無駄遣いに強制的に加担させられたため)
生活再建関連(止められない部分)  770億円の一部

などとして評価すべきだろう。こうすれば、ダムに限らず、既存のインフラ(河口堰なんかも含め・・・)のうち、明らかに間違いだったものを壊し、何とか建設前の水準に近づける努力も考えられるというものだ。

また、これまで人びとの暮らしと心を破壊してきた点については、国家による犯罪として見るべきだろう。

●参照
天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集
ダムの映像(1) 佐久間ダム、宮ヶ瀬ダム
ダムの映像(2) 黒部ダム


山手卓球

2009-09-13 00:50:02 | もろもろ

友人と高田馬場にあるトルコ料理店「DENIZ」で食事をしたあと、コーヒーでも飲もうかと言って歩いていると、横道に卓球場。「山手卓球」と書いてある。イラン出身のAさん、記者のDさんともにやる気満々で乗り込んだ。

中には卓球台が4つあり、田舎の公民館のような雰囲気である。他の3台では、相当上手い人たちがもくもくと戦っている。最初、ラリーさえなかなか続かない有様で、ちょっと恥ずかしい。結果は、まあ、全員リングアウトといったところ、と言っても失礼にはあたるまい。1時間で、ラケットを借りて、1人450円だった。

それにしても、都会に突然こんな異空間があるとは・・・・・・。


ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』

2009-09-12 10:50:31 | 思想・文学

『ミシェル・フーコー思考集成 I~X』が、文庫版『フーコー・コレクション 1~6』(ちくま学芸文庫)として再編集されている。第4巻は『権力・監禁』であり、『狂気の歴史』(1961年)、『臨床医学の誕生』(1963年)、『監獄の誕生―監視と処罰―』(1975年)などに関連した発言、インタビュー、対談が中心となっている。語りであり、濃密に次から次へと変奏曲を繰り出してくる著作とは異なる。しかし、始終道を踏み外すこと自体が本流となり、唐突に凄い発言を口にする。流れに身を任せるように読み、突然、ごりっとした違和感で立ち止まってしまう、そんな読み方が相応しいように思う。

 

ここでのまなざしは<権力>に向けられる。ヒエラルキーに沿った<権力>ではなく、<権力>なるものの蠢きと増殖、世界というエーテルに遍在し、どこを切って顕微鏡で見てもあらわれる、おそらくそうしたものだ。そして<権力>は威力だけでなく生産でもあり、過剰にインフレートする。

『監獄の誕生』でしつこく述べられたように、<監獄>(つまりそれは、<病院>であり<学校>である)は、<権力>を脅かす存在を排除する装置ではない。逆に、<権力>を脅かす存在、マージナル域をあえて作り出し、それによって<権力>全体の強化にする装置である。

毛沢東主義者との対談では、それはフランス革命までの<権力>生成過程に過ぎないのではないか、との批判を受けている。現在の眼では、それは現在の姿に他ならないように思われるのだが、それよりも、この対談が行われた1972年にして、文化大革命まっただなかの中国の実際の姿を誰も知らず、美しい妄想でのみ取り上げられていることが異常である。このマオイストによれば、裁判所というものは人民の正義を適切に扱うものに他ならない。もちろん、明らかにそうではなかった。

本人曰く、フーコー自身ほど反構造主義的人間はいないそうだから、分裂気味に発言をいくつか抽出してみよう。

○<権力>はそれ自体の行使によってさらに力を増し、消滅はありえない。ヨーロッパでは、マルクスよりずっと前から、「資本主義の打倒まであと十年だ、あと十年だと性懲りもなく思い続けてきた」。ところが資本主義は今なお健在である。

○<権力>関係はいたるところ、あらゆる瞬間に起っている。「食卓で鼻の穴に指を突っ込む子供の反抗」のような反抗と支配、支配と反抗との不断の連鎖をとらえねばならない。

○十九世紀の遺産としての分析手段は、<権力>の過剰という現象に、経済的な図式によってしか接近しえなかった。しかし、ハンガリーでも、アルジェリアでも、経済的矛盾を超えたところで<権力>が遂行されていた。

○<権力>は上部構造ではなく、生産力と共にたえず変形している。一望監視装置(パノプティコン)というのはユートピア計画であった。それはもろもろの小宇宙に出現する。

○禁止の力をもつ<権力>とは、否定的で、狭く、古臭い考え方にすぎない。本当は<権力>はものを生み出し、快楽を誘発し、知を形成し、言説を生み出す。そうして人びとは<権力>にいつまでも従う。

○恐怖政治というのは規律の究極形態ではなく、その失敗のことだ。社会主義というものには、安易で無駄である自由の憲章や新しい権利宣言は必要ない。社会主義がもしも活性化を望み、人びとをうんざりさせるようなことになりたくないと思い、望ましきものたらんとするなら、<権力>とその行使の問題に答えなければならない。

ジル・ドゥルーズは別の言葉で表現する。

「・・・経済的な意味でも無意識の領域においても、投資(=備給)という言葉を持ち出した場合、利害とは究極の言葉ではないということ。ひとは必要とあらば、自己の利害に反してというのでもなく、というのは利害は欲望にしたがい欲望がさしむける場所に存在するからですが、自らの利害よりもより深く漠然たるかたちで欲望しうるものだ、ということを説明するような投資(=備給)が存在するのです。違う、一般大衆はだまされはしなかった、しかるべき時期にファシズムを欲望したのだというライヒの叫びに、耳を傾けざるをえません。権力を塑型し、これを拡散せしめる欲望の投資(=備給)というものが存在するのです。」

●参照
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』


鞄のナスカン

2009-09-10 23:06:35 | もろもろ

鞄というものが好きで、ナイロンよりも帆布や革を選ぶものだから、それだけで重い。最近腰が痛いのは、歳をとったせいばかりではない。

鞄だけでなく、中にいろいろ入れて持ち歩くため、ショルダーストラップの留め金(茄子に似ているのでナスカンという)が、すぐに駄目になってしまう。と言っても、どうも金具の種類や相性によって、どう駄目になるかが違っている。

ついこの間、ヘルツ(表参道にある鞄工房 >> リンク)のビジネスバッグを持ち歩いていたら、突然ナスカンが壊れて鞄が落下しそうになった。たぶん使ってから5年くらいの間に、2度目である。フック船長の片手に例えれば、手首の部分にあるこけしの頭が磨り減って、それを受けていた孔をすり抜けてしまったわけだ。

手作り工房の良さで、送るとすぐに金具を取り替えてくれる。また片方だけぴかぴかになった。

シライデザイン(>> リンク)の帆布製ショルダーをずっと使っているが、この場合は、突然フック船長の鉤爪が折れた。磨り減って、細い鉤爪になっていたのだった。これは多分、鞄側の引っ掛ける金具が鉤爪より硬かったのだと思う。

もう13年くらい使っている、ハートマン(>> リンク)の出張用の大きな革鞄についているショルダーストラップのナスカンは、どうやっても壊れないくらい立派な代物だ。鉤爪というよりほとんど鈍器。ただ、これはこれで欠点があって、なりが大きいためか鞄本体の金具からすり抜けることがあって、やはり前触れなく落下する。

鞄が突然落下して、いままでに何度心臓がでんぐり返ったことか。落下する場合は、事前に合図を出して欲しい。


北海道版画協会「版・継承と刷新」、杉山留美子

2009-09-10 00:27:35 | 北海道

所用で北海道に足を運んだ。思いがけず時間が少し空いたので、北海道立近代美術館に行ってみた。1989年に、「シャガールのシャガール」という展覧会を観て以来だから、もう20年ぶりだ。

特別展は、北海道版画協会の創立50周年記念展「版・継承と刷新」。この作家たちについての予備知識はゼロである。木版、エッチング、リトグラフ、シルクスクリーン、ミクスドメディアなど、ひとつひとつが楽しい。ただ、自分の嗜好では、プリミティヴさ、力強さを直接的に訴えかけてくる木版画が良い。なかでも、町の向こうにどおーんと大きな山がある、大本靖「マッカリの山」、ウォーカー・エヴァンスの写真のような存在感がある尾崎志郎「オレゴンの古い納屋」、4つの版を組み合わせ、アイヌの手仕事の様子をぎっちり描いた木村多伎子「祭前夜」の3点が素晴らしく、出る前に戻って再度じろじろ観た。

常設展は、杉山留美子「光満ちる時」。知らずに入って仰天した。まるでマーク・ロスコではないか。もちろん作家が違えばその吐き出すものは違うわけだが、観た途端に厳かな気分になり、どこかに連れて行かれる感覚は共通している。エアブラシかとも思ったが、どうやら、綿帆布に刷毛で何度も繰り返し着色しているようだ。

他にも常設作品はいろいろあって、李禹煥を2点体験できたのは嬉しかった。

ところで、札幌といえばスープカレーが有名になっていて、今回食べようかと思ったのだが、スーツだからやめた(つい、カレーうどんを食べたあとに服に飛び散っているのを思い出してしまうのだ)。それで、いつものようにラーメン。新千歳空港の「雪あかり」は、西山製麺の麺を使っていて、東京でもここの麺がビッグブランドになっている。何だかよくわからないが旨い。

自宅のお土産は、いつも六花亭の「マルセイバターサンド」。お土産と言いつつ、自分が好きなのだ。

 
「えぞっ子」の味噌コーンバターラーメンと、「雪あかり」の塩ネギラーメン


『子どもが道草できるまちづくり』

2009-09-08 23:20:00 | 政治

インターネット新聞JanJanに、仙田満・上岡直見編『子どもが道草できるまちづくり』(学芸出版社、2009年)の書評を寄稿した。クルマの殺人機能を減じるためのまちづくり、という考え方にはかなり共感する。

>> 『子どもが道草できるまちづくり』を如何に実践するか

 私はクルマが嫌いだ。保有したこともない。しかしその一方で、他人のクルマに乗せてもらったり、ときにはタクシーを使ったりもする。間接的にクルマがあるからこその便利な生活だということは、よくわかっている。もちろん、クルマがなければ成り立たない地域があることもわかる。何故か、運転免許も持っている。クルマの存在を全否定するわけではない。

 結局、嫌いなのは、クルマという脅威をまったく意識しないメンタリティなのだ。自分は鉄の箱に入っているからといって、平気で横断歩道の歩行者にぐいぐいと迫ってきたり、狭い道をいい気になって猛烈なスピードで飛ばしたり、まったく信じ難い。ちょっと油断したりよろけたりすることは、人間だからありうることだ。だからといって、クルマに殺されるほどの罪であるはずはない。想像力の問題でもある。

 実際に、そのようなクルマ社会にあって、子どもが生命を脅かされていることが、本書で示されている。日本における小児・若年者の死亡原因の第1位は事故(傷害)であり、交通事故死はその3分の1を占める。他の先進国と比較して、子どもの交通事故死は歩行中が多いのだという。そして、安心して子どもが外を歩けない社会を生み出してしまった。

 本書では、オランダのボンエルフ(「生活の庭」の意味)という街路計画を紹介している。自動車がスピードを出せないよう、屈曲路、バンプ(路面の隆起)、障害物などを設け、歩行者優先の生活空間を生み出しているのである。子どもも街路で遊ぶことができる。私はこのあり方に全面的に共感する。弱者が気を遣う社会が良い社会のわけがない。

 一方、歩車分離信号という方法がある。歩行者が道路を横断するとき、たとえば左折してくるクルマなどに殺されるリスクがない仕組みで、日本でも次第に導入箇所が増えてきている。本書ではその価値を高く評価しつつも、クルマと人間との分離という意味で、ボンエルフのような共存とは異なるものだと捉えている。私は、これもどんどん導入すべき信号だと考えている。

 本書は子どもが安心して外で遊ぶことができる地域社会に向けて、示唆することの多い良書である。

 さて、ここからは私の経験に基づいて考えたことである。

 私の住む地域では、小学校への通学がとても危険な状況だったのだが、新たなマンションができる機会に、ディベロッパーと自治体とに働きかけて、最終的にはクルマの入り込めない通路を作ることができた。それでも、従来の道路の危険性がなくなるわけではないから、バンプの設置についても自治体に提案した。回答は、「バンプの効果は認めるが、クルマの走行音がうるさくなるため、道路沿いの住民の合意を取り付けなければならない」だった。住民合意というハードルにかまけて、子どものイノチを尊重していない政策なのだと、私は解釈した。

 歩車分離信号については、近所の必要と考えられる2箇所について、警察に働きかけた(信号は警察の管轄)。青信号にも関わらず迫ってくるトラックが怖くて、子どもが渡れないのである。回答は、1箇所については「実地検分で検討」(導入の気配はない)、もう1箇所については「渋滞を引き起こすので不可」だった。やはり、子どものイノチを渋滞と天秤にかけ、後者を優先しているわけだ。

 今後、これらの問題をどのように解決していけばいいのか。ひとつには「議員を使う」という方法がある。ただ、仮にその問題だけが解決しても、子どもが安心して成長できるまちに近づくための方法とは思えない。

 やはり、「自治会など地域単位で運動にしていく」が模範解答か。自治体や警察の壁を最初から絶望視していては何も進まないだろう、とは思う。しかし、最大の問題は、クルマにイノチを脅かされる人がいる地域社会を、問題であると考えようとはしない人が必ずいることなのだ。これはやはり、大きな政策課題ではないのか。


中国が朝鮮を舞台に作ったプロパガンダ映画、『三八線上』

2009-09-06 22:24:39 | 中国・台湾

『三八線上』は、タイトルの通り、朝鮮半島を南北に分つ北緯38度線を舞台にしている。中国の「RED CINEMA CLASSICS COLLECTION」のひとつであり、上海の書店でやはり15元(200円程度)だった。製作年は不明だが、朝鮮戦争が終わった後、かつモノクロであるから、1950年代か60年代だ。

話は、朝鮮戦争の終結時からはじまる。「平和を守る」38度線の北には、現地のオモニを母のように慕う若い兵士たちが駐屯している。北朝鮮軍も中国義勇軍もいる。皆、善良で元気である。ところが、南から米軍が機密文書を入手しようと侵入したり挑発したりしてくる。南側からスパイとして送りこまれた男は、実は、オモニの生き別れた息子だった。さらに、機密は、既に米国が送り込んでいた戦犯の日本人「山本太郎」が持っている。山本太郎(かならずフルネームで呼ぶ)こそは、日中戦争のとき、オモニの夫を生き埋めにして殺した男だった。米軍の陰謀は失敗し、ほうほうの体で逃げ帰るのだった。そして、中国義勇軍は、北朝鮮の民衆の大喝采のなか、毛沢東と金日成の写真が掲げられた門をくぐって帰国していく。

映画としての出来は散々で、中国・北朝鮮=善、米国・日本=悪、という至極単純なプロパガンダ映画だとしか言いようがない。役者も皆大根だ。それに、米軍も北朝鮮軍も当然のように中国語を喋っている。

ただ、この頃の中国が北に向けていた視線がそのまま反映されていて興味深い。中国参戦直後は38度線を突破し、ソウルを占領しているが、その後押し戻され、結果的には開戦時の南北分断状態とそれほど変わらない。しかし、「中国側は「抗米援朝」の戦いを「勝利」とみなした。世界最強の軍隊と戦い、その「対中戦略」の意図を挫折させたと判断したからである。」(『中国20世紀史』、東京大学出版会、1993年)のイメージを背景にした高揚も、きっとあったわけだ。

これを出来の悪いプロパガンダだというなら、逆向きの出来の悪いプロパガンダの方が何倍も溢れかえっている。

この後、軍事力の遅れを認識した中国は、ソ連のルーブル借款により、軍事力を整備していくことになる。

●中国プロパガンダ映画
『白毛女』


四方田犬彦『ソウルの風景』

2009-09-05 23:59:59 | 韓国・朝鮮

鞄には2冊の本を入れておくことが多い。重いものと軽いものである。そうすれば、どっちの気分でも、とりあえずは電車や飛行機の中で読みすすめることができるからだ。

今回、フーコーとドゥルーズとの対話を読んでいて、ちょっと現実との乖離に辛くなったので、四方田犬彦『ソウルの風景―記憶と変貌―』(岩波新書、2001年)を取り出した。これがやめられなくなって、さきに読了してしまった。 

四方田犬彦は、1979年の朴正煕暗殺時に、ソウルに居合わせている。 本書には、さらに驚くべき体験が書かれている。KCIAが新規に採用するスタッフの面接にあたって、日本語能力を判断するという役割のために突然呼び出されたというのだ。この話は本書が書かれるまで誰にもされていない、というのは、密告と曲解がKCIAの脅威を支えていた時代にあっては、どんなことになるかわからないからだ。もちろん「アカ」と呼ばれることは、韓国では死を意味した。先日亡くなった金大中を1973年に東京で拉致して殺しかけたのもKCIAである。

ところが、もはやそのような雰囲気はどこかに消え去ってしまっている。

「人を見たら「北傀」のスパイだと疑えといったあの時代は、もう完全に終わってしまったのだ。今この場所で映画を勉強している学生たちは、すでにもの心ついた頃から民主主義を空気のように当然のこととして受け入れてきた世代なのであり、彼らにしてみればKCIAのことなど日帝時代同様、遠い過去の出来ごとにすぎないのだろうと、わたしは思った。」

そして、「太陽政策」を掲げる金大中が2000年に北を訪れ、金正日と握手を交わしてからは、主思派(チュサッパ)と呼ばれる学生運動の指導者集団は闘争目標を失い、きわめて孤立した状況にいる、とする説明は興味深い。

1980年、蜂起した民衆を軍部が虐殺した光州事件についても、軍事政権が終わり、金泳三が歴史的意義を認めるまで、口にはできないことだったという。そして今や、それどころか、国を挙げて光州事件のアピールがなされ、事件の直接の関係者の墓は「英霊」と呼ばれているという。この構造を、日本の靖国のそれと比較してみると、さまざまな違いが現れてくるようだ。

従軍慰安婦に関しても、世代間のギャップが著しいようだ。当事者、被害者たちはどんどん歳をとってゆき、方や、朝鮮史について基礎的な知識も持ち合わせていない日本人のOLが「ナヌムの家」を屈託なく訪れていることの違和感が、ここには提示されている。

「彼女たちはいったい何だろうかと、わたしは考えていた。おそらくナヌムの家を訪れることは、気楽に、そして友好的な気分のうちに遂行できる虚構の巡礼の一種なのだ。そこで彼女たちは、日本での生活ではどこまでも曖昧なままにされている自分の、女性としてのアイデンティティを、明確に確認することができる。少し過酷な表現になるかもしれないが、元宗主国の国民である彼女たちは、女性である自分を認識するために、旧植民地での従軍慰安婦との出会いという悲惨にして善意の物語を必要としているのではないだろうか?」

それはともかく、軍事政権下の閉鎖空間にあって、ヴェトナム戦争によって得た外資により発展し、変貌した韓国と、旧宗主国にして朝鮮戦争により発展し、歴史認識が子ども的な日本とは、違いがありすぎるのだという当たり前の事実がある。それをまじまじとは見ず、民族や文化の差異をブームにしていくあり方は、前向きのようでいて、極めて皮相的である。

●参照 
金浩鎮『韓国歴代大統領とリーダーシップ』
尹健次『思想体験の交錯』
四方田犬彦『星とともに走る』


翠川敬基『完全版・緑色革命』

2009-09-05 01:32:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

1976年、「INSPIRATION & POWER vol. II」のプログラムのひとつとして演奏された、翠川敬基の「名状不可能」。その後、この日の記録が、『緑色革命』としてつくられた。翠川を中心に、3人とのソロが行われ、その2つを収録したものであったが、今回、doubt musicから出たCDは、残る1つを追加した2枚組である。この時代に、こんなものを出すという行為はきっと心意気そのものであり、大拍手だ。

翠川のチェロ、ベースと組む3人とは、富樫雅彦のパーカッション、高柳昌行のギター、佐藤允彦のピアノ。

今回追加されたのは富樫とのデュオ「スミナガシ」だ。富樫の音はそれとしか聴こえない独自のもので、<響き>のために要らないものを全て削ぎ落としたような印象がある。演奏は、富樫の鳴らすチャイムベルの音で始まり、終わる。その間の、チェロとパーカッションとの間合いと絡みは緊張感があり、かつ愉快だ。終わったら、また頭から聴きたいという気にさせられてしまう。そういえば、富樫雅彦が亡くなってから2年が経っている。

高柳とのデュオ「くわの木より生まれ出づる姫に」は、微分的であったり、戦闘的であったりと場面展開が素晴らしい。終盤に、まるで溜めていた息を吐き出すかのような、獣の唸りのような局面があり、声をあげて身震いする。柔軟で頑強な両面を感じさせるチェロの押し引きがある。

佐藤とのデュオ「マタロパッチの戦い」では、チェロではなくベースを使う。録音が非常に良く、大きなスピーカーで聴くと、ベースの軋みや誰かの小声が聴こえてくるのは快感だ。何より、砕けるダイアモンドのような煌きとぎらつきを放散する佐藤のピアノが凄い。低音でベースを支えていた(!)かと思うと、突如表にまろび出てくる。そして障壁を取っ払って突き進む時間が訪れる。

いや、どの演奏も本当に凄い。この時代に戻って彼らの活動を目の当りにできたなら、と夢想してしまう。

私自身は、翠川敬基の演奏を聴いたのは、もう10年くらい前が最後だ。いまは大泉学園にあるライヴハウス「in "F"」が保谷にあったころ、故・井上敬三と共演したときだった。坂田明は教え子で・・・と満面の笑みを浮かべて話す好々爺で、「グッドバイ」などを吹く姿には、既に先鋭さはなかった。


井上敬三と翠川敬基、in "F"、1999年頃 Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia 400、DP

●参照 富樫雅彦が亡くなった