Sightsong

自縄自縛日記

オーソン・ウェルズ『オセロ』

2012-04-30 00:55:41 | ヨーロッパ

オーソン・ウェルズ『オセロ』(1952年)を観る。

何と、本屋の一角にある廉価盤DVDのなかにあった。500円だった。画質はそう誉められたものでもないが、この映画が辿った運命のことを思えば、何だか奇妙な感慨を抱かされる。

この作品は、カンヌ映画祭でグランプリを受賞しながら短い公開のみでその後上映されず、フィルムも行方不明となっていた。倉庫から発見され、米国で再上映されたのは1992年のことだ。そして日本での初上映は1993年。わたしは千石にあった三百人劇場(いまは既にない)でそれを観た。予想を上回る出来にすっかり感激してしまったことを覚えている。

原作は言うまでもない、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲である。オーソン・ウェルズは、おそらくはフィルタを多用したハイコントラストのモノクロ、目まぐるしいカット割り、エイゼンシュタインをも想起させる大袈裟一歩手前のモンタージュなどで、凄まじい『オセロ』を作っていた。改めて観ても、同様に魅せられてしまう。何といっても、キャロル・リード『第三の男』(1949年)へのオーソン自身の出演は、この映画の製作費を稼ぐためだったのであり、力作なのも当然か。

日本公開時に買ったパンフレットを探しだすと、新たな事実を発見した。とにかく資金不足、何年もかけて他の映画の合間にフッテージを撮りためた。そのような切れ切れの不統一な断片を映画として構築したからこそのダイナミックさでもあったのだ。やはりオーソンは天才である。


パンフの中からチラシが出てきた

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60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う

2012-04-29 21:31:30 | 沖縄

1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効した。日本はこの日に再独立したが、沖縄にとっては「アメリカ世」のはじまりであった。これを沖縄では「屈辱の日」と位置づけている。

それから60年目、「60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う」と題された集会に足を運んだ(文京区民センター)。連休に入ったためか、参加者はさほど多くない。

■ 新垣誠さん(写真家、沖縄NGOセンター代表)

新垣さんは、最初にこう始めた。

今日沖縄は梅雨入りした。デイゴの花が咲く頃になると、沖縄の人びとは、沖縄戦の記憶を呼び起こされる。自分(新垣さん)の母校である首里高では最近また不発弾が掘り出されているが、何しろ自分も幼少時には、龍潭池でライフルの弾を掘りだしてはコレクションする遊びをしていた。そのように、記憶は土地に刻まれている。40年前の「本土復帰」(カッコ付き=いわゆる)は、日本政府への再併合を意味した。―――と。

その象徴と視ることもできる辺野古新基地の環境アセスメント評価書は、日本政府によって、この年末年始に、沖縄県庁に卑怯なやり方で提出された。新垣さんが1時間位見せてくれたスライドショーは、主に、そのとき県庁に集まってそれを阻止しようとした人びとの記録である。

さまざまな人の顔がある。山城博治さん(沖縄平和運動センター)、桜井国俊さん(沖縄大学)、花輪伸一さん(WWF)、安次富浩さん(ヘリ基地反対協)、山内徳信さん(参議院議員)、照屋寛徳さん(衆議院議員)、糸数慶子さん(参議院議員)。新垣さんによると、このときの雰囲気は和気あいあいとしたもので、これまでの「運動」に見られなかった層、ツイッターやフェイスブックで駆けつけた人たちが目立ったという。東日本大震災で避難してきた家族もいる。

県庁前の様子は興味深い。日米同盟強化を掲げる幸福実現党が、辺野古アセスに反対する人びとを妨害すべく来ていたのだった。何と高良勉さんが、琉球独立の旗を持って、彼らに勢いよく抗議している。

スライド上映のあと、新垣さんは、とにかく米軍は辺野古という新基地が欲しいはずだ、オカネも日本にもってもらってこんな美味しい話はないはずだ、と強調した。また、那覇市ががれき受け入れを示唆したことの背景には、南風原町のごみ処理施設がいまや「ごみ不足」で、稼働しないといろいろまずいという理由があるのだ、とした。

講演後、会場から、かつて高良倉吉らにより唱えられた「沖縄イニシアティヴ」のような言説は、いまはどうなのだとの質問があった。新垣さんは、次のように答えた。米軍基地の撤去を諦めてせめてオカネをもらおうとする考え(振興策への依存)は、何ももたらさなかった。見られたのは、「本土」のIT企業の利潤、施設の床磨きをする若者の雇用、誰も行かない立派なコミュニティセンターであり、名護の商店街の姿は変わりはしなかった。沖縄県民はそれに気付いてきて、そのような幻想を持つ人は劇的に減ったと思う、と。

■ 太田昌国さん(編集者、民族問題研究家)

太田さんは、植民地主義の歴史を次のように整理した。

○日本だけが過去の植民地支配を謝罪し続けているとの言説がある。80年代初頭まではそうだったかも知れないが、冷戦崩壊以降、今日まで、世界の問題意識は格段に変貌した
○15世紀のコロンブス以降、世界の植民地主義は、そのヘゲモニーをさまざまに変化させていった。それは1945年、日本帝国主義の敗戦によりひとつの終焉を迎える。なお、19世紀末の中南米国家独立は、数百年の白人支配ののち、そこに根付いた新たな白人支配層による独立でもあって、真の独立とは言えないものだった。
○そして、アジアにおける植民地支配は段々と解消されていった。また1960年以降、アフリカ諸国も独立していった。
○それでは、植民地主義はほぼ潰えたのか?何故私たちは、継続する問題意識を持ってしまうのか?
○ソ連崩壊までの45年間、冷戦が大きな世界構造であった。その間、支配された側がこの問題意識を持つきっかけをつかめずにいた。冷戦が崩壊し、また個々の国において軍事独裁政権が崩れていくと、覆い隠されていた矛盾が噴出することとなった。日韓のように、政府間の国交正常化により負の歴史を解決したというストーリーは、個人を対象とした補償ではないという点で、絶えず突き動かされることとなった(例えば、慰安婦であったときの証言を1991年にはじめた金学順さん)。
○ドイツは、戦後、ユダヤ人に対する補償を行ってきたが、80年代に補償の範囲を拡げ、ロマ人(ジプシー)、同性愛者、人体実験被害者、強制労働被害者などへの補償を行ってきている(国家予算、企業予算)。1992年にはコロンブス500年目の「コロンブス裁判」もあった。
○すなわち、1990年前後を境として、ヨーロッパの過去に対する検証と行動の動きが、20年間も続いてきている
○さらに、南アフリカで開催されたダーバン世界会議(2001年8月-9月)では、国連も関与し、はじめて欧米諸国と奴隷・植民地主義の犠牲となった国々が一同に会し、討論がなされた。勿論、言葉で認めはしても、補償となると世界が大変な無秩序に陥るとして、先進国は反対した。それは含み置くとしても、画期的なことだった。
○会議終了の3日後、「9・11」が起きた。ダーバン世界会議の意義がそれによりかき消されてしまったのは残念なことだった。
○米国ブッシュ大統領は、在任中、奴隷貿易が行われていたセネガルのゴレ島を訪れ、奴隷貿易は犯罪であったと認めた。英国ブレア首相も、同年、国家として奴隷貿易に関与したことを謝罪した。イラクやアフガニスタンに強硬な攻撃を加えたこのふたりでさえ、歴史の汚点を認めたのだ。
○翻って日本の植民地主義を考えてみる。その起源を日清戦争(1894年)や日韓併合(1910年)にみることが多いが、実は、さらに遡り、蝦夷地併合(1869年)や琉球侵攻(1879年)がそのはじまりではなかったか。日韓併合にしても、1910年に突然はじまったのではなく、江華島事件(1875年)などその伏線があった。つまり、明治維新後から、日本の植民地主義ははじまっていた。
○1945年、日本は敗戦する。なぜこのとき、断絶なき戦後を迎え、だらだらと天皇制や官僚制が続いてしまったのか。それは(東京大空襲などがあったにせよ)敗戦の痛みを広島、長崎、沖縄に人ごとのように押し付けたためではなかったか。
○敗戦時に何があったのかの論拠は、豊下楢彦『安保条約の成立』(岩波新書)、同『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)に詳しい。
○日本では史実が十分に行き渡り、伝わっていない。これからの私たちの課題はこのことだろう。
○名古屋市長による南京事件否定に見られるように、既に立証されもはや覆すのが困難な歴史的事実に対し、別の史実を対置することなく、隅っこにあったかもしれぬ個人的なエピソードを提示することで、まるでそれが歴史的事実に拮抗するかのような演出をすることが目立つ。メディアに批判力はすでになく、書店にはそれをもてはやすような雑誌が並ぶ有り様だ。
○しかし、これらの低水準の言説が、多くの人びとの心を捉えているのは事実だ。このことから目を背けてはならないのだろう。
○問題提起を続ける人がいたからこそ、時代はここまで来た。諦めてはいけない。
○自国の文化がもっとも良いものであり、自国の整備する歴史が正しいものである、との自己称揚に向かうのではなく、もっと普遍的な場所を目指すべきだ。私たちは自分の場所をどこに置くのか。国のみがアイデンティティの根拠にはならない。私たちには、国という枠を超えた想像力が必要である。

●参照
太田昌国の世界「テロリズム再考」
太田昌国『暴力批判論』
太田昌国『「拉致」異論』 
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
久江雅彦『日本の国防』
久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
終戦の日に、『基地815』
『基地はいらない、どこにも』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
押しつけられた常識を覆す
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
二度目の辺野古
2010年8月、高江
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
高江・辺野古訪問記(1) 高江
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
ヘリパッドいらない東京集会
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』

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吉沢元治ベース・ソロ『Outfit: Bass Solo 2 1/2』、『From the Faraway Nearby』

2012-04-28 13:01:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

ふと聴きたくなって、吉沢元治のベースソロを2枚聴く。

■ 『Outfit: Bass Solo 2 1/2』(Kenroad、1975年)

ソロコンサートの記録である。聴きながら捉えどころの難しい演奏だと感じる。力でも技でもない。押し出しが強いわけでもない。ことさらに繊細さを強調しているわけでもない。<日本的>などと言えば簡単だが、それは安易に過ぎる、何も言っていないにひとしい。

間章による長文のライナーノートがある。文章のノリは好きなものではないが、この演奏が当時の<現在>と向かい合っていたことを何とか示さんとするドキュメントではある。

■ 『From the Faraway Nearby』(PSF、1991年)

これはまた随分と様相が異なる。エフェクター、ノイズ、多重録音もあるのか、そんなサウンドの中で自己を放出するベースの音。時代がなんであれ、奇妙に心に刺さってくる音創りのプロセスである。

北里義之のライナーノートによれば、デレク・ベイリーに象徴される<即興性>から<操作性>へとシフトしていった記録なのだ、という。そうであれば、やはり、デレク・ベイリーと吉沢元治との共演をぜひ観たかった。新宿ピットインで予定され、わたしも予約していたのだが、ベイリーの来日中止によって取りやめとなった。吉沢元治のソロとなったライヴには足を運ばず、その後、ふたりとも亡くなった。

●参照
高木元輝の最後の歌(高木元輝+吉沢元治『DUO 1969.10.9』)

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森口豁『沖縄 こころの軌跡 1958~1987』

2012-04-25 23:57:32 | 沖縄

敬愛するジャーナリスト・森口豁さんによる昔のエッセイ、『沖縄 こころの軌跡 1958~1987』(マルジュ社、1987年)を読む。

1972年5月15日、沖縄の日本への施政権返還がなされた。森口さんは、ヤマトンチュでありながら、高校生のときに知った沖縄の実態にショックを受け、大学を中退して返還前の沖縄に渡り、返還直後までの15年間を、新聞記者・カメラマンとして送っている。本書は、返還前の「アメリカ世」のこと、返還後の「ヤマト世」のこと、そしてドキュメンタリストとしての体験それぞれについて書かれている。

森口さんは1970年のコザ暴動に立ち会っている。そして、1973年にバイクで国会議事堂正面扉に激突死した青年の内奥を視ようとするドキュメンタリーの取材過程において、その青年がコザ暴動において立ち上がっていたことを知る。ずっと沖縄に、権力とは逆側に、身を置いてきた者にしか見いだせない視線であるといえる。

この糸は、不幸なことに、現在までつながっている。一読して改めて驚かない訳にいかないのは、沖縄における問題が、これが書かれた当時も、現在も、根本的に変わっていないことだ。米軍基地、開発におけるヤマトゥと沖縄との非対称、「集団自決」を含めた沖縄戦の実態、やんばるの自然破壊、専ら政治に起因する構造的貧困。それらは、真っ当に認識されていても、ヤマトゥから視ようとする意思がなく、無かったことにされ、さらには歴史改竄の対象にされようとさえする。

普天間問題は鳩山問題だなどと知ったようなことを嘯く輩は、この本を虚心坦懐に読むべきだ。

メディアに対する視線も、いま読むと切実な問題意識を孕んでいたのだとわかる。

「軍備にしろ、原発にせよ、教科書にしろ、政治の側、行政の側から既成事実がどんどん積み重ねられつづけている。おかしい、そんなはずでは、そこまで時の政権に負託していないのだが・・・・・・と思っていても、国民の側はその歯止めの手段を持たない。
 (略) そうした独断的既成事実の前でマスコミが中立を装ってどうする。天秤が大きくどっちかに傾いているときに、真ん中で支えたって水平にはならない。対等な重石をもう片方にぶら下げなければならないことはいうまでもない。」

「マスコミは、とくにテレビは、右翼や左翼、政府を頂点とする政党や組織、団体に対して、もっと毅然とした態度をもつべきではないか。”団体列車”が風を切ってばく進すると、押しつぶされるのは<個>だ。大きな団体、力の強い組織の声がいつも正当だとはいえない。いや多くの場合、<個>の立場にあるものの方が、筋書のない美しい生き方をしているものだ。」

いまも続く『NNNドキュメント』において多数制作された沖縄のドキュメンタリーについては、興味深いエピソードが多い。『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)では、旧日本軍高級参謀・八原博通にインタビューを行っているが、彼はその放送後、「花も実もある放送」だという賛辞の葉書を、森口さんに送ったという(このことは、以前の上映会においても、森口さんが語っていた)。加害の側に身を置いていた者が発した言葉として、どのように受け止めればよいのか、ということだ。根底からのコミュニケーションの不毛ということなのか。

久高島を撮った『乾いた沖縄』(1973年)は、『NNNドキュメント』のシリーズのなかでも特に観たい作品だ。琉球センター・どぅたっちで不定期に森口作品の上映を行っており、先日も、ぜひこの上映をとお願いしておいた。島袋さん、本当にお願いします(読んでくれるかな)。

参照 森口豁
森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』
森口豁『アメリカ世の記憶』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
森口カフェ 沖縄の十八歳
罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』
『子乞い』 鳩間島の凄絶な記録
森口豁さんのブログで紹介

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ピーター・エヴァンス『Ghosts』

2012-04-25 07:00:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

Peter Evans (tp)
Carlos Homs (p)
Tom Blancarte (b)
Jim Black (ds)
Sam Pluta (live processing)

ピーター・エヴァンス『Ghosts』(More Is More、2011年)を聴く。

のっけから、五者五様のアプローチがアンサンブルでもユニゾンでもハチャメチャでもない世界を形成して、耳を襲ってくる。ちょうどバール・フィリップスが、インプロヴァイザーは新しいストラクチャーとヴォキャブラリーを創り出し続けるんだよと言っていたことが記憶にあるが、これは、むしろ聴き手の側が新たなストラクチャーを形成しなければならないような感覚だ。

ヴォキャブラリーということで言えば、エヴァンスのトランペットは拍子抜けするほどストレートであったりするが、何故かこの音世界形成の中心にいる。ジム・ブラックの精力的で多様なドラミングも良い。

「... One to Ninety Two」は、メル・トーメが愛唱した「Chrismas Song」の変奏版。ロル・コクスヒル(サックス)、フィル・ミントン(ヴォイス)、ノエル・アクショテ(ギター)という変態3人トリオによるEP盤『Minton - Coxhill - Akchote』(Rectangle、97年録音)のアナーキーさを思い出すが、対照的に、エヴァンス盤の様相は黙ってアナーキー。「Ghost」は、「I Don't Stand a Ghost of a Chance」の変奏版。「Articulation」は、ウディ・ショウの演奏にインスパイアされたものだという。そして最後の短い「Stardust」は、短いだけになおさら光っている。

●参照
三田の「みの」、ジム・ブラック
布教映画『サンタ・バディーズ』、ジミー・スミスとコクスヒル/ミントン/アクショテのクリスマス集

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バール・フィリップスの映像『Live in Vienna』

2012-04-24 00:00:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

バール・フィリップス『Live in Vienna』(Quantum Leap、2006年)を観る。

Barre Phillips (b)
guest: John Hollenbeck (ds, toys, piano, etc.)

胴体の木や弦の金属といった素材感を含め、独特の芳香を放つバールのソロには魅せられてしまう。このコンサートでは、聴客に対し、楽器から学ぶのだ、楽器に働きかけるのだと話したのち、ウッドベースという大きな楽器の可能性を試すかのように、さまざまな音の色を繰り出してくる。

さらには、「What's in the cracks between the keys?」と、詩の朗読とも取れる問いを発して、確かに、音階という不連続の間に潜む魔を解き放つかのようなアルコ・ソロ。ベースは不連続ではない、連続的なのだということを思い知らされる。

後半、ゲストとして、ジョン・ホレンベックが登場し、玩具や打楽器やピアノによって奇妙な音空間を作り出す。それに入っていくバールのソロ。このホレンベックという個性をもう少し堪能したかったところではある。

DVDにはインタビュー映像も収録されており、バールは米国生まれらしからぬ歯切れの良い英語で嬉しそうに話している(みんなこんな英語だったら自分も楽なのに)。曰く、インプロヴァイザーは毎日、新しいストラクチャーとヴォキャブラリーを構築しているんだよ、と。バールが言えば説得力がある。

先日聞いたところでは、この10月に再来日し、齋藤徹さんと共演するという。歌舞伎町ナルシスでのベース・ソロもありそうだ。わたしは1998年頃に、そのナルシスでバールのソロを聴いた。真ん前に座っていたので、バールの弓をスウェーしてかわしながら聴くという贅沢だった。それをまた体感できるのかと思うと!


バール・フィリップス、ナルシス(98年頃?) Pentax MZ-3、FA 28mm/f2.8、プロビア400、ダイレクトプリント

●参照
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』、バール・フィリップス+今井和雄『プレイエム・アズ・ゼイ・フォール』
リー・コニッツ+今井和雄『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』、バール・フィリップス+今井和雄『プレイエム・アズ・ゼイ・フォール』
歌舞伎町ナルシスでのバール・フィリップス

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2005年、大城美佐子

2012-04-23 00:51:22 | 沖縄

2005年、那覇の「島思い」にて。

ライカM3、フォクトレンダー・カラースコパー35mmF2.5、Tri-X、フジブロ2号

●参照
2004年、大城美佐子
OKI meets 大城美佐子『北と南』
大城美佐子&よなは徹『ふたり唄~ウムイ継承』
大城美佐子の唄ウムイ 主ン妻節の30年
代官山で大城美佐子を聴いた
Zeiss Biogon 35mm/f2.0 で撮る「島思い」
Leitz Elmarit 90mm/f2.8 で撮る栄町市場と大城美佐子
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー(大城美佐子主演)
『ゴーヤーちゃんぷるー(大城美佐子出演)
知名定男の本土デビュー前のレコード(大城美佐子との『十九の春/二見情話』、瀬良垣苗子との『うんじゅが情どぅ頼まりる』)

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中原みすず『初恋』と塙幸成『初恋』

2012-04-22 02:24:05 | 関東

塙幸成『初恋』(2006年)は、覆面作家・中原みすずによる自伝的な小説『初恋』(新潮文庫、原著2002年)をもとにした映画である。

1968年12月10日、府中刑務所近くで、東芝社員のボーナス3億円を運ぶ日本信託銀行(当時)の自動車が、白バイ警官を装った者によって奪われる。この「三億円事件」の犯人は、いまだ明らかになっていない。作品は、その裏話であり、事実とも創作ともわからない。

新宿。ジャズ喫茶「B」には、自由を求める学生たちが、毎日、自分たちの場として集まっていた。その仲間には、叔父夫婦のもとで冷遇される少女も加わるようになる。やがて、少女は、仲間のひとりから事件の計画を告げられる。何と、少女に、白バイ警官になってほしいというのだった。

当時の新宿など、生まれてもいないわたしには知る由もないが、路地の佇まいや、ペトリカメラのネオンサインなどが泣かせる。ジャズ喫茶の雰囲気は映画と比べて果たしてどうであったのか、ただ、アート・ブレイキーのレコードが演奏中を示す棚に置かれているにも関わらず違う演奏であるのが惜しい。ともあれ、時代の雰囲気を含め、存外に面白い映画だった。

主演の宮﨑あおいは撮影当時20歳前後、高校生を演じていても不自然ではない。十分に魅力的なのだが、この後、女優としての成熟をとめてしまったのではないかという印象がある(=宮﨑あおいは原田知世になりそこねた説?)。

事件主犯の男は、奪った三億円を政府に送りつけることで権力を貶めようとするも、それは揉み消されてしまう。小説では、それがよくわからない話として描かれているのに対し、映画では、それに気付いた政府が男を脅し、国外へと追放する陰謀論的なつくりになっている。回想としての小説では知りえないエピソードを、映画では付け加えたということになる。どちらにせよ、反権力の意志により突き動かされた事件だとすれば面白い。少なくとも、宮﨑あおいは、中原みすず本人に会い、事実であると感じたという。

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クロード・B・ルヴァンソン『チベット』

2012-04-21 02:05:16 | 中国・台湾

クロード・B・ルヴァンソン『チベット ―危機に瀕する民族の歴史と争点』(文庫クセジュ、原著2008年)を読む。

汪暉『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』(>> リンク)において、チベットは明らかに独特な扱われ方であった。ざっくり言えば、現在特別な視線を集めるチベットなる存在は、欧米からのオリエンタリズム的な幻視の産物に過ぎず、また、中国によるチベット支配の批判は、ボーダーにより地理的に確定させた欧米流ネイションの考え方に毒されたものである、といったようなものであった。返す刀で、汪は、中国によるルーズな支配を肯定的に評価する。まるで、天下概念や和諧社会のヴィジョンだけは理想的なものであり続けるのだ、というように。

1911-51年、事実上チベットの独立。中国建国の翌1950年、中国がチベットに武力侵入。1951年、事実上の併合。1959年、ダライ・ラマ14世亡命。明らかにチベットは、汪の妄想とは別の位置に置かれている。

本書は、チベットの歴史をかいつまんで説明している。しかし、まるで無意味なレトリック満載の「ニューズウィーク」のような冗長なまとまりない文章、生硬な翻訳、良い本とはとても言えない。通史を読むなら別の本の方がすぐれているに違いない。

それは置いておくとして、なるほどと思わされる事実が列挙してあることは確かだ。中国支配に抗わせるためにCIAがチベット人志願者を訓練したこと。インドが首尾一貫しない態度を取り続けたことが、問題の一因であること。巨大ダムの計画。中国語教育の重視などの同化政策。チベットのみならず、ラダック、ネパール、シッキム、ブータン、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州をも「中国の5本の指」と毛沢東により表現されたように、チベットのみを特異点として捉えるべきではないこと。

●参照
汪暉『世界史のなかの中国』
加々美光行『中国の民族問題』
L・ヤーコブソン+D・ノックス『中国の新しい対外政策』
チベット仏教寺院、雍和宮(北京)
ポール・ハンター『バレット モンク』

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上野英信『追われゆく坑夫たち』

2012-04-20 00:31:07 | 九州

上野英信『追われゆく坑夫たち』(岩波新書、1960年)を読む。

上野英信は山口県生まれ、戦争からの復員後に大学を中退し、九州で炭鉱労働者となり、このルポを書きあげた。

日本の経済成長を支えた「黒いダイヤ」こと石炭は、炭鉱労働者たちの存在なくしては、生産されなかった。引揚者や失業者のプールとして1948年に46万人を数えた炭鉱労働者は、その後、1950年代に炭鉱失業者と化していった。しかし、景気の良い時期であれ悪い時期であれ、炭鉱労働者は、人間としてではなく、次々に使い潰す生産力として扱われる存在だった。本書は、これがまさに棄民政策であり、石炭産業とヤクザと警察がそれを支えていたことを、恐るべき実態によって示している。

いくつもの炭鉱は、それぞれが外部からは見えざる専制的帝国であった。雇われたが最後、借金を背負わされ、賃金は支払われず、「ケツを割る」すなわち辞めようとしようものなら、ヤクザや警察と結託したボスによって、文字通り半死半生の目に遭わされる。落盤や爆発事故は日常茶飯事、場合によっては違法行為を隠すために、潜っている者がいるときにでも爆破して生き埋めにする。地下の労働は酷いものだが、もはや他の仕事にも就けず、ミニ専制君主たちの奴隷として、人間としての機能を失うまで働くこととなる。そして、ある者はアキレス腱を、ある者は腰を、ある者は正気を破壊され、そのままポイと棄てられてしまう。

「およそ「意欲」だとか「欲望」だとかという名をもって呼ばれるものの一切が、それこそ粉微塵に破壊されつくしているのだ。苛烈きわまりない地底の「奴隷労働」は彼らのもてるかぎりの財産と健康と生活を収奪し去ったばかりではなく、彼らの人間としての微かな欲望のすべてを残酷無懃にたたきつぶしてしまったのだ。」

このルポに記録されている実態は凄まじく、驚愕させられる。ようやく、山本作兵衛が炭鉱労働の膨大な体験手記を残すことを妻に止められたことの背景が分かった気がする。「人に迷惑がかかるから」という理由だが、そこには、言葉に絶するほどの過酷な搾取や、殺しても構わぬほどの暴力などのタブーが満載であったに違いないのである。

これは大変な記録である。自分もわかったつもりでいて、まったくわかってはいなかった。是非読んでほしい。

ヤマからヤマへと渡り続ける数十万人の炭鉱労働者の姿は、現在8万人といわれる原発ジプシーの姿に重ね合わさってくる。

●参照
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
樋口健二写真展『原発崩壊』
森崎東『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』

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樋口健二写真展『原発崩壊』

2012-04-18 23:16:52 | 環境・自然

出かけたついでに、樋口健二写真展『原発崩壊』(オリンパスギャラリー)を覗いた。最終日だった。

原発労働者たちが、人が人でなくなるような場所で働く姿。被曝後苦しみながら、その眼には怒りと諦念のようなものが読み取れる様。海外で衝撃を与えたという、原発が視える場所で海水浴を楽しむ人びと。こうして見せられると、原発に関して詭弁を弄する者たちが、アワレな生き物に感じられてくる。

ある写真のキャプションにあった。原発労働者、年間8万人。延べ200万人。うち被曝者45万人。

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岩本町の「巴蜀」

2012-04-18 07:50:15 | 中国・台湾

岩本町の四川料理の店「巴蜀」。

ランチメニューは5種類くらいあり、それに150円をプラスすると、小さな麻婆豆腐がつく(メインが麻婆豆腐の場合には妙だが)。これが辛くて旨い。今まで食べたなかで最も旨いと思った麻婆豆腐は、北京にある「沸騰魚郷」(凄い名前)のものだが、やっぱり日本向けに変にマイルドにしない方が断然良い。


エビチリも辛い


ミニ麻婆豆腐

●参照
中国延辺朝鮮族自治州料理の店 浅草の和龍園
春節前の北京で、北京ダックと小籠包
北京の炸醤麺
中国の麺世界 『誰も知らない中国拉麺之路』
上海の麺と小籠包(とリニア)
白酒と刀削麺

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2004年、エルメート・パスコアール

2012-04-17 23:37:11 | 中南米

2004年11月、代官山。愛すべき奇人の宴。

Leica M3、Pentax-L 43mm、Tri-X (+2)、ラボプリント

●参照
エルメート・パスコアールのピアノ・ソロ

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ダリウス・ジョーンズ『Man'ish Boy』

2012-04-17 00:13:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

ダリウス・ジョーンズ『Man'ish Boy』(Aum Fidelity、2009年録音)を通勤時間に聴く。

Darius Jones (as)
Cooper-Moore (p, didley-bo)
Rakalam bob moses (ds)

ヘタウマのジャケット絵が凄い、何じゃこれは。これを描いたランダル・ウィルコックス(Randal Wilcox)はジョーンズのCDのジャケットを色々手掛けているようで、他の作品もじろじろ眺めていると割と好きになってくる(>> リンク)。

それはともかく、外側が鬼面人を驚かすのに対し、ジョーンズのアルトサックスは奇抜ではなく真っ当である。ジョニー・ホッジスばりの唇の柔らかそうなヴィブラートが印象的であり、抜けが良いというのか、聴いてきて胸の奥がむずむずしてくる。ふくよかで朗々とした「鳴り」もあれば、細い音での「泣き」もある。自分もこんな風にアルトサックスを吹けていたらよかったな、なんて思ったりして。

クーパー・ムーアは、ピアノと、なんとディドリボーを使っており、ベースのような効果はなかなか聴きごたえがある。米国南部の黒人による手作りの一弦楽器である。ジャケットも含め、ジョーンズが自身のルーツを意識していることは明らかに思える。そして、最後の曲「Forgive Me」におけるブルース演奏は最高である。

そういえば、同じクーパー・ムーアがオルガンを弾いた、ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』(Centering Records)(>> リンク)もかなりコテコテのルーツ的なパフォーマンスだった。こういうものがフリージャズの棚に置かれてしまうと、嬉しいような、勿体ないような。

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山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』

2012-04-15 23:22:47 | 九州

工藤敏樹というNHKのドキュメンタリストが制作した、山本作兵衛に関するドキュメンタリー『ぼた山よ・・・』(1967年2月18日放送)を観る。「ある人生」というシリーズの1本であり、2008年に「日本映画専門チャンネル」が放送したものだ。

山本作兵衛、明治25年生まれ。鉄道開通により、福岡・遠賀川の船頭の職を失った父親に連れられ、8歳で筑豊のヤマ(炭鉱)に入る。いくつものヤマを転々とし、昭和30年、働いていたヤマの閉山により失職。次に就いたのは、ヤマ跡から掘り出した資材を見回る夜警だった。60歳を過ぎ、突然、ヤマの記憶を絵に描きはじめる。

粉炭と煤煙にまみれ、ヤマを出ても行くところがない炭鉱労働者は、いわば渡り鳥であった(ふと原発労働者のことを思い出してしまうのだが)。酒、博打、喧嘩、夜逃げ。秩序を乱す者を見せしめのために拷問にかけるのは日常茶飯事で、なくなったのは戦後になってからだという。ツルハシから始まった採炭法はどんどん進歩し、かたや、「黒ダイヤ」として日本産業の発展を支えた筑豊の炭鉱は、戦後しばらくして、終焉を迎える。

わずか30分のドキュながら、ヤマという産業装置が如何なる凄絶な場であったか、そして、パブリックなものに決してならないその記憶に再び命を与える山本作兵衛という素人画家が突出した存在であったかを、生々しい迫力をもって伝える映像である。

20代前半にして、山本は「何の真似だと仲間に嘲られながら」、漢和辞典のすべての漢字をノートに書き写し続ける。そのようなエピソードでもわかるような「失われたものへの異常な記憶力」は、行き場を求め、すり切れた筆を使っての絵に辿りつく。何と、山本の描く人びとの着物の柄はすべて異なるものだった。

ドキュの最後、ヤマの厚生年金と戦死した長男の遺族年金によって暮らす山本作兵衛が、ちょっと甲高い声でワークソングらしきものを唄う場面がある。歌詞はよくわからないが、節を「・・・ごっとん。」と締める様子に、蓄積の重みを感じざるを得ない。

ついでに、NHK「新日曜美術館」において放送された『よみがえる地底の記憶~世界記憶遺産・山本作兵衞の炭坑画~』(2011年9月11日)(>> リンク)を、改めて観る。工藤敏樹のドキュ撮影時74歳であった山本作兵衛は、その後もヤマの絵を描き続け、2000枚もの作品を残し、92歳で亡くなった。

ここでは、昭和53年、山本86歳のときのカラー映像が紹介されている。やはり、同じワークソングを唄っている。炭鉱労働者たちが唄い継いだ「ゴットン節」というのだった。労働者夫婦が、かつての山本自身のような息子を連れ、地下の炭鉱に入っていく絵。そしてその「ゴットン節」は、何とも言えないものだった。

「七つ八つから/カンテラ下げて/坑内下がるも/親の罰/ゴットン」

この番組では、「ゴットン節」だけでなく、工藤敏樹のドキュに入りきらなかったであろう側面を紹介している(勿論、カラー映像もそのひとつだ)。山本が絵を描きはじめる前、実は、その溢れんばかりの記憶を手記として残そうとしていた。しかし、迷惑がかかる人がいるに違いないとの理由で妻に反対され、原稿用紙1400枚を焼いたのだという。すんなりと、退職後の手慰みとしてはじめたものでは、決してなかった。

また、消えゆくものはパブリックな記憶だけでなく、ボタ山もそうだった。昭和40年代後半、ボタ山は建設資材として重宝され、生活と産業の記憶ごと、人びとから無くなろうとしていたのだ。

番組には、上野英信と山本作兵衛との交流を語る、息子の上野朱氏も登場する。上野英信も、ヤマの記録を残し続けた存在だった。

現在、福岡県田川市(当時、田川郡)には、田川市石炭・歴史博物館があり、山本作兵衛の作品を多数収蔵しているという。去年北九州に足を運んだ際、立ち寄れないかなと思いつつ時間がなくて叶わなかったところだ。あらためて機会を見つけて行きたくなってしまった。

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