Sightsong

自縄自縛日記

崎山多美『月や、あらん』

2013-03-31 22:52:17 | 沖縄

崎山多美『月や、あらん』(なんよう文庫、2012年)を読む。

本書に収められている小説は、「月や、あらん」と、「水上揺籃」の2編。

「月や、あらん」では、沖縄の3人だけの出版社を牽引してきた女友達の編集者が、忽然とどこかへ去ってしまい、主人公はその謎の遺産をもとに苦悶、迷宮から逃れられなくなってしまう。その遺産とは、沖縄の地から、そして朝鮮出身の元従軍慰安婦から発せられる肉声であった。しかし、元従軍慰安婦の老婆は、狂人であった。

怨念のような老婆の声、女友達がテープに残した声は、虚実がないまぜとなり、ほとんど理解不可能。そのカオスの中で、主人公は、どうやら声なき声がうずまく彼岸とつながってしまったのだった。

この肉体性と感覚とを、過激に何か大きな塊へと練りこんでいく手腕。はじめて笙野頼子を読んだときの衝撃を思い出した。

「水上揺籃」は、かつて演劇の場に身を置いた女性が、そのときの恋人に呼び寄せられ、あるシマへと赴く物語。ここでも、声がキーとして扱われている。聞こえるはずが聞こえない声、得体が知れず聞こえる声。どこまでが白昼夢でどこまでが現実か、どこまでがリアルな感覚でどこまでがヴァーチャルな感覚か、やはり、カオスが訪れる。見事。


ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』

2013-03-31 20:35:15 | 中東・アフリカ

ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』(2011年)のDVDを入手した。

パナヒは、2010年、イランの現在のアフマディネジャド政権に拘束され、20年間映画を作ってはならないとの命令をくだされた。

インタビューを受けてはならない、映画をつくってはならない、脚本を書いてはならない。ならば、以前に書いた脚本を読み、演じるのならよいだろう?―――というわけで、軟禁されている自宅内で、映画のコンセプトを説明し、朝食を食べ、ペットのイグアナ(!)と遊び、携帯で食べ物の調達や自らの減刑に向けた働きかけなどの連絡を行ったり。

ときおり無力感や焦燥感をのぞかせるものの、パナヒは笑みさえも浮かべ、泰然としている。その挙句に、この「映画ではない」、ひきこもりの映画である。それはひたすらにユーモラスである。

パナヒ、恐るべし。わたしもくだらぬことで鬱々としている場合ではないね(関係ないが)。

映画のなかで、パナヒは、作ろうとしてイラン当局の許可が下りなかった映画のコンセプトについて語る。最初は、イラン・イラク戦争の最終日、故郷に帰る人びとを描く映画。次に、街の大学に行きたいのを阻止するために、若い女性が狭い部屋に拘束されるという映画。

パナヒは映画のことしか語らないが、2009年のイラン大統領選において、対抗馬のムサビ候補を応援した咎もあった(選挙自体は不正だったと評価されている)。その上にイランの現実を国内・国外に示す映画を作ろうとするパナヒは、アフマディネジャドにとって気に入らない存在であったのだろう。同様に、イランの映画作家バフマン・ゴバディも、イランに帰国できないでいる。

ところで、ヴィジェイ・アイヤー+マイク・ラッド『In What Language?』(PI Recordings、2003年)という、パナヒをめぐる事件を契機に吹き込まれたアルバムがある。

Vijay Iyer (p, key, electronics, all compositions)
Mike Ladd (voice, electronics, all lyrics)
Latasha N. Mevada Diggs (voice, electronics)
Allison Easter (voice)
Ajay Naidu (voice)
Ambrose Akinmusire (tp)
Rudresh Mahanthappa (as)
Dana Leong (cello, tb, flh)
Liberty Ellman (g)
Stephan Crump (b)
Trevor Holder (ds)

一言でいえば、ジャズ、ヒップホップ、ポエトリー・リーディングの融合セッションである。

「In What Language?」とは何か。ジャファール・パナヒは、2001年の春、香港の映画祭への出席後、ニューヨークのJFK国際空港でブエノスアイレス行きの便に乗り換えようとしていたところ、特段の理由なく拘束され、手錠をかけられ、香港に送り返された。パナヒは、乗客たちに、こう説明したかったのだという。「わたしは泥棒ではない!わたしは人殺しではない!・・・わたしはただのイラン人、映画作家だ。しかし、これを言うには、何語で?」

アフマディネジャド大統領が反米色を強硬に打ち出していることもあり、米国も、パナヒへの抑圧を政治利用している。あれず・ふぁくれじゃはにさんのブログによると、オバマ大統領は、2011年に、パナヒの名前も挙げてメッセージを世界に発信していた。しかし、ブッシュ政権とはいえ、「9・11」前の米国にしてこの有様だった。

もはや世界は点と点でもピラミッドでもありえない。このアルバムは、空港という多世界の結節点において、さまざまな声を噴き出させている。コルカタ。トリニダード。コートジボアール(象牙海岸)。ムンバイ。イエメン。世界銀行。シエラレオネ。歌詞カードを読んでも頭では理解できず、体感するほかない言葉の洪水が詰め込まれている。

ヴィジェイ・アイヤーの硬質なピアノは全体を効果的に引き締めており、リバティ・エルマンのギターは相変わらずスタイリッシュである。そして、ルドレシュ・マハンサッパのアルトサックスによるソロに耳を奪われる。マハンサッパはまだ40歳そこそこのプレイヤーで、イタリア生まれ、米国育ち。スティーヴ・コールマンを思わせることも多々ある。


『カーター大統領の“ソーラーパネル”を追って』 30年以上前の「選ばれなかった道」

2013-03-31 14:36:55 | 環境・自然

NHK「BS世界のドキュメンタリー」枠で放送された、『カーター大統領の“ソーラーパネル”を追って』(スイスAtelier Hemauer / Keller 制作、2011年)を観る。

ジミー・カーター米大統領(任期1977-81年)。1979年に、再生可能エネルギーの推進策を協力に打ち出す。その背景には、同年のイラン革命、第二次石油ショック、ソ連のアフガニスタン侵攻により、中東への石油依存を解消しなければならないという脅威があった。また、やはり1979年にはスリーマイル島事故が起こり、カーター政権は、なおさら、化石燃料依存を問題視した。

そのシンボルとして宣伝したのが、ホワイトハウスの屋根に取り付けた太陽熱温水器だった(もちろん、PVどころか、現在の太陽熱発電とは異なる、初歩的なエネルギー転換装置である)。度重なる国民への呼びかけにもよらず、その息苦しさが国民の人気を失うことになり、大量消費と発展を「強いアメリカ」の象徴として掲げるレーガンに大統領の座を明け渡すこととなった。まさに、原題にあるように、再生可能エネルギー推進は「選ばれなかった道」なのだった。

そして、太陽熱温水器は1986年に撤去され、メーン州の大学の倉庫にひっそりと保管された。番組は、それが、最終的に「選ばれなかった道」の象徴として、スミソニアン博物館に引き取られるところまでを追っている。

この悲劇について、ダニエル・ヤーギン『探求』(>> リンク)がシニカルに表現している。

「温かみのない口調、悲観主義、道義の悪化と犠牲を強調する言葉、恒常的な品不足の予想―――こうしたことが、非常に複雑な遺産を残した。数十年後、ホワイトハウスのとなりの旧大統領府ビルのなかを歩いていた上級エネルギー顧問が、つぶやいた。「この廊下は、いまだにジミー・カーターのカーディガンの亡霊が出没するんだ」」

なんだか、最近の民主党から自民党への政権再交代の悲劇をみるようだ。もちろん、今では、ミニ・レーガンなど登場すべきではない。そういえば、レーガンも「レーガノミクス」を標榜していた(奇妙に重なって見えてしまうのは嫌なことだ)。番組には、太陽熱温水器の新聞記事を書いた記者が登場し、やはりシニカルに言ってのける―――「モーゼの十戒には、11番目に、<アメリカ人は燃料を我慢せず使わなければならない>と書いてあったんだよ」と。

番組では、カーターが、その追い詰められたようなテレビ演説において、省エネ推進を訴えかけるため、「You know we can do it.」と表現している場面がある。そうか、オバマ大統領の「Yes, we can」は、後ろ向きから前向きへの戦略転換だったのか。

再生可能エネルギーに関しては、もちろん、状況が今と30年前とでは大きく異なる。ダニエル・ヤーギン『探求』では、1981年にエクソンが太陽熱ビジネスをコスト性の問題から売却し、他の大手企業も同調したことが書かれている。今は違う。

このようなドキュメンタリーを、スミソニアン博物館の収蔵同様に、「選ばれなかった道」の教訓を示すものとして、どこかで広く上映してほしい。

●参照
ダニエル・ヤーギン『探求』
小野善康『エネルギー転換の経済効果』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』


榧根勇『地下水と地形の科学』

2013-03-30 22:41:06 | 環境・自然

榧根勇『地下水と地形の科学 水文学入門』(講談社学術文庫、原著1992年)を読む。

シンクタンクで水環境をかじったことはあるが、地下水の世界についてはほとんど無知だった。本書は一般書ではあるが、さまざまな事例をもとに「かゆい」ところを説明しようとしており、実に面白い。少し、蒙を啓かれたような気分である。

読みながらへええと思ったこと。

○地下水の追跡には、昔は塩水や蛍光染料などを用いていたが、1960年代から、同位体を用いるようになっている(岩石や氷河の年齢を特定するのに使うことは、もちろん知っていたが、地下水にも適用されているとは迂闊にも想像しなかった)。たとえば、水素の同位体のひとつである三重水素(トリチウム)。これは通常の水素のなかに一定割合で含まれ、12.4年の半減期で減っていく。それにより、地下水が地下水となってからの時間がわかる。
○川の流速が秒速数十cm~数mであるのに対し、地下水の流速は年速数m~数百mと極めて遅い。例えば、オーストラリアの大鑚井盆地には、年齢100万年前の地下水も存在する。著者曰く、「私たちが食べる彼の地のマトンやビーフにも、100万年前の降水が含まれているかもしれない」(!)。
○そんな長い時間をかけて形成される地下水であるから、地盤によって水質は大きく異なる。硬水、軟水の数値(カルシウムイオン、マグネシウムイオンなど)も驚くほど異なる。日本の水は、世界のなかでは、これといって特徴のない若い軟水である。
○また、同じ理由により、地下水の過剰利用や地下水汚染については慎重に対処しなければならない。
○地下水と河川水とは相互に行き来している。日本では地下水が河川に流入していることが多い(それで、神田川の源流があれほど「ちょろちょろ」であることも納得できる)。

また、具体的な地下水の挙動をみるため、黒部川関東平野の形成史を紹介してくれている。両方とも扇状地だが、氷期前後の海進や海退、地殻変動を経て、単純な扇形にはなっていない。これがまた面白い(もっと図示してほしかったところだが)。

それによると、武蔵野段丘の谷が、削られてできたのではなく、関東ロームが洗い流された結果であるということは、1988年に明らかになったことだという。確かに、貝塚爽平『東京の自然史』(原著1979年)には、確か、そのような記述はなかった。

●参照
貝塚爽平『東京の自然史』
薄っぺらい本、何かありそうに見せているだけタチが悪い


サニー・マレイ『Perles Noires Vol. I & II』

2013-03-28 00:59:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

サニー・マレイ『Perles Noires Vol. I & II』(Eremite、2002・04年)。そのうち聴こう聴こうと思って何年も経ってしまい、ようやく中古盤を入手した。

『Vol. I』
Sunny Murray (ds)
Sabir Mateen (as, ts, al-cl)
Dave Burrell (p) (1)-(4)
Louis Belogenis (ts) (6)(7)
Alain Silva (b) (6)(7)

『Vol. II』
Sunny Murray (ds)
Sabir Mateen (as, ts, b-flat cl, fl)
Oluyemi Thomas (bcl, c-melody sax) (1)-(4)
John Blum (p) (5)-(7)

新しい録音とは言っても、もうおよそ10年前。サニー・マレイは現在76歳のはずで、さて健在なのだろうか。

少なくとも、これらの録音では、昔からのマレイならではのドラミングを見せている。絶え間なく繊細にシンバルを鳴らし続け、それによる微分的な高音のパルスを創り出す。それと並行して、バスドラムを、発作的に使う。その非間欠的・非定常的な読めないパルスと、シンバルの微分的なパルスとの交錯が生み出す大きなうねりが、マレイのドラミングなのだと思う。従って、フリー・フォームの中に座る姿こそマレイに相応しい。

この2枚の盤では、サビーア・マティーンのサックスやクラリネットと組み、演奏によって、デイヴ・バレル(ピアノ)、ルイ・ベロジナス(テナーサックス)、アラン・シルヴァ(ベース)、オルイェミ・トーマス(バスクラ、サックス)、ジョン・ブルーム(ピアノ)らをそれぞれ入れる形をとっている。

マティーンのサックスは、ちょっとけじめがない感覚の連続性があり、音色が艶やかで、低音から高音までを満遍なく繰り出してくるもので、悪くない。それに対して、オルイェミ・トーマスの音響サックスは何なのだろう。まだ魅力があるのかどうか、感覚にフィットしない。また、初めて聴くルイ・ベロジナスは、アルバート・アイラーの影響を受けたのだというが、これもまだよくつかめない。

デイヴ・バレルのピアノが入り、マレイ、マティーンとのトリオになると、演奏の展開と色がとても鮮やかで、聴き惚れてしまう。3人が出たり入ったりする感覚が絶妙なのだ。


サニー・マレイ、メアリジェーン、1999年 PENTAX MZ-3、FA28mmF2.8、Provia400、DP

●参照
サニー・マレイのレコード
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集(サビーア・マティーン参加)
ウィリアム・パーカー+オルイェミ・トーマス+リサ・ソコロフ+ジョー・マクフィー+ジェフ・シュランガー『Spiritworld』


具志堅隆松『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』

2013-03-27 16:50:21 | 沖縄

編集者のSさんにいただいた、具志堅隆松『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。 サトウキビの島は戦場だった』(合同出版、2012年)を読む。(ありがとうございます。)

著者は、沖縄戦の遺骨を丁寧に掘り出し、その死に至る経緯を探り、特定する作業を、30年近くも続けておられる。

何故か。それは、政府による遺骨の収集が、重機によって土を塊ごと掘り出し、その中からまとめて遺骨を取り出すような水準のものだったからだ。そのような杜撰なやり方では、仮に死者を特定できるような持ち物や手がかりがあったとしても、失われてしまう。それ以前の問題として、死者への追悼の念が乏しいのではないかという著者の指摘は、確かに的を射ている。 

まるで遺跡を発掘するように、丁寧に、死者が亡くなったときの状況を再現する。その推測のプロセスには、本当に驚かされてしまう。

たとえば、ガマの中の遺骨は、入り口付近と奥とに固まっていた。奥の遺体は、下半身のみが残されていることが多かった。じっくりと検証した結果、それは、手榴弾による「集団自決」が行われた結果だというのだった。

また、首里城の下に設置された日本軍の拠点を守るための場所から出てきた銃弾の数は、日本軍1に対し、米軍100であったという。語り伝えられたように、実際に、日本軍が1撃つと米軍は100撃ったのである。

このような検証のため、著者は、当時の武器の種類や特性、兵士の持ち物などに関する詳細な知識を活用している。それにより、沖縄戦の実状や、民間人・兵士がどのように死に至ったかが浮き彫りになってくる。

これは大変な仕事である。  

●参照
比嘉豊光『骨の戦世』(那覇新都心での遺骨収集)


小菅桂子『カレーライスの誕生』

2013-03-27 10:23:35 | 食べ物飲み物

小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社学術文庫、原著2002年)を読む。

日本独自の食べ物、カレーライス。ラーメンと同様に、他国をそのルーツとしながらも、日本で独自の進化を遂げ、バラエティに富んだ食べ方、作り方が普及している。また、ラーメンほどではないが(たぶん)、海外に店舗を持つチェーン店もある。

本書は、カレーライスが、どのような経路から日本に上陸し、どのように受容されていったかを追うものである。こと食べ物の話になると、やむにやまれぬ民族的本能のようなものが垣間見えて面白い。

大航海時代以来、多くのヨーロッパ人がスパイスを求めてアジアに渡航した。やがて、18世紀、英国のベンガル総督・ヘイスティングなる人物が、インドのスパイスや、それを調合したガラムマサラを母国に持ち帰る。これを、C&B社が調合しなおし、ヴィクトリア女王にも献上したという。すなわち、これが、『美味しんぼ』によれば「あらゆるものがカレー」であるインドの料理体系を、ひとつのレパートリーに単純化する歴史的な事件であったということができる。

英国では、カレーは、上流階級のものとなった。そして、百年を経て、江戸末期から明治初期にかけて、英国からもうひとつの島国・日本に上陸する。もちろん、「西洋料理」という触れ込みであり、最初は、西洋かぶれの上流階級の人びとが知るだけのものだった。

本書には、来日当初のレシピがいろいろと紹介されている。珍妙なものもあって面白い(作る気にはならないが)。

そして、ここから、日本独自の進化がみられる。玉葱、人参、ジャガイモという外来野菜の「カレー三種の神器」が入る。ラッキョウや福神漬けが添えられる。上野精養軒など西洋料理の老舗が情熱的にカレーを洗練させる。阪急などの資本が大衆料理としての普及に一役買う。既に、カレーは、和洋折衷の料理となってしまった。

興味深いことに、大阪と東京のカレーのちがいまでもが分析されている。それによれば、大阪では、牛肉が8割近く用いられ(東京は3割)、逆に東京では、豚肉が4割以上用いられている(大阪は1割)。明治の肉食は、とにかく牛であった。しかし、日清・日露戦争が起こり、牛肉の缶詰が戦地に送られた結果、牛肉の産地を控える関西と市場に流通する牛肉が減った関東では、人びとの嗜好までが違ったものになってしまったのだ、という。

なお、カレーに生卵をかける習慣も関西のものだということだ。東京丸の内に進出した、大阪の「インデアンカレー」も、生卵を載せるオプションを提供している。店名からして、カレー受容の奇妙なルートを示しているようだ。もちろん、インドのカレーとは似ても似つかないが、甘くて同時に辛いという変った味である。カレーひと皿にも、歴史の名残を垣間見ることができるというわけだ。

もっとも、インド料理がポピュラーなものになり、地方の差さえも多様化によって希薄化してくるのかもしれない。


インデアンカレー

■自分の「いま食べたいカレー」ベスト5(順不同、思いつき)
・「キッチン南海」(神保町)のカツカレー
・「ボンディ」(神保町)のチーズカレー
・「水主亭」(広島市)の豪快なるカレー(>> リンク
・「ニューキャッスル」(銀座)の「蒲田」(>> リンク
・「デリー」(湯島)のコルマカレー(もう15年以上食べていない)

●参照
中国の麺世界 『誰も知らない中国拉麺之路』


フランシス・ベーコン展@国立近代美術館

2013-03-25 15:14:30 | アート・映画

国立近代美術館に足を運び、フランシス・ベーコン展を観る。

学生時代にMOMA(ニューヨーク近代美術館)の所蔵品展で目にして衝撃を受けて以来、ずっと気になる画家である。わたしの愛する作家、J・G・バラードも、ベーコンを戦後世界でもっとも重要な画家だと位置づけている(『人生の奇跡』)。

ベーコンが展開してきた世界については、このようなものだというアウトラインを脳内に描いているつもりであったし、衝撃への耐性も持っているつもりでいた。それでも、この凄さには、あらためて圧倒されてしまう。観終わったいまは、やりきれなさと動悸を覚えている。

どの作品においても、身体は、おのおのの部位間の有機的なリンクを断ち切られ、残酷なほどの肉片の山と化している。ただの破壊後の廃棄物の山ではない。破壊後も、精神のようなものが、執念を抱き続け、説明のしようがない物体を形成しているのである。

したがって、動きながらにして同時に死体でもある暗黒舞踏と通底するところがあることは、あらためて言うまでもない(以前、その共通項について、ダンサーとの共演などを通じて身体と音楽とをリンクさせてきたベーシストの齋藤徹さんが、興味深いと言っておられた)。会場では、土方巽の舞踏の映像が流されている。土方も、ベーコンの絵にインスパイアされていた。

なかには、マイブリッジの連続写真との関連を指摘された作品がいくつもある。計測は、時間的にも、精神の受容という意味でも、分断され、決して現実の一部ではない。計測も、近代の地獄を象徴することばかもしれない。

身体とは何か。ベーコンの作品の中には、肖像画の真ん中に黒く丸い穴が穿たれたようなものがある。もしそれが弾痕のイメージだとして、ではなぜ、眉間を撃ち抜かれると、人は精神ごと死ぬのか。これは医学の問題ではなく、生や死に関する受容の問題である。もちろん、このような問いは最初から限界を超えられないことがわかっているものであり、追及しても解を得ることはできない。

今回はじめて目にした作品に、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホのシリーズがある。地面に存在ごと焼き付いてしまうような光の下で、男の影は、自らの化身であると同時に犬にもなっており、男は、犬の首に結わえられた紐をしっかりと持っている。掻きむしっても納得などできない実在である。ベーコンは、しかし、掻きむしり続けた。

私事だが、幼少時、喘息で呼吸ができず、半睡状態でいつも決まった悪夢を視た。自分が、階段のある一段において、舌だけで逆立ちをしなければならない運命となり、苦しんでいた。はじめてベーコンの絵を観たとき、そのことを思い出した。

意味不明?もとより意味などない。ベーコンの世界は、意味付けを拒絶している。そして、身体の理不尽さに関わる敏感な神経に、容赦なく、アクセスしてくるのである。

●参照
池田20世紀美術館のフランシス・ベーコン、『肉への慈悲』
J・G・バラード自伝『人生の奇跡』


レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』

2013-03-25 10:46:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

Leo Cuypers (p)
Willem Breuker (sax, cl)
Han Bennink (ds, ss, tb)
Arjen Gorter (b)

レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』(BVHAAST、1981年)。中古レコード店の棚で見つけて、こんなものがあったのかと喜んだ。

キュイパーズは、ウィレム・ブロイカーを中心としたグループ「コレクティーフ」のピアニストであった。キュイパーズとブロイカーがデュオで演奏した記録として、『... Superstars』(>> リンク)という愉快な盤があったが、ここでは、さらにハン・ベニンクとアリエン・ゴーターを迎えている(ゴーターもコレクティーフ人脈)。

解説におけるキュイパーズの思い出話が面白い。曰く、共演者たちに、歴史的な必要性があるのだと告げてYesと言わせ、逃げられないようにした。ちょうど、ロナルド・レーガンが米大統領になったばかりの時期で、「Happy Days Are Here Again」などと嘯いていたことへのアンチテーゼとしてタイトルを付けた。「Misha」という曲は、「Greensleeves」を原曲としており、ラジオのムード音楽(DJの低い声による恋話付き)をイメージしたからこそ、ミシャ・メンゲルベルグが嫌悪するに違いないと思って捧げた。・・・と。

そんなわけで、諧謔や底知れぬユーモアは、欧州のアヴァンギャルドに付いてまわる。

いきなり、焦ったようにブロイカーのブロウとキュイパーズの煽りがある。ベニンクは相変わらず文脈を無視したドラミングで突っ走る(文脈という「コード」からの絶えざる逃亡こそが、彼らのアイデンティティなのだと言いたい)。ベニンクのソプラノサックスとブロイカーのサックスとの共演もある。常に、誰かが何かをしでかすのではないかと思いながら聴かなければならない。

聴いていると愉快でたまらない。いつだったか、コレクティーフが来日した際に、メンバーに、アムステルダムの彼らの根城「Bimhuis」に行くといいぞと云われたのだったが、まだオランダ入国を果たせないでいる。夜中に徘徊して、ライヴを聴けたら最高だろうな。


ブロイカーにいただいたサイン(2004年)

●参照
ウィレム・ブロイカーとレオ・キュイパースとのデュオ『・・・スーパースターズ』
ウィレム・ブロイカーの『Misery』と未発表音源集
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
ハン・ベニンク『Hazentijd』(ウィレム・ブロイカー登場)
ウェス・モンゴメリーの1965年の映像(ハン・ベニンク参加)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(ハン・ベニンク参加)
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演)
横井一江『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』


井上剛『その街のこども 劇場版』

2013-03-24 23:14:48 | 関西

井上剛『その街のこども 劇場版』(2010年)を観る。

NHKで放送されたヴァージョンを再編集して劇場公開された作品。テレビドラマ版以来3年ぶりに観たわけだが、また沁み入るような気持ちにさせられてしまった。

1995年1月17日早朝、阪神・淡路大震災。そのときに小中学生だったふたりが、15年目のその日に、神戸で出逢う。異なる体験を抱えるふたりは、何故か、真夜中に神戸の街を延々と歩くことになる。

渡辺あやの練られた脚本が良いことに加えて、大友良英の音楽、まるでホームヴィデオのようにアンビエント性を摂り込んだ撮影、それに主演ふたりの演技(森山未來、佐藤江梨子)が出色。やっぱり名作ではないか。

阪神・淡路大震災から15年目、後で振り返ってみると、東日本大震災の1年前。映画では、15年間という時間により、実際に消えたもの、記憶のなかで薄くなったもの、別の形で熟したものが、提示されていた。

いまは、東日本大震災から丸3年。出鱈目な政策を見るにつけ怒りを覚える。まだ美しく包むべきではない。

●参照
テレビドラマ版『その街のこども』
テレビドラマ版『クライマーズ・ハイ』(井上剛演出)


ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』

2013-03-24 18:39:09 | ヨーロッパ

ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)を観る。

ミシェル・フーコーを中心としたチームによる事件の分析書(>> リンク)を、原作としている。

とは言え、フーコー作品の映画化と言うことはできない。フーコーらは、19世紀に起きた肉親殺人事件の歴史的な位置付けや、それを語る言説を分析したのであって、事件はフーコーが創作したものではない。

1835年、フランス北西部ノルマンディー。ここで、ピエール・リヴィエールは、自分の母親、妹、弟を鉈で惨殺した。愛する父親が、ずっと母親に酷い目にあわされ続けていたことに耐えかね、神のお告げだという正当化を付しての犯罪であった。妹は母に同調し、幼い弟はそのふたりを愛していたからだという理由で、殺害の対象になった。

映画は、その過程をじっくりと追う。いかに父親に正義があろうとも、社会も権力も無理解、あるいは無力であった。そして、捕えられたピエールについて、昔から残虐だった、対人恐怖を持っていた、狂っていた、という証言が、村人たちからなされた。

フーコーの分析は、まさにその語られ方を相対的なものとして見たものだった。従って、ピエールの犯罪についての物語形成過程や、そこにおける権力行使のあり方を、映画がいかに示そうとも、それは言説のパラレルワールドのひとつに過ぎない。要は、単なる殺人事件の映画だということだ。ピエールが無教育だったにも関わらず、また、まともでないという裁判物語の中にはめこまれたにも関わらず、長文のロジカルな供述書を綴ったという異常さも、さして触れられることはない。フランスの閉鎖的で歪んだ田舎街の雰囲気は示されているものの、これではとても傑作とは言い難い。

この映画の俳優は、ほとんどがロケ地の農村の村人(素人)であったという。30年後、映画の助監督をつとめたニコラ・フィリベールが、その村を再訪し、映画に出演した人びとのその後を撮った『かつて、ノルマンディーで』という映画がある。まだ観ていないが、そちらの方にこそ興味がある。

●参照
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』


セシル・テイラー初期作品群

2013-03-24 11:57:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

セシル・テイラーによる1950年代後半から60年代初頭までの作品群が、『Seven Classic Albums』(Real Gone Jazz)という4枚組CDとしてまとめられている。7枚分のアルバムが収録されて12ドルとは強烈に安い。

聴いたことがあるものもそうでないものもあるが、こうして順番に聴くことができることは嬉しい。

『Jazz Advance』(1956年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)
Steve Lacy (ss)

『At Newport』(1958年)
Cecil Taylor (p)
Steve Lacy (ss)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)

『Looking Ahead』(1959年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)
Earl Griffith (vib)

『Stereo Drive (Hard Driving Jazz)』(1959年)
Cecil Taylor (p)
Kenny Dorham (tp)
John Coltrane (ts)
Chuck Israels (b)
Louis Hayes (ds)

『Love for Sale』(1959年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)
Bill Barron (ts)
Ted Curson (tp)

『The World of Cecil Taylor』(1960年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)
Archie Shepp (ts)

『New York City R&B (With Buell Neidlinger)』(1961年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Archie Shepp (ts)
Clark Terry (tp)
Steve Lacy (ss)
Roswell Rudd (tb)
Charles Davies (bs)
Denis Charles (ds)
Billy Higgins (ds)

Bonus Tracks
Gil Evans『Into the Hot』(1962年)
Cecil Taylor (p)
Jimmy Lyons (as)
Archie Shepp (ts)
Henry Grimes (b)
Sunny Murray (ds)
Ted Curson (tp)
Roswell Rudd (tb)

『Jazz Advance』(1956年)、『At Newport』(1958年)、『Looking Ahead』(1959年)、『Love for Sale』(1959年)の50年代後半の作品群は、同じメンバーでのピアノトリオに、曲によって管やヴァイブが参加する編成である。あらためて意外に思えることは、以前は随分過激に感じたテイラーのピアノが、まだまだモダンジャズのバウンダリー内にあったということだ。しかし、スティーヴ・レイシーは、既にその音色や節回しにおいて自分の個性を確立しているように感じる。

その流れのなかにあって、『Stereo Drive (Hard Driving Jazz)』(1959年)だけは異色のメンバー構成(ヴァージョンによってアルバムのタイトルが異なった)。何しろ、ジョン・コルトレーンケニー・ドーハムをフロントに据えている。これが面白いかというとそうでもない。個人的にコルトレーンのサックスが好きでないこともあるが、まだテイラー前史であり、異種格闘技のような緊張感は生まれていないのである。

ところが、『The World of Cecil Taylor』(1960年)になると、明らかに潮目が変わる。見掛け上は、単に、若きアーチー・シェップが参加するだけのことである。シェップの野獣性のようなものが、化学反応を起こしたのだろうか。テイラーのピアノは、独自の繰り返しと発散を行う。

『New York City R&B (With Buell Neidlinger)』(1961年)は、大編成であること以上に何ということもないセッションだが、もはや、こちらの耳は、テイラーと、シェップと、レイシーを聴きだすことに悦びを覚えている。「昔はよかったね」の演奏がミスマッチで笑える。

そして、ギル・エヴァンスがアルバム半分だけ名義貸しをした『Into the Hot』(1962年)では、シェップに加え、ジミー・ライオンズが参加する。そうか、後年の傑作群におけるテイラー音楽のにおいは、ジミー・ライオンズのアルトサックスによるものでもあったのか。

●参照
ドミニク・デュヴァル+セシル・テイラー『The Last Dance』(2003年)
セシル・テイラー『The Tree of Life』(1991年)
セシル・テイラー『In Florescence』(1989年)
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年)
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)(1981年)
セシル・テイラー『Dark to Themselves』(1976年)、『Aの第2幕』(1969年)


石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集

2013-03-24 00:05:00 | スポーツ

第3回のWBCでは、日本は準決勝でプエルトリコに敗れ、そのプエルトリコを圧倒したドミニカが優勝した。

前回同様に、面白く、興奮させられた大会だった。ちょっとした驚きは、オランダ代表チームの主力が、カリブ海のオランダ領キュラソー島出身のバレンティン(スワローズ)やアンドリュー・ジョーンズ(今年からゴールデンイーグルス)であったことだ。つまり、強豪チームは、米国や日本・台湾・韓国(早々に敗退はしたが)などを除けば、ラティーノのチームなのだった。かつて世界一の称号を欲しいままにしたキューバに2回も土をつけたオランダは、欧州のチームであるというには無理がある。

以前から「やる気」を問われている米国は、今回も途中で姿を消した。ひょっとすると、MLBは間違いなく「世界最高の野球リーグ」ではあっても、もはや、それに対する貢献は米国人が中心だとは言いきれなくなっているのかもしれない。何しろ、WBCのMVPは、ヤンキースの4番を張るドミニカ人・カノーである。 

石原豊一『ベースボール労働移民 メジャーリーグから「野球不毛の地」まで』(河出ブックス、2013年)を読むと、時代は確実に変わっているのだという思いを強くする。

独自進化を遂げたキューバは別として、このルポと分析を通じて明らかに見えてくるものは、野球という装置による<帝国>の世界的ネットワークが着実に構築されてきていることだ。ドミニカも、プエルトリコも、はたまたコロンビアやパナマも、自国内で完結する野球産業はもはや持ちえず、MLBへの<労働力貯水池>として、MLBに包摂されている。メキシコリーグは独自性を持つという意味で少し異なるものの、もとよりMLBの一部と化している。それらの間では、競技レベルの差による労働移民の越境がなされているのである。

著者によれば、アジアの野球も、その構造に組み込まれてしまっている。明らかに、日本のNPBを頂点とするピラミッド構造があり、それはさらにMLBのピラミッドとリンクしているというわけだ。ひとつの曲がり角は、野茂英雄が海を渡った1995年だった。勿論、先にカリブ海地域がMLBのピラミッドにビルトインされたのは、そこが米国の政治的な裏庭だったからである。そして、最近では、中国にも、米国によって野球装置が据え付けられつつあるという。

成程ね、と、複雑なダイナミクスを垣間見たような気にさせられる。少なくとも、WBCで米国が敗れ、MLBを支えているドミニカや日本がナショナリズムを高揚させることは、MLBという資本システムにとって、悪い話ではないわけである。

ところで、『Number』誌(文藝春秋)のWBC特集号が発売されたので、いそいそと買って読んだ。

何だか、また、台湾戦での井端のヒットやオランダ戦での打線爆発など、興奮が蘇ってきてしまう。やはり采配批判がなされているが、4強となって日本野球の存在感を示すことができたのだから、良しとすべきである。

次はまた4年後か・・・。

●参照
WBCの不在に気付く来年の春
平出隆『ベースボールの詩学』、愛甲猛『球界の野良犬』(米国の野球ルーツ捏造)
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』(かつての移民による野球)
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集(事前のメンバー予想との違いが面白い) 
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集


キース・ティペット+アンディ・シェパード『66 Shades of Lipstick』、シェパード『Trio Libero』

2013-03-22 20:28:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

キース・ティペット+アンディ・シェパード『66 Shades of Lipstick』(EG Records、1990年)。ティペット久しぶりの来日前後から、何度も聴いている。

同じ英国人、アンディ・シェパードとのデュオである。どんな曲を演っても、シェパードによるサックスの音色のコントロールは完璧。ティペットはそれに対し、プリペアド・ピアノの割れた音色を重ね、畳み掛けるように攻める。轟音でありながら繊細だという点がティペットの魅力なんだろうな、と思う。

Keith Tippett (p)
Andy Sheppard (ss, ts, fl)

アンディ・シェパードの今のところの最新作は、『Trio Libero』(ECM、2012年)で、その前のECM第1作『Movements in Color』よりもシンプルなサックストリオの編成としている。

ここでもシェパードのサックスの巧さは限りないのであって、一聴、物足りない印象を抱く。どこかに破綻があったり、突き抜けた個性があったりする方が、ジャズの聴き手としては、その個性のコードを見出しやすく嬉しいところだ。シェパードの音はそのようなものではない。ただ、ECMの録音の所為もあるのだろうか、澄んだ空気の中で、森や川の向こう側にこだまのように届く、ヤン・ガルバレクにも共通する雰囲気がある。

発売直後に入手して肩透かしのような気持ちになり、しばらく棚の中にしまっていたが、あらためて聴いてみると、実に味わいがある。聴けば聴くほどこの音空間のなかに没入してしまうような・・・。

特筆すべきはベーシストのミシェル・ベニータ。太い音ながら柔らかく、影響を受けたというチャーリー・ヘイデンに似た残響が確かにある。

Andy Sheppard (ts, ss)
Michel Benita (b)
Sebastian Rochford (ds)


フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』

2013-03-19 07:40:16 | 北米

フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』(創元SF文庫、原著1981年)を読む。

原作のタイプ原稿は「VALIS Regained」と題されていた。すなわち、同年に刊行された『ヴァリス』(>> リンク)を発展させた作品ということになる。実際に、本作にも、VALISという言葉が、神を示唆するように登場する。

厳しい環境の外宇宙で生きる女性は、常に陰鬱でふさぎ込んでいる。その女性が、神の力で処女受胎する。彼女と、夫として神に指定された男、息子マニー、養父は地球への帰還を目指すが、地球は、既に悪魔べリアルにより邪悪なゾーンに覆われていた。神の子マニーは悪魔に狙われ、宇宙船が撃墜され、母が死に、父は何年間もの冷凍保存に処せられ、マニーも脳の損傷を受ける。

地球では、神と悪魔との闘いが続き、マニーはそのなかで覚醒してゆく。同時に、別世界の物語も、相互にそれと気付きつつ展開していく。

これは、ディックが壮大な神と悪魔のヴィジョンを複層的な物語にしようとした、野心的な作品に違いない。個々の挿話は必ずしも整合しない。物語全体が大団円を迎えるわけでもない。神と悪魔との闘いはその半ばで放り出される。しかし、その、意余ってすべてが中途半端に溢れ出ている感覚が、ここでは、傑作となることに貢献している。

ここで描かれる神は、邪悪なものも、人びとの苦しみも、すぐに死ぬ存在も含めて、それと知りながら創りだした存在である。それに対し、マニーを覚醒に導く少女ジナは、過去を書きかえて、望ましい世界を創りだすことを幻視させる。しかし、マニーはそれを否定する。神の矛盾にみえようと、それが現実世界であり、そこでは、相互依存の関係が創りだされていくものであるから、と。

ジナがマニーに渡すスレートという機械が登場する。皆の持っているスレートは、世界を監視するデータベースにつながっているが、マニーがもつそれは、同じ「IBM」というロゴが描かれているものの、神の示唆を表示する特別版である。このスレートこそ、いまでいうモバイル、タブレットではないか。ディック恐るべし、である。

スレートだけでなく、メディアも、人びとを操縦する手段、メッセージ伝達の手段の両面として描かれる。何だか、情報過多のなかでやすやすと大衆操作がなされているいま、本書は、30年前よりも切実な価値をもっていると感じられてならない。仮に、ディックが、メディアと情報技術が急速に発展している現在の姿を目にしていたとしたら、狂喜乱舞し、さらなる怖ろしいヴィジョンを提示してくれたのかもしれない。

●参照
フィリップ・K・ディック『ヴァリス』(1981年)
フィリップ・K・ディック『空間亀裂』(1966年)
フィリップ・K・ディックの『ゴールデン・マン』(1954年)と映画『NEXT』
ジャック・デリダ『死を与える』(キリスト教の神の矛盾)
アショーカ・K・バンカー『Gods of War』(神々の戦争)