2012年8月12日(日) お盆連休初日の土曜日はシーカヤック教室を予定していたのだが、午前中の激しい雷雨と雷注意報により、残念ながら中止となった。
今日明日は、妻と二人で久し振りに四国旅。
今回は、いつものしまなみ海道経由ではなく、岡村島~今治へのフェリーを使った旅。
朝6時50分の始発なのだが、驚いた事に港に着くとフェリーに乗船するクルマでいっぱいである。
小下島、大小下島を経由して今治へ。
最初は満杯だった自動車も、それぞれの島に帰省する人達が下船すると、残ったのは僅か3台。 多くの人が、これらの島々に帰省するのに、この朝の便を使っているのだなあ。 驚き。
フェリーは、来島海峡大橋を超え、今治へ。
船の中で天気予報をチェックすると、今日の目的地としていた山は雨の予報。 大気の状態が不安定で、雷雨の恐れもあるとの事。
『うーん、これでは景色を楽しむどころか、危険もあるなあ。 予定変更しよう。 どっか行きたいとこある?』
どうせ、宿だけ予約しての『風の吹くまま、気の向くまま』の気侭なフラリ旅。
あそこでもない、ここでもないと考えていると、ふと頭にあるキーワードが浮かんで来た。 『東洋のマチュピチュ』
『前から気になってる場所があるんよ。 ちょっと調べてみるわ』
iphoneでチェックすると、『別子銅山』は、新居浜市にあるとのこと。 これなら行けそうだ。
『ようし、別子銅山に決定や』
***
iphoneのナビに目的地を設定し、別子銅山へ。
今は、マイントピア別子という観光施設になっている。 チケットを買おうとすると、クルマで30分ほどかかり、しかもとても狭い道を走らないと行けないという『東平地区』への送迎とガイドを含めたツアーが10時からあるのだとか。
これが、通常の入場料に+300円と格安なので、すぐに参加を決定。
10時。 今回参加される計12名とガイドさん1名でマイクロバスに乗り、東平地区へと向かう。
途中からは、狭い山道。 うーん、これは対向車が来たら離合が大変だ。 運転しなくて良い気楽なツアーにして良かったなあ。
***
移動中のバスの中、ガイドさんから別子銅山に関わる様々なお話を伺った。
江戸時代に始まった別子銅山の歴史。
最盛期は2,800人程の人々がこの山に暮らしていたそうだ。 切り開かれた山には社宅が作られ、娯楽場や病院、郵便局、学校まであったとのこと。
こんな山の上ではあったがとても栄えていて、毎年5月には上方から役者を呼んで歌舞伎も観劇したそうだ。 さすがに歌舞伎役者さんに厳しい山道を歩かせる訳にはいかないので、鉱夫達が籠に乗せて送り迎えしたのだそうである。
社宅は狭く、トイレや風呂は共同だったが、無料で電気も使い放題だったとか。 また当時は子だくさんの家が多く、狭い社宅では子供達の勉強する場所がなかったので、家の中にハシゴを掛けて、天井裏で勉強したいたそうだ。
隣の家との仕切りは、とても薄い板一枚。 家には鍵を掛ける事もなかったそうだが、この山全体が一つの家族の様なもので、盗難やトラブルなどはなかったとのこと。
この山の上には、一周100メートルの運動場もあり、大人が本気で走ると山から飛び出しそうなほど狭かったとか、防火水槽の役目も兼ねて15メートルで4レーンのプールも作られ、山の子供達だったが、皆泳げたそうである。
銅山は、徐々に山の上から掘り下り、最後は海抜マイナス1,000mまで掘り進んだのだとか。 この深さでは、温度が60℃にも達し、かつ凄い圧力のために掘っても掘っても潰れたため、これ以上掘り進むのを諦めて閉山に至ったのだとか。
そしてこのマイナス1,000mは、日本で到達した最も深い場所なのだそうだ。 驚きの事実。
また、この別子銅山が、住友鉱山の始まりであり住友財閥の発展にとても重要な役割を果たした事。 別子銅山での事業を続けるために必要だった発電や植林(1tの銅を製錬するのに4tの炭が必要だったため、多くの木を使用した事に加え、精錬時に発生する亜硫酸ガスで木が枯れる問題があったため、植林専門部署をつくったのが住友林業の始まり)、公害対策(亜硫酸ガス対策として、肥料である硫安をつくる事とし、それが住友化学の始まり)、工場建設(公害対策で製錬所を四阪島に移したとき、工場や施設をつくったのが住友建設の始まり)などがきっかけとなり、住友林業や住友化学、住友建設などなどが新たに興ったことなども初めて知ることができた。
その他、亜硫酸ガスの公害対策として、製錬所が四阪島に移された経緯や、四阪島に移された後も当初の目論みとは外れて公害問題が拡大し、その対策として亜硫酸ガスから硫安という肥料を作ることに加え、外国から、残留ガスの処理技術を導入し、公害対策を進めた事で、住友にとってこの四阪島は公害対策の原点として重要視され、一旦は工場も廃止し、無人の島となったが、その後産業廃棄物から亜鉛をリサイクルする施設に生まれ変わり、活用され続けていることも教えていただいた。
先日訪れた石見銀山もそうだが、かつての日本は、鉱業が国を支える一つの重要な産業だった事を再認識させられた。
また、そんなこんなで住友5社の新居浜での地位は高く、鉱山と言えば住友鉱山の事、林業って言えば住友林業であり、頭に住友とつけないのが当然なのだそうだ。 そして自分達の子供が5社に入社が決まったら、家では赤飯を炊いて祝ったのだとか。 新居浜がm住友と切っても切れない関係があることも初めて知った。
このツアー、なかなか興味深い。
***
出発してから約30分後に、目的地に到着。
雲が多いものの、なんとか晴れ間も覗き、観光日和。 東洋のマチュピチュ、楽しみだ。
かつての鉱山鉄道の遺物が残されている。
まずは上からの眺め。 確かになんとなく、遺跡の雰囲気。
***
階段を降り、下から眺める事に。
なるほど、これがマチュピチュか。
見学を終えると、かつての娯楽場や保育園、病院跡が残る山道へ。
娯楽場には、回り舞台も設えられていたのだとか。
上に戻ると、ガスが出て回りはもう真っ白。 視界は遮られ、観光どころではない。
その後、雨も振り出し、『いやあ、良いタイミングでツアーに参加できたね』
***
再びバスで下に戻り、施設を見学。
短い距離だが、鉱山鉄道に乗り、景色を眺める。
石見銀山よりかなり大規模な開発が行われていた様子。
帰りは、鉱山鉄道ではなくガイドさんおススメの徒歩で。
ここの坑内や重要な施設には、大山祇神社の分詞として大山積神社が奉られていた。
施設に戻る直前からゲリラ豪雨となったが、なんとか無事にツアーは終了。
ガイドさんのおかげもあり、なかなか興味深いツアーであった。
***
豪雨の中、今治へと戻り、少し遅い昼食。
以前訪れてお気に入りとなった、『かねと食堂』さんへ。
地元の新聞を開くと、宇和島闘牛の広告が。
私はカツライス。
妻は中華そば。
遅めのお昼ご飯を済ませた後は、ホテルにチェックインし、着替えてから鈍川温泉へ。
気持ちの良いアルカリ泉に浸かり、この夏の心身の疲れをのんびりと癒す。
夜はホテルで魚料理をいただき、ビールで乾杯。 『急遽の予定変更だったけど、東洋のマチュピチュはなかなか面白いツアーだったねえ』
***
2012年8月13日(月) 朝起きると、天気予報をチェック。 今日も四国の山の上は曇りや雨の予報。
残念だけど、山のドライブは次回にしよう。 じゃあ今日は自転車を借りて、しまなみサイクリングを楽しむとしよう。
8時過ぎにサンライズ糸山へ。
今日は、大島までの往復であり、妻も一緒なので、電動アシスト自転車を選択。
『じゃあ、出発しようか!』
しばらく走ると、来島海峡大橋への入口。
ここからの登りで、電動アシストのありがたみが良く分かる。
少し蒸し暑いが、橋の上は心地良い風が吹き抜ける。
橋の上からの景色を楽しみながら、ゆるりとしたのんびりツーリング。
途中、馬島へ降りてみる事に。
狭い通路を抜けると、そこにはエレベータが。
自転車2台を積んで、地上へ。
島の道を走り、海水浴場を見学し、橋を下から眺めて、神社に参拝。
再びエレベータで橋に登り、料金を払って、大島に向けてスタート。
大島では、道の駅で一休み。
みかんソフトで疲れを癒す。 『うーん、美味い』
***
往復約2時間の妻とのサイクリング。 これはなかなか良い想い出になった。
自転車を返し、汗を流しに近くの温泉へ。 『あー、さっぱりさっぱり』
***
帰りは、お盆の臨時フェリーで岡村島へ。
当初予定していた四国の山岳ドライブは悪天候のため次回へと持ち越しになったが、別子銅山観光と、しまなみサイクリングで二日間楽しむことができた。
なかなか良い旅だったなあ。 『今回はだめだったけど、秋の天気のよい日に、また山岳ドライブを計画しよう!』
今日明日は、妻と二人で久し振りに四国旅。
今回は、いつものしまなみ海道経由ではなく、岡村島~今治へのフェリーを使った旅。
朝6時50分の始発なのだが、驚いた事に港に着くとフェリーに乗船するクルマでいっぱいである。
小下島、大小下島を経由して今治へ。
最初は満杯だった自動車も、それぞれの島に帰省する人達が下船すると、残ったのは僅か3台。 多くの人が、これらの島々に帰省するのに、この朝の便を使っているのだなあ。 驚き。
フェリーは、来島海峡大橋を超え、今治へ。
船の中で天気予報をチェックすると、今日の目的地としていた山は雨の予報。 大気の状態が不安定で、雷雨の恐れもあるとの事。
『うーん、これでは景色を楽しむどころか、危険もあるなあ。 予定変更しよう。 どっか行きたいとこある?』
どうせ、宿だけ予約しての『風の吹くまま、気の向くまま』の気侭なフラリ旅。
あそこでもない、ここでもないと考えていると、ふと頭にあるキーワードが浮かんで来た。 『東洋のマチュピチュ』
『前から気になってる場所があるんよ。 ちょっと調べてみるわ』
iphoneでチェックすると、『別子銅山』は、新居浜市にあるとのこと。 これなら行けそうだ。
『ようし、別子銅山に決定や』
***
iphoneのナビに目的地を設定し、別子銅山へ。
今は、マイントピア別子という観光施設になっている。 チケットを買おうとすると、クルマで30分ほどかかり、しかもとても狭い道を走らないと行けないという『東平地区』への送迎とガイドを含めたツアーが10時からあるのだとか。
これが、通常の入場料に+300円と格安なので、すぐに参加を決定。
10時。 今回参加される計12名とガイドさん1名でマイクロバスに乗り、東平地区へと向かう。
途中からは、狭い山道。 うーん、これは対向車が来たら離合が大変だ。 運転しなくて良い気楽なツアーにして良かったなあ。
***
移動中のバスの中、ガイドさんから別子銅山に関わる様々なお話を伺った。
江戸時代に始まった別子銅山の歴史。
最盛期は2,800人程の人々がこの山に暮らしていたそうだ。 切り開かれた山には社宅が作られ、娯楽場や病院、郵便局、学校まであったとのこと。
こんな山の上ではあったがとても栄えていて、毎年5月には上方から役者を呼んで歌舞伎も観劇したそうだ。 さすがに歌舞伎役者さんに厳しい山道を歩かせる訳にはいかないので、鉱夫達が籠に乗せて送り迎えしたのだそうである。
社宅は狭く、トイレや風呂は共同だったが、無料で電気も使い放題だったとか。 また当時は子だくさんの家が多く、狭い社宅では子供達の勉強する場所がなかったので、家の中にハシゴを掛けて、天井裏で勉強したいたそうだ。
隣の家との仕切りは、とても薄い板一枚。 家には鍵を掛ける事もなかったそうだが、この山全体が一つの家族の様なもので、盗難やトラブルなどはなかったとのこと。
この山の上には、一周100メートルの運動場もあり、大人が本気で走ると山から飛び出しそうなほど狭かったとか、防火水槽の役目も兼ねて15メートルで4レーンのプールも作られ、山の子供達だったが、皆泳げたそうである。
銅山は、徐々に山の上から掘り下り、最後は海抜マイナス1,000mまで掘り進んだのだとか。 この深さでは、温度が60℃にも達し、かつ凄い圧力のために掘っても掘っても潰れたため、これ以上掘り進むのを諦めて閉山に至ったのだとか。
そしてこのマイナス1,000mは、日本で到達した最も深い場所なのだそうだ。 驚きの事実。
また、この別子銅山が、住友鉱山の始まりであり住友財閥の発展にとても重要な役割を果たした事。 別子銅山での事業を続けるために必要だった発電や植林(1tの銅を製錬するのに4tの炭が必要だったため、多くの木を使用した事に加え、精錬時に発生する亜硫酸ガスで木が枯れる問題があったため、植林専門部署をつくったのが住友林業の始まり)、公害対策(亜硫酸ガス対策として、肥料である硫安をつくる事とし、それが住友化学の始まり)、工場建設(公害対策で製錬所を四阪島に移したとき、工場や施設をつくったのが住友建設の始まり)などがきっかけとなり、住友林業や住友化学、住友建設などなどが新たに興ったことなども初めて知ることができた。
その他、亜硫酸ガスの公害対策として、製錬所が四阪島に移された経緯や、四阪島に移された後も当初の目論みとは外れて公害問題が拡大し、その対策として亜硫酸ガスから硫安という肥料を作ることに加え、外国から、残留ガスの処理技術を導入し、公害対策を進めた事で、住友にとってこの四阪島は公害対策の原点として重要視され、一旦は工場も廃止し、無人の島となったが、その後産業廃棄物から亜鉛をリサイクルする施設に生まれ変わり、活用され続けていることも教えていただいた。
先日訪れた石見銀山もそうだが、かつての日本は、鉱業が国を支える一つの重要な産業だった事を再認識させられた。
また、そんなこんなで住友5社の新居浜での地位は高く、鉱山と言えば住友鉱山の事、林業って言えば住友林業であり、頭に住友とつけないのが当然なのだそうだ。 そして自分達の子供が5社に入社が決まったら、家では赤飯を炊いて祝ったのだとか。 新居浜がm住友と切っても切れない関係があることも初めて知った。
このツアー、なかなか興味深い。
***
出発してから約30分後に、目的地に到着。
雲が多いものの、なんとか晴れ間も覗き、観光日和。 東洋のマチュピチュ、楽しみだ。
かつての鉱山鉄道の遺物が残されている。
まずは上からの眺め。 確かになんとなく、遺跡の雰囲気。
***
階段を降り、下から眺める事に。
なるほど、これがマチュピチュか。
見学を終えると、かつての娯楽場や保育園、病院跡が残る山道へ。
娯楽場には、回り舞台も設えられていたのだとか。
上に戻ると、ガスが出て回りはもう真っ白。 視界は遮られ、観光どころではない。
その後、雨も振り出し、『いやあ、良いタイミングでツアーに参加できたね』
***
再びバスで下に戻り、施設を見学。
短い距離だが、鉱山鉄道に乗り、景色を眺める。
石見銀山よりかなり大規模な開発が行われていた様子。
帰りは、鉱山鉄道ではなくガイドさんおススメの徒歩で。
ここの坑内や重要な施設には、大山祇神社の分詞として大山積神社が奉られていた。
施設に戻る直前からゲリラ豪雨となったが、なんとか無事にツアーは終了。
ガイドさんのおかげもあり、なかなか興味深いツアーであった。
***
豪雨の中、今治へと戻り、少し遅い昼食。
以前訪れてお気に入りとなった、『かねと食堂』さんへ。
地元の新聞を開くと、宇和島闘牛の広告が。
私はカツライス。
妻は中華そば。
遅めのお昼ご飯を済ませた後は、ホテルにチェックインし、着替えてから鈍川温泉へ。
気持ちの良いアルカリ泉に浸かり、この夏の心身の疲れをのんびりと癒す。
夜はホテルで魚料理をいただき、ビールで乾杯。 『急遽の予定変更だったけど、東洋のマチュピチュはなかなか面白いツアーだったねえ』
***
2012年8月13日(月) 朝起きると、天気予報をチェック。 今日も四国の山の上は曇りや雨の予報。
残念だけど、山のドライブは次回にしよう。 じゃあ今日は自転車を借りて、しまなみサイクリングを楽しむとしよう。
8時過ぎにサンライズ糸山へ。
今日は、大島までの往復であり、妻も一緒なので、電動アシスト自転車を選択。
『じゃあ、出発しようか!』
しばらく走ると、来島海峡大橋への入口。
ここからの登りで、電動アシストのありがたみが良く分かる。
少し蒸し暑いが、橋の上は心地良い風が吹き抜ける。
橋の上からの景色を楽しみながら、ゆるりとしたのんびりツーリング。
途中、馬島へ降りてみる事に。
狭い通路を抜けると、そこにはエレベータが。
自転車2台を積んで、地上へ。
島の道を走り、海水浴場を見学し、橋を下から眺めて、神社に参拝。
再びエレベータで橋に登り、料金を払って、大島に向けてスタート。
大島では、道の駅で一休み。
みかんソフトで疲れを癒す。 『うーん、美味い』
***
往復約2時間の妻とのサイクリング。 これはなかなか良い想い出になった。
自転車を返し、汗を流しに近くの温泉へ。 『あー、さっぱりさっぱり』
***
帰りは、お盆の臨時フェリーで岡村島へ。
当初予定していた四国の山岳ドライブは悪天候のため次回へと持ち越しになったが、別子銅山観光と、しまなみサイクリングで二日間楽しむことができた。
なかなか良い旅だったなあ。 『今回はだめだったけど、秋の天気のよい日に、また山岳ドライブを計画しよう!』