あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_旅する櫂伝馬(2) 阿賀~宮島

2010年06月11日 | 旅するシーカヤック
2010年6月6日(日) 旅する櫂伝馬プロジェクト_厳島編、二日目の朝。 今日は、5時半起床、7時出発予定。

今日は雲が少し広がってはいるが、晴れて風もなく絶好の漕ぎ日和。 これなら、昨日ほど暑くなく、長距離を漕ぐには良さそうな感じである。
 
朝食を摂り、荷物を片付ける。 『さあ、今日も頑張ろう!』
早朝にも関わらず、十人近い地元の方々に見送られながら、予定通り7時少し前に阿賀を出発した。
 
交代で漕ぐので、私は今日の出発は伴走船だ。
『トーン トーン トーン』という太鼓の音に合わせ、船頭と水夫が『ヨイサ エイサ ヨイサ エイサ』と、声を掛け合いながら漕いで行く。

静かに阿賀港を漕ぎ出した二日目の櫂伝馬を伴走船から眺めていると、ここ1年の『旅する櫂伝馬』に関わる様々な出来事が浮かんでくる。

***

『旅する櫂伝馬プロジェクト』の初めての会合では、持参した海図を眺めながら、同じく島外協力者でプロの船乗りでもあるA君も一緒になって、地元の方々と、どこを目指すかを検討したのであった。
侃々諤々、楽しい議論の末、一泊二日で行けそうな距離である事、地元木江にも所縁のある厳島神社があることなどから、目的地は宮島に決定。

夏が過ぎ、櫂伝馬競漕のシーズンも終わった秋、『一度、トライアル航海してみないか?』と提案した。
宮島までは片道約70km。 一泊二日だと、1日あたり35kmほどになる。

シーカヤックなら、これまでの経験からなんとか漕げる距離だという事は体で分かっているのだが、今回は私にとっては経験の浅い櫂伝馬。
競漕で短時間なら、時速十数キロものスピードで漕ぐ事ができる実力はあるが、何時間も漕ぎ続ける長旅での巡航速度や、風や波、潮流の中での耐航海性などが分からないと、宮島までのプランニングはできない。
 
地図で調べてみると、大崎上島一周が、ちょうど三十数キロ。 『おお。 これは、トライアル航海にちょうど良いじゃないか!』
最初は、一泊二日で回ろうという話も出たのだが、『この距離を1日で漕げないと、今回の航海はできないよ』、ということで、実行したのである。

この時も最初は、『ほんまに、宮島までいくつもりか?』 『こんなしんどい思いをして、だれが行くんよ?』 『途中は、引っ張って行くんじゃろう?』 『無理よムリ。 大三島くらいにしとけや。 あそこなら昔は行きよったんじゃけん』、などと笑顔で、そして半分本気でからかわれながらも楽しく漕ぎ進み、無事、貴重なトライアルを終えることができた。 
そしてこの時はGPSを積んで行ったので、追い潮や逆潮など、様々な状況での巡航速度も確認できたし、瀬戸内カヤック横断隊の様に、1時間漕いで休憩というサイクルも可能である事が確認できた。 『よし、これでルートプランが作れるぞ!』

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シーカヤックで海に出ない休日には、地図を眺めながらルートプランニング。 出発予定日の潮を確認し、猫瀬戸や音戸の瀬戸の潮流をチェック。
初日の難関である猫瀬戸の潮流状況から、木江の出発時刻を決定し、二日目は宮島到着予定時刻が決まっている事から、音戸の瀬戸の潮流も勘案して同じように出発予定時刻を設定する。

休日を利用して、江田島での休憩場所を探す下見に何度か通い、江田島から宮島に渡る大奈佐美瀬戸&宮島瀬戸では、実際にシーカヤックを漕いで渡って、海上交通の状況や、通過に必要な時間をチェックした。 また、昼休憩に利用させていただく桟橋の借用許可を三高漁協さんにお願いに行ったり、お昼ご飯のお弁当を配達していただける仕出し屋さんを見つけたり。
啓志君と一緒に宮島に挨拶に伺ったり、猫瀬戸から阿賀までのルートのチェック、そして今回最大の難関である音戸の瀬戸の下見へも行った。

音戸高校カヌー部への挨拶。 海上保安部への航海予定のお知らせ。

そして地元では、阿賀漁協への挨拶や、係留のお願い、地元阿賀の宿泊場所としての自治会館の借用依頼、自治会館での夕食の炊き出しのお願いなどなど。
今回の宮島までの旅のちょうど中間地点が、偶然、私の地元である阿賀であったことから、家族や両親、近所の方々の協力も得て、準備を順調に進めることができた事は、本当に幸運であった。
それに加えて、ここ阿賀は、宮島の管絃祭に『お漕ぎ船』を出している和船文化の残る港町でもあり、宮島を目指す『旅する櫂伝馬』の寄港地としては、まさにピッタリなのだ。 これらもまさに、『偶然を装った必然』の一つである。

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大崎上島一周トライアル航海から本格化した準備活動。 代表である啓志君をはじめ、大崎上島の方々と協力しつつ、そして多くの方にお世話になりながら進めて来た。 途中、啓志君の怪我による想定外の入院をはじめ、『え、これでプロジェクトが続けていけるのだろうか』、というような苦しい状況にも何度か直面したが、『絶対にこれはやり遂げるんだ』という想いで乗り切ってきた。
そしてなにより、『瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承』を実現するため、自分の夢を実現するためなので、実に楽しく充実した準備活動であった。

『もう、思い付く事はすべてやりつくした。 後悔はない。 後は、当日の天気だけだ。 神様、なんとか晴れにして下さい!』


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阿賀港を出て、音戸に向かって漕ぎ進む。 さすがに昨日の漕ぎ疲れか、あるいは飲み疲れか?、今日は休憩までの間隔が短くなっている。 雲が出て、カンカン照りではないのが救いである。
『あの岬を超えた辺りで、音戸高校カヌー部の人たちが待ってるはず。 競漕しようでえ』 早朝にも関わらず、せっかく近くまで来たのだからと、音戸高校の先生が、カヌー部の早朝練習をセッティングして、わざわざ合流して下さるのである。

レーシングカヌーとカヤック、そして先生の乗る伴走船が見えてきた。 『おはようございます。 先生、本当にありがとうございます』
 
櫂伝馬とレーシングカヌーとの競漕は、一本目はカヌーが勝ったが、それで闘争心に火のついた大崎衆はメンバーを入れ替え、本気になって二本目へ。 広島テレビのニュースで放映された通り、二本目はなんとか櫂伝馬が勝ったが、やはりレーシングカヌーは早いなあ。
『じゃあ、長旅でしょうからそろそろこの辺りで。 お気をつけて!』 『こちらこそありがとうございました。 楽しかったです!』
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競漕の後は、私も櫂伝馬に乗り込み、今回の旅の最大の難関である『音戸の瀬戸』を無事漕ぎ抜け、江田島へ。
 
穏やかな海況の中、少し予定より遅れてはいるが、旅する櫂伝馬は順調に漕ぎ進む。 伴走船からも、応援の声を掛けたり、昨日の記事が掲載された中国新聞をチェックしたり、交代まで休憩したり。
 
屋形石を超え、舳先を西に向けると、遠くに宮島が見えてきた。 『おー、あれが宮島じゃあ。 とうとうここまで来たど!』

予定より15分遅れで三高漁港の桟橋へ。 桟橋まで配達してもらったお弁当を食べ、少し休憩時間を短くして再び出発。 ここからは、私も再び乗り込み水夫となる。
大奈佐美瀬戸、宮島瀬戸を超えれば、もうそこは宮島である。
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『トーン トーン トーン』 『エイサ ホイサ エイサ ホイサ』 『みーやじま みーやじま みーやじま』
日曜日のお昼過ぎ。 多くの観光客に見守られ、声援を受けながら、大鳥居へと向かう。
『さあ、最後の一漕ぎじゃ。 頑張れ!』 『おー!』 『エイサ ホイサ エイサ ホイサ』
 
『エイサ ホイサ エイサ ホイサ』
 
夢にまで見た大鳥居を櫂伝馬でくぐり、鳥居の近くを3回まわる。 『やったどー』
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桟橋に戻ると、午後2時過ぎ。 結局一度も曳航することなく、自分達の力で漕ぎ抜くことができた。 予定より30分遅れではあるが、手漕ぎ舟なので充分予定通りと言っても過言ではなかろう。

桟橋に上がると、盛大な歓迎式。 本当にやり遂げたんだという喜びと、無事に到着したという安堵感を深く味わう。
 
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厳島神社での式を終え、宮島商工会青年部の方々との交流も楽しんだ。 『本当にありがとうございました』

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構想2年、準備に半年、そして実行は二日間。 これ以上ないという最高の天候に恵まれ、代表の啓志君を始め、櫂伝馬をこよなく愛する、多くの熱き大崎衆と一緒に実行することができた『旅する櫂伝馬プロジェクト』 こんな素晴らしいプロジェクトに関わることができて、本当に良かった。 感慨無量。

大変お世話になった宮島や阿賀の方々、途中で応援していただいた多くの方々、様々な支援をいただいた大崎上島の方々。 そして伴走車や伴走船でサポートいただいたメンバーの方々。 本当にありがとうございました。

『瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承(内田隊長)』 『終わりは始まり(佐野元春)』 『それは、感じた奴の責任よ!(内田隊長)』
このプロジェクトから、これから何が生まれて行くのだろうか。 そしてそれを経験した自分達が、何かを感じた自分達が、どう変わって行くのだろうか。 楽しみである。

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