2010年1月24日(日) 前日の強烈な西風が嘘のように治まり、穏やかな冬の朝。 岡村島の、いつもの浜から出発した。
観音崎を回り、岡村島の南岸に沿って東進していく。 遠くには、しまなみ海道の橋が見える。
記念すべき『第1次瀬戸内カヤック横断隊』でも通った、岡村島と小大下島との間の水道を北上し、小大下島の小さな港へ入る。
小さな浜にシーカヤックを揚げ、しばし島を散策。 通りで話しておられた方に挨拶すると、『どっから来た?』 『前に、広島の人が一人でカヌーで来たことがあるよ』
『これからどこへいく?』 『大下島の付近は潮流が複雑やから気をつけよ』 『子供の頃、大崎上島まで泳いで行った事があったよ』などなど。 楽しい交流の一時。
『じゃあ、大崎上島の清風館の下の浜にでも行ってみます』
***
再び漕ぎ出し、バウを北東に向けた。 穏やかな小春日和の休日。 海面はまるで湖のように波もなく、空や景色が写り込んで美しい。 『あー、気持ちええなあ。 昨日とは全然違う。 今日漕ぎに出ることができて良かったあ!』
清風館下の静かで美しい浜で、しばし休憩。 温かい紅茶を飲み、大長みかんで糖分を補給。 『うーん、美味い』
その後は、大崎上島の南岸に沿って西進し、岡村島の正月鼻に渡って出発地点へと向かう。 御手洗との間の海峡の所に来ると、南西風が吹き始めており、最後の10分程は横波とサーフィン状態でのパドリング。
少し気を使いながらも、久し振りのプチ緊張感を楽しみながらゴールした。
***
午後3時過ぎ。 小長からのフェリーで大崎上島の明石港へと渡る。 今日は、夕方から『旅する櫂伝馬プロジェクト』の打ち合わせ。
実は、何ヶ月も探しまわって先日ようやく手に入れた貴重な古書、『あるくみるきくの槙皮船(まきはだふね)の特集号』では、槙皮の産地として大崎上島の明石が紹介されていたのである。 せっかく明石に行く事になったので、櫂伝馬の親分であるFさんに伝えたところ、槙皮の事が分かる所に案内してあげようということになり、近くにある資料館に連れて行っていただいた。
↑ 『あるくみるきく_瀬戸内の槙皮船』 ↑ 手に入れた『あるくみるきく』にも写真が出ていた槙皮工場の跡
F親分に案内していただいた資料館では、実物の槙皮や、槙皮を木造船に詰めるための道具、そして同じく『あるくみるきく』に紹介されていた『舟釘』も展示されている。 貴重な資料だ。
資料館を後にすると、F親分と『旅する櫂伝馬プロジェクト』の打ち合わせ。
実行予定日が決まり、潮流を考慮しながら出発時刻と寄港予定地、タイムスケジュールを想定していく。 ワクワクする一時。
打ち合わせが終わっても、『旅する櫂伝馬プロジェクト』の志(こころざし)や、将来ビジョン、そして大崎上島の町起こしなどの楽しい話題で盛り上がる。 いやあ、面白い。 まさに瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承である。
これはたまらんなあ。
***
その後はF親分の家にお邪魔し、鍋をつつきながらお酒を酌み交わす。 『うーん、ビールが旨い』
宴の席には、F親分のお母さんも同席され、『この辺りは、昔とは変わりましたか?』 『昔はねえ、5時を過ぎたら三味線の音が聞こえてきよったんよ』という会話をきっかけに、おばあちゃんの波瀾万丈の一代記を聞かせていただきながら、宴は最高潮へ。
いやあ、最高に楽しいなあ。 『儂は、こんな一代記を聞かせてもらうんが、なにより好きなんですよ』
***
宴が終わると、そのままF親分の家に泊めていただき、翌朝は明石港まで送っていただいた。 『ありがとうございます。 本当にお世話になりました。 実行予定日も決まりましたし、私の方もいろいろと動いてみます』
ようし、これから準備や調整に頑張るぞ! 詳細が決まったら報告するので、皆さんもぜひ応援して下さい!
観音崎を回り、岡村島の南岸に沿って東進していく。 遠くには、しまなみ海道の橋が見える。
記念すべき『第1次瀬戸内カヤック横断隊』でも通った、岡村島と小大下島との間の水道を北上し、小大下島の小さな港へ入る。
小さな浜にシーカヤックを揚げ、しばし島を散策。 通りで話しておられた方に挨拶すると、『どっから来た?』 『前に、広島の人が一人でカヌーで来たことがあるよ』
『これからどこへいく?』 『大下島の付近は潮流が複雑やから気をつけよ』 『子供の頃、大崎上島まで泳いで行った事があったよ』などなど。 楽しい交流の一時。
『じゃあ、大崎上島の清風館の下の浜にでも行ってみます』
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再び漕ぎ出し、バウを北東に向けた。 穏やかな小春日和の休日。 海面はまるで湖のように波もなく、空や景色が写り込んで美しい。 『あー、気持ちええなあ。 昨日とは全然違う。 今日漕ぎに出ることができて良かったあ!』
清風館下の静かで美しい浜で、しばし休憩。 温かい紅茶を飲み、大長みかんで糖分を補給。 『うーん、美味い』
その後は、大崎上島の南岸に沿って西進し、岡村島の正月鼻に渡って出発地点へと向かう。 御手洗との間の海峡の所に来ると、南西風が吹き始めており、最後の10分程は横波とサーフィン状態でのパドリング。
少し気を使いながらも、久し振りのプチ緊張感を楽しみながらゴールした。
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午後3時過ぎ。 小長からのフェリーで大崎上島の明石港へと渡る。 今日は、夕方から『旅する櫂伝馬プロジェクト』の打ち合わせ。
実は、何ヶ月も探しまわって先日ようやく手に入れた貴重な古書、『あるくみるきくの槙皮船(まきはだふね)の特集号』では、槙皮の産地として大崎上島の明石が紹介されていたのである。 せっかく明石に行く事になったので、櫂伝馬の親分であるFさんに伝えたところ、槙皮の事が分かる所に案内してあげようということになり、近くにある資料館に連れて行っていただいた。
↑ 『あるくみるきく_瀬戸内の槙皮船』 ↑ 手に入れた『あるくみるきく』にも写真が出ていた槙皮工場の跡
F親分に案内していただいた資料館では、実物の槙皮や、槙皮を木造船に詰めるための道具、そして同じく『あるくみるきく』に紹介されていた『舟釘』も展示されている。 貴重な資料だ。
資料館を後にすると、F親分と『旅する櫂伝馬プロジェクト』の打ち合わせ。
実行予定日が決まり、潮流を考慮しながら出発時刻と寄港予定地、タイムスケジュールを想定していく。 ワクワクする一時。
打ち合わせが終わっても、『旅する櫂伝馬プロジェクト』の志(こころざし)や、将来ビジョン、そして大崎上島の町起こしなどの楽しい話題で盛り上がる。 いやあ、面白い。 まさに瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承である。
これはたまらんなあ。
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その後はF親分の家にお邪魔し、鍋をつつきながらお酒を酌み交わす。 『うーん、ビールが旨い』
宴の席には、F親分のお母さんも同席され、『この辺りは、昔とは変わりましたか?』 『昔はねえ、5時を過ぎたら三味線の音が聞こえてきよったんよ』という会話をきっかけに、おばあちゃんの波瀾万丈の一代記を聞かせていただきながら、宴は最高潮へ。
いやあ、最高に楽しいなあ。 『儂は、こんな一代記を聞かせてもらうんが、なにより好きなんですよ』
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宴が終わると、そのままF親分の家に泊めていただき、翌朝は明石港まで送っていただいた。 『ありがとうございます。 本当にお世話になりました。 実行予定日も決まりましたし、私の方もいろいろと動いてみます』
ようし、これから準備や調整に頑張るぞ! 詳細が決まったら報告するので、皆さんもぜひ応援して下さい!