錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~『新選組鬼隊長』

2013-06-08 22:53:47 | お坊主天狗・新選組鬼隊長
 『新選組鬼隊長』のデータは以下の通りである。
 東映京都撮影所 白黒スタンダード 115分 昭和29年11月22日公開
 製作:大川博 企画:マキノ光雄、山崎真一郎、玉木潤一郎
 監督:河野寿一 原作:子母澤寛 脚本:高岩肇、結束信二 
 撮影:三木滋人 美術:鈴木孝俊 音楽:深井史郎
 (配役は省略する)

 子母澤寛の「新選組始末記」(昭和3年)は、小説ではなく、新選組に関わる人々や隊士と血縁のある人々にからの聞書をもとに資料を整理した一種のルポルタージュである。新選組の「選」の字は、「撰」も使うが、子母澤によると、当時の文書では両用していたので、どちらも正しいそうだ。また、近藤勇は、「いさむ」ではなく「いさみ」と読むべきだという。
 新選組がブームになったのは、昭和40年代で、現在でも新選組マニアが多いが、私はそれほど詳しくない。新選組にあまり興味もない。司馬遼太郎の「新選組血風録」「燃えよ剣」(ともに昭和39年刊)はずっと以前に読んだことがあるが、内容はほとんど忘れてしまった。栗塚旭が土方歳三をやったテレビドラマも時々見ていた程度である。当時は気づかなかったが、テレビドラマの「新選組血風録」と「燃えよ剣」は脚本結束信二、演出河野寿一であるから、二人が新選組物でコンビを組むのは、この『新選組鬼隊長』が原点になっていたわけである。
 映画では、ほかに加藤泰監督の『幕末残酷物語』と沢島忠監督の『新撰組』を私は近年見直したが、草刈正雄が沖田総司をやった映画は昔、封切りで観たきりである。

 さて、映画『新選組鬼隊長』は、原作が小説ではないため、脚色の段階でかなりフィクションを加えている。女性の登場人物はみな架空である。新選組を離脱して療養中であった沖田総司は、実際には近藤勇が死んですぐあとに亡くなるのだが、映画では近藤が二度目に沖田を見舞いに行くと病死していたことにしている。これはちょっと問題がある改ざんだと思う。それと、そもそも近藤勇は三十代、沖田は近藤より十歳年下の二十代初めであるから、錦之助は良いにしても、千恵蔵はこの頃五十一歳で近藤を演じるには老けすぎである。千恵蔵の近藤勇はこれが初めてで、その後また二度、近藤勇を演じるが、オジン臭くて、私はどうしてもいいとは思えない。また、沖田総司は実は美青年でもなかったという話で、小説や映画やテレビドラマでは沖田総司が薄幸の美青年になっているが、これもフィクションである。
 原作の「新選組始末記」は新選組の前身の浪士組の徴集から書き始め、清河八郎、芹沢鴨といった結成当初の中心人物にも触れているが、映画はこうした前半部を省き、池田屋襲撃から戊辰戦争を経て、武州流山における新選組の壊滅と近藤勇の投降と死までを描いたものである。つまり、新選組の衰亡のほうに力点を置いた。
 映画の題名にもある通り、主役は近藤勇である。したがって、千恵蔵の登場するシーンばかりが目立つ。クレジットタイトルでは、千恵蔵がトップに一人で出たあとに、錦之助、月形、千代之介が三人並んで出る。月形は伊東甲子太郎(かしたろう)の役で、途中で登場してすぐに殺されてしまう。千代之介は『雪之丞変化』でデビューしてからなんと24本も娯楽版中篇に出演していたが、これが初めての本編出演だった。徳川慶喜の役であるが、出番は2シーンしかなく、坐ったまま話して終わりだった。沖田総司の錦之助は、千恵蔵につぐ役であった。それと重要なのはやはり土方歳三の原健策で、あと目立つ役としては、新選組隊士では永倉新八の島田照夫、藤堂平助の堀雄二、山南敬助の加賀邦男、山崎丞の清川荘司、原田左之助の永井智雄である。

 後援会誌「錦」第6号(昭和29年12月発行)の巻頭言で、錦之助は『新選組鬼隊長』で演じた沖田総司について、
沖田総司の役で肺病におかされた感じを出す為随分苦労した積りでしたが、さて試写をみてガッカリ! 余り感心しませんでした。口の悪い茂兄さんなど『ぜんそくかと思った』にはギャフンでした
 文中の茂兄さんとは、次兄の茂雄(中村芝雀)のことだ。錦之助がこれを書いたのは11月20日ごろかと思われる。
 沖田総司の肺病というのは、江戸時代には労咳と呼ばれた死病で、近代医学では結核と名づけられ、治療法が発達して現代ではほぼなくなった病気である。労咳を病んだ人物で、悲劇のヒーローとして時代劇に登場するのは、平手造酒(みき)と沖田総司であろうが、映画で沖田総司を演じることなった錦之助は、労咳患者の咳の仕方や血の吐き方を真面目に研究した。映画を観る人は、労咳患者の咳の仕方など誰も知らなかったにちがいない。だから、何もそれほどリアルに演じることもなかったのだが、いい加減にやるということがこの頃の錦之助にはできなかった。錦之助は、労咳の感じをリアルに出そうと懸命になった。その頃上映されていた松竹映画『忠臣蔵』で毛利小平太に扮した鶴田浩二の咳の仕方が参考になると人から聞いて、三回も映画館へ通って勉強したほどだった。また、以前、沖田総司の役を演じたことのある原健策からも教わったという。
 「血が出る時はキャンキャンというほど高い調子で、ヘドを吐くように、ふだんのセキは軽くといったコツで演じました」(「あげ羽の蝶」)と、錦之助は苦心談を語っているが、結果的にはうまく行かなかった。今『新選組鬼隊長』を見ると、錦之助の沖田総司は咳き込んだり、血を吐いたりする場面が多すぎるような気がしないでもない。それだけ錦之助の沖田が登場する場面が多いので、仕方がないとも言える。沖田総司はこの頃の錦之助には適役だったとはいえ、映画を観ると決して上々の出来ばえとは思えない。近藤勇を先生と慕いながら、恋人にも誠意を尽くすといった一本気で単純すぎる人物像なのである。また、斬り合いの途中で、血を吐くので、殺陣(たて)のほうが中途半端になり、天才剣士と言われる沖田総司の剣の凄さが発揮されないまま終ってしまった。
 そして、錦之助の立ち回りは、この頃はまだ上手とは感じられない。良くないと思う点がいくつかある。まず、刀を持った時の構えが決まっていない。刀を振るスピードが速すぎるので、刀の重みが伝わらない。体勢を低くした時に腰が引ける。一番良くないのは、人を斬るたびに口を開けて、「エイッ」というような声を発することである。この癖が直るのは、ずいぶんあとになってからのような気がするが、今度確かめたいと思っている。
 立ち回りの時に、錦之助は千恵蔵から注意を受けた。それは、沖田は剣が好きな男なんだから、自分で斬り込んでいく気迫がこもらなければいけない、ということであった。
 錦之助の相手役は田代百合子だった。あぐりという名の娘である。これは架空の人物で、京都の医者の娘という設定になっていた。田代が恋人役になるのは、『お坊主天狗』に続いて二度目であるが、決死の覚悟で旅立つ錦之助を強引に引き留めるという田代の役どころは『お坊主天狗』と同じである。『新選組鬼隊長』では床に就いた錦之助を看病するが、のちにオールスター映画『赤穂浪士』で田代が錦之助の小山田庄左衛門の恋人役を演じた時も、似たような役どころだった。怪我をした小山田を看病するのは良いが、討ち入りへ行く小山田を必死で引き留めて、男子の本懐を遂げさせない。おとなしそうで恥じらいのある娘なのだが、一途に思う気持ちから最後は頑として意志を貫くので、男にとっては振り切るのに苦労する女である。




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