錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『新選組鬼隊長』

2006-03-24 17:56:21 | お坊主天狗・新選組鬼隊長

 『新選組鬼隊長』は、昭和29年11月公開。錦之助が東映でデビューした年に作られた映画である。この作品は、もちろん、大人向けの映画で、同年公開された『笛吹童子』のように子供向けの娯楽作ではない。白黒映画だが、2時間近い大作である。原作は子母澤寛の『新選組始末記』で、監督は河野寿一。主役の近藤勇は片岡千恵蔵。若き錦之助は準主役、沖田総司を演じている。原健策が土方歳三、山南敬介が加賀邦男、島田照夫(片岡栄二郎)が永倉新八、藤堂平助が永井智雄、ほかに月形龍之介、薄田研二、山形勲、千田是也、青山杉作も出演していて、東千代之介が徳川慶喜役である。女優陣は、沖田(錦之助)の恋人役に田代百合子、ほかに、喜多川千鶴、千原しのぶも加わり、水戸光子も客演している。これは当時にしてみれば、ほぼオールスター・キャストの東映作品だった。(市川右太衛門と大友柳太朗が出演していないだけで、この頃大川橋蔵はまだ東映に入社していなかった)

 この映画は、東映時代劇には珍しく、異色の作品だった。昭和29年度の芸術祭参加作品でもあり、大衆的なチャンバラ時代劇という娯楽映画の枠を越え、東映スタッフが意欲的に製作に取り組んだことが、内容的にもひしひしと感じられる。要約して言えば、士道を重んじる新選組が、時代の転換期のなかで取り残され、古い価値観と共に破滅していく過程が描かれている。そして、その姿を隊長近藤勇の人間的な内面の葛藤を通じて捉えたところに特長があった。近藤勇は、新選組を率いる指導者でありながら、隊員思いの人格者で、「誠」を誓う同志の隊員たちへ常に暖かい目を向け、死んだ隊員を哀惜する気持ちも忘れない人物である。しかも、妾のような女まで居て、男女の機微も解する愛情豊かな人物でもある。土方歳三も過激だが人情味があり、労咳の沖田総司の悲恋にまでスポットを当てる。
 近藤勇と新選組をこうした視点で描くことは、今なら当たり前であるし、そのあわれな末路が新選組愛好者たちの共感を呼ぶのだろうが、この映画はその先駆的役割を担っていたようだ。子母沢寛の「新選組始末記」は彼のデビュー作で昭和3年に発表されたが、この原作の本格的な映画化はこれまでなかったようである。また、『新選組』は戦後この作品以前にも千恵蔵主演の三部作が東映で映画化(昭和27年)されたが、これは村上元三の新聞連載小説が原作である。(千恵蔵は隊士の一人秋葉守之助で、近藤勇は月形龍之介)『新選組鬼隊長』で、千恵蔵は初めて近藤勇を演じることになるが、この総集編的大作は、後に続く「新選組」ブームへの火付け役になったとも言える。ちなみに、この頃はまだ、司馬遼太郎の『新選組血風録』も『燃えよ剣』も世に出ていなかった時代である。

 この映画は、池田屋襲撃から始まるが、この場面が圧巻だった。祇園祭の夜の喧騒を背景に、すさまじい斬りあいが演じられるのだが、その描写が実にリアルである。今の映画顔負けのその迫力に驚く。千恵蔵の刀さばきも重量感があって凄いが、殺陣と演出が一体化して見事だと感じる。白黒映画なので血の色こそ見えないが、それが逆に効果的で、冷たい戦慄を覚えさせる。ところで、錦之助の殺陣は腰が引けていて、刀の扱いもまだまだという感じだった。

 池田屋襲撃の後は、新選組の盛衰が年代記的に描かれていく。が、重点はむしろ衰亡の方にあった。隊員が増えすぎたためにまず内部分裂が起こり、また創立時からの同志の離反があったりして、新選組は弱体化していく。さらに大政奉還後は、薩長連合軍との何度もの戦いによって、新選組は窮地へと追い詰められていく。砲弾の嵐に遭っては、鍛えた剣の腕も無力に過ぎない。新選組の残兵はいったん郷里へ帰り、隊を立て直してから、武州流山で官軍との最後の一戦に臨む。

 あらすじはこんなところだが、片岡千恵蔵はこの映画ではほぼ出ずっぱりで、重厚だが悲哀を漂わせた演技を見せていた。千恵蔵のセリフ回しはもぐもぐしただみ声で、聞き取りにくく、実を言うと、私はあまり好きではない。悪いが、古臭いと感じることもある。ただ、この映画では、彼の時代がかった口跡と所作が、皮肉にも、滅びゆく士道を象徴的に代弁しているようで、かえって感慨深く感じられた。土方の原健策はなかなか良かった。錦之助は当時まだ22歳で、頼りなさを感じないわけにはいかなかった。この後すぐに飛躍的な成長を遂げることになるのだが、この時点ではまだ若い美剣士に過ぎないように感じた。
 


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