錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~映画界入り(その1)

2012-11-15 15:13:45 | 【錦之助伝】~映画デビュー
 歌舞伎座の楽屋に雑誌「花道」(はなみち)の記者が錦之助を訪ねにきた。本間昭三郎という青年だった。本間は新潟から上京し、「花道」の記者になり、ずっと歌舞伎役者たちの取材をしていた。大の芝居好きだった。「花道」は歌舞伎専門の月刊誌で昭和二十三年創刊、昭和二十七年に一年休刊するが、昭和二十八年に復刊していた。編集は梨の花会という歌舞伎愛好家のグループだった。本間は吉右衛門や時蔵にもインタビューして好感を持たれ、それが縁で播磨屋一門とも知り合いになった。また、楽屋に出入するうちに同世代の若手役者たちとも友達になった。錦之助も半年ほど前から彼と付き合っていた。
 その本間が錦之助に思いがけない話を持ってきたのだった。
美空ひばり主演の今度の映画で相手役を探しているのだけれど、ひばりのプロダクションの社長に一度会ってみませんか」と本間は切り出した。もちろん、錦之助は美空ひばりに会ったことはなかったが、人気歌手で映画にも出演しているひばりのことは知っていた。美空ひばりは一年半ほど前に歌舞伎座で二日間だけだったが公演をしたことがあり、歌舞伎役者たちの間でも話題になった。が、役者たちの間では歌舞伎座の舞台を汚されたと言って、評判が悪かった。「舞台の板を削れ」と言う者さえいた。錦之助はそれほど目くじら立てて怒るほどのことでもないと思っていた。錦之助はひばりの歌も耳にしていたし、ひばりが北上弥太郎と時代劇で共演していることも知っていた。北上弥太郎は、関西歌舞伎のホープ嵐鯉昇だった。錦之助は大阪歌舞伎座で二、三度共演したこともあり、顔見知りだった。そして若手の歌舞伎役者の中ではいち早く映画界に本名でデビューし、人気を集めている。
 錦之助は美空ひばりの相手役候補に自分が上ったことに驚いた。ひばりが所属している新芸術プロダクション(新芸プロ)と、その社長の福島通人(つうじん)という名前を聞くのは初めてだった。映画は新芸プロ製作の時代劇で、吉川英治原作の「ひよどり草紙」だという。錦之助は、東映からの話の時と同様また断られるかもしれないと内心思いながら、その福島という人に会うだけ会ってみようかと思った。それで本間にオーケーした。
 ところで、なぜ、本間昭三郎という雑誌記者が錦之助にひばり主演の「ひよどり草紙」の話を持ちかけてきたのか。実は、松竹演劇部の某氏から新芸プロ社長福島通人に引き合わされ、ひばりの相手役に誰か歌舞伎の名門の御曹司で二十歳前後の容姿のいい若手役者を探して映画に出演するかどうか打診してくれと依頼されていたのだった。
 美空ひばりの主演映画「ひよどり草紙」の企画はすでに製作開始の一歩手前まで進んでいた。しかし、ひばりの相手役だけがまだ決まっていなかった。
 少しさかのぼって、企画の経緯をたどってみよう。この頃、美空ひばりは十六歳になり、色気も出てきて娘らしくなっていた。そこで、そろそろ映画の役も子供っぽい役ではなく、若い男に恋をしてそれが実るようなロマンスの主人公をやらせてみよういう企画が上った。が、現代劇ではリアルすぎる。夢のあるおとぎ話のような時代劇が良かろう。これは横浜国際劇場の時からずっとひばりのマネージャーを勤め、ひばりをスターに育て上げ、昭和二十六年五月に新芸術プロダクションを設立して今や社長の座にある福島通人のアイディアだった。昭和二十八年秋のことである。ちょうどこの頃、福島の遠縁にあたる旗一兵が新芸プロの製作部長をやっていて、福島が旗に何か良い作品はないかと相談すると、吉川英治の「ひよどり草紙」はどうかと提案した。「ひよどり草紙」は、吉川英治が「少女倶楽部」(大正十五年一月~昭和二年三月号)に連載した少女小説だった。
 朝廷から徳川家に賜った珍鳥紅ひよどりを江戸に護送する途中、曲者に襲われひよどりに逃げられてしまう。護送に当たった二人の武士は切腹を命じられる。そこで二人の武士の息子筧燿之助と娘玉水早苗がそれぞれ自分の父を救うためひよどりを探す旅に出て、曲者たちと戦いながら無事見つけて持ち帰る。その間に燿之助と早苗に愛が芽生えるという物語。メーテルリンクの「青い鳥」を趣向を変え、時代劇に潤色したような話だった。
 福島は大いに乗り気になり、それでこの企画は進んでいった。
「ひよどり草紙」は戦前にも二度映画化されているが、昭和二十七年、つまり前年にも映画になっていた。宝プロ製作、東映配給、監督加藤泰、主演は星美智子と江見渉(俊太郎)であった。この映画はそこそこヒットしたが、主役の二人が老けていた。二人は当時二十五歳と二十九歳だった。そこで今度は十六歳のひばりとピチピチした若い新人でやらせよう。製作は新芸プロ、配給は松竹で決まった。旗一兵はすぐに吉川英治に会い、原作権の承諾を得て、脚本を八住利雄に依頼した。
 ひばりにヒロイン早苗をやらせるにして、問題はひばりの相手役燿之助だった。時代劇だから歌舞伎の有望な若手役者にやらせるのが最適だということになったのだが、北上弥太郎は時代劇映画「山を守る兄弟」でひばりと共演したばかりである。この時、北上が兄で、ひばりは弟の少年役だった。それに北上はいろいろ女性との噂もあり、適していない。関西では扇雀雷蔵が候補に上った。福島はブロマイドを見て今一つピンと来なかった。歌舞伎にも詳しい旗は、東京の若手なら橋蔵か錦之助でしょうと言った。そこで、福島は早速松竹演劇部の知人に電話をかけた。その知人は自分が表立って動くわけにはいかないので、橋蔵と錦之助の二人と仲の良い、雑誌「花道」の記者を内密で福島に紹介した。それが本間昭二郎だったのである。
 歌舞伎座に近い料亭「ひろた」で本間は初めて福島通人に会った。旗一兵も同席していた。本間は映画「ひよどり草紙」の企画の話を聞かされ、福島から、ひばりの相手役に二十歳前後で容姿のいい人を探してくれないかと言われた。旗は橋蔵の名前を挙げた。が、本間の頭に真っ先に浮んだのは錦之助だった。

 以上のことは、上前淳一郎著「イカロスの翼 美空ひばり物語」(1978年11月発行 講談社)を参考に(彼は本間昭三郎自身に話を聞いたのだと思われる)、錦之助の側から私が既知のことを補足し、多少脚色をほどこして書いたことである。




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