錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『雨の花笠』

2006-04-04 00:16:46 | 旅鴉・やくざ

 島倉千代子の古い歌は今でもたまにカセットで聴いている。聴いていると目頭が熱くなり、涙がにじむこともある。私は島倉千代子の歌に弱い。特に『からたち日記』と『東京だよ、おっかさん』がダメだ。条件反射的につい涙腺が緩んでしまう。か細いようで芯がある、明るいようで物悲しい、あの透き通った声が、いつも胸にしみる…。

 『雨の花笠』(1957年)は、錦之助が島倉千代子と最初で最後に共演した映画だった。美空ひばりとは錦之助のデビュー以来数作共演しているが、ひばりは姐御肌の陽性タイプ。どちらかと言えば、明るい錦之助の恋人役には可憐で控え目な島倉千代子の方が合うようだ。この映画を観ていて、そんな気がした。昭和30年代には島倉千代子も数多く映画に出演していて、私は子供の頃母に連れられて何本か映画を見たことがある。昔の彼女は女優としても好きだった。お姉さんにしたい女性のように感じていたが、それも今では懐かしい思い出だ。

 股旅物のこの映画、錦之助が人情味あるやくざを演じた作品だった。監督は内出(うちで)好吉で、錦之助の映画デビュー作『ひよどり草紙』(1954年松竹作品)でメガフォンをとった監督でもある。撮影は名手三木滋人。スタンダード・サイズの白黒映画だった。行方不明になった母親を探しながら旅をしている姉弟を島倉千代子と子役時代の松島トモ子が演じていたが、錦之助とこの二人とのからみがほほえましい。島倉千代子が歌を披露する場面は、情感がこもっていて味わいがあった。松島トモ子も演技がうまいなと感心した。さて、話の筋はこうだ。峠の新太郎という名のやくざが錦之助で、もとは江戸の料亭の息子だったが、タチの悪い客をあやめたため、江戸を発ってずっと股旅をしていた。しかし、まっとうな道に戻ろうと、刀を封印し、真面目に働いて貯めた金を持って今母親に再会する帰途にある。それが、やくざに難癖を付けられた島倉と松島の姉弟を救ってやってから、思わぬ展開に向かう。彼らの母親探しを手伝っているうちに、新太郎は極悪非道なやくざの一家との争いに巻き込まれ、我慢していた封印をついに解く。

 『雨の花笠』は、大人向けに作られた映画だが、子供が見ても分かる簡明な内容だった。悪い意味ではない。いかにも古き良き時代に作られた娯楽映画とでも言おうか。勧善懲悪のストリーに、母親への思慕と男女の恋心を織り込み、明るく見終わってすっきりとする作品だった。
 最初のお祭りの場面で主人公の新太郎はひょっとこのお面をかぶって登場する。お面の中からもぐもぐ話すので声も違う。それが、やくざをやっつけようとする直前、さっとお面を取る。顔を見せた錦之助の若くて晴れやかなこと!そして、歯切れのいい言葉が口をついて出る。昔なら映画館でも待ってましたとばかり、観客の歓声と拍手が起こるところだ。ここで立ち回りが始まるが、錦之助は封印した刀を決して抜かない。刀を振り回すやくざたちに素手で対抗し、次から次へと投げ倒し、蹴り倒す。映画の途中にもまた立ち回りがあるが、ここでも刀を抜かない。同じようにやくざをなぎ倒す。刀を使わないで暴れ回る錦之助が実に格好良い。ダイナミックで、しかも颯爽としているのだ。しかし、最後はやくざの家に乗り込み、あまりの悪辣ぶりにとうとう刀を抜き、堰を切ったように大暴れする。二十数人を相手に斬りまくるのだ。東映末期高倉健が演じたやくざ映画の殴り込みと図式は同じだが、立ち回りが全然違う。この映画のラストは、暴力的で凄惨な感じがまったくしなかった。人の斬り方、斬られ方に段取りがあって、流れるような動きの中にも振り付けられた所作なようなものを感じるからなのだろう。
 この映画の悪役では、親分役の佐々木孝丸が良かった。原健策は、腕の立つ浪人で、女に愛想を尽かされ、錦之助を逆恨みする役だったが、これがまた良かった。この二人、最後に錦之助に斬られるのだが、死に方も様になっていたことを付け加えておく。



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