『恋風道中』(1957年)をビデオで観た。これは初めて観る映画だったが、面白くて、おかしくて、笑いの連続だった。ビデオを観ている私の顔を運悪く誰かに見られでもしたら、きっと馬鹿じゃないかと思われたことだろう。中年男が古い白黒映画を見ながらブラウン管の前でニヤニヤしたり、笑いころげたり…こんな姿はまったくサマにならない。こういう楽しい映画は、部屋を暗くして、誰もいない所で一人ゆっくり観るに限る。この映画、作品の出来も良し、錦之助も良し、といった具合で、私の満足度ほぼ100パーセントだった。
『恋風道中』は、軽喜劇と言おうか、ラブ・コメディと言おうか、ともかくその時代劇版である。錦之助はイカサマ師のやくざで、二枚目役ではなく、二枚目半。これがいい。若くて、威勢が良くて、無鉄砲で、しかし、美しい娘に惚れたりすると、実はウブで、生真面目で、要するに娘心というものがよく分からない。こういう錦之助が、すこぶる付きで良いのだ!二十代半ばの若い頃の錦之助でなければ、こうした役は絶対にできない。正直言って、少年剣士みたいな役より、江戸っ子のアンちゃんに扮した錦之助の方が、今の私にはずっと魅力的に見える。
錦之助が演じる江戸っ子やくざ、通称「二六の長吉」、イカサマ博打で「二六の丁」の目を出し、金を巻き上げるのが得意技。金持ちと見ればスリもやる。喧嘩も強い。ただ、人情もろく、金に窮した貧乏人にはあり金全部恵んでしまうほどの人の良さ。長吉と弥次喜多のように旅をしている弟分のやくざが田中春男扮する権次。大阪弁を遣うとぼけた男で、人は良いがこれと言った取柄もなく、不精ヒゲで風采も上がらない。この二人の絶妙のコンビが、大河内伝次郎の目明しの半五郎に追われて逃走中に、二人の美しい娘に出会う。一人が長谷川裕見子演じる大店のお嬢様で、口説かれた男を捜し求め、家出してきたところ。もう一人が初々しい大川恵子演じるお供の女中。それにお嬢様を探す大店の番頭(山茶花究)が加わって、追っかけ劇が始まる。
長吉と権次の男二人、お嬢様と女中の娘二人がいっしょに伊豆下田街道を旅している間に、恋心が芽生え、二組のペアが出来上がる。旅の途中で、天城の山賊退治をしたり、野宿したり、いろんな事件があって、旅の終わりに到着地で泣く泣く別れる。その後、それぞれが江戸に帰り、またすったもんだがあって、最後は長吉・権次とも真人間になって恋人を射止め、めでたし、めでたし。まあ、こういったストーリーなのだが、入り組んだ話をうまくまとめ上げ、見せ場もたっぷりだった。脚本は中山文夫(松村昌治のペン・ネーム)、監督は松田定次で、脚本も巧み、監督の手腕も並々ならぬといった快作に仕上がっていた。松田監督は東映のオール・スター作品を任されるだけあって、さすがに手慣れたもので、脱帽した。
面白かったところをいくつか挙げると…。前半の男女二組のハイキング・シーン(?)では、お嬢様(長谷川裕見子)がカエルやムカデが出て来るたびに大袈裟に恐がって長吉(錦之助)に抱きつく場面。それと、川辺でアウトドア・クッキング(?)みたいなシーンがあり、長吉と権次(田中春男)が裸で川の中に潜って魚を捕まえ、川岸にいるお嬢様と女中(大川恵子)目がけてぽんぽん投げるのだが、二人の娘がその魚(ホンモノで、ピチピチはねていた)をキャッチする場面がおかしかった。長谷川裕見子は必死で手づかみしていたが、大川恵子は嫌がっているように見えた。後半では、江戸の実家に帰ってからお嬢様が恋わずらいにかかり、部屋にこもっているところを目明しの大河内伝次郎が、障子に穴を開けて覗き見する場面。大河内が障子の紙を舌先でなめて、穴を開ける描写が細かいのなんの!大笑いてしまった。この映画での大河内のおかしさは格別だった。面白い場面はまだまだあったが、書ききれない。
ちょっと気になったところは…、田中春男と大川恵子が惚れ合うことになるのだが、年齢差から言っても、美醜の差から言っても、明らかにミス・マッチだなと感じた。美女と野獣、いや少女と中年エロ男じゃないか!若くて可愛い大川恵子が私にはとても可哀想に思えた。田中春男の相手役はもっと年増の十人並みの女優で十分だった。
ほかに共演者では、人気歌手の春日八郎がゲスト出演、ラストでは美声も披露する。桜町弘子も伊豆の踊り子のような役で出ていて、口パクで(吹き替えで)歌を歌ったり、踊ったりで、活躍していた。また、山形勲の山賊の親分が豪快で良かった。さらったお嬢様(長谷川裕見子)を力づくで抱き寄せるところなど、山形が本気で、裕見子さんが嫌がっているのがありありと見てとれた。進藤英太郎がめずらしく悪役ではなく、話のよく分かる大店の主人で、お嬢様の父親役であった。さすが芸達者、こういう役も進藤はうまいもんだと思った。
これは余談だが、錦之助はヘビ・トカゲなど這う動物が大嫌い、それと高所恐怖症で有名だった。この映画には錦之助がこの二つの弱点を克服しなければならないシーンがあった。これは松田監督の茶目っ気たっぷりのイタズラで、錦之助ファンに対するサービスだったにちがいない。
「恋風道中」は高校生のころ、テレビ放映のカット版で観たきりです。松田定次、錦之助なのにモノクロ映画だったんで、どうしてだろうって思った記憶があります。あとになって、このころの主演スターに年に1本、モノクロで撮ることが契約条項に入っていたと知り、納得しました。この二人、あまり仲がよくなかったと聞いていますが、このころ、まだ錦之助に拒否権を発動するほどの実力はなかったのかも。
ところで、わがブログへのご訪問、ありがとうございます。
加藤泰映画は子供のころ、錦之助主演なら「源氏九郎颯爽記 濡れ髪ニ刀流」や「瞼の母」、橋蔵主演なら「緋ざくら大名」や「紅顔の密使」「炎の城」などを観ているのですが、加藤泰という名前まで記憶にひっかからなかったです。松田定次、マキノ、沢島、佐々木康、内出好吉、深田金之助などなら、あの当時から知っていましたが、スッポリ加藤泰は抜けています。ずっと抜けたままで、出会いは任侠映画からになりました。
「車夫遊侠伝 喧嘩辰」は今度、機会があれば是非ご覧ください。
具隆さんの映画特集、いいですね。関西でもやらないかなぁー。全部観ていませんが、戦前なら「路傍の石」、戦後なら「五番町夕霧樓」が好きです。
わがブログ、まだまだ未熟ですが、今後もよろしくお願いします。
では、また。
「喧嘩辰」はDVDも発売されたようなので、今度借りて、観てみます。
田坂監督の『五番町夕霧楼』は私も大好きです。『湖の琴』も好きかな。私は東映の女優では佐久間良子がダントツに好きなんですよ。藤純子よりずっと。藤ファンの青山さんには申し訳ない。藤純子は『アチャラ社員』のときに目を付けていましたが、演技面の成長という点ではどうでしたかね?佐久間さんには勝てないのではないでしょうか。(ケンカをふっかけているようで、スミマセン!)
今日は、徹夜で『瞼の母』を書き込みました。二日で3度観ましたよ。加藤泰、相当褒めておいたので、お許しを!でも『沓掛時次郎』の方が、個人的には好きですね。『関の弥太っぺ』はその下、です。
でしたね。
全く素人の私などは、監督が誰、原作は?、脚本が誰というようなことを考えずに見ていた
のですが、最近は、そういうスタッフのことに
も関心がゆくようになりました。
恋風道中は、助監督として澤島忠の名前が
載っていましたね。
一心太助が翌年に上映されているから、太助の
土台になるアイディアもこの頃から暖めて
いたんでしょうね。
江戸っ子長吉と浪花の中年男、権次の絶妙の
コンビに、早縄の半五郎の大河内伝次郎と
近江屋徳兵衛の進藤英太郎が、お美代の部屋
を探りに行く時の間合いや表情が楽しかった
ですね。つい悪役や真剣な役どころを見ている
ので余計に面白かった。
「お富さん」で大ヒットした春日八郎が出演
して、主題歌「大江戸飴売り歌」を唄って
ましたが、当時のファンを喜ばせたことで
しょうね。
最初の道中師の長吉は、二枚目半の面白さが
あり、立て板に水のような台詞に惚れ惚れ
させられます。堅気になって駕籠屋を始めた
長吉は、二枚目の悩みや悲しさを心に持つ人間
を表現して、またここで、しびれるのですね。
ひとつ判らないのが、賭場でいかさまを見破
られそうになった時、どうして鴨居の上に
賽が乗っていたのかということです。
この映画も上映会で取上げて、みんなで笑う
のもよいかもしれませんよ。
沢島忠は、ずっと松田定次のチーフ助監督だったので、この映画でもそうでしたね。松田監督は、戦前はこうした軽喜劇も撮っていたようですが、オールスター映画とか大作を監督することが多くなって、この頃「恋風道中」のような映画を作るのは珍しかった。それにモノクロですしね。彼はテクニックも構成力も抜群の監督ですから、こういう映画はお手のもんといった感じなんでしょうね。
錦之助は、演技が上手くなってからは、松田監督の映画に出ることを敬遠していたようですが、オールスター映画をはじめ松田作品の錦之助はどれも良かったと思います。「忠臣蔵」の内匠頭とか、「次郎長物」の石松・鬼吉、「水戸黄門」の殿様・火消し、みんな印象に残っています。(後年の二、三作はマキノ監督が演出したと言ってますが…)
春日八郎は、演技が頼りなかったですね。大ヒット「お富さん」。懐かしい歌ですね。
前置きが長く成りましたが股旅もので最初に注目したのが“恋風道中”である。それまでの「越後獅子祭り やくざ若衆」「雨の花笠」は二枚目のカッコ良さだけでしたが“二六の長吉”(小生ビデオで再見するまで長次と思い込んでいた!)の軽薄なチョイ悪のキャラにすっかりのめり込んで仕舞いました。いかさまバクチのサイコロが長押を探すチンピラのもうひとつ上の鴨居に乗っている場面や大河内傳次郎の岡っ引きの出現を田中春男の“権次”がクシャミで予知する(エノケンのチャッキリ金太のパクリ!そして金太はキートン映画からのパクリと聞く?)シーン等が記憶に残っている。ところでこの映画“松田定次監督”と成っているが小生の考えではチーフ助監督で有った“沢島 忠”が大半の部分を演出したのではないかと思っている、特に前半のやくざ時代の山賊とのドタバタは沢島そのものである!
年末を控えオールスターの正月映画“任侠東海道”の準備に忙しい“松田大監督”が人気スターの錦ちゃん作品とは言え“白黒映画”の二級作?を敬遠し“両御大”の作品を優先した結果チーフの沢島 忠に任せた!!その結果、錦ちゃんが松田監督を敬遠しだした!!
小生の穿ちすぎた想像であろうか?
話が小生の勝手な思いこみの話になって仕舞いましたが、この作品で錦ちゃんの“股旅もの”を注目し「風と女と旅烏」「浅間の暴れん坊」と続き別格の「弥太郎笠」から“長谷川 伸”三部作「瞼の母」「関の弥太っぺ」「沓掛時次郎 遊侠一匹」で日本映画最高の股旅ものと評価を得る、その間「股旅 三人やくざ」と言う一味違うやくざをも演じて魅せる、正に錦ちゃんは“エンターテーメント”で有る。
あと、股旅ものではありませんが、石松と次郎長も錦之助が最高だと私は思っています。
ところで、「恋風道中」の演出のことですが、助監督の沢島忠がどの程度手伝ったかについては実のところ分かりません。「隼人族の叛乱」と「ゆうれい船」は、三分の一くらいを、自分が撮ったと沢島氏自身が語っていますね。(「沢島忠全仕事」にコメントがあります。)でも、「恋風道中」については、ほとんど語っていません。松田監督は「ほんまはこういう軽いもんが得意なんです」と言っていたそうで、撮影が毎日早めに終わって非常にスムーズに運んだようです。確かに、この頃松田監督は、大忙しの上に体調もすぐれず、いろいろ沢島氏に任せていたので、「恋風道中」も相当彼が手伝ったことは疑いありません。この映画は、脚本の松村昌治(ペンネーム中山文夫、松田定次の愛弟子)と沢島忠の協力が大きく、この二人をうまく生かして、娯楽映画の佳作にまとめ上げたのはやはり松田監督の才腕だったのでしょうね。私は、松田定次という監督を高く評価しているので、そう思います。沢島忠は、助監督時代、映画作り方に関し、スピード感と構成のテクニックは松田定次から学んだはずです。
錦之助と松田監督との不和がいろいろ言われていますが、錦之助自身は何も語っていません。マキノ雅弘監督が裏話を書いていますが、マキノさんの話は、誇張が大きく、眉唾なところがあるので、どうも信用ができません。松田監督の演出は、俳優の創意工夫を入れる余地が少なく、型にはめすぎるので、錦之助がそれを嫌っていたとのことです。また、オールスター映画の序列の問題もあったのでしょう。そのため、疎遠になった気もします。松田監督は大川橋蔵の映画を好んで監督するようになり、錦之助は、松田監督の娯楽作品を軽んじて、外様監督の内田吐夢、伊藤大輔、田坂具隆の三巨匠に心酔し、彼らの作品に好んで出演するようになった。それも、二人が袂を分かつ大きな原因になったように思います。