錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『越後獅子祭り やくざ若衆』(その3)

2015-05-15 08:39:12 | 旅鴉・やくざ
 錦之助は昭和29年5月に東映と専属契約を結んだが、『里見八犬伝』『紅孔雀』など会社のお仕着せ映画に出演しながら、どうしても自分が演じてみたい主人公があると、その作品の映画化を製作部長のマキノ光雄や京都撮影所長の山崎真一郎に直談判して、実現させている。その最初が、『唄ごよみ いろは若衆』で、二作目がこの『越後獅子祭り やくざ若衆』であった。
 当時の東映で、企画段階から自分の主張を通すことができたのは、千恵蔵、右太衛門の両御大だけだった。二人とも東映の重役であったし、千恵蔵には玉木潤一郎、右太衛門には大森康正、坂巻辰男といったお抱えプロデューサーがいて、企画をスムーズに通していた。錦之助は、東映入社後1年間に2本自分のやりたい作品を映画化したわけだが、これは他の東映俳優ではあり得ない特例であった。錦之助の東映との契約条件は詳らかではないが、専属俳優のなかでは別格の待遇で、非常に恵まれていたことだけは間違いない。人気も急上昇し、東映の若手看板スターとして将来を嘱望されていたことも大きいが、錦之助の映画にかける意欲と熱意が並外れていたからだと思う。
 東千代之介は、東映入社以来、ずっと会社に命じられた作品に出続けていた。添え物の娯楽中篇ばかりで、「デビューして一年間に映画に何本出ましたか」という質問に対し、千代之介自身、「ぼくは29部と1作なんですよ」と笑って答えていた。『雪之丞変化』(三部作)に始まり、『笛吹童子』(三部作)『里見八犬伝』(五部作)のあとも、『霧の小次郎』(三部作)『蛇姫様』(三部作)『三日月童子』(三部作)『龍虎八天狗』(四部作)と続き、本編『新選組鬼隊長』に徳川慶喜役でちょっとだけ出演し(これが1作目で、本編初)、さらに『紅孔雀』(五部作)に出た。給料と出演料は、錦之助の十分の一程度で、錦之助とは雲泥の差であった。当時千代之介の出演料は1本5万円、錦之助は1本50万円だったようだ。錦之助は、『霧の小次郎』や『龍虎八天狗』に出演を依頼されたが、断っている。

 錦之助の主演作は、昭和30年初めまで、新芸プロ社長の福島通人がプロデューサーを引き受けていた。福島は、錦之助の映画デビュー作『ひよどり草紙』からの付き合いで東映作品にも携わったのだが、錦之助は美空ひばりと疎遠になるにつれ、東映社内に自分の主演作専門の企画者兼プロデューサーがいた方が良いと感じ始めた。そこで、兄の小川三喜雄(のちに貴也)が東映に入社(昭和29年9月)して、錦之助専門のプロデューサーになったのだった。三喜雄が初めてプロデュースに参加したのは『海の若人』であるが、この映画の企画は、坪井与(東映)、福島通人、小川三喜雄の三者になっている。あいにくこの錦之助初の現代劇はヒットせず、錦之助とひばりとの関係もこれで終止符が打たれるのだが、その後、三喜雄はプロデューサーとして強力に錦之助をバックアップしていく。彼が手がけた最初の話題作は、『紅顔の若武者 織田信長』であった。

 話を『越後獅子祭り やくざ若衆』に戻すと、この映画の企画者は福島通人で、新芸プロの製作部長旗一兵が脚本に関わっている。ということは、もともと錦之助の相手役には美空ひばりを予定していたのではないかと思われる。旅回りの女歌舞伎の座長桜川小陣の役である。小陣は子供の頃半四郎と同じ角兵衛獅子をやっていて、その後離れ離れになったが、半四郎と彼女は互いに初恋同士だった。美空ひばりは、『鞍馬天狗』で角兵衛獅子の杉作をやったこともあり、ヒット曲に「越後獅子の唄」と「角兵衛獅子の唄」もあり、この役にはぴったりだったはずなのだ。『満月狸ばやし』同様、錦之助とひばりの共演が流れ、相手役が高千穂ひづるに代わったような気がしてならない。
 この映画を見るとわかるが、小陣役の高千穂ひづるがどうもしっくり行っていない。高千穂ひづるは、『笛吹童子』の胡蝶尼とか『紅孔雀』の久美のような童子物の少女に近いヒロインなら良いのだが、まだこの頃は、時代劇で大人の女性の役をやるには中途半端だった。色気もなく、もの悲しさや暗さも出せない女優だった。旅回りの女芸人など、いちばん向かない役ではなかったか。長谷川伸の戯曲で小陣はお小夜ちゃんといい、半四郎より5歳ほど年下で、妹のような存在だった。それを、映画では名前をおきくちゃんと変え、半四郎より2歳年上の姉さのような設定にしている。これは当時の錦之助(22歳)と高千穂ひづる(24歳)の実年齢に合わせたわけで、このため原作の良さが薄れてしまった。「越後獅子祭」は、角兵衛獅子時代に兄妹のような関係だった半四郎と小陣が、やくざと旅芸人になって十数年ぶりに再会するところに情感と哀愁が漂うのだ。相手役の小陣は、役の性格からしても年齢から言っても、美空ひばりの方がずっと適役だったと思う。
 この映画には千原しのぶが小夜という役(原作では小陣の本名)で、錦之助のもう一人の相手役として出演しているが、原作にはまったく登場しない人物である。千原しのぶがまだ演技のうまくない頃で(格段に良くなるのは昭和32年以降)、前半、錦之助との風呂場のシーンはファンサービスで微笑ましかったが、半四郎を好きになって、結局失恋するだけの損な役回りだった。錦之助に高千穂と千原の二人の女優をからませるというだけの意図にすぎない。博打好きな馬鹿な父親(清川荘司)もイカサマ賭博師(原健策)も余計な人物である。千原しのぶが原健策と最後に結びつくというのも不自然で、ご都合主義もいいところだった。
 越後屋の旦那新右衛門(薄田研二)が半四郎の実の父親だったというのも原作にはない改変(改悪というべきか)で、あの意地の悪そうな薄田研二の役作りも良くなかった。やくざ嫌いの偏屈な老人のつもりで演じたのだと思うが、高千穂の小陣になぜかベタベタ触ってばかりいて、いやらしさも目立った。あれでは単なるエロじじいだ。仇討で斬り合いをする二人の浪人(吉田義夫と加藤嘉)も出過ぎで、いささか邪魔に感じる。
 脇役でとくに良かったのは、角兵衛獅子なった子役の山手弘である。『紅孔雀』の風小僧だ。この頃、錦之助は山手弘を弟のように可愛がっていて、どんぐり山で二人が会うシーンはじーんと来る。

 この映画の脚本は、三村伸太郎と旗一兵の共同ということになっているが、旗が初稿を書いて、ベテランの三村が手を加えて、完成させたものだと思う。三村伸太郎は、戦前に活躍した名シナリオライターで、稲垣浩や山中貞雄の時代劇映画の名作をたくさん書いているが、戦後は精彩を欠いて、良い脚本が書けなくなってしまったようだ。長谷川伸の「越後獅子祭」は、切ない望郷の念と、角兵衛獅子の頃の初恋に近い兄妹愛が主題で、決して瞼の父を探し求める物語ではない。三村は、映画を面白くしようとして、登場人物を増やし、群像劇のように仕立てたのだが、失敗だった。サブストリーに仇討ちのかたきと討ち人の取り違い(原作にある)もあり、話が入り組みすぎて、かえって詰まらなくしてしまった。三村伸太郎はこの頃、内田吐夢監督の『血槍富士』の脚本も書いていて、群像劇としては似たところも多いのだが、この脚本は八尋不二と民門敏雄がかなり手直ししたという。『血槍富士』は、キャスティングもはまり、吐夢の演出力もあって、傑作になったが、『越後獅子祭り やくざ若衆』は、粗製濫造の二流監督萩原遼がただ手際よくまとめまただけの安っぽい娯楽作になってしまった。

 錦之助の演技もまだ発展途上であった。とくにこの作品では、やくざのセリフ回しに力みと硬さがあり、セリフを言うとき、口がややへの字に曲がる点も、まだ矯正できていない。メイクも目張りのラインが太すぎだった。チャンバラでは斬るときに口を開く癖が抜けていない。
 錦之助のやくざの演技は、『晴姿一番纏』でもまだまだだが、『任侠清水港』で森の石松に扮して脱皮し、『雨の花笠』あたりで錦之助らしい魅力的なやくざが演じられるようになったと私は思う。



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