錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『越後獅子祭り やくざ若衆』(その4)

2015-05-16 10:40:33 | 旅鴉・やくざ
 『越後獅子祭り やくざ若衆』は昭和30年2月13日に封切られているが、錦之助の日記によると、1月10日にクランクインし、2月5日にアップしている。撮影日数は約25日、当時の東映プログラムピクチャーでは普通のことである。他の大手映画会社(松竹、大映、東宝)だと1ヶ月から50日かけていた。クランクアップして編集し、上映プリントを作成するまでに最低2週間は必要なのだが、この映画は1週間ですませている。それは、撮影終了の3日前(1月29日)に錦之助が急性盲腸炎にかかり、4日間休んだからだ。患部を氷で冷やし、なんとか痛みを押さえて、撮影再開。ロケ地で初めの方の街道茶屋のシーンとラストの立ち回りのシーンを撮ったのだそうだが、これで封切りには間に合った。錦之助が盲腸の手術をするのは、2月8日、東京の慶応病院にて、である。

 この映画の音楽担当は木下忠司(映画監督木下恵介の弟)で、錦之助映画に彼が音楽をつけるのはこれが最初である。その後、木下忠司は錦之助の股旅映画には欠かせない音楽担当になる。『風と女と旅鴉』『瞼の母』『関の弥太ッぺ』など。
 主題歌「やくざ若衆」(作詞西条八十、作曲上原げんと)は錦之助が唄い、レコードが発売された。錦之助が「いろは若衆」に続いて出した二枚目のレコードである。が、映画(東映ビデオ)の途中で挿入されるこの主題歌は、誰か別のプロ歌手が唄っている。コロンビア専属の男性歌手だと思うが、誰なのかは不明である。錦之助が唄った「やくざ若衆」はCD化され、私もよく聴いているので、聞き比べてみればわかる。声も節回しも錦之助ではない。封切時の映画では錦之助自身が唄ったものを使っていたのか、それとも最初から違う歌手のものを使ったのかも不明である。錦之助があとで自分の唄を嫌がって、差し替えてさせたのだろうか。
 それと主題歌のもう一曲、島倉千代子と中島孝が唄っているはずの「お役者がらす」が映画の中では出てこない。これも疑問だ。映画のクレジットタイトルにはあるので、再編集してカットされたのだろうか。

 最後に長谷川伸の「越後獅子祭」について補足しておきたい。
 長谷川伸の戯曲「越後獅子祭」は、昭和14年、「サンデー毎日」に掲載。同年6月、有楽座で、新国劇が舞台に上げている(二幕四場)。これが初演で、主役の片貝の半四郎は辰巳柳太郎、梅川小陣は長島丸子、仇討の敵役の浅井朝之助が島田正吾であった。翌年、同じく新国劇で同じ配役で再演されたが、この時に序幕の第二場(旅の新内節)が書き足され、二幕五場になった。
 映画化も早く、昭和14年夏に製作(8月封切)。渡辺邦男監督の東宝作品『越後獅子祭』で、片貝の半四郎は長谷川一夫、梅川小陣は入江たか子。ほかに、山根寿子(小燕)、横山運平(宇平)、清川荘司(浅井朝之助)、鳥羽陽之助(駒沢番十郎)が出演。脚本は三村伸太郎。錦之助の『越後獅子祭り やくざ若衆』と同じ脚本家であるが、東映作品は旗一兵との共同脚本で、新たに書き直したものである。最初の映画化作品の方が原作に忠実に描かれていた。
 この映画、私は何年か前に見たが、一時間に満たない作品で、情感のこもった実にいい映画だった。長谷川一夫31歳、入江たか子28歳で、二人は原作とほぼ同年齢であり、適役であった。長谷川一夫が東宝移籍後(やくざに顔を切られ、林長二郎から改名した)、入江たか子と初共演した映画は大作『藤十郎の恋』(昭和13年 山本嘉次郎監督)だが、二作目の『越後獅子祭』の方が私は好きだ。映画の中で、入江たか子が水芸をやるシーンがあり、見せ場になっていた。また半四郎の父親役(貧しい農民)の横山運平が枯れた素朴な味を出していたことが印象に残っている。



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