さて、そろそろお年玉の時期ですね!
もちろんお年玉の時期といっても正確にはお年玉を誰に、いくらあげるか考えなきゃいけない時期って意味ですが。笑。
まぁ自分の場合あげる相手が姪っ子のなるみと甥っ子のたけひろしかいないので、考えるのも楽ですけどね。
自分はお年玉をあげるという行為を、「新年明けましておめでとう、はい、お年玉。はい、終わり。」という無味なものにしたくないって思いがあるんですよね。出来るだけイベント性を持たせたい。
去年はなるみに五十円玉を重ねられるだけ重ねさせ、重ねられた分をそのままお年玉としてあげました。こちら。
なるみも喜んでくれたし、自分も楽しかったです。
でも、そのことを快く思わなかった人もいて、どうしてそんなふうに姪っ子を弄ぶんですか、みたいなコメントがありました。
よくわかりませんね。
自分は自分が子供の頃されたら嬉しいであろうことをしただけなのに。
そりゃポチ袋に二千円なり、三千円なりを入れて、そのまま「はい、どーぞ♪」ってあげる方がよっぽど楽ですよ。
五十円玉を三千円分集めるだけでも大変だったんですから。今は銀行に行っても三千円を五十円玉六十枚にはしてくれないのです。
ポチ袋に入っているお金の額がそのまま愛情の大きさになると思っている方は、十万円でも二十万円でも包めばいいですよ。
自分はそんなこと出来ないし、まぁ出来てもしませんけどね。
さて、今年はどうやってお年玉をあげようかと思案したのですが、二回目にして早くもネタ切れ。笑。
前回と同じでもいいかと思ったんですが、ふと思いつきました。
実はなるみには何年も前に童話の本を何冊かプレゼントしています。
あげたのは、プロイスラーの『大どろぼうホッツェンプロッツ』と『クラバート』、エンデの『はてしない物語』と『モモ』、それに『ハリー・ポッター』の一、二巻などがあります。
『ハリー・ポッター』を除いて、どれも自分が実際読んで面白いと思った本ばかりです。
が、なるみが読まないんだ。笑。
もちろんプレゼントした本を読む、読まないは贈られた側の勝手ですよ。
でも、それならば、贈った本を読まないという理由でお年玉をあげないというのもこちらの勝手なわけで。
で、十一月の初めの頃、電話越しになるみに通告しました。
今年のお年玉は読んだ本の冊数によって決める、一冊も読まなければ0円だ、と(一冊読めばいくら、と具体的な金額まではいってない)。
当然なるみは「え~」なんて不満の声を上げてましたけどね。
そのことをお袋に伝えたら、「お年玉が一円ももらえなかったら可哀相やん」と戒めるように自分に言いました。
一瞬自分もそうかも?と納得しそうになりましたが、いやいやいや、それは違うでしょう。
お年玉が一円ももらえないとしたら、それは二ヶ月の間に本を一冊も読まないってことですよ。
二ヶ月かかって『大どろぼうホッツェンプロッツ』が読めないってことはいくら何でもないでしょ。
お年玉をもらえない可能性を論じるというのはなるみが文盲か、もしくは恐ろしく捻くれた性格だっていってるようなもんだと思うよ、お袋。
今回、自分がやろうとしていることで、それは本を嫌いな子がより本嫌いになるだけだよ、そう仰る方もいるでしょう。
その可能性は自分も否定しませんよ。
でも可能性でいえば、ほっておいても本嫌いなままの可能性も当然あるわけで。
同じように可能性があることであれば、あれこれ手を尽くした方が百倍よいと自分は思うのです(少なくとも何もしないよりは)。
自分はなるみが小学四年生の間に、エンデの『はてしない物語』を読み通すことが出来たなら、それは彼女にとってすごい自信になる、そう信じています。
はてさて、この二ヶ月でなるみは一体何冊の本を読んでいるかな?
今から正月が楽しみです。
もちろんお年玉の時期といっても正確にはお年玉を誰に、いくらあげるか考えなきゃいけない時期って意味ですが。笑。
まぁ自分の場合あげる相手が姪っ子のなるみと甥っ子のたけひろしかいないので、考えるのも楽ですけどね。
自分はお年玉をあげるという行為を、「新年明けましておめでとう、はい、お年玉。はい、終わり。」という無味なものにしたくないって思いがあるんですよね。出来るだけイベント性を持たせたい。
去年はなるみに五十円玉を重ねられるだけ重ねさせ、重ねられた分をそのままお年玉としてあげました。こちら。
なるみも喜んでくれたし、自分も楽しかったです。
でも、そのことを快く思わなかった人もいて、どうしてそんなふうに姪っ子を弄ぶんですか、みたいなコメントがありました。
よくわかりませんね。
自分は自分が子供の頃されたら嬉しいであろうことをしただけなのに。
そりゃポチ袋に二千円なり、三千円なりを入れて、そのまま「はい、どーぞ♪」ってあげる方がよっぽど楽ですよ。
五十円玉を三千円分集めるだけでも大変だったんですから。今は銀行に行っても三千円を五十円玉六十枚にはしてくれないのです。
ポチ袋に入っているお金の額がそのまま愛情の大きさになると思っている方は、十万円でも二十万円でも包めばいいですよ。
自分はそんなこと出来ないし、まぁ出来てもしませんけどね。
さて、今年はどうやってお年玉をあげようかと思案したのですが、二回目にして早くもネタ切れ。笑。
前回と同じでもいいかと思ったんですが、ふと思いつきました。
実はなるみには何年も前に童話の本を何冊かプレゼントしています。
あげたのは、プロイスラーの『大どろぼうホッツェンプロッツ』と『クラバート』、エンデの『はてしない物語』と『モモ』、それに『ハリー・ポッター』の一、二巻などがあります。
『ハリー・ポッター』を除いて、どれも自分が実際読んで面白いと思った本ばかりです。
が、なるみが読まないんだ。笑。
もちろんプレゼントした本を読む、読まないは贈られた側の勝手ですよ。
でも、それならば、贈った本を読まないという理由でお年玉をあげないというのもこちらの勝手なわけで。
で、十一月の初めの頃、電話越しになるみに通告しました。
今年のお年玉は読んだ本の冊数によって決める、一冊も読まなければ0円だ、と(一冊読めばいくら、と具体的な金額まではいってない)。
当然なるみは「え~」なんて不満の声を上げてましたけどね。
そのことをお袋に伝えたら、「お年玉が一円ももらえなかったら可哀相やん」と戒めるように自分に言いました。
一瞬自分もそうかも?と納得しそうになりましたが、いやいやいや、それは違うでしょう。
お年玉が一円ももらえないとしたら、それは二ヶ月の間に本を一冊も読まないってことですよ。
二ヶ月かかって『大どろぼうホッツェンプロッツ』が読めないってことはいくら何でもないでしょ。
お年玉をもらえない可能性を論じるというのはなるみが文盲か、もしくは恐ろしく捻くれた性格だっていってるようなもんだと思うよ、お袋。
今回、自分がやろうとしていることで、それは本を嫌いな子がより本嫌いになるだけだよ、そう仰る方もいるでしょう。
その可能性は自分も否定しませんよ。
でも可能性でいえば、ほっておいても本嫌いなままの可能性も当然あるわけで。
同じように可能性があることであれば、あれこれ手を尽くした方が百倍よいと自分は思うのです(少なくとも何もしないよりは)。
自分はなるみが小学四年生の間に、エンデの『はてしない物語』を読み通すことが出来たなら、それは彼女にとってすごい自信になる、そう信じています。
はてさて、この二ヶ月でなるみは一体何冊の本を読んでいるかな?
今から正月が楽しみです。