京都アニメーション放火殺人事件(7月18日)の犠牲者遺族の多く(36人中22人)が実名公表を拒否したことから、実名報道の是非があらためて議論になっています。
琉球新報は11月29日付から12月7日付まで5回にわたって「実名報道 遺族は思う」と題する連載を掲載しました。賛否両論ですが、遺族の言葉はどれも重要な問題提起を含んでいました(以下、抜粋)。
○猪野憲一さん(桶川ストーカー事件で娘を失う)
警察は娘の実名を発表しましたが、もし「A市のB子さん」とされていたら、私から名前を出していたと思います。B子さんで何が分かるんですか。猪野詩織という名前が出ないと、娘が大切にしてきた人とのつながりまでも消えてしまう。そもそも法治国家で1人の人間が無残に殺されたにもかかわらず、匿名発表でいいという世の中はおかしいです。それでは、その人に関する事実がゆがめられる危険性もある。
□寺輪悟さん(三重県の少年事件で娘を失う)
県警に「本人の名前を出していいか」と聞かれ、「嫌だ。必要ないじゃないか」と押し問答になりました。博美の名誉を守りたい一心でした。連日、ニュースで名前と写真がたくさん出ました。つらかった。亡くなった人をさらして、遺族の心情を酌んでくれていないと思いました。博美の名前はネット上にずっと残り、いつまでも消えない。今でも嫌です。いつまでたっても嫌です。
○内藤さよ子さん(アルジェリア人質事件で長男を失う)
日揮(長男の職場)からは「お名前は公表しません」と連絡を受けました。違和感を覚えました。「息子の何を隠し立てしようとしているの?」息子は「内藤文司郎」として44年間、一生懸命生きました。「Aさん」や「豊橋市の40代男性」と報道されることには抵抗感がありました。記者の前で話すのは大きな負担でしたが、「私が話さなかったら文司郎の人生が覆い隠されて『無』になってしまう」という気持ちが勝りました。
□松井克幸さん(岐阜県の強盗殺人事件で妹を失う)
自宅にマスコミが大挙して押し寄せました。両親も私も取材を断ったにもかかわらず、何度もインターホンを鳴らされました。各新聞社、テレビ局に抗議の電話を入れましたが、取り合ってもらえませんでした。妹と犯人の顔写真を並べたワイドショーもありました。そうした報道がどんな影響を及ぼすか、もっと想像力を働かせるべきだと思います。マスコミにはより慎重な報道を求めたいと思います。
○奥勝さん(雪崩事故で高1の息子を失う)
名前を出すかどうかの選択肢があれば、拒んだと思います。(しかし)訴える言葉に力を持たせるには、実名を出すべきだと思います。家族を失ったショックを考えると、実名公表を拒否した気持ちにも同意できます。適正な報道がされている限り、実名報道はあるべきです。ただ、遺族が直接にマスコミを信用するのは難しい。一定の配慮があるべきだし、マスコミの姿勢が問われていると感じています。
私は以前から、実名か匿名かはあくまでも被害者・遺族の意思に基づくべきだという考えです。氏名の公表は基本的人権に属すると考えるからです。今回の連載でそれを再確認しました。遺族の思いを押し切って公表する権利は警察にもメディアにもありません。
自身は実名報道に賛成の内藤さよ子さんの次の言葉は重いです。「子どもの死とどう向き合うかは人によって違います。『そっとしておいてほしい』という遺族の気持ちを否定することはできません」
メディアは(たとえば新聞協会など)、「報道効果」の視点から一貫して実名の公表を要求しています。しかし、実名報道の賛否を問わずすべての遺族が強調するのは、メディアへの不信です。メディアは実名公表を求める前に、自らの取材・記事の問題点(メディアスクラム、警察による情報操作など問題は山積)を自己点検し改めるのが先決でしょう。
寺輪悟さんの次の言葉を、記者・ライター・メディアは胸に刻む必要があります。
「あなたたちの仕事は人を生かすも殺すもできる。活字の力はすごい。それだけは忘れないで」