映画「吉屋チルー物語」の上映会が18日宜野湾市内でありました。名前だけは知っており、機会があればぜひ観たいと思っていました。なぜなら、それは全編ウチナーグチ(沖縄語)で作られている映画だからです。ウチナーグチは分かりません。分からないからこそ、その世界に身を置きたかったのです。
映画は幼くして身売りされ遊女となり、身分違いの恋に落ち、19歳で自死した伝説の女流歌人の生涯を描いたものです。実生活の詳細は不明ですが、身売りされる時に渡った比謝橋に悲しみを歌った歌碑が建っています(写真左)。案の定、台詞はほとんど分かりませんでした。でも、いくつかの単語と演技によって粗筋は理解できました。しかしチルーが死ななければならなかった場面など肝心なところの細部はわかりません。周りで目頭を押さえている人たちの感動にはやはり及びませんでした。大筋は分かる。でも肝心な細部、心の機微は分からない。ウチナーグチの世界でこの感覚が体験できただけでも貴重でした。
さらに大きな収穫だったのは、この映画の製作・脚本・監督を独りで行った金城哲夫(1938~1976、写真右=森口豁著『沖縄・近い昔の旅』から)を詳しく知ることができたことでした。映画上映後に実妹の上原美智子さんのトークもありました。金城哲夫は名前は知っていました。子どものころ楽しみに見たテレビドラマ「ウルトラマン」の作者です。金城は高校時代から親友の森口氏と手作りの沖縄通信を全国の高校に郵送するなど、精力的に沖縄を本土に理解させようと努めました。「吉屋チルー」は金城が大学を卒業して直後の24歳の時に作ったものです。大胆な性格そのままです。出演者(沖縄芝居の一流役者)も音楽もオール沖縄。巨額の製作費は母親が営んでいた飲食店の私財を投げ打って調達。母は借金で病気になったとか。そんな犠牲を払ってでも、ズブの素人の金城が「吉屋チルー」を製作した真意は何だったのか。貧困や身分差別に対する告発もあるでしょう。もちろん「沖縄のアイデンティティ」が基盤にあります。でもそれだけでしょうか。金城は「復帰」直前に円谷プロを退社して沖縄に帰郷し、37歳で事故で急死します。妹の上原さんは「一瞬自殺かと思った」と言われました。その思想、人生は深く、興味は尽きません。
強い愛で結ばれていた母は奇しくも哲夫と同じ年に急死しています。57歳。沖縄戦で片脚を失っていました。名前は金城ツルさん。「吉屋チルー」のチルーは沖縄語で、日本語ではツル。偶然でしょうか。
沖縄ですぐに目につくのは各所の墓地にある大きな墓です。それは代々の一族の絆であり、祭事の場であり、沖縄戦では防空壕の代わりにもなりました。でも墓にはそれにとどまらない大きな意味があると教えられました。歴史資料としての可能性です。
沖縄文化協会の公開研究発表会が14日県立芸大であり、県立博物館・美術館の安里進館長(写真右)が、「墓からみた近世琉球の家族史-家族の数だけ歴史がある-」と題して報告しました。
沖縄には、亀甲墓、洞穴墓、掘込墓、破風墓など各種の墓がありますが、それらの基は琉球王府の墓・玉陵といわれます。墓の中には洗骨した骨を納める厨子が置かれていますが(写真左)、その形は首里城正殿を模したもの。厨子の中には銘書という個人情報が書かれたものが入っている場合があります。でもそれがなくても故人や家族の状況を復元することができる、というのが安里さんが土肥直美さん(琉大医学部)らとともに発見した方法です。骨の分析から性別や死亡年齢、体格、病歴など「人生履歴」を割り出し、それに厨子や銘書、墓内の状況などの情報を重ね合わせるのです。そうすると一人ひとりの生活や家族関係、系図などをリアルに蘇えらせることができるといいます。「琉球の近世・近代墓は、家族史のタイムカプセルだ」と安里さん。まさに「家族の数だけ歴史がある」というわけです。
たとえばそうやって墓内の厨子を調べてみると、従来沖縄では男尊女卑の考え・風習が強く、墓もそれに従うと見られていましたが、実際は性別よりも家族への貢献度が優先され、女性でも経済的柱になっていた人を中心に墓が構成されている例が判明したといいます。庶民は案外プラグマティックな、生活に根差した価値観を持っていたのですね。
琉球近世墓はこれまで宗教や習俗の観点から調査・研究されてきました。それを歴史資料とし、そこから家族史を再構成する試みは、「扉が開かれ始めたばかりの、琉球=沖縄史研究の新たなジャンル。開拓し深める課題はたくさんある」と安里さんは期待を膨らませます。
これまで知られなかった、あるいは定説を覆すような琉球・沖縄の歴史、庶民の生活が、墓から分かってくるかもしれません。わくわくする話です。
<今日の注目記事>(20日付琉球新報から)※沖縄タイムスも同様記事(共同電)
☆<改憲「もってのほか」 宮崎駿監督、冊子で訴え>
「宮崎駿監督がスタジオジブリ発行の小冊子『熱風』の寄せた改憲反対の記事が大きな反響を呼んでいる。『憲法を変えようなんて、もってのほか』。全国の書店で10日から無料配布した熱風は早々に品切れとなり、問い合わせが相次いでいる。ジブリは急きょホームページで内容を公開した。・・・宮崎監督は談話形式の記事で『政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです』と主張。改憲の国会発議要件を緩和する96条先行改正を『詐欺』と断じた。『憲法9条と照らし合わせる、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい』とも指摘。従軍慰安婦問題にも言及し『きちんと謝罪して、ちゃんと賠償すべきです』としている」
組踊(くみおどり)は沖縄を代表する伝統芸能です。台詞と踊りを歌曲(舞台上で演奏)にのせて展開する独特の歌舞劇で、起源は18世紀の琉球王国時代。「復帰」した1972年に国の重要無形文化財に、2010年にはユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されています。
そんな組踊の歴史を学び、実際に鑑賞しようという取り組みが13日、国立劇場おきなわで、県の生涯学習事業の一環として行われました。組踊のために04年建てられた国立劇場で、本物の組踊を、低料金で鑑賞できる機会で、喜んで参加しました(写真はロビーと舞台)。
この日の演目は「貞孝夫人」。夫亡きあと嫁ぎ先の家を守ろとする貞淑な士族女性の物語です。事前の講演の講師は大城学琉球大教授。組踊は本土の歌舞伎などに学びながら、ほとんどの演目の結末に琉球王府が登場し重要な役割を演じるのが特徴と知りました。「貞孝夫人」もそうでした。それは組踊がもともと中国の使節団・冊封使を歓迎する催しとして始まったことと無関係ではないようです。実は私は昨年本土で初めて組踊(「二童敵討」)を見ており、今回が2回目でしたが、劇場が素晴らしく、舞台の両そでに台詞のうちなーぐちを日本語に訳したテロップが流れるのに感心しました。これなら安心して鑑賞できます。
ところで、今年3月、歌舞伎の坂東玉三郎が新作組踊「聞得大君(きこえおおきみ)誕生」(作・大城立裕)を演じ、「歌舞伎と組踊のコラボ」として話題になりチケットは早々と完売しました。ところが6月になって琉球新報、沖縄タイムス両紙に相次いで玉三郎の「身体様式」や「唱え」を酷評する投稿(沖縄国際大学教授と准教授)が掲載されました。7月にはそれに対する反論(県立芸大研究員)の投稿が載りました。もちろん私にはその批評の応酬に立ち入る能力などまったくありません。でも、組踊がこれまでの枠を超えて、より多くの人に鑑賞されるのはとても良いことではないでしょうか。批判を覚悟で大きな壁に挑んだ玉三郎はさすがです。伝統は守りながら、新たな挑戦で裾野を広げることは大歓迎です。沖縄では学校で組踊を演じ、その魅力を児童生徒に伝えようという取り組みも広がっています。
沖縄の歴史、言語、音楽、踊りが一体となった組踊。もっと親しみたいと実感した1日でした。
<今日の注目記事>(19日付琉球新報1面トップ)※沖縄タイムスは2面に同様記事
☆<辺野古埋め立て 意見書2000通超 「告示・縦覧」が終了 県、利害関係精査へ>
「米軍普天間飛行場代替施設の名護市辺野古への建設に向けて、沖縄防衛局が県に提出した公有水面埋め立て承認願書を住民に公開する『告示・縦覧』が18日、終了した。所管する県海岸防災課は、3週間の告示・縦覧期間中に受け付けた『利害関係人』からの意見書が同日までに2千通を超えたことを明らかにした。同課は『県内での埋め立て事業への意見書としては最多ではないか』と話しており、辺野古への埋め立てに対する関心の高さが浮き彫りになった」
申請書縦覧については、もともと不備なまま県が受け入れたことや、期間が短いなどの問題がありましたが、2000通以上の意見書は、辺野古移設反対がいかに沖縄の強い世論であるかを改めて示しています。
安倍首相が石垣、宮古を訪れ、自衛隊の配備強化をアピールした17日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の野嵩ゲート前には、いつものように2人の男性の姿がありました。赤嶺和伸さん(59、写真左)と比嘉良博さん(54、同右)。昨年10月1日のオスプレイ配備強行からゲートでの抗議行動は続いています。朝は7時から10時まで、夕方は3時から5時まで、のべ20~30人がそれぞれの思いを持って参加します。組織された人たちではありません。中心にいる2人もそうです。
赤嶺さんは普天間基地のすぐそばに住み、普天間爆音訴訟団の原告の1人ですが、オスプレイ配備強行までこうした抗議行動の経験はありませんでした。毎朝2時起床という食品関係の仕事をしながらの活動です。基地を見たいという人には初対面であろうと、普天間基地が一望できる自宅へ招きます。比嘉さんは少し離れた所で鉄工所を経営しながら、毎日プラカードやのぼりを軽トラックで運びます。ゲート前には折り畳み式のテーブルが置かれ、参加者のゆんたく(歓談)の場にもなっていますが、これも比嘉さんの手作りです(写真右)。
「ここはスクールゾーン。小さな1年生が大きなランドセルを背負って通学しているのを見ると、沖縄の姿を見ているような気になる。人口1%、面積0・6%の小さな沖縄に全国の74%の米軍基地が背負わされている。中の荷物を1つ降ろしてやろうという。それが嘉手納以南の基地返還。しかしその代わりに別の重い鉛を入れる。それが辺野古移設。なぜ沖縄だけが重い荷物を背負わなければならないのか」。赤嶺さんの実感です。
自分の仕事、生活をもちながら、ゲート前行動を続けられるのはなぜ?「小学生が『オスプレイ反対』と書いた紙を見せて通ることがあります。そんな時はほんとうに励まされます」と赤嶺さん。「ここにいると仕事では得られない充実感、”生きている”とう実感があります」と比嘉さん。時折中学生たちが数人で通りがかりました。「こんにちは」「今何時ですか」という子どもたちに、笑顔で応える赤嶺さんと比嘉さん。2人の力の源はここにもあるようです。
<今日の注目記事>(18日付沖縄タイムス「社説」から)
☆<2013参院選 普天間問題 「辺野古」を争点化せよ>
「普天間問題は既に全国レベルの焦点ではなくなっているのではないか。参院選をめぐるメディアや世論の動向を見る限り、シビアな現実と向き合わざるを得ない。・・・沖縄が直面する『国策のゆがみ』に全国の関心が向かないのはなぜか。政府が辺野古移設を『既定路線』として扱い、争点化する機運を意図的に封じ込めているからではないか。・・・普天間飛行場には8月にもオスプレイが追加配備される見通しだ。政府と沖縄の意識の隔たりは深刻といえる。与野党を問わず、政府の暴走を断つ候補を見極めたい。有権者の感度も試されている」
参院選挙投票日まで5日となった16日、安倍首相が来県し、夕方5時半から県庁前で街頭演説を行いました。開口一番、「沖縄は全国で一番厳しい選挙区です!」。その沖縄で何を話したか。約20分の演説の大半は自民党候補者の持ち上げと「アベノミクス」の自画自賛。それも「”安倍さん、そうは言っても(好景気は)実感できないよ”という人がたくさんいることは承知しています」と言い訳しながら。沖縄で焦点の普天間飛行場については、「1日も早く移設を」というだけで「辺野古沖」とは一言もいいませんでした。言えないでしょう。横にいる沖縄選挙区の候補者も自民党県連も、世論の手前、「県外移設」を公約しているのですから。自民党の”ねじれ”、ごまかしの構図がくっきり浮かんでいる争点隠しです。
もっとひどい争点隠しは、憲法です。参院選挙で自民党が勝てば、憲法96条、さらに9条に手をつける。それが本音であることは、自民党の選挙政策でも、16日沖縄タイムスが報じた安倍氏の発言でも明らかです。しかし県民を前にした演説では「憲法」のけの字も口にしませんでした。
でも有権者は見抜いています。ちょうど24時間前の同じ場所で、主婦ら6人が手作りの看板1枚を立て、手書きのビラを配り、メガホンで訴えました(写真右、下)。「憲法9条・メッセージプロジェクト(K9MP)」の主婦たちです。「何かしたい。何ができる?」と相談して作ったビラ。真ん中にはズバリ、「選挙の争点は憲法」。そして、「憲法は私たちにくらしを守る最高法規」「我が子を戦場には送らない!」「今!私たち主権者が問われています」。代表の城間えり子さんは、「『国防軍』『集団的自衛権』を含む改憲の先、『戦争のできる国』に変えていく動き。それに歯止めをかけられるのは私たち一人ひとりです」と訴えます。
県庁前を埋めた安倍首相・自民党の数百人の演説会に対し、「6人の女性」は、象とアリほどに微々たる存在です。しかし、どちらが真実なのか、どちらが正義なのか。歴史は常に、真実と正義に立った少数者から動き出します。彼女たちのビラにも書いてありました。「私たちは微力ではあっても、無力ではない」。
<今日の注目記事>(17日付琉球新報1面トップ)
☆<糸数氏先行、安里氏猛追 態度未定3割強 浮動票が当落左右
本紙・共同通信調査>
「21日投開票の第23回参院選に向けて、琉球新報社は14日から3日間、共同通信社と合同で県内有権者を対象に電話世論調査を実施した。その結果に本紙の取材を加味して情勢を探ると、沖縄選挙区(改選数1)は社大党委員長で現職の糸数慶子氏(65)=生活、共産、社民、みどり推薦=が先行し、自民党新人の安里政晃氏(45)=公明推薦=が激しく追い上げる展開が続いている。ただ、3割強が投票する人をまだ決めていないと回答しており、最終盤に向けてこれら浮動票の動向が当落に影響しそうだ」
映画「道~白磁の人」(高橋伴明監督、吉沢悠主演)の上映会が14日、那覇市てんぶす館でありました。1914年朝鮮半島に渡り林業技師として半島の緑化に生涯を捧げた実在の人物・浅川巧(たくみ、1891~1931)の生涯を描いたものです(白磁は朝鮮の伝統的陶磁器)。巧は兄・伯教(のりたか)、親交があった柳宗悦とともにソウルに「朝鮮民族博物館」を開館したほか、朝鮮の伝統文化・風習を著書で紹介した功績もあります。上映は「森林ボランティアおきなわ」の主催で、東北復興支援チャリティの一環として行われました。
確かに植林・緑化がテーマなのですが、私にはそれよりも強く胸に迫る問い掛けがありました。日本の植民地下の朝鮮で、日本人と朝鮮人は理解し合えるのか、ほんとうの友愛を結ぶことはできるのか、です。それは私にとって、そのまま、沖縄と本土は理解し合えるのか、沖縄にいる本土の人間は沖縄の人々とほんとうに信頼し合えるのか、という問いかけでした。
朝鮮に渡った巧が朝鮮を理解しようとしてまず行ったことは、同僚の朝鮮人の親友からハングルを学ぶことでした。まず相手の言語を知ること。当たり前のようですが、沖縄にいるとその意味が実感されます。巧は日本軍の朝鮮差別に対し身を挺して抗議します。時に民族衣装を着け、現地の文化・風習に溶け込もうと努めます。そんな巧に対しても、朝鮮の人々は「だまされるな、彼も日本人だ」と言い放ちます。どんなに”いい人”でも、植民地支配する国の国民であることは消えないのです。失意の巧が親友に問います。「日本人と朝鮮人が理解し合えるのは夢なのか」。親友は答えます。「夢でも、それに向かって行動することに意味があるのではないですか」。巧はハングルで、親友は日本語で。40歳で早世した巧は娘に「それでもお父さんは木を植え続ける」と言って息を引き取ります。植林への思いを言い遺した言葉なのでしょうが、私には”日本と朝鮮が理解し合う夢を追い続けたい”と聞こえました。
「夢でもそれに向かって行動することに意味がある」。そう言える人生を、沖縄で送ることができるでしょうか。
(写真右は、山梨県北杜市高根町にある浅川伯教・巧資料館のパンフレット)
<今日の注目記事>(16日付沖縄タイムス1面トップ)※琉球新報は3面
☆<「9条改憲 正しい姿」 安倍首相「自衛隊を明記」 軍隊として必要性強調>
「安倍晋三首相(自民党総裁)は15日に放映された長崎国際テレビ番組のインタビューで、将来的な憲法9条改正に意欲を示した。『われわれは(憲法)9条を改正し、その(自衛隊)存在と役割を明記していく。これがむしろ正しい姿だろう』と述べた。自衛隊や軍隊として位置づける必要性も強調した。首相は、参院選で経済政策を優先する姿勢を強調するため、公示後はテレビ番組などで改憲についての積極的な発言が少なく、街頭演説などを含めても具体的な改憲内容に言及したのは珍しい」
能のないタカはつめを隠すこともできない。参院選の争点はまぎれもなく「憲法」です。
今日は「海の日」。といっても多くの人にとっては連休最終日というくらいの認識でしょう。私もそうでした。でも、沖縄に来て、この日も沖縄にとっては見過ごせない日だと知りました。
「海の日」は1996年橋本内閣によって制定されました。その起源は「海の記念日」(7月20日)です。「海の記念日」が決められたのは1941年。まさに太平洋戦争に突入する直前でした。なぜ7月20日なのか。1876年のこの日、天皇制浸透を図るため北海道、東北を「巡幸」した明治天皇が、横浜港に”無事”帰還したことを記念したものです。明治天皇が乗った船は明治丸(写真左。堤防の向こう=ウィキペディアより)。当時最新鋭の灯台巡視船で、天皇の「お召し船」になりました。その3年後の1879年3月27日、明治政府は160人の警察官、400人の軍隊を引き連れた松田道之を琉球に派遣し、琉球の尚泰王を東京に連れ去り、「沖縄県」設置を強行しました。いわゆる「琉球処分」です。この時、松田が琉球に乗り込み、尚泰王を連行した船こそ、あの明治丸だったのです。「琉球処分」は1872年に琉球王国を解体して琉球藩を設置したことに端を発しますが、その翌年に明治政府は全国にさきがけて「日の丸」と天皇・皇后の写真を琉球藩に押しけ、天皇制の普及を図りました。そんな明治天皇や明治丸を称賛し、戦意高揚に関わった「海の記念日」を沖縄が祝えるわけがありません。しかも、それを「海の日」とした1996年は、橋本内閣が普天間飛行場を辺野古沖に移転することでアメリカと合意した年でもあるのです。
こんな「海の日」を、逆に「平和を考える日にしよう」と、「軍港反対!浦添市民行動実行委員会」の大城信也さん(フォークシンガー=写真右)らは、12年前から毎年この日に集会を開いています。今年も浦添西海岸で行われます。大城さんは、「世界につながる海を平和で結ぶ海として開花させよう」と訴えています。
「海の日」もまた、沖縄にとっては「屈辱の日」であり、「海の平和」への決意を新たにする日なのです。
<今日の注目記事>(15日付沖縄タイムス1面から)
☆<自衛隊に海兵隊機能 新大綱中間報告 離島防衛重視>
「防衛省は、年内に策定する長期的な防衛力整備の指針『新防衛大綱』の中間報告に『海兵隊機能の充実』を図ると明記する方針を固めた。同省関係者が14日明らかにした。尖閣諸島周辺での中国との緊張関係を反映し、離島防衛重視の方策を打ち出す必要があると判断した。中間報告は参院選後の7月中に公表し、安倍晋三首相に提出される見通しだ。海兵隊は米軍では陸海空軍と並ぶ4軍の一つで、主として敵の支配する地域に空海路で乗り込む先遣隊の役割を担う。韓国軍にも置かれているが、自衛隊にはない」
海兵隊は敵への殴り込み部隊。自衛隊にないは「専守防衛」の建前に反するからです。沖縄タイムスも「離島防衛重視」の見出しをつけていますが、「防衛」などではなく、米軍と一体になって先制攻撃ができるようにしようとするものです。
参院選挙の投票日まで1週間になりました。世論調査では「自民党の圧勝」が予想され、とくに選挙区選挙の1人区は自民党の独走と見られています。そんな中で、全国で特筆されるのが、1人区で自民党が苦戦している沖縄選挙区です。
現職の社大党委員長・糸数慶子さん(共産、社民、生活、みどり推薦)と自民党公認・安里政晃さん(公明推薦)の一騎打ちです。「今回の選挙は来年の知事選などの前哨戦ともなる。昨年12月の衆院選で県内4小選挙区中、自民党が三つを制した勢いで与党が議席を獲得するか、野党が共闘する現職候補が議席を死守するかが注目される」(琉球新報7月5日付、写真も)というのが共通した見方です。普天間飛行場の辺野古移設攻防の天王山となる来年はじめの名護市長選にも直結します。その影響は沖縄にとどまりません。まさに全国注視の選挙区です。
ところがその選挙で、不可解な動きが出ています。公示日直前に突然、まったく無名の女性(無所属)が立候補を表明しました。平和ガイドという経歴、基地撤去などの政策、そして女性ということで、糸数さんと大変共通点があります。もちろん立候補は自由です。平和を訴える候補者が増えることは悪いことではありません。しかし、今回の選挙の構図・意義を見るなら、反自民票の分散は避けねばなりません。もう1人の女性候補の突然の立候補で、糸数さんへの票のいくらかはそちらに流れると見るのが普通でしょう。
そしてなによりも驚いたのは、民主党の沖縄県連代表である喜納昌吉氏がこの女性候補を応援していることです。喜納氏は10日、那覇市内3カ所でこの候補の街頭宣伝に参加し、応援演説を行いました。「個人としての応援だ。(県連は)自主投票を決めていて問題はない」(琉球新報)と言っていますが、そうでしょうか。沖縄民主党の代表であり、抜群の知名度を持つ喜納氏の街頭選挙応援が、「個人」の問題ですまされるでしょうか。「自公の過半数阻止」という民主党のスローガンが本物なら、本来糸数さんを支援してしかるべきです。一歩譲って「自主投票」ならまだしも、喜納氏の行動は明らかに反自民票の分散につながり、自民党を喜ばせるものです。この喜納氏に対し党本部から注意の一つも与えられたという報道はありません。民主党の全国的な衰退は必至ですが、沖縄民主党のこうした行動は、同党の沖縄における存在意義を消滅させ、再建の芽すら摘んでしまうと言わざるをえません。
そんな民主党幹部の不可解な行動をよそに、安倍改憲内閣・自民党の暴走を許さない沖縄平和・民主勢力のたたかいは、五分五分の形勢のまま最終盤に突入します。
<今日の注目記事>(14日付琉球新報2面から)
☆<岩手、沖縄で協力強化方針 自公幹部>
「自民党の石破茂、公明党の井上義久両幹事長は13日夜、国会近くのホテルで、終盤を迎える参院選の情勢について意見交換した。与党で過半数を獲得するため、岩手、埼玉、千葉、沖縄選挙区での協力を強化する方針を確認した。石破氏は、自民党が重点区に位置付ける改選1人区の岩手、沖縄と、候補者を2人擁立した千葉(改選数3)について協力を要請」
沖縄の選挙はまさにつばぜり合いです。
沖縄大学で行われた研究発表会(沖縄外国文学会第28回大会、6日)のなかで、筑波大学の畔上泰治教授が、「メディア媒体を通して表現された社会的少数者に対する嫌悪・攻撃感情の研究-現代ドイツの事例を中心に」と題して報告しました。東京や大阪のデモなどでヘイトスピーチ(憎悪発言)が問題化し、その規制の是非が問われているとき、興味深く聴きました。
ドイツで昨年12月、1枚の無料音楽CDが規制されました。極右勢力が若者への宣伝・勧誘のため学校の前や集会で2004年から配布(19曲収録、のべ5万枚=写真左はそのジャケット)してきたもので、その後右翼政党NPDが選挙の際に利用していました。その歌詞は少数民族を攻撃して多文化共生社会を否定し、「俺たちはナチ」などとナチズムを賛美するもので、青少年保護法などに違反すると認定されたのです。問題になったのははやり「表現の自由」との関係です。畔上さんは「ドイツでももちろん現体制への批判は認められる。しかしそれに代わるビジョンがナチズムと類似する場合は取り締まりの対象になる」と説明しました。
日本ではどうでしょう。在日朝鮮人などに対し「死ね」などと叫んでデモするヘイトスピーチを規制することはできるでしょうか。ドイツでは「表現の自由」よりもナチズムの排除が優先されます。それほどナチズムへの反省が浸透し、多民族・文化共生社会が尊重されているのです。日本にそんな社会的風土はあるでしょうか。
「ヘイトスピーチ規制は世界の常識」とする前田朗さん(東京造形大教授)は、法律で規制する前に、「まずは罰則のない人種差別禁止法をつくるべきだ」と主張します(ブログなど)。人種差別撤廃条約は日本も批准しています。「表現の自由」との関係では、「ヘイトスピーチで被害が厳然と存在することをまず認めること」が必要だとし、「欧州も50年かけて社会意識を変えてきた。ネオナチ対策から始まり、試行錯誤しつつ取り組んできた。時間をかけてでも、日本は人種差別問題に取り組む必要がある」と指摘します。
ヘイトスピーチにはそれを生み出す社会的基盤(新自由主義によるストレス競争社会)があります。さらにその根底には、人種差別につながる伝統的な天皇制風土があると思います。法規制の前に、こうした社会基盤や日本の風土を捉え直すことが必要ではないでしょうか。人種差別にどう立ち向かうか。他人事ではなく、日本人一人ひとりが問われているのですから。
<今日の注目記事>(13日付沖縄タイムス1面から)※琉球新報1面にも同様記事
☆<非正規割合 沖縄が最高 12年就業調べ 44・5% 全国も上昇>
「総務省が12日発表した2012年の就業構造基本調査によると、非正規労働者の総数(推計)は2042万人と07年の前回調査から152万人増加し、初めて2千万人を超えた。雇用者全体に占める割合も38・2%と2・7?上昇して過去最高を更新。過去20年間で16・5?増え、正社員を中心とした日本の雇用形態が大きく変化している実態がより鮮明になった。非正規の割合が最も高いのは沖縄(44・5%)で23万7500人、次いで北海道(42・8%)だった」
この労働実態が日本の根源的問題です。その中で、「辺境」の沖縄と北海道が最も深刻な事態になっていることは偶然ではありません。
宮古島で連想するのは人頭税(にんとうぜい)です(「純と愛」もありますが)。一定の身長に達した住民に頭割りで課税する過酷な税制で、課税対象者を確定するための石(ぶばかり石=写真左)は観光コースにもなっています。市立博物館には人頭税のコーナーが大きく設けられています。人頭税は薩摩藩の琉球侵略(1609)による重課税を契機に、1637年琉球王府によって課せられた差別的税制といわれており、1903年廃止されました。その廃止の歴史には、今日に通じる、感慨深いものがあります。
①廃止運動の先頭に立ったのは、城間(ぐすくま)正安と中村十作(写真右)の2人でした。城間は本土の製糖技師、中村は新潟県の真珠養殖調査員。二人とも島の住民ではなかったのです。私財を投げうって献身的に尽力し、島の農民から深く慕われた2人の姿は、離島と本島、沖縄と本土の友愛・連帯の先駆けともいえ、感動的です。
②城間、中村らは島の行政官、さらに琉球王府に廃止を要請しますが、ラチが開きません。そこで彼らがとった戦術は、東京の政府と議会への「直訴」でした。そのための費用は募金と私財で賄いました。今年1月の「オスプレイ反対」東京行動・直訴がよみがえってきました。
③中央への直訴が奏功して人頭税は廃止されます。その力になったのは、新聞各紙がそろって中村らを支援する記事を書き、キャンペーンをはったことです。ここが安倍内閣に一蹴された「オスプレイ直訴」との大きな違いです。
ところが、宮古島から帰って改めて調べてみると、人頭税廃止は単純に喜べることではないと分かりました。請願を受けて帝国議会が廃止を可決したのは1895年。日清戦争開戦の翌年です。明治政府は戦費調達のために税制の刷新を図る必要があったのです。現に人頭税廃止後も宮古の人々は別の重税に苦しみます。そのうえそれまで人頭税があったので免除されていた徴兵制も課せられるようになりました。
さらにそもそも、人頭税の導入経過・目的自体が「定かでない」(『沖縄大百科事典』)といわれています。また、「人頭税は『過酷』だったとするこれまでの通説は、反省を迫られている」(来間泰男氏『近世琉球の租税制度と人頭税』2003年)との説さえあります。人頭税はまだ研究途上なのです。
歴史はさまざまな角度から見る必要があると、改めて知らされました。
<今日の注目記事>(12日付沖縄タイムス1面から)
☆<オスプレイ 追加12機 15日出港 米西海岸の基地>
「米軍普天間飛行場に追加配備予定の海兵隊垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機を積載した輸送船が15日(現地時間)に米カリフォルニア州サンディエゴの海軍基地を出港することが分かった。米海兵隊当局は本紙に対し、29日(日本時間)ごろに米軍岩国基地(山口県)に到着し、機体の整備や試験飛行を行った後、8月上旬に普天間に飛来するとの見通しを示し、配備スケジュールは滞りなく進行していると強調した」
☆<低周波音 他機種上回る 県も確認「問題ある数値」>
「米軍普天間飛行場に配備されたオスプレイの低周波音が他の機種を上回ることが、県の調査で分かった。・・・超低周波音による人体への影響に着目して補正する国際基準、G特性の値はオスプレイが最大値110・6デシベル。オスプレイと交代するCH46ヘリは93・5デシベル」