アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記231・「解放歌」に込められた青春

2023年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
  全国水平社創立(1922年)の翌年、福岡で「全九州水平社」が設立された。そこで初めて発表された歌が、「解放歌」だ。当時は「水平歌」といった。以後、今日に至るまで、部落解放運動の精神的支柱となっている。

 歌詞は7番まである。曲は旧制一高(現東大)の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」だ。

 私は京都での大学生活の大半を学生部落研(部落問題研究会)活動(未開放部落での子ども会活動や学内での学習活動)に費やした。折に触れ、仲間と肩を組んでこの歌を歌った。1番と2番は今でもソラで歌える。
 だが、その作詞者が誰だったのかは、先日まで知らなかった。

 この詞を書いたのは柴田啓蔵(1901~88)(写真)。福岡県の未開放部落出身。小学校から成績優秀だったが、差別を受け続けた。それを見返すため、父親や担任の教師の強い勧めで進学を志し、旧制松山高(愛媛)に入った。

 その時、全国水平社の創立を知った。エリートコースを断ち切って、1年後に中退し、水平社運動に身を投じた。

 1928年ごろ、島崎藤村と会い、作家を勧められた。故郷で炭鉱の仕事をするかたわら執筆を続けた。14年後に小説「糾弾」を完成させた。藤村のところへ持ち込もうとした矢先、藤村が亡くなった。

 敗戦後、表舞台から遠ざかり、通算11年の精神科病院入院を余儀なくされた。87歳で人知れず亡くなった。(2022年10月28日付朝日新聞デジタルより。写真も)

 全国水平社が帝国日本の侵略戦争に賛成・加担していた事実(2日のブログ)を、恥ずかしながら、知らなかった(あるいは記憶に残っていない)。大学の部落問題研究会に4年間居ながら。もちろん自分の勉強不足だが、学生部落研全体が、水平社の負の歴史に目を向けようとしなかったように思う。今となっては大きな欠陥だったと分かる。

 その一方で、「解放歌」に陶酔していた。学ぶべき歴史を学びもせず、情熱的な歌に魅せられるのは、青春の蹉跌と言うしかない。

 しかし、7番の歌詞を見て(これも最近知ったのだが)、悔悟の念が少し変わった。歌詞は1番が解放運動への宣言、2~4番は差別の告発、5、6番は団結の呼びかけ。そして、最後の7番はこうだ。

 あゝ友愛の熱き血を 結ぶわれらが団結の
 力はやがて憂いなき 全人類の祝福を
 飾る未来の建設に 殉義の星と輝かん

 「殉義」は柴田の造語で、「正義のために命をかけて闘う」意味だという。
 差別との闘い、部落解放の闘いは、全人類の祝福=解放、明るい未来に通じる。その正義の闘いに命をかけよう。そういう呼びかけであり、決意表明だ。

 これは間違っていない。間違っていないどころか、いまとりわけ光を放つ。
 柴田がこの詞を書いたのは20代前半。肩を組んで歌ったころの自分と同年代だ。青春の共感か。それを感傷的な思い出に終わらせないように、「正義のために」いま、何をすべきか、どう闘うべきか、考え直したい。

あす9日(月)は休みます。
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