全国水平社創立(1922年)の翌年、福岡で「全九州水平社」が設立された。そこで初めて発表された歌が、「解放歌」だ。当時は「水平歌」といった。以後、今日に至るまで、部落解放運動の精神的支柱となっている。
歌詞は7番まである。曲は旧制一高(現東大)の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」だ。
私は京都での大学生活の大半を学生部落研(部落問題研究会)活動(未開放部落での子ども会活動や学内での学習活動)に費やした。折に触れ、仲間と肩を組んでこの歌を歌った。1番と2番は今でもソラで歌える。
だが、その作詞者が誰だったのかは、先日まで知らなかった。
この詞を書いたのは柴田啓蔵(1901~88)(写真)。福岡県の未開放部落出身。小学校から成績優秀だったが、差別を受け続けた。それを見返すため、父親や担任の教師の強い勧めで進学を志し、旧制松山高(愛媛)に入った。
その時、全国水平社の創立を知った。エリートコースを断ち切って、1年後に中退し、水平社運動に身を投じた。
1928年ごろ、島崎藤村と会い、作家を勧められた。故郷で炭鉱の仕事をするかたわら執筆を続けた。14年後に小説「糾弾」を完成させた。藤村のところへ持ち込もうとした矢先、藤村が亡くなった。
敗戦後、表舞台から遠ざかり、通算11年の精神科病院入院を余儀なくされた。87歳で人知れず亡くなった。(2022年10月28日付朝日新聞デジタルより。写真も)
全国水平社が帝国日本の侵略戦争に賛成・加担していた事実(2日のブログ)を、恥ずかしながら、知らなかった(あるいは記憶に残っていない)。大学の部落問題研究会に4年間居ながら。もちろん自分の勉強不足だが、学生部落研全体が、水平社の負の歴史に目を向けようとしなかったように思う。今となっては大きな欠陥だったと分かる。
その一方で、「解放歌」に陶酔していた。学ぶべき歴史を学びもせず、情熱的な歌に魅せられるのは、青春の蹉跌と言うしかない。
しかし、7番の歌詞を見て(これも最近知ったのだが)、悔悟の念が少し変わった。歌詞は1番が解放運動への宣言、2~4番は差別の告発、5、6番は団結の呼びかけ。そして、最後の7番はこうだ。
あゝ友愛の熱き血を 結ぶわれらが団結の
力はやがて憂いなき 全人類の祝福を
飾る未来の建設に 殉義の星と輝かん
「殉義」は柴田の造語で、「正義のために命をかけて闘う」意味だという。
差別との闘い、部落解放の闘いは、全人類の祝福=解放、明るい未来に通じる。その正義の闘いに命をかけよう。そういう呼びかけであり、決意表明だ。
これは間違っていない。間違っていないどころか、いまとりわけ光を放つ。
柴田がこの詞を書いたのは20代前半。肩を組んで歌ったころの自分と同年代だ。青春の共感か。それを感傷的な思い出に終わらせないように、「正義のために」いま、何をすべきか、どう闘うべきか、考え直したい。
※あす9日(月)は休みます。