起立性調節障害という病気があることを初めて知った。朝起きられない。だから学校へ行かれない。夜活動的になる。だから周りは「さぼっている」と誤解し、冷たい視線を向ける。
西山夏実さん(高3、福岡県)は、そんな自分の半生を知ってもらいたくて、友人たちの協力で映画「今日も明日も負け犬」(60分)を作った。映画の知識などまったく無い者たちだけで、ネットで作り方を見ながら。
「知ることが一番大きな一歩。理解してほしいというより、知ってほしい」「知ってほしい、と当事者が主張し続けることが大事」「知ったあとに、何ができるか、視野を広げて考えられたら、生きやすい社会になる」(西山さん、9日のラジオ深夜便「人権インタビュー」)
「ヤングケアラー」だった沖侑香里さん(31、静岡県)は、5歳下の難病の妹を小学生の時から母親とともに介護してきた。それが当たり前と思った。
成長するにつれ、「自分の意見が持てない」自分になっていることに気付いた。自分に自信が持てなかった。
だから就職してもうまくいかなかった。退職を決意し、社長に泣きながら過去の自分を語った。社長は何時間も黙って聴いてくれ、最後に言った。「これまで頑張ってきたんだね」。それが沖さんが変わるきっかけだった。「頑張っているね」ではなく「頑張ってきたね」。
「家族の病気や障がいは外に言うものではないという文化がある。社会に偏見があるから。1人で抱え込まない社会にしたい」(沖さん、8日の同「人権インタビュー」)
「知らせる」方にも新たな試みがある。
「アライ」という言葉があることも最近知った。LGBTの理解者をいう。そして「私はアライです」と自ら周囲に示すグッズがある(写真左)。
LGBTに対する無知・偏見が根強い社会で、「アライ」の人が身近にいることが分かるととても安心できる、とLGBTの人が話していたのをテレビで見た。
外見では分からない障がいを持つ子どもが、電車などで声を上げたりすると、周囲の目が集中する。子どもの障がいのことを知らせたいけれど、声に出すのは難しい。そこで生まれたのが、「この子には障がいがあります」ワッペンだ(写真右)。
当事者が「知らせる」工夫と努力をすることで、周りが「知る」ことができ、偏見・差別を免れることができる。それでなくても苦労が多い当事者にさらに負担を負わせてしまうのは申し訳ないけれど。
「知る」ことが、偏見と差別をなくする第1歩だ。同時に、「知らせる」ことの重要性も広がってきている。
その結論は単純で陳腐だ。しかし、真理だ。そして、単純だけれども、実践がこれほど難しい真理はない。
何を、どこまで「知る」必要があるのか。どうすれば真実を「知る」ことができるのか。
日本の近現代史も、世界の現実も、知らなくてもとりあえずは生きていける。だから「知る」ことは難しい。
だから国家権力は、「知らせない」ことを人民支配の基本にすえる。教科書検定、公文書改ざん、メディア支配…すべてはその手段だ。
だから、「知る」こと、「知らせる」ことは、国家権力に抗って、人が人らしく生きられる社会をつくる根本だ。
知って、知らせて、手を繋ぎ合いたい。