アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「森友文書」(アーカイブ)改ざんは歴史への”犯罪“

2018年03月12日 | 安倍政権と民主主義

     

 財務省は「森友決裁文書」の改ざんを正式に認めました(12日)。麻生太郎財務相の責任だけでは済まされません。安倍内閣総辞職に値する重大問題です。

 一連の「森友文書」「加計文書」の隠ぺい、改ざんがなぜ重大なのか。安倍氏が地位・権力を利用して「お友だち」に便宜を図り、国有(国民)財産を私物化したことは、もちろん言語道断です。しかし、問題はそれだけにとどまりません。

 「森友・加計」文書は、さらに「南スーダン自衛隊派遣」報告書は、言うまでもなく政府(財務省、文科省、防衛省など)が作成した公文書(アーカイブ)です。それを時の政権(それに唯々諾々と従う官僚組織)が勝手に隠ぺい・改ざんすることがどういう意味をもつか。

 国立公文書館特別参与の大濱徹也筑波大名誉教授は、安倍政権による昨年来の公文書隠ぺいについてこう指摘しています。

 「彼ら(安倍政権の閣僚・官僚―引用者)には…民主主義が記録に基づく対論によって成立すること、検証する政治文化こそが開かれた社会を可能にすることへの認識が欠落しているのである。…そもそも民主主義は多数派の専制ではなく、記録に基づく対論によって合意を形成していくシステムだ。いわば検証する政治文化こそが開かれた社会を可能にする。

 日本のアーカイブズ(公文書館)は…統治を検証し、権力の非義を問いただす道を目指さなければならない。アーカイブズは、強固な基盤を確立したとき、立法・行政・司法の三権の営みを検証する第四権ともいうべき存在となり、権力の恣意的な運用を糺す器となりうるのである。

 アーカイブズは、統治を検証する作法の学び舎であり、民主主義を地に根付かせる『主権者教育』の器にほかならない。危機の時代においてこそ、アーカイブズの存在を輝かせたい」(2017年12月15日付中国新聞)

 さらに、公文書が歴史的記録であり、後世の教訓になる(しなければならない)ものである以上、その改ざんは歴史的に重大な誤りを招く“犯罪”と言っても過言ではありません。

 その実例が、江華島事件(1875年)です。加藤陽子東大教授の報告から紹介します。

 教科書などでは、江華島事件は日本の軍艦・雲揚が飲料水を求めてボートで江華島砲台に上陸しようとしたところ、朝鮮(国号は大朝鮮国)側が砲撃した、それで雲揚が砲台を砲撃した、と説明されてきた。日本(明治)政府はその翌年、この「事件」を口実に朝鮮を(武力を背景に―引用者)開国させた。

 ところがその後、これは海軍大臣に提出する報告文書を、雲揚艦長の上官の伊東祐麿が修正(改ざん―引用者)したものだったことが判明。雲揚は飲料水を求めたのではなく、「測量及諸事検捜」が目的で、砲撃も雲揚の方が先だった。

 修正された報告書が「公文録」に入り、1940年に『日本外交文書』に収録されて公刊された。朝鮮は不当だ、という感情が日本側に長く抱かれたであろう。(加藤陽子氏、『アーカイブズへのアクセス』日外選書に収録された報告より)

 この「江華島事件」報告書の改ざんが、朝鮮への蔑視・差別を助長し、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、韓国併合(1910年)と続く朝鮮侵略・植民地支配の布石の1つになったことは間違いないでしょう。

 「権力を握る者が、権力の維持にマイナスになるために、自らに都合の悪い事実を隠蔽しようとするのは、いつの時代でもどの国でもなされていること」(加藤氏、前出)。だからこそ、私たちは公文書の隠ぺい・改ざんを許してはならないのです。取り返しのつかない歴史の誤りを繰り返さないためにも。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「3・11」被曝・人権侵害は現... | トップ | 「森友文書改ざん」・なぜ「... »