あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

續丹心錄 ・ 第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」

2017年05月03日 09時26分34秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

  
村中孝次  

續丹心錄

第三 
今回の擧は兵馬大權干犯者を討つことを目的としつつ、
自ら兵馬大權を干犯せるに非ずやとの非難あり、
外形のみを論じ形而下的観察に終始するならば或は然らん、
然れども吾人の信念に於ては斷じて然らざるなり。
一、昭和六年九月十八日に於ける關東軍の獨斷行動は、
 當時之れを許容すべきや否やに就いて、
廟議容易に決せざりしが、幸ひ此 獨斷行動は大元帥陛下の御嘉納を仰ぐことを得、
我武威を大いに満蒙の野に伸べ、以て満洲國獨立の基礎を定めたり。
若し此際 本獨斷的行動の御容認を仰ぐ能はざりせば如何、
本庄司令官は其壇權を罪に問はれ、
統帥權を紊り、私に兵を動かしたる避難と責任とを一身に負はざるべし、
然れども本庄司令官の衷情に至っては、
之れを兵馬干犯者の語を以て非議するを得ざるや明らかにして、
平日盡忠至誠、身を以て君國に報ぜんとする大覺悟ありしを以て、
始めて機に投じ間髪を容れざる底の決心をなし得たるものにして、
吾人の深く敬仰感嘆を禁ぜざる所なり。
余輩は年來、吾人の決行は同志の集團を以てすべく、兵力使用の過失に陥らざる爲、
平素下士官兵を同志化し、其の自發的決意に基いて蹶起することを方針として來れり。
而して今次の決行は精神的には同志の集團的行動にして、
形式的には各部隊を指揮せる將校の獨斷的軍事行動なりしなり。
前述 關東軍の獨斷行動と其精神を一にし、後者は張學良軍を作戰目標とし、
余輩は内敵を攻撃目標とせるの差異あるのみ、
不幸、右獨斷行動が、大元帥陛下の御許容を仰ぐ能はざる場合に於ては、
明らかに私に兵力を使用したるものとして、各部隊指揮官たりし將校と、
其獨斷行動の籌畫に与りし二、三子とは擅權の罪の嚴罰を甘受すべきは當然とす。
然れども其根本精神に至っては、稜威を冒せる者を誅戮する爲に、
自身自ら稜威を冒せるにはあらず、
兵馬大權干犯者を討って稜威の尊嚴を宣揚する爲、
大稜威の力に籍らざるを得ざりしものにして、
三月事件、十月事件等の如き兵力を僣用して野心を逞ふせんとするものと
類を異にすることは萬々なりとす。
一、關東軍が事變當初、憲兵を以て十數倍の張學良軍を各地に轉戰破摧したるは、
 統帥指揮の宜しきを得たること勿論なるべきも、
關東軍將兵が上下を擧げて張政權の横暴専恣に憤激禁ぜず、
敢死國威を宣揚せんことを期しありし爲、
随所に活潑々地の獨斷行動を取り、而もよく統一ある戰果を獲得せしるなるべし。
而して今回の決行たるや、若し少數將校の野望に基く行動ならば、
所期の目的たる襲撃に成功すること至難なるのみならず、仮に當初の成功を得たりとするも、
爾後四日間に亘って下士官兵の動揺を來さざることは到底不可能なるべし、
吾人は蹶起部隊の全員が悉く同志なりとは主張せず、初年兵は入營後日尚浅く、
從って是れを啓蒙する餘地なかりしは固より其の所にして、
且蹶起將校中二、三士は平素同志的教育啓蒙を部下に施しあらざりしことも否定するものにあらず、
然れども、
參加せる下士官及び二年兵の多くに於て、吾人と同一精神を有し、其決意の鞏固なる點に於て、
將校同志に比し遜色なきもの亦多數ありしことを信じて疑わざるなり。

二月二十九日、
拡聲器竝にビラによる宣傳の結果、將校の手裡を脱して所属部隊に復歸せるものありしが如きも、
これは多くは歩哨其他獨立任務に服しあるものに就て、所属部隊の將校が來りて或は懇論し、
或は鞏制的に連れ歸りしものにして、
「 逆賊 」 の汚名より一意逃れんとして、是等上官に服せること蓋し股肱の臣として當然なるべし。
又、豫審訊問等に於て、下士官兵の大部は 「 將校に欺かれたり 」 と稱しあるが如し。
事の結果欺くの如くなるに至り、且示すに 「 逆賊 」 「 國賊 」 を以てすれば、
日本國民たるもの何人かこの汚名を避けざらんとするものにあらんや。
右の如き二、三事を以て、吾人の行動は將校下士官兵を一貫して、
奸賊を討滅して君國に報ぜんとする決意の同志を中心とする一つの集團が、
將校の獨斷による軍事行動の形式を以て行はれたるものなることを否定すべからざるなり。
一、下士官兵の決意を証す可き二、三の事例を擧げ、以て上下一體観に結ばれありしを例證せん。
イ、二月二十五日夜、歩一、歩三の各部隊は安藤中隊以外の殆ど全部に於て、
 發起前蹶起趣意書を下士官兵に告示したるに、
一同勇躍して活潑に積極的に着々決行の準備をなせり。
余と行動を共にせる第一、丹生部隊・第十一中隊の如きは、
丹生中尉が最近に於て決意せしを以て、事前に充分の教育啓蒙を爲す能はざりしも、
下士官に決行の事を告ぐるや、欣々然として同行を決意し、
元気極めて旺盛にして一見習医官及歩四九より派遣の一軍曹が之を傳へ聞き、
同行の許可を仰ぐべく丹生中尉に懇願せるを見たり。
ロ、第一日の行動間、第一線の警備に就きし哨兵の士気極めて盛んに、且殺氣充満しありて、
歩哨線を通過するは同志將校と雖も容易ならざりき。
ハ、二月二十八日、歩三將校間に於て、安藤大尉を刺殺すべしと決議し、
 この報安藤中隊に伝るや、部下の下士官兵は安藤大尉を擁して、
他の者のを一切近づかしめず、爲に余も安藤大尉に接近し得ざりしこと前述の如くなりき。
翌二十九日安藤大尉が自刃せんとするや、當番兵は其腕にすがりつき泣いてこれを抑止し、
又一下士官來って
「 中隊長殿、兵の所へ來て下さい、皆一緒に御供しやうと言って集合してゐます 」 と告ぐ。
上下一人格に融合一體化せる状、見るべきなり。
ニ、二月二十九日朝、丹生部隊の兵は、聯隊長小藤大佐より懇論せられたるも、
 敢て中隊長の許を離るゝねのなかりしは前述の如し。
ホ、同朝首相官邸に在りし栗原部隊に於て、將校一名も在らざりし時、
 討伐部隊と相對するに至りしが、下士官兵一同少しも屈せず、
門内には一歩も入れざらんとして危く衝突を惹起せんとする狀態なりしが、
栗原中尉來りて、事なきを得たり。
ヘ、同朝新議事堂に於て、野中大尉が集會を命ずるや、
 いち下士官來り其理由を問ふ、
余傍らより 「 奉勅命令の下達せられたること今や疑ひなし、大命に從ひ奉らん 」
と言ふや、床を踏み涙を流し、
「 残念だ 」 と連呼して容易に承服する色なかりき。
ト、栗原部隊の一下士官が二月二十九日朝形勢の非なるを見て栗原中尉に對し、
 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」 と忠告せりと言ふ。
一、單に少数の重臣を打倒することを目的とするならば、同志將校のみを以てすれば可なり、
 豈下士官兵を利用するの必要あらんやと言ふものあり、苟も王事に盡瘁し、
國家に報効せんとするに、將校と下士官兵と差別するの要何処にか在る、
階級に上下の差あり、統制に別ありと雖も、陛下の股肱赤子として、
至尊に直参して翼成に任ぜんとする志向に於て、差異あるべからず。
吾人をして極言せしむれば無私赤誠、君國に報ぜんとする念慮は、
寧ろ現時の將校より下士官兵に於て熾烈なるを認めざるを得ず、
從って吾人は同志の多くを將校、特に上級者間に發見すること能はずしい、
之を下士官兵の中に得、相共に王事に盡鞠したるのみ。
然らば、同志的信念決意なき初年兵の如きをも多く引き連れたるは如何、
今や數次の直接行動を經て、警視廳の武力は相當有力なるものとなりて、
重臣高官の身邊を警戒すること至嚴を極め、
少數寡兵を以てしては容易に目的を達成し得ざるのみならず、
警官隊との衝突は彼我共に無用の犠牲を多發する惧大なり。
之れに臨むに、牛刀を以てするは萬全の策にして、且中隊より少數者を抽出して行を起すは、
出發後残留者により企圖を曝露せられるる懼れありて、
中隊全員を引率せざるを得ざりしは、副次的理由ながら亦避け得ざりし所なりとす。

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から

前頁  続丹心録 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」 の 続き
本頁  続丹心録 ・ 第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」 
次頁  続丹心録 ・ 第四、五、六 「 吾人が戦ひ来りしものは 国体本然の真姿顕現にあり 」 に続く