あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

續丹心錄 ・ 第四、五、六 「 吾人が戰ひ來りしものは 國體本然の眞姿顯現にあり 」

2017年05月02日 09時23分11秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

  
村中孝次 

續丹心錄

第四
今回の擧は民主革命を企圖せるものなりとの流説大なるが如し。
その依って起る処を察するに、蹶起將校中の中心人物は「日本改造法案大綱 」を信奉しありて、
その實現を計畫せるものにして、該書の内容は凶悪過激なる社會民主主義にして、
彼等はこれを巧みに國體明徴なる語を以てカムフラージュしつつ、今回の擧を決行し、
以て民主革命に導かんとせるものなりとなすが如し。
一、昨秋 「 皇軍は正に民主革命軍たらんとす 」 と言ふが如き標題の怪文書撒布せられ、
 又今次蹶起の直前、廣島市某なる者の名を以て、北、西田両氏を不敬罪として告撥し、其告撥文を各方面に配布せり。
両文章共、同一人起草せるものの如し、内容と言ひ文作と言ひ両つ乍ら略々、同一にして斉しく、
「日本改造法案大綱 」中の片言隻句を捉へ來って、北、西田両氏を社會民主主義者なりと言ひ、
両氏は民主革命を企圖して青年將校に食ひ入りつつありとなせり。
これと頃來流説せらるる所とは全く符節を合するが如し。
或はこの徒輩----陸軍部内に於て余輩と對蹠的立場にあるもの----の宣伝なるか。

抑々 「日本改造法案大綱 」はデモクラシー及社會主義の高潮期に、
此両者を否認折伏することを主眼として、諫論的文調を以て叙述したるものにして、
簡明確切を旨とする爲、日本國家の現段階に於て採り得べき一つの構圖を示して、
其注解に於て著者の思想を斷片的に披瀝せるものなり。
而して排日毎日の眞只中にある上海に於て執筆せるものなるが故に、
著者の愛国的熱情と國家主義的徹見とが、躍々として紙面に踊るを認め得べし、
吾人が同書を愛讀し、且之によりて啓發せらるる所以し一に著者の愛國心と、
特に國體に対する徹見とによるものなり。
佛徒が 「 衆生本來佛なり 」 と言ひ、或は 「 即身成佛 」「 娑婆即寂光浄土 」 と言ひ、
儒者が 「 道は邇きに在り 」 と説く如く、
社會主義及至デモクラシー万能の徒が我が國體の尊嚴性に目を蔽ひ、
徒に理想社會を欧米の學説に求めんとするに対し、
「 日本國こそ本質的に爾等の求める理想社會の國家なり 」 と説き聞かせたる書なり。
其中の片言隻句に 「 民主國 」 「 社會主義 」 といふ字があるを以て、
民主革命を企圖するものとなすは、宛も天皇機關説排撃運動者の作製せる文中に
「 天皇機關説 」 なる字句あるを見て、彼は天皇機關説思想なりと言ふと同斷なり、
愚昧嗤ふ可く、歯牙にかくる足らざる論なり。
同書を通讀再讀せば、其の否らざるは普通の常識を有する者には直ちに了解し得べし。
一、民主革命とは佛蘭西大革命の如き、或は獨乙の如く、澳太利の如きを現ふ。
 我等同志の全部が幼年學校に於て、或は市ヶ谷臺上に於て、
最も涵養練磨に努めたるものは、國體観念と愛國心とにあらずや。
吾人が此數年來、肝胆を砕き心魂を苦めて爭ひ戰ひ來りしものは、
實に 「 國體の護持擁護 」 「 國體本然の眞姿顯現 」 にあらずや、
五 ・一五事件に憤起して國民に國體覺我等の同志にあらずや、
我等は至尊の大權が数々冒瀆せられしに怒って、頸血を濺ぎ以て皇權を恢復し、
大義を正さんとせるに非ずや、如上一貫せる我等の行動を以て、
巧みにカムフラージュしつつ民主々義革命を企圖せるものなりとは、
如何なる根拠に基いて是を言ふか、白を黒と言ひ、又鷺を烏といふ、
此事に至っては爲にせんが爲の陋策も、言語に絶する卑劣なるものと言はざるを得ず、
吾人の憤激禁ぜんとして禁ずる能はざる所なり。

第五
殺害方法が残忍酷薄にして非武士的なりと言ふ避難あり。
齋藤内府は四十數ヵ創を受け、渡邊大將は十數ヵ創を受けたりと言ひ、
人をして凄惨の感に打たしむ。
残忍と言へば即ち残忍なり。
但し一彈一刀を以て人の死命を制し得る武道の達人に非ざれば、寧ろ巧妙を願はず、
數彈を放ち數刀を揮ふことを厭はず、完全に目的を達するを可とし、宋襄の仁は絶對に避くべきなり、
余は一、二同志に向ひ必ず將校自らが手を下し、下士官兵は自己の護衛
及 全般的警戒に任ぜしむべきこと、
及 五 ・一五事件の山岸中尉の如く、「 問答無用 」 にして射殺するを可とする旨を言ひしことあり、
齋藤内府の四十數ヵ創は殆んど同時に内府の居所を發見したる三將校が、
同時に拳銃を發射し、これに續行せる一下士官亦發射し、同下士官と同行せる輕機關銃手が、
これに引続き輕機關銃を以て連續射撃をなしたるものにして、
勢の赴く所蓋し已むを得ざるものありしならん。

又渡邊大將に對しては、同大將より撃ちし拳銃彈により安田少尉外二名負傷、安田、高橋両少尉は
引續き射撃せらるる中を冒して室内に入り、同大將を狙撃し、
之れ亦續行せる軽機關銃射手が射撃せる爲、重數ヵ創を与ふるに至りしものなり。
高橋蔵相に對しては、
中橋中尉の拳銃射と殆んど同時に中島少尉が軍刀を以て斬り付けしものにして、
後に評判せられたる如く、
「 達磨に手足は不要なり 」 といふが如き観念を以て軍刀を揮ひたるものに非ざることは、
打ち入りし者の眞劍必死の眞理に想到せば自ら明らかなり。

要するに右三者共、死屍に對して無用に射撃し、斬撃したるに非ず、
數名の者が殆んど同時に射撃し斬撃したる結果、勢の赴く所、
意外の創傷を与へたるものにして、 武道に未熟なりと評せらるは已むを得ざるも、
故意に残忍酷薄なる所業をなせしに非ざること明瞭なり。

湯河原に向ひし一隊の者が、牧野伸顕在泊の旅館に放火せるは、
先頭に在りて突入せし河野大尉外一名が牧野を捜査中、
護衛警官より射撃せられて受傷し、河野大尉は次第に聲を發するを得ざるに至り、
爲に寡兵を以ては到底目的を遂行し得ざるを思ひ、外部より包囲して放火したるものにして、
目的達成の爲亦已むを得ざる手段に出でしものなるべし。

以上は、凡て將校が先頭にあって奮闘したるものにして、右の外松尾大佐に對しては、
年少林少尉が首相官邸洗面所に於て、暗中單身二警官を斃し、引き續き首相を捜索中、
一兵が松尾大佐と相對峙しあるを見て射撃を命ぜしなり。
又、鈴木侍従長に對しては、安藤大尉が其居所に彼を發見したる時は、
既に部下曹長の射撃を受けて斃れありしが、侍従長夫人の乞を入れて敢へて、自ら手を下さざりしなり。

右の如く、襲撃の經過を尋ぬるに、同志將校は常に先頭に在りて彈雨を衝いて進み
( 首相官邸、渡邊大將邸、湯河原伊藤屋別館 ) 勇戰せり、
國軍将將の士気決して衰へあらざるを知るべし。

第六
事件中幸楽に於て多數將校が不謹愼にも酒宴せりといふ風評あるが如し、
何者かの爲にする捏造なるべし。

二月二十七日、八日 ( 確實なる時日は不詳 )、幸楽に於て安藤部隊一部の者が、
演芸会の如きことを實施したる事實あるが如きも、これ下士官兵の稚心深く譴むべき程の事にもあらざる如し。
将將が一同に会し酒宴したるが如き事實は全くなきのみならず、
余の如き前後約四日間、殆んど食事もなしあらざる程なりき。
奈何ぞ斯くの如き餘裕あらんや。

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から

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