あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

39 研究ノート 二・二六事件 北・西田裁判記錄 (二) 『 豫審訊問調書3 』

2016年08月24日 05時48分05秒 | 暗黑裁判・二・二六事件裁判の研究、記錄

獨協法学第38号 ( 1994年 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 (一)
松本一郎

一  はじめに

二  二 ・二六事件北 ・西田の検挙
三  捜査の概要
1  捜査経過の一覧
2  身柄拘束状況
3  憲兵の送致事実
4  予審請求事実 ・公訴事実
四  北の起訴前の供述
1  はじめに
2  検察官聴取書
3  警察官聴取書
4  予審官訊問調書  ( 以上第三八号 )
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獨協法学第39号 ( 1994 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 )
松本一郎
五  西田の起訴前の供述
1  はじめに
2  警察官聴取書
3  予審訊問調書
4  西田の手記  ( 以上本号 )
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獨協法学第40号 ( 1995年3月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 )

六  公判状況
 はじめに 
 第一回公判  ( 昭和11年10月1日 )
 第二回公判  ( 昭和11年10月2日 )
 第三回公判  ( 昭和11年10月3日 )
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獨協法学第41号 ( 1995年9月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 四 ・完 )

 第四回公判 
( 昭和11年10月5日 )
 第五回公判  ( 昭和11年10月6日 )
 第六回公判  ( 昭和11年10月7日 )
 第七回公判  ( 昭和11年10月8日 )
 第八回公判  ( 昭和11年10月9日 )
 第九回公判  ( 昭和11年10月15日 )
 第一〇回公判  ( 昭和11年10月19日 )
 第一一回公判  ( 昭和11年10月20日 )
 第一二回公判  ( 昭和11年10月22日 )
 第一三回公判  ( 昭和12年8月13日 )
 第一四回公判  ( 昭和12年8月14日 )
むすび  ( 以上四一号 )

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(七)  昭和一一年六月二六日付第五回被告人訊問調書
本調書も、第一問答から第四〇問答までの五一丁に及ぶ膨大ナモノデ、
外部工作の共謀関係ト事件関係者との交際関係についての追求を主な内容とする。
なお、本調書に登場する杉田省吾と宮本正之は、いずれも反乱罪 ( 陸軍刑法二五条二号後段 )、
満井佐吉は叛乱幇助罪 ( 同法三〇条 ) で起訴サレ、杉田は禁錮一年六月 ・執行猶予四年、宮本は禁錮一年六月、
満井は禁錮三年の各刑に処せられている。
以下、主要な部分を紹介する。
( 第一問答 省略 )
二  問  二月二十六日午後九時頃、杉田省吾ニ電話ヲ掛ケ、民間側同志ノ採ルベキ態度ニ附話シタノデナイカ
答  杉田ニ電話ヲ掛ケタ事ガアル様ニ思ヒマス。
  夫レハ、杉田ハ右翼團體方面ニ行キ、蹶起軍ニ握飯ノ炊出ヲシテ感謝ノ意ヲ表スル爲盡力シテ居ル、
ト云フ事ヲ澁川ヨリ電話デ知ラセテ來タノデ、私ハ杉田ニ電話ヲ掛ケ、
「 火事場ノ野次馬ノ様ニ騒ギ立テル事ハ宜クナイ。
 ( 中略 )
民間側各團體ハ團體毎ニ纏ツテ、從來ノ主義方針ニ基キ適當ニ善処スレバ宜イノダ 」
ト申シ、戒メテ置キマシタ。
尚、蹶起軍ヲ革命軍ト言ツテ居ル様デアリマシタカラ、革命軍デハナク正義軍デアルト説明シテ遣リマシタ。


三  問  二月二十七日杉田ト會見シタル顚末ヲ述ベヨ
答  同日午後一時頃、杉田ヨリ是非會見シタイト云フ電話ガアリマシタガ、
自分ハ出ラレナイカラ北一輝宅デ會見スル事ヲ約束シテ置キマシタ処、同日午後四時頃來マシタ。
其ノ時杉田ハ、
「 今回ノ事件ハ、昭和維新實現ノ爲ニハ極メテ重要性ヲ有シテ居ルガ、
 此犠牲ヲ無駄ニシナイ様ニ、各方面ニ聯絡ヲ取ツテ支援スル事ガ必要デアル。
夫レニハ相當ノ資金ヲ要スルト思フガ、某方面ヨリ或程度ニ纏ツタ金ヲ出シテモ宜イト云フ事ガアルガ、
夫レハ自分ノ友人ノ先輩デアルガ、一度會ツテ見テクレナイカ 」 ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマシタ。
私ハ
「 俺ハ人前ニ出ルノモ嫌デアルシ、又資金ノ事ハ考ヘテ居ナイカラ、君達ノ方デ適當ニヤツタラ宜カラウ 」
ト申シ、斷ツテ置キマシタ。
其ノ時杉田ハ、此際一般愛國團體ハ、如何ナル行動ニ出タラ宜イカト尋ネマシタノデ、
私ハ、兎ニ角今度ノ事件ハ、善カレ惡シカレ普通人ノ出來ナイ思ヒ切ツタ事ヲヤツタノデアルカラ、
之ヲ無駄ニシナイ爲ニハ、
一、從來敵味方ニ分レ、雑多ニ存在シテ居ル愛國團體ヲ一掃シテ、一ツノモノニ結合スル必要ガアルコト、
二、而シテ維新ヲ促進スル爲、廣イ範囲ノ國民運動ヲヤルコト、
三、以テ直ニ理想的ノ維新内閣ヲ望ムト云フ譯ニ行カナイカラ、先ヅ維新ニ近ヅイタ準備的ノ内閣ノ出現ヲ望ム様ニ努力スルコト、
等ノ三点ヲ主張シ、尚青年將校等ハ、時局収拾ニ眞崎大將ヲ推シテ居ル事ヲ説明シテ遣リマシタ。
其ノ時杉田ハ、今迄ニ判明シテ居ル確實ナ情報ヲ尋ネマシタノデ、
當時新聞ニモ眞相ガ發表サレズ、色々ノ 「 デマ 」 ガ飛ンデ、夫レガ爲却テ間違ツタ行動ニ出テハナラヌカラ、
杉田ノ知ツテ居ル民間側ノ各方面ニ知ラセテ遣ツテクレト依頼シ、便箋紙ニ、
一、蹶起ノ理由
  之ハ蹶起趣意書ヲ見レバ判ル、趣意書ハ三六社デ五、六万部印刷シタトノ事デアルカラ、貰ツテ來タラヨイ。
二、占據地点
  首相官邸、陸軍省、參謀本部、警視庁
三、決行部隊
  歩一  香田、栗原、林等ノ率ユル約三中隊
  歩三  野中、安藤等ノ率ユル約六中隊
  近歩三  中橋等ノ率ユル約一中隊
  其ノ他、河野、對馬、竹嶌、村中、磯部等ノ將校約二十名、
  下士官以下合計約二千名ナルコト、
四、決行部隊ハ二月二十六日警備司令部發表ニ依リ、現地域ヲ占據ノ儘編入セラレ、
  又二十七日戒嚴令ノ發表ト共ニ、現地占據ノ儘戒嚴令下ニ編入セラレタコト、
五、其ノ他判明シタ各種ノ情報
等ヲ説明シナガラ、鉛筆書ニシテ渡シテ遣リマシタ。


四  問  右ノ情報ヲ印刷シテ、各方面ニ配布スル様ニ命ジタノデナイカ
答  君ノ知ツテ居ル民間同志ニ知ラシテクレト、申置キシマシタ。
  其ノ後二十八日ニ、赤澤ガ印刷シタモノヲ持ツテ來マシタノデ見タ処、
内容ガ扇動的ニナツテ居ツタノデ私ハ不快ニ感ジマシタ。
( 第五ないし第八問答省略 )

九  問  泰助事赤澤良一トノ關係如何
答  赤澤ハ、北一輝方ノ書生ヲシテ居ツタ事ガアリ、其ノ後私ノ方ニモ出入シ、
  敏捷びんしょうニ立廻ツテ何呉トナク世話シテクレルノデ、私ハ留守中ノ事ヲ頼ム心意デ、
二月二十五日ノ夕方私方ニ來テ貰ヒマシタ。
其ノ時私ハ
「 明早朝青年將校等ガ蹶起スルカモ知レヌガ、
青年將校等ト自分ノ從來ノ立場上、關係ノ有無ニ拘ラズ蒼イノデ、暫ク家ヲ留守ニスルカラ留守中ヲ頼ム 」
ト依頼シ、其ノ夜遅ク北一輝方ニ行ク際モ、自宅ヲ出テ圓タクヲ拾フ迄一緒ニ來テ見送ツテクレマシタ。
其ノ翌二十六日木村病院ニ呼寄セ、爾來、陰ニ陽ニ私ノ爲ニ身ノ廻リノ世話ヲシタリ、
又各方面ニ聯絡シテクレマシタ。


( 第一〇ないし第一二問答省略 )

一三  問  軍隊側ガ蹶起シテ斯ル大事件ヲ起シタ場合、
  平素被告人ニ出入シテ居ツタ民間側ノ者ガ集ツテ來テ、軍隊側ヲ支援スル爲彼是策動スル事ハ當然ノ事ト思ハレルガ、
之ニ對シテ如何ナル処置ヲシタカ
答  確實ナ情報ヲ知リタイ爲、私ノ処ヘ集ツテ來ル事ハ當然ノ事ト思ハレマスガ、
  當時私方ニ誰ガ集ツタカ、又集ツテ何ヲシテ居ツタカ全然承知シテ居ラナカツタノデ、
私ハ制止モセズ又指圖モセズ、放任シテ置キマシタ。


一四  問  福井、澁川、加藤、赤澤其ノ他ノ者ガ被告人方ニ集合シテ、
  大眼目カラ昭和維新第一報乃至第三報ノ發行、蹶起趣意書及大詔渙發ノ請願書等ノ印刷、
地方ノ同志トノ聯絡等ヲ爲シ、軍隊側ヲ支援スル爲種々策動シテ居ツタ様デアルガ、
之ハ被告人ノ指令ニ基イテヤツテ居ツタノデナイカ
答  私ハ始終北一輝方ニ居リマシタノデ、私ノ留守宅デ彼等ガ何ヲヤツテ居ツタカ、全然承知シテ居リマセヌ。
  二月二十六日ニ赤沢ガ二、三部印刷物ヲ持ツテ來タノデ、始メテ承知シタノデアリマス。


一五  問  三月二日下谷ノ下宿ニ滞在中丹羽五郎ト會見シタ際、被告人ハ
「 今度ノ事件ハ蛤御門ノ事變ノ様ナモノデ、夫レダケ日本トシテハ二度ト繰返シタクナイ。
 此次ハ、完全ナル維新ノ大キナ犠牲ヲ拂ヒタタクナイ 」
ト申シ、又
「 平生自分ノ所ヘ出入シテ、色々ト教ヘテ居ツタ若イ人達デコウシタ大事件ヲ起シタ事ニ附テハ、
 自分トシテハ感ジ過ギル程十分ナル責任ヲ感ジテ居ル 」
と云フ事ヲ話シタトノ事デアルガ如何
答  当時其ノ様ナ考デ居リマシタノデ、其ノ通リノ事ヲ話シタト思ヒマス。

( 第一六ないし第一八問答省略 )

一九  問  宮本 ( 筆者注、宮本正之を指す) ハ、昭和十年七月頃被告人ノ指示ニ依リ、
  金澤市ニ 「 天劔塾 」 ナル革新青年團體ヲ組織シ、維新斷行ノ際地方ニ於テ相呼應シテ蹶起スル別動隊タル爲ニ、
同志ノ獲得、啓蒙運動ニ努力シテ居ツタ様デアルガ如何
答  金澤市ニ 「 天剣塾 」 ト云フ革新團體ノアル事ハ、全然知リマセヌ。
  又、私ガ指示シテ左様ナ團體ヲ組織セシメタ事モ、覺ヘアリマセヌ。
夫レハ全ク人違ヒデナイカト思ヒマス。
元來私ハ、一定ノ生業ニ就キ眞面目ナ生活ヲ營ム者デナケレバ、
改造運動ヲヤツタトテ駄目ダト云フ信念ヲ持ツテ居リマシタ。
塾ト云フ様ナモノヲ作リマスト、其ノ經營資金調達ノ爲事實ヲ虚構シ、無理ヲスル事ニナリ、
從ツテ改造運動モ堕落スル事ニナリマスノデ、
私ハ此ノ意味ニ於テ、塾ヲ設ケテ改造運動ヲスル事ニハ反對デアリマシタ。


二〇  問  二月二十三日頃金澤ノ天剣塾ニ指令ヲ出シテ、東京ノ同志ト相呼應シ、
  蹶起スル手筈ニナツテ居ルト云フ事デアルガ如何
答  私カラ左様ナ指令ヲ出シタ事ハアリマセヌ。東京カラ左様ナ指令ガ出テ居ルトスレバ、
  夫レハ私ノ關係シタ事デナク、人違ヒデアルト思ヒマス。


( 第二一問答省略 )

二二  問  本年二月中旬頃龜川宅で、磯部 村中 満井 被告人 ( 西田 ) 等ガ會合シ、
  相澤公判ノ打合セヲシタ際、満井、磯部、被告人トノ間ニ次ノ様ナ問答ヲシタカ
此時豫審官ハ、被告人満井佐吉第二回予審訊問調書第十八、十九、二十問答ヲ讀聞ケタリ
答  相澤公判ガ始マツテカラ、龜川宅デ二回位會合シタダケデアリマスガ、
  夫レハ二月上旬カ中旬カヨク覺ヘテ居リマセヌガ、私ハ二回共遅ク出席シ、早ク歸ツテ、
相澤公判ノ打合セ以前ニ其ノ様ナ話ノアツタ事ハ、記憶ニ殘ツテ居リマセヌ。
尤モ、磯部ト満井トガ激論ヲシタコトヲ後デ聞イタ事ガアリマスガ、
如何ナル激論ヲシタカ、其の内容ハ聞イテ居リマセヌ。


二三  問  青年將校ガ蹶起シタ場合ニ満井中佐ガ如何ナル態度ニ出ルカヲ知ル爲ニ、
  磯部ト被告人トデ満井ヲ打診シタノデハナイカ
答  其ノ様ナ記憶ハアリマセヌ。
  尤モ、磯部ト満井ト激論シタ場合ニ、若シ私ガ其ノ様ナ事ヲ言ツタトスレバ、
夫レハ其ノ様ナ場合ニ兩者ヲ取做シテ仲裁ヲスル者ハ私ヨリ外ニナイト思ヒマスカラ、
其ノ意味デ二、三口ヲ利キ引分ケタカモ知レマセヌガ、記憶ニ殘ツテ居リマセヌ。


二四  問  被告人ト満井中佐トノ關係如何
答  私ハ、満井中佐トシツクリ合ハナイト思ヒマス。一昨年秋頃、
  満井の姪婿デ九州ノ護國軍ノ一派ニ關係シテ居ル私ト同姓ノ西田ト云フ者ガ、林陸相ノ所ヘ行キ、
「 陸相ガ起タネバ、護國軍ハ九州ノ青年將校ト一緒ニナツテ蹶起スルカモ知レヌ 」
「 本省カラ追ヒ出シタ満井ヲ、本省ニ歸シテ統制スル必要ガアル 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ進言シタトノ事ヲ、有末秘書官ヨリ聞イタノデ、私ハ満井中佐ニ對シ、
「 アナタガ西田某ヲシテ進言サセタ様ニ思ハレ、不穏当デアルカラ注意セネバナラヌ 」
ト忠告シテ置イタ事ガアリマス。
然ルニ満井中佐ハ、西田ハ 「 スパイ 」 ダトカ、西田ハ官憲ト通謀シテ居ルトカ、
西田ノ家ノ吸殻入ハ金デ出來テ居ルトカ、
九州ノ護國軍ハ自分が組織シタモノナルニ、西田ガ之ヲ撹亂シテ居ルトカ、
色々ノ 「 デマ 」 ヲ飛バシ始メタノデ、其ノ時以來私ハ同中佐ト絶交狀態デアリマシタ。
又満井中佐ハ、合法主義的ナ事ヲ常ニ口ニシテ居リマシタガ、
「 要スルニ維新ト云フ事ハ、鶏卵ガ割レテ中カラ雛ガ出テ來ル様ナモノダ 」
ト申シ、私ハ之ニ對シ
「 國家ノ革新ヲヤル時、即卵ノ殻ヲ破ツテ雛ガ出ル時、血ガ出ルカ出ナイカ 」
ト質問シテ論爭シタ事モアリマスガ、議論別レトナリ、満井中佐ガ相澤公判ノ弁護人トナル迄會ハズニ居リマシタ。
又、一昨年秋十一月事件ノ前頃ニ新宿ノ宝亭デ青年將校ガ宴會シ、( ・・・リンク → 栗原中尉と十一月二十日事件・・・末松太平 村中孝次 「 やるときがくればやるさ 」 )
栗原ガ岡田首相ノ額ヲ國賊ノ額ダト言ツテ外シタ事ガアリ、其ノ際モ出席シテ一席弁ジマシタガ、
別室ニ於テ私ヲ攻撃シタトノ事デ、當日同席シタ大蔵大尉ハ、憤慨シテ私ニ其ノ話ヲシテクレタ事ガアリマス。
又、満井ハ、「 僕 ( 満井 ) ガ出レバ維新ガ一遍ニ出來ルノダカラ、僕ノ云フ事ヲ聞イテツイテ來ル様ニセヨ 」
ト常ニ若イ者ニ對シ大言壯語シテ居ツタノデ、若イ者トノ間ニ精神的ニシツクリ合ハヌモノガアリマス。
夫レデ満井ハ、若イ者等ハ満井ノ云フ事ヲ聞カズ、私が云ヘバ何デモ聞クト思ツテ居ル様デアリマス。
以上ノ様ナ關係デアリマシテ、私ハ長イ間満井ト交ツテ居リマセヌデシタガ、最近相澤事件ノ事ヨリ、
私ハ相澤ノ爲ニ少シデモ刑ガ輕クナル様ニト思ヒ、虫ヲ殺シテ満井ト會ツテ居ツタノデアリマス。
満井ガ相澤事件ノ弁護人ヲ引受ケタ時、
「 僕ハヤルガ、若イ連中ガ飽キ足ラヌ點ガアルト言ヒ出シタ時、押ヘテクレルカ 」
ト申シ、私ハ
「 出來ルダケヤリマス 」 ト申シタ事ガアリマス。
又、二月中旬満井ト會ツタ時、
「 若イ連中ガ蹶起スルト云フ空氣ガアツタラ、押ヘテクレ。
 直接行動ハ何遍モ繰返サレテ居ルノデ、世間デハ嫌ガツテ居ルカラ、若イ聯中ニ氣ヲ付ケル様ニ注意シテヤツテクレ 」
ト言ハレ、私ハ「 相澤様カラモ其ノ様ナ事ヲ言ハレテ居ルノデ、十分注意シマセウ 」
ト申シテ置イタノデアリマス。
然シ、相澤公判ニ對シスル私ノ態度ハ、
相澤様ガ巷説ヲ信ジテ兇ニ出タモノデ無イト云フ眞相ヲ明カニシ、
少シデモ刑ヲ輕クシテ、其ノ精神ヲ世間ニ認メテ貰ヒタイト云フ氣持デ努力シテ居ツタノデアリマスガ、
満井中佐ハ相澤公判ヲ通シテ維新ノ氣運ヲ醸成シ、之ニ依ツテ一擧ニシテ軍ガ維新ニ邁進スル様ニ、
政治的工作ヲ考ヘテ居ツタ様デアリマス。
夫レハ相澤公判ノ始マル前頃ニ陸軍省ニ到リ、陸相其ノ他上層部ノ人ニ面會シ、
「 軍内ニ對立セル派閥ガ手ヲ握リ、擧軍一體トナツテ維新ニ前身スルカラ軍内ハ騒ガズニツイテ來イ、ト聲明セヨ 」
ト云フ趣旨ノ重大ナ進言ヲシタトノ事デアリマスガ、
右ハ満井ガ、軍内ノ政治的工作ニ依ツテ相澤公判ヲ解決セネバナラヌ、ト考ヘテ居ツタモノト想像シテ居リマシタ。


二五  問  小笠原長生トノ關係如何
答  「 ロンドン 」 條約ニ關聯シ統帥權干犯問題ノアツタ際、私ヤ北等ガ民間ニ於テ諸方面ヲ駆ケ廻リ、
  參考資料ヲ蒐集シテ小笠原子ニ提供シ、其ノ反對運動ニ強力シテ努力シタ關係デ、小笠原子ノ知遇ヲ得、
爾來時々訪問シテ各種ノ情報ヲ知ラセテ居リマシタ。
事件前ニ訪問シタノハ二月二十日頃ノ事デアリマス。
夫レハ相澤公判ニ附 荒木大將、阿部大將等ガ、先輩軍人ヲ公判廷ニ證人トシテ呼出ス事ハ宜シクナイ
ト主張シテ居ラルル事ヲ新聞デ知リ、又山口大尉カラモ聞イテ居リマシタノデ、
同大將等ノ考ノ間違ツテ居ル事ヲ指摘シ、合法的ニ軍内ヲ肅正スル手段トシテ是非必要デアル事ヲ話シ、
小笠原子カラ荒木大將ニヨク敎ヘテ頂ク事ヲ依頼シ、尚相澤公判ノ内容ノ事ヲ若干話合ヒマシタ。
其ノ時小笠原子ハ、
「 新聞デアナタノ直接行動反對方針デアル證言ノ掲載記事ヲ見テ、
 アナタノ立場ガ漸次明カニナツテ、私モ喜ンデ居マス 」
ト申サレタ事ヲ覺ヘテ居リマス。
又、其ノ時 「 陸軍ノ混沌タル現狀ヲ収拾シ得ル者ハ誰ト思ヒマスカ 」 ト尋ネラレ、
私ハ 「 柳川中將ト眞崎大將位デセウ 」 ト答ヘマシタラ、
小笠原子ハ 「 眞崎君ナラバ自分モ適任ト思フ 」 旨ヲ申サレマシタ。
其ノ他二、三ノ話ヲシテ歸リマシタ。
今回ノ事件ニ附テハ、事前ニハ何モ話シテ居リマセヌガ、事態ノ収拾ニ附海軍側ノ助力ヲ期待スル爲、
私ハ小笠原子ニ御願ヒスル考デ龜川ヤ山口大尉トモ其ノ事ヲ申合セ、
二月二十六日以後、二、三回小笠原子ト電話デ聯絡シタ事ハ、既ニ申上ゲタ通リデアリマス。


二六  問  北一輝ハ、被告人ガ今回ノ事件ニ附如何ナル態度ニ出ルカ懸念シ、
  事前ニ被告人ニ對シ、「 君ハ何ウスルノカ 」 ト尋ネタ処、被告人ハ沈痛ナ顔色ヲシテ、
「 今度ダケハ私ヲ止メナイデ下サイ 」 ト答ヘタノデ、
被告人ハ今回ノ事件ニ附蹶起將校等ト相結ビ、彼等ト運命ヲ共ニスベク決心シタモノト観察シ、
從來世間カラ妙ナ立場ニ置カレテ苦シンデ居ツタ被告人ノ胸中ヲ察シ、
被告人ノ申出デヲ承認シタト申シテ居ルガ如何
此時豫審官ハ、被告人北輝次郎第一回豫審調書第十一問答ヲ讀聞ケタリ
答  若イ者等ノ蹶起ノ決意ハ、最早我々一人ヤ二人ノ力デハ押ヘル事ガ出來ナイ程ニ進ンデ居ルカラ、
  アナタモ止メナイデクレト申シテ諒解ヲ得ル心意デアリマシタガ、言葉ガ足リナカツタ關係上、
北ハ、私ガ此事件ニ附直接若イ者等ト關係シ、
彼等ト運命ヲ共ニスベク決心シタモノト勘違ヒシタノデハナイカト思ヒマス。
率直ニ申上ゲマスト、從來青年將校等ガ年中病ノ様ニ時々 「 ヤル、ヤル 」 ト申シテ、
之ヲ押ヘルノニ蒼蠅クテ仕方ガ無カツタ位デアリマスガ、押ヘ、押ヘテ來タ処、
今回ハ栗原ヲ呼ンデ説得シタ処、其決心ノ固イ事ヲ知リ、
更ニ安藤ニ會見シタ処、沖モ押ヘ切リナイ情勢ニ進ンデ居ルコトヲ知ルニ及ビ、
私ハ其ノ去就ニ迷ツタノデアリマスガ、彼等ハ國家ノ改造又ハ建設等ノ事ニハ直接触レナイデ、
單ニ捨石トナツテ重臣 「 ブロック 」 ヲヤルトノ事デアツタノデ、ドウセ押ヘテ押ヘ切レナイモノナラ、
彼等ノ欲スル儘ニヤラセルヨリ外ニ仕方アルマイト思ヒ、
此爲ニ私モ多少ノ犠牲ヲ拂ハネバナラヌガ已ムヲ得ナイ事デアルト諦メマシタ。
然シ、青年將校等ハ純粋ナ気持デ蹶起スルノデアルカラ、民間側ノ同志ハ參加シテ貰ヒタクナイト思ヒマシタ。
而シテ蹶起シタカラニハ、其ノ結果ガ惡クナルトハ思ハズ、出來ル限リ好結果ヲ得サセル様ニ事態ヲ収拾シテ遣リタイ、
夫レモ私ノ立場上、極メテ短期間ニ其ノ処置ヲシテ置イテヤリタイト決心シタノデアリマス。
彼等ガ蹶起シタナラバ、早晩私ハ連レテ行カレル事トナリ、私ノ身ニモ變動ガ起ルデアラウカラ、
一應北ニモ話シテ其ノ諒解ヲ求メテ置ク必要ガアルト考ヘ、二月二十一日頃北ノ家ラ行ツテ、
簡單ニ右ノ事情ヲ話シタノデアリマス。
右の如ク最早押ヘ切レヌ情勢ナルコトヲ知ツテ、ヤルモノハヤラシテヤレ、
ヤリタイ事ハ思フ存分ヤラシテヤレト云フ氣ニナリマシタガ、
夫レト同時ニ、從來何カ事ガアツタ場合ハ自分ガヤラシタト言ハレ、
又事前ニ事ガ發覺スレバ私ガ密告シタト言ハレ、其ノ都度私ハ迷惑ヲ被ツテ不愉快ノ目ニ會ツテ來マシタノデ、
此機会ニ從來ノ惡宣傳ヲ一掃シタイト云フ氣ニモナリ、又今回ノ事件ガ萬一事前ニ暴露シタ場合ニハ、
從來ノ例ニ依リ世間カラハ私ガ暴露シタト見テ、之迄ノ例ト異リ、今回ハ内輪カラ暴露シタト笑ハレルノハ當然デアリ、
之ハ私トシテ忍ブベカラザル所デアリマスカラ、實ハ事件直前頃ニハ事前ニ發覺シナイ様ニ祈リ、
ドウカ營門ダケデモ出テクレタラヨイト云フ氣持ニナツテ居リマシタ。
右ノ様ナ複雑ナ氣持ヲ抱イテ焦ツテ居リ、此氣持ハ北ニ會ツタ時其ノ時々ニ話シタ筈デアリマスカラ、
北モ判ツテクレタモノト思ツテ居リマシタ。
實ハ、二月二十五日夜北方デ、北ハ北ノ親友岩田富美夫ニモ話シテ置イテハドウカト申シマシタガ、
私ハ事前ニ萬一暴露シタ場合私ノ立場ヲ考慮シ、彼等ガ蹶起シタ事ガ判ツテカラ話シタ方ガ宜イト申シテ、
止メテ置イタノデアリマス。


二七  問  今回ノ事件ニ參加シタ青年將校其ノ他デ、被告人ガ知ツテ居ル同志ヲ述ベヨ
答  香田大尉 安藤大尉 河野大尉 栗原中尉 坂井中尉 對馬中尉 中橋中尉
  田中中尉 村中孝次 磯部淺一 澁川善助
  等デアリマス。右ノ内村中、磯部、澁川、栗原、安藤等ハ、
特ニヨク其ノ性質ヲ知ツテ居ル間柄デアリマスガ、其ノ他ハ一、二回ノ面識ガアルダケデアリマス。
尚、野中大尉ノ事ハ事前ニ聞イテ居リマシタガ、
一度モ會ツタ事ガアリマセヌカラ、如何ナル性質ノ人デアルカ承知シテ居リマセヌ。
又民間側ヨリ參加シテモノデハ、水上源一トハ學生時代ニ一、二回會ツタ事ガアリマス。


二八  問  今回ノ事件ノ首脳者ハ誰カ知ツテ居ルカ
答  首脳者トシテ指導的立場ニ在ツタ者ハ、磯部 栗原 等デアリ、之等ガ急先鋒トナリ、
  之ニ 村中 香田 安藤 河野 等ガ引ズリ込マレタノデハナイカト観察シテ居リマシタ。


二九  問  北一輝ヤ被告人等ハ、國家改造運動ニ携ツテ居ル同志等ノ思想的中心デアルト認メラルルガ如何
答  日本改造法案ヲ信奉セル同志ニ對シテハ、
北ヤ私等ハ其ノ思想的中心デアルト申ス事ガ出來ルト思ヒマスガ、
  改造法案ヲ熟読玩味シ、其ノ根本理論ヲ體得シタ同志ハ多クナイト思ヒマス。
殊ニ青年將校等ハ、熱心ニ研究シテクレル者ハ尠ナイノデアリマス。
ヨク勉強シテ改造法案ノ根本理論ヲ研究理解シテ居ル者ハ、
和歌山ノ大岸頼好位ノモノデアルト私ハ思ツテ居リマシタ。
從ツテ、青年將校、殊ニ今回ノ事件ニ參加シタ青年將校等ハ、
思想的ト云フヨリモ、寧ロ感情的ニ結バレテ居ル點ガ多イト思ヒマス。
換言スレバ、等シク國家改造ヲ志シテ居ル者デモ、
感情的ニ對立シテ居ル大川周明一派 ( 即民間及軍人 ) ノ如キニ對シ、
所謂共同ノ敵ニ對スル防衛ト云フ意味ニ於テ、私ヤ北ガ其ノ中心トナリ、
又ハ往來ノ足溜リ場所トモナツテ居ツタノデアリマス。
右ノ意味ニ於ケル同志トシテノ中心デアル、ト見ルノヲ至當ト思ヒマス。


三〇  問  結局今回ノ事件ニ參加シタ同志等ノ中心トシテ、被告人ヤ北一輝等ガ策動シ、彼等ヲ踊ラシタモノデハナイカ
答  其ノ様ナ事ハ毛頭アリマセヌ。
  事前ニ或程度ノ計劃ハ知ツテ居リマシタガ、之ニ對シ私モ北モ指圖、意見等ヲ述ベタ事モナク、
又積極的ニ相談ヲ受ケタ事モアリマセヌ。
實ハ彼等ガ蹶起スレバ、從來ノ關係上多少ノ犠牲ハ覺悟シテ居リマシタガ、
事件ノ首魁ノ如キ取扱ヲ受けて居ル事ヲ知リ、其ノ結果ノ意外ニ大ナル事ニ、驚イテ居ル次第デアリマス。
然シ、私トシテハ、蹶起シタ若イ者等、即反亂者ノ企圖目的ヲ達成セシメ、
出來ルダケ有利ニ事態ヲ展開シテ遣リタイトノ親心ノ如キ感情カラ、
事前事後ニ於テ若干ノ支援幇助ヲシテ遣ツタノデアリマスカラ、
其ノ意味ニ於テ重大ナル責任ヲ受クベキ事ハ、覺悟シテ居リマス。


三一  問  山口大尉ト今回ノ事件トノ關係如何
答  山口大尉ハ維新運動ニ對シ合法主義者デアリマシタガ、
  本年一月兵ノ入營ノ際、父兄ニ過激ナ挨拶ヲシテ問題ヲ惹起シタ事ガアリマスガ、
其ノ反響ガ全國的ニ意外ニ大キイト申シテ居リマシタ。( ・・・リンク →山口一太郎大尉 壮丁父兄に訓示  )
其ノ様ナ關係デ現狀打開ニ附キ多大ノ關心ヲ持チ、相當強イ意見ヲ主張シテ居ラレマシタガ、
今回ノ事件ニ附テハ、其ノ直前頃ハ私ト同様ナ心持デアツタト思ヒマス。
即、何トカシテ押ヘ様ト努力シタガ、遂ニ力及バズ引ズラレテ渦中ニ投ジタト云フ恰好デアリマシタ。
其ノ點ニ於テハ、私モ當時苦シイ立場ニ置カレノシタガ、山口大尉モ同様デ、
殊ニ同大尉ハ現役ノ身デアリ、且本庄大將トノ關係モアリ、私ヨリ一層苦シイ立場ニ置カレテ居ツタモノト思ヒマス。
結局押ヘテ押ヘ切レナイ事ヲ見極メ、
此上ハ蹶起後ノ事態ノ収拾ニ附、彼等ノ精神ヲ生カス様ニ極力努力スルヨリ外ナシト考ヘ、
其ノ點ニ附互ニ協議シタ事ハ、既ニ申上ゲタ通リデアリマス。


三一  問  龜亀川哲也ト今回ノ事件トノ關係如何
答  龜川ハ大日本農道會ニ關係シ、農村問題ヨリ經濟的ニ國家ヲ改造スル事ニ附相當進ンダ考ヘヲ持ツテ居リ、
  國家改造ニ附一脉相通ズル點ガアツタ様デアリマシタ。
私ガ龜川ヲ知ツタノハ山口大尉ノ紹介デアツテ、最近ノ事デアリマス。
龜川ハ相澤公判ノ關係デ青年將校等ト度々接觸シテ居ツタノデ、
青年將校等ノ動向ニ附テハ若干感知シテ居ツタト思ヒマスガ、
今回ノ事件ニ附事前ニ於テ大體ノ輪郭ヲ知ツタノハ、二月二十日前後頃ヨリ二十四日頃迄デアルト思ヒマス。
當時度々同人ト相會合シ、其ノ都度斷片的ニ私カラ話シテ遣リマシタノデ、
大體ノ事ハ承知シテ居ツタ筈デアリマスガ、如何ナル考デ蹶起後ノ事態ノ収拾ニ附參加シタカ、
私ニハ當時判リマセヌデシタ。
恐ラク同人ハ、革新的ナ考ヲ持ツテ居ルト同時ニ、久原トノ關係ニ於テ政治的意味ヲ含メ、
事態ノ収拾ニ努力スベク參加シタノデハナイカト思ヒマス。
從ツテ、私ヤ山口大尉ガ、若イ者ヲ押ヘテ遂ニ押ヘ切レズ、引ズラレタ形ニ於テ渦中ニ投ジタト云フ意味ト
異ツタ意味ニ於テ、參加シタ事ニナルト思ヒマス。
龜川ト事前ニ於テ事態ノ収拾ニ附協議シ、事後ニ於テ聯絡努力シタ事ハ、既ニ申上ゲタ通リデアリマス。


三三  問   襲撃目標、蹶起ノ時期等ハ、何日頃龜川ニ話シタカ
答  襲撃目標ハ二月二十二、三日頃迄ニ、斷片的ニ話シタ様ニ思ヒマス。
  又蹶起ノ時期ハ、山口大尉ノ週番中ナル事モ話シテ遣つたと思ヒマス。
愈々二十六日蹶起スル事ハ、同月二十五日頃龜川方で村中ト私ト龜川ト會見シタ際、村中カラ聞イテ確實ニ知ツタト思ヒマス。


三四  問  西園寺公襲撃ハ不可ナル意見ヲ龜川ガ主張シタノハ何日頃カ
答  夫レハ二月二十四日、龜川ガ眞崎大將ヲ相澤公判ノ證人トシテ出廷サス爲、其ノ打合セトカデ同大將ヲ訪ネ、
  其ノ歸途私方ニ立寄ツタ際ノ事デアリマス。
其ノ時龜川ノ話ニ、
「 若シ事件勃發スレバ、事後ノ事態収拾ノ爲ノ政治工作ニ元老ハ必要デアルカラ、西園寺公ハ討タヌ方ガヨイデハナイカ。
同老公ト鵜澤博士トハ懇意デアルカラ、工作スルニ都合ガ宜イト思フ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマシタノデ、私ハ
「 軍人達ノスル事ニ手ヲ出サヌ方ガ宜イ。
 彼等ハ國體顯現ノ爲ニ、君側ノ奸を除クト云フ意味ニ於テ蹶起スルノデアルカラ、彼等ノ思フ通リニヤラセタラヨイ。
事後工作ノ爲ニ、若イ者ノ心持ヲ無視スル事ハ宜クナイ。
重臣ブロックガ惡イト云フナラバ、夫レヨリ尚一層無責任デ恐懼スベキハ、寧ロ元老ガ最大マ人デアル 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ申シテ、龜川ノ意見ニ反對シマシタ。

三五  問  西園寺公ヲ殘シテ置ク事ニ附話ヲシタノハ、夫レヨリ以前デハナイカ
答  龜川ハ、其ノ以前ニ西園寺公ト鵜澤博士トハ關係ガ深イト云フ事ヲ申シテ居リマシタガ、
  西園寺公ハ殘シテ置イタ方ガ宜イト云フ事ハ、二月二十四日龜川ガ私方ニ來タ時、
同人ヨリ始メテ其ノ主張ヲ聞キ、夫レニ對シ私ガ反對シタ事ハ確實デアリマス。
私方ノ應接間デ、「 ストーブ 」 ニ當リナガラ話合ツタ事ヲ覺ヘテ居リマス。


三六  問  二月二十七日夜 村中ガ北方ニ來テ北、龜川、被告等ト会見シタ際、龜川ガ
  「 奉勅命令ハ天皇機關説ノ様ナ事デアリ、夫レハ袞龍ノ袖ニ隠レテ大御心ヲ私セントスル者ノ所業デアル 」
ト強調シタ事は事實カ
答  私ハ其ノ時龜川カラ聞イタ様ニ、確カニ記憶シテ居リマス。

三七  問  北、村中等ハ聞イテ居ラヌ様ニ申立テテ居ルガ如何
答  私ハ確カニ聞イタ様ニ記憶シテ居リマスガ、或ハ私ノ勘違ヒデアツタカモ判リマセヌ。

三八  問  地方ニ居ル青年將校同志トノ關係如何
答  地方ニ居ル青年將校中最モ關係ノ深イノハ、菅波三郎 大岸頼好 大蔵營一  等ガ主ナルモノデアリマス。
いずれモ十月事件前後カラ、革新運動ノ同志トシテ交渉ヲ持ツニ至ツタノデアリマス。
ソシテ革新運動ニ對スル態度ハ、自重的デアル點ニ於テハ私ト同様デアリマス。
今回ノ事件ニ參加シタ行動將校等ヨリモ最モ崇敬セラレ、人望ノアルノハ、菅波三郎 デアルト思ヒマス。
大蔵大尉ハ、自分ノ身體ヲ合法的ニ動カシテ行くと云フ質ノ人デアリマス。
大岸大尉ハ、若イ時ハイ意見ヲ持ツテ居リマシタガ、最近ハ自重的トナリ、
大蔵ト反對ニ總テヲ戰略的ニ動カシ、漸次維新ノ空気を醸成シテ行ク事ニ努力シテ居ル人デアリマス。
全國ノ青年將校同志、就中若イ大尉カラ中少尉マデノ同志ノ中心的立場ニ居リ、
絶大ノ信頼ヲ受ケテ居ル人ハ、大岸大尉 菅波大尉 ノ兩名デアルト思ヒマス。


三九  問  西田派ト稱スル同志ハ、
  右大岸、菅波、大蔵等ヲ中心トシテ結合シテ居ル青年將校ノ一派ヲ指スノカ
答  私等ハ、特ニ西田派ト稱シテ團結シテ居ルモノデハアリマセヌ。
  西田派ト云ヒ出サレタノハ、曩さきニ申シタ通リ私等ト對蹠的たいせきてき立場ニ居ル大川周明一派デアリマス。
彼等ハ各種ノ 「 デマ 」 ヲ飛バシ、惡宣傳ヲ爲ス對象トシテ、所謂西田派ト云フモノヲ勝手ニ作ツテ了ツタノデアリマス。
然シ、仮ニ西田派ト稱スルモノガアリトスレバ、
夫レハ 大岸 菅波 大蔵 等ヲ中心トシテ結合シテ居ル、青年將校同志ノ一團デアリマス。
其ノ一團ノ中ニモ、栗原ノ如キ急進的ナ思想ヲ抱イテ居ル者モアリ、
夫レト反對ニ漸進的ニ、即合法的ニ改造運動ヲ進メテ行ク考ヲ持ツテ居ル者モアリ、
必ズシモ一律デナイ事ハ、既ニ申上ゲタ通リデアリマス。


四〇  問  今回ノ事件ニ附、事前ニ於テ地方青年將校同志ト聯絡シテアツタノデハナイカ
答  夫レハ私ハ承知シテ居リマセヌガ、具體的ノ事ハ聯絡ハナカツタノデハナイカト思ヒマス。

(ハ)  昭和一一年七月七日付第六回被告人訊問調書
  最後の予審調書であって、西田の心境と将来の方針を問うものである。
この二日前の七月五日、一七名もの被告人らに死刑判決が宣告されている。
西田の説得を無視して反乱軍に投じた澁川善助も、その中の一人であった。
澁川は牧野内府の居場所の偵察にこそ協力したが、事件には直接参加していない。
彼は、事件が終盤を迎えた二月二十八日、同志らの安否を気遣って、
山王下の料理店幸楽に立てこもっていた安藤大尉 ( 仙台陸軍地方幼年学校で、澁川の一期先輩であった )
のもとに馳せ参じたに過ぎなかった。
検察官の求刑が禁錮一五年だった水上源一 ( 弁理士、湯河原での牧野内府襲撃に参加した ) に対する死刑判決も、意外であった。
水上の極刑は重きに失するという世間の反響であったことが、戒厳司令部の資料に記録されている。
この判決は、極刑が多数出ることを覚悟していた筈の西田にとっても、おそらく衝撃的であったに違いない。
この期に及んで、冷徹な彼が自らの死を予感しなかった筈はない。
あの澁川でさえも、死を免れなかったのである。
しかし、數エ年三十六歳の西田は、ソレニモカカワラズ必死に生きようとする。
彼は、制止を振り切って去って行った後輩たちの万感の思いに涙しながらも、
予審官に対して、「 私は今や心身共に疲れ切っています 」 と告白し、
革新運動への決別を宣言し、「 故郷ニ於ケル信仰生活 」 こそが、自分に残された唯一の希望であると訴える。
あるいは、顧みることの少なかった最愛の妻の面影も、脳裏をよぎっていたのかもしれない。
もちろん西田は、最後までおのが矜持きょうじを捨ててはいない。
それにもかかわらず、「 不幸私ノ如キモ稀デアルト考ヘ、寂寥断腸ノ思ヒ 」 と嘆くこの調書からは、
刀折れ、矢尽きた西田の呻吟が聞こえてくるような気さえする。
以下、全文を収録する。

一  問  氏名ハ
答  西田税。
二  問  之迄陳述シタ意外ニ、何カ弁解スル事ハナイカ。
  此時豫審官ハ被告人ニ對シ、嫌疑ヲ受ケタル原由ヲ告知シタリ
答  何モアリマセヌ
三  問  現在ノ心境如何
答  現在ノ私ノ抱イテ居ル考ハ、眞ニ縦横無盡デアリマスガ、其ノ一端ヲ申上ゲマス。
一、事件ニ就テ
  今回ノ事件ハ、勿論不祥事件デアリマスガ、之ハ一朝一夕ノ処産デハナク、
小ニシテハ陸軍ガ宝蔵シ、大ニシテハ國家ガ含有スル幾多ノ矛盾ヨリ出發セル一大現象デアリマス。
行動其ノ事カラ申シテモ、三月事件、十月事件等ニ胎生シ、
然モ大胆率直ニ、單純拙劣ニ其ノ某程度ヲ實行シタニ過ギナイノデアリマス。
右各事件當時ノ首謀者諸氏ハ、此事實ヲ見テ、果シテ如何ナル感懐アリヤラ質問シタイト思ヒマス。
然モ三月、十月事件ハ未發ナリシガ故ニ、大臣大將トナリ、幕僚參謀トナツテ居ルノミナラズ、
「 放火犯人懐手シテ傍見スル 」 感ナキニ非サセルヤヲ考ヘサセラレマス。
而シテ、三月、十月事件ヲ魔行ナリト憤慨シ、軍私兵化、統帥權干犯ヲ追及シテ居タ青年將校同志ガ、
討魔施命ヲ佛ニトツテ、然モ其ノ行動遂ニ魔ト一ニシテ、殪レルニ至ツタノデアリマス。
實ニ佛魔一如ノ境トハ、斯ル事ヲ云フノデハナイカト考ヘマス。
二、事件ニ關係シタ點ニ就キ、
  私ハ既ニ申シタ如ク平常ノ方針、行動ヲ自ラ背擲シテ周囲ノ一切ヲ顧ミズ、
其ノ結論ノ明白ナル逆施殪行ヲ強行シ去ツタ若イ人等ノ心事ヲ追想シ、宿命ノ人々ノ如き感モシ、
又歴史ノ裏ニハ斯ル血涙ガ潜流シテ居ルカトモ考ヘ、涙ナキ能ハザルモノガアリマス。
事前ニ抑止スルヲ得ナカツタ私ハ、自ラ無力不徳ヲ恥ヂテ居リマスガ、
同時ニ抑止ノ餘地ナキ迄ニ秘シ進行シツツ、抑止ヲ容レテクレズニ、驀進ばくしん強行シテ了ツタ人々ヲ淋シク思ヒマス。
五 ・一五事件デハ、理論方針ト情誼ト二ツナガラ捨テテ背キ去ツタ海軍諸君ニ比シ、
二 ・二六事件ノ諸君ハ情誼ノミヲ留メテ居マシタ。
此気持ヲ思ヒ、理論方針ニ背馳シ去ツタ氣持ヲ思フ時、感慨今更ノ如ク深イモノガアリマス。

四  問  將來ノ方針如何
答  私ハ、改造ヲ信念トシテ來タモノデアリマス。
  國国家改造ニ關スル私ノ理論方針ハ、既ニ申上ゲタ通リデアリマスガ、
之ハ私ノ生活ノ生命トモ申スベク、如何ナル事ガアツテモ之ダケハ一歩モ譲ル事が出來ナイノデ、
今回蹶起シタ有力ナ二、三ノ同志等モ、
「 總テガ背キ去ツテモ、自分一人デ改造ノ道ヲ行ク 」
ト云フ信念退治ハ、諒解シテ居ル筈デアリマス。
私ハ、之ダケハ明カニシタイト思ヒマス。
今回ノ事件ニ關シテモ、不當過大ナル評価ハ私自身ノ生命トスル問題ニ觸レルガ故ニ、
實ニ遺憾限リナイモノデアリマシテ、世間ノ思惑ヨリモ、
私自身ノ國家社會ニ對スル理論的見解ト日本ニ對スル信念トニ於テ、黙視スルニ忍ビヌ所デアリマス。
私ハ五 ・一五事件ニ於テ流シタル血ト、拂ヒタル犠牲トヲ回想スルト共ニ、
空前ノ事例トシテ蘇活セシメラレ、今日アルヲ得テ居ル私自身ニ附テハ、
眞ニ他人ノ窺知ヲ許サナイ深甚ナル使命、職分ガアル事ヲ信ジテ居ルモノデアリマス。
而シテ、一切ノ偏傾セル認識、歪曲サレタル態度ニ依ル風評 中傷 壓迫等ノ中ヲ黙々トシテ歩一歩進ンデ來タノモ、
改造ニ對シ、國家ニ對シテ私ノ奉仕デアツテ、人ヲ相手トスル單ナル爭闘デナイカラデアリマシタ。
然シ、病餘ノ臝弱らじゃくノ身ヲ以テ上京以來十年此間、私ガ東京ニ於テ現實社會ノ渦波ノ中ニ棹シテ來タ改造生活ハ、
全ク文字通リノ浮沈辛酸デアリ、涙痕血史デアリマシタ。
利他即自利ノ菩薩行ヲ信ジテ行動シツツ、
悉ク逆施ヲ受ケテ來タ事ヲ顧ミ、不幸私ノ如キ者モ稀デアルト考ヘ、寂寥断腸ノ思ヒデアリマス。
然モ今日茲ニ至ツテ、遂ニ其ノ極ニ達シタト謂フベキデアリマス。
今ヤ十年ヲ回想シツツ、更ニ二十年ヲ回想シツツ、而シテ歴史ヲ偲ビナガラ、彼一時此一時、
感慨眞ニ滾々こんこんトシテ盡キザルモノガアリマス。
縦横ノ滾々トシテ盡キザル感慨ハ、同時ニ無逕無量ノ願求デアリマス。
而シテ之ハ、結局 「 天地ノ大ナルモノニ祈ルコト 」 ノ一事ニ決定スルト思ヒマス。
要スルニ、改造運動ガ進化ノ途上ニ於ケル現實的躍動デアル時、
進化ノ根源タル人類本具ノ 「 ヨリヨカラントスル心 」 ノ裏ノ現象トシテノ、「 ヨリヨキモノニ對スル憧憬仰願 」 、
即 祈リハ、同時ニ改造運動ノ超現實ナルモノデナケレバナリマセヌ。
私ハ、今ヤ心身共ニ疲レ切ツテ居リマス。
從ツテ、社會運動ト決別ヲ希望シテ居リマス。
之迄狙ハレ、背カレ、傷ツケラレ、追ハレテ、
眞ニ疲レ切ツタ私ノ魂ヲ快ク喜ビ迎ヘテクレルモノハ唯一ツ、故郷ノ山水風光人情アルノミデアリマス。
私ハ今無量ノ感慨リ裡ニ、故郷ト祈リノ生活トヲ慕ヒツツアルモノデアリマス。
即、「 故郷ニ於ケル信仰生活 」、之ガ私ノ將來ニ殘サレタル唯一ノ物デアリ、私ノ將來ノ希望デアリマス。


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