あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

40 二・二六事件 北・西田裁判記錄 (三) 『 公判狀況 第三回公判2 』

2016年07月20日 16時20分42秒 | 暗黑裁判・二・二六事件裁判の研究、記錄

獨協法学第39号 ( 1994 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 )
松本一郎

五  西田の起訴前の供述
 1  はじめに
 2  警察官聴取書
 3  予審訊問調書
 4  西田の手記  ( 以上39号 )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
獨協法学第40号 ( 1995年3月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 )

六  公判状況
 はじめに 
 第一回公判  ( 昭和11年10月1日 )
 第二回公判  ( 昭和11年10月2日 )
 第三回公判  ( 昭和11年10月3日 )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
獨協法学第41号 ( 1995年9月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 四 ・完 )

 第四回公判 
( 昭和11年10月5日 )
 第五回公判  ( 昭和11年10月6日 )
 第六回公判  ( 昭和11年10月7日 )
 第七回公判  ( 昭和11年10月8日 )
 第八回公判  ( 昭和11年10月9日 )
 第九回公判  ( 昭和11年10月15日 )
 第一〇回公判  ( 昭和11年10月19日 )
 第一一回公判  ( 昭和11年10月20日 )
 第一二回公判  ( 昭和11年10月22日 )
 第一三回公判  ( 昭和12年8月13日 )
 第一四回公判  ( 昭和12年8月14日 )

七  判決
八  むすび  ( 以上四一号 )

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

六  公判状況
3  第三回公判 ( 昭和11年10月3日 )

前頁、40  研究ノート  二・二六事件北・西田裁判記録(三)  『 公判状況  第三回 ・前 』 の 続き

問  同日夜北方ニ於テ、北、龜川、村中等ト會見シタリトノ事ナルガ、其ノ狀況ヲ述ベヨ
答  私ハ同日夕方龜川ニ御經ノ文句ヲ傳ヘ、又蹶起將校ヨリ聞イタ情報ヲ知ラセ、
  今後ノ対策ニ附相談シヤウト思ツテ亀川ニ電話ヲ掛ケ、「 御足労ダガ、モ一度來テクレナイカ 」 ト言ヒマシタ処、
亀川ハ同日午後六、七時頃來テクレマシタノデ、其ノ朝會ツタ室デ話シタノデアリマスガ、
私ハ小笠原中将ニ掛ケタ電話ノ内容ト略々同ジ事ヲ話シマシタ処、亀川ハ
「 陸軍首脳部ニハ、時局ヲ収拾スルニ足ル人物ガ居ナイ様ニ思フ。
 自分トシテハ、海軍ノ山本大将内閣デ進ム事ニ定メタ 」
ト言ヒ、其ノ理由モ経過モ申サズ結論ダケ申シマシタノデ、私ハ
「 今度ノ騒ギハ陸軍ガ起シタノデアリ、
 五 ・一五事件ノ時ハ海軍側ガ蹶起シタ爲、海軍ニ於テ事態収拾ニ當ツタ如ク、
今度ハ陸軍カラ出テ事態ヲ収拾シテ貰ハネバナラヌ。
此際海軍側カラ出テ貰フノハ筋違ヒノ様ニ思フ。
我々ノ意見モ蹶起将校ノ意見モ、期セズシテ一致シテ居ルノダカラ、
此儘眞崎内閣ニ依ツテ時局ヲ収拾シテ貰フ方針デ進マウデハナイカ 」
ト申シ、北ノ霊感ヲ告ゲタル上、
「 其ノ事ヲ蹶起将校等ニ傳ヘ、彼等ヨリ眞崎ニ一任シタ形ニナツテ居ルノダカラ、
 今更山本大将ニ變ヘルノモ何ウカト思フ。時ニ眞崎大将ハ何ウデスカ 」
ト申シマシタ処、亀川ハ
「 眞崎ハ二月二十六日朝家ヲ出タ儘偕行社ニ居ルサウダガ、其ノ後少シモ會フ機会ガナクテ困ツテ居ル 」
ト申シマスカラ、私ハ
「 夫レデハ困ル。眞崎デ進ム事ハ彼等ノ爲ニナル事ダカラ、連絡ガ出來ヌトスレバ、
 眞崎ト山本ハ同ジ軍事参議官ダカラ、山本大将ニ随行スルカ、
山本大将又ハ林大将ヲ動カシテ眞崎ニ我々ノ希望ヲ傳ヘテ貰フカシテ、連絡スル様ニシテハ何フカ 」
ト申シマスト、亀川ハ 「 夫レデハ其ノ様ニシヤウ 」 ト言ヒマシタ。
夫レカラ二人デ暫ク雑談ヲ交シテ居ル時、同日午後七、八時頃突然村中ガ來タトノ事ヲ告ゲラレマシタ。
私ハ最早永久ニ會ヘナイカモ知レヌト思ツテ居タ所謂死線ヲ突破シタ人ガ來タノデ、事ノ意外ニ驚クト共ニ、
再会シ得タ事ニ附非常ニ嬉シク感ジマシタ。
亀川ハ北ヲ知ラズ、当日朝來タ時ニモ會ハシテ居ナイノデ、村中ノ來タノデイイ機会ダト思ヒ、
北ヲモ呼ンデ北、亀川、村中、私ノ四人ガ一座ニ會シマシタ。
私達ハ村中ニ對シテ凱旋シタ勇士ヨリ戦争ノ話デモ聞ク様ナ気持デ、三人交々村中ヨリ、蹶起シテヨリ此方ノ状況ヲ聞キマシタ。
尤モ私トシテハ、今迄聞イテ居タ事実ヲ確メル形デアリマシタ。
村中ハ徐々ニ話シマシタガ、其ノ要領ハ、
二月二十六日朝陸相官邸ニ行ツテ大臣ト会見シタ顚末、
蹶起部隊ハ戒厳司令官ノ隷下ニ編入セラレ、現占拠地ニ留ツテ居テ宜イトノ諒解ヲ得タ事、
陸軍上層部ノ人々ガ多数來テ夫々慰問 激励シテクレタ事、
今朝栗原、磯部、安藤ハ陸軍省、参謀本部ニ兵力ヲ終結シテ、幕僚ヲ襲撃スルト言ヒ出シタガ、自分ガ之ヲ阻止シタ事、
眞崎、阿部、西 三大将ニ会見シテ、眞崎大将ニ時局収拾ヲ一任スル旨要望シタ事、
新議事堂附近ニ兵ヲ終結スル事ハ地形偵察ノ結果不可デアルノデ、其ノ旨戒厳司令官ニ申出デタ処、
安心シテ其ノ儘緩ゆるリ休養シテ宜イト言ハレタ事、
万平ホテル、山王ホテル等ニ居ル部隊ハ蹶起部隊デ、其ノ給与ハ聯隊カラ受ケテ居ル事
ナドヲ話シテクレマシタ。
「 奉勅命令デ現地ヲ撤退セシメ、若シ服従シナイ時ハ討伐スルト云フ噂ガアルガ何ウカ 」
ト申シマスト、村中ハ
「 我々ノ行動ヲ認メタ陸軍大臣ノ告示ガ出テ居ル程ダカラ、ソムナ筈ハナイ 」
ト申シテ大臣告示ノ内容ヲ説明シテクレマシタカラ、私ハ
「 折角現占拠地ニ留ツテ居ツテモ宜イト言ハレテ居ルノダカラ、民家ニ移ル事ハナイ、今迄通リ其場ニ居レバ宜イデハナイカ 」
ト言ヒマスト、村中ハ 「 夫レデハサウ致シマセウ 」 ト言ヒマシタ。
私ハ、「 早ク陸軍首脳部ノ意見ヲ纏メテ、時局収拾ニ努力スル必要ガアル 」 ト云フ趣旨ノ意見ヲ述ベ、
村中ハ約一時間程デ一人先ニ歸ツテ行キマシタ。
問  村中ガ熊々訪ネテ來タノハ、何ノ目的デアツタカ
答  村中ハ來タ時世間一般ノ状況ヲ知リタイト言ツタ様ニ思ヒマスノデ、其ノ様ナ考デ來タノデナイカト思ヒマス。
  海軍方面ノ状況ハ私カラ村中ニ話シテ遣リマシタ。
問  被告人ヨリ村中ヲ呼迎ヘタノデナイカ
答  村中ハ自発的ニ來タノデ、私ガ呼ンダノデハアリマセヌ。
問  自発的ニ來タトスレバ、何カ目的ガアル筈ト思ハレルガ如何
答  私ハ最早會ヘヌト思ツテ居タ村中ガ來タ嬉シサノ気持ガ先ニ立ツテ居リマシタノデ、
  村中ガ何ムナ目的デ來タカニ附考ヘマセヌデシタ。
問  外部ノ状況ヲ如何様ニ話シタカ
答  外部上層部ノ方々ニ御願ヒシタ事ヲ告ゲ、海軍デハ眞崎一任と云フ事ニ附支援シテクレル事ニナツテ居ル事、
  全国カラ沢山ノ激励電報ガ來テ居ルガ、戒厳司令部邊リデ押ヘテ居ルト新聞記者ガ言ツテ居ツタト云フ事 ナドヲ傳へ、
今ハ海軍側モ民間側モ、其ノ他一般ノ空気ハ蹶起部隊支援ニ傾イテ居ルカラ、
やがて有利ニ解決スルダラウト云フ風ニ、彼等ガ嬉シガル様ナ事ヲ申シテ、村中ヲ激励シテ遣リマシタ。
問  被告人ハ、一般ノ情勢ハ好転シツツアルガ、此好転ハ蹶起将校ノ内部不統一ヨリ崩壊シナイカト思ツタトノ事デアルガ、
  其ノ點ニ附村中ニ注意シタカ
答  村中ハ其ノ日安藤、磯部、栗原等ノ強硬分子ヲ抑ヘルノニ苦心シタト言ヒマスカラ、私ハ
  「 サウデアツタカ 」 ト同人ヲハル様ナ気持デ、返事ヲシテ置キマシタ。
尚、村中ニ會ツタ時ニハ、彼等ガ私ノ意見ヲ採用シテクレ、爲ニ大部分危険空気ハ消散シテ居ル様ニ思ヒマシタノデ、
村中ニハ、「 此際更ニ早ク軍事参議官ト会見シタ方ガ宜イ 」 ト話シタ様ニ思ヒマス。
問  其ノ際北ヤ亀川ハ、何カ言ハナカツタカ。
答  北ハ私ト同様、「 早ク陸軍首脳部ノ意見ヲ纒メ時局収拾ニ努力シテ貰フ必要ガアル 」 ト云フ趣旨ヲ申シテ居リマシタガ、
  亀川ガ何ト言ツタカ覺ヘテ居リマセヌ。
問  其ノ際亀川ハ、
  「 奉勅命令ト云フガ、夫レハ天皇機関説ノ様ナ事デアル。袞龍ノ袖ニ隠レテ大御心ヲ私セムトスル所業デアル 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ強調シタノデハナカツタカ。
答  私ハ其ノ時亀川ガ其ノ様ニ話シタト思ツテ居リマシタガ、夫レハ記憶違ヒデアリマシタ。
問  何故今迄左様ナ申立ヲシテ來タカ
答  何ウシタモノカ、最初ハ亀川ガ其ノ様ニ申シタモノト思詰メテ居リマシタガ、後ニ記憶違ヒナル事ガ判ツタノデアリマス。
  亀川ハ其ノ時其ノ様ナ話ヲシナカツタノガ本当デアリマス。
問  村中ガ歸ツテヨリ何ウカシタカ
答  村中ガ歸ツテカラ、亀川ハ電話デ山本大将ノ在宅ヲ確メタ上、同大将邸ニ行クト言ツテ北方ヲ出ラレマシタ。
  処ガ其夜十二時頃亀川ヨリ電話デ、
「 山本大将ノ話デハ、蹶起将校ハ全部自首シ、兵ハ聯隊ニ歸ツタトノ事デアルガ事実何ウカ 」
ト問合セガ來マシタノデ、私ハ不思議ニ思ヒマシタガ、或ハ村中ガ北方ニ來テ居ツタ間ニ急変シタノカモ知レヌト思ツテ、
「 調ベテ見テ判ツタラ知ラス 」 ト返事ヲシテ置キ、薩摩ニ電話ヲ掛ケテ其ノ真否ヲ問合シマシタ処、
「 加藤大将ノ話デハ、其ノ様ナ噂ハアルガ、事実信ジラレナイ筋カラ出テ居ル様デ、眞僞ハ判ラヌトノ事デアッタ 」
ト申シマシタ。
問  二月二十八日ノ行動ヲ述ベヨ
答  私ハ先程申上ゲマシタ通リ、事態ハ大体蹶起将校等ニ好転シツツアルモノト信ジ、安心シテ居リマシタ処、
  二月二十八日正午頃栗原ヨリ電話ガ掛リ、
「 山下少将、鈴木大佐、外ニ三人ノ比較的我々ト親シイ關係ノアル将校ガ來テ自決セヨト勧メルノデ、
 自決スル事ニナツタ 」 ト言ヒマシタノデ大変驚キ、更ニヨク事情ヲ聞カウト思ツテ居ル時電話ガ切レマシタ。
私ハ折角此処迄順調ニ運イデ來テ居ルノニ、
彼等ニ好意ヲ寄セルベキ先輩ガ、時局収拾ノ方ヲ其ノ儘ニシテ自決ヲ勧告スルノハ可怪シイト思ヒ、
今度ハ私ノ方カラ電話ヲ掛ケテ栗原ヲ呼出シ、「 先程ノ電話ハ變デナイカ 」 ト聞キマスト、
栗原ハ 「 今直グ自決スルト云フノデハナイ 」 と言ヒマスカラ、更ニ 「 多勢カ 」 シ聞キマスト、
「 自分等二、三人ノ意見ダ 」 ト申シマスカラ、私ハ
「 何事モ皆ト一致シタ行動ヲ採ルベキダ。 殊ニソンナ事ヲ早マツテハナラヌ。
 万事皆ノ者トヨク相談ノ上、皆ノ意見ヲ統一シタ上デ、生キルモ死ヌルモ事ヲ決シタラ宜カラウ 」
ト忠告シ、次デ
「 夫レハ夫レトシテ、当面ノ問題ハ眞崎ニ一任スル事ニナツテ居ルノダカラ、其ノ方ヲ急イデ完成シタ方ガ宜イデハナイカ 」
ト云フ趣旨ヲ申シテカラ、北ニ頼ムデ代ツテ貰ヒマスト、北モ栗原ニ、
「 皆ノ者ノ意見ヲ一致シテ、落着イテヤレ。自決ハ最後ノ問題デ、ヤルベキ事ハ多クアル 」
ト云フ趣旨ヲ申聞カセマシタ。
問  被告人ハ栗原ヨリ自決ノ電話ヲ聞イテ、如何ニ判断シタカ
答  彼等ハ七生報国ガモットーデ、
  今生デウマク行カナケレバ、何度モ生レテ御奉公ヲスルト云フ意見デアリマス。
然シ、彼等一同ガ同ジ其ノ気持デ居ツテクレレバ問題ハナイガ、
栗原ノ話デハ、今自決スルト云フ意見ノ者ハ二、三人ノ様ダ、
無暗ニ自決ヲ勧告シタリスルト、強硬派ハ却テ反発スル危険ガアル、
即チ、自決スル前ニ或程度ヲ解決シヤウト云フ意見デモ持ツテ居ル者ガアルト、
混乱ヲ誘致シ、社会ヲヨリ以上擾乱ニ導ク事ニナル、
最初カラ纏ツテ進ンデ來タ者ガ、今ニナツテ同志割ニナツテハ大変ダト思ヒ、
生キルモ死ヌルモ同志全員ノ意見デ 一致シタ上デヤラネバナラヌト思ヒマシタ。
又私ハ昨夜來中央部ノ意見ガ變ツテ來タトハ夢ニモ思ツテ居リマセヌデシタカラ、
山下少将鈴木大佐等平生彼等ニ同情ヲ寄セテ居ル有力ナ人達ガ、
彼等ノ爲ニ死場所を選ムデヤラウト云フ考カラ自決ヲ勧告シタモノト思ヒマシタ。
問  夫レカラ何ウシタカ
答  栗原ト電話デ話ヲシタ後ニナツテ、奉勅命令ヲ以テ断乎弾圧スルトカ、討伐スルトカ云フ噂ガ出マシタノデ、
  事情ヲ確メタイト思ヒ、同日午後四時頃栗原ニ電話ヲ掛ケテ聞キマシタ処、栗原ハ
「 何モ變ツタ事ナク、其ノ様ナ事ハ少シモ聞イテ居ラヌ。自分達モ今迄通リノ態度デ居ル 」
ト申シマシタノデ、私ハ
「 陸軍ノ首脳部ハ態度ガ判然トシナイ様デアルガ、海軍側デハ軍令部総長宮殿下ガ参内アラセラレ、
皇族会議モ開カセラレル様ダシ、相当纏ツテ陸軍側ヲ支援スル事ニナツテ來テ居ル様デ、
情勢ハ今一息ト云フ処迄進ンデ來テ居ルカラ、君等ハヨク御互ニ連絡ヲトリ、シツカリ意見ヲ纒メ、
上層部ニ對シ早ク話ヲ決メル様ニシテ貰ヒタイト云フ交渉ヲスル事ガ必要ダ 」 ト申シマシタ処、栗原ハ
「 自分達ノ決心ハ堅ク纏ツテ居ルカラ心配ハナイ、万一奉勅命令デ討伐スル様ナ事ニナレバ、
 最後ノ一人ニナル迄決戦ヲ覚悟シテ居ル 」 ト申シテ元気デアリマシタカラ、私ハ
「 兎ニ角、皆ノ意見ノ一致ヲ計ル様ニセヨ 」 ト言ツテ置キマシタ。
問  被告人ガ二度目ニ電話シタノハ村中デナカツタカ
答  其ノ日村中ニハ電話ヲ掛ケヌト思ヒマス。
問  其ノ時出タノハ栗原デナク、村中デアツタノデハナイカ
答  私ハ栗原ニ話シタトノミ思ツテ居リマシタ。
問  其ノ時被告人ガ話シタ電話ノ要旨ハ、
  「 自決ハ最後ノ問題デアル。君等ハ奉勅命令デ慌テテ居ル様デアルガ、自決スル前ニ其ノ真否ヲ確メル必要ガアル。
又一度蹶起シタ以上ハね徹底的ニ其ノ目的ヲ貫徹スル爲ニ上部工作ヲスル必要ガアリ、未ダヤルベキ餘地ガアルカラ、
夫レヲヤツテ見タ上デ、愈々イカナケレバ最後ニ自決スルト云フ事ニセネバナラヌ 」 ト云フ趣旨デアツタノデナイカ。
答  私ハ彼等ニ其ノ通リノ趣旨ノ電話ヲ掛ケタ事ハ確実ニ覺ヘテ居リマスガ、
  夫レハ唯今申上ゲタ時デアツタカ、別ノ機会デアツタカ記憶致シマセヌ。
問  スルト、被告人ガ彼等ニ對シ自決ヲ阻止シタ根本ノ趣旨ハ何処ニアルカ
答  私ヤ北ガ彼等ニ話シタ結局ノ趣旨ハ、
  「 時局ノ収拾ニ向ツテ急デ自決スルノハ最後ノ問題デ、未ダ早イ 」
ト言ツテ、彼等ノ自決ヲ阻止スルニアツタノデアリマス。
問  其ノ後如何シタカ
  同日午後五、六時頃憲兵ガ北ニ面会ヲ求メテ來タノデ、薩摩ガ二階ニ案内シ、
  北ガ憲兵ニ會ツテ居ル間ニ、私ハ裏庭ニ出テ裏門ヨリ逃ゲマシタ。
問  何故北ノ家ヲ逃出シタノカ
答  憲兵ガ來タノデ、之ハ自分ヲ捕ヘニ來タト思ツタノデ、直グ逃ゲタノデアリマス。
問  二月二十六日木村病院ヨリ旗方ニ行キ、同月二十八日北方ヲ逃出ス迄ノ間、他出シタ事ハナイカ
答  アリマセヌ。其ノ間引續キ北方ニ身ヲ隠シテ居リマシタ。
問  其ノ間如何ナル人ニ會ツタカ
答  今迄申上ゲタ外、杉田省吾ニ會ツテ居リマス。
問  何時如何ナル用事デ杉田ト會ツタカ
答  二月二十七日午後一時頃、杉田ヨリ 「 是非會ヒタイ 」 トノ電話ガアリマシタノデ、
  「 夫レナラ來テクレ 」 ト申シテ置キマシタ処、同日午後四時頃北ノ家ニ參リマシタ。
ソシテ、
「 今回ノ事件ハ、昭和維新実現ノ上カラ極メテ重要性ヲ持ツテ居ルガ、
此犠牲ヲ無駄ニシナイ爲ニハ、色々ノ方面ニ連絡ヲトツテ支援セネバナラヌガ、種々連絡スルニハ相当ノ金ガ要ルダラウト思フ。
幸ヒ自分ノ友人ノ先輩方面デ相当ノ纏ツタ金ヲ出シサウナ人ガアルカラ、貴方ガ一度會ツテ話シテ見タクレヌデセウカ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマシタ。然シ私ハ
「 自分ハ今世間ニ顔ヲ出シタクナイシ、資金ノ事ハ考ヘテ居ラヌノデ、
 其ノ様ナ人ニ會ヒタクナイカラ、君達ノ方デ適当ニヤツタラ宜カラウ 」
ト言ツテ斷リマシタ処、杉田ハ話題ヲ變ヘテ、「 確実ナ情報ヲ知リタイガ、貴方ノ方ニ判ツテ居ナイダラウカ 」
ト申シマスノデ、私ハ夫レ迄ニ知リ得タ情報、即チ、
「 蹶起の理由、 之ハ蹶起趣意ヲ見レバ判ル。
 趣意書ハ三六社デ五、六万部印刷シタトノ事デアルカラ、貰ツテ來タラヨイ。
占拠地点、 首相官邸、陸軍省、参謀本部、警視庁、
決行部隊、 歩一ヨリ香田 栗原 林等ノ率ヒル約三ケ中隊、歩三ヨリ野中 安藤等ノヒル約六ケ中隊、
近歩三ヨリ中橋等ノ率ヒル約一ケ中隊、其ノ他 河野 對馬 竹嶌 村中 磯部等ノ将校約二十名、
下士官以下合計約二千名。決行部隊ハ、二月二十六日警備司令部発令ニ依リ現地域ヲ占拠ノ儘編入セラレ、
翌二十七日戒厳令発令ト共ニ、現地占拠ノ儘其ノ隷下ニ編入セラレタ 」
ト云フ様ニ、順次説明シナガラ便箋紙ニ鉛筆デ書イテ行キマシタガ、
杉田ハ 「 ソレヲクレナイカ 」 ト申シマスカラ、
私ハ
「 君ニ渡シテ遣ツテモ宜イ。尚当局カラ真相ヲ発表サレナイノデ、
 色々デマガ飛ムデ居ル爲ニ民間側同志ガ間違ツタ行動ニ出テハナラヌカラ、
君ノ知ツテ居ル民間側同志ニ此内容ヲ傳ヘテクレ 」
ト申シテ、其ノ鉛筆書ヲ杉田ニ渡シテ遣リマシタ。
問  其ノ情報ハ杉田ガ如何ナル方面ニ配布シ、如何ニ利用スルト考ヘテ渡シタノカ
答  杉田ハ一種ノ論客型ノ人デ、各方面ニ於テ色々有力ナ人ヲ知ツテ居リマスカラ、
  其ノ内ノ主ナル者ダケニデモ真相ガ判ツテ貰ヒタイト思ヒ、
杉田ニ情報ヲ渡セバ、杉田ハ無論夫等ノ人ニ配布スルデアラウト思ツテ渡シマシタ。
( 中略 )
問  被告人ハ自宅ヲ出タ後、留守宅ニ在ル同志ト電話連絡シナカツタカ
答  連絡シタ事ハアリマセヌ
問  被告人留守宅ニハ、福井幸、赤澤良一ノ外、加藤春海、澁川善助等ガ寄ツテ居タデハナイカ
答  妻ノ電話ニ依ツテ、加藤春海ヤ澁川善助ガ來タト云フ事は判リマシタガ、直グ歸ツタモノト思ヒ、
  彼等ガ私方ニ寄集ツテ居ツタ事ハ知リマセヌ。
問  被告人ハ杉田省吾ニ情報ヲ渡シタ際、留守宅ニ集ツテ居ツタ彼等ニ説明シテ遣ツテクレト頼ムダノデナイカ。
答  其ノ様ナ事ハ杉田ニ頼ミマセヌ。
問  誰ヨリカ連絡ガアルベキ筈ノ様ニ思ハレルガ何ウカ
答  実際、何ノ連絡モアリマセヌデシタ。
問  彼等ガ蹶起シ、今回ノ様ナ重大事件ヲ惹起シタ際、平素ヨリ被告人方ニ出入シテ居タ民間側同志ガ被告人宅ニ集リ、
  蹶起部隊ヲ支援スル爲ニ策動スルノハ当然ダト思ハレルガ如何
答  今考ヘマスト、彼等ガ確実ナ情報ヲ知リタイ爲ニ私方ニ集ツテ來ル事ハ当然ト思ハレマスシ、
  餘知出來ル筈デアリマスガ、当時ハ実際彼等ガ私方ニ集ツテ來ルトモ思ハズ、又集ツテ居タ事ハ知リマセヌデシタ。
問  彼等ハ被告人宅ニ集リ、大眼目及昭和維新情報ノ発行、蹶起趣意書及大詔渙発ノ請願書等ノ印刷ヲ爲シ、
  地方ノ同志ト連絡スル等、蹶起部隊ヲ支援スル爲種々策動シテ居タ様デアルガ、
之ハ被告人ノ指図ニ基クノデナイカ
答  其ノ様ナコトハアリマセヌ。二月二十八日赤澤ガ北方ニ居ル私ノ処ヘ來テ、
  印刷物ヲ渡シテクレマシタカラ見ルト、私ガ前日杉田ニ話シナガラ書イテ遣ツタ情報ヲ謄写シタ様ナモノデアリマシタガ、
其ノ内容ハ私ガ申シタ通リデナク、相当煽動的ニ修正サレテ居ツタノデ、此様ナ事ヲセラレテハ困ルト不快ノ気持ニナリマシタ。
昭和維新情報其ノ他ノ印刷物等ハ、警視庁デ見セラレテ始メテ知ツタ次第デアリマス。
問  記事ハ知ラナカツタニセヨ、其ノ趣旨ニ於テ蹶起軍ノ爲ニ働イテ居ツタ事ハ、被告人ガ知ラヌ筈ハナイト思フガ何ウカ
答  従来ノ關係モアリ、彼等ガ私方ニ來リバ私ガ北方ニ居ル事モ判ル筈デ、其ノ間ニ連絡ガアリ、
  又彼等ノスル事ハ私ノ知ラヌ筈ナキ計リデナク、私ノ指図ニ依ルモノト解釈セラルノガ普通ダト思ヒマス。
然シナガラ、赤澤、福井ナドニ留守番ハ頼ミマシタガ、
ソムナ事ヲヤレトハ申シテアリマセヌシ、策動スルトハ思ツテ居リマセヌデシタ。
又、時局収拾ニ附一日、二日ヲ爭ツテ居ル際、斯様ナ悠長ナ事ヲシテ何ノ救ガアルカト言ヒタクナリマス。
私ハ留守宅デ斯様ナ事ヲシテ居ル事ガ判ツタラ、無論直グニ止メマス。
故ニ留守宅ノ監督ガ不行届ダト云フ事デ責任ヲ負フ事ハ已ムヲ得マセヌガ、夫レ以上ノ責任ハ負ヘマセヌ。
問  澁川善助モ被告人ノ留守宅ニ來リ、福井等ト共ニ外部ヨリ蹶起軍ヲ支援スベク、策動シテ居タデハナイカ
答  二月二十六日夜澁川カラ電話ヲ掛ケテ寄越シタ時ノ話ノ様子デ、澁川ハ方々飛廻ツテ居ル様ニ思ハレタノデ、
  「 君ニハ無用ナ事ヲシテ貰ヒタクナイ。
 夫レヨリモ相澤、村中、磯部三軒ノ留守宅ニ行ツテ、慰メテ上ゲル方ガ宜イデハナイカ 」
ト申シマシタ処、澁川ハ 「 サウシマス 」 ト言ツタ程デアリマスノデ、
澁川等ガ私方デ彼是策動シテ居ツタ事ハ知リマセヌ。
序ニ申上ゲマスガ、世間デハ青年将校デモ民間側同志デモ、彼等ガ何カヤルト、
蜘蛛ノ巣デモ張ツタ様ニ悉ク西田、西田ト冠セタガルノガ普通デアリマシテ、
夫レモ賞メテクレルナラ格別、陥レムガ爲ニ彼是言ハレルノハ迷惑ノ至リデ、
私ハ之迄モ其ノ爲ニ何レ程苦シイ立場ニ置カレタカ知レマセヌ。
( 中略 )
問  北方ヲ出テヨリ捕ヘラレル迄ノ間、蹶起将校其ノ他外部ト連絡シタ事ハナイカ
答  其ノ機会モナク、又絶ヘズ追蒐ケラレル様ナ気持デ居リマシタノデ、誰トモ連絡シタ事ハアリマセヌ。
問  二月二十一日午前十時頃、被告人宅ヨリ眞崎邸ニ電話ヲ掛ケテ居ルガ、被告人ガ掛ケタノデナイカ
答  私ハ其ノ電話ハ掛ケテ居テオリマセヌ。
  当夜ハ杉田省吾、中村義明ノ外、当時上京シテ居タ新日本海員組合教育部長松田恭平ト四人デ酒を飲ンダ晩デアリマス。
( 中略 )
新日本海員組合ハ共産系ト闘争シテ分裂ノ上結成シ、日本主義労働運動ノ中堅トナツタ処カラ、
組合ノ幹部ハ軍部ノ人トモ交渉ガアル様ニナリ、松田ハ眞崎大将邸ニモ時々行ツテ意見ヲ聞イテ居ツタトノ事デアリマシタカラ、
右御訊ネノ電話ハ多分松田ガ掛ケタモノト思ヒマス。
然シ松田ハ今回ノ事件ノ起ル事ハ全ク知ラナカツタノデアリマスカラ、眞崎ニ掛ケタトシテモ、
今回ノ事件ニハ全然關係ノナイ事ト思ヒマス。
私ハ眞崎ガ第一師団長当時ロンドン条約問題ノ起ツタ頃ニハヨク會ツテ居リマシタガ、
昭和七年頃眞崎ガ参謀次長ニナツテ後、私ハ日仏同盟ノ情勢ニ附話シタイト思ヒ行キマシタ処、
眞崎ハ、
「 君ト會フト蒼縄イカラ 」 トテ會ツテクレナカツタノデ、私ハ憤慨シ、翌日速達郵便デ、
「 国家ノ大局ニ附テ御話シタイト思ツタガ、貴官ガ會ツテクレナケレバ致方ナイカラ、之カラハ決シテ會ハナイ 」
ト云フ趣旨ヲ書送リ、又眞崎ガ台湾軍司令官トシテ赴任スル際絶縁状様ノ手紙ヲ出シテ置イタ程デ、
私カラ眞崎ニ電話ヲ掛ケル筈ハアリマセヌ。
( 後略 )
問  二月二十八日正午ヨリ憲兵ノ來ル前後迄ノ間ニ於テ、北ノ家ヨリ磯部ニ電話ヲ掛ケ、
  「 佐倉ノ聯隊長山口大佐、甲府ノ聯隊長矢野大佐モ共ニ好意ヲ寄セテ居ル、
君達ハ軍部首脳部ヨリ自決ヲ勧メラレテ居ル様デアルガ、陛下ニ申譯ノナイノハ寧ロ軍事参議官ダカラ、
上層部ノ人々ニ對シ、『 貴方ガ先ヅ切腹シナサイ、私ガ介錯シテ上ゲル。夫レカラ私等ガ切腹スル 』  ト言ヘ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ申シタノデハナイカ。
答  其ノ様ナ電話ヲ掛ケルナラ私デアリマスガ、私ハ掛ケタ様ニ思ヒマセヌ。
  然シ、彼等ガ自決スルト云フ事ヲ聞イタ前後ニ其ノ電話ヲ掛ケテ居ルトスレバ、実際掛ケタカモ知レマセヌガ、
自決問題ハ同日正午頃迄ニハ片付イテ居タト思ヒマス。
何レニセヨ、記憶アリマセヌ。
尤モ、佐倉ト甲府ノ聯隊長ガ、蹶起軍ト一緒ニ行動スルノダトノ噂ハ立ツテ居リマシタ。
問  自決阻止ノ電話ヲ掛ケタ際ニ、其ノ様ナ事デモ言ツタノデハナイカ
答  自決ヲ勧メタノハ山下少将及鈴木大佐デアリマスカラ、軍事参議官相手ノ様ナ事ヲ電話スル筈ハアリマセヌ。
問  当時被告人ハ、其ノ筋ヨリ注目サレテ居タノデナイカ
答  夫レハ無論注目サレテ居タト思ヒマス。ダカラ、私方ヤ北方カラ出ル電話ニ附テモ注意ガ拂ハレ、
  爲ニ或ハ当局デハ、私ニ關スル相当ノ材料ヲ集メテ居ルカモ知レヌト思ヒマスガ、
私トシテハ其ノ様ナ電話ヲ掛ケタ明確ナ記憶ハアリマセヌ。
問  二月二十六日北方ノ電話ニ故障ガ起キタ時、不思議ニ思ハナカツタカ
答  先方ヨリ掛ケテ來ルノハ話ガ出來テ、私ノ方ヨリ掛ケルノガ先方ニ通ジナイノデ、不思議ダトハ思ヒマシタガ、
  豈然盗マレテ居ルト迄ハ考ヘマセヌデシタ。
問  左様ナ關係カラ動カシ難イ証拠ヲ握ラレ、逮捕ニ來タノデハナイカ
答  当局トシテハ、一方相澤公判 青年将校 西田ト考ヘ、他方戒厳令施行 国家改造 クーデター 日本改造法案大綱ト考ヘ、
  此両方ヲ結附ケテ或種ノ見込ヲツケテ捕ヘニ來タト思ヒマス。
問  二月二十七日午前十時四分頃、亀川哲也ヨリ電話ヲ掛ケテ來タノデナイカ
答  亀川トハ朝會ツテ居リ、其ノ夜再会シタノデ、其ノ間何ノ連絡モナカツタト思ヒマス
問  順逆不二法門ナル印刷物ハ誰ガ作ツタカ
答  私ハ夫レヲ見タ事ハアリマス。
  夫レハ北輝次郎ノ支那革命外史ヲ金沢ノ方デ抜粋シテ、木ニ竹ヲ接イダ様ニ書カレタモノト思ヒマシタ。
支那革命外史ニハ明治維新ノ事ヲ維新革命ト書イテアリマスガ、
夫レハ歴史学者ノ説ク処デアツテ、敢テ北ノミガ稱ヘタモノデハアリマセヌ。
問  蹶起将校等ハ昭和維新ハ維新革命ノ継続ダ、維新革命ヲ完成スルノダト云ツテ居ルガ何ウカ
答  夫レハ屁理屈デアツテ、北及西田ヲ攻撃スル材料ニ用ヒタ者ガアリマシタ。
問  順逆不二ノ法門ガ金沢ノ方カラ出サレタト何故思ツタカ
答  金沢ノ小僧ツ子ハ、夫レ迄モ一、二度文章体ト口語体ヲ混ゼタ様ナ謄写印刷ヲ送ツテ來タ事ガアルノデ、
  私ハ村中ニソムナ事ヲシテハイカヌト注意シタ事ガアツタノデ、左様ニ思ヒマシタ。
問  其ノ者ハ村中ト連絡シ、村中ヨリ資金ヲ得テ金沢ニ於テ種々印刷物ヲ出シテ居タ様デアルガ、其ノ事実ヲ知ラヌカ
答  其ノ事ハ全ク知リマセヌ。若シサウダトスレバ、或ハ私ガ原稿ヲ書キ村中ニ渡シ、金沢デ印刷スルノデ、
  右ノ順逆不二ノ法門モ其ノ類デナイカト見ラレルカモ知リマセヌガ、
夫レハ宛モ東京ノ人ガ下関行列車ハ何レモ東京カラノミ発車スルモノト信ジ、
途中ノ京都、大阪其ノ他ヨリ発車シテ下関ニ行ク汽車ノアル事ヲ知ラナイ様ナ観方デ、正当ノモノトハ申セマセヌ。
問  其ノ印刷物ヲ見テ何ウ思ツタカ
答  維新トカ国家改造トカノ運動ニ關係スル者ノ中ニハ小児病的ノ者ガ多イノデ、之モ其ノ現レノ一ツデアルト思ヒ、
  直グ暖炉ノ中ニ入レテ焼イテ了ヒマシタ。
順逆不二ノ法門デモ、頭ノ惡イ者ガ見ルト私ノ思想デアリ、私ガヤラセタトトルカモ知レマセヌガ、
頭ノヨイ者ガ見レバ、直グ馬鹿ナ貼紙ヲシタモノダト感ズルニ相違ナイト思ヒマス。
問  然ラバ、夫レニ對シ、何トカ処置スベキ筈デハナカツタカ
答  世ノ中ノ実際生活ニ於テハ、一々取上ゲテ片付ケルト云フ事ハ出來ナイト思ヒマス。
  中ニハ、私等ノ悪口ヲ公然ト書イテ夫レヲ送ツテ來ル人モアリマスガ、
之ニ對シテハ一々喧嘩、反駁スルノモ一方法デセウガ、又放任スルノモ世渡リノ一方法ダト思ヒマス。
私ハ之迄之等ニ對シテ放任シテ置イタノデ、或型ニ入レ様トスレバ入レラレル様ニナルノデ迷惑シテ居リマスガ、
放任ハ必ズシモ是認ヲ意味スルトハ謂ヘヌト思ヒマス。
問  被告人ハ、二月二十六日最初栗原ヨリ電話ヲ受ケタ時、予想ニ反シ事ノ意外ニ驚イタト云フガ、其ノ意味ハ
答  蹶起ノ目的ヲ達スル達セザルハ、程度ノ問題デアリマス。
  栗原ヨリノ電話ハ断片的デアリマシタガ、夫レヲ綜合シテ私ノ頭ニ浮ムダノハ、
襲撃目標ニシタ者モシナイ者モアルケレド、此分デ進メバ尊皇討奸ノ目的ハ達スルカモ知レヌト思ヒマシタ。
又、彼等ノ行爲ハ統帥権干犯ニシテ彼等ハ逆賊デアリマスカラ、
蹶起スルト同時ニ、皇軍ノ名誉権威ノ爲一撃ノ下ニ粉砕サレルニ違ヒナイト豫想シテ居タノニ、却テ多クノ上司ヨリ賞讃サレタノデ、
私ガ事前ヨリ彼等ノ将来ニ附テ案ジテ居ツタ結論ハ、或ハ變ルカモ知レヌト思ツタノデアリマス。
問  当時情勢ハ彼等ノ爲ニ好転ニ傾キタト見ラレル様ニナツテ、眞崎一任ヲ告ゲタ譯カ
答  事前ニハ色々考ヘテ居リマシタガ、蓋ヲ開ケテ見ルト、大勢ハ彼等ノ爲ニ好転シツツアリマス。
  然ルニ、二、三電話デ話シタ処ニ依ルト、外部ハ好転シツツアルニ拘ラズ、内部ハ意見ガ分レ不統一ニナツタリ、
又ハ幕僚ニ對スル反感ナドカラ行動ガ横道ニ外レタリシテ居ル様デ、爲ニ自ラ逆転ニ導ク様ニナリハシナイカト心配シ、
折角此処迄順調ニ進ムデ來テ居ルニ拘ラズ、今内部カラ打壊シニナツテハ、国家ノ爲ニハ素ヨリ、
彼等ノ爲ニモナラヌカラ、速ニ時局ヲ収拾スルト同時ニ、彼等ヲシテ統一融和シテ進マシメル爲ニハ、
眞崎一任ト云フ事ニスル必要ガアツタ処、恰度北ノ御経ニ眞崎ニ一任セヨトノ霊感ガ現ハレタノデ、
之ハ渡リニ船ト思ツテ彼等ニ告ゲタ譯デ、即チ眞崎一任ト云フ事ハ、積極、消極両方ノ目的カラ申シタノデアリマス。
問  彼等ハ内部に在ツテ外部ノ状況が不明ナルモ、被告人ノ如ク外部ニ在ル者ハ大局ノ推移ガ判ル筈ダカラ、
  眞崎一任ヲ持出サズシテ彼等ニ對シ、当面ノ目的タル討奸ハ其ノ目的ヲ達シタノダカラ、此際速ニ撤退シロト勧告スル事コソ、
却テ彼等ノ爲最有利ニシテ之ヲ救フノ途デアリ、且迅速ニ事態ヲ収拾スル途デハナイカ。
答  結果ヨリ見レバ正ニ其ノ通リダト思ヒマスガ、私ハ当時具体的ニ大局的動向ヲ知ラズ、大勢ヲ達観スルコトガ出來ナカツタ爲ニ、
  最善ノ途ダト信ジテ眞崎一任ヲ持出シタノデアリマス。
問  被告人モ彼等ト一体デ同ジ考ガアツタ爲ニ、彼等ト同ジ事ヲ言ツテ居ツタノデナイカ
答  私ハ第三者ノ位置ニ在ツタトシテモ、白紙的第三者ニハナリ得ナカツタト思ヒマスガ、彼等ト一体デハアリマセヌ。
  唯、情勢ニ附テノ観察ヲ誤ツタノデアリマス。
陸軍ニハ大先輩が綺羅星ノ如ク居ラレテ、何故彼等ニ妥協的ニ出ナケレバナラナカツタカ、
何故撤退ヲ号令スル事ガ出來ナカツタカト云フ事ハ、今ニ腑ニ落チマセヌ。
問  蹶起将校ガ数日間占拠地ヲ撤退セズ頑張ツタノハ、其ノ背後ニ誰カガ居タ爲ト見ラルル様デアルガ何ウカ
答  彼等ノ末路ガ御承知ノ如ク不成功、失敗ニ歸シタノト、平生世間ヨリ観ル眼ヨリスレバ、
  私等ガ彼等ノ背後ニ在ツテ策動シ、彼等ヲ操ツテ居タモノト思ハレルカモ知レマセヌガ、
私トシテハ決シテ彼等ヲ踊ラシタ居タモノデハアリマセヌ。
問  被告人ハ今回ノ事件ニ附、事実主導者トシテ動イテ居タノデナイカ
答  私ハ左様デハナイト申上マス。然シ、之ヲ裏書スル具体的証拠ナク、私自ラ申スダケノ事デアリマス。
  反之、私ハ今回蹶起シタ彼等トハ、北ノ日本改造法案大綱ヲ繞めぐ
其ノ信奉者トシテ国家改造ニ志シテ居ルモノノ思想的中心ヲ爲シテ居ル形デアリ、
或程度彼等ノ計画内容ヲ知ツテ居リ、爾後ニ於テハ屢々彼等ト連絡シ、時ニハ彼等ヲ慰撫激励シ、
眞崎大将ヲ持出ス等、宛モ指導シタカノ如ク見ラレル行動ニ出テ、尚自決ヲ阻止シタリ、
他方小笠原中将其ノ他ニ時局収拾方ヲ依頼シ、
彼等ノ爲ニ種々工作セムトシテ亀川、山口等ト画策スル等ノ行爲ガアリマスノデ、
輪郭ヨリスレバ私ハ彼等ノ背後ニ在ツテ策動シ、
彼等ヲ操リ、踊ラシテ居タ主動的立場ニ在ルト云フ線ハ確カニ引カレテ居ルノデアリマスカラ、
客観的ニハ斯様ニ認メラレテモ致方アリマセヌ。
結局ハ、其ノ線ニ如何ニ推量スルカガ問題デアルト思ヒマス。
問  今回ノ事件ハ、誰ガ采配ヲ振ツタモノト思フカ
答  今度ノ事件デハ、野中大尉ナドハ有力ニ動イテ居ラレル様デアリマスガ、誰ガ野中ヲ其処迄引ズツタカ判リマセヌ。
  香田大尉ハ、自重派デ温和シイノデ、何故強クナツタカ不思議デアリ、
安藤大尉ハ、動キガトレズ已ムナク参加シタモノト思ハレマスシ、
栗原中尉ハ、人ヲ煽動スル力ハアルガ指導的立場ノ人デハナイト思ハレ、
村中孝次、磯部淺一ハ、十一月事件ノ腹癒ニ皆ヲ嗾カシタ様ニ見レバ見ラレヌコトモアリマセヌガ、
村中ハ穏健デアリ、磯部ハ腰ハ強イガ実力ヲ有シテ居リマセヌ。
斯様ニ見テ參リマスト、彼等ガ騎虎ノ勢デ強クナツテ蹶起シタ原因が那邊ニ在ルカ、私ニモ全然見当ガ附キマセヌ。
問  被告人ヨリ言フベキ事ハナイカ
答  私ハ北ト同様不逞矯激ノ思想ヲ持ツテ居ルト思ハレテ居ル様デアリマスガ、
  北ハ日本改造法案大綱ノ著者デ私ハ発行人デアリマスカラ、私ハ北ヨリモ余計ニ彼等ト深イ關係ガアルノデアリマス。
一昨年カ昨年頃金沢ノ方デ、支那革命外史及日本改造法案大綱ノ中ヨリ一部ノ文句ヲ抜粋シタ印刷物ヲ出シタ事ガアリ、
今回ノ事件ノ前後ニ北及私ヲ非難攻撃シタ印刷物ヲ出シ、私等ヲ天皇機関説信奉者ノ様ニ書立テマシタガ、
何レモ爲ニセムトスル者ノシタ事デアリマス。
憲兵司令部ヨリ出シタパンフレツトニ、北輝次郎、権藤成卿、橘孝三郎ノ説ハ大体ニ於テ可ナリ、
戒厳令ノ施行ト云フ事ハ有力ナル一方法デアル、唯天皇ヲ総代表デアルト書クト会社代表者ノ様ニ見ラレルカラ、
一歩ヲ進メテ天皇中心主義デアツテ欲シイト云フ様ナ趣旨ヲ書イテアリマシタガ、
之ハ天皇機関説ヲ攻撃セムガ爲ニ、天理教ノ如ク何事モ天皇ニ持ツテ行カウトスル共産主義的思想ニ近イ尊崇論デアリ、
之ハ国体明徴問題ノ論旨ニモ見受ケル処デ、不純ノ処ガアルト思ヒマス。
ソシテ之ハ、日本改造法案ヨリ出タ思想デアルトハ申セマセヌ。
今回蹶起ノ青年将校等ハ、自分ノ目的ノ爲ニ軍隊ヲ動カシタ點ニ於テ統帥権干犯ニナルノハ勿論デアリマスガ、
然モ現役ノ将官、予後備約ノ将官モ、現役ノ佐官モ、來ル者總テガ彼等ニ對シ何ノ咎メモシナカツタ計リデナク、
却テヨクヤツタ、確カリヤレト声援シテ居リマス。
彼等ハ三月事件、十月事件ノ統帥権干犯ヲ責メナガラ、
自ラ深入シテ統帥権ヲ干犯スル様ナ事ガアツテハナラヌト思ヒ、抑ヘ來ツタモノデアリマスガ、
愈々幕ヲ開ケテ見ルト予想ハ裏切ラレ、右ノ如キ声援ノ下ニ庇護サレタノデ、私ハ軍人ノ頭ニ疑問ヲ抱キマシタ。
責ムベキハ彼等蹶起将校ノミデハナイ。彼等ヲ責ムナラ、同時ニ陸軍上層部ノ者全部モ責メラレナケレバナラナイト思ヒマス。
或ハ、日本改造法案ガ今回ノ事件ニ多少ノ影響ガアツタカモ知レマセヌガ、首脳部等ハ改造法案其ノモノヲ見ル前、
既ニ十月事件ニ参加シテ居タノデアリマス。彼等ガ埒かこいヲ越ヘタトシテモ、此空気ハ陸軍全般ニ漲みなぎツテ居タ事デアリ、
彼等ノミガ改造法案ヲ見テ改造ヲ考ヘ、而シテ今回ノ擧ニ出タモノデハアリマセヌ。
現ニ私ハ、昭和三年下級船員團ヨリ依頼ヲ受ケテ、改造法案ノ小型ヲ千部計リ印刷シマシタガ、
内務省警保局長山岡万之助ハ、斯様ナ物ハ世間デ問題デナイ、全部許シテヨイノダ、
唯、皇室財産御下附ノ點ダケ削除シテ貰ヒタイトノ事デ、其ノ部分ダケ削除シテ発行シタ次第デアリマシテ、
治安ニ害アルモノヲ内務省ガ許可スル筈ハナイト思ヒマス。
彼等ハ、私等ト其ノ思想信念ガ同一ダト云フノデナク、情誼ニ依ツテ結バレタモノデアリ、
今回ノ事件モ私等ノ方針デナク、私等ガ指導シタモノデアリマセヌ。
北ガ、事前ニ餘リ人ヲ殺サヌ方ガ宜イト言ツタ事迄モ、計劃ヲ指導シタト取ラレテ居ル様デアリマスガ、
事実相違モ甚ダシイト思ヒマス。
事実ニ於テモ、私ハ其ノ北ノ言葉ヲ力ヲ入レテ聞イテ居ラズ、又青年将校ニモ傳ヘテアリマセヌ。
兎ニ角、或軌道ニ乗セテ運バレテ行ク様ニ思ハレテナリマセヌ。
何卒、事実通リ認メテ頂キタイト思ヒマス。

(二)  西田供述ニ対する北の意見
法務官ハ被告人北輝次郎ニ對シ、
問  被告人西田税ノ供述ニ附意見ありや
答  私ガ今迄西田ニ對シテ抱イテ居ツタ疑問ハ、西田ノ当公判廷ニ於ケル詳シイ供述ニ依リ氷解致シマシタ。
  唯、事後ニ於ケル供述ニ附幾分相違シタ點ガアル様ニ思ハレマスガ、私ニ對スル御訊問ノ際申上ゲタイト思ヒマス。


この記事についてブログを書く
« 41 二・二六事件 北・西田... | トップ | 40 二・二六事件 北・西田... »