あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

40 二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 ) 『 公判状況 ・ 第1回公判~第3回公判 』

2016年10月24日 05時47分28秒 | 暗黒裁判・二・二六事件裁判の研究、記録

獨協法学第38号 ( 1994年 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 一 )
松本一郎
一  はじめに
二  二 ・二六事件と北 ・西田の検挙
三  捜査の概要
1  捜査経過一覧
2  身柄拘束状況
3  憲兵の送致事実
4  予審請求事実 ・公訴事実
四  北の起訴前の供述
1  はじめに
2  検察官聴取書
3  警察官聴取書
4  予審訊問書
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第3 8号 )
獨協法学第39号 ( 1994年 )
研究ノート
松本一郎
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 二 )

五  西田の起訴前の供述
1  はじめに
2  警察官聴取書
3  予審訊問書
4  西田の手記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第3 9号 )
獨協法学第40号 ( 1995年3月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 三 )
松本一郎

六  公判状況
1  はじめに
昭和一一年九月二八日、
東京陸軍軍法会議裁判長吉田悳は、
北及び西田に対する各反乱被告事件の第一回公判期日を同年一〇月一日午前九時と指定した。
陸軍刑法二五条    党ヲ結ビ兵器ヲ執リ、反乱ヲ爲シタル者ハ、左ノ区別ニ從テ処断ス
一  首魁ハ死刑ニ處ス
二  謀議ニ参与シ、又ハ群衆ノ指揮ヲ爲シタル者ハ、死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮に處シ、其ノ他諸般ノ職務ニ従事シタル者ハ、三年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
三  附和随行シタル者ハ、五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

記録に編綴されている召喚通知書によると、東京衛戍刑務所に在監中の両名は、
いずれも九月二八日午後四時四〇分ニその旨の通知を受けている。
次いで九月三〇日、反乱者を利する罪によって基礎され、勾留中の亀川哲也に対しても、同様の期日指定がなされた。
・・・陸軍刑法三〇条    反乱者又ハ内乱者ヲ利スル爲、前三条ニ記載シタル行爲ヲ爲シタル物ハ、死刑、無期若ハ三年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
裁判長は、第一回公判期日の冒頭で右三名の事件を併合審理する旨を告げ、
爾来三名は判決宣告に至るまで、法廷での行動を共にすることになる。
ここで、公判審理の経過を概観する。
陸軍軍法会議法によると、公判は、
① 人定質問 ( 一八六条 )
② 検察官による被告事件の要旨の陳述 ( 三九〇条一項 )
③ 被告人訊問 ( 一八七条、三九〇条二項 )
④ 証拠調べ ( 三九〇条二項 )
⑤ 検察官 ・弁護人の最終陳述 ( 三九二条 )
の順序で進められることになっており、これは旧刑事訴訟法の規定とまったく同様であった。
本件においても、先ず裁判官である伊藤法務官による詳細な被告人訊問が、西田 ・北 ・亀川の順でなされた。
前述のように、同法務官は、捜査段階における被告人らの予審官でもあったから、
事件と被告人らとの関係については、知りすぎるほど知っていたのである。
取調べられた証拠はすべて書証であり、証人は一人もなかった。
証拠調べ手続きを終えるに当たり、伊藤法務官は被告人らに対して、利益となる証拠の提出を促している。
これは、陸軍軍法会議法三九一条二項に基づく告知であるが、本法廷ではいかにも白々しく響いたことであろう。
・・・陸軍軍法会議法三九一条二項    裁判長ハ被告人ニ對シ、其ノ利益ト爲ルベキ証拠ヲ差出スコトヲ得ベキ旨ヲ告グベシ
彼らには官選弁護人すらも与えられていない。
しかも、家族との面会はおろか、文通さえも禁じられ、完全に社会から隔絶されていたのである。
孤立無援の彼らは、揃って呈出すべき証拠はないと答えている。( 第一一回公判 )
わが意を得たりと頷く法務官の顔が、目に浮かぶかのようである。
軍法会議は、一二回の集中審理で一旦結審したが、一〇か月近く経ってから弁論を再開している。
ここまで判決に手間取った理由としては、合議が難航したこと意外には考えられない。
・・・(4) 田中惣五郎 『 北一輝 』 増補版 ( 一九七一年、三一書房 ) 369頁以下が紹介するY判士 ( 裁判長吉田少将のことである )
  の手記によると、反乱を利する罪が成立するにすぎないとする裁判長と反乱罪首魁を主張する藤室判士とが激しく対立し、
合議が紛糾したことを窺うことができる。吉田少将は、判士の入替えという非常手段さえも考えたようである。
しかし裁判長の意見は、ついに合議を制するに至らなかった。
手記の一部に、次のようなくだりがある。
「  一月十四日 陸軍大臣の注文にて各般毎に裁判経過を報告する。
 北、西田責任問題に対する大臣の意見全く譯の解らないのに驚く。
あの分なら公判は無用の手數だ。
我々の公判開始前の心境そのままである。
裁判長の独断、判士交換は絶望状態に陥る。F判士罷免か、北、西田の判決延期かの外に手段なく、
全般の形勢は後者に傾く。」
再会された法廷では、手続き更新の上、若干の書証が取調べられて再度結審が宣告され、
判決言渡期日は追って指定するとの告知があった。
しかし、それにもかかわらず、その日のうちに法廷外で、翌日の午前九時という期日指定がなされている。
これは、おそらく当時としても異例のことではなかったかと思われる。
次回期日を翌日とするのであれば、最初から法廷でひの旨指定し、告知するのが通常だからである。
断罪を急ぐ陸軍省からの干渉が想像されるが、証拠はない。

次に、公判の進行状況を一弊しておく。
第一回 ( 昭和11 ・10 ・1 ) 併合決定、人定質問、西田に対する被告人訊問
第二回 ( 昭和11 ・10 ・2 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )
第三回 ( 昭和11 ・10 ・3 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )、北 ・亀川の西田供述に対する意見陳述
第四回 ( 昭和11 ・10 ・5 ) 北に対する被告人訊問
第五回 ( 昭和11 ・10 ・6 ) 北に対する被告人訊問 ( つづき )、北供述に対する西田の意見陳述、亀川に対する被告人訊問
第六回 ( 昭和11 ・10 ・7 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )
第七回 ( 昭和11 ・10 ・8 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )
第八回 ( 昭和11 ・10 ・9 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )、亀川供述に対する西田の意見陳述
第九回 ( 昭和11 ・10 ・15 ) 亀川に対する被告人訊問 ( つづき )、書証の証拠調べ、書証に対する各被告人の意見陳述
第一〇回 ( 昭和11 ・10 ・19 ) 書証の証拠調べ ( つづき )、書証に対する各被告人の意見陳述
第一一回 ( 昭和11 ・10 ・20 ) 書証の証拠調べ ( つづき )、書証に対する各被告人の意見陳述
第一二回 ( 昭和11 ・10 ・22 ) 検察官の論告 ・求刑、各被告人の最終陳述、弁論集結
第一三回 ( 昭和12 ・8 ・13 ) 弁論再開、手続き更新、西田 ・亀川につき書証取調べ、書証に対する西田 ・亀川の意見陳述、再び弁論集結
第一四回 ( 昭和12 ・8 ・14 )  判決宣告

目次
クリック して頁を読む
六  公判状況
 2 
第一回公判  ( 昭和11 ・10 ・1 ) 併合決定、人定質問、西田に対する被告人訊問
 3  第二回公判  ( 昭和11 ・10 ・2 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )
 4 
第三回公判 1  ( 昭和11 ・10 ・3 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )、北 ・亀川の西田供述に対する意見陳述
 4  
第三回公判 2  ( 昭和11 ・10 ・3 ) 西田に対する被告人訊問 ( つづき )、北 ・亀川の西田供述に対する意見陳述
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第4 0号 )
獨協法学第41号 ( 1995年9月 )
研究ノート
二 ・二六事件北 ・西田裁判記録 ( 四 ・完 )
松本一郎
六  公判状況

 5  第四回公判 
 6  第五回公判
 7  第六回公判
 8  第七回公判
 9  第八回公判
10  第九回公判
11  第一〇回公判
12  第一一回公判
13  
第一二回公判
14  第一三回公判
15  第一四回公判
七  むすび
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( 以上第4 1号 )

web上でみつけたもの、
私流に吟讀し、『 書写 』 したものである


この記事についてブログを書く
« 41 二・二六事件北・西田裁... | トップ | 39 二 ・二六事件北 ・西田... »