あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 オイ磯部、君らは奉勅命令が下ったらどうするか 」

2020年06月20日 18時48分49秒 | 説得と鎭壓

 
磯部浅一 
前頁  「 私の決心は 変更いたします。討伐を断行します 」 の続き

磯部、幕僚の説得きかず

前夜来、武装解除の流説に先制攻撃をしかけようかと意気込んでいた磯部は、
何事もなく 農相官邸にこの朝を迎えた。
だが、早朝から入ってくる情報は悪かった。
その一つ、
「 清浦伯が二十六日参内しようとしたが、湯浅、一木らに阻止された 」
これは磯部と森伝との密約で 事件勃発せば清浦伯をして、
宮中工作を行わしめようとしたことの失敗を示すものであった。
磯部が、官邸でいささかくさっているとき、同志の山本又少尉が憲兵隊の神谷少佐を連れてきた。
神谷は、戒厳司令官に会って直接意見具申することをすすめた。
磯部はこの勧説に応じ、この際戒厳司令官に直接ぶつかって赤心を吐露しようと決心して、
神谷とともに還元司令部を訪ねることにした。
自動車で市中の雑踏を縫って戒厳司令部についた。
実にものものしい警戒だった。
昨日にかわって武力弾圧が準備されていることをひしひしと感じた。
この空気ではとてもわれわれの意見をうけ入れてくれそうにも思えない。
まかり違えば、ここで非常の手段をとらねばならぬかもしれない。
次第によっては司令官と差し違える腹をきめていた。
司令官との面会はなかなかできなくて、彼は一時間以上も待ち呆けをくった。
ぼんやりと椅子に坐っていると 神谷少佐が現れて、
「 司令官はただ今陸軍大臣や参謀次長と会談中だからちょっと面会はできない 」 と 告げた。
磯部は
「 それはかえって都合がいい、大臣 次長同席のところで面会さしていただこう 」
と 強談したが、とても駄目だと取りあってくれない。
胸にぐっとこたえたが、今にみろとその憤りをこらえた。
そこへ突然石原大佐が入って来た。
「 オイ磯部、君らは奉勅命令が下ったらどうするか 」
「 ハア、いいですね 」
「 いいですねではわからん、きくか、きかぬかだ 」
「 それは問題ではないではありませんか、きくもきかないもないでしょう 」
石原は
「 ヨシ、それじゃ きくんだな 」
と 念を押すが、彼ははっきり答えない。
「 大佐殿、それよりわれわれは依然として現在地に置くように、司令官に意見具申して下さい 」
「 わかった 」
と いい放つと 石原はそそくさと出て行った。
入れ違いに満井中佐が入ってきた。
磯部は満井の姿を見ると、いきなり、こういった。
「 中佐殿、あなた方は私どもを退かすことばかり奔走しておられるが、
それは間違いではありませんか、
われわれがあの台上にがんばっていればこそ、機関説信奉者が頭をもたげないのです。
一歩でも引けば反対勢力がドッとばかり押しよせるのではないですか、
お願いです、何とかしてわれわれを現地において下さい。
われわれが退けば、もう維新もヘチマもありません 」
その声は肺腑をしぼる悲痛な叫びだった。
心からの哀願だった。
満井はじっと考え込むようにうなだれていたが、
もう一度司令官に具申してみようと出ていった。
磯部は満井中佐にして、
どうしてこの哀願がわかってもらえないのかと、
すっかり考え込んでしまった。

そこへ、司令官の決心をきいたという石原大佐が再び姿を現わした。
「 磯部だめだ、軍司令部には強硬な意見を具申したがとうとう聞かれない。
今朝五時に奉勅命令が出たのだ。
戒厳司令官は奉勅命令が出た以上、これを実施しないわけにはいかん。
お上を欺くことはできないといって断乎たる決心だ。
もう、こうなってはどうすることもできない。
どうだ、君らは引いてくれんか、
この上は男と男の腹ではないか 」
満井中佐も再び入ってきて、磯部の手をとり涙を流しながら
「 磯部引いてくれ、男らしくいさぎよく引いてくれ 」 と いい、
石原大佐も磯部の手をしっかり握って、
「 いさぎよく引いてくれ 」 と 目に一杯の涙をためていた。
磯部も感動した。迷った。
だが彼の闘志はなお盛んだった。
「 私は私の力でできるだけ善処します。ただ、磯部個人としては絶対に引きません。
林大将の如きが現存して策動している以上
これを倒さずに引きさがるような事があっては蹶起の主旨にもとるのです。
一人になってもやります。絶対に引きません」
と きっぱりはねつけた。
「 林大将の問題はおそからず解決されるのだから引いてくれ 」
と、二人の説得に 磯部は力なく
「 ハイ 」 と答えはしたが、心の中は無念さににえくりかえっていた。
磯部は柴大尉と同車して陸相官邸にかえりついた。
彼は同志の所在を探した。
会議室には村中、香田、栗原らが額を集めていた。
山下、鈴木、山口もそこにいた。
磯部は、
「 オーイ、一体どうするというんだ、
今引いたら大変なことになるぞ、絶対に引けないぞ 」
と 先刻からこらえにこらえてきた悲憤を大声でぶちまけた。

奉勅命令を知る
この朝 (二十八日) 村中は鉄相官邸の支隊本部にいたが、
そこへ栗原が顔色をかえて飛び込んで来た。
村中を見るなり一枚の通信紙を示しながら、
「 これは、今朝早く中橋中尉に近衛歩兵三聯隊から電話による命令だといって、
通信手が中橋に渡したものですが 中橋も驚いて僕のところへ持ってきたのです。
内容がどうも変なので村中さんの意見を聞こうと思い、急いでやって来ました。」
村中が手にとってその通信紙を見ると、
一、奉勅命令により中橋部隊は小藤大佐の指揮に入らしめる。
二、奉勅命令により中橋部隊は現在地を徹し歩兵第一聯隊に到るべし。
と 書いてある。
「 これはどうもおかしい、われわれは、いま、小藤部隊長の指揮に入っているのに、
近歩三聯隊長から直接命令してくるのは解せないことだ。
殊にわれわれは麹町地区警備の任にあるのに、
歩一にかえれというのは任務を放棄せよということになる。
きっと近歩三では われわれが小藤大佐の指揮にはいったのを、
歩一にかえれと間違ったものに違いない 」
村中はこう判断した。
「 何かの間違いだろう、僕が善処しよう 」
と 栗原をかえしたから、
早速、陸相官邸に出向いた村中は、

小藤大佐に会いその 「 メモ 」 を示して、
「 この命令は何等かの誤解に基づくものと考えられます。
これからもこういった指揮の混乱を来すことのないように、
部隊長から近歩三聯隊長に交渉していただきたい 」
と 申し入れた。
小藤大佐はにがりきった顔であっさり 「 連絡しておこう 」 と答えた。
だが、この近歩三聯隊長の命令は不当なものでも、指揮を混乱させるものではなかった。
それは既に述べたように奉勅命令は、この朝五時に戒厳司令官に下達されたので、
戒厳司令官はこれに基づいて近衛、第一師団に命令した。
この命令に基づいて近衛師団から、本命令の下達に先だって、近衛第三聯隊長に、
さらに聯隊長は同隊から出動している中橋中尉に、
歩一に帰還することを 「要旨命令」 したものであった。
ちょうど、第一師団長もこの朝六時三十分にはこんな命令を出している。
一師戒命第三号
第一師団命令    二月二十八日午前六時三十分
於師団司令部
一、別紙ノ通り奉勅命令ヲ下達セラル
二、師団ハ三宅坂附近占拠部隊ヲ先ズ師団司令部南側空地ニ集結セントス
三、小藤大佐ハ速ヤカニ奉勅命令ヲ占拠部隊ニ伝達タル後之ヲ師団司令部南側ニ集結スベシ、
   集合地ニ至ルタメ赤坂見附を通過スベシ
四、歩兵第二旅団ハ占拠部隊通過ノタメ
   午前八時以後赤坂見附ヨリ集合地ニ至ルマデノ警戒ヲ撤去スベシ
五、余ハ依然司令部ニアリ
第一師団長 堀中将
「別紙」 とは さきの 「奉勅命令」 である。

はたしてこうした命令が、当時、この時刻に各隊に下達されたかどうかは疑問であるが、
奉勅命令と師団命令によって、
近歩三聯隊長が中橋に右のような要旨命令を出したことは異とするにあたらない。
したがって小藤大佐にしてみれば、このような近歩三命令はともかくとして、
奉勅命令の下達のあったことはわかっていたのに、
その態度を明確にしなかったことはどうしたことだろう。
彼は反乱軍を部隊に連れ戻すために彼らの部隊長になっていたはずなのに、
いたづらに彼らにひきずられて右往左往していることは見苦しい。
いずれにしても彼ら蹶起将校は、この時に至っても、奉勅命令、奉勅命令と耳にはするけれども、
その内容については少しも知らされていなかったのである。
村中は小藤大佐と別れてその部屋を出た。途端に廊下で柴有時大尉に出会った。
柴は戸山学校の教官だったが皇道派のシンパ。
彼は、
「 オイ、大変だぞ、
夜半から戒厳司令部の空気が変化して、
君らを現在地から撤退せしめようとして、
これに関して奉勅命令を仰ごうとする形勢があったので、早速、山口に知らせた。
山口はびっくりしてすぐに戒厳司令官や軍事参議官らに会ってこれを止めるために努力している筈だ」
と 告げた。
村中は形勢の逆転に驚いた。
一瞬、棒をのんだように言葉も出なかった。
ちょうど、そこへ満井中佐が来た。
香田、對馬などもやてきた。村中は興奮していた。
内心の憤りに眼をつりあげて、満井に向かい、
「 柴大尉の情報では戒厳司令官は行動部隊を撤退させるために奉勅命令を仰ぐというが本当か、
維新遂行のためにはどんなことがあっても、小藤部隊を現位置におかなくてはならない。
どうか戒厳司令部を動かして、そうしたことのないように極力工作せられたい 」
と 喰ってかかるように願った。
満井は、
「成否は不明だが賭せ力しよう」 と 自信なげに答えた。
だが、彼らがあまりにも興奮しているので、これをなだめようとしたのであろう。
満井は、
「 昨日来、石原大佐の奔走で維新の大詔が渙発せられんとする運びに至っているが、
何分にも各閣僚が辞表を捧呈しているので副署ができないのだ。
形勢はよい、決して心配することはない。君らの意思は必ず貫徹されるであろう。
ただ、君らは軽挙して大義を誤ってはならない 」
と 教えた。
だが、この維新大昭渙発も満井が石原大佐へ意見具申したまでのことで、
当時そうした見通しがあったわけではなかった。
それを閣僚の副署云々のデタラメで若い将校を喜ばした罪が深い。
彼らは満井のこの激励でいくらか安堵した。
しばらくすると山口大尉がやって来た。山口は村中の顔を見ると胸がつまってきた。
彼は夜半来、戒厳司令官や幕僚たちの前で、
このからだを張って奉勅命令をくいとめようとしたが、
石原の一言であっさり幕切れとなってしまったことが残念でたまらないのだ。
「 オイ村中、万策つきた、あけ方から努力してみたが微力及ばず残念だ! 」
その声も涙でくれてしまった。
村中はそれでも落ちついていた。
「 なお、策がありますよ、統帥系統を通じていま一度、意見を具申することです 」
「 そうだ、それも一案だ、早速、小藤大佐に話すことにしよう 」
村中は山口とともに再び小藤大佐の部屋を訪ねて、
「 断じて部隊をこの位置から撤退せしめてはならない 」
と 強く意見具申した。
小藤大佐もそれでは師団長にもこの意見を陳べようではないかと、
かたわらにいた鈴木貞一大佐を誘い、山口大尉とともに第一師団司令部に急いだ。
村中、香田、竹嶌、對馬も同行することになった。
司令部につくと小藤、鈴木、山口は師団長室に入り、香田、村中らは参謀長室に待たされた。
しばらくすると、参謀長舞大佐が現れて、
「 奉勅命令はまだ第一師団には下達されていないから安心するがよい。
しかし諸君はあまり熱しすぎて策をあやまってはならんぞ 」 と 伝えた。
ついで、堀師団長もにこにこして、その大きな身体を彼らの前にあらわし、
「 戒厳司令部では奉勅命令は、いま、実施の時機ではないといっている。
また、今朝近衛師団から中橋部隊に命令があったというが、
近衛師団が小藤部隊に対して不当な行動に出る場合には、
わが師団としてもまた期するところがある。決して心配するではない 」
と、はっきり言った。
村中、香田らは気色満面、一大安心を得て陸相官邸に帰来した。

大谷敬二郎  二・二六事件  から


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