恩田陸さん、『中庭の出来事』

 『中庭の出来事』、恩田陸を読みました。
 
 “人々は、見ることで消費する存在であるのと同時に、見られることで消費される存在でもある。見る者と見られる者は、いつなんどきひっくり返っても不思議ではない。外から鑑賞する目と内から鑑賞される目を持ってしまった現代人は、その二つの目に常に引き裂かれたままになっているいのだ――” 222頁

 誰を主人公とも名指せない群像劇。同じところを回らされているみたいな、迷路に迷いこみ抜け出せなくなっていく…めくるめく眩暈感。一人一人の登場人物に深入りする為の記述もなく(その必要もなく)、誰も彼もが最後まで謎めいている。それもまた魅力でした。

 女優がいて、その芝居の中でも女優の役を演じている。女優としての演技をしながら、さらにお芝居をしていたりする(二重三重の芝居? ああこんがらかる…)。では彼女の本当の顔は、どこかで晒されているのでしょうか…? 全てが虚構の上塗りだけに終始して、迷い込んだ読み手はただひたすら迷宮を歩き続ける…のが、つまるところのオチなのかしら? と、考えれば考えるほどにますます混乱しながら、兎に角読みました。作者の思う壺? 

 もしかして、それぞれの章をばらばらにして別の並べ方を探し出せたなら、絡まった糸が気持ちよく一本になるように、話も解けていくのかしら。…と、糸口を掴んだつもりでたどっても絡まってしまう。中庭のさらに奥深くに、引きずり込まれているのでした。
 演じるものと演じられるものは、いつでも交替可能な立場なのか。それどころか。一介の読者に過ぎない私も、束の間かりそめの鑑賞者の役を振り分けられ、その役目を忠実に演じていただけなのかもしれない…(ああ、こんがらかる…)。
 (2006.12.11)

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