富岡多惠子さん、『逆髪』

 さて、昨日読み終わった本の報告を。
 富岡さんの作品は渋くて格好良いですが、感想が書きにくいです。

 『逆髪』、富岡多惠子を読みました。


〔 わたしがみなのところにいるから、みなは笑うのでしょう。わたしが世界の淵を歩いていたなら、おそらく笑わないでしょう。笑われたくなければ、世界の淵を歩いておれというのでしょう。でもわたしはここにいます。髪が空に向うことを知らないひとたちを、わたしは笑うためにここにいます。 〕 249頁 

 ノンシャランぶりを楽しんで堪能していると、いつのまにか抜き差しならない場所まで引き込まれている。しばしこちら側で踏ん張りつつ、やはりいつしか魅入られている…。
 姉妹漫才で鳴らしたという、竹の家鈴子と鈴江の行末。姉鈴子のありふれて真っ当な主婦と言う名の隠れ蓑、妹鈴江のちょっと厭世的な雰囲気をまとった物書きという名の隠れ蓑。二人それぞれの身のやつし方で生きてきた年月がそこにあっても、つまるところ一皮剥けばやっぱり素人じゃないのだ。お里が知れるってやつですよ。でもだからこそ、一筋縄ではいかない姉妹。と、そんな彼女たちを取り巻くのも、どことなく可笑しな世間からずれちゃった人たちである。

 謡曲「蝉丸」との絡ませ方も大変面白かったです。その意図をどこまで読みとれたのかは心許ないですが、狂女逆髪の哀しみが見えない澱になって、登場人物たちの間にもだんだんにたちこめてくる後半は、深淵を覗き込んで息を呑むような空恐ろしさがありました。 
 それでいてストーリー自体にはどこかしらからりと乾いた印象があり、そこがまた飄々とした富岡節とあいまって、滋味、読み応えが味わえました。

 いったい誰が逆髪だったんだろう…。 
 いや違うな、逆髪にならずに逃げおおせた女は果たしていたのだろうか…と、問うべきなのだ。弟蝉丸の盲目という障害に対して、髪の毛がすべて逆立って生えているという姉宮逆髪の異形の凄まじさと言ったらどうだろう。

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ニューミュンヘン 神戸トアロード店

4月29日。晴れ。
 だーさん連休四日目。
 今日はコットンのワンピース一枚で、今年初の帽子着用です。まずは電気屋さんで買い物、一旦帰宅してから元町へ出かけました。

 のですが…。
 元町で当てにしていたお店が満席で、待ってもいいかと思ったけれども店内が狭くてがやがやしていたので、他をあたることにしました。
 のですが…。祝日休業などに行き当たり、漂流しかけました。 
 そんなこんなで流れ着いたのは、「ニューミュンヘン 神戸トアロード店」です。行き当たりばったりのなりゆきでしたが、神戸で歴史あるビアレストランなので、まあ良い機会でした。


  ビアレストラン…、にしては落ち着いた上品な雰囲気が神戸らしいのかしら?

 結構歩いたので、ビールが嬉しいー。
 ここのビールはかなり美味しいです。

 だーさんが選んだ“明太子とイカのパスタ”、ミックスピザ、ハーブソーセージ。パスタとピザでお腹が膨れてしまったわ…。後で知ったのですが、ニューミュンヘンの名物は“丹波地鶏の唐揚げ”なのですって。次回こそ…!
 具が大きくて味がしっかりしていて、ちょっと吃驚。あなどっていたわけではありませんが、流石にレベル高いですー。
 でもワインは、だーさんの希望の銘柄を切らしていて普通…。私には呑みやすかったけれど。

 懐かしさに打たれてしまったのが、このミックスピザ。
 これはまぎれもなくピザです。ピッツァではありません! 昔ながらの懐かしい昭和のピザですね。サラミやピーマン、海老にマッシュルームと、トッピングも王道と言うか正統派と言うか。“ピザ”と言われて誰もが思い浮かべる、ピザの概念に一番近いピザであるぞ(ナンノコッチャ)。
 チーズもしっかり分厚かったです。

 ホテルトアロードの地下だったことに、お店を出てから気づきました。なはは…。

 今日、電車の中で本を読み終わったのだけれど、こんな毎日ではなかなか感想が書けない…。ううむ。
 帰宅後二人とも、しばし寝入ってしまった。長閑な春の、初夏の兆しのような一日。

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難波のしゅうまい♪ 「一芳亭」 など

4月28日、月曜日。まあまあ晴れ。
 だーさん連休三日目。
 本日の装いは、黄色のカットソーに緑の柄チュニック。黄色は、身に付けるのが好きな色の一つだったりします。
 今日は平日ですが、だーさんがお休みなのでお出かけ。「ミナミに行きたいなー」とのたまうので、電車にて大阪南を目指します。そして難波駅からぶらりぶらり。折角の平日なのに、行ってみたかった超有名店は定休日でしたー。 
 そこで第二案、しゅうまいが有名な「一芳亭」へ再訪です♪ 
 一階の一番奥の席、前回と同じ場所に座を占めました。ふふ。

 腰を落ち着けたらさくさくとオーダー。瓶ビール大と、しゅうまい二人前。
 …来るの早っ。
 これこれこの黄色。
 玉ねぎのしゃりしゃりと軽いふわふわな食感が、いくらでも食べられそうな美味しさ。ビールに合うの!
 辛子だけでもいけますよ。

 そして今日のも一つのお目当て、「若とりの唐揚(小)」を頂きました。どうやら、しゅうまいの次くらいに人気のメニューです。
 本当はだーさんは、骨付きの肉はあまり得意ではないですが…。これは頂いてみよう!と。
 かなり豪快にブツ切り…なので、部位によってはパサパサだったりしますが、淡白な味付けで鶏好きには堪らない逸品…です。皮がパリッとしているのも嬉しく、塩を振って頬張りました。
 夫婦で言葉数少なく向き合って、骨付き肉をひたすら齧っていると、何となく私の気分は河野多恵子ワールド…(牡蠣じゃないけれど)。

 混み始めそうな気配、長居をせずにお店を出ました。「もう少しお腹に入れたいなー」というだーさんの希望に従って、新世界へ移動。
 駄菓子菓子、まさか通天閣にのぼることになろうとは…。

 珍しく入口の列が短かったので、だーさんが「じゃあ、のぼてみようか」…と。 初めてのぼりました。
 この向きは梅田方面です。通天閣って今の感覚ではかなり低いですけれど、案外見通しが良かったです。

 ビリケンさんが生誕100年と言うことで、いたるところで姿を見かけました。私はどうも個人的に、ビリケンさんのヴィジュアルが苦手ですけれどー。
 謂れが怪し過ぎる…!

 お好み焼き&串カツのお店で休憩をして帰りました。
 
 私が頂いたのは“白葱のサヨリ巻き(手前)”と豚バラです。二軒目なのでほんの少し。
 大阪を満喫した長閑な一日…です。

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「ろっぱく」にて、汁そば♪

4月27日、日曜日。晴れ。 
 一旦帰宅したらうたた寝をしてしまって、それから久しぶりに自転車で図書館へ行ってきました。風が少し冷たく、気持ち良かったです。書庫から出してもらった本を一冊借りました。
 だーさんが「1時間くらいかかるの?」ときくので、「そんなには…。早く帰って欲しいの?さびしいの?」と訊き返したら、白眼を剥きながら「別にー」と答えたので長居をしました。…と言うのは、しょーもない話。

 お昼ご飯は、山陽電車の月見山駅の目の前にある「ろっぱく」まで、らーめんを求めて足を伸ばしました。駅から一分もかからない、線路に隣接したお店。一番乗りです。

 デフォが「汁そば」です。餃子が色々ありますね。
 メニューの後ろにあるのは一人鍋サイズのセット。夜メニューには鍋があるのかしら…?

 開いた小さな窓のすぐ向こうを、電車が走り過ぎていくのが何かいい感じ。常連さんらしい女性客がふらりと入ってきたり、らーめん待ちの時間が穏やかに流れていきます。

 はい、こちらだーさんの“チャーシュー汁そば”。


 こちら私の“汁そば”です。


 この器のいびつな感じ、めちゃ好みです。
 実は二人とも透き通ったあっさりスープを予想していたのですが、全く透明度のない濁った濃厚スープでした。でも、美味しかったですー。節系の出汁がしっかり効いていて、魚の匂いが苦手な人には辛いかも…?と思うくらいでした。とろみもあって、麺の絡みが凄く良かったです。

 店名になっている「ろっぱく」は黒豚のことなのだそうで、チャーシューや餃子が流石に美味しかったですねー。「黒豚一口餃子」は、味噌だれで頂きます。ぱりぱりな羽根が口の中で弾けてました。
 本っ当に改札の眼の前!

 三宮を散策してから、ビールで休憩して帰りました。新刊を三冊購入、読まねば。

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御影クラッセにて回転寿司♪ 「北海素材」

4月26日、土曜日。くもり。
 今日からだーさんは11連休。
 道々、限界まで開ききって咲き誇る花水木の姿に、心秘かにひやひやしています。あのままでろーんと花びらがそっくりかえっていって、そして散っていくのね。有終の美とはちと違うような気がする…。あ、チューリップの散り方もそうだな…。チューリップは大好きだけれど、あのあらわな散り方には怖じ気づきます。

 唐突に五島良子さんの声が聴きたくなり、さっそく一人の部屋で耳を澄ます(だーさんは床屋へ髪刈りに)。なんて素敵な声…。この声でこの歌唱力で知名度が低いことに、改めて驚きます。  
 と言いつつ手持ちのCDがこれしかない! 新しい作品出ないのかな。お気に入りを選んでリピート、「名もないピアス」が名曲なのです!

 さて、そんな今日のランチは、オープンしたばかりの御影クラッセで回転寿司を頂いてきました。…と言っても二人とも「あまり期待は出来ないねー」という、ぬるーい気分でした。先月オープンしたばかりなのに駐車スペースが余りまくっているのもちょっと…テンション下がるし。

 その回転寿司のお店は、「北海素材」でっす。流石にお昼時なので少し待ちました。
 全貌が全く分からないレーン(くねくねしてる)の、一番外周にあたる席に案内されました。いったいどこで握っているのか、店員さんたちの声しか聞こえない席でしたが、一応二人用のテーブル席なので落ち着きました。
 テーブルに置かれた端末で注文が出来るようになっていて、便利なのかそうでもないのか…。お約束の玉子を待っている間に、私は「イタリアンサラダ軍艦」などという邪道から攻めてしまいました。

 はい、だーさんが一緒に注文してくれた玉子。作りたてのほっかほかで、これが意外にも美味しかったー。
 変に甘くなくてよかったです。

 何となくシマアジ。


 二つ目の邪道、“アボカドと北海道生ハムのクリーミーソース”。
 ふふふ…好き♪ 女性受けしそう。

 こちらも、女性に嬉しい3点セット。リイカ・小ハダ・アオリイカ。  三昧シリーズ。

 わざわざ注文した馬刺しは、脂が…!


 〆のつもりで注文したヒラメ。ざくざくした歯触りが気に入りました。  私、淡白な白身魚の方が好きかな。

 もういいかも…と思っていたら、牡蠣が流れてきたので取ってしまいました“牡蠣の浜茹で”。
 小振りですが、美味しく茹でてありました。

 あー、食べ過ぎ。あまり期待していなかったのもよかったのでしょうか、案外満足しました。並んでもここなら大したことがなさそうなので(あれ?)、これからも使えそう…かな?

 お店を出て雑貨屋さんなどを冷やかしていたら、和な雑貨ばかり扱うお店があったので、うきうき見て回りました。茶筒と手拭いを購入しました。豆腐屋さんの絵柄の手ぬぐいは、一目で「渋いわっ」と思ったのだけれど、そう言えば夏柄の手ぬぐいはもう3枚もあるんだった…(蚊取り線香と朝顔と夏の薬味)。
 冬だって湯豆腐があるから一年中使えるかなぁ…(でも、どー見ても涼しげ)。

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ジェイン・オースティン、『エマ』

 初オースティンでした。読書会、今月の課題本です。上下二巻ものですが途中で俄然面白くなってきて、滞ることなくさくさく読めました。
 幾つか訳があるようですけれど、ちくまの表紙が可愛いな…。

 『エマ』、ジェイン・オースティンを読みました。

「BOOK」データベースより
〔 エマ・ウッドハウスは美人で頭が良くて、村一番の大地主のお嬢さま。 私生児ハリエットのお相手として、美男のエルトン牧師に白刃の矢を立てる。 そしてハリエットに思いを寄せる農夫マーティンとの結婚話を、ナイトリー氏の忠告を無視してつぶしてしまう。 ハリエットはエマのお膳立てにすっかりその気になるのだが――。 19世紀英国の村を舞台にした「オースティンの最も深遠な喜劇」。 〕

 オースティンの作品の主題は、もっぱら結婚話なのですって。
 読み始めてすぐさま驚いたのは、主人公エマがとても共感出来ないキャラクターとしてあらわれることです。こ、この娘、鼻もちならぬ…!と言う感じで、先が思いやられるわい…とげんなりしました。独りよがりのうぬぼれ屋さん、自分の妄想ばかりに夢中で何もかもが自己満足に過ぎないのに、そこに全然気が付いていない。思い込みが激しくて何でも勝手に決め付ける…! 
 さて、この最悪な第一印象を、いったい読み手はどこまで引きずらされるのか? 或いはどこでくつがえされるのか…?というのが、この小説の楽しみ方の一つのポイントではあるかも知れません。だってほら、ややもすれば人間関係は、第一印象が最悪な人ほど後は上昇するだけ…だったりするじゃないですか。 

 舞台となるは19世紀のイギリスの田舎、そしてエマは名家の令嬢、妙齢21歳。イギリスは、昔からばりばりの階級社会なので、ちっとばかりその上流意識が鼻につくのはいたし方ないでしょうか…。オースティン自身、多少揶揄しているような嫌いはあるものの、階級社会そのものに対してはそんなに批判的でもない…という気がします。そういう社会性とは切り離されている印象もあります。あくまでも、身のまわりにありそうな人間模様を細やかに描いて、時にはユーモアたっぷりにそこにある機微を抉ってみせる。あえて言ってみれば、ちょっぴり意地悪なところがいかにも女性らしい作風です。

 先にも書きましたが、読み進むにつれだんだんに、エマに対しての印象が自分の中で変わっていくのが楽しかったです。色々と空回りも多いけれど何だか憎めないわーとか思っているうちに、エマの生き生きとして向上心豊かな魅力に気付かされていくような按配で、この辺はオースティンの物語作りの巧さではないかしらん?と思います。
 他の登場人物たちも、個性豊かで魅力的でした。エマの短所を見抜ける唯一の存在、ナイトリー氏も素敵でしたし(英国紳士、ね)、エマの向こうを張る憎まれ役たちの配置が何とも心憎かったです。 

 物語の大団円はほぼ予想通りでしたけれど、エマのたくましい妄想はことごとく見事に外れていったのは、いっそ気の毒なほどでした。でも、実際に現実なんてそんな事の繰り返しかも。ただ、俯瞰してみることが出来ないから、気付かずに通り過ぎていることが多いだけで…。

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大庭みな子、『三匹の蟹』

 本やさんでふらふら手に取って、ぱらぱらぱら…。どこを拾ってみても魅惑的な文章ばかりで、うわ~これ読んでみた~い!となった一冊です。
 大庭さんの作品は初めて読みましたが、ああ、なんて渋くてなんて格好良い…!

 『三匹の蟹』、大庭みな子を読みました。
 


〔 あたり一面火草だった。夕やみのなだらかな丘の荒地をなめる炎のようにそよいでいた。 
 鶫は火草を抱きしめて、そこらじゅう噛みつきながらゆれている火草の中に押し倒した。火草のあかい炎が火草の頬と額の上でゆれ、空の青さが眼の中に映っていた。 〕 82頁   

 収められているのは、「三匹の蟹」「火草」「幽霊達の復活祭」「桟橋にて」「首のない鹿」「青い狐」「トーテムの海辺」、です。
 表題作「三匹の蟹」は、発表当時の60年代センセーションを巻き起こしたそうです。その理由の一つは、ごく普通の主婦の投げやりな姦通が淡々と描かれているという点にあったと。ふむ。私はむしろ前半の、アメリカ(アラスカかな?)に住む日本人夫婦と、彼らの社交相手となる様々な国籍の人々が交わす、どうしようもなく空っぽで無気力な会話のふわふわ飛び交う箇所が、漂う空虚感にうそ寒い心地がしてインパクトは強かったです。 

 こ、これは…!と唸ったのは、その次の「火草」。
 通夜への道のりから始まる冒頭がひどく印象的でもありましたが、しばらく読み進むと、亡くなった女・火草の情人だった鶫(つぐみ)の回想へと移っていきます。“火草”と言うのは女の名前でありつつ、山火事の跡にさえくれないの花をつける、生命力の強い草のことでもあります。この、二つの“火草”のイメージの重なり合い、絡み合いが、作品全体をもくれないに染めている按配でとても幻惑されます。叙景が叙情にかぶってくる記述、とても素敵でした。
 でも実は途中までは、こういう作品は苦手かも…と思っていました。 
 ここで描かれている火草がいわゆる魔性の女で、その浅はかさに同性としては共感し難いのです。確かに世の中には、“女である前にひと”ではなく、“ひとである前に女”…な生き方しか出来ない女性もいる訳ですが、この両者の間には、互いの理解を阻む深淵があったりする訳で…。ただ男に求められ愛されること、めでられて寄りかかって生きること、そんな客体的な存在としての自分にしかアイデンティティを持てない女を描くことは、かつての“女流”の主なテーマだったかも知れないけれど、読んでいて楽しくない…。  
 と、そう感じていたのがだんだん変わってくる。火草という女のしたたかさや野蛮な美しさが、そんな風にしか生きられない哀しさと一緒に、少しずつ伝わってくる。そして終盤、凄惨なほどの生命力をみなぎらせた火草の食事シーンが圧巻でした。そんな火草がなぜ…?というところで、冒頭と繋がるラストも凄かったです。

 同じように圧倒される読み応えがあったのは、「桟橋にて」や「首のない鹿」でしょうか。特に、ときに幻想的で、美しかったりおぞましかったりするイメージがくるくる移っていく「桟橋にて」は、嫌悪感すれすれのところで引き込まれていく気魄があり、一気に読まされました。

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鶴橋にて焼きそば♪ 「あじくらや」

4月19日、土曜日。曇り。
 まだまだすっきりしないお天気。雨に洗われた若葉が、うす灰色の曇り空に…そりゃ映えないわね。 
 車で所用を済ませ電車で移動。梅田で新幹線の回数券を購入し、さらに移動。

 今日のランチ。だーさんの希望「何か庶民的なものがいい」を叶えるべく(いや、だいたいいつも庶民的であるぞ)、焼きそばが美味しそうな鶴橋のお店へ行くことにしました。私たち、焼きそばにはとんと縁がなくて…。お好み焼きのお店でもあまり頼まないですし。関西の人は随分好きそうですけれどね、焼そば(なぜ、ご飯のおかずにするか…?)。

 鶴橋と言ったら焼肉ですが。
 今日は、「あじくらや」というお店で焼きそば&お好み焼きを! 1時半頃でしたが店内は賑やかで、わくわくしながらビールを待ちました。
 オーソドックスに、“焼そばミックス(いか・豚・えび入り)”にしたけれど、色々と種類が多かったー。

 お店おススメの、こんな焼きそばも気になりつつ。
 他に、“焼きそばカルボナーラ”なるメニューもありました。
 

 じゃじゃん、“焼そばミックス”でっす。
  一目見て「太麺だ!」と喜ぶ私たち。そして、ビールがビールがすすむあじー。ダブルにしなかったので、量はやや控えめ。  これは本当に美味しかったです!

 お好み焼きの方は、“洋食焼 じゃがイカ豚”です。
 卓上にソースが甘・辛で二種類、青のりやかつお節は自分でかけました。どうしてこれが“洋食焼”なのかよく分からなかったなぁ。でも、普通のお好み焼きよりもばらばらになりやすくて、食べた感じもこれは普通…。やっぱりこのお店は、焼きそばかなー。

 駅へ向かう道々、「あの焼そばはダブルにした方がよかったねー」「鉄板でちょっと焦げると、食感が変わってまたいいんだー」などと、感想を述べ合う二人でした。ちゃんちゃん。 


 明日は高校からの友人の結婚式です。挙式だけですが、ちょっくら行ってきます。昨日慌てて三宮で購入した「SEE BY CHLOE」のワンピースでめかしこんでみる予定。シルクのワンピース、それだけで気持ちが浮き立ちますよん。

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シオドア・スタージョン、『海を失った男』

 編者あとがきによれば、“ベストアルバムを作る”ように編まれた一冊。『一角獣・多角獣』にも収められている「ビアンカの手」と「シジジイじゃない」は再読になりました。 

 『海を失った男』、シオドア・スタージョンを読みました。
 

 収められているのは、「音楽」「ビアンカの手」「成熟」「シジジイじゃない」「三の法則」「そして私のおそれはつのる」「墓読み」「海を失った男」、の8篇です。
 再読だった二作品がまず良かったです。初読は去年の9月だったけれど、奇天烈な作品ばかりたて続けに読んでぐでんぐでんになっていたかもしれません。今回の方が読みやすくて、すんなりという感じで楽しめました。
 特に「シジジイじゃない」は、まず“シジジイ”というテーマ自体がちょっと分かりにくいですが(単為生殖のための理想像?)、主人公のレオが出会う女性グロリアが、みずから思い描いた理想像そのままの男から、自分の思い通りにはならない“何をするかわからない”男に心を移してしまうという設定に、そりゃそうでしょーと思わず笑い、レオの悲劇に改めて戦慄しました。

 他に好きだったのは、「成熟」や「三の法則」。 
 「三の法則」は冒頭がとてもSFらしいのに、突然ごくありがちな男女の話になってしまうのでやや戸惑いました。文明探査のために地球にやってきた“三つ一組からなる三組のエネルギー生命体”の話はどうなったのか?と、首を捻りながら読んでいくと…。 
 この作品、“三つ一組の生命体”という設定がこれまた凄い。彼らから見ると地球人は、「いったいどうして何でも二人一組になっていないと駄目なのかしら?」ということになるらしいです。うーむ、そう言われてもな…。もしかしたら、スタージョン自身の疑問なのか…? ありがちな男女の話とSFな部分が最後に合致して、一風変わったハッピーエンドでした。

 あと「墓読み」は、ぴりっとタイトな作品ですがすこぶる興味深い内容でした。私好みかな。“墓読み”というのは、墓碑銘を読むことではなく文字通りに“墓を読む”ということです。それも、“一巻の伝記のように”。言語化されていないものを“読む”という発想。謎を残して妻に先立たれた男が、“墓の読みかたを学ぶ苦労”とは一体…。
 「そして私のおそれはつのる」は、一番長い作品です。章の扉のタイトルを見て、怖い!と一瞬思ったのですが、ミス・フィービーが本当に怖かった…!
 あ、そして表題作ですが、文章全体に迫ってくるような異様な迫力が満ち満ちていたので、それに圧倒されながら読んだけれど、実はなかなか読みにくかったです。イメージしながらついていくのが大変~な作品でした。
 



 チョキチョキチョキ…。 

 歩いて1515分ほどの和菓子屋さんで、桜餅を買ってみました。
 季節にそったお菓子は、なるたけいただこうという心がけ。

 朝ご飯のデザートにしてみたり。デザートには重いか…。  てか、この組合せはどうなの? カップの中は緑茶です。
 素敵な香りとほどよい甘みでした。 
 実は桜餅には関西風と関東風があるということを、最近になって知りました。子供の頃から、桜餅と言ったらこれ!でしたので。

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皆川博子さん、『巫女の棲む家』

 わたしは、少なくとも、わたし自身でありつづけたい。 P.92

 7割が実話という、自伝的小説である。その、7割の意味する重みが読み進むほどに重く圧しかかってきて、いつしか息を押し殺すようにして読み入っていた。

 『巫女の棲む家』、皆川博子を読みました。

〔 霊媒――あやかしの力を得た少女黎子をめぐって男たちの野望が渦巻く。 新宗教集団霊泉会の巫女の座に置かれた黎子には、人には言えぬ恐ろしい過去の悩みが…。
 日本推理作家協会賞受賞作家が自らの体験をもとに描く戦慄の異色サスペンス長篇 〕 

 物語の軸となる存在、引揚者でありいかさま霊媒師の倉田佐市郎と、少女日馬黎子。さらに、古本屋を営む佝僂の青年小野八汐が加わり、三人三様に背負った過去と思惑とが時に絡み合い時に拮抗する様が、凄絶に描かれていく。戦後の混乱が続く日本で、おそらく雨後の筍のように発生していたであろう新興宗教の内でもごく小さなそれに、呑みこまれ組み込まれていく。そしてなだれ込む、物語の行く末は…。

 厳格かつ無垢な父親と、冷淡で現実的な母親、誰も口にしない亡き兄のこと、他人のような長兄と心を閉ざした弟。思えば黎子という少女は、いかがわしい交霊会に利用される身になるまで、誰からもかえりみられない孤独で居場所のない女の子だった。倉田や小野の狡猾さ、或いは、戦中の過酷な経験をくぐり抜けてきた底知れぬ図太さに対峙するとき、少女である黎子の無力さはあまりにも痛ましい。 
 敗戦による、人々の価値観の逆転という荒波の前に為すすべもなく、茫然ともまれていく一人の少女。己の意思すらなき者のようにして、ただ“愛されている”という喜びの感覚に押し流されながら、巫女への道を踏み出してしまう黎子。この時代、黎子のような少女たちは、日本にどれほどいたことだろう。

 無力な存在であることの悔しさ、大人に太刀打ち出来ない未熟な存在であることの歯がゆさを、私自身が記憶の中から呼び覚まし、憤りながら読んでいた。やり場のない怒りが、身の内で爆ぜるようで苦しい…。
 兄への思慕と、弟へのあわれ。皆川さんが描く少女たちの原点は、ご自身の少女時代にあったのですね…と、胸をつかれる。

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