梨木香歩さん、『からくりからくさ』 再読

 布にまつわる言葉も、糸偏の漢字の訓読み(縫う、編む、絡む、纏う、織る、紡ぐ、結ぶ、綾…)も好きなので、この作品に魅了されないわけがありません。
 『からくりからくさ』、梨木香歩を読みました。

 読んでいると色んなイメージが錯綜します。幾つかの物語の要素が、それこそタペストリーのように織り込まれています。
 作品内でもちらっと出てきますが、“織る”と“祈る”は言葉としても似ていると思います。本当のところ、ただ似ているだけなのでしょうか…。古から連綿と、市井の女たちが受け継ぎ繋いできた“織る”ということ。西でも東でも変わりなく、淀むことなく続く日常の中で、一枚の布を織り上げていくということ。そこに、トントンカラリと織り込まれていったもの…それは、善きことと悪しきことと、祈りと呪いとが融け合わさったようなもの。

 紀久さんの静かな情熱に寄り添いつつ、そんなことに思いを馳せてみる。気が遠くなると同時に、何故か泣きたくなる。私は紀久さんが好きなので、今回は最初から思い入れたっぷりで読んでいました。
 たとえば紀久さんが苦しんでいるときには、私も“溶鉱炉のような業火”を怖々ながらも覗いた気がしました。紀久さんの長い手紙を読んでいたら、いつの間にか涙ぐんでいました。途中まで読んで気が付いたけれど、私は紀久さんが好きと言うよりも、彼女に対してシンパシーのようなものを感じていたのです。
 それは、性格が似ているとかいう表面的なものではなく、もっと根本的なところにある、ものの考え方や感じ方に強い共感を持てる…とでも言ったらいいでしょうか。たとえば物語の終わりの方でこんな文章にぶつかって、本当に打たれたように動けなくなってしまったから。

 “紀久にはもともと、人一人の心持ちはそれだけで他人が侵すべきでない貴いものだと考えるところがあった。その周辺のあれこれを推量するのは卑しいことのようで昔から興味が持てなかった。” 367頁
 この感覚、これは…。私が他人への礼儀として普段から持っている感覚と、同質のものであるに違いない。時々周囲の人たちに対して「そうじゃないんじゃないの?」と感じてきたことが、この文章を読んだときに頭の中で弾けて「そう、そういうことよ!」と叫びたいくらいでした。


 幾つかのお話が縦糸となり横糸となり、そうして綾なすタペストリーのようなこの物語は、素晴らしいクライマックスへと収斂されていきます。圧巻です。正直に言ってしまうと、いささか言葉を費やし過ぎて説明し過ぎではなかろうか…?と、思わないでもないくらいのラストです。そのお蔭で、凄いスケールのところにまで連れて行ってもらえるのですけれど。
 (2006.10.12)

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