本が好き!な、りなっこのダイアリーです。週末は旦那と食べ歩き。そちらの報告も。
本読みの日々つらつら
7月29日(日)のつぶやき
(@rinakko) 2018年7月29日 - 13:11
これから近所で寄席\(^-^)/
7月28日(土)のつぶやき
(@rinakko) 2018年7月28日 - 14:23
お昼ごめん。近所の店で冷やし中華。
この猛暑で、キムチがあっという間に酸っぱくなるので暫く作らないという話、そんなところにも影響があるのかと驚いた。
(@rinakko) 2018年7月28日 - 14:38
あと、烏が減った(言われてみれば最近鳴かない)ので、店先の燕の子らは生存率が高かったらしい。烏は猛暑に耐えられず、山側へ行ったか。
7月27日(金)のつぶやき(読んだ本、『ウンラート教授』)
(@rinakko) 2018年7月27日 - 11:48
【ウンラート教授―あるいは、一暴君の末路/ハインリヒ マン】
素晴らしい読み応え。汚物(ウンラート)教授とはこれまた凄まじいあだ名だわ…と思い、読めば内容の凄まじさにもきっちり釣り合うので感嘆した。
57歳までの人生を学校のうちで過ごしたウンラートは、年長者の視点を持たず、生徒を憎しみで処罰するまさに独裁者だった。そして常に戦闘態勢でいる彼にとって、町中の元生徒たちさえ敵のままだった。…と、そんな教授の境遇は女芸人ローザとの出会いによって激変するわけだが、何ていうか、本人の軸は決してぶれない。邪悪な生徒どもへの憎悪を町中に押し広げ、人類に罰を与え絶滅させるという壮大な志に邁進する。
そこまで人を憎めるか…と唖然とするけれど、一方にローザという至高の存在への尋常ならぬ愛情があるから、絶妙な均衡を得てしまった…のか。
(@rinakko) 2018年7月27日 - 12:09
ウンラート教授の人間憎悪に比べたら、あたしの人嫌いなんてめちゃ普通じゃないか…と思ったわい。作品解説によると『ウンラート教授』出版当時、学校に禁止されつつ秘かに回し読みをした生徒たちが、「この話をちっとも嘘っぽいと感じなかった」というのも凄い。
(@rinakko) 2018年7月27日 - 15:40
この、布団のアレは覚えてたー。>横溝正史短編集「百日紅の下で」
しかしそろそろ出かけねば。
(@rinakko) 2018年7月27日 - 16:45
夫待ちの夕ビール。連れ本は『舞踏会へ向かう三人の農夫』。
(@rinakko) 2018年7月27日 - 19:55
夏の雨の匂い濃ゆいわ。
7月26日(木)のつぶやき
(@rinakko) 2018年7月26日 - 10:30
昨日からうちの本。ようこそようこそ。
『英国怪談珠玉集』に見惚れてしばしねぶねぶ。農夫は再読用。イネス、迷ってたけれど買って読むことにした。どれも楽しみだ。うおん。
(@rinakko) 2018年7月26日 - 19:13
なんでや。なんでそこで鼻かむんや‥。今日の分の横溝正史短編集「殺人鬼」も、2度めだけれど割と覚えてなかったなぁ。
7月25日(水)のつぶやき(読んだ本、『神様のボート』 再読)
(@rinakko) 2018年7月25日 - 14:52
帰宅して犬神家をながら見。おうちすぐ涼しい。
(@rinakko) 2018年7月25日 - 15:01
「海かプールに行きたいし、かき氷食べたいし、あとディズニーにも行きたくて、あ、それかUSJでもいいんですけど、今年はまだ一つも出来てなくて」と言いながらネイルのオフをしてくれた若者に、「海やプールで泳いだのは遠い日々で、かき氷ならせんじが好きで、(続く)
(@rinakko) 2018年7月25日 - 15:01
そのようなテーマパークに至っては未経験です」とは言えず…。ふ。
(@rinakko) 2018年7月25日 - 16:51
【神様のボート/江國 香織】
“恋愛はインモラルな人間の特権だ、と、あのひとは言った。そのとおりかもしれない。”
再読。恋もまたパラノイアの一つ…ということを、思わずにはいられない作品だ。ましてや“骨ごと溶けるような恋”となれば尚…。
旅がらすの母娘、葉子と草子(直截な名前だ)。何処にも馴染まない葉子の頑なさに私は近しい気持ちを抱くけれど、とじた繭のように恋人との記憶に包ったままの母親を、傍らで見つめ続けた少女の方が、もっと淋しく寄る辺なく感じていたかもしれない…とも思う。娘を溺愛する母親を淡々と受け入れつつ成長していく、そんな草子の姿は愛おしかった。
7月24日(火)のつぶやき(読んだ本、『葬儀の日』 再読)
(@rinakko) 2018年7月24日 - 11:14
【葬儀の日 (河出文庫―BUNGEI Collection)/松浦理英子】
再読。“とても会いたかったけれど、こうして会ってしまったことは取り返しのつかないことのような気がする。(略)私たちは互いに互いを宿し合っている。では、私の中のあなたの分だけ私は私でないのだろうか? いや私はやはり私なのだ。私の中のあなたも私だ。(略)その理由を考えると——恥に満ちている。”(葬儀の日)
“確かに病気だった。肥満体恐怖症とでも言うのだろうか。”(肥満体恐怖症)
笑い屋と会う泣き屋“私”、自分へ殺意を向ける彩子に惹かれる幾子、肥満体恐怖症であることに執着する唯子。彼女たちの狂おしさにぐらぐらする。
7月22日(日)のつぶやき
(@rinakko) 2018年7月22日 - 10:10
悲しみは夏なめらかな汽車となりすべての駅を通勤するね
― 堂園昌彦 『やがて秋茄子へと到る』
(@rinakko) 2018年7月22日 - 10:29
昨夜の「シリーズ深読み読書会“悪魔の手毬唄”」、録っておいたのさっそく観た。面白かた〜。
(@rinakko) 2018年7月22日 - 10:52
時々ふわっとなるし体重落ちたし動悸も気になるしで、バテてるっぽい。なんか精のつくもの摂らにゃ‥。食欲は普通にあるんよ。たぶん。
(@rinakko) 2018年7月22日 - 19:14
そゆえば、草野心平の「亡霊」は怖くて涼しくなる。
蛇めがおれの口に食はれをるわ
みみずのやうに食はれをるわ
つめたくぬるぬるしておいしいわ
わひ わひ わひ
らりらら らりらら
踊れるわ 踊れるわ 脚が生えをるわ 五本 六本 十本 十本
(@rinakko) 2018年7月22日 - 19:19
わひ わひ わひ
らりらら らりらら
ウフフッ蛇めらが逃げをるわ
畔から 畔から 田圃から 畔から
逃げをるわ 逃げをるわ
ていう、カエルの亡霊の詩。
7月21日(土)のつぶやき(石橋、「サバニー」)
(@rinakko) 2018年7月21日 - 10:46
【シェイクスピア全集 (5) リア王 (ちくま文庫)/W. シェイクスピア】
シェイクスピア全集 (5) リア王 (ちくま文庫) クリエーター情報なし 筑摩書房 再読。四大悲劇の一つでありながら、訳者の“歓ばしい悲劇”という言葉に大いに頷ける。出てくる人物は悉く一徹過ぎるし(コーディリアもなぁ…)、リア王の激烈な女嫌いぶりには辟易もするし納得いたしかねる訳だが、それでも二つの再会の場面は胸にぐっと迫った。
…にしても、人を正しく見極めなかった王への代償の残酷で凄まじいことよ。
(@rinakko) 2018年7月21日 - 12:05
昼ビール部です。「ビールはおかわりしないで白ワインにいこうかな」と言ったら夫が珍獣を眺める目でまじまじと見返してきたので、おかわりする。サバニーにて。
(@rinakko) 2018年7月21日 - 12:30
お昼ごめん。ポークとチキンと野菜のトマトソースパスタ。
(@rinakko) 2018年7月21日 - 12:30
あ、石橋のサバニーにて。
(@rinakko) 2018年7月21日 - 12:51
伏見屋の燻製豆腐と巌豆腐買って帰りゅ。うち、ふわぷるの豆腐はいただきません。もっぱら硬い豆腐よっ。
(@rinakko) 2018年7月21日 - 18:47
「読みかけの本 解けた靴紐 何一つ 無駄なものはない」「人の裏切り 一人迷う日々 泣けない失恋 苛立つ雑踏 皮肉だけれど 何があっても 何一つ 無駄なものはない」。そう、なのかな。そう‥(ひさしぶしに聴いて泣けてしまった)。〉KAB. 「生活」
7月20日(金)のつぶやき(読んだ本、『公園』 再読)
(@rinakko) 2018年7月20日 - 10:10
【公園/魚住 陽子】
再読。“あの人は今日も来ている”…という冒頭の一文が、忘れがたい作品。
様々な誰かに似ているけれどその誰でもない“あの人”の姿は、公園という場で幾つもの眼差しの焦点になる。紫がかった帽子と黒い自転車、細い首…。その姿を探し、熱心に見つめる登場人物たちは、実はその姿を通して己を見つめ返していることには気が付かない。各々の内にあるぽっかり開いた虚ろな場所に、彼女の輪郭を知らずに合わせている。だから、昔の恋人のようにも、自分を置き去りにした母のようにも、自ら命を絶った娘や夫の愛人のようにも見えてしまう。それぞれの思いの先に。
本当の“あの人”は誰だったのだろう…。
7月19日(木)のつぶやき
(@rinakko) 2018年7月19日 - 07:24
【失われた時を求めて〈13〉第七篇 見出された時(2) (集英社文庫ヘリテージシリーズ)/マルセル プルースト】を読んだ本に追加
失われた時を求めて〈13〉第七篇 見出された時(2) (集英社文庫ヘリテージシリーズ) クリエーター情報なし 集英社
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