今日は年越しに♪ 「手打ちそば 相田」

12月31日、大晦日。やや曇り。 
 5時を過ぎたころに目が冴えてしまったので、静かに本を読む。倉橋由美子さんの『酔郷譚』の最後の話、塩野七生さんの絵本。真っ白な朝に本読みをするのは、とてもいい気分である。
 まっさらな朝の気持ちを少しでも長引かせたくて、大好きな勝本みつるさんの作品集もめくってみたり。この作品集は、緑色がちょっと信じられないほどに深くて美しくて、じんわりと沁み入るのだ…本当に。とっておきな一冊。

 あ、さて。 
 年が改まることには然したる思い入れがないわけですが、年越し蕎麦をいただいたり初詣に行ったりするのは割と好きです。一方苦手なのは、大袈裟に祝う雰囲気やら新年の抱負を言わされる場。
 今年の年越し蕎麦は、近くのお店でいただくことにしました。  
 そばのそばやの「手打ちそば 相田」でっす。

 さすがに大晦日の所為かいつもとお品書きが違っていて、残念ながら玉子焼きはいただけませんでした。
 それはそれとして、ビール。
 瓶を二本。

 だーさんは“おろしそば”。


 私は“こぶそば”を。
 以前だーさんが美味しそうに食べていたので。たまには温かい蕎麦もいいですねー。おぼろ昆布なんて久しぶしでしたよ。
 しみじみととても美味しくて、大変満足。 ご馳走さまでした♪

 この後三宮へと移動して、ちょっとだけ買い物をしたりしてから、いつものお店で休憩。
 「ZA・KO・BA」という至って普通な居酒屋食堂ですが、使い勝手がよくて利用頻度がかなり高いです。
 今年は大変お世話になりました。…と言いつつ、初めていただいてみた“若鶏の唐揚げ”。だーさんが苦手な骨ありタイプなので、これが最初で最後かも。 

 今日も寒かったので、私は熱燗。だーさんは赤ワイン。
 

 そしてこちらは昨日のビール。旨いんです、これが…。
 いつもの「Kirin・City」にて。  

 
 あ、そうそう。 
 昨日の昼食後、梅田のメンズ館でだーさんのマフラーを購入した時に、ディスプレイを見ながら「この巻き方ってどうなってるんだろう?」「え、ねじっただけでしょ? あれ?」などと二人でしゃべっていたら、近くにいらした女性店員さんがその巻き方を教えてくれました。で、帰宅後もちょっとおさらいをしたり。
 それで、ふと、「もしかしてこれは所謂“ヨン様巻き”なのでは?」と思い、調べてみましたら、一見似ているものの違いました。でも、自分で試してみたヨン様巻きが気に入ってしまったので、今日はヨン様巻きで出かけたのでした。ヨン様巻き、しばらく続きそうです。
 ちなみに新しいだーさんのマフラーは、オレンジ×グレー。まだまだ続く寒い季節、首はちゃんと守ってもらいたいです。

 相変わらずのとりとめもない日記、お読みいただきありがとうございます。 
 最近さぼりがちですが、来年もこつこつ続けたいと思っておりますのでよろしくお願いします♪ よいお年を。

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寒空の下、ちょっくら姫路(ふたたび)

12月29日、月曜日。晴れ。 
 今日の風は思いの外ほんのりやわらかい…と思いきや、それは昼間のいっときであった。  
 年が改まることにこれと言って思い入れもないので、年末といえども忙しくない年末を過ごしています…。世の中の人々は大抵、当り前のように忙しげに見えますが。ううむ。  

 逃したくない映画がありましたので、昨日はだーさんとは別行動で観に行ってきました。「ピアノチューナー・オブ・アースクエイク」です。クエイ兄弟の作品。原案となった作品は、ボルヘスが“完璧な小説”と呼んだ『モレルの発明』と、『ロクソ・クルス』…と知れば、観たくて観たくてうずうず。これが観ないでおれますか…!   
 どこまでも邪な映像美に、酔い痴れました。背徳に縁取られた耽美とデカダンス…! ストーリーの細部に拘泥してしまうとなかなか堪能出来ない内容かも知れませんが、私には大変大変好みな映画でした。そして初めて訪れた大阪の小さなシアターは、とても素敵でした。また利用したいです。

 で。
 昨日別行動だっただーさんは、お昼ご飯に一人でニンニクをたんもり摂取したとのことで、昨夜からそれはそれは臭うことと言ったら…!(あたし、リビングで寝ましたよ)。今日もそれが抜けてなくて、隣の私は切なかったです。しかしニンニクって、あんなに臭っちゃうものですか…。 
 そんな今日は、およそ一年振りにぶらりと姫路まで。JRで30分ほどでしょうか。読みかけの本を開きつつ、うつらうつら。明石あたりの穏やかに平らな海を眺めつつ、またうつらうつら…。

 駅に着いたらまずはもちろん、お約束のえきそばをいただきました。前回はこちらです。
 私はやっぱり天ぷらそば。だーさんはきつねの大盛り。

 えきそばで多少は温まりましたものの、お城方面へ向かう道々寒くて寒くて、寒がりな私は体が冷えきってしまいました。しかも!あてにしていたお店が休みだったので、姫路名物のおでんにありつけず、やむなく駅へとひき返す私たち…。最後の頼みの綱は、駅周辺のお店。 

 ぶらぶら歩くことしばし、ありましたありました。姫路駅構内のチョイ呑みな感じのお店ですが、姫路おでんの貼り紙がありましたので、ふらりと吸いこまれました。小柄な女性が切り盛りする小さなお店。 

 まずは熱燗におでん。
 しょうが醤油の姫路おでんですよー。ほかほか温まります。他にコンニャクや大根、ごぼう天もいただきました。

 常連らしきオジサンたちに挟まれて、〆さばやらイカの塩辛の石焼きも。
 塩辛の石焼き、意外な美味しさでした。香ばしくなって旨味が増すみたい。
 姫路おでんは、「観光客相手じゃなくて、地元の人たちが利用しているお店で食べてみたい」という私の希望が、思いがけなく通ったのでした。ほかほかー。

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人気の回転すし、「磯寿司 くるくる丸」 その8 (西梅田のバル・マル)

12月27日、土曜日。晴れ。 
 だーさん、本日より連休なり。 
 いつも通りの長閑な土曜のお昼、久しぶりに車で買い出しに出かけようとしたらば、我が家のステージア君がくしゃみをしている…! ぷしゅんぷしゅん! …ええ、バッテリーがあがってしまったそうです。よくわからないけれど、厄介なことになってしまった模様。年の瀬なのに。

 まあ、それはさておき。昨夜は仕事納めのだーさんと、梅田で忘年会でした。納会が異例の早さで終わったそうで、5時半には店内にて合流を果たしておりましたよ。
 忘年会の場所に選んだのは、今年の5月にお邪魔してすっごく気に入った西梅田の「バル・マル」でっす。

 呑んだのは、ビール→赤ワイン→白ワイン。店員さんがよく気が付いてくれるので、ワインのすすむことすすむこと。
 赤と白を一本ずつ。サングリアを頼む余地はなかったわ…。

 そしてお料理も色々。スペイン・バルのタパスは一皿の量が少ないので、二人でも色んな種類を楽しめるのも嬉しいことの一つです。オニオンリングやタコの唐揚げ、おススメ☆マークが付いていたツバスの鉄板焼き…。 

 こちらは、“ピリ辛ソーセージと野菜のトマト玉子とじ”。
 つまり、フラメンカ・エッグでした。
 
 最後にいただいたのが、“天然エスカルゴとスパイシーチキンのパエリア バレンシア風”。
 蝸牛、やっぱり好きー。残り少なくなったところで、店員さんがソカレッツをこそいでくれましたよ。
 なんと言ってもこちらのお店は、店員さんが皆感じが良くて嬉しいです。是非ともまた行きたいなぁ…。

 それで今朝は起きるのが遅めになってしまいました。買い出しに行けなかったのでさっさとお昼ご飯です。いつもの「くるくる丸」。
 今回はテーブル席なのでゆったり♪
 今日の私は、全部で6.5皿。少なめにするつもりでも、結局これくらいは食べてしまいますねぇ…。

 まずは、“活鯖”。
 〆鯖も気になるけれど、活鯖にしちゃいました。生姜でさっぱり。

 “ぶりトロ”。
 寒鰤のトロ…!
 トロ繋がりで、“とろ鰹”もいただきました。

 前回いただいて味をしめた“カワハギ”、再び。
 やっぱ、肝が美味しいですー。

 しかし何と言っても今日のお気に入りは、“生牡蠣”~♪
 もうもう、言葉を失くす美味しさでした。ちゅるる…。

 二人で揃って〆に海苔巻き。“しそ巻き”と“新香巻き”。
 
 「くるくる丸」さん、今年は随分とお世話になりました。来年もよろしく…。

 特に予定のなかった午後、だーさんが車内吊りの広告で見付けた「中古&廃盤レコード・CDセール」をのぞきに行きました。梅田の阪神デパートの催場。で、私がCDを4枚購入。うち2枚は、だーさんが探し出してくれた昔のCocco。肝心のだーさんは収穫なし…(自分のより人のを見付ける方が得意らしい)。CDは全体的に品薄で、売り場のメインはあくまでもレコードでした。

 もう一軒、今年数えられないほどお世話になったお店にて、軽く休憩してから帰路につきました。
 「むさし乃」というお店。何だか落ち着いてしまう居酒屋です。きっと来年もお世話になりそうです。
 それにしても、このまま年末からお正月にかけて食べ過ぎてしまいそうなので困ったなぁ…。

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J・G・バラード、『結晶世界』

 ひき込まれた…!
 時折はっと胸を衝くほど異様に美しい文章にぶつかる。これでもかと溢れるおびただしい結晶のイメージが、色彩の氾濫が、そんな文章によって更に眩しく綺羅の光を纏う。誘うように、不気味に。 

 『結晶世界』、J・G・バラードを読みました。


〔 水晶のような樹が輝く洞窟の中の像のようにたれさがり、頭上の葉が宝石の枠をなして、溶けあい、プリズムの格子となり、そのあいまから陽光が何百もの虹を作って照りつけ、鳥も鰐も、ひすいや石英を彫って作った紋章の動物のようにグロテスクな姿勢に凍りついている、この森の驚異。 〕 106頁

 冒頭からぬったりと、不穏で不安な気配が絡むようにつきまとう。元同僚夫婦に会うために船旅を続けてきた主人公サンダーズ博士をまず出迎えたのは、重苦しく黒ずんだマタール河の河口の陰気な眺めだった。曇っているわけでもないのに、黒く見える水のうねり。船客である神父が口にしたベックリンの『死者の島』のイメージが、一瞬私の脳裏をよぎる。息苦しくなる導入だが、すっかり捕り込まれてしまった。

 友人夫妻の身を案じるサンダーズと、船旅で同室した素性の知れない男ベントレス(後に建築家とわかる)に、港町で知り合ったフランス人女性ジャーナリストのルイーズ。各々の事情や思惑を秘めた彼らは、信じ難い変容を遂げつつあるという出入り禁止の地域へと向う…。
 やがて彼らが足を踏み入れたのは、文字通りに全てが水晶化していく世界だった。水晶化とも、宝石化とも…。人さえも例外ではなく、結晶におおわれていく世界。死と不死性の、あり得ない共存がそこにある。 
 燦然とふりそそぐダイアモンドの光、春分の日の明暗。黒と白の対比を見せながら、水晶化を逃れて彷徨う人々。瀕死の女をめぐり、狂気にとり憑かれたようにガラスの中で争い続ける男たち。宝石で口がふさがった水晶の鰐がうろつく、さんざめくプリズムの森林。乱反射する光と幻想に縁どられた、タナトスの世界…。

 物語の核にあるものは、とてもシンプルなことだという気がした。 
 あまりにも美しく禍々しく結晶化していく終末世界の光景を目の前にして、どうしようもなく魂の根底を揺さぶられてしまう人たちがいる。ひとたび魅了された彼らは、その心の中の“春分の暗い側”に半ば陶然と傾いたまま、二度と元に戻ることを望まない。望めない、望みようがない。デカダンスの囚われ人たちは、引き延ばされた時間の中を永遠に彷徨うことになるのかも知れない。不死性という贈り物を胸に抱いたまま。 
 そしてその一方には、そんな風に結晶世界に魅せられていく病んだ(おそらく)感性を、心のあり様を、決して理解できない凡庸で健全な人たちがいる。その、対比。身も蓋もなく、黒か白。

 ひとたび、光り輝くガラスの森のこの世ならぬ美しさを目にしてしまったら、残りの世界がどんなにか、薄らぼんやり色褪せた光景にしか映らないことだろう。それは無理もない…と、私も思った。よく考えてみれば酷くグロテスクなことなのに、それでも。
 水晶化に侵されていく世界にもう一つ、癩病の存在をかぶせてくるところが何とも凄まじかった。

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「ニューミュンヘン 神戸フラワーロード店」 その2

12月23日、祝日。晴れ。 
 ひさしぶりに書きますー。 

 治りかけていた風邪が、誰も呼んじゃあいないのに出戻ってきたりして、不安定な体調を引きずっている。一昨日は、新しい部活(?)先の忘年会にお誘いいただいたのでひょこひょこ出かけたけれど、めっちゃ鼻声だったかも。鶏のお料理とおしゃべりを堪能したのでは、あったよ。   

 さて今日は、三宮方面へ。そしてお昼ご飯は、あーでもないこーでもないとしゃべり散らかした挙げ句に、「ニュー・ミュンヘン」へ行くことに。散々迷って、「ニュー・ミュンヘン」に落ち着いてしまう私たちってどうなの…。  

 まあ、ビールが美味しいからねー。
 物議を醸す昼ビール、なんちゃって。実は件の忘年会で、お昼からお酒を呑むことの正否(大袈裟!)が話題になったのであるよ。ふふ、正しくなくても呑む私たち。
 ビールの後は、赤ワインを少々。

 “じゃこと豆腐とトマトのサラダ”とか。

 
 カキフライとか。 
 これは流石の美味しさ。牡蠣の甘味がじゅわじゅわ。   

 以前いただいて美味しかったので、またまた“グリルソーセージの盛り合わせ”。 
 粗挽きだったり細挽きだったりハーブが効いていたりして、味わいの違いがちゃんと引き立っている。

 この時はあまりお腹が空いていなかったので、一軒目はこんな感じでご馳走さま~♪…だったのに。

 この後だーさんには二軒目で待っていてもらって、私はジュンク堂とお気に入りの服やさんでちょっとばかりお買いもの。本を買うのは抑え気味にしているけれど、ちょっぴり(本当にちょっぴり)積読本が減ったので、『雪の断章』その他二作を購入。それから服やさんでは、楽ちんそうなワンピースに出会えてほくほくになった。

 それからまた合流して、熱燗でしばし暖をとり…。 
 軽く酔っ払いになった結果、だーさんの提案に私がほいほい乗っかるという流れで、〆のラーメンをいただくことになってしまった…。駆けだす二人の心を、止めるものは何もなく。

 で、気が付けば立ち食いの「源屋らあめん」を。
 でも、呑んだ後の〆のラーメンをいただくというのは、どうってことのない普通な流れだと思う。ただ私たちの場合、時間帯が半日ほどずれているだけ。それがそんなに、いけないことかい。


 こちらは、先週の日曜日に京都へ行ったときの画像。
 茶碗坂にて二人して歩きながら頬張った、蛸しそ天としょうが天。京都、寒かった…。 

 今時分に京都まで何をしに行ったのかというとだね、かねてからのだーさんの希望もあり、巷で有名な黒ラーメンをいただきにわざわざ行ったのさ。で、ついでに清水寺にも足を伸ばしたのさ。
 ←有名らしい、黒ラーメン。 
 はたして並ぶほどの味なのか…と甚だ疑問が残ったけれど、こういうのは食べてみないことにはわからないからね。見た目の半分も味は濃くなかったよ。

 とりとめもなく、書いてみました。明日からダイエットします…。

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桜庭一樹さん、『ファミリーポートレイト』

 すごい作品だった。冒頭から激しく胸ぐらを掴んできたこの獰猛な物語は、容赦なく私を穿ち揺さぶった。

 『ファミリーポートレイト』、桜庭一樹を読みました。


〔 持っているのは、ママという巨大な夢の時間だけ。 〕 88頁

 瞳を閉じたいのに、目をそらせない。母と娘のおぞましくも醜い、身の毛のよだつ類の美しい物語にひき寄せられた。唾を吐きかけたい気持ちと、魅了されていく誤魔化しようのない思いと、双方から引っ張られて千切れてしまいそうになる。

 まず第一部で描かれるのは、母と娘二人だけの神話時代だった。楽園追放の日まで続く、逃避行でもある。 
 5歳のコマコのすべては、マコのためのもの。コマコはマコの小さな神で、マコはコマコの美しき神。コマコはマコが生んだ命なのだから、生きるも死ぬもマコに従うのみだ。そしてまだ25歳のマコは、七色に輝く最高に美しい女の子だった…。
 この親子の在り様が如何に歪か、読み始めればすぐにわかる。どうにも救いがないのは、ちゃんとした母親には決してなれないマコの心の弱さだった。たとえどんなに幼かろうと、子供は親の所有物ではない。子供を自分の分身だと決めつけるのは、親のエゴでしかない。自我が癒着した母娘ほど、傍から見て気持ち悪いものはない…と、そんな言葉たちが頭の中を渦巻いた。一人の娘としての私の古傷にまで、血が滲んでくるような気がしてくらくらする。

 …それなのに。二人ぼっちで手を取り合い逃げ続ける彼女たちの崖っぷちな姿には、ひどく胸を打つものがあった。たとえやり方は間違っていたとしても、二人はお互いを本当に必要としていたのだ。味方のいない場所で共に闘うために、全身全霊の支配と身も世もない愛情とで、それはそれはかたく結ぼれ合っていた。何が間違いで何が正しいかなんて…。自分の全身全霊を完全に必要とされる幸福は、誰にでも手に入るわけではないのだから。
 いつの間にか、コマコとマコの世界を守ってあげたい気持ちが膨らんでいたことに気が付いて、愕然とした。あんなにおぞましい親子だったのに。

 物語は大きく、第一部と第二部とに分かれている。第二部の内容も素晴らしかった。命を削りながら書く…という宿命を背負った作家の孤高の覚悟に、ひりひりと胸が痛かった。供物。自ら堕ちていく魂。
 親は子供を裏切るけれど、子供は親を裏切らないそうだ。いやむしろ、裏切りたくても裏切れない…といった方が当たっているかも知れない。それもまた一つの、呪いの形だと思う。

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