蕎麦日和に♪ 「そば処 卓」

8月31日、日曜日。晴れ後曇り。 
 いよいよ8月を見送る今日は、昨日とはうって変わって暑かった…! ここ最近めっきり涼しい日が多いので、すっかり夏が過ぎ去ってしまったような気分でいたのに。
 こんな晩夏の晴れの日には、粋に蕎麦でもどうでしょうか。いや、あらかじめ決まっておりましたけれどねー。  

 これはだーさんが言ったことだけれど、私たちにとっての理想的なお蕎麦屋さんとは、とりあえずちょっとした肴でお酒がゆるゆる楽しめて、それからのんびり、じゃあそろそろいただきますかね…とお蕎麦を頼んで、〆の蕎麦湯までしっかり堪能した後に、大満足でノンシャランと店を去る…と、そんな粋な(?)時間を過ごせるようなお店である、ようだ。
 駄菓子菓子、メニューは潔く蕎麦のみというお店は存外多く、サイドメニューは夜のみというお店も、これまた意外と多い。 

 そんな訳で、我がままな私たちの願いに叶うお蕎麦屋さんを、是非とも開拓したいと日々思っていた私が、ネットで見つけ出したのが本日のお店である。お手柄♪ 
 元町駅からしばし歩き、いつもは足を伸ばさないようなところまでいくと、目指すお店が見えてきた。
 はい、そこは元町の「そば処 卓」でっす。 

 店内はほぼ満席。しばらく待って案内されたのは、奥のテーブル席だった。一見そんなに奥行きがあるとは思えなかったのに、店内の家具類がパーテーションの役割を担っていて、奥の方が隠れていた。

 事前情報で知っていたけれど、蕎麦茶じゃなくってあっつあつの蕎麦湯が出てくるの…!
 まるで糊のようにどろどろ。

 まずはビール。今日はヱビス♪


 そして、蕎麦屋さんなら先ずはこれ…の、出し巻き。
 ほぐし過ぎていない玉子が、嬉しい。なんか…美味しそうに撮れなかったけれど(残念ー)。

 そして、久々“そばずし”。
 予想以上にしっかりした蕎麦寿司で、海苔の噛み応えも凄くよかった(良い海苔なのかな)。巻かれているのはキュウリと椎茸。山葵の効き具合もグーよ。

 ビールが乾せたところで、ぼちぼちメインへいきますか…。
 だーさんが頼んだ、“きのこごはん”。
 香のものが秀逸だった模様。

 そして二人とも、“田舎もりそば”を黒でいただいた。こちらのお蕎麦には、黒と白(更科かな?)の二種類がある。
 ううむ、色と言い太さと言い見るからに美味しそうな蕎麦切り。

 そんなに多く見えなかったけれど、実際にいただき始めるとなかなかの食べ応え。。
 口の中で跳ねそうな、こしと香りを堪能した。

 もう一度、タイミングを見計らって蕎麦湯。
 たぷーり。どろどろで美味しくて、全部つゆに入れていただいてしまった…。

 蕎麦湯で終わりと思っていたのに、デザートが。ランチタイムのサービスかしら? す、西瓜って…私は苦手なの…。
 でも、折角なので残さないようにしなければ。100年ぶりの西瓜の味。西瓜の味、としか言いようがない…(虫っぽい気分かも)。
 〆の西瓜には意表を衝かれたが、二人とも大満足でお店を後にした。よいお店を見付けたなぁ。ごちそうさまでした。 

 お蕎麦と軽ーくお酒をしたためた後の、日曜の午後の気だるいそぞろ歩きはよい気分。
 腹ごなしに散策をしたら、「元町ヱビス」にて休憩。私はいつもの“赤玉ポートハイボール”。
 このあとは、先に帰宅するだーさんを駅前で見送って、私はさらに鯉川筋などを探索気分で散策し、雑貨屋さんなどを冷やかして、ジュンク堂に立ち寄って気が済んだ。暑かったー。

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人気の回転すし、「磯寿司 くるくる丸」 その5

8月30日、土曜日。曇り。 
 8月最後の週末。いつもよりも遅めの起床。はっきりしない色の空と涼しい風で、夏はゆくー。  

 最近やたらと眠くて転寝してしまったり、妙に食欲がないのだが、季節の変化に体が戸惑っているのかも知れない。厄介な(やわな?)体質になってしまった。  
 今日は、だーさんが午前中に床屋さんに行っていたので、毛づくろいを終えて家でぼーっと待っていたのだが、体がだるくてだるくてしんどかった。ちょっと動きまわったら、動悸がしそうな感じ(あたしゃ幾つなんだ)。空腹な所為かと思い、だーさんの帰宅を大人しく待つ。

 で、帰ってきたので、お昼ご飯のお店を決めようとあだこだ話し合う。しかし、なかなか決まらない。中休みのあるお店はぎりぎりになってしまうので、結局西宮の「磯寿司 くるくる丸」へいくことになった。なんともう5回目よ。

 遅めの時間なのが幸いして、待ち時間はほぼなし。なぜかいつもテーブル席にありつけるのも、嬉しいことじゃ。
 スタンバりましてビール。

 とりあえずお約束の玉子をいただいてから、“はも”がありましたので、鱧~♪
 ざくっとした歯触り、美味。梅肉も、ちゃんとしたものが使ってある。

 “かんぱち”。前回も頂いてるわ…。
 ぷりぷりに身が締まっているのじゃ。

 “すずき”。これも前回と同じ…。
 鱸の旬を調べてみたら6~8月と出たので、この選択はよかったみたい。

 前回だーさんが美味しそうにいただいていたので、“あわび”。  うっ。美味しいのだが、今日は肝が付いてこなかったよう…! ちょっとショック。

 ビール2杯と冷房で体が冷えたので、茶碗蒸しを頼んでみることにした。いつもだーさんが食べているのを、「いいなぁ…」と指をくわえて眺めていたのだ。こういう水気の多い料理って、私はお腹が膨れちゃうのだけれど。
 出汁が美味しい! 回転すしのお店で茶碗蒸しをいただいたのは、本当に今日が初めて。喉越し良く、少しずつ魚介が沈んでいた。

 ところで、茶碗蒸しは、実家では昔から夕餉のおかずの定番だった。もちろん母の手作りで、今では見かけなくなった大きな蒸し器で、一度に器6つ分を蒸してしまう。父親と弟の好物だったので、二人にはお代わりが用意されていた。で、お店のようにはちゃんと卵を濾さないので、下の方に白身だけ固まっていることがよくあったが、私はその部分が大好きだったなぁ。あと、具材がびっしり入っていた。私のお気に入りは、お餅と鶏肉と花麩だった。…と、そんなことをだーさんと話しながらいただいた。

 まだいけそうだったので、〆に“しそ巻き”。だーさんとかぶったのはこれだけ。 
 そも、〆に海苔巻きをいただくのは、だーさんの真似。海苔と紫蘇と梅の風味を味わい分けていると、日本人の味覚が繊細なのはこういうものを食べ続けているからだー、と思ったりして。
 ゆるゆると呑んでいた所為もあって、相当に長居の客であった。

 この後だーさんに付き合ってもらい、家の鍵に付けていた茶色い熊の鎖が外れやすくなってしまったので、駅ビルのデパートでキーホルダーを物色。あの、小さい球がつぶつぶつぶ…と連なった鎖では心もとないと思い、頑丈なわっかタイプを求めていたら、Afternoon Teaで見つかったのでさくっとそれにした。透き通った黄色いキャンディ! 

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奥泉光さん、『モーダルな事象』

 おおお、面白かったです…! 最後まで高揚していました。 
 奥泉さんの作品は3作目。例によって分厚い一冊でしたが、こりゃ長過ぎてもーだるい…なんてことはなかったですよ、猫介さん(…猫介さんに敬意を表し、一応ダジャレを)。 

 『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』、奥泉光を読みました。
 

 まずはもちろん、桑潟幸一(桑幸)が登場する。その登場の仕方は、“颯爽”という言葉から100万光年ほど隔たっている)。そしてすぐさまに彼の冴えなさぶりが、直截にずらずらと読み手の眼の前に並べ晒される。ううむ、何て凡庸で俗物で冴えない主人公なんだ…あり得ない…。
 こんなに長い物語なのに、こんな主人公で大丈夫なのだろうか…と、幾ばくかの不安に陥りながら読み進んでいくと、その桑幸の元へ、とある童話作家の遺稿についての原稿依頼が舞い込んだ。ところが、良く言えば宮澤賢治風?なその童話たちの内容というのが…。
 この持ち込まれた童話たちは、その後世間の人々にはどう受け止められるのか。実はその辺りの展開には、痛烈な皮肉が効いている。ああ、何だかこういうのってわかるな…と、苦く頷きながら読んでいた。

 そして、一つ目の殺人事件がおこり、物語にもう一つのパートがあらわれる。全く別の側面から、事件を調べ始める元夫婦探偵が出てくるのだ(ここにちらっと、懐かしい人も)。謎の解明に俄然張り切ったのは、ジャズの歌い手・芸名北川アキと、彼女の元夫の諸橋倫敦である。
 何も知らないはずなのに、どんどん事件の核心へと追い込まれていく桑幸と、自分たちの興味本位で真相を暴こうとする素人探偵たち。触れ合うことのない二つのパートは、けれども最後にはたった一つの場所に、まるで時空を超えた怪しい声に呼ばれ導かれたかのように、引き寄せられて収斂していくのである。

 少しずつ明らかにされる幾つもの事柄に驚きつつ、それらがもつれ錯綜していく様を俯瞰しながら読み進んでいくのはかなりの快感だった。そして出来上がる複雑な模様の中心には、“アトランティスのコイン”をめぐる、どす黒くて不気味な過去が隠蔽されていた…。

 夢とも幻覚とも判然としない情景が何度もあらわれ、現実との境界が曖昧なままに移行していくのが、何とも言えない味わいだった。タイムトリップ?なのか何なのかよくわからなくて、もしや桑幸には巫覡的素質でもあるのかしらん…と、首を傾げてしまった(いや、そうじゃなかったけれどさー)。
 途轍もなく黒いものをも抱え込みながら、最後には痛快に突き抜けてくれる素敵な物語だった。桑幸、よかったよかった(ぷぷっ)。

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恩田陸さん、『不連続の世界』

 恩田さんの新刊だぞ!それいっ!とばかりにダッシュしたのは、図書館のカウンター。一番乗りで取り寄せてもらいました。その割には、返却期限ぎりぎりで読んでいる…。  
 恩田さんの作品は購入することが多いですが、苦手な『月の裏側』に出てくる多聞が活躍する連作集と知り、いささか期待感が薄まってしまったことは否めないかも…。あ、どうして『月の裏側』が苦手かと言えば、生理的にどうにも気持ち悪かったから。ある意味作者の思う壺ですな…。 

 でも、これはなかなか面白かったです。“怖い話とおかしい話もほんの僅かな距離のところにある”という一文にぶつかったとき、「ああ!」と合点がいきました。
 『不連続の世界』、恩田陸を読みました。
 

  一話目の「木守り男」の初っ端から、“日本人と桜”考のようなものがあったりして、私は恩田さんの〇〇〇考(のようなもの?)を読むのが大好きなのでさっそくにんまり。

 8年間にわたりぽつぽつと発表された作品たちということで、その散りばめられ方具合が楽しめる。 
 『月の裏側』もそうだったように、独特な雰囲気を持つ町がそれぞれの話の舞台となり、例えば「悪魔を憐れむ歌」ならN市、「幻影キネマ」がH県O市、といった按配のトラベルミステリーになっている。この、イニシャル化された町が出てくるところが恩田さんらしくて、「あ、ここは限りなく奈良市に近いけれども実はどこにもない虚構の奈良市なんだなぁ…」と頷いたりしながら読んでいた。 
 地方の町がとても巧みに描かれていて、ほんのちょっとした、その町だけに特有な空気感の違いを捉えた筆致に、いつしか私までもその町の底によどむ澱の中に浸かっているみたいな心地にさせられた。すぐにでもその場所へと訪れて、その雰囲気を確かめてみたくなったりもする。

 とりわけ私が好きだったのは、「悪魔を憐れむ歌」や「幻影キネマ」。
 「悪魔を憐れむ歌」では、“その声を聴いて、何人もの人間が不審な死に方をした”という、ある歌をめぐる都市伝説のような話がまず出てくる。そして歌い手には、セイレンという通り名がつけられていた。ところが、その噂の立ち方にはいささか不自然なところがあり、噂が消えた頃に好奇心が湧いてきた多聞が調べ始めると、意外な展開が待っている。 
 前半から後半に入ったところで、さあっと目の前の景色の色合いが変わってしまった気がしたほど、鮮やかな切り返しに唸った作品。 

 「幻影キネマ」は、一番ぞくっとした話だ。特に、謎解きされて明かされたことの一部については、想像してしまうと背筋が凍りつきそうだった。
 ミュージッククリップのロケハンメンバーがO市に到着した時から、久し振りに郷里の地を踏んだはずなのに、沈んだ様子のメンバーが一人いた。実は彼の異様に見える表情は、根深い恐怖に縁取られているのであった。では、彼はいったい何をそんなに恐れているのか? 話を聴きだした多聞が、彼を救うために辿り着いた新事実とは…。

 多聞のキャラクターも興味深いなぁ…と思いながら読んでいたので、「夜明けのガスパール」の暗転にはのけ反りつつも感心した。恩田さんが描く人物が決して単純じゃないところに、いつも共感してしまう。 
 でもちょっと、分析好きな人が多過ぎるかなぁ…。やたらと他人を分析してわかったような気になるのは、相手に対して失礼だと思うのでひっかかるところである。もちろん読む分にはとても面白いので、文句は言えないのだけれど。

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金井美恵子さん、『昔のミセス』

 装幀が何とも素敵で、素通りいたしかねる一冊であった。 
 しかし、あらめて振り返れば、幾つかの小説を読んでいたのに、エッセイがほとんど手付かずだったのは甚だ不覚である。こんなに面白いのにー。
 切れ味もぴりりと鋭く、“カマトト”や“親父”といった蓮っ葉な言葉がぽんぽん飛び出す文章の、小気味良いことと言ったら…!  

 読み終えたのが一昨日なので、報告程度に。
 『昔のミセス』、金井美恵子を読みました。 


〔 ミセスのミニスカート、適齢期、ミセスのふだん着、ミセスのイメージチェンジ、料理の写真…。昔の『ミセス』を読み返し、変わったことと変わらないことを探し出す、ビターな甘さ全開のエッセイ集。 〕  

 読みだして即、“「ミセス」の創刊された’61年、私は中学二年”という箇所がどうにも引っかかるので確かめてみると、金井さんと実母はたった一つしか年が違わないのであった…。うーん。 
 (ちょっと話が逸れるけれど)そのお蔭(?)で、何となしに時代背景をイメージし易くはあったのだが、親の思い出話って案外聴いていないものだな…と思ったりもした。私が生まれる前の彼らの暮らしぶりの細やかな部分を、そしてその時代の空気をどんな風に呼吸していたのかを、子供である私はたいして知らない。それもそのはず、そも思い出話というものは、同じ時間を過ごした仲間同士でするのが一番楽しいものであるし、親子が一緒に住んでいる間はぶっ通しで、現在ただ今の問題話題がちゃんとしっかりあるわけだから、請われなければ両親が私を相手に思い出話に花を咲かせるという機会は、ほとんどなかったに等しいであろう(…と思うと、数少ないそれらの貴重さを感じないではないが)。…と、そんなことにいささか感慨深くなりつつ読んでいた。 

 私の母もやはり「ミセス」を購読していたので、あらわれる「ミセス」のページの一つ一つがほろほろと懐かしかった。ここで取り上げられている「ミセス」の記事は、大半が私の生まれる前のもので、実際に目にしたことはないはずであるにも関わらず、この時代の女性たちの軽やかな希望に満ちた上昇志向や、新旧の間で揺れ惑う彼女たちの、やや旧制よりの慎ましいながらも凛とした品性が伝わってきて、すっかり感心してしまった。昭和って、やっぱり面白いよう。今や全く見かけられなくなった、純和風美女のモデルや女優さんたちに見惚れつつ…。

 「ミセス」連載分の他にも、澁澤龍彦(きゃあ)や森茉莉(きゃあきゃあ)との交流を回想するようなエッセイもあり、もちろんそれだけじゃあ終わらず(愛猫トラーにまつわるエピソードとか)、兎に角大変に楽しめた一冊。

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今日は中国酒家♪ 「同源」

8月24日、日曜日。曇り後晴れ。 
 徐々に、お天気が回復。  
 このところ蝉の数がかなり減ってきているのが、如実に音でわかる。カナカナゼミは、まだ聴こえてこない。 
 住んでいる建物の目の前が、素敵なアーチを成す欅並木なので、最盛期の頃の蝉の声が半端じゃない。特に朝のクマゼミ。幾本も植わった欅の、下の方にとまった奴から梢に近い奴らの分まで、一匹とて余すことなく全ての蝉の声が一塊りの大音声になって、5階の部屋に雪崩れ込んでくるのだ。毎朝。ふ。それが今年もおわりつつあるなぁ。

 さて今日のランチは、だーさんが情報誌でチェックを入れていた、岩屋にある中華のお店へ行ってみることになった。お目当ては、その雑誌で紹介されていた本格的な麻婆豆腐。お店の表記に従えば、麻辣豆腐である。
 阪神電車を利用して、いつもの三宮よりも手前の岩屋駅から歩くことしばし、目指すお店が見えてきた。店先に人影があるので、「待ってる人がいるみたいだねー」と言いつつ到着。 

 はい、それは「同源」というお店でっす。
 すぐ近くに停められた自転車に、可愛いミニチュアダックスが繋がれていた。手を出しかねつつ「可愛いなぁ…」と、見詰めながら待っていた。

 さほど長くは待たされず、店内の人となる。まずはビール。
 うーん。真夏の真昼のオアシスのような感じは、もう味わえない。でも呑む。ぐびび。

 黒板メニューの前菜に激しく惹かれたので、さっそくそれを頼んだ。
 こちら、“白桃とエビとアボカドの前菜”。
 ただただ桃に釣られたけれど、美味しいよう…。

 そして、“塩豚肉と野菜の炒め”。
 シンプルな素材の組み合わせに、旨味が凝集されている一皿だった。食がすすむすすむー。

 そしてこちらが、“銭家麻辣豆腐”。辛さが4段階(マイルド、普通、激辛、超激辛)なので、激辛でオーダー。
 ふ、ふふふ。1.5人分程度の量だったけれど、程よく辛くて大満足な逸品であったよ。 
 お店で頂く麻婆豆腐は、家庭で作るものと全然違うなー。四川料理には欠かせないという花椒(舌が痺れるような辛さの“麻”の風味を生み出す香辛料)などのスパイスが入ると、全然別物なのね。
 
 いやほんと、こんなに美味しい麻婆豆腐は久しぶりだった。あ、麻辣豆腐か。
 超激辛でもいけそうかな。でも、激辛で充分な気もする。二人でぺろりと平らげてしまった。

 この時点で、いただいたどの料理も凄く美味しくて、他のご飯ものなんかにも大いに期待を寄せていたのに、なぜかだーさんが「店を代える」とのたまうので、後ろ髪をひかれつつお店を後にした。 

 えっと…。で、わざわざ三宮まで移動して向かった先が、しょっちゅう利用している居酒屋だったので、いささか釈然としない気分でミックスピザなどを齧るのであった。
 お店を代えた理由というか、その必要性があったのかどうかよくわからなかったので訊いてみたけれど、やっぱりよくわからなかった…。うぬーん。
 まあねえ、女性に比べて男性が、一軒目で長居をしたがらない傾向があるのはわかるけれどもさあ。ぶつぶつぶつ…。

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美味しく立ち喰い♪ 「源屋」(サンプラザの「鳥光」)

8月23日、土曜日。曇り時々雨。 
 玄関を出て、思いがけない風の涼しさに首をすくめた。髪を下ろす日も近そうである。 

 今日は二人して寝坊。中休みのあるお店にはいけないねぇ…と話しつつ、所用を済ませて三宮へ向かう。  
 何週間か前、立て続けに博多らーめんの店の臨時休業で振られたことがあり、豚骨スープにありつける他の店を探してみた。で、そのお店を今日のお昼ご飯に提案したのだが、「えっ、立ち喰い?」と、かなり疑い深い反応が返ってきた。以前、三宮の立ち喰いらーめんで不味い経験をしたので仕方ないか…。
 
 そこで折衷案。まずは軽~く他店で別のものをお腹に入れ、〆にらーめんを頂くことにした。えっ?そんな事をしていたら太るって? …はいその通り。でも、休日のランチは楽しむこと最優先! 

 まずは三宮サンプラザへ。飲食店の多さにびっくりした。気になるお店が何軒かあったので、いずれまた。
 本日の私たちの選択は、軽く呑んで焼き鳥もつまめる「鳥光」。
 

 あれば必ず頼むネック。地元名古屋のお店では、“せせり”と呼ばれていた。個人的には、“せせり”と呼ぶ方が好きだな。
 しっかりとした弾力があって、美味しいお肉だったよう。

 なんこつと、ねぎ身。
 とても久しぶりに、納得のいく軟骨をばりばり頬張る。
 頼んだものをしたため終える頃には3時近くになっていたのに、食事のお客さんが途切れることはなかった。評判の良いお店らしく見受けられた。

 「鳥光」を出るとさていよいよ、件のらーめん店へ。 
 駅から歩いてすぐの、「源屋」でっす。
 探すまでもない看板…。

 店内に入りカウンターの方を認めると、「立ち喰いですが、よろしかったでしょうか?」と声をかけられたので、「はい」と答える。それだけのことでも、良い印象だった。
 「“硬め”って言いそびれたなぁ…」と呟きつつ待つ。隣ではだーさんが、「あまり(豚骨が)匂わないね」と声をひそめずに言っている。

 でも…。 ふふ。
 こちら、だーさんの“源屋らあめん”+煮玉子。


 私の、“源屋らあめん”。
 元気の源…!

 レンゲでスープを一掬い口へと運び、ぐびりとのどの奥へ流し込んでみたらば…。うわああ、豚骨臭が鼻から向けたよう~。てな訳で、大変満足な一杯であった。麺も美味しかったし、ネギが多めなのも嬉しかったけれど、やっぱり博多らーめんにおいて肝心要の豚骨スープがとても良かったのが、いいわー。
 散々危ぶんでいただーさんが、「今日の店、美味しかったよ。意外だったなぁ」と感想をもらしていたので、提案した立場の私はにんまりよ。贅沢を言わせてもらえば、“ばりかた”でお願いしてみたいところです。ご馳走さまでした♪

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清水博子さん、『ぐずべり』

 私の中にいる概念としての少女は、この世の何物ともむすぼれ合っていない存在である。いつから思い定めたものか。 
 学校とも社会とも友達とも…何物とも、結ぼれ合わない少女は、権高と無邪気、驕慢と内気のはざまで、いつも心許なく宙ぶらりんだ。その危い風情抜きでは、少女を語れない…。そんなことをつらつら考えながら。

 『ぐずべり』、清水博子を読みました。
 

 「亜寒帯」と「ぐずべり」の2篇が収められている。
 「亜熱帯」で描かれる少女藍田は、中学1年生である。随分と寒い地域に住んでいるらしく、彼女の日直当番の1日は、石炭確保の責任と義務がずしりと覆いかぶさってくるようで、読んでいるだけで息苦しくなったほど。それなのに、肝心の本人はそれらを、うわの空の独特な淡さで坦々と受け流している。どこか変わった女の子である。
 自分がそんな年頃だった日々を思い起こせば、教室にいる時間とは、女の子同士の付き合いに戦々恐々としつつ、微妙な距離を保って綱渡りのように己を守らなければならなかった…という苦い記憶ばかりだ。その点、藍田にはあまり…というか全く、そんな心労は見受けられない。にも関わらず、元少女の端くれとしてとちゃんと彼女にシンパシーを抱けることを、とても面白く感じた。  
 周囲への奇妙な無頓着さ、とりとめもない考えごとに耽る癖、上手く物事を繋ぎ合わせられないまま、所在なくただそこにいるみたいなアンバランスさ…。身に覚えがないとは言えない。

 次の「ぐずべり」には、大人になった藍田がAAとして出てくる。そして、結局エキセントリックなまま大人になったAAのことを見つめるのが、中学生の姪の理子である。 
 その理子が、自分の母親・菜子のことについて、“もしもいまおかあさんが同級生だったとしてもぜったいにともだちになってない” “亜子ちゃんがおかあさんだったらよかったのに” …などと父親に文句を言った件では、ただただ苦笑いがこぼれた。それを聞いた菜子が、その言葉を左程深刻には受け取っていないようだったので、胸を撫で下ろしたけれど。母親は常に、娘の批判の矢面に立たされているものでしょうね…。一番身近な同性でもあるし、ううむ。
 これまた掴みどころのない作品で、面白かった。藍田が昔書いた読書感想文のタイトルが、「理解できない『金閣寺』」とか、思わずにやにや笑ってしまった。ふっと不意打ちでお下品になるのも、清水さんらしい。

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イタロ・カルヴィーノ、『冬の夜ひとりの旅人が』

 いずれ読んでみたかったカルヴィーノ。面白かったよう。
 風変りで、読みやすいとはとても言えない作品だったけれど、翻弄される楽しさは存分に味わえた。

 『冬の夜ひとりの旅人が』、イタロ・カルヴィーノを読みました。
 

〔 《……飛行機は渦巻いたクリームのような雲の中を飛び、そして私は世界の出版業界の渇望の的で、幸運にも私が作者から手に入れることのできた貴重な未完原稿、サイラス・フラナリーの『絡みあう線の網目に』に読みふけっていました。するとその時筒の短い自動小銃の銃口が私の眼鏡のつるに押し当てられました。》 〕 166頁

 そう言えば私、メタが割と好きだ。例えば、小説の中にまた別の小説が入っていて(あ、入れ子とか小説内小説とかいうわね)、それで外側の登場人物たちが内側の小説のことをあーだこーだあげつらう作品なんて、大好物である。特定の物語をあげつらっていた内容が、いつの間にか普遍的な物語論になっていく展開に唸らされるのが好きだ。
 そしてさらに、その内側の小説世界に外側の登場人物たちが耽溺し過ぎた所為で、振り回され、彼らの現実を虚構に侵蝕されていく姿を垣間見るのは、とても愉快で堪らない。…それはつまり、一本読み人として身につまされる面白さなのかな…。

 “男性読者”として、或いは“女性読者”として、二人称で語りかけてくるこの物語の中で、いくつもの物語のプロローグばかりを読まされる辛さと言ったら…! むきっ。いつしかまんまと、この書き手に想定された“読者”になり切らされた私は、何度も何度も悶絶せんばかりであったよ…。
 ただただひたすらに、物語の続きを求めて“あなたがた”は留まらず――。

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残暑に美味しいカレー♪ 「ヒンホイ」

8月17日、日曜日。曇り時々晴れ。 
 だーさんのお休みも今日まで。8月も折り返してしまって、ちょっぴりさびしい。  
 ほんと、毎年ながら夏は短い。♪流れ~出したら あっと言う間~あっと言う間♪

 夏に殊更美味しく感じられるものって、色々ある。そりゃあ別に夏じゃなくても、ビールもカレーも納豆(?)も美味しいけれどさ…。そう特に、汗が噴き出すことを覚悟しながら、辛いものを頂きたい気分になるのは何故かしらん?
 はい、今日の私たちのランチは、久し振りのカレーライスだーい。わーい。
 最近気になっていたお店、神戸の街でも県庁前と呼ばれている界隈にあります「ヒンホイ」さんにお邪魔いたしました♪ 北インドカレーをベースにしたカレーライスがいただけるお店。ちなみにヒンホイとは、タイ語で蛍の意とか。

 元町駅からしばし歩き、さらに北に向って坂道を上がっていくと、二階にお店の入っている建物がある。こんな楽しげな看板を横目に階段を上がる。
 ←朝、こんなに早いの? 凄いなぁ。

 ドアを開けてみると生憎の満席。表で待たせていただくことにした。
 ひふう、のども渇くなぁ…。パタパタ、パタ…パタ…(気だるげに扇子を使っている)。そうこうするうち、次のお客さんもやってきた。

 ようやくカウンター席が空いたので、うきうきと腰を落ち着ける。マスターからも、「お待たせしてすみません」と丁寧に声をかけられ、爽やかな気持ちで店内を見まわしてみたりする私。
 カレーライスは3種類あるけれど、今日はぜんぜん迷わずに“お楽しみカレー”を頼む。そしてライスは、大好きな玄米ご飯に。
 

 後はもう、呑みながらひたすらカレーを待つだけ
 ビールはかなり冷え冷えだった(そしてコースターが可愛い)。  

 こちら、ランチタイムのお楽しみ一品。今日はキャベツトースト。
 パンがかなり美味で吃驚した。 

 隣のカウンター席のお客さんが途中で次の人たちに代わり(若いカップルだった)、「チキンカレーは売り切れました」と言われていた。おお、だーさんの大盛りがぎりぎりのラストだったのね…!

 その、最後のチキンカレー大盛りがこちら。じゃじゃん♪
 チ、チキンがカレー風呂に溺れきっておりまする…。 

 そしてこちらが私のお楽しみカレー、“たけのこポークキーマ”。
 わかるかなぁ? 上のお皿と大きさは同じなのであるよ…! 
 
 喜び勇んでさっそく頬張ると、カレーがすっごく熱々だった。辛さは程よい塩梅だったけれど、何せ熱々なので流石に汗がちょっと滲んでくるようだった。でも、ふと左隣のだーさんの横顔を覗き込んだらば、汗が滲むどころではなかった。 
 一口だーさんに味見をもらってみたところ、キーマよりもチキンカレーの方がよりスパイシーな感じ。キーマの方のルーはややマイルドだったので、たけのこの味わいがちゃんと引き立っていたように思う。そうそう、たけのこと言えば、これまた吃驚するぐらいルーの中に沈んでいて、食べても食べても美味しいたけのこが次々に出てくるので嬉しかったよ。とても具沢山だった。 
 とても美味しいカレーライスだったので、また行ってみたいな。そして今度こそ、大好きなチキンのカレーを…!

 食後の腹ごなしも兼ねて、北野の方まで足を伸ばそうかとも考えてみたのに、結局いつものように元町→三宮散策となった。も少し涼しくなったら、異人館にももう一度足を運んでみたいものだ。 
 途中の「ミュンヘン」にてビールだけの休憩をし、ジュンク堂を冷やかしてから帰路に着いた。

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