エドワード・ケアリー、『望楼館追想』

 語られる全てがあまりにも愛おしいので、私もここの住人なのだと思ったり…した。 心惹かれてやまない世界だったから、たとえ病んでいたとしたって私は少しもかまわない。 喪失と追想の物語って、どうしてこんなに心から安らぐのだろう。 いつもざわざわとさざ波を立てて落ち着かない胸の内から、余分な音だけがぽろぽろと抜け落ちていくように。 眸を閉じた暗闇に、耳を澄ますように。

『望楼館追想』、エドワード・ケアリーを読みました。   

 常に何かを失い続ける人生の途中で、立ち止まりうずくまってしまう人々がいる。 それはそれは悲しげにさびしそうに、彼らは忘却の淵にうずくまる。 失ってきたことに、失わされ続けてきたことに深く傷付いて、二度とは戻らないものたちを悼み過ぎたあまりに、少しずつ少しずつひずんでいく、損なわれた心たち。 そんな心たちが語りだしたのならば、その声に、耳を傾けずにいられましょうか…。

 損なわれた心がにじみ出た結果としての、彼らの異形。 だからこそ、愛おしい。
 語り手であるフランシス・オームをはじめ、登場人物たちが住み(棲み、かも)ついている建物こそが、望楼館である。 とりあえずの住人は七人。
 37歳のフランシスは、素手でものに触れたり自分の手を見てしまったりしない為に、常に必ず白い手袋をはめていなければならないと言う。 彼には学芸員としての仕事と、町の中心部で白装束を身に付けた彫像のふりをする仕事がある。 彼は、外面のみならず内面の不動性を獲得しているのだと言う。
 他の望楼館の住人と言えば、体中がすすり泣いていて(つまり、涙と汗が垂れ流し)百種類の臭いを発散させている元家庭教師のピーター・バッグや、テレビに映った虚構のなかで生きているクレア・ヒッグ。 そして、人としての記憶を失って犬に交わり、まるで犬のようになってしまった犬女トウェンティ。 潔癖症で意地悪な門番。
 停滞した時間の澱の底、孤独を楽しんでいた風変わりな彼らの望楼館。 そこに、新しい住人がやってくることから、望楼館における静かな生活に招かれざる変化が訪れるのであった…。

 いったい彼の(彼女の)過去には何があったのだろう? フランシスが時々仄めかしているのは、いったい何のことだろう? …と、首を傾げながら読み進んでいくと、臆病でなかなか前へ踏み出せないフランシスに合わせたゆっくりな足取りで、物語が歩み寄ってきてくれる。 すぐそばにまで。
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