南インド料理♪ 「マドラスキッチン2」

4月29日、水曜日。晴れ。 
 まだ少し風が冷たいものの、よいお天気。だーさんは今日から連休。 
 このGWは忙しくなるかな…。遊びばかりじゃなく。でも遊びの予定もあるので、二人で楽しめるといいな。  

 手始めに今日は、食後に新神戸ロープウェーに乗ってみた。
 コロンとした小型のゴンドラ、ロープウェーの愛称は「神戸夢風船」。 
 布引ハーブ園を端折ったので、あまり腹ごなしにはならなかったよん…。でも、お休み気分は満喫よん♪  

 今日のお昼ご飯は、ずーっと行ってみたかった「マドラスキッチン2」。1号店にお邪魔したのが、かれこれ1年半も前のことであるよ。
 店内は空いていたので、6人はかけられるテーブルでゆったりくつろぐ。テーブル上にセットされていたバナナの葉っぱ、一瞬本物かと思っちゃった。そしてとりあえずのビールが冷え冷えで吃驚。もう初夏なのね。

 アラカルトからだーさんが適当に選んだものを、肴にする。
 これは、“ヴェジタブル・バッジ(タマネギ、ナスビ、ピーマンなどのフライ)”。
 ふふっ、これは見た目が全部同じなので、ナイフを入れてみるまで自分がとった野菜の種類がわからないのである…。カボチャなんかもあった。とっても美味な2種類のチャトニを付けていただく。

 これはお馴染みの“シーク・カバブ(インド版つくね)”。 
 あっつあつで運ばれてくる。定番メニューの堅実な美味しさ。

 お酒を変えつつ…。
 インドのビールと、だーさんが選んだ白ワイン。

 さてさてさて、それではいよいよ私の今日のメインご飯料理を…!
 実を言うと、本日のお品書きに目を通すまでは“ヴェジミールス”を頼む気満々だったのだけれど、水曜日限定の“ハイデラバード・マトン・ビリヤニ”がいただけることに気が付いて、一瞬の躊躇もなくそちらになびいてしまったのであるー。だってだって、前から食べてみたかったのだものね。
 ビリヤニとは、簡単に言ってしまえばインドの炊き込みご飯だが、かなり手間のかかる料理であり、イスラム教徒にとってのハレのご馳走メニューなのだそうな。今やインド料理店は数多あるものの、なかなか本格的なビリヤニには出会えないらしい。むふふ。

 はい、登場。 
 おおっ、すっごく美味しそうな香りがむわわーん♪ …てか、これは大変なヴォリュームだった…。注文時に、「一つですか?二つですか?」と訊かれたくらいなので、確かにこれで一人分なのでしょうがね…。
 驚くほどに細長いお米は、バスマティ米という高級な香り米なのだそうな。  
 スパイス使いがすこぶる私の好みで、しかも骨付きマトンがゴロンゴロン埋もれていて、とおても美味しかった♪ だーさんがマトンは得意ではないので、少ししか手伝ってもらえず、ゆっくりと時間をかけてなんとかかんとか平らげたのであった…。一緒に添えられてきたグレイビーとライタ(ヨーグルトサラダ)は、途中でご飯にかけたりして味を変えて楽しめるもの。むふー、満足。  

 こちらはだーさんが頼んだ、“カットリカ・コランブ(ナスビのカレー)”と“トマト・バス(トマトのチャーハン)”。 
 トマト×ナスは、魅力的な組み合わせ。トマトのチャーハンは思いの外スパイシーで(黒胡椒効きまくり)、これだけでいただいても美味しいと思う。

 はあ、やっぱりこのお店は何をいただいても素敵だわん…(辛い物大好き)。もっとお邪魔しておきたかったなぁ。ご馳走さまでした♪



 おまけ。
 これは昨夜、北新地の「マンドリーノ」というイタリア料理のお店で呑んだとき。

 
 “カラスミとマグロのペペロンチーノ”。
 カラスミの旨みって素晴らしい…。

 “焼き穴子のフルーツトマトソース ルッコラ練り込み自家製フェットチーネ”。
 自家製のフェットチーネって、私の中ではかなりポイント高いかも。生パスタの食感が好きなので。
 このイタリアンのお店は割とカジュアルなのだけれど、創業30年以上の老舗。いただいたお料理は、どれもこれも流石の美味しさだった。

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今日はベトナム♪ 「ベトナム食堂 タン☆カフェ」

4月25日、土曜日。雨。 
 今日は一日中、雨。あめあめあめあめあめあめあ…。  

 昨夜久しぶりにチャットで夜更かしをしたので、今朝は思いっきり寝坊してしまった。地元に戻っていただーさんからの電話で目が覚めて、ビックリ桃栗…。生憎の雨なので予定を変更して、三宮で落ち合ってからお昼ご飯をいただくことに決まった。時間が二時半ごろになるので、中休みをするお店には行けない。で、かねてより気になっていたベトナム料理のお店に決定。やったー、ぎゅるるん♪

 ←フォーがすっごく美味しかったの。

 はい、お疲れ気味なだーさんとお邪魔しましたのは、さんプラザの地下にある「ベトナム食堂 タン☆カフェ」でっす。あ、赤い看板の外観がなかなか可愛らしかったのに、撮り忘れたわ。

 人気のお店らしいものの、私たちが着いた頃は流石に空いていた。お客さんよりスタッフの方が多いくらい。店員さんたちは元気な雰囲気の男の人ばかりで、どうやら皆さん現地の方たちのようだ。あちらの言葉が店内を飛び交っていて、それがまた和気藹々と楽しげな様子なので、座って見ているだけでお店への好感がどんどん高まる。にこにこ。

 まずはビール。私はベトナムビールの「333」。これで“バーバーバー”と読む。
 呑みやすっ。

 てっきりランチタイムが終わっていると思っていたら、3時までだった。色んな料理が少しずついただけるランチセットがお目当てだったので、私は即決。あだこだ言いながら品書きを眺めていただーさんも決まったので、オーダーを頼む。私:「タンカフェ定食をください」 店員さん:「おいしいねー」。 そうか、おいしいのか!

 料理が出てくるのも、早い。
 これは私の、ミニサイズのフォー。
 何となくフォーのスープってあっさりしている気がするけれど、本当はとてもスパイシーで鶏ガラの効いたしっかり味。ハーブも好きだなー。それにしても麺料理って、どの国のものをいただいても美味しいわん…。

 “タンカフェ定食”の内容は、〈本日のプレート+ご飯+ミニサイズフォー+生春巻き〉(コスパが良過ぎだ)。 
 色々ちょっとずつ…。てか、結構なヴォリュームだ。ビールの所為もあるのだろうか、あっという間にお腹が…。
 だってフォーってライスヌードルだし、生春巻きの中にもビーフンがみっちり詰まっているし、それでさらにご飯って…。たんすいかぶつ…。でも、どれも美味しいー。
 
 だーさんのは、“ベトナムスペシャルカレーセット”。
 これにさらに、生春巻きと小鉢が付いてきた。カレーはかなりマイルドだったみたい。

 本日のプレートの内容はと言うと、“鶏肉煮込みカレー風味、ベトナム風卵焼き、なすとミンチ肉炒め”。
 こういうプレートランチっぽいのもたまにはいいなぁ。どれもこれも量がしっかりあって、大変満足だった。ご飯は半分、だーさんに手伝ってもらったけれどね(でもお腹いっぱい!)。 
 ご馳走さまでした♪

 だーさんはさくっと帰ってしまったので、食後はいつものようにジュンク堂に寄ったり、下着やら服やらのお店をひやかしたりしてぶらついた。三宮まで出かけたら、ぶらつかずにおれようか(いや、おれまい)。 
 ロイスクレヨンにて首に巻くのを購入(えっと、ストール?)。珊瑚色。はっと気が付くと、今日私が着ていたカットソーも長年愛用のピアスの石も、よく似た感じの珊瑚色だった。好きなのかな。好きなのね。

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ボフミル・フラバル、『あまりにも騒がしい孤独』

 すっかり味を占めた態の、「東欧の想像力」シリーズ。先に読んだ2作に比べるとかなり短い作品だが、濃厚な読み応えには遜色ないので嬉しくなった。(来月にはまた一冊加わるそうなのでそちらも楽しみ)

 『あまりにも騒がしい孤独』、ボフミル・フラバルを読みました。
 

 帯の惹句にもあるように、“鮮烈”という言葉がぴったりだった。そしてまたかなり、いや相当、グロテスクな世界でもあった。私の中の東欧のイメージが、俄かにどんよりとした独特な明暗を帯びて、水圧プレスさながらに迫ってくるようだった。

 冒頭を読みだして即、思わずぎくりと反応せずにはいられないのが、主人公ハニチャの仕事の内容だ。古紙処理係。古紙や本を潰し続けて、なんと35年だという。  
 シシュフォスの苦業にも譬えられる、地下室での終わりなき作業。水圧プレスによって古紙が潰され、“花屋から出たしおれた茎、問屋から出た紙、期限の過ぎたプログラムや乗車券、アイスクリームの包み紙”…などなどが一緒くたに圧縮された紙塊になる。…最初、想像しただけで胸苦しく、暗鬱な気分に陥りそうな仕事に思えたのだが、肝心のハニチャがこだわりと誇りを持って淡々とこなしているので、そんな見当違いな印象は払拭されてしまう。古紙に埋もれ文字にまみれ、自分の思想と本の中のそれとの区別もつかなくなってしまったハニチャ。そうして己自身が、一冊の書物のようになってしまったハニチャ。その一人称による乾いた語り口は、時に滑稽でもあり少年のように稚拙でもある。でもその中身はやっぱり不気味だ。

 そんなハニチャのこだわりの一つに、読み終えた掘り出し物の本を紙塊の中に納める儀式がある。その本たちは、例えば食肉公社から回ってきた血まみれの紙やら段ボールやら交尾する肉蠅の群なんかと一緒くたになって紙塊となるのだ。何なのだろう…この、聖なるものと俗なるものとが圧倒的な力によって均されていく強烈なイメージ。エラスムスとニーチェと肉蠅のたかる段ボールとが、古紙であるという一点だけで乱暴に一括りにされ、それまでの属性を剥ぎとられて形を奪われ、均されていく鮮烈なイメージ。…くらくらと目眩がした。 
 壊してしまうこと。一旦、全てを無に帰すること。その先にあるものを見据えること。そこにあったのが残るべき物語ならば、形を変えながらきっとどこかに残っていくはず…と。

 訳者の解説によればチェコ語には、“幻想的でさえあるような不条理な現実”を指した「カフカールナ(カフカ的状況)」という言葉があるそうだ。小民族であるチェコの人々にとって、現実の“不条理”は至ってありふれた日常的なものであったということから生まれた言葉らしい。

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フリオ・コルタサル、『石蹴り遊び』

 かねてから読みたかった作品。コルタサルは短篇もとても面白かったので、いよいよ手に取った次第。
 『石蹴り遊び』、フリオ・コルタサルを読みました。


〔 ――そうだったのよ、一方の側にピアノ、他方にヴァイオリンがあって、そこからソナタが聞こえていたんだわ、でも、もうおわかりでしょ、結局わたしたちは出会っていなかったのよ。わたしには直ぐわかったわ、オラシオ、でもあのソナタ、とっても美しかったわ。 〕 86頁

 漂流…。どこまでも、いつまでも漂流。たどり着くべき岸辺がまったく見えてこないよう…! と、延々と果てしなくだだ漏れ続ける饒舌な思惟の流れに浸かって、息も絶え絶え…であったことよ。ふう。ずしりと重たい本を抱え込んだまま、ここしばらくの間とり憑かれていた言葉の洪水。恋人たちのまき散らすアンニュイな雰囲気と、時折のぞく不気味な狂気にはとても惹きつけられた。 
 異邦人たちが、パリの自由区を彷徨うように暮らしている。恋人同士が、或いは気の置けない仲間たちが過ごす、無為な時間だけがそこにある。彼らの唇には常に煙草がさし挟まれ、濛々たる紫煙の中ではディープなジャズ談議がゆるゆると繰り広げられる。 
 そしてそんなお膳立ての中、物憂く懶惰な恋愛やいささか陳腐な三角関係は、なし崩しに破綻していくのだ。 

 世界苦を病む主人公オリベイラと、私生児を持つ恋人のラ・マーガ。パリという街の風景に溶け込むように、ふわりふわりと出かけていく、地に足の着かない恋人たち。その恋が絶頂の最中だった時には、いつもわざと待ち合わせの場所を決めない逢瀬さえ、まるで僥倖みたいな偶然(“およそ偶然とは程遠い”偶然)に導かれて、必ず出会える二人だったのに…。 
 己の膨大な思念に蝕まれていくオリベイラは、その素晴らしい恋人を失わざるを得ない事態へと自らを追い込んでいくようにしか、私には見えなかった。 恋は一度失うことによってのみ、永遠に胸に抱けるのだと信じていたかの如く。

 物語は大きく、三つに分かれている。第一部の「向う側から」、第二部の「こちら側から」、第三部の「その他もろもろの側から」。
 「向う側から」の舞台はパリで、話の中心はオリベイラとラ・マーガだが、「こちら側から」は、ラ・マーガを探し求めるオリベイラがブエノスアイレスに戻ってからの話となる。そして、「その他もろもろの側から」には、作者の言葉で読んでも読まなくても良いとされる、おびただしい断片のような章が収められている。とりわけ、作家モレリのノートからの抜粋が多く含まれているが、これが読みにくかった。 
 私はいたって素直に、指定表にある順番通りに読んでみた。第一部も素敵だったけれど、楽しめたのは第二部の展開の方だろうか。でも実は、第一部にも第二部にも、唖然とするほどに異様な場面(雰囲気になれてしまうと異様に感じないが、実は凄く異様)があって、何ともかんとも解釈致しかねる感じが堪らなく面白かった。
 細部を味わうように、少しずつ再読してみたい作品。

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蕎麦日和に♪ 「そば処 卓」 その4

4月19日、日曜日。晴れ。 
 今日は暑かったー。とても気持ちのよいお天気だったけれど、外を出歩いているとね…。半袖の人も見かけたよ。 

 (←広場の左端に写っているのが、大道芸人さん)  

 二日続けて元町。今日のお昼ご飯は、お気に入りの「そば処 卓」へ。
 昨日ちょっと出掛けるのが遅くなってしまったので、今日は張り切って11時前に家を出る。「これじゃあ早く着いちゃうねー」などと言いつつ、加減することを知らない私たち。

 前回と同じく開店時間前に着いてしまい、近くの商店街をうろうろしてみたものの時間を潰し切れず、お店の前の椅子に腰かけていたらお店の人に、「中でお待ちくださいー、暑いですから」と声をかけていただけた。

 すかさず出てくる蕎麦湯。あつあつの蕎麦湯を、あつあつと知りつつも、思い切ってごっくん…! すると、熱い熱い塊が一瞬で喉元を通り過ぎ、背中まで突き抜けていくのであった。焦るほど熱いのに、これが癖になるわ…。
 カウンターの端っこに、きりりと芍薬が活けられているのが見える。その品のある紅に、何度も目がいく。

 たて続けにお客さんが入ってくるのを横目に、まずはビール。
 お蕎麦やさんこそ、これよこれ(どこでも呑むけれどー)。 

 「季節のメニュー」が魅惑的な内容なので、しばし二人ともじーっと見つめてしまうのであった。
 ハマグリの入った“春のおかめそば”にもそそられるけれど、ここはやっぱり…。むむ。

 酒の肴に頼んだのは、ここでははずせない“そばずし”。
 だからもう、お蕎麦のぬめりと海苔の食感が組み合わさると絶品…。なんて、いつも言っているかも。これ、かなり良い海苔を使っているのだろうなぁ。

 前回美味しかった“天ぷら盛合わせ”を、今回も。
 茗荷とかわらびとか、春らしくて嬉しくなる。今日は抹茶塩は出なかったが、温かい天つゆが美味。
 だーさんは熱燗(いつまで熱燗?)に切り替えて、二人で存分に酒と肴を堪能したところで、おもむろにお蕎麦を頼む。

 だーさんは“太打ちあらびきそば”に、“たいめし”も付けていた。
 こしがあるというよりも、ねっちりとした噛み応え。風味も濃い。

 たいめし、少しもらったら美味しかった。

 私はもちろん、“しそ切りそば”。しそ切り、見かけたら絶対に頼もうと思っていたのだもの。
 むふふー。このまま何も付けなくても、仄かな紫蘇の香でいただけちゃう。でも私が気に入ったのは、梅肉付け。あー、美味しかったなぁ。はうん♡

 最後にもう一度出てくる蕎麦湯とデザートの果物(今日はピンクグレープフルーツだった)まで、ここにくると至れり尽くせりな時間とサービスが味わえるので、やっぱりまた来たいなーと思うのであった。ご馳走さまでした♪


 あんまりお天気がいいので、このままいつものように家に帰るのは勿体ない! 「どこか歩いていかない?」「北野でも行く?」「あ、それいいねー」。…で、北野まで足を伸ばした。あ、一駅分は地下鉄。

 あの界隈の坂を歩いているだけで汗ばみそうな陽気の中、華やかそうな結婚式もチラッと見かけたり…。
 せっかくなので、一度も入ったことのなかった「風見鶏の家」を見学。 
 ここ、中も素敵じゃないのー。華美に過ぎず壮重な造りで、調度の数々も重厚なものが多い感じ。流石はドイツ人の家。  
 一巡見学して建物から出ると、北野町広場では大道芸の真っ最中で、人が集まって賑わっていた。しかし私たちが次に向かったのは、広場の隣の喫茶店。二階の席から無声の大道芸を見下ろしつつ、ビール休憩。

 そしてビール一杯を乾す頃には大道芸も終り、私たちも次の課題へ…。
 実は、クレープ屋さんのクレープを一度も食べたことがないとだーさんが言うので、「じゃあ今度、北野でクレープデビューね!」と、前々から勝手に決めていたのだ。
 そんな訳で、「クレープあんどれ」にて。 だーさんのは“シャンテ プリン”。
 私はレギュラーの“ストロベリー”にしてみた。レギュラーは生クリーム抜きなので、つまりイチゴジャムだけ。クレープの皮に食べ応えがあったので、まあ正解だった。
 ここ、「小山荘の嫌われ者」に出てくるお店なのだが、店の前の坂の勾配が本当に凄かった。彼らはこんなところで寄り道していたのか。

 暑かったのと割と歩いたのとで、ちょっと疲れちゃったけれど、休日らしく過ごせて楽しい一日だった。気落ちしていてもしょうがないから、休日は楽しく♪ 善哉。

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広東料理の老舗♪ 「別館牡丹園」

4月18日、土曜日。晴れ。 
 いよよ春もたけなわ…となりつつありますが。 
 よんどころない事情がありまして、日頃にも増して呑んだくれている私たちです(やけくそ…)。まあ、その辺の話はまたおいおい。心折れそうになりつつも、何とかかんとか良いことを見いだしながらゆくしかありません…。  

 今朝は2人していささか寝坊気味だったものの、お昼時には元町にたどり着いた。 
 

 元町駅の改札を抜けて地上に上がると、相変わらずの賑々しくも華やかな人波。今日のお昼ご飯にありつくべくやってきたのは、「神戸元町 別館牡丹園」。 
 一階の席はほとんど埋まっていて、2階へと案内された。さくさくと階段を上がってテーブル席につく。そしてさくさくと、とりあえずのビールを…。瓶ビールしかなかったので、お互いに一本ずつ♪
 ←こ、こんなところにも似顔絵が…。

 アラカルトは一皿の量が多いようなので散々迷い、二種類頼んでみた。
 これは、“花椒炒鶏(若鶏の山椒炒め)”のS。
 ほどよくスパイシーで、何となく懐かしい味だった。やわらかな鶏肉は大き過ぎなくて、食べやすい。

 そして“春巻き”のS。 
 ぱりぱりの皮に、ぎゅっと詰まったエノキ茸が美味しいのう。辛子とお酢でいただくと、ちょいと乙な味になる。一目見てたときは「多い…」と呟いていたのに、箸がすすんだ。

 ご飯ものは、メニューの中の飯類と麺類から一品ずつ。
 だーさんが頼んだのは、“牛肉の卵とじかけごはん”。お品書きの漢字にすると、“滑蛋牛仁飯”かしら?
 しっかり味。ご飯がつるつるお腹に入る。

 私が頼んだのは、“姜葱叉焼蝦仁撈麺(生姜、ネギ、焼豚、小海老の和えそば)”。これ、食べてみたかったのー。
 そう言えば和えそばって、あまり頂いたことがないかも? 白髪ネギの食感がかなり主張してきて、私はそれがなかなか好きだった。これもまた、つるつるお腹に入ってしまう。

 席数は随分とあるようだったけれど、ほとんどのテーブルが常に埋まっていて、流石は有名な老舗だなーと。フロア担当の女性たちはきびきびしていて、気取った雰囲気は全然なかった。ご馳走さまでした♪

 
 実は昨夜も、梅田で呑んだのだ。 
 先月だーさんに連れていってもらったばかりで、その時すっかり気に入った居酒屋。 
 では、そこでいただいたものの一部を。 
 お品書きにあるのを見つけて即決したのが、こちらの“しんこぽん酢”。旬のものをね。
 むにっとした生っぽい、稚魚の食感が独特。

 一品ずつの量が程良いので、二人でも色々頼めちゃうのが嬉しいお店。昨夜は他に、“粗挽きウインナー(タコさんだった…!)”、“にら玉”、“関さば一夜干し”、“「揚げ出し納豆(大好き)”をいただき、更にこちらの“鹿児島産豚バラ軟骨チャーシュウ”を。
 こ、これ…! 
 一口先に頬張った私が、「ちょっと、これ食べてみて食べてみて!」と思わずだーさんを急かしたほど、今までに出会ったことのないチャーシューだった。二人で顔を見合せて、「何これ?」「何だこれー?」と呻ったことよ。豚バラが軟らかいのは言わずもがな、軟骨が全然硬くなくてポキポキして美味しいの♪ ううむ、とてもインパクトの強い逸品。

 はい、そして〆にいただいたのが、この“とんかつ茶漬け”。
 あっさり。こーゆー変なものを頼むのは、いつも私である。が、これは意外なまでに意外性のないお茶漬けだった。まあ、お茶漬けだからね…。
 昨夜はお客さんが多かったなぁ。金曜日だからかな。 

 梅田駅へと向かう途中、遅咲きの八重桜が満開。

 あー、画像見てたら切なくなってきたよう…。

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今日は武庫之荘、「IL VIGORE(イル・ヴィゴーレ)」

4月12日、日曜日。晴れ。 
 やでやで、今日も素晴らしいお天気だ…。  
 ここ最近の陽気には体がついていけてないようで、すぐに眠くなる。ま、それは毎年のことだけれど。 

 昨日は初めて、夙川でお花見をした。かなり葉っぱが混ざっていたものの、それはそれで長閑な眺めだった。二人して柵に腰かけて、鱈チーズをツマミに呑みながら見上げていた。ふふ。

 昨日の暑さを思い出し、今日も上着なしの春の装い。桜の柄も入っている変てこなデザインのカットソーに、ふんわりスカート(ちょっと玉虫色な薄グレイ)。ガラスカボションのネックレス。あ、靴は履きなれた茶色の。春の靴が欲しい。
 いつもの最寄駅までの道を並んで歩きながら、「ここの緑は気に入ってるんだよね、欅だっけ?」「うん、欅。いい並木だよねー」などと話し合う。ううむ、春だ春だ。ほのかにうきうきと気だるい。

 そんな今日のお昼ご飯は、一年前にお邪魔したお店に行ってみようと武庫之荘まで足を伸ばした。のだが、日曜のお昼はやっていないとのことで、振られてしまった(去年はやってたよ…)。
 幸い武庫之荘はお店が多いので、あまり困らなかった。以前から気になっていたイタリアンのお店で、手を打つこととした。

 それがこちら、「IL VIGORE(イル・ヴィゴーレ)」。
 店内は割とカジュアルな感じ。店員さんに勧められたのが、ちょうどこの窓を背にした明るいテーブル席だった。

 気温が上がってきたことがとても嬉しいのは、この瞬間。
 ここのビール、泡の肌理が驚くほど綺麗だったのー。

 ランチのメニューしかなかったので、二人とも前菜のつく“イル ヴィゴーレランチ”にした。白ワインをボトルで頼んで、前菜を待つ。えっと、白ワインは、“ブリーメ ブルーメ ソアヴェ クラッシコ’07”という名前。呑みやすい辛口なら、何でもいい私…。

 はい、前菜三種盛り合わせ。フリッタータとテリーヌとパテ。
 もちろんこの後のパスタも美味しかったけれど、前菜がかなり好評だった。ぱりぱりなチーズが、温かいフリッタータによく合う。

 特にだーさんのお気に召したのが、この鰯のテリーヌ。
 柚子(たぶん)の香りがアクセントになっていて、美味しかった。 

 バケットにはオリーブオイル。


 本日のパスタから、だーさんが選んだ、“浅利と蒸し煮したカリフラワーのスパゲッティー二”。
 まあ浅利だし、花野菜はだーさんの好物だし、普通に美味しく。

 私が選んだのは、“大山地鶏と春キャベツのトマト煮込みソース和えスパゲッティー”。
 やわらかな地鶏が沢山入って、春キャベツが甘ーい。ソースの味付けは結構しっかり目。何しろ具材が好きなものばかりなので、満足♪ 

 〆は、だーさんがエスプレッソで私はアイスカフェラテ。ぽかぽかと温かな席だったので、少し冷めるようにゆっくりといただいた。
 アルコールの所為もあってか、暑くなってしまったの…。

 今日はこの後梅田へ移動して、お互いに欲しいものを物色したりした。だーさんはシャツで、私は靴。でも二人とも収穫はなし。今度はもっと時間をかけて探したい。 
 「Kirin・City」で少し休憩をしてから帰路。帰りの阪神電車でも、うとうとしてしまう。だーさんが隣から覗きこむ気配ではっとして、全然寝ていないみたいな顔をするもののまたうとうと…。 春じゃの。


 おまけ。
 昨日のお昼ご飯は、二度目の「季風軒」。前からいただいてみたかった、“あさりと九条ねぎのらーめん”。
 期待以上に浅利が入っていて、しかもその身がぷっくぷく。これまた満足な一杯だった。らーめんに白菜も、ここのスープだったらいいかも。

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長野まゆみさん、『咲くや、この花 左近の桜』

 大好きな長野さんの新刊、これは本当に素敵なシリーズです。この時期に読めてよかったなぁ…。
 『咲くや、この花 左近の桜』、長野まゆみを読みました。


 清らに咲き誇り、妖しく散りしだく。過去の桜、こぞの桜、そして今年の桜。まるでぶれるように時空が歪み、時を超えた桜たちの姿が幽かに重なり合う…。ゆめうつつ。

 素肌をつたう真水の感触のように、あまりにも当たり前すぎて普段は意識もしていないけれど、本当はとても気持ちの良いこと。日本の四季を身に纏うことは、そういうことなのかも知れないなぁ…。付かず離れずで肌に感じていられないと、きっと日々が味気なくなってしまうもの。四季それぞれの持つ気配や風景、その肌ざわりと心地よさ。鼻をくすぐる香しさ。長野さんの描くそれらがとても淡く美しいので、そんなことを思わずにはいられなかった。
 四季折々の事柄をさらりと織り込み絡ませつつ、主人公左近桜蔵の一年を追う。あらたな登場人物を交える一方で、例えば前作で暗躍した教師の羽ノ浦などはなりを潜めているが、ちょっと出し惜しみをされているのかも知れず…気になるところだ。  
 
 桜のなごりがただよう頃、死人を嗅ぎつけてやってきた冥府の犬クロツラ。梔子の饒舌な香りの中、真綿に包まれる艶めかしい幻夢。ヒマワリ畑の迷路に隠された、人知れぬ真夏の死。雪虫、黒牡丹、梅花皮(かいらぎ)…。
 桜にはじまり桜で終わるのは、前作と同じだ。そして相変わらずその気のないはずの桜蔵くんが、あやかしの輩どもにもてもてで、行く先々で狙われ襲われまくるのも。そんな桜蔵くんの清潔な色香が、ある意味“よりまし”としての腕前(?)をぐんぐん押し上げていくらしい。それも、気になる…もとい心配なところ。

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マイケル・カニンガム、『星々の生まれるところ』

 つい先延ばしにして3月中に読めなかった、読書会の課題本。
 自分で選んだわけではない本を読むことに、実はなかなか慣れない。でも、思いがけない出会いが嬉しいこともある。この作品も。

 『星々の生まれるところ』、マイケル・カニンガムを読みました。
 

 素晴らしかった。繰り返される“死と再生”の歌が、たどり着く場所もなく流れていく。その流れはいつしか読み手までをも絡め捕り、過去から現在を経て未来へとぐんぐん押し流していく。うねるような3部作だった。ふうっと我にかえって、これまた随分遠くまで運ばれてきたなぁ…と、溜め息。 

 一見無関係のようで、本当は深いところで繋がり合う、三つの物語。
 労働者たちが過酷な条件下で働かされていた、産業革命時代のニューヨークを舞台に、結婚を間近に控えながら死んでしまった兄サイモンの婚約者キャサリンに、ひた向きな恋心を抱く少年ルークの思いを軸に語られる「機械の中」。幼いルークの無垢さ加減がちょっと鼻につくものの(すまん…)、幻想的な美しさと詩人ウォルト・ホイットマンとの交流が忘れがたい。ラストにも息を呑んだ。 
 9・11後の犯罪都市ニューヨークで、警察の犯罪抑止部に働く女性キャットが、少年による自爆テロに深入りしていく「少年十字軍」。犯罪ミステリーのようにも読めるが、キャットの胸の内がどんな風に揺れ動き変わっていったか…という描写の部分に、私はかなり引き込まれてた。果たしてこの物語の先に救いがあるのか…と思いつつ、残されたメッセージに胸を掴まれる。  
 そして、メルトダウン後の変わり果てたニューヨークで出会った、人造人間(アーティフィシャル)と異星からの移民カタリーンが繰り広げる、逃亡劇の「美しさのような」。人造人間のサイモンが、ナディア人であるカタリーンに強く惹かれていく設定が、とても好きだった。真の感情を持たないはずの人造人間が、より人らしくなりたいと願うというテーマもよかった。つき離すようなラストだけれど、しみじみと沁みるものがある。サイモンの本当の望みは、きっと叶ったのだから…。この作品は、タイトルも素敵。

 3部作を繋げているアイテムの一つに、白い鉢がある。これ、最後まで読んでも結局のところ、骨董として価値ある掘り出し物なのか、綺麗で素敵なガラクタなのかよくわからなくて、そこがまたいいなぁ…と思った。換金しようとすると値があやふやなのが、この世のものならぬ感じで。作品の中では、“聖杯”という比喩も出てくる。 

 たぶん、あらかじめ人の命に刻み込まれている、何人たりとも免れない宿命とは、真にたどり着く場所など何処にもない…ことかも知れない。目指すべき場所など、誰にも指差すことは出来ない。でもそこに、絶望を見るか、微かながらでも希望を読み取るかは、また別の話だ。意味がないのならば、意味を生みだし、人は命を繋いでいく。
 そんなことに思いを馳せて、改めてこの作品の鍵となるウォルト・ホイットマンの詩句“死ぬことは誰が考えたのとも違って、もっと幸運なことなのだ”…に向かい合ってみると、温かな気持ちが胸に溢れる。包みこむような優しい死、その先にある再生。

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