人気の回転すし、「磯寿司 くるくる丸」 その4

6月29日、日曜日。雨のち曇り。 
 今日は早くに目が覚めました。雨ふりで外がまだ薄ぐらく、朝まだきのような宵のような不思議な朝でした。  

 さて、今日のランチはまたまた回転寿司です。実は先週も頂いたばかりですが、最近どうやら味を占めたみたいです。車をやめて電車で出かければ、お寿司&アルコールという酒呑みには嬉しい組み合わせが…。ふふふのふ。
 かれこれ4度目、西宮の「磯寿司 くるくる丸」へ行ってきましたよん。
 なんと、ほんのちょっとの差で待ち時間なしでした。しかもテーブル席です♪ がり…むらさき…と整えて、まずはビールでのどを鳴らします。ぐび。

 そして最初はデフォな玉子。だーさんの真似です。
 注文の握りたてで、ほの温か。

 そしてカンパチ。歯を立てると身をよじる、プリッとした食感が堪りませんのう。


 今日も握りたてばかり狙っています。
 これは、明石産 天然のすずき。最近お気に入りの白身の魚です。
 この透け感が、何とも言えない美しさ。

 さらにおススメから金目鯛。駿河直送。
 す、好き。

 大トリ貝です。上品なタレで美味しいです。


 剣先イカも頼みました。一貫は、何もつけずに頂きました。


 そして今日の〆はこれです。
 特選 生ずわいカニ。
 美味しくて絶句です。薬味はちょっぴりにして、そのままな蟹を味わいました。うううむ、美味しかった…。 
 
 途中でだーさんと顔を見合わせて、「やっぱりここは美味しい…!」と頷き合いました。ネタが新鮮なのでしょうね。普段は貝を選ばない(お腹が心配らしい)だーさんが、珍しくあわびを注文していましたよ。美味しそうでしたわ。
 私はビールを2杯ほど、だーさんはまたもや熱燗に切り替えていました。それで帰り道にて、近々必要となる証明写真をパシャッ…(うぷぷ)。真面目な顔で写っていましたが、思い出すと笑える私。
 ご馳走さまでした♪

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芦屋の、「土耳古料理屋 サクルエブ」 

6月28日、土曜日。雨。 
 昨夜は東京にて、何十年振りかになる懐かしい人との再会を果たし、遅くに帰ってきただーさんは、今朝は草臥れた様子で脱力気味。反応も何やらはかばかしくない。まあ、それはそれでいいのですが(お疲れならね)。

 先日、シャーリイ・ジャクスンの『くじ』の、「ジミーからの手紙」という作品で笑ったと書いたけれど、この作品で描かれているのは、男女間には理解しあえない壁があるぞ、妻にとって夫は永遠の謎であるぞ…ということでした。その描き方が憎いほど巧くて、笑うしかなかったです。
 今日、ランチの帰り道にて、ふとその作品のことを思い出したのですわ。 

 二人で店で食事をして、首を傾げてしまうことが時たまにあります。それはずばり、オーダーミスへの対処の仕方。そもそも、対処と呼べるのかしらん…?
 オーダーが通ってないのかな?これ、間違いじゃないのかな?と思った時、私は割とすぐにお店の人に確認しようとするのですが、だーさんが一緒にいると、「いーよ、もう」と言われるのです。「いーよ、もう」って、何…。いや別に私だって、嫌味のように訊くつもりはない。でもやっぱり頼んだものはいただきたいのですが…。何なんだろう、この「いーよ、もう」は。

 本日のランチをいただいたお店、「土耳古(トルコ)料理屋 サクルエブ」。芦屋川駅近くのお店まで、わざわざ電車でぐるっと迂回してたどり着いたのに、ビールのオーダーを豪快に忘れられた! おお! 
 オーナーらしき男性がかなりの話好きのようで、あちこちに声をかけているうちに忘れたのでしょうが…。

 店内の眺めが楽しかったです。 
 左に写っているぼんぼり辺りにあるのが、ドネルケバブの電熱器かも。

 二人とも、ドネルケバブのセットを頼みました。


 まずはレンズ豆のスープ。
 ハーブとスパイスで美味しいですわ。

 後はワンプレートで、ドネルケバブとサラダとパンとピラフ。このピラフは、おかずに含まれるそうです。
 パンにお肉を詰め込んで、ピタサンドにしてかぶりつくと私の好きな味~♪

 聞きかじりによりますれば、これはもともと遊牧民の肉料理で、充分に運動をして硬くなった家畜のお肉を食べやすくする為に、まわりから薄く削ぐように切っていたとか。ふむ。
 単品で頼んでいないので、今一つ目新しさには出会えませんでしたが、全体的に私好みなセットでしたよ。

 温かなトルコチャイ。外の雨を眺めながら…。


 そして、こちらのお店で私の眼を釘付けにしたのがこの布。スザニというそうです(下のクッションはキリム?)。
 ウズベキスタンで作られる刺繍を施した布で、タペストリィとして飾られているのもありました。そちらは旧ソ連時代に作られたものだとか。

 ああ、私こういうの大好き…。欲しいわぁ。
 広げてみるとまた、思いがけない模様が見られたりして素敵でした。 

 トルコビールを呑みそびれましたが、ピタサンドとスザニで満足をした私です。
 短い板を何枚も打ちつけた扉、味がありますねぇ。レトロな雰囲気の商店街にあります。

 帰りは芦屋川駅でタクシーに乗り込み、ショートカットでらくちんらくちん♪

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皆川博子さん、『朱鱗(うろこ)の家 ― 絵双紙妖綺譚 』

 再び皆川ワールドへ。
 呼び戻されいざなわれ、ふらりふらり後戻り。そして踏み入る足の裏の、泥土の感触にもうっとり陶酔…。
 息を呑み、呼吸すらも要らなくなる心地がする。禁断の世界に囚われて、手も足も何もかもが動きを失い刺し止められていく…この後ろ昏い甘美の味と言ったら!

 『朱鱗の家』、皆川博子を読みました。


〔 「わたしは、淫乱か」 / 女は独りごちたのだった。 / そのとき、彼は、直感した。 / あなたさまは、貞淑だ。 〕 199頁

 沼太夫、崖楼(がいろう)の珠、朱鱗(うろこ)の家、傀儡(くぐつ)谷、闇色の女褂(ドレス)、朧神輿(おぼろみこし)に、水恋譜(すいれんふ)…。あきまへん。この一冊でルビフェチになってもうたわ。そいからこの京なまりたら…(続きまへん)。

 ああ、やっぱりいい…。呑みほす美酒に酔い痴れたわけさね。
 皆川さんの美文に、岡田嘉夫さんの妖艶な絵が添えられて、その上流れるような行書体。なんとも贅沢な、それだけで夢見心地にさせられてしまうこの本は、黄表紙の造りをなぞらえているので、時代がかった広告まで入っている凝りようである。そしてそれは勿論、官能と驚異を孕んだ血みどろで残酷な物語たちの為の、素晴らしい誂えなのだった。…嗚呼。
 どの物語にも忘れがたい場面があり、ため息に溺れる。そしてラストにたどり着いてそこでまたぞくり…と、怖気の走る毒々しい物語ばかりだ。一つ、また一つと、やめられなくなる。繰り返し襲う甘苦しい戦慄の波に、いつの間にやら蕩けそうになる。

 目を離せなくなる絵がある。物語と一緒にまなうらに飛び込んで、痺れたように魅入られてしまう絵があった。 
 藤の花房を背にした鯉の怨ずるようなまなこ(朱鱗の家)、柘榴のように糜爛した女のまぶた(闇色の女褂)、月下に開く曼珠沙華の妖しさ(雙笛)、蜘蛛の巣にたゆとう恍惚の顔(繊夜)…。 
 綺羅らな虚飾をまとった毒の花の如き女たちが、何度も現れてはつと流し目をくれ、時にはこれ見よがしな嬌態をさらし嬌声をあげる。

 どれも素晴らしかった中でも、とりわけ表題作は凄味と色気が格別である。たった一つ、素足の親指を鯉に…という場面の見事な官能に、すべてが収斂されていくような印象があった。
 それから私は、「雙笛(つれぶえ)」や「孔雀の獄」と言った王朝ものがとても気に入った。“孔雀の尾羽根の千の眼”…と、孔雀の尾羽根に“眼”があることくらいは誰にだってわかっている。だが、そのイメージのあまりにも妖美かつ周到な扱い方に、私はただただ痺れるのだ。

〔 月よ、いつのころであったか、わたしにも / 華やいだときがあったよ。 〕 171頁

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シャーリイ・ジャクスン、『くじ』

 ああやっと、一週間ぶりに本の記事。
 実のところ講演会以来の私は、何かが飽和しちゃっている状態だったと思う。あまり本読みが出来なかったし、そもそも気持ちも向かわなかった。『瀧夜叉』はもう、それこそ余韻の中でうっとり…と読んだけれど。

 そのうち諦めて、あせらず少しずつ読み始めたのがこの一冊だったが…。よりによって。
 シャーリイ・ジャクスン、『くじ』を読みました。
 

 有名な表題作の内容に関しては、この端的なタイトルとあちらこちらで目にしてきた評判(悲鳴)に加え、『ずっとお城で暮らしてる』の桜庭さんの解説中で触れられていることから、ほぼ予測がついていたと言っていい。でもそれでも、やはり実際に読んで覚えるざらざらした嫌悪感は、予備知識によって緩和されることなど決してないと思い知らされた。
 いったい何が一番嫌って、ある程度納得させられるところかも知れない。一つの共同体の中で人が集団として共有する、こういう残酷なことへの嗜好ってきっとあるのだろうなぁ…と。その、集団で共有しているというところが強味で、そうなるともう歯止めになるものは何もない。意識の集合体みたいにそこだけしっかりと繋がり合って、その欲望の捌け口になる大切な行事だけは、どうしても守り続けていかなければならない…と、そこにいる全員が無自覚なままに信じ込まされている。それがまた、伝統になるほど続いているところが不気味過ぎる。ラストまで読んで、ため息しか出やしない。これを最後に持ってくるところが、また酷い…。

 ホラー寄りの作品で、次ぐらいに嫌だったのが「背教者」。これはお風呂で戦慄した。ううう。これって要するに、“郷に入れば郷に従え”という先人の教えを、悪意たっぷりにくるりと裏返して見せたような作品とも言えるか。この話にも納得させられ、凄くあり得るような気がした。
 人は、共に一つの社会の中の一員であると思うからこそ、自分と概ね同じ常識を誰もが持っていると信じて安心を得られるわけで、例えば「これは残酷だ」とか「これは不道徳だ」という判断基準をおおよそ同じくしていると、疑うことなく生活している。時に、怖いニュースで不安になることはあっても。もしもそこを信じられなくなったら、きっとパニックになってしまう。パニックに…。
 都会から田舎に移り住んだだけで、まさかこんな目に遭おうとは、こんな善意(!)を持つ人々に囲まれようとは、ウォルポール夫人は露ほども思っていなかった。彼女の追い詰められていく姿が、あまりにも痛ましい。そしてこれ、この後どうなっちゃうんだろう…(考えたくない)。

 何しろ21篇もあるのでほんの一部しか触れられませんが。「曖昧の七つの型」。…何とかならんのか何とか!
 あと、「伝統あるりっぱな会社」。これはある意味吃驚した。ぽかーんとして、もう一度読もうかと思ったくらいだ。読んでいてもの凄く居心地が悪くなってくる話だった。
 母親と娘が部屋でくつろいでいるところへ、とある夫人が訪れてくる…というだけなのだ。まず母娘側がこの夫人に対して、言葉とは裏腹に全く歓迎していないような気がしてくる。でも、そんなほのめかしが書き込まれているわけでもないので、何故そんな気がしてくるのか私自身にもわからない。 
 それから、この訪れてきた夫人のことも胡散臭く思われてくる。訪問が唐突過ぎやしないか? そもそもこの人、本物なのか? いや、これだけ話の辻褄が合うのだから本物だろうなぁ…と思いつつ、妙に疑心暗鬼になりながら読み進んでいた。この夫人のことを疑うべき根拠など、何処にも書き込まれていないはずなのに。 
 何だかそんなもやっとした気分になりながら最後まで読む。いったいなんだったんだろう…。示し合わせたように空々しい。母娘、夫人の3人がそれぞれに、互いの間で親しみが増していくふりを上辺だけでせっせとこなしているみたいな、それを無理やり見せられているような、そんな居心地の悪さを味わえる小品だった。本当に、なんだったんだろう…。

 笑ってしまったのは、「対話」や「もちろん」「ジミーからの手紙」。。
 桜庭さんの言葉、“弱者のとほうもない怖さ”。この作品集について言わせてもらうと、弱者って言うか、普通の人々が淡々と怖いのが一番怖かった。

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今日はインド♪ 梅田の「Meera」

6月22日、日曜日。曇り時々雨。 
 昨日が夏至だったことに今頃気付き、少々くやしい。 
 朝っぱらから怖い目に遭う。それは、朝のお風呂で。とろりと湯舟に浸かりながら、図書館で借りたシャーリイ・ジャクスン・・・・・・・・・、ひい! 朝からホラーで、爽やか爽やか。  

 話は変わって。 
 そう言えば昨夜、「西の魔女が死んだ」の感想を少し話していた時、だーさんが「あの映画の好きなところは、お酒も出てくるところ(酒呑みらしい発言)。ただ健康的で健全な生活を、推奨している作品じゃあないんだと思った」とのたまったので、我が意を得たりとゆーか、よくぞそれを…!と思い、「そうなんだよね。おばあちゃん煙草もしてたし。ばあちゃんみたいなオールドファッションな生活を送ることを、宗教的にしちゃうのとは全然違う話なんだよね~」などと頷き合ったのでありました。  

 さて、今日のランチは梅田でインド料理です。候補の店が二軒あったのですが、私が断然入ってみたくなったのは、「Meera(みら)」です。

 入ってみたくなった理由は、このナンのサンプルがあまりにも不味そうなので、かえって心を動かされたこと(あばたか?クレーターか?)。
 手書きも微妙。

 卓上のメニューにビールがないので軽くパニック、店員さんに訊いたら単品のメニューを出していただけました。ほっ。
 

 だーさんが選んだのは、日替わりカレーのランチです。日曜日は、ほうれん草チキンカレーでした。 
 割とさらっとしていて、なかなか辛かったそうです。  

 私は単品で、マトンサーグワラとナン。
 マトンマトン♪  いつもほうれん草カレーのだーさんを真似して、今日は私も。でも、こちらはかなりドロドロ。ナンで掬いやすかったです。美味しかったですよ。  

 サモサを一つずつ。ジャガイモがぎっしり詰まっていて、食べ応えがありました。
 グリーンチャトニをつけて食べるのが、とても気に入りましたが、後でだーさんが「サモサは名前の通りだった。もさもさ。サモサってあんなのだったっけ」と言っていたのが可笑しかったです。もさもさ、確かに。

 卓上のこれ、インドの漬け物です。アチャール、かなり辛くて私好みです。
  
 もう一軒の候補だった店は、インド料理店にしてはキラキラと綺麗過ぎて(偏見)、女性受けしている様子に鼻白んじゃったのよね…。

 この後だーさんに付き合ってもらって、ブックファーストに立ち寄りました。散々立ち読みして(すまん、「今日の早川さん2」です)、雑誌を買いました。それからぶらりぶらりと、だーさんおススメの「キリン・シティ」へ。

 泡に驚く…。
 

 アスパラガスの塩茹でとパプリカのソーセージ。
 アスパラガス、健康優良児的に太かったです。 

 私はこれを、ヴァージンオリーブオイルとレモンのオイスター。   ふふふ…。

 久しぶりにカクテルなんぞも呑みました。ジンリッキー。
 「人力じゃないよ」「でも人力で作るよ」。消耗な…。
 ふと思い出した私の天然ボケ話でだーさんが大笑い、なぜ自分のボケぶりがうけると嬉しいのかしら…?

 帰路は、とてもわかり易いタイガーズファンたちと一緒の電車でした。よい休日でした。

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映画「西の魔女が死んだ」

 今日はだーさんを誘って、映画「西の魔女が死んだ」を観てきましたよ♪ ああ、よかった。行ってよかったよぅ…。   
 梨木さんの原作をこよなく愛する人が観ても、私はいいと思います。いや、あの世界を映像で観られる喜びが上乗せされて(おばあちゃんのキッシュが美味しそう!とか、おお、ここがマイサンクチュアリか…!とか)、原作を読んでいない人たちよりもっと色々嬉しかったり、心に沁み入る懐かしさを感じてしまうだろう…という気がします。
 おばあちゃんの声、おばあちゃんの手。おばあちゃんの凛とした立ち姿、あばあちゃんのオールドファッション。おばあちゃんの台所、おばあちゃんの食卓、ジャム、ハーブのお茶…。   

 実は、オープニングから泣きそうでした。  
 あれはいったい何だったのかしら? あのオープニングで、原作のストーリーがいっきにラストまで、走馬灯のように頭をよぎってしまって…。 
 

 私が一番好きだったこと、それは。 
 おばあちゃん役のサチ・パーカーの、声。そして、その話し方。  
 実際に2~12歳まで日本に住んでいたということなので、ほとんど母語として日本語を話せているのでしょうけれど、それでもやっぱりちょっと違う。独特な感じが話し方にあって、それが“おばあちゃん”のイメージにぴったりでした。 
 完璧な母語ではないからこそ、自然と話し方が丁寧になっているあの感じ。私が“丁寧”と感じたというのは、ただ“ですます”調だからというのではなくって、何と言ったらいいのか、言葉そのものの一つ一つをつつみ込むように慈しむように、丁寧に声を出している…そんな風に聴こえて仕方なかったです。 
 優しい声、優しい話し方。強い意志と深い愛情に満ちた、おばあちゃんの…アイ ノウ。

 だーさんと少し話していて、「ほう…」と思ったこと。
 「両親の存在は薄かったね。りょうさん好きなのに」「あ、原作でもそうなんだけれど。でも、ママとおばあちゃんの間には、昔いろいろあったの。愛情だけではなくて…どうしても摩擦のようなもの。それはわかったでしょ?」「だから、そこの説明がもっとあっても良かったのかなぁ…と」。ああ、そっかぁ…。 
 私は女だから、母親になったことはなくても娘ではあるわけで、それでおのずと共感してしまうから、説明されていないところまで読み取っちゃうのですね。娘としての母親への反発とか、どうすることも出来ない恨みのような部分とか…。だからこそ、母親を失ったらあんな風に泣くのだろうと…。
 映画にしろ小説にしろ、何でもかんでも説明し尽くすことがいいとは私は思わないけれど、そういうところまで男の人が読み取るには、やっぱり限界があるのかなぁ…?と思って、でもそれが面白くも感じました。

 まいとママとおばあちゃんが、一緒に台所にいる場面が印象に残りました。3代に血をつらねた女たちが台所に揃っているのを見ていて漠然と、血筋というものの不思議さ…当り前なものなのに考えていると不思議な気持ちになってくる血筋というもののことを、ふと思わされた場面でした(あ、まい自身もそれを言っていた)。台所という場所で、というのがまたね。 
 
 あの、おばあちゃんの家を取り囲む自然が映像で観られるのも、素晴らしい追体験でした。  

 可愛いおまけが付いていたのでパンフレットもおススメです。大きな劇場ではなかったので、ちょうどお昼時なのに満席だったみたいです。まあ、初日ですしね。
 号泣する準備はできていた…(言い過ぎ)。だーさんには知らせてなかったけれど。

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皆川博子さん、『瀧夜叉』

 昨日も書きました事情で、ここ数日の本読みの方はなかなか捗りませんでした。でも、講演会の余韻に浸りながら、皆川さんの作品を読んでいました。 
 
 講演会でタイトルが出た時代ものは、『妖櫻記』と『恋紅』です。私は勝手に、月岡芳年の名前が出てきたところで、『花闇』だわ…なんて、反応していましたけれど。  
 質問が集まっていたのも、もっぱら『死の泉』以降の作品についてでした。でも、皆川さんの時代小説を読まないのは勿体ない…と思います。かく言う私も、短篇やドイツものをある程度読んでから、時代ものを読みだしたのですが。

 『瀧夜叉』、皆川博子を読みました。


 〔 「味方はな、裏切ることもある。しかし、敵は、裏切らぬ。力をあわせて敵に向かうよりもな、互いに敵となり、力のかぎりを尽くして闘うほうが、はるかに絆は強くなる。わたしが恋しければ、敵となれ」 〕 124頁

 素晴らしくて、おおお、面白かったです!  
 皆川さんの作品の、湿り気のなさが堪らなく好きです。『トム・ソーヤの冒険』は嘘っぽく感じたと、『にんじん』に描かれている醜さこそが本当だと思っていたと、さらりと口にされたその言葉を思い出します。その湿り気のなさでくるまれながらも、人間の真実が確かに描かれていることに胸を衝かれます。  
 そして、凄惨苛烈な宿命にとり憑かれ、まさに文字通りに活き血を啜り合う登場人物たちにそそがれた眼差しの底に、所詮人はそれでいいのだ…という、究極的な優しさを感じてしまうのです…。哀しみと諦めを超越してしまった、湿り気とは無縁な優しさを。 

 平将門の二人の娘、姉娘の如月尼と妹娘の夜叉。海賊の頭である藤原純友の息子の九朗直純と、彼にしたがう美丈丸。そして、嵐に遭えば海神に捧げられる存在〈持衰〉と呼ばれる一人の少年…。妖しい運命に曳かれるように東国の涯で邂逅した五人は、いっとき軌跡を重ねた後に各々の宿命へと散らばっていく。 
 彼らの宿命を一つに束ね、滅びまでを見届けようとする、元〈持衰〉が得た異能とは。

 途中から陰陽師が出てきたり安倍清明の存在が絡んできたりして、伝奇ものとしても凄く面白くなります。
 敵味方になって互いを想いあうことの強さこそを、その絆こそを求める心の、何と深い孤独、絶望。ただの逆説ではない、真実の一面が、ここにあるのだろうと思いました。

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ちょっと講演会の話とか…

 ずいぶん風邪が治ってきました。ふう…やっぱり風邪はイヤだわ。  
 まだ少し咳が出ますけれど、今日は自転車で出かけたりもしました。  

 昨日は体がだるいのを幸いの口実と、PCの前に座り込んでいました。何をしていたのかと言うと、先日の皆川さんの講演会の時に自分がとったメモを、記憶が薄れないうちに…と、文章に直しながら自分用の覚え書を作っていました。今日はそれを元に、「やっぱり本を読む人々。」の方にレポート提出もしましたので、読みたい方は覗いてみてください。  

 講演会当日は、夜に自宅に戻ってから地震のニュースを知り、「ああ不謹慎…」と思ってしまうぐらい、やはり私にとっては幸せな一日でした。  
 ずーっと著書を読ませていただいていて、いつもうっとりしながら、何て凄い、何て素晴らしい才能だろう…と憧れていたそのご当人の姿が目の前にある不思議さ(一番前の席でした)。その笑んでいらっしゃる様子をまなうらに焼き付けたいやら、でもその言葉も聴き洩らしたくないやら…。ちょっと、ふわふわとした心地になっていました。 
 可憐だったなぁ…。茶目っけもおありで。そして笑うと目が弧を描いて細くなってしまうけれど、口角が綺麗に上がった素敵な笑顔だった。全然そんなご高齢に見えなくて…。お召しもののグレーのベスト(って言うのですか?)は背中のデザインが凝っていて、カットソーはグレイッシュな紫に、たぶんレース…。 
 …とまあ、記憶に浸りだすと切りがありません。  

 後半、流石にメモをとるのも疲れてきてしまったのですが、実際に喋り続けていらっしゃった皆川さんの集中力も、凄かったなーと思います。好きなもののことを話し出したら、汲めども尽きない泉をお持ちなのですね。そりゃそうですね。だからこその、あの著作の数ですもの。


 ところで私、実は1年ぐらい前まで、サイン本というもののことをあまり知りませんでした。あまり、興味がなくて。最近わかってきたのですが、意外とサイン本って世の中にあるものなのですね。
 でも私、この1冊だけでいいです。
 ここに写っているノートに、メモしまくったわけでした。  

 大したことじゃあないですが、質問もさせてもらっちゃいました。皆川さんはお耳が遠く、マイクを通した声でも聴こえないそうですが(出版社の女性が隣でサポートしていました)、質問の内容がわかると必ず、質問者の方を見ながら答えるようにしていらして、「何てお優しいの」とまたまた感動していた私です。目を合わせて下さるので、どきどきしちゃいました。むふー。 
 本当に切りがないので、今宵はこの辺で…。

 もちろん今は、皆川さんの本を読んでいます。

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鶴橋で焼肉♪ 「鶴一」

6月15日、日曜日。曇り。 
 最近ずっと風邪気味です。昨日はどぉーーしても京都まで行きたかったので、こじらせないように気を遣っていたのですが、帰ってきたらややこじれ気味になっていました。 
 でも。皆川博子さんの講演会に出席できた昨日は、私にとって忘れがたい、特別な一日になりました。はうーん♪ 今こうして思い出しても、夢見心地に引き戻される。ふふ、ふふふ。  

 そんな日の翌日は、もう変わりない日曜日…。 
 さて、「今日のお昼はどうしますか~?」とだーさんに訊いてみたら、「焼肉はどう?」という返事でしたので、「おお、いいですね~」とあっさり決定。電車を乗り継いでまたまた鶴橋へと繰り出しました。   
 鶴橋、結構遠いです…。
 鶴橋でお昼ご飯をするのは4度目、焼肉は3度目でした。今までに足を踏み入れたことがないディープなところにまで入り込んでみましたが、強烈なキムチ臭で酔いそうでした。凄かったです。澱んだ空気がキムチ色に染まっているように見えました。うぷぷ…。
 結局ディープエリアからはさっさと抜け出し、いつもの通りまで戻りました。

 今日は、「鶴一」というお店にしてみましたよ。
 二階へ案内されました。 
 
 まずはビールです。
 か、風邪気味なので、少しにしておきます…と言いつつ。 

 メニューに目を通しますと、お肉の種類はそんなに多くない方でしょうか? 豚や鶏は一切なしですし…。


 さくさくとオーダーしましたのは、“塩上タン”と“塩ツラミ”です。


 そして“タレ焼”からは、ロースバラを。
 いただいてみて本日好評だったのは、このロースバラでした。しっかり厚みがあって、それでいてとても軟らかかったです。

 野菜盛りも。


 炭焼きのお店は久し振りでした。炭焼きは、じっくりじっくりと焼かなければなりません。じっくり…。


 さらにホルモンから“コリコリ”を追加しました。これは大動脈です。
 まったく名前負けしていない噛み応えがありました…。ちょっと顎が疲れましたね。

 いつもなら私たちの焼肉は、こんな感じ(お肉+アルコール+少し野菜…)で終わりですけれど、だーさんが張り切って「今日は炭水化物も取るよ!」と言うので、「へえ、珍しいねぇ…」などと暢気に相槌を打っておりましたらば…。

 “石焼きキムチピビンバ”を。
 「風邪の時はいつもよりも食べるくらいじゃあないとダメだって!」とのだーさんの厳しいお達しにより、私も頂くことになりました。 
 「はい…頑張ります」。
 石焼きピビンバなんていただくのは、いったい何年ぶりだったかしら? 流石に美味しかったです。もりもり。 

 ふと気付くとだーさんが、JINROのハーフを空けていました。私なんて、生中2杯でストップしてたのに…むぅ。
 ここは案外長居になりました。ご馳走さまでした。

 そして帰り道にて。
 乗り換えの野田駅周辺でだーさんが、「も少し呑みたいな。ここ(野田)は素通りしたくないなぁ…」とのたまったので、寄り道をしました。
 …やでやで。

 風邪、治るかしら?

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伊坂幸太郎さん、『ゴールデンスランバー』

 年末くらいから図書館で予約の順番待ちをしていた作品。いい加減に買えば?という声も聴こえていたものの…。

 『ゴールスデンランバー』、伊坂幸太郎を読みました。


 とても面白かった!やあやあやあ! …と、快哉を叫びたいくらい。  
 こういう題材を扱いつつ、ビートルズの「アビーロード」を絡ませてくるところ、本当に凄くて舌を巻いた。それがまた格好良くって…! 導入にあたる第一部は女性二人の小気味よい会話から始まり、さっそく伊坂さんらしいなぁ…と、するりと物語に入り込めた。

 仙台で行われたパレードの最中に、首相がラジコンヘリに載せられた爆弾によって暗殺された。そして翌日には容疑者が特定され、それがかつて地元で時の人となり爽やかな好青年であったはずの元宅配ドライバーだった…。
 ストーリーの主軸は、ずどーんと単純に極太な感じがする。要するに、主人公青柳雅春の逃亡劇なのだ。けれどもそこに、主人公とその友人たちとの若かりし頃のほろっと来るエピソードが絶妙な頃合いで挿入されたり、色々と個性的な人物が関わってきたりして(少しずつ助けたり)、これだけの長さを飽きさせずに読ませる巧みさは流石だった。いや飽きるどころか、一体全体どうなるんだー!と先が気になって気になって、ぐんぐん読んでしまった。

 正体の見ない大きな力と、標的にされた小さな個人。周到に緻密に張り巡らされたお膳立てと罠によって、首相暗殺の犯人に仕立てあげられてしまった青柳雅春。友人知人まで巻き込みながら、抗いがたい大きな力が今にもその襟元を摑もうと迫ってくる。それはあまりにも大がかりな計画で、どんなに足掻いてももがいても出口は一向に見付からない。…それでも逃げるのみ! 逃げろ逃げろ…! 

 こういうことって、本当にあり得るのだろうか。…という怖さが、面白さと興奮の影から見え隠れする。ケネディ大統領の暗殺事件を意識しているのならば、「こういうことがあり得るぞ」という作者の声も聴こえてきそうな気がした…。とりわけ、第三部を読んだ時の薄気味悪さと言ったら…。 
 第二部と第三部はとても短いけれど、後でもう一度戻って読んでみれば、最初に読んだ時とは全く違う意味合いにも読みとれる。第三部は“事件から二十年後”という内容なので伏線というよりは仕込みみたいな感じだが、第二部の“事件の視聴者”は、後から読んで「ほおお~」と腑に落ちるところが憎い!の一言でした。

 第四部“事件”がとても長い。でも、読んでいる最中はあまり長さを感じなかった。打つ手打つ手をことごとくひっくり返されて、ああ、これはもう駄目なのかも知れない…と思うとき、必死な青柳の苦しい呼吸が届くような気がするほどに、引き込まれてしまったから。 
 そしてラスト。あの終わらせ方は好きだけれど、複雑な気分でもあった。とことん逃げのびるってああいうことなのか…と思うと、その厳しさにぞうっとする。

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