中野美代子さん、『契丹伝奇集』

 極上の幻想文学。素敵でした。
 『契丹伝奇集』、中野美代子を読みました。

 どの短篇も、いにしえの中国を舞台にした典雅で妖しい幻想譚でした。硬質で端整な文体。其処此処にしっかりと仕込まれた匂やかな媚薬が、ゆっ…くりと体内をめぐっていくような、そんなひと時でした。頽廃の妖美。めくるめくイメージの、高雅で贅沢なことと言ったら…!

 一話目の「女俑」は、ページを開いた途端に吃驚するほど、平仮名が圧倒的に多い文章です。慣れるまではとても読みにくかったです。でも、長沙宰相軑(たい)侯の若い妾の、“あたし”という一人称で語られる物語を追っていくうちに、この妾の浅はかで短絡的なところや、学や教養もないままに、女としての色香だけを武器にのし上がっていこうとするあけすけに野心的な彼女の語り口としては、その平仮名ばかりの文章が妙にしっくりとくるのでした。神仙思想の話が出てきたり、西王母の噂が出てきたり、中国ものとしての旨味も存分に堪能しました。
 二話目の「耀変」は、二つの時間軸を使った耀変天目茶碗をめぐるミステリ仕立てとなっています。現代の日本を舞台に一人の陶磁家の死をめぐる時間軸と、クビライに滅ぼされる宋朝を舞台に中書左丞相が耀変の窯を探し求める時間軸と。その二つのよじれる様をとても面白く読みました。
 「掌篇四話」では、ちょっと澁澤龍彦を彷彿させられました。“ワクワクの樹”を知ったのが、やはり澁澤作品からでしたので。
 (2007.4.20)

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河野多惠子さん、『鳥にされた女 自選短篇集』

 入浴しながら読んでいたらのぼせそうになった。すると文中で“潤(ほと)びる”という言葉にぶつかったので、少し笑った。私も湯船でふにゃふにゃほとびる…。
 『鳥にされた女 自選短篇集』、河野多惠子を読みました。

 冒頭で打たれる。渋くてかっちょいい…。半ばひれ伏し、ただただ「凄い、凄い…!」と壊れたように呟きながら読む。
 無駄のない研ぎ澄まされた文章。小さく切り取られえぐられた深甚な情景は、直に読み手の感覚を容赦なく揺さぶってくるようで、胸の底にざらりとした不気味な感触だけが残される。なす術もなく茫然と見つめているうちに、そのざらりとしたものは少しずつ嵩を増していくのだった。

 例えば処女作の「幼児狩り」では、子供を生まなかった女性が、女の子を忌み嫌いながら男の子には異様な関心と執着をあらわす。彼女の言動は、どこか異様である。人目につくほどの異常な行動はないものの、だからこそ不可解で何とも言えない。ざわざわと掻き立てられる。突き放すようなラストの、後味の悪さったらどうだろう。

 不気味と言えば「骨の肉」の、同棲している男女が牡蠣を一緒に食べる場面は秀逸であった。男が堪能した後の牡蠣の殻の、小さな貝柱の肉片や残り汁を貪り舌鼓を打つ女。不気味でありかつ、惨めさがにじむ。けれどもその女にとっては、その惨めさの向こうに淫靡な悦楽がひそんでいる。ふとおぞましさを覚えつつ、目を逸らせない。
 (2007.4.19)

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柄澤齊さん、『ロンド』

 表紙買いのミステリ。『ロンド』、柄澤齊を読みました。

 “カラヴァッジョは視覚という牢獄を生き、そこから出ようとしてたくさんの鍵を拵えた。一ダースも残された彼の斬首像は、差し込むたびに折れて血を流すカラヴァッジョの鍵のように私には見える。” 下巻74頁

 小昏さにすっかり捕り込まれて、堪能いたしました。ミステリとしてだけ読んでしまうと、驚異のトリックがあるわけでもないし、愕然とするほど真犯人が意外…というわけでもないので物足りないかもしれません。かく言う私が堪能したのは、事件そのものよりもその周辺です。 
 徐々に明らかにされていく、一人の亡き天才と幻の絵画をめぐってどんどん歯車が狂ってしまった人間模様とか、連続殺人事件に付いて回る“絵画そのままの死体”の意味の方に、俄然関心が向いていました。 

 “絵画そのままの死体”って…。
 主人公の津牧は、優秀な学芸員です。とりわけ天才画家の絵について作者が彼に語らせる、カラヴァッジョ論と言ってもいい件は圧巻です。まず問題の絵も相当怖いのですが、それに触れる文章も読んでいてかなり怖かったです。

 時に詩的に繊細で、時に緻密に力強い文章がとても素敵です。そして後半の筋運びには、かなりはらはらさせられました。  
 この作品を、よりファンタジー寄りのミステリにしているのが、幻の絵画『ロンド』の存在であることは言うまでもありません。作者が画家であるからこそ描ける、画家の観念の世界にだけ存在しうるような、“死”の顔そのもの。人を狂わす、魔の絵。その『ロンド』を描写して、現実離れをした作風に触れている箇所には鬼気迫るものがあり、作品全体で繰り広げられる輪舞の中心点として相応しいたかぶりと、非情の死の恐怖へといざなわれていくのでした。 

 (2007.4.13)

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島田荘司さん、『ネジ式ザゼツキー』

 御手洗潔シリーズである。何をかいわんや、である。
 『ネジ式ザゼツキー』、島田荘司を読みました。

 いやはや、とても面白かったです。本屋さんで見かけた時から、変わったタイトルだなぁ…と気になっていたのですが、いよいよこのタイトルの意味がわかってくる箇所を読んでいる時には、本当にゾクゾクしました。 
 かつて脳に障害を受けた人物エゴンが、その脳ミソを何とかしてひねりつつ、失ってしまった自分の過去の記憶をもう一度取り戻そうとした結果、生み出された奇妙な物語。それは、主人公が行く先の世界で、車輪付きの熊や羽の生えた妖精たちがあらわれるファンタジーだった。その、かなり荒唐無稽な設定や、悪夢のようなイメージが繰り広がられるこのファンタジーに、果たして事件の真相にいたる何らかのヒントがこめられているのか…? その事実を手繰り寄せることが、こんな情報で可能なのか…?

 日本を離れ北欧で脳科学を研究する御手洗が、患者として出会った人物の過去にある謎にぶつかり、認知科学、脳科学の分野からもアプローチをするという展開で、ペダントリーにおける読書の快感も、相変わらず味わえて嬉しくなります。 
 問題の、記憶障害者エゴンが書いたファンタジー「タンジール蜜柑共和国への帰還」の内容にも、奇妙な魅力があるのですが、何と言っても読み応えがあるのは、その物語を解体して分析していく御手洗の見事な手際です。その過程で浮かび上がってくる、エゴンが持っていた当時最新の科学的知見に与えられた御手洗の説明の箇所なんかも、思いもよらない展開だったので、すっごくワクワクしながら読み進んでいました。
 そうしてその分析の裏付け捜査の最後には、過去に埋もれてしまっていた事件の真犯人が…?!

 結構ヴォリュームのある一冊ですが、全く長さを感じさせなかったです。しかも今回の御手洗は、すっかり安楽椅子。ワトソン役のハインリッヒとの応酬も小気味よく、すみずみまで楽しめました。いえい。
 (2007.4.5)

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恩田陸さん、『朝日のようにさわやかに』

 今日も寒かったですね。春はどこへ…。
 『朝日のようにさわやかに』、恩田陸を読みました。

 一冊で14回美味しい短篇集です。まあ言ってしまえば、ごった煮のよう…ですが、ごった煮ならではの楽しみ方が出来てしかも味は旨い。
 まず一品目の「水晶の夜、翡翠の朝」は、恩田作品ではお馴染みの美少年ヨハンの活躍する美しい一篇ですけれども、これはもう殆どファンサービスです。ミステリとしては犯人がわかり易い…とは言え、あの学園独特の閉塞感の中で語られると逆にそこが良いわけです。校長や憂理や聖にも会えるし、ラストでのヨハンの邪悪さも堪能出来るし(ぐふっ)。

 その他の作品も各々に楽しみましたが、本当に多様な内容なのでほとほと感じ入りました。
 私が意外と楽しんだのは、「一千一秒殺人事件」です。少し読み始めて、これは足穂だ…と気が付いたら(いや、最初からタイトルで気付けば良いのに)、もうそれからは楽しくて楽しくて。
 「楽園を追われて」や「朝日のようにさわやかに」も、ツボにくる話でした。こういう追憶もの、好きなのです。例えば「楽園を追われて」に至っては、この短い小説の中で事件と呼べるようなものは今にも過去にも起こってはいません。でも、仲間の死をきっかけに集まった同窓生たちの間で交わされる会話や、古い記憶を掘り下げていく過程で浮き彫りにされる彼らの心情を読んでいると、懐かしさと切なさで胸が一杯になりました。二度と戻らない時間への郷愁を…。
 身につまされたのは「淋しいお城」。余韻がひどく後をひいて気になったのは「邂逅について」。さらに発展させた作品があったら、きっと気に入る。失われ滅びゆく少女の時間。 
 恩田色の濃い、ごった煮でした。満足。
 (2007.4.4)

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