本が好き!な、りなっこのダイアリーです。週末は旦那と食べ歩き。そちらの報告も。
本読みの日々つらつら
9月29日
今日はお家で映画を観た。「異端の鳥」
昔『ペインティッド・バード』を読んで衝撃を受けたので、映画も気になっていた。小説は大筋しか覚えてなかったけれど、トラウマみたいな場面は流石に記憶があった…(スプーンでくり抜くとか)。
東欧の厳しい自然がひりひりと美しくて、人の所業の醜さが際立って苦しかった。
9月28日
武藤康弘監修/譽田亜紀子 取材・文『はじめての土偶』を読んだ。
1冊みーーーっちり土偶尽くしで、大変満足。こんなに種類があるのかとあらためて知り(当たり前だけど、遮光器土偶だけじゃない!)、様々な土偶がそれぞれの魅力とともに紹介されているのを堪能した。
「縄文のビーナス」や「縄文の女神」のフォルムの美しさ、合掌土偶や蹲踞土偶のどこか愛おしい佇まい…などなど。 文章から土偶愛が滲み出ているのもよかった。
9月27日
レオ・ペルッツ/垂野創一郎訳『ボリバル侯爵』を再読した。
流石のレオ・ペルッツ、面白かった(再読2冊目)。
ナポレオンのスペイン遠征、劣勢へ傾き始めたフランス軍の2つの連隊が壊滅するに至った経緯を、元ドイツ将校が綴った回想録。その内容は、後世の人々には信じがたいものだった。
何となればそこには、ある言葉の呪縛に囚われた数人の将校たちが、避けるべきことにむしろ引き寄せられ、その為に彼らの軍を破滅へと突き進ませることになる顛末が描かれており…。
情報の優位を全く活かせない将校たちのぐだぐだな迷妄っぷり(そこが読ませるんだけど)と、さまよえるユダヤ人の存在が落とす昏い影の比よ。
9月26日
徳井淑子『中世ヨーロッパの色彩世界』を読んだ。
12世紀以降の中世ヨーロッパにおいて、人々は独特な色彩観念を持つようになり、やがてそれは執拗なまでに色に意味づけをする中世末期の色彩文化へと繋がる。
水は「白い」という感覚。色に与えられた両義的な意味(例えば緑は青春、歓喜、破壊、異教…)。子どもと道化と奉公人の服が、同じデザインになったのは何故か。悲しみが悪徳とされた時代には忌み嫌われた黒が、14世紀末頃からメランコリックな感情の価値が変化するのに伴って流行色になったこと、など。
中世人の心性が、こんなにも硬く色と結び付いたものだったとは…と、とても面白かった。
9月22日
レオ・ペルッツ/前川道介訳『第三の魔弾』を再読した。
流石のレオ・ペルッツ、面白かった! アステカ王国を征服しようとするスペイン軍に立ち向かったドイツ人、グルムバッハの数奇な悲運の物語。
これが第一作ということでやや粗いかな…という印象はあるものの、物語を牽引するのが何しろ暴れ伯爵(猪突猛進タイプ)なので、ぐいぐい引き込まれた。史実との絡ませ具合や皮肉な展開も堪らない。あと、今回はあらためてメンドーサ公のグロテスクな造形(美形で残忍)が、敵役として際立っているのに感心した。
そして終曲にたどり着き、第三の魔弾に斃れたものについて思うと、嗚呼…(呪い怖すぎっ)
9月21日
ああ九月!空の高さと埋葬の深さがこんなに比例するとは
消息は微かなる息 白秋が拾ひあげたる手首のやうな
──笹原玉子『偶然、この官能的な』
柩なのだから行かせてやりなさい日傘の骨のきしむ九月を
──服部真里子『遠くの敵や硝子を』
9月20日
金子薫『鳥打ちも夜更けには』を再読した。
「架空の港町」という呼び方がいつしか地名になった町で、観光の呼び物である希少種の蝶アレパティロオオアゲハを保護するため、海鳥を駆除する仕事が必要になった。それが鳥打ちである。
採用された3人はそのまま鳥打ちと呼ばれ、10年間ただ鳥たちを殺し続けてきた…。
不条理は個人をどこまでも蝕み得るし、逃走することでしか己を救えない人がいる。私には、慰撫のある物語だった。(そして、いぐあな老師のレシピが美味しそうです)
“彼は木箱のなかを見つめる。自分のなすべきことが、生涯で初めて心の奥底から浮かび上がってきた。”
9月19日
ザッカリー・メイスン/矢倉尚子訳『オデュッセイアの失われた書』を再読した
大変好みな作品。『オデュッセイア』に基づく44通りの変奏で、叙事詩の世界に封じられたオデュッセウスやアキレウスたちが、幾つものバリエーションの中で思いもよらぬ姿を見せる。口承され、流動していく物語さながらだ。
あきらめて再婚したペネロペイア、アキレウスのゴーレムを作った魔術師オデュッセウス、出奔するヘレネ、好敵手を求めて天国へ行くアキレウス。などなど 。
「サナトリウム」や「あるゲームの記録」には、こんな変奏もありなのかと吃驚した。そして死の影が濃くなり、オデュッセウスが衰えていく終盤の展開に感嘆した。
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