稲見一良、『男は旗』

 花冷えの雨そぼふる…。でも心は海賊。七つの海を進め、進め。
 稲見さんの作品は初めてでした。

 『男は旗』、稲見一良を読みました。
 

〔 「子供は風の子というが、わたしは男はみんな風の子だと思う。旗のように風の中で遊んでいると機嫌がいい……」 〕 51頁

 やー、気持ちよかったです。なんつーか痛快! 何しろタイトルがタイトルだから、もっと女の入り込む隙間のない男たちだけの世界が描かれているのかと思っていました。そうは言っても、作品の根本にある男のロマン…みたいなものは感じましたが。でもシリウス号のクルーにはちゃんと女性陣も加わっていて、一緒にはちゃめちゃ活躍しているところが、同性としてはなんとも頼もしくて嬉しかったりしました。 
 特にシャーリィ、可愛くて小さくって強い! ちっちゃい体で途方もなくでっかいものばかり、華麗に盗み取っちゃうのだもの。読んでいて本当に胸がすかっとしました。

 物語の語り手は、キャプテン安楽さんと行動を共にするチョックです。チョックの視点はいつも人間たちより高いところにあって、動かずにいれば彫物か置物に見えなくもない。語り手としては相応しいようです。まさに鳥瞰。
 安楽さんに拾われた15歳の少年風太。ショップ担当のハナさんにお志津さん。怪しい諺や格言がお得意な(曰く“ウゴノタラノコのよう”)、シェフ・トレイシー。風太の従兄でエンジン博士の徹に、彼の友達・片腕のパイロット…。自由で奔放な魂が呼び寄せられたように、プロペラ・シャフトを切断された動かないはずのシリウス号へと集まり、そして機は熟し、皆が待ち望んでいたその時が…!
 ゴリラみたく逞しい安楽さんが、渋くて格好良いのである。あふるる侠気だね。

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恩田陸さん、『猫と針』

 私って案外、戯曲を読むのは嫌いじゃないようだ。想像を働かせる余地があるね。

 『猫と針』、恩田陸を読みました。
 

 “人はその場にいない人の話をする”――これ、実際にお芝居のキャッチコピーだったのですね。私はこの一言ですぐに、シニカルでちょっと意地悪な(ほめてるのな恩田さんらしさを感じてしまいました。もしも誰かに面と向かって言われたら、なんて身も蓋もないことを…と眉をひそめたくなるかも知れないけれど、現実はその通りだものね。人の習性と言っていいくらい。そういうところに作品の照準を合わせてくるのが、何て言うか恩田色だなぁ…と。
 誰かの噂をしていると、その当人が姿を現したりする場面も凄くリアルでした。そこでぴたっと話が止まって、微妙な空気が漂って…(あれ、苦手だ)。

 友人の葬式の帰り、久し振りに顔を合わせたらしい男女五人。だから皆黒尽くめなのだが、この“黒尽くめ”がもう一つの展開に繋がっていくところ、面白いと思いました。 
 友人の他殺死をめぐる謎を一つの軸とすると、もう一つの軸は、この五人が喪服姿で集まることになったそもそもの理由、かな。ただ葬式の帰りだからではなく、もう一つの目的があって彼らは黒尽くめなのである。そしてこの目的に関しては、彼ら自身にも真の狙いがわかっていない…。不穏が空気が強まる中、五人の思惑が錯綜する。   
 「『猫と針』日記」が面白かったです。裏話。 
 そうそう、猫は出てきたけれど…。

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中山可穂さん、『サイゴン・タンゴ・カフェ』

 アルゼンチンタンゴってどんな音楽…?と、記憶の水底をさらい精一杯イメージしながら、物語の奥へと漕ぎ進む。泥臭いほどに情熱的で官能的、それでいてどことなくもの哀しく…。ああ、CDでいいからタンゴを聴きながら読めたらよかったな。残念。   

 『サイゴン・タンゴ・カフェ』、中山可穂を読みました。
 

〔 ふたりでもっとさびしくなるために、私たちは踊りつづける。どんなに踊りつづけても、数え切れないほどの夜を踊り明かしても、私たちは何も分かち合えない。それがタンゴなのだと、私はあの男から教わった。ゼロにゼロをかけてマイナスにしていく営みこそがタンゴなのだと。 〕 30頁

 収められているのは、「現実との三分間」「フーガと神秘」「ドブレAの悲しみ」「バンドネオンを弾く女」「サイゴン・タンゴ・カフェ」、の5篇です。一作目の「フーガと神秘」だけが再読でした。短篇というか中篇といってもいい長さの5作品は、期待を上回る読み応えでした。期待をしていなかったわけではないです、もちろん! 
 どの話もアルゼンチンタンゴがモチーフになっていて、タンゴのことにふれる文章を読む度毎に、中山作品の狂おしい情念や孤独、誇り高い人たちが惹かれあい身を削り合う苦しい恋に、タンゴというものはなんてぴたりと寄り添うのだろう…と、感嘆しました。物語の世界と音楽性の完璧な融合に、ただただ深いため息です。

 5篇はどれも素晴らしかったですが、中年の女性が主人公で一見地味な「バンドネオンを弾く女」は、あまり今までの中山作品にはなかった感じで、不思議な味わいが私は好きでした。主人公がもう一人別の訳ありの女性と、奇妙な成り行きでベトナムへ連れだって旅行をすることになる話で、どことなく可笑しみもあり話が悲愴にならない。そこのところの匙加減も絶妙です。

 もっと好きだったのは、表題作と「ドブレAの悲しみ」です。
 「ドブレAの悲しみ」は、ブエノスアイレスのバンドネオン弾きのおじいさんに拾われた、猫(最初の名前はアストル)の視点で語られる物語です。でもこの猫、実はただの猫じゃあなかったのです! その正体は…ふふふ(『トマシーナ』じゃないけれどある意味女神かも)。
 アストルとだけは言葉を交わす、黒尽くめの殺し屋ノーチェの一人で踊るタンゴがひどく印象的でした。研ぎ澄まされた孤高の姿とは、どうしてこれほどまでに心を魅了するのだろう…と思いました。

 そして表題作の「サイゴン・タンゴ・カフェ」。ハノイ市の、地図にも載っていない怪しげな店構えのサイゴン・タンゴ・カフェ。こんなにタンゴの国から遠く離れた地に、タンゴに取り憑かれた年齢も国籍も不詳のマダムが営む店がある。そしてそのマダムは、なぜか女性客としか踊ろうとはしない…。
 この作品で描かれているのは、作家と文芸編集者との間の愛と葛藤の軌跡でもある。物語をこよなく愛する人ならば、物語を生みだし紡いでいくまさにその場所で生まれたもう一つの物語に、それを語るマダムの声に、耳を傾けずにはいられないでしょう。 静かに、息をのみながら。

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エリザベス・ボウエン、『エヴァ・トラウト』

 なんて美しい本なの…と、一目惚れしました。 

 ところで、海外の小説を読んでいて、英語の慣用句“キュウリのように冷静”が出てくると、笑うところじゃないのに笑ってしまいます。そうか、キュウリは冷静か。そう言えばそうかも、さっぱりしてるし。と、変な納得の仕方をしてみたり。
 閑話休題。

 『エヴァ・トラウト』、エリザベス・ボウエンを読みました。


 なかなかの難物ですが、私は好きです。読み終えてから時間をかけ、じわじわと浸透してくるものがある。読んでいる最中には分かりにくかったことが、ぷくりぷくり泡のように心の表面に浮き上がっては弾ける…。きっとまだよく分かっていないことがあると思うので、いつかまた再読してみたいです。   

 この物語は、とても印象的な美しい場面から始まる。不可思議で独特な世界へといざなうような滑りだしだが、ここで波に乗りにくいことも確かだと思う。そして読み始めて割とすぐに、かなり情報が出し渋られ説明が省かれているような感触もある。いや、本当はちゃんと提示されているのかも知れないけれど、兎に角、「一体これはどんな事柄を指しているのかしら…?」と、躓いてしまうことがしばしばあった。
 何しろまず、エヴァ・トラウトの人となりも相当に掴みにくい。最初の方でエヴァの喋り方について、“風変りな、セメントで固めたような会話のスタイル”と表現している箇所がある。セメントで固めたような会話って…?

 エヴァは、生後二ヵ月で母親を失い、父親のビジネスの為に世界各国を転々とする年月を重ねた結果として、本来ならば誰でも流暢に扱えるはずの母語が身に付かなかった女性、という設定になっている。これが、エヴァという人物を更に分かりにくくさせている。
 そも、人は成長の過程において、新しい言葉を一つ覚える毎に、その言葉にまつわる概念に初めて触れ、そこから少しずつ理解を深めていくものではないか…と思うが、彼女の場合はそのプロセス自体に破綻があるわけだ。つまり一つの言語を、抽象的な概念について語れるほどには習得出来なかった…ということ。
 だから、エヴァの行動には説明が付けられない。周りの人たちがエヴァの行動に戸惑い振り回されるように、エヴァ自身にさえ自分の衝動的とも言える行動について上手く理由付けが出来ない、そんな印象すらある。何てやっかいな女性だろう。そんなエヴァが莫大な遺産を相続するのだから、話はますます厄介だ。

 エヴァの独特な言葉への不信感と、彼女を取り巻く登場人物たちの利害混じりの思惑とが、どこまで行っても平行線な感じ。読んでいるうちにだんだん、この人たちはいったい何をどうしたいんだ…?と、出口無しな気分にさせられてしまった。が…。
 衝撃のラストでへなへなと、全身が弛むくらい力が抜けた。なんてことだ。ぐるぐるぐる…と。 

 もう一人かなり興味深かった人物が、女学校の元教師イズーである。最初の方に出てくる牡蠣を食べるシーンが艶めかしくて、お堅い印象の元教師の色気に吃驚しつつ、複雑そうな女性だな…と思った。ちなみに作品解題によると、エヴァがイヴであるのに対し、イズーは「トリスタン・イズー物語」のイズーなのだそうだ。

〔 授業に費やした時間がもたらしたものは、少女の側に残った、まばゆいばかりの先生に対する畏怖の念として。それにエヴァは、ありがたいと思う気持ちに幻惑されていた。イズーがくるまでエヴァに全身全霊をかたむけて注目してくれた人間は、一人もいなかったから――あたかも愛のように見える注目だった。 〕 19頁

 第二回配本は八月予定。楽しみ。

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竹内真さん、『風に桜の舞う道で』

 読み終えたのは先週の金曜日です。 
 何ヶ月間か積んでしまった時点で、これはもういっそ桜開化の声が聞こえてくる頃に読もうと開き直ってました。

 『風に桜の舞う道で』、竹内真を読みました。
 

 桜の花びらが降りしきる中を、くぐり抜けて走る一台のバス。そのバスが運ぶ乗客の中に、“桜散る”新浪人生が三名ばかり…という冒頭の鮮やかさがとても印象的でした。その景色も目に浮かぶようで、桜を待つ私の気分が勝手に盛り上がってしまった次第です。表紙になっているのが、その三人の出会いの場面です。

 いつも思うけれど、竹内さんの文章は、読むのに何のストレスもかからないところが気持ち良いです。ストレスのかかる文体もそれはそれで嫌いではありませんが、さらさらと引っかからずに喉元を流れ落ちるような文章を読んでいると、何だか自分の内側がリセットされていくみたいな心地よさが味わえます。

 予備校の特待生として桜花寮で過ごした日々と、10年後の彼らの物語とが、交互に語られていく。定員10名の浪人生たちは、最初に名前がずらずら出てくるときには誰が誰やら…と面食らってしまう。でも、1年間の彼らの愉快なエピソードが順々に出てくる度に、ひとりひとりの個性が立ち上がってきてとても楽しめました。
 選び抜かれた予備校生たち(てのも変ですが)は、寮も無料なら受講料も免除と言うあたり、懐かしのバブリーな設定でちょっと笑ってしまいました。私は竹内さんは同世代なので、大学を出る頃には不景気でもろ就職難だったという落差の感覚も、わかるなぁ…。
 相変わらずの性善説ですか?と問いたくなるような眩しい作風に、気分がほっこり。明るい力を感じる作品でした。

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今日はスペイン♪ 「Pase Pase」(と、中央区の「なんじゃろ」)

3月22日、土曜日。晴れ。
 昨夜は遅くまでチャットに参加していたので、眠い目をこすりこすりの毛づくろい。

 今日のお昼ご飯は、先週に引き続き武庫之荘へ行ってみることになりまして、のんびり電車で移動です。
 出かけようとしたらケータイが見付からず、バタバタ慌てました。そんな私を横目にだーさんが電話をかけている…と思いきや、私のケータイが奥の小部屋で鳴っている…。え、どうして? て、前の日からコートのポケットに入れっぱなしでした(その部屋は衣装室でもある)。 
 やれやれ…とそのコートに袖を通しかけたところで「待てよ?今日は暖かそうだぞ」と、隣の短い上着を選んだら、そのまままんまとケータイを忘れて出かけてしまい、もう一度取りに戻ったりしてました。このように私の日常は忘れることの連続であります。くう…。

 そんなこともありつつ、お昼時には武庫之荘に到着しました。
 まず先週振られたお好み焼きのお店まで、もう一度行ってみたけれどまた振られました。どうやら休みがちになっているらしい。でも今日は、滑り止めのお店を決めてあったから大丈夫。先週通りかかったときに気になった、スペイン料理のお店へと足を向けました。
 「Pase Pase」というお店です。  


 とりあえずはビール。のども頃合いに乾いたことですし。
 シャリシャリするぐらい冷えてました! 

 二人ともはじめからパエリアしか頭になかったので(だってスペイン料理と言えばパエリアでしょ)、“パエジャランチ”にしました。
 最初に運ばれてきたのはタパスの三品。マヨネーズみたいなのはアイリオソース。
 南欧家庭料理を謳っているぐらいですから、割と素朴な味わいです。それでいてとても美味しかったです。

スープとサラダも付きます。
 よく聞き取れなかったけれど、多分白豆のスープ。

 そしてメインのパエジャ~♪ 
 海の幸・イカスミ・野菜と鶏肉・大海老の4種類から、だーさんが選んだ海の幸のパエジャです。
 お店の照明が割と落としてあるので、ご飯がオレンジ色に見えたのですが、写真に撮るとちゃんと綺麗な黄色になっていました。魚介類たっぷりです。海老を一尾もらっちゃいました。

 そして私のは、野菜と鶏肉のパエジャでっす。  やっぱスペイン料理ならば海の幸かな…とも思ったのですが、折角だからだーさんと違うのにしてみました。野菜が美味でしたよ。

 少しずつお互いのお皿から味見をしてみたら、だーさんのパエジャはサフランライスにも磯の香りが移っていたし、私の方のはあっさりしていてトマトやオリーブの味が引き立っているようでした。美味しかったわん。

 あ、ちなみに、パエジャの最大の魅力は鍋底の焦げつきで、スペインではこの焦げつきを“ソカレッツ”と呼び、人々は一様に「ソカレッツに炊いて下さい」と注文をするそうです。お店のランチョンシートによりますれば。
 我々もスプーンをしっかと握りしめ、その“ソカレッツ”とかやらをガリガリこそいで最後まで堪能したのでありました。
 そして〆のコーヒーは…。 
 このサイズでエスプレッソ! 二人ともブラック派なのでこのまま頂きましたが、とてもストロングなコーシーでした。

 今日はこの後三宮へ移動して、腹ごなしに街歩き。だーさんが、アメリカンなお店にてバックルを購入。出会ってしまったらしい…。男の人のバックルって、「ロックだぜ、うりゃ!」というニュアンスのものが多いけれど(しゃれこうべとかさ)、だーさんが見付けたのは可愛いバックルでした。やけに似合うんである。

 さらにさらに一昨日のランチ。こんなに神戸の近くに住んでいるのだから、もちょっと洋食も頂いておきたいなぁ…ということで、中央区の「なんじゃろ」という洋食店へ行ってきました。
 

 私たちのお目当てはビーフカツです。ビーフカツなんて初体験でしたよ(カツと言えばトンカツだもの)。
 大きかった…! 野菜もしっかり。

 ランチタイムには、ご飯とお味噌汁が付きます。
 ご飯は少なめにしてもらいました(それでも助けてもらった)。味噌汁はもともとデミタス(?)でした。

 お肉も勿論美味しいけれど、かかっているデミソースが絶妙~でした。  このお店、きっと何を頼んでも美味しいんだろうな。
 どうやらだーさんは、「ビーフカツは一度で充分」らしいです。うーん、そうね、カツと言えばトンカツだものね…。しかし、カツなんて久し振りでしたわ。 
 決して嫌いじゃなくても、あまり頂かない食べ物ってあるよなぁ…。ご馳走さまでした♪

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中島京子さん、『イトウの恋』

 こういう小説は大の大の大好物であります!
 中島さんの作品を読むのはまだ4作品目ですが、これはむぎゅっと抱きしめたいくらい好きでした。

 『イトウの恋』、中島京子を読みました。
 

 作中ではI・Bとされている日本の奥地を旅する英国女性は、明治時代に日本を訪れたイギリスの旅行家イザベラ・バードであることが分かります。そして通訳として彼女の旅を助ける青年イトウも、実在した伊藤亀吉という人物がモデルとなっています。
 そのイトウの手記を、実家の屋根裏から発掘(?)してしまったのが、冴えない風体の新米中学校教師・久保耕平です。途中で途切れてしまう手記を読み、これには続きがあるはず、なければならぬ!と強く思った耕平は、顧問を勤める郷土部の活動に言寄せて、イトウの孫の娘にあたる田中シゲルに一通の手紙を出すことにしました。 
 そうしてこの物語では、久保たちのいる現代の日本と、イトウの手記によって生き生きと立ち現われてくる明治時代と、二つの舞台でのストーリーが交互に描かれていきます。

 耕平の実家の屋根裏で、誰かに見付けられるのをひっそりと待っていたイトウの手記。まるで手記に呼び寄せられたようにすんなりと、手に取っていた耕平。
 現実的には行き来の不可能な時空の壁を飛び越えて、誰かと誰かの真心が、繋がり合ったり響き合ったりする。そんな、かけがえのない奇跡のように素敵なこと。それを垣間見せてくれるこの作品が、とても好きです。 
 時空を超えた響き合いは、先ず物語の登場人物たちの間で起こるのだけれど、それを読んでいる私と彼らとの間にも起こっているのだと思います。そんな風に響き合いの連鎖が生まれてくる様が、まるで目の前に見えるみたいで胸がわくわくしました。

 中島さんの滋味あふるる文章は、とても読みやすくてどことなくユーモラスです。特に耕平とシゲルのやりとりの惚けた味わいや、どんどん頼もしくなっていく赤堀真を交えた3人の会話などは、とても微笑ましくて楽しかったです。
 そしてまたイトウの手記がとてもいいです。18歳の日本人の青年が、倍以上も年上の異国の女性に恋をするという設定を、ちゃんと説得力を伴った筆致で描き切っているところに、むむむ…と舌を巻きました。ああ、面白かった…。

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皆川博子さん、『巫子』

 引き続き、さぼり気味の感想を短めに。
 大好きな皆川さんの短篇集ですが、智内兄助さんの作品を使った表紙が何とも怖く、しばらく積んでいました。

 『自選少女ホラー集 巫子』、皆川博子を読みました。
 

 収められているのは、「冬薔薇」「夜の声」「骨董屋」「流刑」「山神」「幻燈」「山木蓮」「冥い鏡の中で」「巫子」、です。「冬薔薇」と「骨董屋」は再読でした。
 「流刑」や「冥い鏡の中で」の、本来は一方向にただ真っ直ぐなはずの時間の流れが、実は延々と円環し続けているみたいな、そしてその円環の中に主人公が閉じ込められいるような息苦しくなる作風に、はああっ…と深い溜め息がこぼれました。

 でもやはり、特筆すべきは表題作の「巫子」でしょうか。この作品は自伝的な色の濃い「巫女の棲む家」の母体ともいえる作品で、ご本人の解説によると体験が7割ほど入っているそうです。実際に読んでみると、皆川さんがどうして少女にこだわり続けて作品を書かれているのか、おぼろにわかってくるような気がしてしまう…。
 厳格な父親によって怪しい交霊会にひき込まれ、狡猾な霊媒師から神伝(かむづた)えの少女としての役割を与えられた黎子。そしてもう一人の少女、戦災孤児であるチマ。大人たちの思惑に利用され、押し潰されそうになりながら、失い切れない自分自身を見つめる少女たちの張りつめた世界が描かれていました。おし、『巫女の棲む家』もそろそろ読もう、っと。

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『谷崎潤一郎犯罪小説集』

 すみません。ちょっと感想はさぼり気味です。久方ぶりに大谷崎です。

 『谷崎潤一郎犯罪小説集』を読みました。
 

 収められているのは、「柳湯の事件」「途上」「私」「白昼鬼語」、の4篇です。
 帯にもあるように、悪魔主義と呼ばれるあたりの作風が集められた一冊でした。私は「白昼鬼語」のみ、ちくま文庫『美食倶楽部』で読んだことがあるので再読でした。

 「白昼鬼語」も好きでしたけれど、今回のお気に入りは何と言っても「柳湯の事件」です! これ、幻想犯罪文学の白眉じゃん…と思ったのですがどうかしらん?
 「柳湯の事件」はとても短い作品です。私(小説家)が弁護士S博士の事務所に訪れて、二人で語り合っているところへ、“一目で異常な犯罪者に相違ない”と思わせる凄惨な様子をした青年が、飛び込んでくる。青年曰く、自分は人殺しの大罪を犯しているかも知れないけれど、“たびたび幻覚を見る癖のある人間”なので、どこまでが本当なのか分からない。ひいては是非とも先生に、僕の話を聞いて欲しい…。ということでここから、青年の身に起こった数日間の出来事について語られていくのです。が…。
 やー、そこからがすごく面白かったと言うか、気持ち悪かったと言うか。青年の話の中に出てくるのが、柳湯という湯屋。語り手の青年Kは自称絵かき(売れてないらしい)で、兎に角ぬらぬらしたものが大好き。ぬらぬらしたものを描くことだけはとても上手なので、友人たちからヌラヌラ派という呼び方をされている。うげげ…。 
 で、その柳湯は相当不潔な湯屋なのですが、薄穢いヌラヌラした湯に浸かるのも快感であったそうな。うげげ…。ところがその湯船の底には、もっとヌラヌラした物体がただよっていた。そのヌラヌラした物体とはいったい…? それがどうして殺人事件(?)へと繋がっていくのか…。
 私はヌラヌラしたものは苦手な方なので、読みながら背中のあたりがざわざわそそけてきそうでした。着想と言い、異様に真に迫る筆致と言い、流石です。

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予定変更のランチで、「CASARECCIO(カサレッチョ)」

3月16日、日曜日。晴れ時々曇り。
 ベージュ色のコート(刺繍がお気に入り)を羽織って出かけた今日、だーさんに「それはもう要らないでしょ」と言われちゃいました。

 さっそくご飯の話ですが。
 今日のお昼ご飯は、昨日からすでに予定がありました。だーさんが同僚の方に教えてもらった、武庫之荘のお好み焼きのお店に行ってみよう…と。お好み焼きは最近頂いたばかりなのに、「そば飯とか明石焼きもあるからいいんじゃない?」などと言っておりました。 
 最寄駅から阪神電車に乗り、途中で阪急電車に乗り換え、尼崎は武庫之荘までやってきたわけでありますよ。時間も早めでばっちりですよ。

 で、長閑で平穏な春まだきの空の下、ここが武庫之荘の街ですか…と至極長閑な散策気分で目的地に着きましたらば…。え、ま…、まさかの臨休? 前もって調べたら月曜休みになってたのに~。はい、思いっきり空振りました。お目当ての店にたどり着いて、シャッターが降りたままの店先に愕然と佇む人の姿って、傍から見たら間が抜けてるでしょうね…。
 すぐには打開案が思いつかなくて、心許なくさまよいそうになりましたが、武庫之荘で行ってみたいお店がもう一軒あるからそこに行こう…!となりました。 

 …漂着。
 実はここ、つい最近情報系番組で紹介されていたばかりですが、すんなり入れました(よかったなぁ…)。
 「CASARECCIO(カサレッチョ)」というイタリアンのお店です。

 イタリア人らしきマスターから「二階もあります~」と言われ、混み始めたらしきカウンター席を横目に階段を上がりました。
 
 まずは飲み物を。 
 今日はわざわざ電車移動ですから、私は生ビールを迷わず頼みました。だーさんはハウスワインの赤をデキャンタで。
 
 のどが渇いていたので、コクコクコク…。
 コルク栓で作られたカトラリーレストを見て、このアイデアはいいな~と思ったのですが、そんなに簡単に作れるわけでもなさそう?

 前菜盛り合わせ、2~3人前を頂きました。
 色んな前菜が♪ 肉だんごのトマト煮込みやら、ほうれん草のソテーにチーズを合わせたもの、ウインナーの詰まったキッシュなどなど。奥にあるのは白いんげん。
 茄子のグリルやニンジンのグラッセ。料理としては素朴な感じかしら? でも、野菜の味が引き立っていました。  

 パスタは一種類ずつ選びました。私が選んだのは黒板メニューの中から、“カラスミのリングイネ”です。 
 こ…これが、これがこれが、とおっても美味しかったです!
 しばし声も失い、夢中で黙々と味わっていました。しばらくしてから「これ美味しい!」とだーさんに話しかけると、いつも点が辛い彼も「これは旨いね」と一言。リングイネのこしも素晴らしかったです。
 
 一皿ペロッと平らげて、お次のパスタを待ちます。期待はいやが上にもつのります…!

 次に運ばれてきましたのは、だーさんが選んだ“トマトとスカモルツァチーズのリガトーニ”です。だーさんが選んだと言うか、たぶんこれが番組で紹介されていたパスタではないかな?ということで。
 画像では分かりにくいと思いますけれど、リガトーニって結構おっきいです。 
 こちらも美味しかった…はう~ん♪(のだめ風)。かなり濃厚なこくがあるのは、チーズの力でしょうか。こっちまでとろけそうになります。イタリアのマンマがまん丸になる秘密がここに…。この美味しさは体に悪いぞ。 

 作り手がイタリアの方たちなので、その分本場に近い(つまり濃ゆい)イタリアンが頂けるお店のようです。いや、堪能いたしました。ボーノボーノ♪

 この後はまたまた梅田へ移動です。あちこちぶらついてカロリー消費に努めました。
 そしてまたまた、「むさし乃」で休憩。

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