このごろ、友人と本の貸し借りをすることがある。貸したり借りたりすれば新刊でもいちいち買わずに読めるので、経済的で便利ではある。
しかし、友人のお勧めの本というのが必ずしも自分に適しているわけではないので、読むのが億劫になってしまう場合もある。
それより恐ろしいのは、ものすごく読むのが速い友人で、次々に貸してくれるし、また、私が購入した本を借りに来ることである。
「この間買ったと言っていたあの本、貸して!」という具合だ。
ところが、私の場合自分で買っておきながら一ヶ月もたっているのにいっこうに読んでない。
「ああ、あれ?まだ読んでない・・・」とのことで断ることになるが、近々読み終える予定も特に無いという具合だ。
こういうときの他人のパワフルさというのは、どうにもついて行けない。
おそらく、貸したらまた直ぐに読み終えて持ってくるだろうから、先にその人に読んでもらったほうが支障がないくらいである。
しかし、やはり自分で買った本は先に自分が読みたい気がする。
だからといって、人が待っているからと急いで読むというのも苦痛だ。
また、友人に本を借りたから、今度は自分のを貸さなくちゃと思うと、中の文章にやたらと線などを引くことができない。それもなかなか不便なものである。
最初は、「貸すから線を引かないようにしよう」と努めていたのだが、なんだか本末転倒のような気がしてきた。自分の気に入った本は好きなように読むのがいいのだ。
「この本は線を引いちゃったから、買ったとは言わないことにしよう」と思うようになってきた。
不便なことに、線を引きたくなるような本というのは、自分でも好きな本であるから、人にも薦めたい本であるが、そういうのに限って貸す状態ではなくなるのだ。
友人の読書の仕方はすごいもので、何でもかんでもすばやく読んでしまう。
しかし、その人は特に読書が趣味であるわけでもないようだ。趣味は別にある。趣味でもないものをそんなに消化できるということは、趣味にはどれだけのエネルギーを費やしているのだろうか。私のようにボーっとしたり昼寝などしていることなく、有意義な毎日を送っているのだろう。
そういうひとは、食べることに喩えて言えば、好き嫌いなく、何でもたくさん食べる食欲旺盛な体質の人のようなものである。
私などは、食欲もなく好き嫌いがあり食べ方も遅いというような人間にたとえられるだろう。
こういうことがあると、子どもの頃のことを思い出すが、私はどうも団体行動や他人と足並みをそろえることが苦手だった。鬼ごっこなんかも嫌いで走って逃げるのがいやで、どこかの物陰にじっと潜んでいたいほうだった。そうすれば逃げなくてもいいのだ。
テスト勉強を友人と一緒にやるのも大嫌いである。一緒に歴史の年代を暗記したり、英単語や英熟語を暗記して、その場で問題を出し合い覚えたかどうかを確かめるというのが大の苦手だ。他人と同じ速さでものを覚えることが苦痛である。おそらくやってできないわけではないと思うが、とにかくそういうのは嫌いだ。多くの友人は、面倒な勉強はその場で人といっしょにやってしまえばはかどるというが、こういうのがいやでならない。
読書もマイペースでのんびりとしていきたい。
しかし、友人のお勧めの本というのが必ずしも自分に適しているわけではないので、読むのが億劫になってしまう場合もある。
それより恐ろしいのは、ものすごく読むのが速い友人で、次々に貸してくれるし、また、私が購入した本を借りに来ることである。
「この間買ったと言っていたあの本、貸して!」という具合だ。
ところが、私の場合自分で買っておきながら一ヶ月もたっているのにいっこうに読んでない。
「ああ、あれ?まだ読んでない・・・」とのことで断ることになるが、近々読み終える予定も特に無いという具合だ。
こういうときの他人のパワフルさというのは、どうにもついて行けない。
おそらく、貸したらまた直ぐに読み終えて持ってくるだろうから、先にその人に読んでもらったほうが支障がないくらいである。
しかし、やはり自分で買った本は先に自分が読みたい気がする。
だからといって、人が待っているからと急いで読むというのも苦痛だ。
また、友人に本を借りたから、今度は自分のを貸さなくちゃと思うと、中の文章にやたらと線などを引くことができない。それもなかなか不便なものである。
最初は、「貸すから線を引かないようにしよう」と努めていたのだが、なんだか本末転倒のような気がしてきた。自分の気に入った本は好きなように読むのがいいのだ。
「この本は線を引いちゃったから、買ったとは言わないことにしよう」と思うようになってきた。
不便なことに、線を引きたくなるような本というのは、自分でも好きな本であるから、人にも薦めたい本であるが、そういうのに限って貸す状態ではなくなるのだ。
友人の読書の仕方はすごいもので、何でもかんでもすばやく読んでしまう。
しかし、その人は特に読書が趣味であるわけでもないようだ。趣味は別にある。趣味でもないものをそんなに消化できるということは、趣味にはどれだけのエネルギーを費やしているのだろうか。私のようにボーっとしたり昼寝などしていることなく、有意義な毎日を送っているのだろう。
そういうひとは、食べることに喩えて言えば、好き嫌いなく、何でもたくさん食べる食欲旺盛な体質の人のようなものである。
私などは、食欲もなく好き嫌いがあり食べ方も遅いというような人間にたとえられるだろう。
こういうことがあると、子どもの頃のことを思い出すが、私はどうも団体行動や他人と足並みをそろえることが苦手だった。鬼ごっこなんかも嫌いで走って逃げるのがいやで、どこかの物陰にじっと潜んでいたいほうだった。そうすれば逃げなくてもいいのだ。
テスト勉強を友人と一緒にやるのも大嫌いである。一緒に歴史の年代を暗記したり、英単語や英熟語を暗記して、その場で問題を出し合い覚えたかどうかを確かめるというのが大の苦手だ。他人と同じ速さでものを覚えることが苦痛である。おそらくやってできないわけではないと思うが、とにかくそういうのは嫌いだ。多くの友人は、面倒な勉強はその場で人といっしょにやってしまえばはかどるというが、こういうのがいやでならない。
読書もマイペースでのんびりとしていきたい。
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