山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

高校時代の思い出

2022-03-23 23:52:10 | 読書

私の人生のうち、一番楽しかった学校生活は高校だった。
高校では、演劇部にいた。演劇部で親友もできた。演劇があったから高校が楽しかったのだろう。

演劇は総合芸術である。高校生のころ文学にも目覚めた。その当時は読書もよくした。

演劇部の顧問は、大学を卒業したばかりの新任の女性の先生だった。私たちと7~8歳くらいしか違わないのだ。
その先生は現国の先生だったかな?古文の先生だったかな?授業でも教わったように記憶している。

演劇をしている人間である私たちは、一種の「あくどさ」や「野蛮さ」があると感じていた。
しかし、この先生にはそういうものがいっさいなく、「灰汁」が足りないのだった。
演劇をするタイプの人間ではないね、と思っていた。

それは悪い意味ではなく、何の嫌味もない先生で、顧問として私たちをよくサポートしてくれた。
先生は、ものすごい偏差値の高い国立大学を出ていた。その受験科目の多さにびっくりして、相当優秀なんだなと思ったけど、先生は和やかでやさしく謙虚であり、プライドの高さなどはみじんも感じさせなかった。容姿もそこそこきれいだった。

卒業式の日は、参列して一連の内容が進んで行ったが、特に悲しくはなかった。

そうして退場するときに、この先生の姿が目に入った。なぜか急に涙があふれてきた。
私たち卒業生は、胸にピンクの造花をつけていた。

今でも記憶に残る一瞬。
胸にピンクの造花を付けた自分が、演劇部の顧問の若い女性教師に見送られて、胸が熱くなった。
それは演劇部の仲間もみんな同じ思いだし、先生にとっても初めての教え子だったんだということを実感した。

普段は何も感じなかったのに、そこで初めて、先生と自分たちの絆を感じたのだった。

・・・

今、私は「巴里に死す」という小説を読んでいる。
この作者は芹沢光治良である。「巴里に死す」という題名は、なぜかあまりにも有名だと思っているが、その内容については知らなかった。この題名を知ったのは高校時代に違いない。

そして、演劇部の顧問のその先生は、当時「人間の運命」を読んでいた。
これは10巻くらいあったような気がする。おそらく先生は全部読んだのだろう。
私も真似して読み始めたが、たぶん2~3冊くらいで挫折したような気がする。

これを今から読んでみるかな?

「巴里に死す」についてみていたら舞台は1920年代のパリの話だそうだ。
なんと、今から100年も前のことだ。書かれたのは1943年だそうだ。

手記には主人公の心理が書かれていて、ああそういえば、高校の頃は、こういう心理描写みたいな文が好きだったなと思い出した。

恋愛は精神を高めるものでなくてはならず、人は常に向上心を持たなくてはならない、と若いころは想っていた。

しかし、今は、向上心などみじんもなく、何かおいしいものを食べたいとか、楽しいことはないかとか、そんなことばかり考えて生きている。

病気をしないで長生きしたいとか、安全に暮らしたいとか、そういうことを求め、精神の向上などはどこかに忘れ去ってしまっていたのだ。

日常にまみれ、ただ生きてるだけのオバサン(ばばあ)になってしまった。

先生はどうしているかな?もう70歳に近いかな?
先生は、私たちの卒業後まもなく教師を辞めて結婚されたそうである。お子さんもいる。
ご主人の転勤で海外で暮らしたりもしたそうだ。

この小説が書かれたのは今から80年も前だが、私が高校生の頃はまだ33年くらいしか経っていなかった。

「人間の運命」だって、当時はそんなに古い長編小説ではなかったはずだ。書かれてから10年も経ってなかったようだ。

今、あのころ読みそびれた本を読み始めるなら、半世紀も元に戻って、高校時代からやり直すって感じである。

 


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