私は花粉症ではない。
最近、周りの人々が「今日は花粉がひどいねえ~」などと嘆いていることがある。
あ、そうなの?
えっ、どこに?
自分の周囲に花粉がいっぱい飛びまくっているというのか・・・。
花粉が多いと騒いでいる人々には、その存在がはっきりと感じられているのであるが、
私にはまるでわからない。
「有る」ものが認識できないのである。
これって、一種、老眼で細かいものが見えないとか、そういう状況と似ているような気がする。
花粉症でないことは、とても有難いことである。
喜ぶべきことである。
でも、今日は「花粉が多いですね」という会話には、参加できないんですよ~~
最近、周りの人々が「今日は花粉がひどいねえ~」などと嘆いていることがある。
あ、そうなの?
えっ、どこに?
自分の周囲に花粉がいっぱい飛びまくっているというのか・・・。
花粉が多いと騒いでいる人々には、その存在がはっきりと感じられているのであるが、
私にはまるでわからない。
「有る」ものが認識できないのである。
これって、一種、老眼で細かいものが見えないとか、そういう状況と似ているような気がする。
花粉症でないことは、とても有難いことである。
喜ぶべきことである。
でも、今日は「花粉が多いですね」という会話には、参加できないんですよ~~
辛いとかいろいろ言ってますが、その割には、昔のようにティッシュをかかえているような人もいなくて、薬などでしっかり対処しているみたいですね。